神山高校1年A組日野森志歩   作:トール77

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40話 マイナス九百点

 

 

 

 杏の事をを連れ戻すのを志歩に任せてしまったボクは、覚悟を持って目の前で俯くまふゆに向き合っていた。

 

 この子が今傷ついてるのは、ボクが今までこの子の心の大事な変化を『それはあり得ない』って決めつけ続けた所為だ。なら……ボクはその責任を取らないといけない。

 そんな想いで震えそうになる声色をなんとか抑え、勇気と共に言葉を発する。

 

「その……さ、まふゆ? ボクはさっきのことを全然怒ってないんだけど……でも、ボクもさっきのことで反省したい事が色々あるからさ……教えてくれない?」

「……何を、教えればいいの?」

「その……今、どうして君が、さっきみたいな事をしちゃったのか……君がボクの志歩に対する態度を見て、どうしてそうしようと思っちゃったのか、まふゆが感じた事を全部、教えて欲しいんだ。ボクが悪いなら……全部、謝りたいから。だから……お願い」

 

 そう言い切り、ボクはバクバクする心臓を何とか表情に出さないように堪えていた。

 

 ……うん。言われなくとも分かってますよ? ここまで来たらもうストレートに『君ってボクの事好き?』って聞けばいいじゃん、何でそうしないの? って。

 いやいやいや……無理、無理無理無理! 確かにその可能性を最初から考えないのはやめるように努力はする事にしたけど、でもだからって、そんな自意識過剰過ぎる質問なんかできる訳ないって! ってか、そんな可能性考えてる自分が今でも恥ずかしすぎて死ねる。なんなら今まふゆにした質問だって『やっぱ忘れて』って言いたい。だって、誰かに“特別”に想って貰えているなんて、考えた事もなかった事だから。

 

 

『——私、言っておくけど、もし司先輩の次に好きな男の人を挙げろって言われたら——迷わず瑞希って言うから』

 

 

 いや……でも、大好きな志歩にあんな事まで言わせてしまったからには、歯を食いしばってでもボクは、自分の価値を下げる考えは封印しないといけない。

 そんな意地でボクはさっきの発言を取り消さず、じっとまふゆの言葉を待つ。すると、

 

「………よく、わからない」

 

 まふゆは俯きながら、そんないつも通りでお決まりの返答を吐く。

 うん……まぁ正直そんな返事が返ってくる気がしてた。多分この子は自分で自分の事が分かってないんだろうって。さて……こうなったらどうしようかな。この子の気持ちに寄り添って聞き出す役目が本当にボクで良いのかって、下手に今この子の心を奥を突いたら爆発して暴走して、逆効果になってしまうんじゃないかっていう怖さがあってしまう。

 でも……ボクこの子と約束しちゃったんだよね、分からない事を一緒に見つけてあげるって。だから……怖いけど、やるしかない。

 意を決し、口を開く。

 

「よくわからない……か。じゃあボクから聞くね? どうしてまふゆは自分がボクの彼女だって嘘をつこうと思ったの?」

「それは、瑞希がそういう事にしてもいいって言ったから……」

「まふゆ、ボクは理由を聞いてるんだよ? その嘘はまふゆの事を守るための嘘でしょ? なのに……どうしてその嘘で意地を張って、誰かを傷つけるような事をしちゃったの?」

「それは……」

「大丈夫だよ、何度でも言うけどボクは怒ってないから。だから……ゆっくりでいいよ、君が思った事を言葉にしてほしい。そうしてくれたらボクはそこから——君の心を見つけてみせるから」

「…………瑞希」

 

 まふゆはそう呟いた後、すっかり黙りこくってしまいながら視線をさ迷わせ、ギュッと軽く下唇を噛む。そうして悩んだ彼女が出したボクへの返答は、簡素なものだった。

 

「……もやもや、したから」

「もやもや……?」

 

 尋ね返すとまふゆは小さくコクリと頷きながら、ゆっくりと取り留めのない言葉を続ける。

 

「瑞希が……私と一緒に歩いてくれてたのに、私を見ていてくれたのに……日野森さんを見た瞬間……それだけですぐに私から視線を外してパッと離れて……その時、どうしようもないぐらいに……胸がもやもやして……」

「それって……さっき志歩と合流した時の事、だよね?」

「うん……そのまま瑞希が日野森さんと話して……すごく可愛いって、すごく似合ってるって褒めてて……それを聞いたら……どうしてかわからないけど、すごく、とってもすごく息がしにくくなって。そして気が付けば……最初に言うつもりだった言葉以上の事を、言ってて……」

「……えっと、まふゆは元々志歩に言うつもりだった事があるってこと? それって……なに?」

 

 まふゆは暫く押し黙った後で再び口を開く。

 だけど——、その口から飛び出た言葉にボクは度肝を抜かれてしまう。

 

 

「瑞希は私にとって、とてもすごく大切な存在で……絶対に今後一生離れて欲しくない人だから……だから、私の瑞希を取らないでほしいって、そうお願いしたかった」

 

「……え?」

 

 

 あまりにも意味不明が過ぎるその言葉に、ボクは思わず口を空けてしまう。

 いっ……いやいやいや、なんなのさその、彼女だって言い張るよりも重さが増したような言葉のチョイスはさぁ!? 

