お母さんとお父さんに、喜んで欲しかった。
小学生の頃に100点のテストを見せて、偉いねって、そう言って褒めてくれるのが嬉しかった。
そう——多分、嬉しかったんだと……思う。
だから、私は毎日勉強を頑張った。
でも、もうそんな気持ちも、今はよくわからない。
『まふゆは、将来なにになりたいの?』
『あのね、私、看護師になりたいの。病気で困ってる人の役に立ちたくて……』
『あら、そうなの。でも看護師も素敵な仕事だけど……。でもせっかく医療系の道に進むつもりなら、お医者さんはどう?』
『え、でも……私……』
『そうだな、医者はまふゆにぴったりだな。学力も申し分ないだろう。学費は出してやれるんだから、いい環境で勉強できるように頑張るんだぞ』
『お母さんもまふゆのこと、応援してるわ。頑張ってね!』
『う……うん……』
私の将来の夢は、お医者さん。
お母さんとお父さんが応援してくれる、理想の私の夢。
『あ。朝比奈さん、明日って暇?』
『あのね! クラスの何人かで新しく出来たゲーセンに行こうって話してるんだけど、朝比奈さんも行かない?』
『あ……うん。私も行きた——』
『も~! 朝比奈さんがそんな低俗な場所に行きたいって言う訳ないじゃん! 学年一の優等生サマだよ~?』
『部活も都大会とか行っちゃうし、勉強も頑張ってるんだし、遊びに行く暇とかないに決まってるでしょ~!』
『あ、それもそっか……。ごめんね、朝比奈さん』
『あ……。……うん。また誘って』
勉強も部活も出来る、学年一位の優等生。
誰もが尊敬してくれる、理想の私。
家族も、友達も、学校の先生も皆、そんな理想の私を褒めてくれる。
……でも、私はふと分からなくなった。
私は一体、何がしたかったんだろう。
私は一体、何が好きだったんだろう。
私は一体、何になりたかったんだろう。
私は一体、どんな人間だったんだろう。
全部全部、分からなくなった。
大好きだった筈のおかあさんの料理も、ケーキも、何もかもが全部、味がしなくなった。
私は一体、どんな気持ちで笑ってたんだろう——よくわからない。
私は一体、どんなモノを面白いって思ってたんだろう——よくわからない。
私は一体、どんな音楽が好きだったんだろう——よくわからない。
そんな、わからない事だらけでも、唯一分かる事はあった。
私は、このままじゃいけないってこと。
絶対に、わからなくなってしまった事を、取り戻さないといけないといけないってこと。
どうして、どんな気持ちでそう思うのかすらわからないけど、とにかくそれだけは確かにそう思った。
Kの曲とは、そんな時に出会った。
友達からオススメされる曲を聴いても何一つ感じなかったのに、Kの曲だけは何かが違った。まるで、心臓を掴まれて揺さぶられているみたいで。
唯一、私が何も感じなくなってから、初めてその曲で私は何かを感じた。
だから、その曲についてもっと知りたいと思って、私は自分で曲を作るようになった。
物置にしまってあったシンセサイザーを使って、Kの曲を聴きながら見様見真似で——いや違う、“聞”様“聞”真似でアレンジの曲を作った。
そしたらKから連絡があって、一緒に作品を作りませんかっていう誘いがあって、私はこの曲を作ったこの人の傍でなら見つけられるかもしれないと思って、その誘いに頷いた。
それが、『ニーゴ』の始まり。
それからニーゴには、えななんが入って、そしてAmiaが入って、活動は四人になった。
二人共性格は明るいけれど、Kや私と同じで、現実に何かを抱えて苦しんでいるような、そんな人達だった。
『じゃあみんな、今日も作業がんばろうね?』
『——ん。わかった、やろう雪』
『了解。ま、ぼちぼち初めていくわ』
『りょーかい雪! ボクも頑張るぞ~!』
そんな四人と一緒に作品を作る事は——多分、悪くはなかった……と、思う。なんでそう思うのかはよくわからないけれど、何となく。だって嫌だったら二年間もこんな事、続いてないと思うから。
でも、そんなニーゴのみんなと一緒に居る時も、やっぱり私は『いい子』で。
二年間探しても、結局私はなにもわからないままだった。
