32話 カラフルステージ
「私は、
『WEEKEND GARAGE』の店内で私は、
対して小豆沢さんはまだ緊張がほぐれないような様子だった。
「はっ……はい! よろしくお願いします、その……日野森さん」
おっかなびっくり、オドオドしっぱなしな態度でそう言う小豆沢さん。
あぁ……こうして一目見ただけで分かる。凄くこの子……『守ってあげたい』って感じのオーラがひしひしと伝わってくる子だな、まさしく“女の子”って感じ。
私には絶対に出せない魅力を持ってる子だ。もしかしたら司先輩は……こういう子が好みだったりするのかな?
「……あっ、えっと……ごめんなさい! もしかして私、何か失礼な事でもしてしまいましたか?」
「——え?」
そんな事を考えていると、私はつい難しい顔をしてしまっていたみたいで、少し涙目になった小豆沢さんに謝られてしまった。
しまった……怖がらせてどうする私、今は司先輩の事を考えるのは後回しにしよう。
だって——
『せやから、ウチからも志歩ちゃんに一つハッキリ忠告してあげるわ。志歩ちゃん……今のままの貴女やったら、絶対に天馬くんを——“天馬くん自身”を幸せには出来ん。今のアンタは天馬くんにとって……決して解く事の出来ん“呪い”や』
『せやから、もし志歩ちゃんが、これからもずっと天馬くんと一緒に居たいのなら……志歩ちゃんはもっと成長せなあかん。この言葉の意味を、しっかり自分の中で刻みぃ?』
気を抜くと頭に浮かんでしまうのは、以前に司先輩の事を賭けて戦った相手——
その言葉が何故か、私の頭の中に残り続けてしまっていたから。
……私が、司先輩の“呪い”? なにそれ、一体どういう意味?
まぁ……そんな考え続けても答えが出ない事を今考えても仕方ないよね。今だけは小豆沢さんの為に、この訳の分からないモヤモヤした気持ちは抑えておかなきゃ……。
「ごめん小豆沢さん、何か気に障ったとかじゃないから気にしないで? それより、ここの喫茶店に来たって事はコーヒーを飲みに来たの? それとも、何か別の用事?」
「あっ……えっと、それは……」
頭を切り替えてそう聞くと、再びしどろもどろになってしまう小豆沢さん。そんな彼女を見て、杏は安心させるような優しい微笑みで言う。
「もしかして……この前ウチに来てくれた時の事と、何か関係あったりする?」
「えっ!? えっと……し、白石さん、私のこと覚えててくれたんですか?」
杏の言葉に小豆沢さんはギョッと目を丸くする。……ってか、杏この子の事知ってたんだ。早く言ってよ、そういうのは。
そんな私の内心をよそに、杏は当然とばかりに軽く胸を張った。
「勿論っ! だってウチに来てくれるお客さんって父さんに憧れてる男の人が多くてさ、女の子のお客さんってすっごく珍しいんだから。だからね、貴女がまた来てくれてすっごく嬉しいんだ私! ——あっ、そういえば同い年なんだし、私の事は“杏”って呼んでよ」
「お父さんって……このお店のマスターさんの事だよね? なんでも、有名なミュージシャンだっていう……」
——あれ? この小豆沢って子、このお店の事をよく知ってる?
これは、偶然このお店を見かけて来ただけの子じゃなさそう……何か明確な目的があって来たのは確実そうだね……杏、ちゃんとこの子の口から引き出してあげなよ?