 いや、それ聞いちゃうともう、彼女だって言い張ってくれたさっきがマシだったまであるよ!? ただの友達って紹介された上で出すそのセリフは、キミはいったいボクのどんな存在なの? って話になるからさぁ!

 

「あ、あの……まふゆ? なんでそんな事を聞こうと思ったの?」

 

 次々に溢れる疑問に震えてしまう声でそう聞くと、まふゆはスッとボクを見据えながら単刀直入に言ってくる。

 

 

「だって……好きなんだよね? あの人の事が」

 

 

 言われた瞬間、ヒュッと喉から呼吸音が鳴ってしまうのを感じた。

 

「えっ……えっと、な、なんで知って……」

「だって………いつもいつも、ずっと志歩志歩志歩志歩って言ってるから……そんなの、逆にわからない方がおかしいと思う。瑞希……あの人のことが大好きだって気持ち、全然隠せてないよ?」

「——えっ、うそぉ!?」

 

 ボクは絶句してしまう。

 え? 嘘でしょそんなバレバレ? もしかしてボク、学校じゃ志歩にばれないようにって気を使ってるつもりだけど、家の外だったら気が緩くなっちゃうの? うわぁ……気を付けよう、絶対に。

 そんなボクの反省をよそに、まふゆは眉を顰め難しい顔で自分の中にある言葉を寄せ集め、必死で言葉を紡いでいるかのように続ける。

 

「だから私は……その……なんて言えばいいのか分からないけど……瑞希を……日野森さんに……持っていかれたく、なくて」

「ボクを……? え、いやいや、そんな事心配しなくても一緒にいるよ。だって約束したじゃん、ボクは君がちゃんと自分を見つけられるまで手伝うって。それとも……ボクが嘘つくって思ってる?」

 

 言った瞬間それが地雷であったかのように、急にまふゆはグッと拳を握り込みながらボクを睨みつける。

 それはあの日セカイで言い争った時以来で久々に見る——激しい感情を表に出すまふゆの姿だった。

 

 

「——っ、そう言ったくせにッ! 瑞希は私を無視して日野森さんの方に行ったッ! 私が一緒に居るのにッ! 何も言わずに私から離れてニヤニヤ笑いながら日野森さんと話をしてたッ……! 一緒にいる私なんてッ、どうでもいいみたいにッ……! 見つかるまでずっと、一緒に探してくれるって……約束したのにッ!!」

 

「え……まふゆ……?」

 

 

 突然激情を露わにするまふゆに、ボクは悟ってしまう。まふゆが志歩と杏にひたすら敵愾心のようなモノを向けていた理由を。

 

 

『——あ、志歩っ♬ ごめんっ!! 待たせちゃったよね、大丈夫だった?』

 

 

 あの時、集合時間に遅れて少し焦っていたボクが志歩に声を掛けられて、思わずまふゆに何も言わず行ってしまった事。ボクにとっては些細な事だと思っていたことが、まふゆを傷つけてしまっていた。

 あぁ……そっか、ボクは杏だけじゃなくて、まふゆの事まで傷つけていたんだな。ボクがもっとまふゆの事を気遣っていたら……いや、まふゆがボクの事をただの友達としてじゃなくて、本当に“特別”な存在として想ってくれているって、そう意識できていたら防げたことだったかもしれない、もっと気を遣ってあげられたかもしれない。そう考えるとほんと……ボク、ダメダメだったんだな。

 そう意識してしまうと、ジワリと目頭が熱くなって涙がこみ上げてくるのを感じた。

 

「そうだったんだね……ごめん、まふゆ。君の事をもっとちゃんと見てあげれてたら、君にそんな苦しい思いをさせずに済んだかもしれないのに。本当に……ゴメンね……ぜんぶぜんぶ、ボクのっ……せいだ……ごめん……!」

 

 悲しくて申し訳なくて、下唇をグッと噛みしめながらボクは謝る。

 

「……え? 瑞希……泣いて——!?」

 

 するとまふゆはハッと今気が付いたように目を見開き、まるでとんでもない事をしでかしてしまった後の子供のようにプルプルと小刻みに震えはじめた。

 

