神山高校1年A組日野森志歩   作:トール77

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35話 日野森志歩 VS 東雲彰人

 

 

『なぁなぁ、志歩よぉ……お前ってさぁ、いつもイズの奴にベース教わってるけどよぉ、アタシにもなんか聞きてぇ事ねぇのか?』

 

 それは半年ほど前のこと、私がまだ受験勉強を頑張っていた頃。

 フレイアさん達がまたいつものようにベース担当の人に逃げられ、『Asgard(アースガルズ)』のライブ前にヘルプのベーシストとして参加させられていた時だった。

 その本番前日の練習の最中、小休止中にいきなりフレイアさんに問を投げかけられ、私は思わず口をポカンと開けてしまう。

 

『……はい? 急にどうしたんですかフレイアさん?』

 

 そんな私にフレイアさんは軽く水分補給を済ませた後、持ち前の綺麗な深紅のストレートヘアを軽く揺らし、長身で細身の体つきに似合わぬ日本人の平均より確実に上のバストサイズの胸を張り、切れ長で鋭い目をパチンとウィンクさせながら自慢げに笑みを作って言う。

 

『何でも良いぜ! 聞きたい事をアタシに聞きな! どうだ? 楽器の整備の仕方か? ギターの弾き方か? それとも前みたいに、勉強の事でもいいぜ? ホラ志歩、アタシに何でも質問しろや!』

『い、いや……急に言われましても、何を聞けばいいのか……』

 

 私が戸惑っていると、フレイアさんはクワッと目を大きく見開いて凄んできた。

 

『——ああん!? 何だコラ!? アタシが頼りにならねぇっていうのかぁ!?』

『うわっ、ちょっと……急に怒鳴らないでください! ビックリしたじゃないですか!』

『ぐぐぐっ……!?』

 

 怖い顔をするフレイアさんに構わず私がそう言い返すと、フレイアさんは一瞬で口をへの字に曲げて黙ってしまう。

 

『あははっ……! 本当に志歩ちゃんは(カシラ)にビビんねぇっすよね、中坊とは思えない肝っ玉してるっすよマジで。だから頭~、変に照れてないで素直に言ったらどうっすか?』

『はぁぁ……! フレ様は相変わらず不器用でお可愛らしいですわぁ! 折角久しぶりに出来た可愛い妹分に、自分もイズのようにもっともっと頼られたい……! そう素直に言えなくて照れ隠しに怒ってしまういじらしさ……ああ! 私のこの胸に湧き上がる熱いこの衝動は——敢えて言おう、“()え”でありますと!』

 

そんなフレイアさんを見ていたスノトラさんはニヤニヤと暖かい笑みを零し、シェヴンさんは興奮したように頬を上気させた。

 フレイアさんはそれに図星だったみたいで、烈火の如く怒りを露わにする。

 

『——るっせぇなぁ!! 笑うんじゃねぇよお前らぁ!!』

『わ~、頭がキレたっす~! マジでごめんなさいっす~!』

『すみませんわぁフレ様ぁ~!』

『テメェら謝る気ねぇだろぉ!!』

『うるさいですっ……! わかりました! フレイアさんに質問します! しますから三人共静かにしてください! 全員揃って子供ですか本当にもうっ……!』

 

 騒がしくて私が堪らずそう言うと、先ほどまでの怒りはどこへやら、フレイアさんは上機嫌に胸をズイッと張る。

 

『おっ、よしよし、よく言ったぜ! ったくよ~。アタシに頼りてぇなら照れずに最初からそう言えばいいんだよ~!』

 

 まったく……不機嫌になったり怒ったり喜んだり……忙しい人。

でも、どうしてだか憎む事が出来ない。やっぱりこういう所がきっと、フレイアさんが持つ人を惹きつける独特なカリスマ性というものなのかもしれないな。

 そんな風にフレイアさんへの認識を改めながら、私は前から少し気になっていた事を尋ねる事にした。

 

『あの、明日のステージで演奏する二曲って、一つが皆さんのオリジナル曲で、もう一つの方は既存曲って事は分かるんですけど……その、これって一体何の曲なんですか?』

『……ああ! この曲はな、アタシが大好きなゲームの戦闘中に流れる曲だぜ? 洋楽でノリも良くてカッコイイ曲だろ? アタシ好きなんだよなぁ。まぁ、ちょっと志歩にゃあ世代は古い曲かもしれねぇから、別に知らないのも無理はねぇな!』

『む、昔のゲームの挿入歌……? あの……フレイアさん? 元プロだったあなた達に差し出がましい事を言って申し訳ないんですけど……それって、客のウケ的に大丈夫なんですか?』

『——ああん?』

 

 コテンと首を傾げるフレイアさんに、私は純粋な疑問をぶつける。

 

『どうせ既存曲を演奏するならそんなマイナーな曲より、世間一般的によく知られてるメジャー曲の方が、演奏したら観客の皆さんも喜んでもらえると思うんです。——なのに、どうしてわざわざそんな知名度の低い曲を選ぶんですか?』

『ほーん、じゃあ例えば志歩は、どんな曲をやったら喜んでもらえると思うんだよ?』

 

 ……あれ? 逆に質問を返されてしまった。

 それぐらい、このシブヤで音楽活動をしている人なら全員が知ってる一般常識(・・・・)な筈なんだけどな……? まぁいいや、どうせフレイアさんも知ってるだろうけど、聞かれたんだし素直に答えておこう。

 

『それは当然——バーチャル・シンガーの曲ですよ。勿論知ってると思いますけど、本当に大人気なんですよ? 『千本桜』に『ヒバナ』や『カゲロウデイズ』——他にもバンド演奏映えする曲は沢山あります。だからどうせ既存曲をやるならそんな曲の方が観客をもっと盛り上げられ——』

 

 私がそこまで言った時、フレイアさんはベッと舌を出して私の意見を鼻で笑った。

 

『ハッ、客ウケとか知らね~! アタシは何時だって歌いてぇ曲を歌うんだよ!』

 

 ……うわ、やっぱり我の強い人だな……。まぁ確かに、この人の周囲に流されないその強いメンタルは私も尊敬はしてるけど、でも流石にプロ経験があるのに、ここまで自分勝手に振舞えるっていうは、ちょっとどうなんだろう? ……不安だ。

 

『あの……、確かにそういう意見もあるかもですけど……でも実際、この街で音楽活動してる人は、既存曲をカバーする時ほぼ全員がバーチャル・シンガーの曲ですよ?』

『そうだな、当然それは知ってる。でもよ……客ウケが良いからって理由だけで、気分じゃねぇ曲歌っても意味ねぇだろが?』

『ですが……みなさんはプロだった事があるんですよね? なら、やっぱり好きな曲だけ演奏するんじゃなくて、ファンの人からの需要(ニーズ)に答える必要もあるんじゃないんですか?』

 

 そんな私に、フレイアさんは不敵な笑みをたたえて両腕を組んで答えた。

 

需要(ニーズ)だぁ? ——んなモン、無きゃ作り出せばいいだろが。アタシらは芸術家(アーティスト)だぞ?』

『——っ』

『知らねえ曲でも、自分の演奏で惹きつけてこそ一流なんだよ。わかったか志歩?』

 

 その意見はどこまでも自分中心で、だからこそ——“この人らしいな”って、私はそう感じてしまった。きっと、この人は生きてる限りこの意見は変えないんだろうな。

 だけどそういうの——悪くない考え方かも。

 そう考えて感心していると、フレイアさんは小声で呟く。

 

『それに……その曲はアイツら(・・・・)の曲だからな。親友(ダチ)の曲を使って金稼ぎする趣味は、アタシにはねぇよ』

『——は? 今、何て言いました? バーチャル・シンガーが……友達?』

 

 そんな意味不明なフレイアさんの呟きに思わずそう聞いてしまうと、横から何故か慌てた様子でシェヴンさんとスノトラさんが横入りしてきた。

 

『——なっ、なんでもないですわよ志歩ちゃん! ちょっと……しっ、知り合い! そう! 知り合いにバーチャル・シンガーの曲を作ってる人が居るんですの! も、も~! フレ様ったらお茶目ですわ~! あの人は友達って程親しい訳ではないじゃないですか』

『マジでいい加減にするっすよ(カシラ)っ……! 志歩ちゃんに自分ら頭ヤバイ奴だって思われるじゃないっすか! 口滑りやすいのも大概にしてくださいっす!』

『お……おお……! わ、悪ぃ……』

『あの……? なんだか私、今すごく誤魔化されてる気がするんですけど……?』

『だから何でもないんすよ志歩ちゃん! さ……さぁ! 他にも何か聞きたい事あるんじゃないっすか!? あっ、そういえば! 志歩ちゃんこの間イズに色々聞いてたじゃないっすか! その事について自分らに聴きたい事は無いっすか?』

 

 そんな必死なスノトラさんの様子に私は凄く釈然としないものを感じながらも、これ以上聞いても答えて貰えなさそうだと察した私は、質問を変える事にした。

 

『なら……演奏の時、自分の精神状態(コンディション)を“ゾーン状態”に、自分の意志で至らせることが出来る貴女達に質問があります』

 

 私の問いにフレイアさんは少しポカンとした後、遅れて理解したように相槌を打った。

 

『——“ソーン状態”? あぁ……アレの事か。でも志歩、お前も最初アタシらと()った時に一度アレになった事があるだろ? 今だって時々なってる時あるしな。そんなお前が今更アレについて何か聞く事があんのか?』

『いえ……私はまだ、ゾーン状態に入れるコツを見つけられてません。ですから私が至った事があると言われても、まだ実感としてつかめてないと言いますか……』

『ほーん、まぁ確かに志歩は安定しないわな。で、あの状態の時の何が聞きてぇんだ?』

『その……あの状態になった時の気分とか、演奏の実力って……具体的にどれぐらい普段と変わるものなんですか? 私……恥ずかしながらゾーンに入ってる“らしい”時は、なんだか頭がハイになってるっていう実感しかその時の事を覚えてなくて……』

 

 私がそう言うと、フレイアさんはニヤリと不敵に笑いながら、相変わらず不良っぽい見た目によらず、賢い頭を使って凄く親切に解説してくれた。

 

『違うぜ、全然違う。マジでもう……世界が自分中心に回ってるって感じがして、何をやってもうまくいくって感じ——って、そんなフワッとした感想論じゃ逆に伝わりにくいか、説明方法を変えるぜ? あのな……イズの奴も言ってたと思うけどよ、“ゾーン状態”ってのは人間の脳の“極限の集中状態”なんだよ』

『極限の集中状態……確か、人間の脳の性能を限界まで引き出す事が出来て、普段以上の力を発揮できる……でしたっけ?』

『よく覚えてんじゃねぇか。その“ゾーン状態”ってのはな、スポーツ選手やゲーマーの間でもよく使われる概念だけどよ——アタシらみたいなミュージシャンが“ゾーン状態”に入るとな——他の奴らが使うよりもその効果が断然ちげぇんだよ』

『……え? それは、どうしてですか?』

 

 フレイアさんはフフンと鼻で自慢げに笑い、解説を続ける。

 

『ミュージシャンってのは音楽に“想い”を乗せることが出来る“表現者”だ。その表現の手段に楽器や歌、人によっちゃぁダンスも入る。そして、その全てがゾーンに入るとな——ワンランク上(・・・・・・)のモノになる。なら——当然演奏全体の格も乗算されてハネ上がるって訳だ』

『——え? じゃあ楽器の演奏だけじゃなくて、歌も良くなるんですか? ——って、あぁ……成る程、人間の脳のパフォーマンスが向上するから……その人個人の全体の能力が底上げされるのは、必然って事ですか』

 

 私が理解した事をそう言うと、フレイアさんは上機嫌に頷いた。

 

『そうそう、飲み込みが良いな! つまり“ゾーン状態”ってのはソイツ個人の持つ実力の数値に加算する事が出来る、一種の“掛け算”的な要素だ。元々の実力が1だとするなら、ゾーンに入るだけで2倍になるって感じでな』

『……成る程。だからイズさんは私に、演奏に力強さを求めるなら“ゾーン状態”を使いこなせるようになれと言ったわけですね』

『そういう事だと思うぜ、アタシの見立てでもイズと同意見だ。志歩——お前はもう、基礎を十分に磨き切ってる、それこそ爆発的な成長がこれ以上望めないってぐらいにな』

『だからこそ、今より発展した実力を急いで求めるなら一番の手段という訳ですか……なっとくしました。でも、いくらゾーン状態が演奏だけにプラス作用するものじゃないとしたって、私はフレイアさんとは違って歌は不要ですけどね』

 

 私が以前イズさんから受けたアドバイスにそんな納得をしていると、フレイアさんは急に私の肩を掴んできた。

 

『——いや? そんなつれねぇ事言うなよ志歩。つまりそんな質問をするって事は、お前は今“ゾーン状態”を意識的に使いこなす為に色々努力してるんだろ?』

『えっ……? あ、は、はい……そうですけど、急にどうしたんですか?』

『ならよ、もっと自分の色んな可能性にもチャレンジしてみねぇか? 例えば——』

 

 そこまで言って、フレイアさんはニタリと笑った。

 

『——“歌”、とかな?』

 

 唐突な提案に、私は目を丸くしてしまう。

 へっ……私が、う、歌!? 急に何を言ってるのフレイアさん……!?

 

『あっ、あのっ? わ、私ベーシストですよ!? どうして歌なんて……』

『おいおい、知らねぇ訳ねぇだろ? アタシらのオリジナル曲の殆どはサブボーカルがあって、それを歌ってるのがイズだってよ。だから志歩、お前も師匠であるイズと同じ立場に立って“ゾーン状態”に入れるかどうかやってみろや!』

『——はぁっ!? いや、それは無茶苦茶ですって……! そもそも私、そこまで歌上手いって訳じゃ——』

『何言ってんだよ、アタシがやさし~く教えてやるっての! それにお前も結構良い声してるぜ? 鍛えりゃイイ歌手になれるぐらいにな! イヒヒヒヒッ! やりぃ、志歩がサブでも使い物になりゃ、イズが休養中の今でもアタシらがやれる曲のレパートリーがグッと増えるぜ!』

『ちょっ!? それって、結局フレイアさんが得するだけじゃないです!?』

 

 そんな楽しそうなフレイアさんを、スノトラさんとシェヴンさんは苦笑しつつ見つめていた。

 

『あはは……まさか頭が志歩ちゃんをそこまで気に入ってたとは……すんませんっす志歩ちゃん、そーなった頭は自分らではどうにもならねぇっす、諦めて頭の鬼畜特訓を受け入れてくださいっす』

『フレ様ぁ……本当に気分屋ですわねぇ、自分のサブボーカルはイズ以外認めないと吠えてらした頃がありましたというのに……でも、志歩ちゃんだからなのかもしれないですわねぇ……ちょっとだけ羨ましいですわ』

『いや、諦めてないで助けてくださいスノトラさん! シェヴンさん!?』

 

 助けを求める私を無視して、フレイアさんはグイっと掴んだままの私の肩を引っ張った。

 

『よーし! そうと決まったら明日やる予定のオリジナル曲もチェンジだ! 早速発声練習から行くぜ! まずは近場を軽く一キロ程ランニングしながら発声練習な!』

『——は? ランニングしながら発声練習とか何考えてるんですか!? 酸欠で死にますよ!?』

『大丈夫大丈夫! 死なねぇって! それにボーカルは肺活量が命だからな、ちょっとばかり酸欠で死にかける位が丁度いいっての、それで発声練習までこなせるなら一石二鳥ってやつだ』

『雑……!? ちょっとフレイアさん、考える練習メニューも雑すぎませんか!? それは体力がゴリラ並みのフレイアさんだからこそできる事ですって!』

『よーし! いっくぜ~!』

『ちょっと!? 話聞いてくれませんか!?』

 

 そんな上機嫌なフレイアさんに引きずられて私は、高校受験を半年後に控えたこの日から無理矢理に、あのフレイアさんの激しい歌声を補助するサブボーカルとして鍛えられる事になってしまったのだった。

ちなみに、体力バカなフレイアさんが提示するボーカルの練習内容は……これもプロになるため、サブボーカルだって出来るベーシストとして、自分の実力の引き出しを増やす為だと思わないと正直やってられないレベルだった。

 

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 

 ——そして、今現在。

 

 

「東雲さん、私と歌で勝負しましょう。もし貴方が負ければ、素直に私の言った通りにしてください」

 

「な……なんだと……!?」

 

 

 私は言う事を聞こうとしない東雲さんを納得させる為にそう言うと、彼は唖然としたように口をポカンと開いた。

 しかしその一瞬後で自分の現状を理解したのか、彼は明らかに苛立ちを露わにしたような表情になった。

 

「オレと歌で勝負、だと……? お前、今自分が何言ってるのか分かってんのか?」

「はい、勿論分かってますよ。私は貴方に歌で勝って、そして杏とこはねの前にあなたを突き出して、正々堂々と勝負宣言をさせます。歌の実力で二人を叩き潰すと豪語していた貴方にとって、これ以上ない位にシンプルな話じゃないですか?」