『朝比奈まふゆ』という存在が、一体どんな存在なのか分からないまま。
でも、そんな私にも新しい転機が訪れた。
『ここは、まふゆの“想い”から生まれた“セカイ”——『誰もいないセカイ』だよ』
突然私のパソコンに現れた『Untitled』という音楽ファイルと、それを再生した瞬間に移動した『誰もいないセカイ』で出会った『初音ミク』。
ミクは私に『本当の想い』を見つけて欲しいと言った。だから、それを見つければ私は『自分』が見つかると思った。
だって、こんな不思議な“セカイ”という場所を作れる“想い”が私の中にあるのだから。だから、あるんだったら探し出せるはずだって、そう思ったから。
だから私は、ニーゴの活動をしながら自分を探すだけじゃなくて、『OWN』としてKとは違う曲を作って自分を探そうとした。
毎日。
毎日。
毎日。
ずっと、私は“私”を探し続けた。
でも……作り続けても、なにも成果は得られなかった。
だけど私にはもう、
どんなに曲を作り続けても、見つからないかもしれないって、そんな自分自身の考えも見ないフリをして曲を作り続けた。
これでも見つからないなら、私はもう、消えるしかない。
そんな思いと共に、私は曲を作り続けた。
寝る時間も、休む時間も、勉強や部活や予備校以外の空いた時間、その全てをつぎ込んだ。
でも、私は“私”をみつけられないまま。
時間だけが過ぎていった。
このまま見つけられなかったら、結局探しても“私”なんて何処にもなかったら、私はいったいどうすればいいんだろう。
よくわからないけれど、そう思ったら私は息が苦しくなった。
苦しくて苦しくて、どうにもならなくなった。
そんな苦しさからも逃げるように、私は曲を作り続けた。
でも、そんな苦しい日々を私が送る中で一人、明らかに今までとは変わった人を見つけた。
『ふっふっふ……まぁね~、所謂ボク『高校デビュー』っていうやつに大成功しちゃってさぁ~、今中学とは違って高校生活が毎日楽しくてたまらないんだよねぇ~! 不登校生活からオサラバっていうかさ~』
『うん……高校に入ってボクに初めて出来た、本当に、本当に大切な友達なんだ。可愛くて、それでいてヒーローみたいにカッコいい……そんな、お節介で優しすぎる子達なんだ』
その人は——Amiaは、まるで本当に楽しそうで。もう悩みなんて何一つないような、そんな明るい声で、学校生活を本気で楽しんでいた。
あれだけ中学の学校生活の事なんて、嫌っているように見えたのに。
それどころか、現実で誰かと関わる事ですら嫌がっているような、そんな風にも感じたのに。
でもAmiaは、本当に明るくなった。
そんなAmiaの声を聞いて、私はもうAmiaは私とは“違う”なって、そう確信した。
現実での対人関係で、私と同じように上手くいかない“何か”を抱えてる人だって、そう思っていたのに……Amiaは勝手に一人で、抱えているものを全部捨てていた。
捨てることが、出来ていた。
そう確信すると、どうしてか私の頭はグルグルもやもやして、よくわからないけど、なんだか“嫌な感じ”がした。
この気持ちをどう言葉で表現したらいいのか分からないけど、でもとにかく、とにかく嫌な感じがした。
だから私は——
『この中で、消えたくないって思ってるのは、あなただけだよ、Amia』
『ねぇ、Amia。
あの時、私の“セカイ”に来たAmiaにそう言った。わざと、Amiaが嫌がりそうな言葉を選んで言った。
よくわからないけれど、Amiaの顔なんてもう見たくないって、そう思ったから。
でも、それはKやえななんも同じ。
結局、私はニーゴに居ても何一つ見つけられなかった。
だから、もう私にはニーゴもKも、何も要らない。期待してももう無駄だって、わかったから。
だから私はもう『OWN』として私の“本当の想い”を見つけるしかない。全てを捨ててでも、探して見つける。見つけてみせる。
だって、まだミクが私には見つけられるって、そう言ってくれるから。
だから私は曲を作って、作って、作って、作って作って作って作り続けて——
——だけど、そんな私が縋る唯一の手段も、ついに今日なくなった。