「ご……ごめん……なさい! 私……瑞希を泣かせるつもりじゃ……私は、ただ…………ううん、いや……わから……ない。ただ、胸の中がグチャグチャして、グルグルして、もやもやして……何もかもが、わからない……からっ! こっ……こんな、こんなにイヤな感じ……初めてだから——だっ! だから私っ……! 言葉に出来ないって、言った……! こうなるって、分かってたから……! い、いや……ごめんなさい瑞希……私の事ッ……見捨てッ、ないで……! わっ、私っ……もう、瑞希が居ないと……!」

 

 必死にそう謝るまふゆの言葉には、ボクに嫌われたくないっていう想いがとにかく籠っているように感じた。

 まるで今にも切れそうな蜘蛛の糸に、なりふり構わず縋りつくような必死さを。

 その姿にボクは——また間違ってしまったと悟る。

 

 これじゃ駄目だ……そうか、そうなんだね? まふゆの前でボクがこうやって崩れちゃったら……同じようにまふゆも、ダメになっちゃうんだね?

 そうだ、忘れるな……自覚するんだ。あの日『誰もいないセカイ』で何もかもを投げ出して消えようとしていたこの子にボクは——君の希望になってみせるって、そう言ったんだ。言ってしまったんだ。今のまふゆがこうして今も消えずに現実世界に居るのは、ボクの存在があるからなんだ。

 

 もう今のまふゆにとってボクは——いや、ボクの存在“だけ(・・)”が、希望なんだ。

 

 だからボクに見捨てられたらもうまるで、世界全部に見捨てられるような、そんな気持ちにまふゆはなっちゃうんだろうな。

 そうか……だったら、冷静にならなきゃ。自分がダメだったことを反省するのは後回しだ。今はとにかく……この子の心のケアをしてあげないと。

 

 それがあの日、この子の手を掴む事を選んだ——ボクの責任だから。

 絶対に逃げる事を許されない、一生ものの責任だから。

 

 ボクはそんな思いで、いつも通りの笑顔を作る。

 

「あ……ああ! 大丈夫だよまふゆ、ボクは全然君の事を悪いって思ってないよ? ただ……ボクが君に悪い事しちゃったなぁって、そう思って悲しくなっちゃっただけだから。怒ったりなんかしないし、君を見捨てたりも………絶対しないよ」

「……本当?」

「うんっ! だいじょーぶ! じゃ、怖がらなくていいからその調子で、どんどん自分の心の中にある言葉を言っていこう? だって、そうやって余計な事を怖がってたら、何時までたっても君は自分を見つけられないでしょ?」

「………うん、そう……だね。わかった……がんばって、みる」

 

 震えながらもまふゆは何とか気を取り直して、迷うように言葉を紡ぐ。

 

「だけど……やっぱりその……うまく、言葉が見つからない。とにかく、胸の中がぐるぐるしてもやもやしてる感じが……ずっとあって……すごく苦しくて……つらい」

 

 眉を下げ苦悩で口元を歪ませ悩み俯く彼女に、ボクはそれでも見つけてほしい一心で口を開く。きっと、それがまふゆが新しく自分を見つけられるための一歩になるかもしれないって、そう思ったから。

 

「なら……うまくまとめようとしなくていいよ。さっき君が勢いでやったみたいに、君の胸の中にあるいろんな気持ちを、全部ゆっくり言葉にして? 上手く言えなくても……それでも、言ってみて? 君の心の中の言葉をぜんぶ。大丈夫だよ、ボクはそんな君の言葉を、全部聞いて受け止めてあげるから」

 

 全てを吐き出して欲しいと願い、安心させるためにしたボク自慢の可愛いスマイルに、まふゆはじっと暫く黙った後でゆっくりと顔を上げ、ボクを見、口を開く。

 次の瞬間その口から飛び出た言葉は——いや、とりとめのない無数の文章の羅列たちは、ボク自慢の可愛いスマイルを喪失させるのに十分すぎる程のインパクトがあってしまった。

 

 

「……瑞希は……優しい。私のために色んな事を犠牲にしてくれて、いつも私のやりたい事に付き合ってくれて……瑞希が連れて行ってくれる場所は、すごく、景色がいつもと違ったように見えて……いつも感じられない事を感じさせてくれて……くれる言葉は全部……すごく、あたたかくて。私にとって瑞希はそれぐらいにもう……必要な、人で」

 

「——えっ? えっと……?」

 

「……でも、私はこんなに……こんなにもすごく、とっても……瑞希の事を必要だって思ってるのに……瑞希は……そうじゃない。瑞希が必要だって思ってるのは、瑞希にとって一番大切なのはあの……日野森って人。そう考えたら……どうしてか分からないけど……胸の中が、ぐるぐるもやもやして。いても立ってもいられないぐらいにそわそわして……イヤ。すごく……いや。とっても……イヤ。とにかくイヤで……しかたなくて……瑞希がそう思ってくれるのが、あの子じゃなくて私だったらいいのにって、そんな事ばっかりで……」