「そうじゃ……ねぇだろ……! お前、普段は何してる奴だ? 歌でオレに勝負をふっかけるからには——相当、歌に自信でもあんのか?」

「普段はライブハウスでアルバイトをしている、将来プロ志望の野良(ノラ)ベーシストです。歌の経験は、ヘルプで入ったバンドでたまにサブボーカルを担当する程度ですね」

 

 嘘偽りなくそう言うと、東雲さんはギリリと歯を鳴らして私を睨みつける。それは傍に居る青柳さんが今も彼を制止していなかったら、今にも私に掴みかかってきそうな程の怒りの剣幕だった。

 

「——ンだよソレは……! 舐めてんのかテメェ!? 音楽経験は一応あるみたいだが、歌に関してはそんな片手間程度で、オレに勝てると思ってやがるのか!?」

「彰人、落ちつけ……! 日野森も、頼むからもうこれ以上彰人を刺激するような事は言わないでくれ……!」

 

 そんな必死な青柳さんの仲裁に心が少し痛んでしまうけれど、私は尚も続ける、東雲さんを挑発する言葉を。

 

「ええ、勿論勝てると思ってますよ? そんな、素人相手に不意打ちを挑もうとするような卑怯者の実力でしょう? どうせ口先ばかりの勢い任せで、大したことない歌声に決まってます。そんなの、私の片手間程度の歌声で勝てるに決まってるじゃないですか」

「日野森……!? だから俺は、これ以上は止めろと——!」

 

 顔面蒼白になる青柳さん。

 それとは対照的に最早怒りを通り越したのか、一周回ってすっかり沈黙してしまった東雲さんは、顔を俯むかせながらドスの効いた低い声でポツリと呟く。

 

「なら決まりだ……テメェはたった今、ここで……ぶっっっ潰す」

 

 そう言った後で東雲さんは、『彰人!』と制止する青柳さんを振りきってズンズンと足を踏み鳴らして進み、私のすぐ真横を通り過ぎたかと思えば、肩越しに振り返って私を睨みつけ、大通りの方を顎で指し示しながら言う。

 

裏通り(ここ)じゃ狭い……本気でオレに勝てる気ならこっちに来やがれ。教えてやるよ……お前がたった今口にした“歌での勝負”が——このビビットストリートじゃ、軽い覚悟で口に出来るもんじゃねぇって事をよ」

 

 その言葉は意味深で脅すような言葉だったけど、私は構わず東雲さんに続いて歩を進めた。

 

 私はフレイアさんに色々教わってきて、ベースを弾きながらサブボーカルとしても何度か舞台に立ったこともある。

 

 ——けど、私の歌には結局最後まで克服できなかった、とある“欠点”がある。だから私が東雲さんに対して歌で勝てると言ったのは、正直に言ってしまえば虚勢。

 東雲さんがどれだけ歌の実力があるか知らないけれど、信念をもって音楽に向き合っている人間の歌が、下手なワケがない。

 でも、そんな私にも勝算は一つだけある。

 

『ミュージシャンってのは音楽に“想い”を乗せることが出来る“表現者”だ。その表現の手段に楽器や歌、人によっちゃぁダンスも入る。そして、その全てがゾーンに入るとな——ワンランク上(・・・・・・)のモノになる。なら——当然演奏全体の格も乗算されてハネ上がるって訳だ』

 

 昔聞いたフレイアさんのあの言葉が本当なら、ベース演奏だけじゃなくて歌だけでも上手くゾーンに入ることが出来れば、東雲さんの実力に食らいつく事は出来るかもしれない。

 “欠点”を、克服できるかもしれない。

 そんな、正直言えば賭けに過ぎない根拠。それでも挑みたいこの勝負。

その理由は、こはねの変わりたいっていう決心を応援したいから——っていう、他人目から見て崇高な理由だけじゃない。

 

『せやから、もし志歩ちゃんが、これからもずっと天馬くんと一緒に居たいのなら……志歩ちゃんはもっと成長せなあかん。この言葉の意味を、しっかり自分の中で刻みぃ?』

 

 私の胸を今も刺し続けている、会長のそんな言葉。

 あの言葉を私は否定するために——いつか来るあの人との再決戦の為に、私はまだまだ強くなりたかったから。

 私がもし、あの輝く光の象徴(スター)のような司先輩につり合っていないなら——釣り合える人間に、もっと早くなるために。

私はもっともっと強くなりたい。今までの私の実力の殻を、破りたい。

 それが私が今ここで、東雲さんと戦う理由だった。

 

 そんな決意を固め東雲さんに続いてビビットストリートの裏路地から表通りに出ると、東雲さんは私の方に向き直り、まるで高潔な一対一の決闘を申し込む騎士のように大きな声で宣言した。

 

「——さぁ日野森! お前の望み通り歌で勝負してやろうじゃねぇか! あんだけナメた大口叩いたんだ……素人同然の人間だろうが、オレは容赦しねぇからな!」

 

 そして私の目の前で東雲さんは、大きく息を吸いこみ——歌いあげる。

 

 

——♬! ——♬!

 

 

 その歌声は、男性の歌声の本来の持ち味である力強さが存分に発揮されていて、それでいて勢いだけじゃない、確かな歌の基礎の技術がしっかりと詰め込まれているような歌声だった。

 

 この人……やっぱり歌、上手い。

 

 声量も充分、低音域の声の震えもしっかり表現できていて、アカペラでも充分に聴ける迫力がある。

 東雲さんの実力は分かった。

 でも、具体的な説明もナシに歌い始めて、肝心の勝負のルールは……何? と、そう疑問に思っていた時だった。

 

「おい見ろよ! 『BAD DOGS』の彰人が今から戦うらしいぜ! 皆ァ、集まれぇ!」

「マジかよアイツ……! ついおととい五人連続斬りを達成しておいて、まだ勝ち足りねぇってのかよ!?」

「おい、アイツの今年に入っての通算戦績はどうだった?」

「二十九戦中、二十九勝……! 今年に入って無敗だぜ無敗! 彰人の奴、記念すべき三十連勝目の犠牲者に、あの嬢ちゃんを選んだみてぇだなぁ!」

「あの嬢ちゃん、誰か知らねぇがおご愁傷様だぜ、喧嘩を売る相手を間違えちまったようだ! アイツは今この街でノリに乗ってる男だってのによぉ!」

「キャ~! 彰人くんだぁ~! また歌ってる所見れるの? ラッキー! 今度のイベントまでおあずけだと思ってた~!」

「ちょっとぉ~! あの女ダレぇ~!? よりによってアタシらの彰人様に喧嘩売るとか、チョーシ乗ってる~!? マジでキモイんですけど~!?」

「誰だか知らねぇが、そんなヨソ者の女なんて軽くやっちまえ彰人ぉ~~!! お前は俺達若手歌手の期待の星だぁ~~!!」

 

 周囲から東雲さんの歌を聞きつけた人たちが、まるで祭りでも始まったかのようなテンションで続々と私達の周囲に人垣を作るように集まってくる。

 な、なんなの、この街の人達……? 歌で勝負するってだけで、どうしてここまでの騒ぎになるの? 歌の勝負に対する反応が、普通じゃない……!

 

「……はぁ、もうこうなってしまったら止めるのは不可能だな……すまない日野森。俺に出来る事はもう何も無さそうだ」

 

 私がこの街の人達の異様なテンションに圧倒されていると、裏路地から心底残念そうなため息と共に青柳さんが現れ、私の背後からそう声をかけてきた。

 

「あ、青柳さん……これは一体、何の騒ぎ?」

「ああ、異様に映るかもしれないが、これがこの街『ビビットストリート』での普通の光景なんだ」

「え……!? これが、普通……?」

 

 青柳さんの説明に、私は思わずギョッとして周囲に集まった人たちを見回してしまう。

 その表情にあったのはどれもが、強い好奇心と興奮の感情。現状を疑問に思っている人なんて誰もいなくて、だからこそ、この光景がこの街にとって自然な事なんだと否応なしにわからされてしまう。

 そんな私に、青柳さんは尚も解説を続けてくれる。

 

「この街に住む全員が歌を愛しているからというのもあるが、それに加えてここビビットストリートでは揉め事があると、歌で勝負して白黒つけるというルールが存在するんだ。だからこんな騒ぎも殆ど毎日のように起きている。これがこの街にとっての日常なんだ」

「そんなルールが……? 誰が一体そんな決まり事を?」

「詳しい事はわからないが、彰人から聞いた話によると、伝説のイベントを作り上げた大人達が——(けん)さん達が浸透させたルールらしい」

「杏のお父さん達が……?」

 

 私はこのビビットストリートという街の、ある種の他とは違った空気感の理由を知り、自然と額から冷や汗が流れてしまう。

 争いが起きた時に、暴力ではなくてお互いが歌で歌って勝負し、負けた方が主張を譲る。そんな平和だけど——非現実的な、ふざけた法則がまかり通ってしまう程に、“歌”という文化を神聖視している人間達が集まった街。間違いなく、普通じゃない。

 

 この街は——異常(・・)だ。

 

 でもこれが……“ビビットストリート”。

 元々店長から聞いた話だと、シブヤの中で一番歌と音楽を愛してる人間達が集まってる場所だって聞いてたけど、まさかここまでだなんて。

 確かこの前勝負した生徒会の横山(よこやま)先輩も、杏の住んでる街の名前がビビットストリートって知った時に、こんな事を言ってたっけ。

 

 

『このシブヤで音楽をやってる人間なら知らない奴は正直言ってモグリだ。それ程に有名な、このシブヤの中で歌に最も熱い人間達が集う街と言っても過言じゃない。逆を言うなら——歌えない人間は住んでいられない街。あんな人外魔境の世界に身を置いて今なお、歌い手として生きているのなら……君は相当な実力者だ』

 

 

 人外魔境(・・・・)……、ね。

 たしかに、ここまで異常な程に歌に情熱を賭けてる人達ばかりの街なら、横山先輩があんな表現をしたのも納得が出来るし、杏がどうして歌があそこまで上手いのかも凄く納得ができてしまう。

 よし、この街のノリは分かった。

でもまさか、いきなりこんな衆人環視の中で勝負することになるなんて……どうしよう、予想外だったかも。

 周囲を取り巻く群衆達に圧倒されてしまう私を見て、人を呼び寄せるパフォーマンスの独唱を終えた東雲さんは、薄ら笑いを浮かべた。

 

「ハハッ——どうした? あそこまで威勢よく啖呵切っておいて、まさかビビったんじゃねぇよな? 一応聞くが、今なら頭下げたら大人しくお家に帰してやるぜ?」

「……誰がビビってるって? 冗談は両親からもらった大事な髪を、そんな趣味の悪い色に染めてしまったご自身のセンスだけにしてくださいよ、東雲さん」

 

 “作戦”の為に挑発は続行。すると、東雲さんはあからさまに眉にしわを寄せて不機嫌な表情になった。

 

「……そうかよ、心配は余計なお世話だったみてぇだな。……あと一応言っとくが、この髪色は地毛だよ。悪かったな……不良に見える趣味の悪い色しててよ」

 

 ……嘘、地毛なの?

 そんな明るいオレンジ色で軽く黄色メッシュまで入ってるから、絶対に自分で髪色染めてると思ってた……東雲さんの身体の特徴を貶すつもりはなかったのに。

 ……うん、これは流石に謝ろう。

 

「……そうですか、失礼な事を言ってしまって、申し訳ありませんでした」

「……は? いや、そこは謝るのかよ!? マジでよく分かんねぇ女だなお前……」

 

 東雲さんはそうため息を吐いた後、私の背後に立っている青柳さんをチラリと見やる。

 

「——で、冬弥はその女のセコンドに付くのか?」

「……っ、待て彰人……俺は……」

 

 裏切りを咎められたと思ったのか怪訝な顔をする青柳さん。だから私が『気にしなくていいから向こうに戻って』と青柳さんに言う前に、東雲さんはフンと鼻を鳴らす。

 

「勘違いすんな冬弥、責めてるんじゃねぇよ——お前の友達なんだろ? こうなったのはお前の所為じゃねぇ、ならどっちの肩持とうと自由だ。それに……そこの女はたいそう口はデケェがよそ者サマだからな、この街での“喧嘩”の流儀を解説してやる奴がいねぇとフェアじゃねぇだろ」

「彰人……ああ、すまない……感謝する」

 

 ——へぇ、意外。本性を隠してる人間だから腹黒い人かなと思ってたけど、仲間想いな人なんだ。

これなら悪い人間じゃないっていう杏の見たても、実際は間違ってなかったんだね。

 そう思っていると、東雲さんはギラリと私を睨みつけてきた。

 

「あと先に言っとく……これはオレの喧嘩だ。手ぇ出すんじゃねぇぞ、冬弥」

「——っ!」

 

 私に向けられたその視線に込められたのは、暴力的なまでの敵意。

 威圧する視線で私の戦意を根こそぎ刈り取ろうとしているかのようで、東雲さんの心の燃え滾る怒りがとても伝わって来た。

 それは私の“狙い”は無事成功していると確信できるような、そんな視線。

 だけど、まだ念のために——。

 

「……安心しましたよ。素人相手に正面から勝つ自信が無いからって、街のお仲間をわざわざ呼んで、集団で私をイジメに来るような卑怯者かと。でも……いいんです? この状況で私にもし負けたら貴方、二度とこの街に顔出せなくなるんじゃないですか?」

「チッ……勝てる前提で話するんじゃねぇよ……マジで威勢だけ(・・)はイイ女だな。ゼッテー泣かせてやるから覚悟しやがれ」

 

 東雲さんは苛立ちを露わにするように歯をむき出しながらそう吐き捨て、私達の剣呑な会話の内容で集まってきた人たちが何事かとざわつく中、マイクをスッと構えた。

 そして彼は、高らかに歌いあげる。

 

 

 

【挿入曲】

『アスノヨゾラ哨戒班』 Vocal.東雲彰人 ver.

 

 

 

「——♬♬!! ——♬♬!!』

 

 

 東雲さんの歌声が大通りに響き渡る。

 力強く高らかで、それでいて聞く人の心を震わせてやると——私の心を折ってやると威圧してくるような歌声だった。

 それでいて粗野で、横暴で、乱雑で、所かまわず暴れ回り、己が存在している爪痕を遺す事に執着しているような——(ケダモノ)の雄叫びのような歌声だった。

 

「……成る程ね、確かに“悪犬(BAD DOGS)”……」

 

 思わずそうぼやいてしまうぐらい東雲さんの歌声は私に、吠え猛る躾のなっていない野犬の姿をイメージさせた。

 私の目の前で野犬は暴れ回り、周囲の人々の心の奥に荒々しく爪痕を刻み込んでいく。

 

「おおっ……! やっぱり彰人の奴の歌はヤベェぜ、聞いてるだけのコッチがブルっちまいそうなぐらいの迫力……!」

「あの可愛らしい嬢ちゃんは大丈夫か? 降参するなら今だぜ~?」

「チッ、もう勝負始まっちまってるか! 音源とスピーカーもって来たぜ! 彰人のヤツの勝負だ、この俺っちが——最高に盛り上げてやんよ!」

「おっ! おっさんじゃねぇか! さすが夜のクラブでDJやってる人間は準備が良いな、音量上げろ! 祭りだ祭り!」

「きゃ~~!! 彰人様ぁ~~!! 最高! カッコイイ~~!!」

「彰人様マジ最高! こんなの勝てる訳ないって! あの女マジでかわいそ~~!」

 

 いつの間にか曲まで流れ始め、集まった人たちも東雲さんの野犬のような歌声に酔いしれるように盛り上がりをヒートアップさせていく。

 完全に場の空気は東雲さんのモノと変貌する。それぐらいに人々を惹きつけるような魅力が、彼の荒々しいその歌声にはあった。

 

 でも、ここまで状況が私の方に不利に傾くのは、元々この場所が東雲さんのホームだからってのもあるんだと思う。もはやこの場の空気は、よそ者の私なんて居なくてもいいみたいな雰囲気だ。

 状況は圧倒的不利、私に求められる歌声は最低限でも東雲さんに勝る、この場の人達の関心を惹きつけるぐらいの“何か”。

 

「……日野森、大丈夫か? 彰人のやつが先に歌い始めてしまったが、今からこの街の勝負のルールを説明するぞ」

「青柳さん……」

 

 そんな孤立無援状態の私の耳元で、青柳さんは心配そうな表情でそう囁いてくれる。

どうやらこの状況でも、青柳さんだけは私の味方をしてくれるみたいだった。すごく……とても心強い。

 

「でもルールって、お互いに好きな曲を歌って、それでどっちが良いかを観客の人に決めてもらうって感じだと思ったんだけど……違うの?」

(さと)いな日野森。おおよそはそれで合っている——だが、細かく言えば違う」

「へぇ、どう違うの?」

「まず一つ、この街での歌の勝負に“先行”と“後攻”の概念は、実質的に言えばあってないようなものだ。先行と後攻のそれぞれに一回ずつ“選曲権”があるに過ぎない」

「選曲権……?」

 