私はそう伝えるつもりで杏に目配せすると、杏は軽く微笑んでコクリと頷いてくれた。
……ま、分かってたけど杏に限ってその辺りの心配はいらなさそうだね。そんな想いで私は安心して二人の会話を見守る事にした。
「そうそう! よく知ってるね?」
「あっ、少しネットで見ただけだけど……その、このビビットストリートを中心に活動してた人だって」
「うん、それでずっと活動してたんだけど、二年前に引退してこのお店始めたの。だから昔の仲間とか、ファンとか、そんな人がたくさん来るんだ」
「えっと……じゃあこのあいだ来た時に、一緒に歌ってたのも……?」
「うん、あの人達も父さんのファンのミュージシャン。よく一緒に歌おうってイベントとかにも誘ってくれるんだ」
「イベント? 白石さ……あ、えっと……あ、杏ちゃんって、イベントに出てるの?」
「うん、出てるよ。この辺はライブハウスとかクラブも多いから出やすいんだ」
杏がそう言うと、小豆沢さんはオドオドしている雰囲気から一転し、キラリとその両目を輝かせて一歩前に進み出た。
「だから慣れてる感じだったんだね! あの時もすっごくカッコよかったし……」
「あの時? ああ、この前来てくれた時?」
「うんっ、私、あの時……す、すごくドキドキしたの! それで、も、もう一回あの歌を聴けたらいいなって……」
「そっか、それでわざわざ来てくれたんだね……」
そう言って杏は、軽く私の方を見てウィンクする。
はい、この子から来た目的を引き出す事に成功したね。さすが杏、手慣れてる。
成る程ね、だからこの子はこんなに恥ずかしがり屋さんなのに勇気を出して来てくれたんだ……これは、おもてなししてあげないとね、杏? ちょっと歌ってあげたら?
そんな想いで私は杏に視線を送った。
だけどここで事態は、完全に部外者気分だった私にまで飛び火してきてしまう。
何故なら杏は、小豆沢さんに対しこう宣言してしまったから。
「そういう事なら今、歌うね! ねぇ志歩、急で悪いんだけどさ、ベースでセッションよろしく! 『劣等上等』って曲、志歩だったらベースでも当然
「——は? いや……確かに弾けるけど、なんで私も?」
完全にこの場は杏に任せ、後方腕組み待機で二人を見守る気分でいた私は、そんな杏の無茶振りに自然と低い声が出てしまう。
そんな私の文句なんてなんのそのと、杏はニッコリと微笑んだ。
「だって折角私の歌を聴きに来てくれたんだよ? なら最っ高な歌を聞かせてあげたいもん、じゃあ志歩が居てくれた方がもっとすごいから、そうでしょ?」
「いや……そんな事急に言われても」
「じゃあ、この子来た時に私がやってた歌はマイクリレー形式だったんだけど、志歩が代わりに歌ってくれる?」
「——えっ!? い、いや、それこそ急に言われてもって話だし……そもそも今ベース持ってないし……」
「大丈夫大丈夫! 店に楽器はひととおり置いてるから、自由に使って!」
「いやいや、だからって……」
「ね? お願い志歩! 来たる日の会長との再決戦の為の練習の一環だと思ってさ! 私達の連携の練度今からコツコツ上げとこうよ!」
そう言ってパチンと両手を合わせてお願いされてしまえば、私は弱かった。
ため息は吐いてしまいながら小豆沢さんの方に確認を取る。
「……はぁ、ほんと杏はしょうがないんだから……ねぇ小豆沢さん、貴女が気に入ったこの子の歌声に、今から不純物が混ざってもいい?」
「あっ、えっと……!? いや……わ、私は気にしませんっていうか……え? い、今から白石さ——
小豆沢さんは突然の状況に目を白黒させながらパニック状態で、私が気にする必要は全然なさそうだった。
そんな彼女の心の準備を待つ気は杏にはないようで、気にせず私達を手招きする。
「よし、じゃあ二人共店の奥に来て? 簡易ステージがあるから! そこにベースも置いてるし」
「はぁ……もう、本当に強引なんだから。あなた大丈夫そう? 行くよ」
「あっ……ひゃっ、ひゃいっ!」
私は呂律も怪しい彼女を連れて杏の案内で、店の奥にある仮設ステージへと向かった。
そこには杏の言う通りベースだけじゃなくて沢山の楽器が置いてあって、誰でも思いついたらすぐにセッションが出来るような場が整えられていた。