 

 

 自分の心を理解できないまふゆのその言葉は、あまりに散文的で要領を得なさ過ぎるけども——どこまでも、ボクっていう存在にを求める欲求に溢れていて。

 

「えっ……と、それって、やっぱり君は……その……ぼ、ボクの事を——」

 

 さっきまで予感だったものが確信に変わったボクは、震える声を抑えて口を開いた時だった。

 ギュッと、強くボクの手が目の前のまふゆに掴まれる。

 

「え————(いた)ッ……!?」

 

 その手がボクを掴む握力はまるで、海の上で今にも溺れそうな人間が唯一見つけた浮きに、沈まないようにしがみつくかのような必死さがあった。

 痛くてビックリしてまふゆの顔を見ると、その瞳は震えていて、ボクの姿だけをその底知れない程に昏い色をした深い紫紺の二つの円の中に納めていた。そんな明らかに普通じゃない状態のまふゆは、病的なまでに震えながら暗い声で(つたな)い言葉を紡ぐ。

 

「わ……私、本当に……おかしい。今までは何もよくわからなかったのに、瑞希が居るだけでいろんな感じになって……胸の奥が軽くなったり、重くなったり……締め付けられる感じになったり……感じる事がすごく、すごくたくさんになった……前まで独りだった時には、考えられないぐらいに見える景色が違って……だから、私は……私は……」

「まふゆ……」

「私は瑞希に……離れてほしく、ない。ずっと、ずっとずっと……見つかるまで、見つけられるまで、居て欲しい。いつまででもかかっても、ずっと……傍に、居て欲しい。もし居なくなったらって考えたら……胸の中にぽっかり穴が開いたみたいに、不安になる。それが今はもう……物凄く怖いから。怖くて怖くてしかたないから……だから……ずっと、ずっとずっとずっと……私と一緒に、居て……瑞希……?」

 

 まふゆの縋るようなその言葉は、ボクの頭にある一つの結論を刻みこんだ。

 ——これってもしかして、ボクの事を好きって気持ちと、ボクっていう存在に依存(いぞん)する気持ちがごっちゃになってない?

 

 どこまでもボクの存在を自分の事よりも優先して、執着してしまう精神状態になっちゃってるんだ。

 いや……『なっちゃってる』だなんて表現は良くない、だってそれはこの子が悪いんじゃないから。

 あの日、誰もいないセカイでこの子は、何もかもに絶望してたった一人で消えようとしていたんだ。それを無理矢理に説得して、この子の意思を強引に引っ張って現実に引き戻す事を選んだのがボクなんだ。苦しんでるまふゆが見てられなくて、絵名の静止を振り切って、奏がまふゆの為に作ってた曲の完成も待たずに、たった一人で誰もいないセカイに乗り込んで手を引っ張ることをボクは選んだんだ。なら……何もわからないこの子が、ボクって存在だけに縋るようになっちゃったのは仕方ない事……なんだろうな。

だったら……ボクは。

 そうやって考え込んでいると、まふゆは不安な顔で尋ねてくる。

 

「瑞希……? どう……したの?」

 

 ひとまず、今はこれ以上黙るのはこの子を不安にさせてしまいそうだ。

 志歩にもまたちゃんと後でお礼を言わなきゃ。志歩がボクに気付かせてくれたお陰でまふゆの今の心の状態を把握できたし、まだ何とかできる可能性が十分にある。

 もしまだボクがこの子の事をちゃんと客観的に見れてなかったら、この子の心はこの方向のまま無自覚に突っ走って、最悪(・・)な事になってしまってたかもしれない。

 

 ——もしこのまま放置しちゃってたら、本気で近い未来まふゆに刺されてたかも。

 

 ゾクリとそんな予感がボクの背筋を這い上り、同時にそうならなかった事を心の底から安堵しながら、諭すようにまふゆに声をかける。

 

「まふゆ……大丈夫だよ」

「だい……じょうぶ?」

「うん……でもさ、いまさら誤魔化してももう無駄だろうし、ここで正直にボクは白状するよ。確かにボクは志歩の事が……特別な意味で好きだって思ってる。ボクの心の中の一番は確かに……君じゃない」

「——っ」

 

 まふゆはボクの言葉にギュッと口の端を引き結び、瞳を不安げに揺らがせる。そんな彼女にボクは、ため息交じりに苦笑して語ってやることにした。

 志歩に対する、正直で真摯な決意を。

 

「……でもね、安心して? これはボクの一方的な片思い、だって志歩はボクじゃない人の事を心の一番に想ってるんだから。ボクのこの想いは……絶対叶う事はないんだ」

「…………え?」

 