 言ってることが分からなくて、私はつい馬鹿みたいにオウム返しをしてしまう。そんな私に青柳さんは続けてくれた。

 

「詳しく解説しよう。今は彰人が先行を取ってあの曲を勝負曲に選択して歌っている。だが……日野森は今、彰人が歌っている最中にもし割り込める自信があるのなら、別に今から彰人の歌に()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ」

「——え?」

「そしてあの曲が終わったら、次は日野森が勝負する曲を決めて歌い始める。それに彰人が割り込んで来るなら、日野森はそれを迎え打つんだ。この流れを互いに納得がいくまで繰り返して、先に相手が負けを認めた時か——集まった観客から見て、勝敗が明らかだと判断されてしまった時が、勝者が決定する時だ。……どうだ? これがビビットストリートの歌の勝負の流儀(ルール)だ。理解できたか?」

「……な、なんて雑な“流儀”……」

 

 私は青柳さんの説明に驚いて、つい口をポカンと開けてしまう。

 お互いに好きな曲を歌っていって、それで相手が歌ってる時に歌えるなら自分も歌っても構わないんだったら、確かに先行も後攻も実質あったものじゃない。お互いに全力の歌唱力をぶつけ合うだけのゴリ押し勝負だ。

そしてその上、勝負で重要視されるのはどちらが相手の歌声を上回る事ができるか、それ一点のみ。

 なんだか単純明快すぎて、いい意味でも悪い意味でもルール無用の野良試合(ストリートファイト)って感じがしてしまう。

 

 でもそれが、『ビビットストリート』での“流儀”。

 

 それなら私はあくまでもその流儀を踏まえた上で、東雲さんを打ち負かさなければいけない。

 へぇ……上等じゃん、大体わかったよ。

確かに滅茶苦茶だけど、そのルールだったら逆に私にとっては好都合(・・・)だ、ベーシストとしての私の“能力”を——存分に活かす事ができる。

 

「……日野森? 笑っているが……もしや、何か掴んだのか?」

「まぁね。解説ありがとう青柳さん、おかげでやりやすくなったよ」

「やりやすくなった……とは?」

「だって——青柳さんならもう察してるかもだけど、貴方の相棒さん、まだ全然本気出してないでしょ? ひょっとしたらあの曲、()()()()()()とかだったりしない?」

 

 青柳さんはギョッと目を大きくした。やっぱり図星だったみたい。

 

「……どうしてわかった?」

「曲のチョイスかな。あれ元々バーチャル・シンガーの曲で女性が歌う事を想定して作られてるでしょ? だからあの人は曲のキーを落としてアレンジして歌ってるけど——練習不足かな? 曲の高音パートの声の伸びが甘い(・・)叫び(シャウト)の勢いでその拙さを誤魔化してるだけでしょ? 私の耳は誤魔化せないよ」

「な……!? 今の彰人の歌の問題点を、少し聞いただけでわかったというのか!?」

 

 青柳さんはさらにギョッとした表情で私を見つめる。東雲さんの歌の欠点を瞬時に判断した私に、どうやら相当驚いてしまったみたいだ。

 でも私から言わせれば、これぐらい出来なきゃバンドで全体的なバランサーとしての立場のベーシストとして失格だと思うんだけどな。バイト先の店長は『そう思えるのは君が特別だからだよ』って言ってたけど、何度聞いてもそれは甘えだとしか思えないんだよね。

 

 それにしても、私の“狙い”は見事にハマってるみたい。

 東雲さんは今、完全に私の事をナメている。いや……ナメてるのとは少し違うか、私に対して“圧倒的な勝利”を望んでる。自分の得意でない曲を敢えて選曲して、その上で私の事を叩きのめしたいんだ——散々挑発してきた私の事が、本気でムカつくから。

 その曲、結構難しいでしょ? まぁ、貴方はよくやってる方だけどもっともっと練習しないと歌いこなせないよ?

 その曲をカラオケの持ち曲にして完璧に歌いこなす事ができてるのは、私が知っている限りで——一歌(いちか)しかいない。

 貴方のその慢心こそが、本職の歌手じゃない私の、唯一の勝機。

 

「じゃ、解説ありがと青柳さん、私も歌っていいんだったら行くよ」

「……説明しておいてなんだか、日野森お前……本気で彰人に勝つ気でいるのか? 無茶だ……経験が違い過ぎる。今からでも降参した方が傷は浅いぞ」

「馬鹿言わないでよ、私は勝てない勝負なんて挑まない。あ……先に謝っとくよ?」

 

 心配したように私にそう言ってくれる青柳さんから一歩離れ、振り返ってニヤリと笑って言ってやる。

 

「あなたの相棒、今から私が倒すから」

「……っ!」

 

 ギョッと目を剥いた青柳さんを無視し、私は挑む相手の方に向き直る。

 さぁ東雲さん。気持ちよく歌ってるところ悪いけど——私の親友の持ち歌、返してもらうよ?

 

 深く、深呼吸。

 フレイアさんから教わった通り、肺を気管支まで使って大量の空気を取り込み、その全てを吐き出して盛大に爆発させるつもりで私は——歌を、歌う。

 

 

 

【挿入曲】

『アスノヨゾラ哨戒班』 Vocal.東雲彰人

                &

               日野森志歩 ver.

 

 

 

「——♬! ——♬!」

 

 

「……なっ……!?」

 

 私の声が東雲さんの歌声に追従するように大気を震わせた瞬間、東雲さんは私がいきなり入ってくるとは思わなかったのか、歌うのを一瞬中断して絶句した。

 だけどすぐに、私の行動を鼻で笑う。

 

「——ハッ、成程な。冬弥から聞いて歌い得なルールだと思ったか? けどな、相手と同じ曲で戦うってのは自分の歌に相当な自信がないと——実力差が浮き彫りになっちまうんだぜ!?」

 

 私の声をかき消すように、東雲さんは歌を再開する。

 

「——♬♬!! ——♬♬!!」

 

 その歌声は私の歌声よりも確実に力強く、高らかにこの場所に響き渡る。

 その差は、先ほど東雲さんの歌声を野良犬のイメージで例えたけど、それに倣うのならば、私の歌声は小さな子犬で、東雲さんは成長しきった成犬。

 そんな東雲さんの歌声はまるで獲物を見つけた獣のように、力で劣る子犬のような私の歌声に襲い掛かる。

 それを見た青柳さんは、やっぱりこうなるかと言いたげな表情で小さな悲鳴を上げる。

 

「駄目だ、勝てない……! だから無茶だと言ったんだ日野森……!」

 

 ——けど、そんな青柳さんの心配は杞憂に終わる。

 

「——♬♬!! ——♬♬!!」

 

 私の歌声は東雲さんの歌声に捉えられる前にさらに高く伸び続け、周囲に確かな私の歌声の余韻を残す。

 

「なっ——!? っ、——♬♬!! ——♬♬!!

 

 初撃を身軽に飛ぶように躱されたと驚くも、野良犬はすぐさま再び私の歌声に噛みつきにかかる。

 

「——♬! ——♬♬♬♬!!」

 

 だけど、そんな荒々しい勢いだけの歌声の攻撃を軽く躱すように、私は東雲さんの歌の細かなミスを利用し続け、東雲さんの欠点を全部穴埋めしたような歌声をその上に被せ続ける。

 そんな私の歌を聴いて、青柳さんは驚愕したように口を大きくポカンと開けた。

 

「これは!? 日野森の歌が、彰人の歌の細かなミスを修正している……これでは、彰人の歌の荒い部分が目立って……まさか日野森、狙ってこれを……!?」

 

 そう、これが私のベーシストとしての能力を生かした戦法。

 演奏の“歪み”を正し、正しい流れに導くために磨いた私の、他人より少しリズム感の把握が正確だと自負できる自慢の耳。その耳で聞き取った東雲さんのミスを、全て否定し続ける形で歌う、カウンター主体の戦法。これが歌の実力で劣る私の、唯一の勝機だった。

 

 そんな戦法を取る私に驚いたのは青柳さんだけじゃない。

 そんな私と東雲さんのデュエットは聴いている外野の人達からすればまるで、力任せに襲い掛かる野良犬の牙をヒラリヒラリと躱す、小さな子犬のように感じられたようだった。

 

「お、おい……あのヨソ者の子、子犬みたいな歌声で最初は瞬殺されるかと思ったら、今も彰人のヤツに食らいつき続けてやがる……!? どうなってんだ?」

「ってかあの子、歌、上手くね? さっきから彰人のヤツの歌に足りない部分を全部カバーしてやがるぞ? 歌の違いが一目瞭然すぎるぜ……!」

「なんだよコレ、何が起きてる? あの彰人がさっきからまるで子ども扱いだぜ!?」

「うそぉ!? 彰人様を相手にしてあの女、ここまでもつなんて……! ま、まさか、彰人様が負けちゃうんじゃ……?」

「馬鹿言わないでよ! この曲、彰人様が何時も歌ってる曲じゃないじゃん! 彰人様は優しいから、あの女に手心加えてあげてるんだって! 本気出してないだけだから!」

 

 観客はざわつき、初めは私が劣勢だった空気もイーブンに戻り始める。

 そんな中、おっきなスピーカーを持って来たというDJが職業のおじさんはニヤリと笑みを浮かべながら、私の歌声をこう評した。

 

「あの嬢ちゃん……歌の技術は完全に彰人より上だ。歌に野良犬には無ぇ“気品”と“格”がありやがる——あの子犬さては、ナリは小せぇが“(オオカミ)”か……!」

 

 思わず笑ってしまう。

へぇ……誰か知らないけど、あのDJのおじさん、良い耳してるじゃん。

 

その通り——私は、一匹狼だ!

 

 

「——♬♬!! ——♬♬!!」

 

「——クソッ! ♬♬!! ——♬♬!!

 

 

 私の歌に怯まず東雲さんは再び食らいついてくる。その眼には不屈の闘志があった。その諦めない姿勢には私も好感が湧く。

 

 でも——今の曲の部分(パート)、もっと“使える”声の音域広げてから歌った方がいいよ東雲さん。原曲の良さが死んでるから。

 ミスを咎めるように、再び私は東雲さんの歌に自分の歌声を被せる。

 

「——♬♬!! ——♬♬!!」

「このっ……またかよ!? ——♬♬!!

 

 ……あぁ、それじゃ駄目。

 今度は高音パートを意識しすぎて、低音域の声が出てない——やり直し。

 

「~~♬! ~~♬♬♬!!」

「コイツ……!? ——♬♬!!

 

 何やってんの……? 今のフレーズ部分の終わりはビブラート入れる所でしょ? なんでやれてないの? ミス? まさかまだ私がド素人だと思ってナメてる? やり直し。

 

「♬♬♬♬!! ——♬♬!!」

「——ッ、畜生……! ——♬♬♬!」

 

 ——は? 歌の声量全然足りてないけどどうしたの? この曲を……というか“音楽”をナメてる? まさか私の歌で怯んだんじゃないよね? 

 いや……ふざけないでよ。今ここが私とアンタだけの勝負場っていうならともかく、例え歌だけとはいえ、こんなに観客がいる前で——完璧(PERFECT)な演奏をする事以外は私、絶対に認めないから!

 

「——♬♬!! ——♬♬!!」

「——っ、クッソがぁ……!」

 

 そうやって私は東雲さんの歌声の欠点を突き続け、常に東雲さんの歌の上を取った。

 そんな私の善戦は観客の人達にとっては完全に想定外だったらしく、さらに騒ぎが大きくなっていく

 

「なんだあの嬢ちゃんの歌い方は!? 彰人がまるで、ボーカルトレーニングを受けてる最中の初心者扱いだぜ……!」

「嬢ちゃんの子狼が……歌の勢いは完全に負けてるが、彰人の攻撃を全部躱してカウンターで返してやがる……!?」

「やべぇあの子……! なんて技術力だ! リズム感、テクニック、声量、息継ぎ(ブレス)のタイミング、どこをとってもケチつける部分がまるで無ぇぞ!?」

「なんだあのヨソ者!? 一体どこのどいつだ!? ここまで歌える大穴(ダークホース)が、一体このシブヤのどこに隠れてやがった!? このままなら——彰人が負けるぞ!?」

「彰人の——いや、『BAD DOGS』の連勝記録が、まさかあんな無名の子相手に途切れちまうのか……!?」

「い、いや……それでも彰人のヤツは負けねぇ! アイツまだ本気出してねぇんだ!」

「いやぁぁ~~!! 彰人様~~!! 負けないで~~!!」

 

 そんな騒ぎを私は意識の中から完全にシャットアウトし、声を張り上げ歌いながら、更に意識を深く集中させていく。

 それはベースを演奏しない状態でも、ゾーン状態に入れるかどうかを探るために。

 その試みは今のところは難しかったけれど、喉が徐々にあったまっていくのを私は感じていた。ウォームアップはもうすぐ終わりそうだった。

 

 ……なるほどね。ぶっつけ本番だったけど、実際歌ってみてわかった。

 意外と私、歌だけでもまるで駄目ってワケでもなさそう。このままこの調子で押し切れれば、“ゾーン”を使えなくても東雲さんに勝てるかも……!

 ——と、そう思って勝利を僅かに確信する私の目の前で、東雲さんは拳を震わせながら(うめ)くように呟く。

 

「なんだよ、わざわざオレの歌にケチつけるように歌いやがって……! 狼は野良犬の上位互換だって言いてぇのか? けど、そんな教科書通りの歌で、オレに負けを認めさせられると思うなよ……!!」

 

 東雲さんが纏う雰囲気がガラッと変わる。そして彼は、更に吠えるように歌い上げた。

 それはまるで、完全に慢心を捨て本気で——“狩り”を行うと決めた、獣があげる雄叫びのような歌声。

 

 

「——♬♬♬♬♬♬!!」

 

「くっ……!?」

 

 

 瞬間、私が中学の頃から積み上げ続けた技術で手繰り寄せた場の空気が、野良犬の荒々しい突進にまき散らされるのを感じた。

 それは、いくら私が上手い歌を歌ったとしても決して超える事ができないような、東雲さんだけが持つ歌声がもつ“破壊力”——人の心を惹きつける力だった。

 

「——おお! 彰人のヤツやっと本気を出しやがった! 女相手だからって今まで油断してたんじゃねぇだろうな!?」

「きゃ~! やっぱり本気出してなかったんだって、アタシの言った通りでしょ? 彰人様カッコイイ~!!」

 

 途端に盛り上がる観客の熱気とは逆に、私は背中に冷や汗が流れるのを感じた。

 まずい……油断してくれてる間に押しきれなかった。いや、でもまだ流れは私の方に残ってる、だから——! 

 

「——♬♬!! ——♬♬!!」

 

 諦めず、二番に突入した曲の歌詞を歌いあげる。それも、一番を歌った東雲さんの音程の細かなミスを修正した正確な歌を。

 だけど、もう東雲さんは表情を歪ませる事はなかった。

 そんな私の小さな足掻きを、上から踏みつぶすかのように歌声は響き渡る。

 

「——♬!! ——♬♬!!」

「——♬! ……っ、駄目……」

 

 そのまま私は、完全に本気になってしまった東雲さんの歌声に歯が立たないまま、一曲目の終わりを迎えてしまった。

だけど、思った以上に悔しさはない。だってそれは、元から分かってた事だから。

 

 そう、これが私が東雲さんに勝てない“理由”。私の歌の——演奏全般の“欠点”。

それは多分本来、バンド音楽を支える屋台骨であるベーシストとしてなら無視しても構わないような欠点だったけど、会長達と戦った時とは違ってこうしてソロでやるとなると、まさかここまで露骨に浮き彫りになるなんて……。これは、致命的すぎる。

 

 そう、私の演奏には——(はな)がない。

 

 私の演奏は、どうしてもミスなく完璧である事にこだわってしまうあまり、どこまで行っても基礎(ベース)の域を超える事ができない。

 会長に勝った時だって、杏の魅力あふれる歌声と、音楽才能(センス)に完全覚醒した瑞希の勢いあるギターの音色を最大限利用して、勝利をもぎ取ったようなもの。

 

 私の演奏はベースでも歌でも、技術だけは努力で完璧に磨く事ができても、曲をミスなく完全に弾きこなせるようになっても、結局——人の心を動かす演奏が出来なければすべて無駄なのだ。

私はもう、それを骨身に染みる程に分かってる。上手い“だけ”の音楽じゃ、人の心を掴むことなんて出来ないって。

 

 だから私は、いくらフレイアさんから歌い方を学んでいても、古雪会長みたいにベースをやりながらもメインボーカルだなんてやれる気はしないし、やってと言われても辞退したい。

 だって、歌の練習をしてるうちに悟ってしまったから——私には、歌で人の心を動かせる才能なんてないって。

カラオケで高得点を取る事しか、私の歌は使い物にはならないって。

 

 だからこのままじゃ私は、東雲さんに負ける。

 だったらもう私には——“ゾーン”しかない。

あの精神状態の私なら、頭の中で固めきってしまった私の、基礎(ベース)の枠を超えた演奏が出来るかもしれないから。

 後付けでもなんでも構わない。才能がない私が、なんとかやっと手に入れた武器で戦うしかない。

 そう思って、必死で歌って荒れた息を整えながら覚悟を決める私に、東雲さんも乱れた息を整えた後で言う。

 

諸々(もろもろ)前言撤回する……やるな、お前。悔しいしムカつきもするが……認めてやるよ。技術(テク)は……お前のが上だ。さすが冬弥の友達ってだけはあるな……その正確な音程の歌声は、長く音楽に向き合ってきたヤツが歌える歌だ——お前の歌い方、冬弥によく似てるよ」

「……はぁっ、はぁっ……そ、ですか……」

 

 息も絶え絶えながらそう返す私に、東雲さんはどこか——寂寥感を感じさせるような切ない表情をしながら、言葉を続けた。

 

「けどな……自分が一番よく分かってんだろ? 冬弥にはあるが、お前の歌には足りねぇモンがある。まぁ……オレも人の事は言えねぇけどよ。どれだけ頑張って技術を磨いて完璧にしたとしても、音楽の世界はそれだけじゃ越えられねぇ高い“壁”があるんだぜ? 努力だけじゃ——、越えられるかどうか不安になっちまうぐらいのな」

 

 越えられるか分からないぐらいの高い壁——か。

その東雲さんの言葉の表現には、私も覚えがあった。

 でも……あんな歌を歌える貴方にその言葉は、まだ似合わないんじゃない?