それを見るだけでここの店主の
「——さ、志歩! 遠慮なくこのベース使って、どうぞ!」
「はいはい、分かったから……チューニングするまで待ってて」
私は杏に促されるままに、手渡されたベースのチューニング作業を開始した。
それにしてもこのベース……店に備えてあるんだから初心者用の安物かと思ったら、結構良いの置いてるじゃん。
クセの無い一般的なベースの形で扱いやすい型でありながら、幅広くハッキリとした音程感を出す事が出来る、まさに初心者から上級者のベース
確か……市場価格は20万ぐらいだったと思う。
……へぇ、流石“伝説”を作ったっていう有名なミュージシャンだね、杏のお父さん。音楽の事ならこんな所もとことんまで手を抜かないんだ。
はぁ、しょうがない……こんなの用意されちゃったらさ、全力出さないわけにはいかないよね。いや、元からやるなら本気が私のモットーだけど、より一層本気出さないとこのベースに失礼でしょ。
そんな事を考えながら、私はチューニングを終了させて杏と小豆沢さんに向かって言う。
「……よし、終わったよ。今から演奏するから入ってきてね杏」
「うん! 勿論オッケー! いや~、実は私、志歩のベース本当に良いからまた一緒に歌えるのずっと楽しみにしてたんだ~!」
そう言って意気揚々と返事をしてくれる杏に対し、隣に居る小豆沢さんはやっと状況に頭がついて来るようになったみたいで、杏に対してオドオドとした様子で尋ねる。
「あ、あの……杏ちゃん? ずっと聞きそびれてたけど……その、日野森さんってそんなにベースが上手なの?」
そんな小豆沢さんに対し、杏は迷いが一切ない瞳で——キッパリと宣言した。
「うん、
「えっ!? す、すごい……!」
そんな杏のオーバーな解説に、目を輝かせて私に視線を送る小豆沢さん。
はぁ……やる前からハードル上げるような事言わないで欲しいんだけどな。
「杏、変な事言わないでよ。それに小豆沢さんも、この子の言うことは間に受けなくていいから……」
「あっ、は、はい……」
「え~、事実なのにな~。志歩ってばもっと自分に自信を持って——」
「もういいから……始めるよ」
私は杏の言葉を遮って、ベースのピックを構える。
——深呼吸。
折角だからこの機会に、私は確認しておきたい事があった。
この間、会長と戦った時に私が至る事が出来た——『ゾーン状態』のあの精神。
あの感覚を掴む事が出来たっていうのなら、
だから思い出せ、あの時の気持ちを。
今から奏でる音楽を——自分を支えてくれる“誰か”の為に届けるんだっていう熱い気持ちを!
【挿入曲】
『劣等上等』 base-SIHO ver.
日野森志歩 & 白石杏
——♬♬♬!
そんな想いでベースの弦を弾き上げると、今までとは見違える程に、私は自分の思うままの音色をベースから奏でる事が出来た。
それと同時に——スッと、頭の奥深くに意識が潜っていくのを感じ、ベースと身体が一体化していくような感覚が全身を包んでいく。そんな冷静でクリアになる頭の中と相反して、心の中は熱く燃え滾る炎のような情熱が湧き上がる。
その衝動のまま心の中だけで私は、胸の中に飼っている——獣の形をした情熱に対して呼びかける。
——吠えろ、“
——♬♬♬!!! ——♬♬♬!!!
弾くベースの弦から
その音から感じる印象はまるで、杏と小豆沢さんが居るこの
それはまさしく、今までの私には絶対に出来なかった——ワンランク上の演奏。
え……? すごい、すごい……! これが、今の私の演奏力? 『ゾーン状態』の精神を自由に使いこなせるようになるだけで、ここまで変わるの……!?
間違いない……! 今の私なら例えフレイアさん達と演奏する時だって、今までは出遅れてたけど、これなら最初からフルマックスで張り合う事が出来る……!
私……本当に、今までとは別の次元のベース
そんな今までには感じる事が出来なかった、実力の新しい扉を開くことが出来た確かな感覚に、私は嬉しくなってしまって更にベースの弦を一気にはじき上げる。
——♬♬♬!!! ——♬♬♬!!!