 まふゆはそれに初耳とばかりに目を丸くし、口を小さくポカンと開けた。

 

「だからね……ボク、今の君の気持ちは正直すごくわかる、だって……ボクも同じだもん。本当はワガママ言うなら、志歩にだってボクの事をそう思って欲しいし、そうしてもらう為に頑張って好きだって告白して……アピールだってしたいよ」

「私と……同じ? ……瑞希も? ——え? でも“好き”って……私……も?」

「……まふゆは、違うって思う?」

「…………私が……瑞希……のことを? ……この気持ちが——“好き”?」

 

 そう呟きまふゆは暫く考え込み、やがて苦しそうに表情を歪めて首を横に振る。

 

「ごめん…………よく、わからない」

「……そっか、じゃあ変な事言ってごめんね? 今はここの話は大事な所じゃないし、一旦忘れて?」

「…………うん」

 

 コクリと頷くまふゆにボクは、こうしてボクが勇気を出してハッキリ言葉にして叩きつけてもまだ、まふゆが自分の気持ちを理解できないのかを思案する。

 多分、自分の心の中が上手く理解できていないこの子は、こうして外面(いいこ)を装っていない場面では、とても純粋で……どこか幼い部分があるとボクは思う。

 だからこそ多分、幼くて純粋なまふゆの心は思っちゃったんだ。

 

 こんな、ぐちゃぐちゃでドロドロとして、見るに堪えないような醜い感情が、“恋”だなんてまっすぐでキラキラとした美しい感情なワケがない——ってね。

 

 本当は“恋”こそが、人間の数ある感情の中で最も醜悪で非論理的で、なのに例え燃え盛る溶岩の中にあっても手を伸ばしてしまうような抗いがたい魔力を秘めた、呪いの宝石のような感情だというのにも関わらずに、さ。

 

 ——だったら、今はボクから無理矢理にこの部分を自覚させようとするのは止めにしよう……決して、『君ってボクの事が好きなんだよ!』って強引に言い張るのが恥ずかしいからなんかじゃない。この部分は一番繊細で、取り扱いを注意してあげないと爆発してしまいそうだったから。

 でも、いつかはゆっくり理解させてあげないといけないんだよね……うん、頑張ろう。

 そんな未来の問題を今は先送りにして、ボクは気を取り直したように言う。

 

「……あー、えっと、ごめん。ちょっと今混乱させちゃったね? 君がボクの事をどう思ってるのかは今少しおいといて、今はボクの話聞いてくれる?」

「…………うん、わかった」

「ありがと。でね……ボクは志歩にアピールしたいって思う心はあるんだけど、そんな事はしないって決めてるんだ。ボクは志歩の事を一番大事だって思ってるけど……志歩はそうならなくていいって決めてる」

「……どうして? 瑞希は……日野森さんの事が……す……好き、なん……でしょ? どうして……イヤだって思わないの? その気持ちを……伝えないの?」

 

 その問いに、ボクはいつか杏にも語ったように胸を張って答える。

 

「だってね、ボクが好きになったのは——好きな人を一生懸命に追いかけてる志歩の姿だから。遠い光に一生懸命になって手を伸ばして、必死で今も走ってる志歩の姿だから」

「だから……言わないの?」

「うん、だって言ったらボクの大好きな志歩の足を引っ張っちゃうじゃん? そんな事は出来ないよ、だってボクにとってあの子は生涯の恩人で——眩しい光だから。だから、もう薄汚れちゃってるボクは、その光をを眺めるだけでいいんだ……ただ幸せになって欲しいって……それだけを想ってる。ボクの存在が、あの眩しい光にとっての暗い影になってほしくないから……だから、ボクはこのままでいいんだ……一生このままで、ずっと、ずっと」

「…………瑞希」

 

 まふゆはそう呟き、どこか複雑そうな表情でボクを見つめる。……予想外だ、てっきりもっと安心した顔になってくれると思ったのに。

 ひょっとして……ボクに少しは同情してくれたのかな? って……別に同情なんてして欲しくて言ったわけじゃないんだけどね、ただボクが志歩の事を好きだからって、まふゆとの約束を破るつもりなんて無いって、そう伝えたかったから伝えただけだし。

 でも、今ならちゃんとボクの話、聞いてくれるかも。

 

「ねぇまふゆ……だからもう一度言うよ? ボクは君が自分を見つけられるまで、ずっと一緒に居て協力するっていう約束は絶対に守る。君がイヤって言うまでボクは、ずっと君の傍に居て一緒にいっぱい色んな気持ちを君が見つけられるように、協力する」

「……ほん、とうに……?」

「うん。安心してよ、ボクってまふゆが思ってる以上に義理を通す人間なんだからさ。君に対して生半可な覚悟で、あの日に手を差し伸べた訳じゃない。君の今後の人生ぜんぶに、全力で首を突っ込む覚悟であんな事言ったんだからね?」