 

「はぁっ……はぁっ……東雲さんは、才能、あると思いますけど……? 私なんて、小学生の頃からベースずっとやってきて……これですよ?」

「……そうかよ、そう感じさせることができたんだったら、オレの三年間の努力も、無駄じゃなかったって事だな」

「……っ、そうですか……努力で……ここまで……」

 

 そう東雲さんに対して呟きながら、私は今まで何度も感じていた胸の痛みを再び感じていた。そしてそれは、彼も感じている気持ちなんだろうって。

 

若くしてプロになった事があって、さらには世界への切符も手にした程の実力者であるフレイアさん達と一緒に演奏した時。

音楽を始めて一年ぐらいだという、古雪会長のベースボーカルを聴いた時。

そしてあとは……瑞希(みずき)も加えとこうかな。

ギターを真面目に初めてたった数時間で、矢澤(やざわ)先輩の熱心な指導があったとはいえ、高難易度曲を殆どノーミスで弾きこなせるまでに上達できるという音楽センス。

もしも、瑞希が今から本気でベースを始めてしまうのなら、ものの一年あればすぐに私の十年以上の努力は水の泡になって追いつかれるって、そう確信できるほどの潜在能力(ポテンシャル)を、彼は持ってる。

 

そんな異次元の人達に出会う度に私は、“才能”っていう壁を強く感じてしまう。それは努力しても越えられるか分からない程の、高い高い壁。

私は努力を続けて10年以上経って、最近やっと、本当にやっと、“ゾーン状態”っていう、別次元に足を踏み出す資格をようやく手に入れただけ。

 

 慢心なんか……いつもしてない。だって私は天才じゃないから。

 私はあくまでも、“秀才”だから。

 

 だから私は、今の東雲さんが感じてる気持ちは、私と同じだってすごくわかってしまった。彼もきっと、血のにじむような努力をして今の歌声を手に入れたんだって。

 だから——

 

「そうですね……()()()()()()、その気持ち……本当によく……わかります」

「……()()()? だろうと思ったぜ、そうじゃないなら最初から勝負前に、あんな安い挑発してオレをわざとイラつかせる必要なんてねぇもんな?」

「……わざと挑発した訳じゃ、ないですけど?」

「もういいっての、お前と本気で歌い合って大体わかった。お前は——安い喧嘩を売るような人間じゃねぇだろ? 本気で、アイツらの為に勝つつもりでやってるんだろ?」

「…………はい、勝ちます」

 

 そう言って強い意志を視線に込めて東雲さんを睨みつけると、彼はフッと笑った。

 

「日野森……お前、自分の友達の為にそこまでやれるのかよ。今まで勘違いしてたぜ……お前、案外熱いヤツだな」

「……なら、今の健闘をたたえて、私の勝ちって事にして貰えません?」

 

 そう問うと、東雲さんはスッと目を細めた。

 

「——何言ってんだ? まだやるに決まってるだろ? お前の歌のお陰で、オレにも完全に火が付いちまったんだ……この勝負、そんな不完全燃焼で終わらせられるかよ。それにまだお前の目は、諦めたようには見えねぇぜ? なにか策があるんだろ? なら全部出し切れよ……もうお前をナメたりしねぇ、お前の全力を正面からブッ飛ばしてやる」

 

 その瞳には、熱く燃える炎が舞い踊っていた。

 ……あーあ、困ったな。これで終われたら楽だったのに、この人やっぱり……私と同じ性格してるじゃん。どこまでも負けず嫌いで、譲れない事があったらとことんまで譲れない人間。それが私達。

 なら……やれることを全部やって、全力で挑まないと駄目だよね?

 

「わかりました。私だって当然負けたくなんてありませんので——悪あがき(・・・・)、行かせてもらいますよ?」

「ああ——来な」

 

 この瞬間——確かに私は、東雲さんと心が通じ合ったような気がした。

 お互いにとってこの勝負は糧になる勝負で、だからこそ勝ちたいっていう——そんな感情を。

 

 だから私は東雲さんに勝つために、スマホの曲から次の勝負曲を選ぶ。

 必要なのは私がゾーン状態に入る為の、私が何よりも集中できる歌いなれた曲。それでいて、余計な“邪魔”が入らないような曲。

 該当するのは、散々フレイアさんに付き合わされて覚えさせられた——“あの曲”。

 フレイアさんのオリジナル曲以外の持ち曲。多分、このシブヤの中の歌い手で、合わせられる人間が少ないと思える曲。

 

 そんな曲を選び私は、さっきから私の背後で、何故か難しい表情をしている青柳さんに、そっとスマホを差し出した。

 

「青柳さん、お願いを聞いてもらっていいですか? これをあそこでスピーカーを管理してる人に渡して、音楽を流してもらってください」

「……何? あ、あぁ……すまない、ボーっとしていた。大丈夫だ、そんな事をしなくてもあのDJをやってる人の事なら俺もよく知ってるぞ。日野森が今から何の曲を歌っても、音源はあの人なら持ってるだろう」

「いいえ……多分ですが、()()()()()()()()()()()()()()()()

「……? まぁわかった。確かにこの曲のタイトルは俺も知らない……持って行けばいいんだな?」

「はい、よろしくお願いします」

 

 首を傾げながらも青柳さんが私のスマホをDJさんの元に持って行って手渡すと、その人はギョッとした目で私を見た。

 

「嬢ちゃん……本気でこの曲で勝負するのか? 俺っちはまぁ知ってるが……もっと有名なバーチャル・シンガーの曲を選んだ方がいいぜ? ただでさえここでは嬢ちゃんには味方が少ないんだからよ、せめて曲ぐらい人気を——」

「大丈夫です。人気なんて関係なく私はいつでも——歌いたい曲を歌うので」

 

 フレイアさんの受け売りでそう言ってやると、DJの人は呆れたようにため息を吐いた。

 

「はぁ……了解、観客のひんしゅく買っても知らんぜ俺っちはよ」

「日野森……お前、今から何やる気なんだよ?」

 

 怪訝な顔でそう尋ねる東雲さんに、私は歌う前に呼吸を整えた後で謝罪する。

 

「すいません東雲さん……今から少し、私の独壇場になります」

「——は?」

 

 目をギョッと開いた東雲さんを無視し、私の選んだ曲はスタートする。

 

 

 

【挿入曲】

『Reach Out To The Truth』 Vocal.日野森志歩ver

 出典:『ペルソナ4』ゲーム内戦闘曲

 

 

 

「——♬♬♬! ——♬♬♬!!」

 

 

 

 思い切り私が英語の歌詞を歌い始めると、東雲さんは凄く驚いたような反応をした。

 

「な、洋楽(・・)だと!? しかも、なんだその曲(・・・・・・)!? し、知らねぇ……!」

 

 ……やっぱり、知らないよね? 私もフレイアさんから覚えさせられるまでは全然知らなかったよ? でも——割と嫌いな曲じゃないんだよね。

 

 この曲は、よく分からなくて進む先も迷い道だらけで、少し先の未来すら見えなくなりそうなこの靄のかかった現実から、自分達が求めるがたった一つの“真実”を求めて戦う者達の曲。

 今だ色んな事に対する“真実”が見えない私にとって、ピッタリな曲。

 

 だから私は胸を張って、記憶の中のフレイアさんの姿を脳裏に思い描きながら英語の歌詞を歌い上げる。

 

「——♬♬♬! ——♬♬♬!!」

 

 そんな私の歌声を聞いて、青柳さんはボソリと呟く。

 

「……やるな、日野森。洋楽の歌詞のイントネーションも完全に理解して歌いこなせるのか……上手いな。しかもここまで激しい曲を歌ってリズムを乱しもしないか……リズム感だけは、俺ですらも学ぶ事があるかもしれない……」

 

 

 私の歌をそう評してくれた青柳さんの言う通り、洋楽を歌う時に重要なのは、何よりもリズム感だ。

 英語の単語たちをハッキリと発音する事を意識するより、曲中のそれぞれの英単語の音の繋がりを意識し、歌詞と譜面、そしてイントネーションを正しく理解し、感覚で歌う事が最重要。

 そんな、なによりリズム感を意識する事が重要な洋楽という曲のジャンルは、私にとっては密かに最も自信があるジャンルだったりする。

 そして、私がこの曲で勝負すると選んだ理由は、歌いやすいという以外にもう一つ。

 

 それは、上手に英語の歌を歌ってたら、それだけで他の人の耳からすると迫力があってカッコイイと感じられる事が多いから。

 

 課題である私の歌声の“華”も、この曲なら技術でカバーができるかもしれない。

 そんな思いで私は、自由に高らかに、洋楽の歌詞を歌い上げる。

 

 

「——♬♬♬! ——♬♬♬!!」

 

 

 そんな私の歌声は、やっぱり東雲さんの野良犬のような迫力のある歌声に比べてしまえば劣るけど、その分深く観客の心を深く傷跡を残していく。

 

「な……なんだこの曲? バーチャル・シンガーの曲でこんな曲あったか? ……いやまさか、あの子のオリジナル曲か?」

「……違う! この曲……俺この曲、学生の頃に聞いた事あるぜ!? ゲームの戦闘中に流れる曲だ! バーチャル・シンガーの曲じゃねぇ!」

「……って、え? バーチャル・シンガーの曲じゃないだと……!? この街じゃ、個人でオリジナル曲持ってる奴以外は、殆どバーチャル・シンガーの曲を歌うのが()()()()()だってのに……知らねぇのか?」

「ははっ! いいじゃん! よそ者だからこその選曲だな——俺は好きだぜ? しかもあの子、英語の歌詞を完全に自分の“モノ”にして歌ってやがる。あのレベルで洋楽を歌いこなすのは、並大抵の努力じゃきかねぇぜ? やるな……あの子」

「うっそぉ……あの子、私達の数倍も英語の歌詞歌うの上手いんだけど……!? どうなってんの? なんなのあの子!?」

 

 ……よし、うまく誤魔化せてる。

 このまま他の人達が、私の歌の方が東雲さんよりすごいって誤解してくれれば——

 

「……うめぇな日野森、英曲のリズムや発音も、まるで本場そのものだ」

「ああ……歌の韻の踏み方も発音も完璧、確実に彰人より英語の成績は良さそうだ。こうなってくると、日野森をナメていたお前が最初の勝負曲に『ECHO』を選ばなくて良かったな。あの曲も練習中だっただろ?」

「うるせぇよ冬弥……けど、お前も分かってんだろ? 確かにアイツのリズム管理能力はずば抜けてる。その一点に関しては冬弥、お前すらも凌駕するぐらいにな」

「ああ……そうだな。日野森の歌声には音程とリズムも一切の狂いがない。もし歌入りの音源を再生しても、声が違うだけで全く同じ歌が聴けるだろうと確信が持てる」

「ああ、その通り。原曲をそのまま歌う事にかけては多分、この街でもアイツの右に出る奴はそう居ねえだろうよ——けど、()()()()()

「…………ああ、そうだな」

 

 だけど、そんな東雲さんと青柳さんの話し声が聞こえてきて、私はヒヤリとする。

 やっぱりこの二人にはバレてるんだ。まずい……だったらやっぱり、観客にも誤魔化せない人が中には居るかもしれない。

 そう思っていると、いつの間の現れたのか群衆の中でただ一人、周りの人とは何か“違う”風格を持った佇まいをしているお婆さんが、隣に立っているDJのおじさんに対してボソリとこう呟いた。

 

「そうさね……嬢ちゃんは知恵を絞ってよくやってるけど——今は(・・)あっちの坊主の方が上だね、私の耳は誤魔化せないよ」

「な、婆さん!? 来てたのか!?」

「婆さんじゃない、“オーナー”だよ。いつもそう呼びなって言ってるだろ?」

「おぉ……悪い、ビックリしてつい。にしてもオーナー、アンタがさっき評価した通り、あの嬢ちゃんの歌はアンタ程の人間がわざわざ聞きに来る程のモンじゃねぇと俺っちは思うぜ、これなら彰人が負ける訳ねぇ……でも、“今は”ってちょっと引っかかる言い方したな? なんかあんのか?」

「さてね……? ところで、静かにしてくれないかい? よく聞こえないじゃないか……もしかしたらここから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「はぁ……? オーナー、こんな事言うのは悪いと思ってんだけど……ついにボケちまったの? あの嬢ちゃんは可哀想だけどあれが限界だって。これ以上聞いてる意味はねぇと思うけどな」

 

 ——っ、やっぱり、分かる人には分かられてる。

 私はそんなお婆さんと中年のおじさんの会話でそう確信してしまう。

 そんな私の歌は、観客の人達に対しても徐々にメッキが剥げるように、地金が露わになっていく。

 

「……いや、でも俺は……なんか、理由は上手く言えねぇけど、それでも彰人の歌の方が好きだな。あの嬢ちゃんも確かに上手いけどよ……なんかこう、足りないって言うか」

「僕にはなんだか、カフェ店内のBGMみたいな感覚を覚えるね……上手いんだけど、聞き流そうと思えば聞き流せる感覚に近い」

「アタシも! 彰人様の方が好き! もうこれ勝負決まったんじゃない? 彰人様の方が歌の実力勝ってるって!」

 

 やっぱり……駄目、かな。

 これでも、出来る限り頑張ったんだけどな。ごめん……杏、こはね。

 でも、もう——

 

「日野森……もういい、いいんだ……お前は白石達のために良く戦った。同じく司先輩に憧れる身として俺は、今日のお前の在り方を誇らしく思う。だが……それに比べ俺は……何がしたいんだろうな……」

 

 青柳さんはそんな私を労うように——同時に、どこか自分自身の事を卑下するように声をかけてきた。まるで自分自身も何か悩みでも抱えているかのように。

 

 ——ならもう私は、青柳さんの言う通り、負けてもいい?

 

 そう自分に問いかける。

 その答えに答えてくれたのは、私の頭の中に今も煌めく司先輩との思い出だった。

 初めて『Asgard(アースガルズ)』のベースの助っ人として舞台に上がった時、実力不足だと観客達の大ブーイングを受ける私を、庇うように言い放ってくれた言葉。

 

 

『——刮目せよ!! (たましい)の演奏に!』

 

 

 ……そうだね、司さん。

 理由なんてもうどうだっていい、私はこのままあの時みたいに——観客達に舐められっぱなしで終わりたくなんてない!

 誰よりも何よりも、私の演奏が最強だって信じてくれた、貴方の為に——!

 

 

「——っ! 負けたく、ないっ——♬♬♬!

 

「日野森!? お前は、この状況でまだ諦めないのか……? 何故……!?」

「へぇ……折れねぇか。ならお前はまだ、何をやってくれるんだよ日野森……!」

 

 

 唖然とする青柳さん。

そして、ニヤリと笑う東雲さん。

 そんな二人を無視して私は——深く、意識を集中させる。

 今までは出来なかったのに、頭の中に司先輩の姿を思い浮かべた途端、何故かスッと私は意識を集中させる事ができた。

 

 ……ああ、そっか。

 あの頃、思えばいつだって、司先輩は私の事を支えてくれていましたよね?

 今の私は、司先輩の——司さんのお陰でこうなれたんですよ。

 

 だったら、例え今この歌声が貴方に届いてなくったっていい。いつか、貴方の心に届かせるためにも。

 私はただ、あの頃のどうしようもなかった私を支えてくれた貴方の為に——この歌を、捧げます!