そんな私の降り注ぐ星屑のような演奏に、小豆沢さんは呆然と目を丸くして私の背後を見て、うわ言のようにポツリと呟く。
「……おっきな、狼……? すごい、毛並みが星みたいにきらきらしてる……」
その小豆沢さんの眼にはまるで、私の背後に本当に夜空の星屑のような毛並みを纏った狼が遠吠えをしている映像が、ハッキリと見えているようだった。
これって……私の演奏が、素人の小豆沢さん相手でもそれぐらいのイメージを植え付ける程にすごくなってるって事だよね。よし……本当に私、フレイアさん達や古雪会長のレベルの音楽
私がそんな感動に浸っている中、杏は歌おうともせずに言葉をぽつぽつと漏らす。
「……すっご。あの日見えたイメージ通り……というか、更に凄くなってる……演奏を聴く相手にここまで強いイメージを感じさせるだなんて、まるで父さんや凪さん達の歌みたい……やっぱり志歩のベースの実力はもう、それぐらいの
ギュッと握りしめるその左拳が、杏の内心のどんな感情を表しているのかは私には分からなかった。
でも、そんなどうでもいい事より私が今の杏に伝えたい事は、ただ一つ。
——何ボーっと黙ってんの杏、早く歌いなよ。私一人で吠えててもつまんないじゃん!
私が視線で杏にそう訴えると、杏は目を大きく見開かせた。
「~~っ! あははっ……よっし! そうだよね志歩! めんどくさい事考えるのやーめたっと! 私も今から歌うよ!」
まるで頭にかかったモヤを振り払うかのように杏はそう宣言し、スゥゥゥゥと深く息を吸いこんだ。
そして、胸にため込んだモノを大きく吐き出すように歌い始める。
「——♬♬!! ——♬♬!!』
その杏の歌声は、私のベースの音に負けず劣らずステージの上で響き渡った。
例え傷つき泥にまみれても、それでも高い空を目指して力強く高く飛びあがるような歌声はまるで——路地裏の
そんな烏を従えながら、完全に吹っ切れたように歌い上げる杏の姿は、横で見ていてもとってもカッコよく見えてしまった。
……うん、それでいいよ杏。貴女みたいな人は悩んだり不安がったりするより、今みたいに吹っ切れて何にも考えないで歌ってるのがよく似合ってる。
よし……なんだか私も燃えてきた! 行くよ杏! あなたのその歌声を更に
燃える意思と共に、私はベースの弦を弾き鳴らす。
——♬♬♬!!! ——♬♬♬!!!
同時に私の大狼の遠吠えが、その毛並みに纏った星屑の輝きを今も室内を縦横無尽に羽ばたきまわる烏を包み込んだ。
そして星屑を纏った烏はカァァと甲高く鳴き声を上げ——加速。
電光石火のように室内を羽ばたきまわり、見違えるような進化を見せる。
杏はそんな、ベースの音色が支えることによって発生した自分の歌声の響き方の違いに、驚いたのか目を大きく見開いて私をチラリと見た。
——どう、杏?
これが今の私のベース演奏。
私がずっと練習して目指してて、やっと到達することが出来た、ベーシストとしての真骨頂。
そう、ベースは自分一人で輝くポジションじゃない。一緒に音楽を奏でる仲間の演奏を引き立てて、その良さを何倍にも増幅させて一つのまとまりとなった音楽として観客に伝えるのが、その仕事。
つまりベースは、最強の支援職。
だから行って——杏!
私のベースが支えるその歌声で、貴女の歌を好きになった小豆沢さんの心を——最高にワクワクさせてあげて!
そんな私の視線に杏はニヤリと笑いながらコクリと頷き、ベースの音に合わせて声をさらに張り上げる。
「——♬♬!! ——♬♬!!』
杏がそう歌い上げた瞬間、星屑の輝きに包まれた黒い
杏の歌声によって与えられたその烏の羽の
……やっぱり、さっすが、杏。
あなたは私の事を同年代でベースが上手い人間はいないって言うけど、それを言うなら私も同じ。同年代で貴女ぐらい歌える子を、私は知らない。
よし……だったらもっとギア上げるよ杏、ついて来れる!?