 

 ボクがそう言うと、まふゆは胸の前でギュッと両手を握りしめて乞う。

 

「じゃあ……もう、瑞希が居なくなるかもって……不安にならなくても、いいの? 日野森さんの事が好きでも瑞希は……私の事を、ずっと見ててくれるの? それって——」

 

 そこで一拍呼吸を置き、ボクの目をしっかり見据えた後でまふゆは言葉の続きを告げる。

 

「——日野森さんより、私の事を選んでくれるって事で……いい?」

 

 それに対するボクの答えに、迷いなんてある訳はなかった。

 

「うん、勿論」

 

 頷きながら返してあげる言葉に、それ以上付け加える事なんて要らないと思ったからこその簡素な答え。言葉の裏を無意識に読んでしまう賢いこの子だからこそ、ボクはそんな言葉を敢えて選ぶ事にした。

 

 でも……まだ心配だな。自分の心っていう不確かなものが曖昧で、その所為で不安になってしまうこの子にはきっと、目に見えるものでボクが約束を守るっていう証があった方がいいのかもしれない。

 

 だったら——と、ボクはある一つの決心と共に口を開く。

 

「まふゆ、もしさ……それでも不安になるんなら、ボクがちゃんと約束を守るっていう証拠として、君にボクの一番大事なものを預けるよ。それで信頼の証って事にならないかな?」

「瑞希の一番、だいじなもの……?」

「うん、ちょっとまっててね——よいしょっ、と」

 

 そう言ってボクは、自分の左側頭部に手を伸ばし——スルリと、髪を結んでいたリボンを解いた。そして拘束から解かれたボクの長髪がバサリと肩にかかる感触を感じながら、ボクは手に持ったリボンを人質として、まふゆに差し出す。

 

 ボクにとって最も大事で譲れないアイデンティティの一部を——ボクの魂と呼んでしまっても過言じゃないモノを、まふゆに差し出す。

 

「はいどうぞ……このリボンさ、ボクがまだ中学生の時に、今海外で働いてるボクの大好きなお姉ちゃんが、海外に出発する前にくれたモノなんだ。例え周りと違っててもボクの大好きなモノを、大好きなままで居て良いんだよって——そう言って髪に結んでくれたモノなんだ。これのお陰でボクは……ボクのままでいられるようになった、そんなキッカケになってくれたような……それぐらい、ボクにとって大事なもの」

 

 ボクの言葉に、まふゆは目を丸く見開いて驚きを見せる。

 

「え……そんな……そこまでの、物を? いい……の?」

「うん、いいよ。本当は誰にも譲りたくない大切なものだけど……でも、これぐらいの物じゃないと……ボクの君に対する覚悟を示せないって思ったから……これは君に預けるよ。だから……ボクの言ってる事、信じてくれる?」

「…………」

 

 まふゆは迷うように黙りこくりながら瞳を奥を動揺で震わせた後、やがてゆっくりと手を伸ばし、ボクの手からリボンを受けとった。

 

「……うん、わかった。瑞希の事を信じてない……わけじゃないけど。でも……なんだかすごく、心が軽くなったような……気がする」

「そう……よかったよ。じゃあ出来る限り大事にしてね? 本当にそれはボクの大事なものなんだからさ」

「うん、勿論そうする。——あ、」

 

 そこでまふゆはボクのリボンが解かれたロングヘアを見て、思いついたように続ける。

 

「瑞希……その髪じゃ、邪魔になるよね?」

「え……いや、別に気にしなくてもいいよ。今だって寝る前とかは髪解いてるし、ちょっとの間ぐらいこのままでも別にいいから」

「ううん……私のせいでそうなってるのは、何だかイヤな感じがするから。だったら……私も代わりに瑞希に渡したい。私にとっても……手放すのが難しいものを」

「え、何を?」

 

 尋ねるボクの目の前でまふゆは自らの長い髪をサイドポニーにまとめているシュシュを、スルリと髪から抜き取った。そしてそのままそれを、ほどかれた長い髪が無造作に自分の顔に軽くかかるのも構わず、ボクに差し出した。

 

「これ……使って。私が中学で宮女に受かった時に、お母さんが身だしなみに気を遣いなさいって言って……私にくれたもの。今までずっと、捨てずに私が一番長く使ってるモノだから……価値はつり合うと思う」

「え……お母さんからのプレゼントを? そんなの……いいの?」

「うん、いいよ。大事なものを渡してくれた瑞希にだったら……構わないって思う」

「……そっか、だったら……うん。使わせてもらうね、ありがとまふゆ」

 