 

 瞬間、私の意識が急に深く水底に沈んでいくような感覚がし、同時に私の喉の奥で音が爆発した。

 きた(・・)——そう実感する余裕もなく、私はリズムを意識しながらも無我夢中で、今のこの“負けたくない”って気持ちを、歌声に乗せる。

 

 

「——♬! ——♬♬!!」

 

 

「——!? うっ、そだろ……!?」

「……!? 日野森……?」

 

 東雲さんと青柳さんの驚愕したような声が聞こえる。でももう今の私には、その表情を見ている余裕はない。

 激情を胸に、この心に宿る司さんへの想いを歌声に乗せ——託し——吠える(・・・)

 

 

 

「——♬♬!! ——♬♬!!」

 

 

 

 瞬間、無我夢中の私は目の前に幻視する。

 いつも私のゾーン状態のベースの演奏で私の“想い”を吠えてくれる、星が煌めく夜空のような毛並みをした大狼(たいろう)が、子狼の立っていた場所に現れ、東雲さんを含む観客全員に対して流星が降り注ぐような迫力がある遠吠えで威圧するのを。

 

 あぁ……ベースがなくてもあなたは来てくれるんだね、すごく頼もしい。

 だったらお願い、やっと見つけられたこの胸の内の“真実(Truth)”を、一緒に司先輩の元にいつか届けるために——

 

 

——吠えろ、星屑狼(スターダストウルフ)

 

 

 

「——♬♬♬!! ——♬♬♬!!」

 

 

 

 瞬間、この場に居る全員がまるで流星の衝撃にあてられたかのように大騒ぎになる。

 

「なっ……馬鹿な、嘘だろッ……!? あの嬢ちゃんの歌が——進化(・・)した!?」

「なんだあのデケェ狼……!? さっきまでは、あんなに小さくて可愛い子狼だったじゃねぇかあの子の歌声は……!」

「何あの子……歌がまるで別人じゃん!? さっきまではまるで機械みたいな歌声だったのに、一気に感情が乗った!? 歌から感じる迫力が……段違い過ぎる……!」

 

 観客全員から、心から驚いているような声が沢山聞こえる。

 よし、やれてる、ベースがなくても私は、歌声だけで心を揺さぶる演奏ができてる!

 でも……まだ足りない。

 ベースの時の私は、もっともっとやれてる。私の本気の星屑狼(スターダストウルフ)は、こんなもんじゃない。

 まだまだ、もっと、もっと——この胸の衝動を、“想い”を——歌声に乗せて! 

 

「なんだと……!? あの嬢ちゃん、まだ歌声のギアが上がるのか!?」

「しかも……何がやべぇってあの子、彰人のヤツに勝てないからって、曲の音程を捨ててヤケになってる訳でもねぇ! ちゃんとリズムの正確さもそのまま——歌の迫力が上がってやがる! もう今は、彰人の歌声にも負けてねぇぞ……!?」

「——おい、じゃあ待てよあの子……! 冬弥みてぇな正確なリズムの歌声と、彰人みてぇな迫力のある歌声を、一人で表現しきってるって事か……!?」

 

 そんな声が色々聞こえる中で、確信を持ったようなDJのおじさんの声が私の耳にはハッキリと届いた。

 

「なんてこった……! 俺っちの見る目も鈍ったな……あの嬢ちゃん、彰人と冬弥の歌声を——『BAD DOGS』をたった一人で完遂(かんすい)——いや、()()()()()()()! あの子狼、ここまでの牙を隠し持ってるバケモンだったとは……! オーナー、まさかあの子の潜在能力に気づいてたのか……!?」

 

 そんな驚いた声に、恐らくお婆さんのものであるような小さな苦笑が答えた。

 

「ハハッ、歌い方が似てるからもしやと思えば……やっぱりか。あの()()()()()()()め、知らない間に弟子をこさえておってからに……」

「それって! まさかあの嬢ちゃんはこの街の()()()()——椿紅(つばい)愛兼(あかね)の弟子ってことなのか!?」

「言い方が悪いよ、(なぎ)忘れ物(・・・)さ……とびっきりなじゃじゃ馬娘のね。それにお前さんも……あの夜を、『伝説』を壊そうとしたあの子の気持ちを……全くわからない事はないだろう?」

「……ッ! おいおい、やめてくれよオーナー、それは……凪さんとの“約束”だろ? それ以上この場で滅多な事は言うな……まぁ、話題に出しちまったのは俺っちの方からかもしれねぇけどよ」

「まぁまぁ、いいからとにかく、古い世代の私達はもう、ただ静かに見守ろうじゃないかい、凪が言った——“次の世代”ってやつをね」

 

 愛兼……フレイアさん? フレイアさんってもしかして、昔このビビットストリートで何かあったの? 裏切者って……

 ……いや、今はそんなのどうでもいい。この場に居ない人の事をこれ以上考えてたら、折角の今の集中(ゾーン)が途切れる。

 今はただ、歌え——!

 

 

「——♬! ——♬♬♬♬!!!」

 

 

 私が声を張り上げて全力で最後の一小節を歌い上げた後、曲は終了する。

 歌い終えて曲の余韻が尽きた後、訪れたのは誰も一言も発しない無の静寂だった。

 数秒後、名前も知らない観客の内の一人が、私を見て震える声で言う。

 

「なんだ今の歌は……!? お、お前、一体どこで何やってる人間なんだよ!? あんな歌を歌えるなら、どうして今までどこのイベントにも出ないで無名だったんだよ!? お前……いったい何者だよ!?」

 

 そう問われても、私は何も反応する事が出来なかった。

 なぜなら、

 

「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……!」

 

 私は肩を大きく揺らしながら連続で浅い呼吸を繰り返し、ボーッとなりそうな意識を何とか保たせながらギリギリで立ってる状態になっていたからだった。

 

……つ、疲れる……!

 なにこれ……ゾーン状態で歌うのって、ここまでしんどいの……!? そういえばそもそも私、ベースで全力出してもすごく疲れてたし……歌ならもっと消耗するのは当然か。

 しかも、会長と勝負した時は短時間しかこの状態にならなかったから気付けなかったけど、この状態を長く保とうとすると……意識がいっぱいいっぱいだ……! もうすぐ気を抜くと、“ゾーン”が途切れるどころか、同時に倒れてしまいそうになる……!

 し、しんどい……!

 

「というかマジであの子、いったい何処の誰だよ……!? まさかこの街以外の人間で、ここまで歌える奴がいたなんて知らなかったぜ……!」

「というか……彰人のヤツには悪いけどよ、もう勝負、続ける必要あるか……?」

「もう勝負するまでもねぇ……あそこの狼の嬢ちゃん、“格”が違い過ぎる……! こんな野良の場所にポッと湧き出て来て良いレベルじゃねぇよ……! こんな化け物が今まで無名で居たとか、なんかのバグだろ!?」

「……冬弥以上の完璧なリズム感が持ち味の歌と、その歌声に彰人以上に自分の感情を強く乗せられる力強さ……こんなのってもう、あの子一人で実質『BAD DOGS』の二人を超えてやがる……!?」

「そ、そんな……じゃああの子は、彰人様の()()()()()()ってこと……!?」

「お、おい……! ヨソ者にこの街で一番勢いのある奴をここまでボコされて、黙ってていいのかよお前ら!? だ、誰か、彰人の他にあの女に勝てそうな奴を連れてこい!」

(あらた)の奴はまだ海外に行ってるのか!? もし帰国してるんだったらすぐに呼んで来いよ誰か!」

「いや——この歌声、もしかしたら新のヤツでも厳しいぞ……! 少なくとも俺の記憶では、まだ新が日本に居た頃の歌声より、確実にあの子が上だ……!」

 

 群衆の皆が何を言ってるのか、今の私は右から左へ聞き流すだけしかできない。

 でも……確信を持てるのは、もうこの街の人間は私の事を一目置いているってことだけは分かった。

 司先輩……やりましたよ。私また、自分の殻を一つ破る事ができました。

 集中を切らないようにしながら、確かな達成感を感じていた私に対し、東雲さんは暫く呆然としていた後で、ギロリと私を睨みつけた。

 

「……日野森……お前……まさか、今まで手を抜いてたんじゃねぇよな……!?」

 

 そんな厳しい視線に、誤解だと言い返したかったけど、東雲さんから戦意が消えていないのなら勝負はまだ終わってないって事だ。

 だから私は荒い呼吸をなんとか整えながら、急かすように東雲さんを睨み返す。

 

「い……いいです、からっ……! 御託(ごたく)は、いいので……っ! はぁっ、はぁっ……次、まだやる気なんでしょう? だったら、かかって、きてっ、くださいっ……!」

 

 息も絶え絶えにそう言うと、後ろの立っていた青柳さんが尋常じゃない私の様子に慌てて声をかけて来た。

 

「日野森……! 大丈夫か? 汗が凄く流れているぞ……まさか、今の歌を歌っただけでそうなったのか……? そうなるまでお前は今の歌に、全力を尽くしていたのか……?」

「ハァッ、ハァッ……いい、ですからっ、あおっ……やぎさん! 私は、まったくもって大丈夫です——東雲さん! いいから、やるならサッサとしてください!」

 

 そんな必死の視線が通じたのか、東雲さんは睨んでいた細い目を丸めて驚いたような顔をした後で——やがて、何かを納得したように頷いた。

 

「成る程な……悪い疑った、許せ。お前はさっきの歌で“何か”を掴んだんだな?」

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」

「返事する余裕もねぇか……それ程に、今の一曲で深く消耗したのか? ……それだけ、お前は歌にのめり込んでたって事か? 今のお前ぐらい“本気”になれれば、オレでも……ちょっとは“才能”らしいモンが、掴めるってことなのか?」

「はぁっ……はぁっ……そんなのっ、知りっ、ませんよ……! でもっ……!」

 

 そう言った後に、私は根性で顔を上げ、東雲さんの目を見、言葉も途切れ途切れになってしまったけど、言ってやった。

 

 

「ここで尻尾撒いて逃げるなら……っ! あ、貴方はもう……! ここまでの人間って事に、なりますよ……!?」

 

「…………! ……そうだな、確かにお前の言う通りだぜ……! 日野森!」

 

 

 東雲さんはニヤリと不敵に笑い、DJのおじさんに対して言う。

 

「——“続行”だ! 頼むぜ相楽(さがら)さん、オレはまだ負けてねぇ! 次の勝負曲は俺達『BAD DOGS』の十八番(・・・)——イベントでも一番よく歌う曲だ! アンタなら分かってんだろ! かけてくれ!」

 

 ——あのDJのおじさん、“サガラ”って名前なんだ。

 そんなサガラさんは目を丸くし、慌てて東雲さんに言う。

 

「彰人、それはやめとけ(・・・・・・・)! あの嬢ちゃんはお前より格上——もしかしたら今は海外に行ってる(あらた)のヤツより格上の、正真正銘のバケモンだ! そんなバケモンに、お前らの十八番使って負けた日には——もう取り返しがつかねぇぞ!? 俺っちの言ってる事、お前ならわかるだろ?」

 

 そんなサガラさんの静止に、彰人さんはすごい剣幕で言い返す。

 

「うるせぇ! そんなの分かってる! けどよ……自分から売った喧嘩に、相手が思ってたより強かったからって理由だけでビビッて逃げだす奴が——『RAD WEEKEND』なんて越えられる訳ねぇだろッ!?」

「彰人……」

「いいから……! 続行してくれ、相楽さん!」

 

 東雲さんの必死の懇願に、サガラさんは根負けしたようにため息を吐いた。

 

「はぁ……これだから若ぇヤツは……俺っちには火傷しそうな熱さだねぇ。わかった……負けんなよ彰人! 俺っちはまだ、お前が出るイベントの仕切り役やりてぇと思ってんだからな!」

「勿論だ——ッしゃぁ! やってやる!」

 

 そう喝を入れるように叫び、意気軒昂に私に対して構える東雲さん。すると観客も更に騒めき始める。

 

「おいおいおい、今の話聞いたかよ……彰人のヤツ、自分の十八番の曲を勝負に使う気だ! ヤベェ……ヤベェヤベェよ! この勝負、()()()()()()()()()()!」

「えっ、何? 彰人様が何時もイベントで歌ってる曲歌って、本気であの女と戦うつもりなだけでしょ? なんでそんなにビビッてんの?」

「お前……まさかこの街に彰人目当てで来た新参か? なら解説してやるよ……! この街でな、歌の勝負に自分の十八番の曲を使って戦うって事はな——デカいリスクを背負う行為なんだよ!」

「えっ!? なんで!?」

「なんでって、勝負のルールをちょっと考えりゃ分かるだろ! あくまで相手に合わせて、歌いなれてない曲使って負けましたって話ならまだ言い訳が立つんだよ! でもな——死ぬほど練習して、イベントでも自信持って歌える十八番はそうはいかねぇ! 正真正銘、ソイツ自身の全力だってことを俺達——観客も理解しちまうんだ!」

「だ、だったらなんの問題があるのよ!?」

「失っちまう“面子(メンツ)”の問題だよ……! 勝てるんなら問題ねぇ、だけど、問題は負けた時だ!」

「ま……負けた時?」

「ここビビットストリートで、この手の勝負の噂が出回るのは早ぇ……それも、ここ最近の連勝で噂になってる彰人のヤツの話なら尚更だ! そんな彰人が、どこの誰かもわからねぇヨソ者相手に連勝を潰された挙句——十八番を歌ってまで負けた! そんな噂が出回ってみろ!? 彰人は今後、『ヨソ者相手に全力出しても勝てなかった負け犬野郎』って烙印(らくいん)が付くんだよ!」

「あっ……そ、そういう事!?」

「当然そんなヤツにイベントを仕切るオーナーは、大事なイベントを任せたいって思う訳がねぇ! いくつかのライブハウスは彰人を出禁にする可能性もある! だから彰人はこの勝負、なんとしても負ける訳にはいかなくなったんだよ! 負けたら最悪アイツの——()()()()()()()()()()()()()!」

「う、嘘ぉ……! そんなのイヤ! お願い彰人様! 負けないでぇ~~!!」

「彰人ぉ! 負けんなぁぁ~~!!!」

 

 ……なに、しゃべってんだろ? やめてよ長くて難しい話をするのは……今の私、全然頭が回ってないんだから。

 でも、事情はよく分かんないけど、この場の全員が私の敵って事は何となく分かるよ。でも……それでいい。

 中学時代の学校でも、舞台の上でも、どこでも私には味方なんて少なかった——だから、劣勢上等だ。

 

 アンタらが東雲さんに勝って欲しいだなんて都合は知らない。

 私は今、命だって削る覚悟で歌ってるんだ。

 だから私はここで——絶対に勝つ。

 勝って絶対に、東雲さんに杏とこはねに正々堂々と勝負を挑ませてやる。

 

私がそう思っていると、東雲さんの元に青柳さんが駆け寄っていく。

 

「彰人! 俺も一緒に——」

 

 そんな心から心配したような青柳さんの言葉に対し、東雲さんは、

 

「来るな冬弥ッ!! 言っただろ、これはオレの喧嘩だってよ……! いいからそこで、黙って見てろ……!」

 

 そう一喝し、青柳さんの助けを拒絶した。言われた彼は驚いたようビクンと停止し、信じられないような目で東雲さんを見る。

 

「彰人!? な……何故だ?」

「いいから、邪魔すんな! 心配したくなるお前の気持ちも分かる。……勝手な事をしちまって申し訳ねぇって気持ちもな。けど今……上手く言えねぇけど、すげぇ良いトコなんだよ! 予感がするんだ。今のコイツと全力で戦えばオレは、何かを掴めるかもしれねぇって……! だから、今は下がって見てろ冬弥! この戦いはオレにとって、“全部”を賭ける意味があるんだよ!」

「………そうか、彰人。お前は……そこまでの覚悟なんだな……なら、分かった」

 

 青柳さんは目を伏せ、そのまま私の後ろに下がってしまった。その表情はどこか、少し暗くなっているように私には見えてしまった。

 

「……っ! 彰人も……日野森も……みんな、自分の夢の為に必死だ……音楽に対し本気で向かい合っている……」

「——なら、俺は? 俺は……彰人や日野森のように、音楽に対してここまで情熱を燃やせているのか……?」

「俺はいったい、何がしたいんだ……?」

 

 そんな私にだけ小さく聞こえた、多分青柳さん本人も呟いている自覚がないだろうと思う苦悩の呟き。

 でも私はこの時、集中を切らさない事と疲労感を堪えるのに必死で、そんな青柳さんに言葉をかける余裕は一切なかった。

 今はただ——向かい合っている東雲さんに対し、全力で迎え撃つ覚悟のみ。

 そんな私に対し、東雲さんは高らかに歌い始める、彼自身の十八番(持ち歌)を。

その曲は——私も知っていた。

 

 

 

【挿入曲】

『チルドレンレコード』 Vocal.東雲彰人

                &

               日野森志歩 ver.