——もちろん、まっかせてよ志歩!
そんな杏の意志が、確かにその歌声から伝わってくる。
だから私は遠慮なしの全力全開で、杏の歌声を導くようにベースの弦をさらに弾き上げた。
——♬♬♬!!! ——♬♬♬!!!
「——♬♬!! ——♬♬!!』
同時に合わせるその音は、高速で羽ばたくシアン色の烏に、
すると、そんな色鮮やかに輝く烏は、高速で飛翔しながらキリモミ状に回転して小豆沢さんを目がけて突進し——その胸を穿った。
「すごい歌……ステージが、いろんな色でカラフルに輝いてキラキラしてる……! やっぱりカッコイイ……!」
ポツリとそう呟く小豆沢さんの瞳は確かに輝いていた。
よかった……この子の心、ちゃんと掴む事ができたみたい。やっぱりこうやって、誰かの心に感動を与える演奏が出来たって思えると、すごく気持ちいいな。杏に演奏してっていきなり言われて戸惑っちゃったけど……終わってみたらやってよかったかも。
それにしても小豆沢さん、良い感性してるね。
“
今の演奏でそんな風に感じられるんだったら、この子も意外と芸術的なセンスがあるのかも。
そう思いながら曲の終わりのメロディーを奏であげた後でベースを下ろす。すると杏がにこやかに私に笑いかけてきた。
「ふぅ……気持ちよかったぁ! ベースありがとね志歩、やっぱりいつもより最高に気分が上がったよ! 楽しかった!」
「ふふっ、ありがと。勿論私も楽しかったけど——肝心のお客さんの意見も聞いてあげたらどう?」
「あっ、そうだった……どうだったこはね、私達の演奏は?」
そう聞くと、小豆沢さんは満足そうに顔を上げ、かけた眼鏡をキラリと室内の照明に反射させながら杏と私を見て興奮気味に言う。
「すっ……すっごく、すっごくカッコよかったよ! 本当にありがとう杏ちゃん! 志歩ちゃ——ん、んんっ! ひ、日野森さんもベース、とても良かったです……!!」
そんな風に勢いで私の事も呼び捨てにしてしまいながらも、輝く瞳で賛辞をくれる小豆沢さん。そんな素直で礼儀正しい彼女の事が、私はつい微笑ましくなってしまった。
だからそんな小豆沢さ——いや、こはねに向かって笑みを作り、言ってあげる。
「別に、杏と同じで私の事も呼び捨てにしてくれていいよ。同い年でしょ? 私も貴方の事、こはねって呼ぶから」
「あっ……う、うん! し……志歩ちゃんのベース、本当に凄くよかった……! 志歩ちゃんもカッコよかったよ!」
「ふふっ……ありがとう、こはね」
そんな私に杏はおおっ、と目を見開いた。
「……志歩、すごい成長だね……! まさかあの志歩がこんなに簡単に人に呼び捨てを許可するようになるなんて……私が出会った頃とは大違い……!」
そんな茶化したような態度の杏に、私はジト目で視線を送った。
「杏……もう、やめてよ茶化すの。私がこんな風に他人との距離感のハードルすっかり下がっちゃったの、何処かの誰かさんの影響かなって最近思ってるんだからね?」
「あはははっ、さーて、誰の所為かな~?」
「もう……杏は調子いいんだから」
ため息を吐いてそんな杏からそっぽをむいてやる私。
するとそんな私達を気にもかけずに、こはねは今だ興奮冷めやらぬと言った様子で、目を閉じてさっきの演奏を思いだすようにハミングを歌う。
「特に凄かったのが、あのアレンジのところで……! ♬————ってところとか、そして次の♪~~~って所とか!」
「「————!?」」
そのハミングのワンフレーズに、同じ事を思ったのか私と杏は同時に思わず目をギョッと見開いた。
……この子、今の一瞬で完全に私達のアレンジの部分を聞き分けてその上、自分の音程で歌い上げた?