 まふゆのその心遣いが、そこまで大事なものを渡したいと思って行動してくれた事が嬉しくて、ボクはそのシュシュを受けとって自分の髪をまとめ直した。

 それと同時に目の前でまふゆは、ボクのリボンを使って自分の髪を再びサイドポニーにまとめ直す。

 

 クールな素の表情のまふゆの髪を纏めるボクの自慢の可愛いリボンは、凄く見た目にギャップがあるように映ったけれども、それが逆に魅力的にボクには見えた。

 多分——ギャップ萌えってこういうのを言うのかもしれない。

 

「うん! リボンもすっごく似合っててカワイイよ、さっすがまふゆ!」

「——!」

 

 だから笑顔でボクがそう言うと、まふゆは少しピクリと眉を上げて反応を見せる。やがて自分の胸の辺りを手で抑えながら、ボクの顔を見て口を開いた。

 

「……なんだか、瑞希に褒めてもらうと胸のあたりがむずがゆい感じがする……これって、いったい何? 瑞希は……今、特別な事を何か言ったの?」

 

 そんな『まるで分からない』と言いたげな表情にボクは——これは気の長い仕事になりそうだと思いながら苦笑を返す。

 

「……あ~、えっと、その気持ちはボクも教えるの今はちょっと難しいから……ひとまず、また今度ね?」

「瑞希がそう言うなら……わかった」

「うん、じゃあ今日は改めてごめんね。後は二人が帰ってきたら初めてのライブハウス、一緒に楽しもうね!」

「……うん」

 

 まふゆにその気持ちを理解させるには、ボクに依存しないと自立できない今のまふゆの心の状態を、もう少し改善してからにしよう——と、ボクは静かにそう誓うのだった。

 一方、まふゆは髪に付けたボクのリボンを指先で触りながら、小さな声でぼそりと呟く。

 

「私も瑞希の……特別(・・)。ふふっ……」

 

 多分、本人も浮かべている事を自覚していないと思うその小さな口元の微笑みは、指摘しない方がいいんだろうとボクは見ないフリをする。

 

 それにしても……本当にボクは、今日でこの子の気持ちに気付けて良かったと思う。

 もしまた今日みたいに無自覚にこの子の気持ちを傷つけたらって思うと、返ってくるこの子の癇癪(かんしゃく)の恐ろしさを考えたら怖くて夜も眠れない。

 さーて……もう気恥ずかしいとか言ってられない、今後はこの子にボクが特別に思われてるって自覚しながら、発言とか考えていかないとな。とにかく……今後はまふゆと二人でいる時は、あんまり他の人の話題を出さないようにしよう。特に志歩の話は禁句レベルで禁止にしないと……。

 

 ——と、ボクが静かにそう誓っている時だった。

 遠くから小走りで駆けてくる足音と共に、どこか気まずそうな声が響く。

 

「あ……ええっと……瑞希?」

 

 慌てて振り返るとそこには、目尻に泣きはらした後が残る杏が、追いかけて行ったはず志歩をつれずに一人で立っていた。

 

「わっ! 杏、大丈夫だった!? それと……ひとりで戻ってきたの?」

「えっ? あ、あぁ……あはは、ちょっと急いで戻ってきたから志歩置いてきちゃったみたい。多分……後から来ると思うよ」

「そっか……それなら……えっと、そんな事よりさっきは、えっと……」

 

 彼女は少し俯いたままで、ボクの事を真っすぐに見つめていない。そんな杏に対しても色々考えないといけない事は多かったけども、その考えをひとまず凍結し、第一優先にやらなきゃいけなない事として、ボクは迷わず頭を下げた。

 

「——ごめん! さっきはボクの事を心配してくれたのに、あんな態度取っちゃって……ボク、君の気持ちを全然考えてなくて……だから……本当にゴメン」

 

 必死でそう杏に伝えると杏は神妙な面持ちで、ボクの目を見据えるようにうつむいていた顔を上げる。

 

「瑞希……えっと、私は——っ!?」

 

——けど、杏がボクを見るその目は一瞬、硬直を見せる。

 

「えっと……杏? どうしたの? ボク……また何か気に障ること言っちゃった?」

 

 思わず不安になって声をかけるボクに、杏は暫く固まった後——まるで、何も無かったかのようにニコリと笑って答える。

 

「——ううん! なんでもないよっ! いやぁ……さっきは私の方こそごめんね? ちょっと本番前だからかなぁ、少し気持ちが焦っちゃっててさ~! さっきだって瑞希に、折角味方してやったのになんだコイツ~! ってなっちゃってただけだし? だから、反省してくれたなら言う事なし! 次は気を付けてねっ!」

 

 その笑顔は何でもないように見えて——どこか、心の底に眠る薄暗い気持ちを押し隠しているような、そんな笑顔にボクは見えてしまった。

 

「杏……ホントに大丈夫? 気を遣わなくてもいいよ、君の事を傷つけちゃったってなら、ボク本気で謝りた——」

 