 

 

 

「——♬! ——♬♬!!」

 

 

 東雲さんの先ほどより激しくなった歌声を聞きながら、私は記憶にあるこの曲の情報を冷静に思考していた。

 

 『チルドレンレコード』——それは、『じん(自然の敵P)』さんがオリジナル楽曲として作成し、バーチャル・シンガー『IA』の歌声を使ってこの世に送り出した楽曲だ。

 そしてこの曲は、その人が制作しているシリーズ作品『カゲロウプロジェクト』——“目”に関する能力を授かってしまった少年少女たちの大いなる運命との戦いをテーマにした作品の、そのオープニングテーマ曲とされている楽曲だ。

コード進行は全体的に早めの非常にアップテンポな曲で、楽器を担当する演奏者や当然歌い手にも高度な技術を要求する一曲。

 

 そんな曲を東雲さんは当然のように難なく歌いあげ、その歌声は先ほどよりも更に強烈にこの場に響き渡った。観客も当然のように歓声を上げる。

 

「おおっ……すげぇ、流石彰人だ……! さっきとはケタ違いの迫力だぜ!

「流石彰人様!! イベントでもよく聞く曲……! やっぱサイコー!」

「いけぇ彰人! お前こそが最強だ!」

 

 彼の歌声から感じるイメージも、さっきまでの野犬が一回り大きくなったような感覚と、さらに凶暴性が増したようにも思える。

 そしてその野犬は走りだし、獰猛に私に向かって牙を剥いて飛びかかり——

 

 

「——♬♬! ——♬♬♬!!」

 

「——♬……っ!?」

 

 

私の背後に立つ星屑狼(スターダストウルフ)の遠吠えが生み出す衝撃波で迎撃され、野良犬は見るも無残にズタボロになり、勢いよくブッ飛ばされて建物の外壁に叩きつけられる。

 ——そんな映像を幻視できてしまう程に、東雲さんの歌声はさっきとは比べ物にならない程に力強くなっていたけど、今の私と比較すると難なく消え去ってしまう程の印象しか感じられなかった

 

「あぁ……なんてこった。あの女もこの曲歌えやがる……! 被せて歌って彰人にここで完全に引導を渡す気か……!」

「そんな……彰人様……!」

「……レベルが、違い過ぎる……!」

 

 ざわつく観衆。でも私は一切配慮はしない。

 今の東雲さんに対して手加減はしない——というかできない。私は無我夢中で、歌う事にのみ意識を集中させゾーン状態をなんとか持続させていた。

 

 でも……マズイ。歌うたびにだんだん、こきゅうが、くるし——っ!? 今……意識が怪しかった……!? しっかりして私! まだ、歌は続いてる!

 

 

「——♬♬! ——♬♬♬!!」

 

「——ッ♬!? グゥッ……!?」

 

 

 歯を食いしばり、意識をなんとか保ちながら声を張り上げて叫ぶように歌を紡ぎ、尚も私に挑みかかる東雲さんの歌声を寄せ付けない。

 それだけで私の星屑狼(スターダストウルフ)は、夕暮れ色に染まる空に向かって再び高く響く遠吠えを謡い——その遥か天空から無数の流星群を呼び寄せ、この場目がけて降り注がせた。

 そんな私の歌の衝撃は、ベースの音と比べるとその威力は落ちるけども——それでも充分な破壊力で、東雲さんのボロボロの野良犬ごと、観客も巻き込んでその全員を蹂躙(じゅうりん)した。

 

「~~っ!? なんっ、だぁコレ!? じ、地震でも起きたのか!?」

「——馬鹿野郎、目を覚ませ! 宇宙(ソラ)から隕石が降って来たんだよ! 早く避難するぞ馬鹿!」

「目を覚ます必要があるのはお前の方だ馬鹿! 隕石なんか落ちる訳ねぇだろ! でも、あの嬢ちゃんの歌声、一瞬マジでそんな映像(イメージ)が見えちまった……感じちまった……どうなってんだよ、まさかあの嬢ちゃんが飼ってるあのデカくて星空みたいな毛並みをした狼は——イメージの中で流星の力を自由に操れるってのか!?」

「こ、こんなの……もう勝負にもなってねぇじゃねぇか……! どうやって勝つんだよこんな化け物相手によぉ!!」

 

「——ッ、クソがぁ! ——♬♬!

 

 そんな観客の声にも負けず、東雲さんは不屈の闘志でまた声を張り上げて歌う。

それをまた私が無力化しても——野良犬は、再び立ちあがって星屑狼(スターダストウルフ)に突撃してくる。

 吹き飛ばされて壁に叩きつけられようと、流星に撃ち抜かれても、それでも野良犬は立ちあがる。

 ボロボロになりながも、何度も、何度も。

 

「彰人のやつ……また立てるのかよ……でも、これで何度目だよ。もう無理だって……あの嬢ちゃんには勝てねぇ……諦めろって彰人、これ以上やってもお前の傷が酷くなるだけだぞ……!」

「あ……ああ……彰人様が……」

「こんなのもう……勝負でもなんでもねぇ、ただの公開処刑だぜ……」

 

「負けて、たまるかよ……! ——♬♬!!

 

 それでもまた立ち向かってくる東雲さん。その姿だけで彼の歌に対する気概は悟れる。

 ……そっか、東雲さん、貴方も才能が無い事から——“目を逸らす事(メカクシ)”なんてしないんだね。

 それは……辛くて苦しい道だよ? でも——貴方がそれを承知でその道を行くって言うなら。

 

 私は全力で、その道の“先”を貴方に魅せつけてやる!

 

 そんな意志を歌声に込めて、私は唇を強く噛み締め、その痛みで遠のきそうになる意識を現実になんとかつなぎ留めながら歌う。

 そんな私の星屑狼(スターダストウルフ)は、傷ついてギリギリ立っている状態だった野良犬に向かって思いっきり、その身に星屑の煌めきを纏いながら突進し、野良犬を()ねて血飛沫を散らさせながら壁に向かって叩きつけた。

 

「く……!? クッソがぁ……! まだ、まだぁ——♬……っ、ぐぅっ……!?」

 

 そしてついに、苦悶の表情で東雲さんはそんな言葉を漏らし、限界がきたのかついに歌う事をやめてしまった。同時に、野良犬も壁に叩きつけられた状態から起き上がってくる気配もない——完全に息絶えてしまったようにも見える。

 

 曲はまだ続いている。そしてこの場で戦っている二匹の獣の中で、まだ立っているのは私の星屑狼(スターダストウルフ)だけ。

 東雲さんの味方だった観客達も息を呑む。誰の目にも、もう勝敗は明らかだった。

 

 

……終わり、だね。

やっとこれで……私の勝ちだ。

 

 

 ——そう私が勝利を確信した時だった。

 

 

彰人(あきと)……! 頑張ってくれ……! お前の夢は……『RAD WEEKEND』を越えるっていう夢は、こんな所で終わっていいものだったのか!? 頼む……立ってくれ! お前だけは……自分を見失わないでくれ!」

 

「……冬……弥……?」

 

 

 私の耳に届いたのは、限界で俯く東雲さんに必死に声援を送る青柳さんの声。

 その声を聞いた途端、東雲さんはそんな呟きを漏らし——死んだはずの野良犬が、ピクリと反応した。

 

「……は? なん……だよ冬弥……その言い草はよ……! ふざけんじゃねぇ……!」

 

 そして東雲さんは、歯を食いしばりながら俯かせていた頭を上げ、消えた筈の闘志を再びその瞳に宿しながら私の方を睨みつけた。

 

 ——っ、この人、不死身なの!?

 

 戦慄する私を無視し、彼は私の後ろに居る青柳さんに向かってその口を開く。

 

 

「……言い間違えんな、冬弥……! オレの夢じゃねぇ——オレ達(・・・)の夢だろ……!?」

「……! 彰人……」

 

 震える膝を抑え、東雲さんは叫ぶように言う。

 

 

「ダセェ所見せて悪かった……勝手に夢を賭けといて、自分勝手に折れるなんて許されちゃなんねぇよな……!? そうだ……オレには、ここで負けちゃなんねぇ理由があるんだ! オレは冬弥(コイツ)と——一緒に『RAD WEEKEND』を超えるんだよッ!!

 

 

 そしてまるでその叫びに呼応するかのように、瞳に灯る闘志の炎が(だいだい)色に染まり、燃えさかる。

 直感で分かってしまう。それが東雲さん自身が持つ想いの色——魂の(カラー)

 そんな色が幻視出来てしまう程の熱く燃え滾っている彼の精神状態を、私はよく知っている。

 

まさかこの人、無意識で“ゾーン状態”に入ったっていうの……!?

 

 こんな追い詰められた状況で……!? そんな気配は微塵もなかったのに、青柳さんの声を聞いた途端に……!?

 もしそうだったらもしかして、この人がゾーンに入る為の“条件”って——

 

 ——いや、これ以上考えるな。

東雲さんは私と違って意識した状態でゾーンに入ったわけじゃないから、あの精神状態はきっと今、奇跡的なバランスで保ってるだけに過ぎないはず。

 だったら、立ち上がったばかりで調子が上がり切ってない今この瞬間を——叩く!

 

 

「——♬♬! ——♬♬♬!!」

 

 

 ヨロヨロと立ち上がった野良犬に、最後の足掻きすら許さないかのように星屑狼(スターダストウルフ)は、再度星屑を纏いながら、まるで自身が流星になったかのように突進する。

 そんな私に、東雲さん(野良犬)は吠えた。

 

 

「——♬♬♬♬♬!!」

 

「——♬——!? 嘘……!?」

 

 

 野良犬の咆哮は、凄まじい熱風を発生させながら激しい炎を放出し、私の星屑狼(スターダストウルフ)を寄せ付けない。

 ——そう錯覚させられてしまう程に、今の東雲さんの歌声にはさっきまでとはより比べ物にならない程の“熱”があった。

 そんな熱の余波の影響は、当然私だけに収まらない。青柳さんも含めた観客全員が息を呑んだ。

 

「彰人……歌声が、急に日野森の歌声に競り負けなくなった……!?」

「彰人様っ……! す、すごい……!」

「おいおいマジかよ、どうなってんだよこりゃ……! 彰人の歌声がここで“進化”しやがったぞ!? あの野郎、いったいどんな隠し玉持ってたんだよ!?」

「——! ……どうやら俺っちの目は、完全に狂っちまったみてぇだな。あの嬢ちゃんに続いてお前まで……いや、でもこのタイミングでの覚醒は——まさか、あの嬢ちゃんが彰人の歌の本質を引き出した(・・・・・・・・)のか……?」

 

 

 それ程に聞いているだけで心が熱く滾り、燃え上がってしまいそうな程の“熱”が。まるでフレイアさんの歌声には及ばなくても、その熱量にほど近い温度の炎が東雲さんの今の歌声にはあった。

 

 ……そんな、ゾーンに覚醒したばかりで、まさかここまで使いこなせるだなんて。

 この人いったい、どれだけ精神力が強いの……!?

 

 そう思ってしまう私の目の前で、地獄の窮地の中で彼がつかみ取った炎——“獄炎”に彼の野良犬はその身を包み、みるみるうちにその体躯は大きくなっていく。それは私の星屑狼(スターダストウルフ)と同じ大きさに至る程に。

 そしてその四本足は大木のように太く、牙は大振りのナイフを思わせる程に鋭く大きくなり——そして、その頭は“三頭”に分かたれた。

 

 ああ……成る程、貴方の進化した歌声から感じるそのイメージは、まるで——

 

 

「——“地獄の番犬(ケルベロス)”……!」

「どうした……? 来いよ日野森、オレはまだ終わってねぇぞ!」

「……っ、上等ッ……!」

 

 

 

「——♬♬♬!! ——♬!!」

 

「——♬♬! ——♬♬♬!!」

 

 

 

 曲のラストサビ。

 私と東雲さんの、互いに死力を尽くした歌声をぶつかりあう。

 より鮮烈に、より強烈に、どちらの歌声がこの場の観客の心に印象を刻めるか——その覇を競うかように、二匹の獣が荒々しくぶつかり合う。

 鋭い爪で相手の毛皮を引き裂き合い、牙で噛みついて相手に深く噛み跡を刻み合う。

 また一度距離を取って離れれば、星屑狼(スターダストウルフ)は遠吠えと共に再び流星群を呼び寄せケルベロスを攻撃し、それを相手は三頭の(あぎと)を大きく開きそこから勢いよく吐き出した獄炎の業火球で全て迎撃する。

 

 そんな強大な力を持つ二頭の(ケダモノ)同士の激しい争いを幻視出来てしまう程に、私と東雲さんも、お互いに相手の歌声をねじ伏せようと全力で声を張り上げた。

 互いに喉が張り裂けそうになる程の大声で、身体と脳が沸騰しそうに成る程に今この戦いに没頭しながら。

 そんな私達の戦いを演出するように、夕日に暮れる炎天が通りを赤く照らし、その太陽すら赤く染まった。

 

「……しゅ、しゅげぇ……! なんだよこりゃ、俺達は怪獣映画でも観てるのか!?」

「知らねぇよ……でもとにかく分かる事は、アイツらの歌のレベルは今はもう俺達が理解できない領域だって事だけ……!」

「彰人様ぁ……! 素敵ぃ……♡」

「“互角”だ……! すげぇよ彰人のヤツ! あんな劣勢から五分の状況にまでひっくり返しやがった! しかも負けたら全部が終わっちまうってこの状況で! やべぇって!」

「頑張れ彰人——いや、もうどっちもすげぇよこんなの! こうなったらどっちも応援してやる! 名前も知らねぇ嬢ちゃんも彰人も、どっちも頑張れ! もっともっと激しくやりあってくれーー!!」

「Whooooooooo!! スーパーにファンタスティックだぜぇ!! 最初はどうなっちまうかと思ったけど、こんなスゲェ戦いは暫くみたことがねぇぜ! こうなったら俺っちも年甲斐なくはしゃいじまうしかねぇよなぁ!? どっちもいけぇ~~!!」

 

 そんな私達の歌声が生み出す熱量は、激しく燃え盛り観客達の心にも激しい火を灯していく。

 それと同時に、今この瞬間に歌を歌う私の頭の中はハイになってしまっていた。

 

 ——東雲さんと歌で競い合う今この瞬間を、心から楽しいって思ってしまう位に。

 

 ああ……身体が、熱い……熱い……! 頭もボーッとする、足もガクガク……でも、それでも——

 

 

 ——私は、この人に負けたくないっ!!

 

 

 

「——♬♬♬♬♬♬♬!!」

 

 

 

 私の魂の叫びに、東雲さんはニィッと口角を吊り上げ、獰猛(どうもう)な笑みで応えた。

 

 

「——♬♬♬♬♬♬!!!!」

 

 

 そんな東雲さんの歌声()と、私の歌声()が最後に交差(クロス)し——曲は観客の最高潮の盛り上がりの中で終了した。

 当然、私の体力は限界ギリギリすらも通り越した搾りカス状態。

 そこまで死力を尽くして勝ちに行ったけども、その東雲さんは肩で息をし、消耗しきっているように見えたけどもまだ立っていて、瞳孔が完全に開ききり、興奮した眼差しで私を見据えていた。

 

「はぁっ……はぁっ……スゲェ……! なんだよこの感覚……今ならオレ、なんだって出来ちまう気がする……! ライブの時の最高に調子がいい瞬間が、ずっと続いてるみてぇだぜ……!」

「ハァッ……! ハァッ……! フーッ、フーッ、フーッ!!」

 

 東雲さんが何か喋ってる気がしたけど、私はそれに全然反応する事もできなくて。

 ひたすらに酸素を欲する身体に肺をフル稼働させて、ドクドクと暴れ狂う心臓の痛みをひたすら堪えるのに必死だった。

 そんな私達に、観客達はさらに声援の熱を上げはじめる。

 

「もうこれわかんねぇな……いったい、どっちが勝つんだよ!?」

「とにかく俺が言えるのはもうここに居る人間で、あそこの嬢ちゃんをただの余所者とナメる奴は居ねぇって事だけ……なぁ、ここまでイイ勝負してくれるならもしかして、もしこれで彰人が負けたとしても相手が悪かったってなる可能性あるんじゃね?」

「ちょっと……! 彰人様が負ける可能性の話しないでよ! もうまさに今ここから彰人様の逆転劇が始まろうとしてるってのに!」

「確かに、嬢ちゃんの方はもう見るからにヘロヘロだ……! 今この勝負、完全に彰人の方が押してるぜ! この調子でいけば、彰人のヤツが勝つ……!」

「すげぇ……すげぇよ! この街でこれほどに熱っちぃ勝負が繰り広げられてるのは何時ぶりだ!? ——あれっ? な、なんだよコレ……俺っち、目がおかしくなっちまったのかな? 今の嬢ちゃんと彰人の姿がまるで……高校生の頃の(なぎ)(けん)の姿とダブりやがる……! くそぉ! 若けぇっていいなぁ! 俺っちも後二十——いや、十年若かったら……!」

 

 そんな私に対し、東雲さんは鼻息荒く呼びかけてくる。

 

「おい日野森どうした……!? へばってんじゃねぇよ……当然“まだ”だろ……!? もっと()ろうぜ……! 今まで歌ってきて、こんな感覚初めてなんだよ……! 歌う事が純粋に“楽しい”って思えたのは、今が初めてなんだよ……! だから、もっと戦おうぜ日野森ィィィッ!!」

 

 あぁ……駄目だ、あたまがぼーっとする。

 でも、そう……だよね? まだ……おわってないよね? まだ……うたわなきゃ。

 わたしは、まけ、たく、ない……!