夕方に学校から家に帰ったら、私の部屋にあったはずのシンセサイザーが、リビングの机の上に置いてあった。
『え……どうして、シンセサイザーがここに……?』
『あぁ……それ? さっきまふゆの部屋を掃除してたら見つけたの。お父さんが買って、それっきりになってたのかしらね。明日、回収してもらうから……』
『………………なんで?』
『え、だって要らないでしょう?』
『これは……私にとって……』
『あ、そういえばまふゆ、お母さんお友達にまふゆの事を相談したら、いい家庭教師を紹介してもらえたのよ。来週、時間あったわよね。会ってみない? 相性が良かったら、家庭教師になってもらいましょう?』
『……………………わかった』
大切なモノのはずだったのに、私はお母さんに何も言い返せなかった。
今度こそ失いたくないって、私にはこれしかないって、そう思ってた筈だったのに、私は作曲をするために使うシンセサイザーが捨てられる事を受け入れた。
受け入れて、しまった。
だから私は理解した。
私にはもう、探しても“私”なんて残って無かったんだって。
夢も、信念も、感情も、何もかもがもう空っぽの空洞で——私にはもう、何もない。
じゃあ……ミクが言ってた私の『本当の想い』って何?
いや……違う、きっと私は最初から分かってた。分かってたけど見ないフリをしていた。
だから……もう、いいよね。
私はそう思って夜の25時、自分の部屋の中でパソコンを起動し、最後に作った曲を全部一気にアップロードした。
そして『Untitled』を再生する。
▲ ▼ ▲ ▼ ▲
視界を遮っていた光の粒子が散り、目の前が広がるとそこには、相変わらず灰色で、鉄塔が生えていたり、三角錐の建造物が無秩序に存在している以外は何も無くて、どこまでも果てのないセカイが広がっていた。
「————♪」
そこでは私のミクが歌っていて、そんなミクの所に歩み寄るとミクは反応した。
「……まふゆ?」
「……ねぇ、ミク。やっぱり私、何も見つけられなかったよ」
「………………」
ミクは何も言わない。でも、何処か悲しそうな目をしていた。
でも、私にはそんなの関係ない。もう……どうでもいい。何もかも、どうでもいい。
「私の“本当の想い”……わかったよ。いや、違う……本当は、最初から分かってた」
私はミクの悲しそうな目を真っすぐ見て、私の“本当の想い”を言う。
「私は、
「まふゆ、それは……」
ミクはさらに悲しそうな顔をした。でも、知らない。
「それが確認できてよかった。これで、もう楽になれる……だからもう……いいよね」
「違う……!」
続く私の言葉に、ミクは今まで聞いた事がないような、そんな大きな声で私を否定した。
でも……だからって、もう知らない。
私は消えるんだ。もういい、もう疲れた。
もう、私にはまだ何かあるかもしれないって、そう期待する事にすら疲れた。
だから、ここで良い。ここが、私が終わる場所。
私の存在が消える場所。
そっか、そうだったんだ。
この“セカイ”の名前が『誰もいないセカイ』なのは——私が、誰も居ない場所で全部終わらせて楽になりたいって、そう考えてたからなんだ。
このセカイは最初から——私が作った自分専用の
じゃあ後は……ゆっくり、何時までもずっとゆっくり眠って、そしてこのセカイと一体になるように溶けて消えてしまえば——
——と、私が考えた時だった。
「——き! ゆ…………き……!!」
声が、聞こえた気がした。私の事を呼ぶ声が。
「あ……」
「……どうしたの、ミク?」
「……来た。あの子達が、来てくれた」
そう呟くミクが見る視線の先を、私も追う。
するとそこには、こっちに向かって走ってくる一人の存在が居た。
それは——
「ふぅ……走った走った。やっほ、雪。ボクの顔なんてもう見たくないだろうけど——また、ここに来ちゃったよ。だってボク、雪と話したい事を全然話せてないからね」
私があんなに拒絶して、容赦なく言葉で傷つけて、二度とこの場所に来たくなくなるように思わせたはずのAmiaが、ニコリと微笑みながらそこに立っていた。
——え、どうして……? しかも、よりにもよってAmiaが、どうしてここに居るの?