何だこの子……確かに音楽センスがありそうな子だなって思ったけど、まさか本当に悪くなさそうだなんて……。
私がそんな事を思ったと同時、杏は目を輝かせながらこはねに詰め寄った。
「もしかしてこはね……歌える?」
「……え?」
「ていうか、ちょっと歌ってみない!? 今聴いた感じ、歌詞も覚えてそうだし! はい、これマイク!」
「え、ちょっと、待っ……! わ、私、こんなところで歌ったりできないよ! そっ、それに志歩ちゃんも居るし……!」
そんな杏の強引さに翻弄されるこはねに、私はやれやれとため息を吐きながらも、それでも杏の気持ちも分かってしまうから、フォローしてあげることにした。
「私の事なら気にしないで、どんな歌声でも馬鹿にしたりとかしないから。それに……実はちょっと私こはねの歌気になるんだ。だから良かったら聴かせてよ」
「うんうんっ、私も志歩と同意見! だからおねがい! 歌ってよこはね! 大丈夫、こはねならきっとカッコよく歌えるよ!」
そんな杏の懇願に、こはねはオロオロと悩んだ後にようやくコクリと小さく頷いた。
「……す、少しだけなら大丈夫だけど……。でも……笑わないでね? 二人とも」
「もちろん!」
「うん……黙って聞くから安心して、こはね」
杏と私がそう言うと、こはねはスゥハァと数回深呼吸をした後で——
「——♬! ——♬♬!」
こはねのその歌声は、素人にしてはあまりに力強く、その上に綺麗な音程で声量も充分な素晴らしい歌声だった。
「——!!」
隣をふと見れば、そこには目の色を変えてこはねの歌に聞き入る杏の姿があった。
私は歌に関しては専門じゃないし、ヘルプで参加するバンドの演奏でサブボーカルをたまにやる程度の実力。
だけど私は、歌に関しては世界に通用する実力の——フレイアっていう名前の圧倒的な歌い手を知っているし、その人の歌声の何度も極めて間近で聞いて来た。
その経験から言える——この子は、リズムも音程も今はまだ拙い所が多いけど……多分ここから
そう感じてしまうぐらいに、こはねの歌には大きな可能性が間違いなくあった。
こはねはそんな私達二人の反応が悪くないのを感じたのか、ノリに乗るようにさらにその歌声を張り上げる。
「——♬! ——♬♬!」
そんなこはねの歌声は、今だ杏の歌声の余韻が、
その歌声から感じる印象は、雑踏の中で小さくも力強く生きる
こはねは、そんなベージュ色の毛並みをしたゴールデンハムスターをちょこんと肩に乗せて飼いながら、尚も歌い続ける。
そんなこはねの姿を見て、杏はブルリと武者震いをした後で——まるで追従するようにその口を開いた。
「——♬♬!! ——♬♬!!』
「……! ——♬! ——♬♬!」」
そんな杏の急なセッションに、こはねは一瞬驚いた様子を見せるけれどもすぐに立て直して再び歌い始める。
杏の歌で羽ばたく烏が、こはねの歌声で更に羽ばたく力を強めて疾風を起こしながら、今この室内に響き渡る。
そんな二人の息のあった歌声は、一方がもう一方を更に引き立てるような、この場で即興だとは思えない程の相乗効果を生んでいた。
すごい……この二人の歌、まるで互いに高め合ってるような……そんな感じがする。
聞いてるこっちも、ただ立って見ているだけじゃなくて——私も、歌いたくなってしまいそうな、そんな感覚が……!