 

 その一心で、私は悲鳴をあげる肺を再び膨らませる。すると——

 

 

「——そこまでさね、お嬢ちゃん」

 

 

 そんな私と東雲さんの間に、一人の高齢のお婆さんが割り込んだ。

 

「え……?」

「——なっ!? おい、邪魔すんなよ婆さん! これはオレと日野森の勝負だ! 外野は引っ込んでろッ!」

 

 興奮した様子の東雲さんに、お婆さんはカラカラと笑った。

 

「……はっはっは! 威勢がとっても良い小僧だねぇ……まぁ、“その状態”ならしょうがないかね。けど……ちょっとは頭冷やして見なよ、もうこの嬢ちゃんは限界だね。悪いけど勝負はここまでだよ」

「……はぁ!?」

「まっ……て、くだ、さいっ……わた、しっ、まだ……!」

「ほぉ……今どき珍しく、負けん気と根性がある子だねぇ……成る程、あの跳ねっかえり娘が気に入るワケさね。でも——まだまだ“その状態”を使いこなせるようになるには時間がかかるよ? それにその指タコのつき方、嬢ちゃんの本職はギタリストかベーシストってトコかい? なら歌はまだ慣れてないってことだね」

「——っ!? 貴女、知って……?」

「……けど私の見たてなら——もし本気で(コッチ)の道に来るつもりがあるなら、嬢ちゃんはイイ線行きそうだよ? その気があるならまた考えてみな?」

 

 私に対してニヤリと笑ってそう言った後、お婆さんはざわつく観客達の方を見て、その見た目の年齢に見合わぬ大声を上げて宣言する。

 

「悪いね皆! という訳でこの勝負、私の顔に免じて無効試合とさせてもらうよ! 文句がある人間はいるかい!?」

 

 すると、DJのサガラさんがヤレヤレと肩をすくめた。

 

「いやいや冗談きついぜオーナー、()()()()()()()()()()()()()()、意見できる人間は誰もいねぇっての……皆ァ! 俺っちも残念だけど勝負は終わりだ! 解散解散!」

「お、おう……! おい、行こうぜ」

「あぁ……ここからもっと面白くなるかと思ったけど、残念だなぁ……! 彰人、お前はやっぱりスゴイヤツだったよ! 俺はこれからもお前を応援してるからな!」

「……えぇ? 彰人様の勝ちじゃないの? あのお婆さんって、ここであった事を全部なかった事に出来る位に偉い人なワケ?」

「なっ……嘘だろ? オーナーの事を知らないのか? いや……まぁ今の若いヤツは大体知らねぇか……歩きながら教えてやるから行こうぜ? あの婆さんはな、あの『RAD WEEKEND』があった会場(ハコ)の——」

 

 そんな話をしながらも、全員が文句なく一斉に解散していってしまう。

 ……このお婆さん、そんなに凄い人なの? 

でも、東雲さんは知ってる様子はないし……いや、もうそんな事考えるのはどうでもいいや。

とにかく今は……もう、なんだか、あたまがぼーっとして……

 

——あれっ? もう、いし……きが……

 

 

「ちょ……!? ——っぶねぇ……!? お、おい……? 日野森!? お前、大丈夫かよ!? おい、しっかりしろ!」

「——日野森!? 大丈夫か……!?」

 

 

 急に足に力が入らなくなってぼんやりする意識の中で、走って来た誰かに自分の身体を抱きかかえられる感覚と、慌てたような東雲さんと青柳さんの声が聞こえてきた。

 もしかして……これ、いま私ってまさか……東雲さんに抱きしめられてるの?

 

「うわ……最悪……どうせだったら、つかさ……せん、ぱいが、よかっ——」

「おいっ!? おい! 日野森!?」

「彰人、とにかくどこか一度、日野森を休ませられられる場所に連れて行こう!」

「……っ、そうだな! ああ……畜生っ! それにしても、マジで倒れるまで歌うヤツが居るかよ……! どんだけ負けず嫌いなんだよこの女……!」

「——ほぉら、言わんこっちゃないだろう? わかったらさっさとその子を連れていきな坊主共。特にお前さんはその嬢ちゃんに、新しい感覚を教えてもらった恩があるだろう? さっきの“感覚”、よく覚えておきな——もし使いこなせればきっといつか、お前さんの力になるモンだ」

「……婆さん、アンタ一体……何者なんだよ?」

「はっはっは! まぁ今の若いモンは私の顔なんてわかりゃしないか——ともかく、次に会う時があったら、私の事は婆さんじゃなくて“オーナー”と呼びな」

「次に会う時……?」

「あぁ……そうさ。もしお前さんらが本気で『RAD WEEKEND』を超える気だって言うのなら——何時の日かまた、顔を合わせる時が来るだろうからね」

「——なっ!?」

「じゃあね、その時が来るまで精々今は実力を磨きな——“次の世代”のヒヨッコ共」

「あっ……ちょっと、待ってくれよ婆さん! 詳しく説明を——」

「おい彰人! 今はあの人より、日野森の体調が優先だろう……!?」

「~~っ! 分かってるっての! 仕方ねぇな……一旦謙さんの店に戻るぞ!」

 

 私はそんな会話を聞きながら、徐々に遠くなっていく意識を手放したのだった。

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 それからどれぐらい意識を失っていたのか、私はひんやりしたモノをおでこに乗せられた感覚で意識を取り戻す。

 

「——っ、んう……あれ? ここは……?」

「あっ……志歩! よかった、やっと起きた!」

「志歩ちゃん、大丈夫……!?」

 

 身体を起こすとそこは『WEEKEND GARAGE』の店内で、私はテーブル席のベンチの上で横になっていたみたいだった。

 そんな私を心配したように杏とこはねが傍についていてくれていたみたいで、意識を取り戻した私を見て杏はホッと一息ついたように胸を撫でおろした。

 

「は~、本当によかった。志歩30分ぐらいここで寝てたんだよ? もしあと一時間経っても意識戻らなかったら救急車呼ぶところだった……!」

「杏……どうして私、ここに……?」

「どうしてって、それ私が聞きたいよ。最初彰人と冬弥が急に戻って来たと思ったら、一緒に意識がなくてぐったりした志歩を運んでくるんだもん……! ビックリしたんだからね! ねぇ、一体なにがあったの?」

「うん、志歩ちゃん……いったいどうしたの?」

「……えっと、それは……」

 

 杏とこはねの二人にどう説明したらいいか迷っていると、カランと入店ベルが鳴り、入口からコンビニの袋を手に持った東雲さんと青柳さんが入って来た。

 

「杏、日野森の様子は——って、目を覚ましたみたいだな……おい、体調は大丈夫か?」

「東雲さん……」

「日野森……! よかった、無事だったか。近くのコンビニで色々彰人と必要そうなモノを買って来たんだ……スポーツ用の経口補水液だ、良かったら飲んでくれ」

「あ……ありがとう、青柳さん」

 

 安心したようにそう言う青柳さんの手からドリンクを受けとり、私は冷たくて少し甘辛い飲み物に口をつけると、どうやら身体が水分を欲していたみたいで、私は気づけばそれを全て飲み干していた。

 

「——ぷはっ……はぁ……ありがとうございます、助かりました。これの代金はいくらですか?」

「……要らねぇよ、オレの所為でそうなったみたいなもんだ。もらっとけ——後、脇とかも冷やす用に追加で何本か買ってるから、要らねぇなら全部お前が持って帰れよ、オレは要らねぇからな」

「いえ、そういう訳には——」

「いいから、ずべこべ言わずにお前のカバンにしまえ、迷惑料——になるかどうか分からねぇが、オレからのせめてもの詫びの気持ちだ。……無茶させすぎて、悪かったな」

「東雲さん…………わかりました、そういう事なら」

 

 彼の真剣な謝罪の言葉に、私はそれ以上は食い下がらずに四本のペットボトルをカバンにしまった。

 そんな私と東雲さんのやりとりに、本当に何も聞いていなかったらしい杏は、ビックリした顔で言う。

 

「えっ……ちょっと、彰人なんだかさっきから喋り方ってか態度が違くない? ——って、それより彰人の所為って言った!? 彰人アンタ! 志歩に何したの!?」

「……うっせぇ、態度に関しては察せよこっちの方がオレの素だよ。——ってか白石お前、この店に居たのに本当に何があったのか知らねぇのか? この店から結構近い場所でやってたぞ?」

「えっ……? そんなに何か大ごとがあったの?」

「……は? マジで言ってんのか? この店にずっと居たってんなら聞こえてもおかしくない筈だろ? 何かデカい音量で音楽でも聴いてたのか?」

 

 そんな東雲さんのある意味もっともな疑問に、杏と何故かこはねも一緒になって、手に持ったスマホに急にチラリと視線を落とした後に、慌てたような反応をする。

 

「——え、えっとぉ……そ、それは、ちょ、ちょっと——ね? こはね?」

「う……うん! ちょっと“別の所”に行っ——いやっ、えっと……その……」

「は? いや……なんだよその要領を得ない説明はよ、ちゃんとハッキリ説明しろよ」

「——ひうっ! ご、ごめんなさいっ!」

「あっ! ちょっと彰人! こはねを怖がらせないでよ!」

「あうぅ……えっと……杏ちゃん、私は大丈夫だから……」

「……? はぁ、わかったよ。とにかくお前らは何があったか全く知らねぇんだな? まぁいい……どうせそのうち、風の噂が流れて来るだろうからな」

 

 東雲さんは呆れたようにため息を吐いた後、二人への追求をそれ以上せずに私の顔をチラリと見た。

 

 ……そっか、思いだした。

 私……杏とこはねの為に勝とうと東雲さんに勝負を挑んだのに……結局、無効試合になっちゃったんだった。あれだけ頑張って必死になっても、結局何もかもがうやむやな結果。

 その挙句に自分の限界も分からずに意識を失ってしまって、こうして杏やこはねや、青柳さんと東雲さんに迷惑をかけてしまった。

 どうして私はいつもこう、一度思い立ったら猪突猛進で周りの人に迷惑かける事ばかりしてしまうんだろ。本当、この部分だけは中学の頃から私は何も変われてない。

 もしそうならそんな人間、司先輩の隣に立つのは相応しくない……のかもしれない。

 

 ——と、そうやって私が一人で反省していた時だった。

 

 

「何シケた(ツラ)してんだよお前……無効試合になっちまったけど、あんな結果——実質オレは“負け”も同然だろが」

 

「……え? 東雲さん?」

 

 

 ボソリとそう呟いた東雲さんに私は驚いて顔を上げると、そんな私の目の前で彼は杏に厳しい視線を向けた。

 

「——ところで話は変わるけどよ……白石、お前ナメてんのか?」

「えっ……? 彰人? 急に一体なに?」

 

 そんな東雲さんの話題の切り出し方に、私は思わず息を呑む。

 東雲さん——まさか、私との約束を守って……?

 私が見守る中、東雲さんは目を細めながら今度はこはねを睨み続ける。

 

「急に何って——当然、お前がやっと見つけたっていうご自慢の相棒様の話だよ」

「——ひっ……!」

「なっ……! ちょっと彰人、こはねになんの文句があるっての!? こはねを脅すのやめてくれる!?」

「文句ってお前……文句だらけに決まってんだろうが。オレはな白石……一応、お前の事を他の奴らとは違うヤツだって、そう思ってたんだぜ? お前はオレと同じく『RAD WEEKEND』を体験した人間だ。それなら……あの“伝説”を超えるって意味を、他の誰よりも真剣に理解してるヤツだって、そう思ってた……けどよ」

 

 そこまで言って杏を真っすぐ見据え、続ける。

 

「そのお前が——半端な素人と組むって言うのは、どういう了見だよ。()()()()と組んでお前、本気であの『RAD WEEKEND』を超えられると思ってんのか?」

「……っ、なにそれ……!」

 

 杏は拳をギュッと固く握りこんだ。

 

「そんなの! 当然越えられると思ってる! アンタが知らないだけで、こはねは本当にすごいんだから! 今は確かに実力が足りないかもしれない、でも! それは私がしっかり教えて——アンタなんかすぐに越えられるぐらい、すごい子にしてやるんだから!」

「……ほ~、随分大口叩くじゃねぇか。でもよ、お前だけがそんな息巻いてたって意味ねぇんだよ。大事なのは——」

 

 そこで東雲さんは、これまで以上に厳しい視線でこはねの事を睨みつけた。

 

「——そこのお前だよ。お前の名前は……小豆沢……こはね、だったか?」

「ひぅっ……は、はいっ……」

「小豆沢、お前がそこの馬鹿に何を言われてその気になったのかは知らねぇ——けどよ、お前が何も知らずに踏み出そうとしてるその一歩はな、誰かが人生の全てを懸けてでも挑もうとしてる、それぐらいに険しくて高い壁なんだよ。——それを、自覚してんのか?」

「人生……全てを……?」

「ちょっと彰人! やめてよそんな急に言われたって、こはねは何もわかんないんだからさ!」

「うるせぇ黙ってろ白石、おれはコイツと話してんだよ。それで——どうだ? お前にはそれぐらいデカい事に挑もうとしてる覚悟はあんのか? 全てを賭けて挑んで——負けたら全部を捨てる位の覚悟を持って——この道に足を踏み入れる気はあるのか? どうなんだよ?」

 

 東雲さんはそう言って、こはねの目を真っすぐ見てその覚悟を問うた。

 こはねはそれに、

 

「……わ、私は……その……あの……」

 

 震える瞳で何かを言おうとして、それでも結局何も言い返す事が出来なかった。

 まぁ……それは無理もないと思う。今日歌の道に誘われたばかりの人間が、そこまでの覚悟を固められるかと急に聞かれてすぐに頷ける方が難しい。

 だけど、ここでその返答を否定ではなくて躊躇いを見せる事が出来るこの子は、いざ覚悟を固められれば“強い”人間だ。私はそれを十分によく分かっている。

 でも、どこまでも『RAD WEEKEND』を超える事に真剣な東雲さんには、今のこはねの態度は気に食わないみたいだった。

 彼はスッと薄ら笑いを浮かべる。

 

「——ほらな(・・・)? お前には“覚悟”が足りてねぇんだよ。そんなド素人のお前がこの道にヘラヘラ笑いながら来るってのはな——ハッキリ言ってムカつくんだよ、お前」

 

 そんな剥き出しの敵意を向けられ、こはねはビクンと震えた。

 

「~~~っ!」

「ちょっと、マジでいい加減にしなよ彰人……! アンタ、さっきから何!? 急にそんな事聞かれてこはねがすぐに頷けるわけないじゃん! そんな事もわかんないの!?」

「彰人……俺も答えを求めるには少し、急ぎすぎだと思うぞ」

 

 そう杏と青柳さんに言われ、フゥと東雲さんは自身の怒りを落ち着けるようにため息を吐いた。

 

「……ま、そう言われたら言い返す事も出来ねぇのも確かだ。だからよ——小豆沢、もしお前がこの話を聞いて、それでもそこの馬鹿と一緒に歌いたいって言うんだったら、その“覚悟”ってやつを確かめさせてもらう」

「確かめる……? どう……やって?」

 

 震える声でのこはねの問いに、東雲さんはニヤリと笑って返す。

 

「——ハッ、察しが悪いな。オレが誘ったイベントあるだろ? あれがオレ達がお前らに出した“挑戦状”だ。お前らの歌を——オレ達『BAD DOGS』の歌でねじ伏せてやるって話だよ」

 

 そう言うと、杏はボキボキと拳を鳴らしながら彼を睨みつけた。

 

「はーん……! 成る程ね、どおりでうまい話だと思った……! アンタ、最初から私達に不意打ち仕掛けようってつもりだったわけ……!? 上等じゃん! つまり、私達とアンタらの真っ向勝負ってわけ!? いいよ! 受けて立ってやるから! ——そうだよね、こはね!?」

 

 そう言いながら杏は、少し不安の混じったような表情でこはねの方に振り向いた。ここまで脅されてしまったら、委縮してしまってもおかしくないと思ったからだろう。

 こはねはその杏の求めに、

 

「………………っ、う、うんっ!」

 

 震えながらも、欠片程の勇気でもそれでも振り絞り、そう頷いた。

 そんなこはねの姿に杏は感動したようにその瞳を震わせ、コクリと頷く。

 

「こはね……! どうよ見た彰人!? こはねはそれぐらいの脅しじゃぜんぜんビクともしないんだから! だから次のイベント、首を洗って待ってなよ! 私とこはねの歌で、アンタらを思いっきりブッ飛ばしてやるんだから!」

「……へぇ、成程な。上等……勝つのはオレ達だ」

 

 怯えていても逃げ出さないそのこはねの姿勢に、東雲さんはほんの僅かにだけど彼女に可能性を見出したのか、少しだけ細めていた目を丸くして彼女を見つめた後、その場から踵を返した。

 そんな彼の背中に、杏は言う。

 

「……でも彰人。どうして……私達に狙いを明かしたの? 最初は不意打ちする気だったんでしょ? なのに……なんで急に正々堂々と勝負する気になったの?」

「それは……」

 

 そう言った後、チラリと私の方に視線を送り、再び杏を見て彼は言う。

 

「……気が変わったんだよ、それだけだ」

「それだけって……」

「もういいだろ、質問には答えた。じゃあな、精々オレ達に勝てるようにそこの素人を鍛えとけよ——白石」

「あっ! ちょっと待ってよ……!」

 

 杏はそう言って去ろうとする東雲さんを呼び止め、私の方を見る。

 ——あれ? なんで急に私を見るの? 