そんな事を疑問に思う私に、ミクはふと周囲を見回しながら言う。
「あれ……? 瑞希、あなただけ……なの? 奏は……?」
「あ、ミクも居るじゃん、おひさ~。うん、そうだよ。えななんにはボクの考えを話したけど、それでも行かないって言われちゃったし、奏は曲を作ってから来るみたいだから……今はボク一人だね!」
そのAmiaのあっけらかんとした返答に、ミクは落胆したように項垂れた。
「……瑞希。この子の為に来てくれたのは嬉しいけど、貴方ひとりじゃ……無理だよ。奏が居ないと……この子は絶対にどうにもならない。だから……奏を連れてきて。この子には、奏が必要。奏じゃなきゃダメ。だから……瑞希じゃ、まふゆには何も出来ない。だから……帰って」
そのミクの言葉は、どこか確信を持ったような言葉だった。
どうして奏なら私に何かできるのかって、その根拠なんて私には一切わからなかったけど、まるで
Amiaの存在なんて必要ないみたいな、そんな門前払いみたいな言葉だった。
でも、Amiaは——
「……ミク、悪いけどボクが何かをする前に、ボクじゃ雪に何もできないって決めつけるのはやめて欲しいな。ボクの可能性を……勝手にキミの意見で縛らないでよ、ミク。君が何と言おうと、ボクはここに自分の意志を貫きに来たんだよ。だからさ……邪魔、しないでよ」
「——っ!?」
真正面から、ミクにそう言い返した。そこには、前に私の前でオロオロと慌てていた姿なんて全くなくて。強い意志みたいな何かが、そこにはあるような気がした。
そんなAmiaはもうミクを無視して、私の目を真っすぐ見据え、その瞳の奥に煌々と輝く薄桃色の意志の光を灯しながら、私に向かって言う。
「ボクの目的は最初からたった一つだ。雪、ボクは君を救いに来た。ただそれだけだよ」
——え?
救いに、来た?
あなたが、私を……?
……何を、馬鹿な事を言ってるんだろう。
何も、私の事を知らない
何を分かったような事、言ってるんだろう。
今のあなたなんかに、幸せそうなAmiaなんかに、私の気持ちなんて分かる訳ない。
その言葉を聞いた瞬間、私の中にどうしてか生まれてしまった、胸の中に渦巻くモヤモヤとした嫌な感覚を、全て吐き出すようにして私はAmiaに向かって口を開いた。
私の目の前から、今度こそ消えて貰う為に。
——今日のこの日のこの瞬間の事を、遠い後日に振り返った今になって、私は思う。
思えば、今日この瞬間が、私と“彼”が初めて本音で会話を交わした瞬間だった、と。
そして、その日から私が歩むことになった、長い長い自分探しのその旅路における、かけがえのない
そんな大切な思い出を、私はこの日から10年も経った今でも鮮明に思いだせる。
だって彼は……