私も……全く歌えないってわけじゃない。
バンドでサブボーカルをベーシストが務める事はよくあって、フレイアさん達からも最低限ついていけるようにって、イズさんからベースを習う合間に、フレイアさんから熱烈にボイストレーニングを直伝して貰った事はある。その練習も当然私は欠かしたことはない。
杏にさっきは突然マイクリレーって言われて驚いて思わず拒否しちゃっただけで——私だって、歌える。
と、そんな二人の歌声に私が確かにふらりと惹かれて、思わず口を開いてしまいそうになった時だった。
——突然私の目の前で、こはねの肩に乗っていたハムスターがフッと消失した。
そしてその代わりとばかりに、こはねの歌声の奥に潜んでいた
バ ク ン ッ !!
「……え?」
それは一瞬の事だった。
その“何か”は烏を喰らって飲み込んだかと思えば、瞬時にこはねの歌声の奥に引っ込んだかのように消えさり——再びその肩にちょこんと可愛らしいゴールデンハムスターが乗っかっていた。そんな一瞬で色んな事が起こってしまった状況に、私は信じられず目を見開いてしまう。
え? なに今の歌の
「——♬♬!! ——♬♬!!』
「——♬! ——♬♬!」
だけど、そんな
そして杏の歌声で飛翔する烏も、何事もなかったかのように室内を飛び続けている。
え……? もしかして、本当にさっきのはただの幻覚? ……だよね? まさかあんなに優しくてかわいい子が、本能の奥底にあんな
だけどそう思いたい私の耳には、こはねの歌声が杏に追従するようにさらに勢いを増しているように聞こえていて——その歌声が作り出す
……まさかあの子、この一瞬で杏の歌い方の一部のクセを、
もし今思ったこの仮説が本当だとしたら、この子一体……なんて成長力なの?
こんなの……将来の成長が今から楽しみっていうより、最早……恐ろしい。
「……はぁ、はぁ……すごい……気持ちよかった……!」
私が圧倒されてしまってる間に二人の歌は終わっていて、こはねは満足そうに清々しい表情をしていた。
けど、その顔は私の様子を見て少し曇ってしまう。
「……あれ? どうしたの志歩ちゃん? 急にそんなに震えて……もしかして、寒いの?」
そう言われてしまった後に、私は気付く。
私の身体が脳に反して言う事を聞かなくなって、寒くもないのにガタガタと震えが止まらなくなっている事に。
まるで私の本能が、動物としての生存本能を思い出したかのようにそんな警鐘をけたたましく鳴らしている事に。
……だ、だめだだめだ……落ちつけ私……こはねは、優しくてとっても良い子なんだから、私がこの子の歌声を怖がってるってバレたら、きっと悲しませる。
そんな意志で、こはねに向かって笑顔を作った。
「ううん……ちょっと、二人の歌声が凄すぎて……感動しちゃっただけ。すごかったよこはね、本当に素人なの?」
「え、ええっ……!? それは大袈裟だよ……で、でも……あ、ありがとう……」
こはねは私の言葉で、そう言って照れたようにはにかんでくれた。
そんな可愛らしいこはねの反応を見ていたら、さっきの恐怖感が徐々に薄らいでいくのを感じた。
……なんだか、色々スゴイ子だなこの子。
少し未来が怖いけどどうしよう……ここまでの才能、埋もれさせるには惜しい? もしかしたらフレイアさん達に紹介したら、想像を絶するぐらいの歌手になれたりするのかなこの子。
そんな風に、少し私がこはねの将来を真剣に考え始めた時だった。
「……見つけた! やっと見つけた!」
杏はそう言って、輝く瞳でツカツカとこはねの前まで歩み寄った。
そして目を丸くするこはねを相手に、杏は笑顔で言う。
「ねぇ、こはね! 私と組もう! 私と組んで、一緒に最高のイベントをやろうよ!」
「……ええっ!?」
そんな再びの杏の突然の提案に、こはねは目を丸くして真っ赤になってしまった。
……どうやら私の友達は、とんでもない化物と組むつもりらしい。
杏、大丈夫? その子……可愛い見た目に騙されたら、一瞬で骨まで残さず食いつくされるよ? 気づけてる?
……心配だなぁ。
どうやら私は、この二人の事を放っておくわけにはいかなくなったようだった。