ま、まさか……東雲さんに私が何かしたってバレたんじゃ……

 

「ねぇ志歩……体調は大丈夫? 家まで歩いて帰れそう?」

 

 あ、良かった、違ったみたい。

 

「え……あ、う、うん」

「そっか、よかった……だったらさ、今から帰れそう? どうしても無理そうなら何時になるかわからないけど、帰って来た父さんに車で送って貰えないか頼むけど」

「え……ううん、そこまでは流石にいいよ。夜もこの店バーの営業あるんでしょ? でも何で急に今から? まぁ休めたお陰で今は結構大丈夫だけど……」

 

 そう言うと、杏はコクリと頷いて東雲さん達の方を見て言う。

 

「よし——じゃあ彰人、それとあと冬弥も、志歩を家の近くまで送ってあげて。倒れたばかりの志歩を一人で帰らせるのは心配だからさ……よくわかんないけど、志歩が倒れた件はアンタが関わってるんでしょ? だったら責任とりなよ」

「……え?」

「——は?」

 

 そんな杏の突然のお願いに、私と東雲さんは同時に声を上げてしまう。

 ——え? 杏? さっきまで東雲さんに喧嘩腰だったのに、なんでいきなり頼ろうとしてるの?

 そんな私と同じ事を東雲さんも思ったみたいで、怪訝な顔で彼は言う。

 

「白石、お前……言ってる事はまぁ道理が通ってるけどよ、何ていうか、その……いいのかよ? さっきお前らに対して喧嘩売った相手だろオレは」

 

 杏はその言葉に少しウーンと悩む顔をしたが、それでも軽くため息を吐いて諦めたように言う。

 

「はぁ……まぁ、こはねを脅したアンタの事は凄くムカつくし、負けるか~! って今私すごくメラメラ燃えてるけどね——でも、アンタの言ってる事は、納得は出来ないけど理解は出来たし、それに……こうして正々堂々と勝負仕掛けてくれたワケじゃん? なら、勝負の時以外はアンタを疑ったり恨んだりするのはお角違いかなって思ってさ——それに第一、志歩を送りたくても私は店番しなきゃいけないし。だからアンタを頼るの、分かった?」

 

 成る程ね……まぁ、そっか。確かに私の現状だったら心配されるのも仕方ないか。この人選にはちょっと文句を言いたいけど、選択肢が無いなら文句を言える立場じゃないよね。東雲さんだけならちょっとタクシーも考えるけど、青柳さんもいるなら安心だし。

 そんな杏の意見に、東雲さんも私と同じく納得したようにフゥとため息を吐いた。

 

「……成る程な、分かったよ。おい、立てるか?」

「……はい。東雲さん、青柳さん、すみませんがご迷惑おかけします」

「ああ、これぐらいは迷惑でもなんでもない。日野森、気を付けて立ってくれ」

「志歩、本当に気を付けて帰ってね? まぁ冬弥も居るから大丈夫だと思うけど、もし何かあったらすぐに連絡してね? 助けに行くから」

「……おい白石、頼るクセに信用ねぇのかオレは。さっき自分で言った事棚に上げてんじゃねぇよ」

「うるさい、消去法の人選ってことを忘れないでよね?」

「えっと……志歩ちゃん、気を付けて帰ってね?」

「うん、ありがとうこはね。じゃあ杏と一緒に歌の練習頑張ってね。私は二人の事を応援してるから」

「うん……! ありがとう、志歩ちゃん」

 

 そんな少し明るいこはねの笑顔に見送られ、私は杏の店を東雲さん達と一緒に後にした。

 薄暗くなってきた道の途中、東雲さんは私を見て言う。

 

「ほらよ、これで満足か?」

「……彰人、さっきのはやっぱり日野森との勝負の約束を守ったのか?」

「まーな、負けたらやる約束だったろ? 一度決めた事から逃げる訳にもいかねぇしな」

 

 そんな東雲さんの言に、私は思わず口を開いてしまう。

 

「ありがとうございます……ですが、何故ですか? 私は別に、貴方に勝ったワケでもないのに……結局さっきの勝負は、無効試合になったんですよね? なら、貴方には約束を守る道理なんて全然なかったはずなのに……」

「——は? 何を言ってやがる」

 

 東雲さんは呆れた風にため息を吐き、その後で自分に対し自嘲するように呟く。

 

「お前な……自分が不利な勝負をさせられたって自覚あんのか? いくらこの街での歌の勝負での基本だといえ、周りの観客を殆どオレの味方みたいな奴で固めて、それで慣れてねぇルールでの勝負を一方的に押し付けたんだよオレは……なのに勝てなかった。それだけで負けを認めるには十分すぎるぐらいだろうが」

「そう……だったんですか? 別に私はそうは思わなかったですけど。そもそも喧嘩を売ったのは私からですし——少々不利な条件をふっかけられても、当然だと思います」

 

 そんな私の言葉に、東雲さんはさらに呆れた顔になった。

 

「おいおい……マジかよ。逆にこっちは負けた時の言い訳にされると思ってたぜ?」

「私……勝負に負けた時の言い訳とか、そういうの考えるの嫌いなので」

 

 私がそう言うと、彼はポカンと口を開けた後——やがてクスクスと苦笑した。

 

「……くっくっく……マジかよお前。おかしなヤツだな……」

「おかしいとは何ですか。私は……自分で決めた事を自分で曲げるのが、一番大嫌いなだけなので」

「悪ぃ悪ぃ、そういう考えする奴が少ないから珍しいって話だよ。でも——だよな? 言い訳とか下らねぇ考えだよな? よく分かるぜ、その気持ちはよ」

「……よく分かるなら、笑わないでもらっていいですか?」

「馬鹿にしてるんじゃねぇって、むしろどっちかって言うと……安心した、っていうかよ」

「——は? どういう意味ですか?」

 

 ワケが分からなかったのでそう言い返すと、彼はコホンと咳払いをし、気を取り直すように言う。

 

「ところでお前、普段は歌が専門じゃねぇって……マジで言ってんのか?」

 

 その視線には信じられないとでも言いたそうな訝しげなものが込められていた。

……まぁ、今日の私は自分でも出来すぎな位に調子が良かったから、そう思われてしまってもしかたないのかもしれない。

 でも、実際にゾーン状態で歌ってみてハッキリわかった。やっぱり私は想いを声に乗せて歌うよりも、ベースの音色に託す方が性に合ってるし、なにより一番調子が良い。

 結局私が召喚できた星屑狼(スターダストウルフ)の迫力も、どれだけ歌ってもベースの時の私より一段劣る存在感しか発揮できなかったから。

 だから私は、これからもやっぱりベース専門のミュージシャンである事を固く心に誓いながら、東雲さんに言葉を返す。

 

「本気で言ってますよ、言ったと思いますけど私の本業はベーシストなので。歌はサブボーカルは一応できるって感じですね。……まぁ、観客相手に歌を歌うからには、それなりに鍛えられましたけど」

「マジか……お前レベルの歌手が補助(サブ)に回るって、そのバンドでメイン張ってる奴どんだけすげぇんだよ……」

「まぁ……物凄いとだけは言っておきます」

「マジかよ……そいつはヤベェな。でもよお前、アレだけ歌えるのに本当にこれからもベース専門で行くのか? お前なら正直……あの小豆沢ってヤツよりも、お前のがずっと可能性があるように見えるぜ? 杏がもし相棒にお前を選んだってなら何も文句ねぇぐらいにな」

「ありがとうございます。ですが、杏の心を一番動かせる歌を歌えるのは、それでもあの子の方だと思いますよ? それに私……やっぱりベースが大好きなので」

 

 そう言うと、何故か東雲さんは残念そうな顔をした。

 

「……そーかよ。なら何も言わねぇが……なんだか、勿体ねぇ感じがするな」

「勿体ない……とは?」

「だってよ……折角それだけ歌を練習したんだろ? 例えサブボーカルが目的だったとしても、そんだけ上手くなれたなら専門でもイケるかも……って、欲とか出ないのか? 最悪全部無駄になるかもしれねぇんだぞ? お前は——」

 

 彼はそこまで言った後で何故か急に言葉を詰まらせ、少し一呼吸を置いた後で私に問うてきた。

 

「築き上げた努力が無駄になる事が、怖いとは思わねぇのか?」

 

 なんだ、そんな事か。それなら私は迷った事なんてない。

 だから私は、そんな弱気な質問をした東雲さんに対し、キッパリと言い返してやる。

 

「思いません。だって、もし将来目指す目標に手が届かなかった時に、今努力しなかった自分自身の事を、私は未来で後悔したくないので」

 

 そんな私の言葉を聞いて東雲さんは——スゥっと息を呑んで目を丸くした後、やがて朗らかに笑った。

 

「……あっはっはっは! そうかよ、そうだよなぁ! 後先考えずに我武者羅に突っ走った方が、結局後腐れはねぇよな! ……面白い考えだ、気に入った」

「なんですか急に大声を出して笑って……耳が痛いんですけど?」

「まぁいいだろ……ところでお前さ、変わってるってよく言われねぇか? お前みたいに気持ちいいぐらい芯の通った女、中々居ねぇぜ?」

「——ですね、よく言われますよ。周りの人に言われすぎてウンザリして、今こうして女子校から飛び出してきてしまいました」

「ああ、そういえばお前って噂で聞いたが元宮女生だったんだよな? ならそりゃそうだろうな、オレは正しい選択だと思うぜ」

「……ちょっと、ブラックジョークのつもりだったんですけど、笑顔で肯定しないでもらっていいですか? 趣味悪いですよ?」

「おっと、そうだったのか? 清々しい顔してるから分かんなかったけどな」

「……まぁ、後悔はしてませんので」

「だろ? 何だよお前、結構慣れたらわかりやすいヤツじゃねぇか、白石のヤツが気に入るのもよく分かるな」

「ちょっと……からかわないでもらっていいですか?」

 

 少しムッとする私に東雲さんはまたケラケラと笑った後、フゥと一息吐き、改まったように言う。

 

「……日野森、オレは今日の勝負の事をしっかり——“負け”として刻んどくぜ、周りのヤツらにはどう見えていようとな」

「……無効試合、だと思いますよ?」

「関係ねぇ。言っただろ? 今日の条件で勝てねぇなら実質負けだってな。……今日お前がいったいどんな手を使って、あんな急に歌声に感情を乗せられるようになったのかは知らねぇが——言い訳はしねぇ、オレの負けだ」

「……貴方って、すごく頑固ですね」

「——ハッ、どっかの誰かさんと同じくな。それにお前と戦って、オレも今日で何かを掴めたような気がするんだ。だからよ、それも含めて——今日の“借り”はまた返してもらうからな、覚悟しとけよ?」

 

 そう言い、東雲さんはまるで好敵手を見つけたかのような好戦的な笑みを浮かべた。

 うわぁ……なんだか、厄介な人に因縁をつけられてしまった気がする。でもきっと、この人には私を相手する意味なんて無いですよと言っても無駄なんだろう。

 だったら、半ば投げやりな気持ちで言ってやることにした。

 

「わかりました……なら、またその時は勝負しましょう。私、負けませんから」

 

 それに……別に、歌ってて気分が悪かった訳でもないし。なら、たまにだったら悪くないのかもって、そう思ったから。

 

「——ああ、そうこないとな!」

 

 するとそう言って、彼はまるで少年のような無邪気な笑顔を返してくれたのだった。

この人……普段から最初出会った時みたいに猫被ってないで、今みたいな風に飾らない感じで居たら、もっといろんな人に好かれるとのにと、私はそんな感想を抱いた。

 

 そんなこんなで家の近所にまで送ってもらった私は、体調を心配してくれる青柳さんには丁重にお礼を言い、『また明日学校でな』——と少し馴れ馴れしい事を言ってくる東雲さんにはため息交じりに相槌を打って二人と別れた。

 

「はぁ……つ、疲れた……!」

 

 そして夜ご飯も食べる気力もわかずに、支度をしてくれた母さんに謝って明日にしてもらった後で自室に入り、クタクタの身体をベットに身投げし、深くため息を吐いて微睡みに包まれかける。

 ——けど、その直前で大事な事を思い出してガバリと枕から身体を起こす。

 

「そうだ……今日は薄いけどメイクしてるんだった……! せめて落として……後、最低限保湿してから寝なきゃ……うう、め、めんどくさい……」

 

 だけど瑞希曰く、メイクを放置して一晩寝るのはお肌にとって最悪らしいから、私は気力を振り絞って起き上がって歩き、洗面台で洗顔料などを使って綺麗にメイクを落とした後で、これまた瑞希が薦めてくれた乳液を使ってスキンケアをする。

 

「はぁ……化粧って面倒。世の中の女の子って、本当にみんなこんなの毎日やってるの? 瑞希がこだわり過ぎなだけじゃない?」

 

 思わずそうボヤいてしまう程には、私にとってこの努力はある意味、ベースの特訓よりも面倒な努力だった。

 でもこれも全て、司先輩にいつか振り向いてもらうため。私の事を少しでも好きになってもらうため、やめる訳にはいけない努力。

だから私は、面倒がってしまう自分を励ますようにいつものルーティンを行う。

水で顔を洗って、鏡の中の自分を見ながら、私はいつも自分に言い聞かせる。

 

「私は今日、今までの私よりもっと成長できた——だから、いつかきっと、司先輩……私は、貴方の隣に相応しい人になってみせます」

 

 そう言い聞かせる私に対して、今日の東雲さんの言葉が刺さる。

 

 

『築き上げた努力が無駄になる事が、怖いとは思わねぇのか?』

 

 

 ——深呼吸し、弱気を振り払うように私は自分に言い聞かせる。

 

 

「私は……未来で後悔したくなんて、ないから」

 

 

 こうして、私の努力は今日も終わる。

 いつかこの努力がきっと実る事を、今の私は信じて疑ってなんていなかった。

 

 

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 時計の針は少し逆回転し、志歩(しほ)の事を送った後の、彰人と冬弥の二人に場面は移る。

 曲がり角に消えて行く志歩を見送った後、彰人は冬弥に向かって尋ねた。

 

「なぁ……冬弥、日野森と友達なんだろ? アイツってどんなヤツなんだ?」

「……? あ、あぁ……すまない、それがだな……俺も実は、直接会って日野森の詳しい人柄を知ったのは今日が初めてだったんだ」

「は? マジかよ……じゃあ、ネットの友達とか何かか?」

「そうだな……咲希さんの繋がりでMINEで連絡を取り合う仲だったんだ。同じ趣味を共有していてな、話題も尽きることがないんだ」

「あぁ……何時も言ってる世話になったっていう先輩の妹の事か? ほ~、成程な、その趣味ってのは?」

 

 その問いに、敬愛する司先輩の件は彼女に秘密にして欲しいと言われていた冬弥は、困ったように眉を顰めた。

 

「……すまない、本人のプライベートな話だ。知りたければ自分で聞いてみてくれ」

「ま、そりゃ確かにそうかもな。分かったよ、サンキュー」

「……彰人、ところでどうして日野森の事を急に聞いてくるんだ?」

 

 そんな冬弥の少し不思議そうな顔での問いに、彰人はフッと微笑した。

 

「いや……何となく興味が湧いただけだ。あんな()の強ぇ女……今まで見た事なかったからな」

「まぁ……確かにそうだな。元々日野森は自分の意見を譲らない人間だと思っていたが、まさかここまでとは……俺も予想外だった」

「だよな? いくら友達の為だからって、殆ど見ず知らずの野郎相手に喧嘩売れるなんて……しかも歌でだぜ? その上、ぶっ倒れるまで必死に歌って……本当に変わった女だよな、あの日野森ってヤツ……でも、悪くねぇ気分だ……ふ、ふふっ……」

「…………彰人?」

「——ああ、急に笑っちまって悪ぃ、なんか笑えてきてな。まぁ無駄話してねぇでオレ達も帰るか、行こうぜ」

 

 そう言って彰人は踵を返し、家路を歩く。

 その表情には——ニヤリとした笑みがあった。

 

 

日野森(ひのもり)志歩(しほ)、か……面白れぇ女」

 

 

 その笑みはまるで、新しい標的を見定めたような狩人のような笑みだった。

 そんな小さな彼の呟きを聞き、冬弥は伏し目になりながら誰にも聞こえないような小さな呟きを口から漏らしてしまう。

 

 

「彰人……日野森の歌でそこまで……? なら、俺は……?」

 

 

 波乱はまだ、続く。

 

 

 

 

 

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