 だけど、そんなボクの寄り添おうとする言葉に、杏から返って来たのは——

 

 

大丈夫(・・・)! へへーん、私はこれでもいくつもイベントを経験してる実力者だし? ちょっと調子崩れたぐらいへっちゃらだから! だから瑞希と……そして朝比奈さんも、今日の私とこはねの歌を楽しみにしててね! スゴイの聴かせてあげるから!」

 

「——っ!」

 

 

自分の本当の素顔を全く見せようとしない、笑顔でコーティングされた心の(シャッター)だった。

他人にこれ以上踏み込ませないように敷く、絶対的な心の線引き。

 

——ボクが杏にとられてしまった、心の距離(ディスタンス)だった。

 

 

「じゃ! もうさすがに時間ヤバイから私行くね! それじゃ、本番お楽しみに~!」

「あっ……う、うん……頑張ってね」

「うんっ! ありがとね瑞希!」

 

 杏は畳みかけるようにそう言って手を振って、小走りでライブハウスの中に入っていく。ボクはありきたりな返事でその背中を見送る事しか出来なかった。

 

「杏……気にしてないって、そんな訳ないのに……どうして?」

 

 杏がボクの何を怒っていたのかを知って、ちゃんとしっかり謝りたかったのに……そうさせてもらえなかった。心の奥に踏み込ませないっていう意思を全力で感じてしまった。

 でも杏がここまで頑なになってしまったのは多分、またさっきと同じく、ボクが何かをしてしまったからとしか考えられない。

 でも……さっきまでの短いやり取りの中で、その上今度はさっきの態度をしっかり改めて杏の事を蔑ろにしないように気を付けたつもり。

 なのに……どうして? 杏、今度はいったいボクの何がダメだったの? どうしよう、わかんない、分かんないよ……ボク人生今までこんな、誰からも特別に思われてきた事なかったもん! 自分が好かれてるかもしれないって前提で人と話した事ないもん! 相手の気持ちが読めないよぉ……!

 

「あの人……行ったね、私達も中に入る?」

 

 パニックになってしまっていると、杏の態度に一切関心がないまふゆの冷たい声色が、ボクの頭を冷やした。……うん、悲しいけど何となく分かっちゃった。もう多分この子は杏に歩み寄る事はないんだろうな、って。……今後、なんとか上手く仲を取り持つことって出来るのかな? うん……また頑張ってみよう。

 

「いや、えっと……志歩の事を待たない? 置いて行ったら可哀想でしょ?」

「…………そういえば、それもそうだったね……わかった」

 

 さらに一層冷ややかなまふゆの反応に、ボクは頭を抱えた。

 うわぁ……! 志歩に対しても冷徹(れいてつ)だよぉ……。

 どうしよう、前まではただ困るだけだったけど、まふゆがどうしてここまで志歩に対して好感度低いのか、理由分かっちゃった今はもう……見てて胃がキリキリする……! ごめん……絵名、奏、君達が今日ここにまふゆを連れて行こうとしたボクをあそこまで非難してた理由、今更にしてやっと理解できたよ……! ゴメン、本当にボク鈍感だったね! ごめんなさい……!

 そう反省するボクの元に、息を切らせながら遅れてやってきたの志歩だった。

 

「はぁ……はぁっ……瑞希……杏は?」

「志歩! しんどそうだけど大丈夫?」

「大丈夫……あの子、すごく足が速くて——って、それより杏の様子は大丈夫だった? ごめん私、杏と少し話したんだけど、あの子余計自分の中に閉じこもっちゃって……」

 

 志歩はしかめっ面でぼそりとそう呟き、どうにもならなかった事をボクに申し訳なく思うかのように目を軽く伏せるのだった。

 そんな……志歩が気にしなくてもいいのに。こうなったのは全部、ボクの所為なんだから。

 

「ううん、志歩が気にする事じゃないよ。それにボクの方こそゴメン……さっき少し話して謝ったんだけど、急に杏の様子がさらにおかしくなっちゃって……もしかしたら、またボク何かやっちゃったのかも」

 

 言った瞬間に志歩は伏せていた顔をバッとあげボクを見た後、少し離れた所で静かに待機しているまふゆの方を青い顔で見る。

 

「え、なんて言ったの!? まさか……あそこにいるアンタの“自称(じしょう)彼女”さんと、杏の目の前でわざわざ変にベタベタしてたんじゃ……」

「そんな事してないよ……! でも自覚ナシでもそんな事してたら……例え刺されても文句言わないから。ちゃんと杏の事を気遣ったつもりだし、蔑ろにするような扱いしてなんてしてない。まふゆともしっかり話終わったし……」

「……そう、その辺りはもうちゃんと済ませたんだ? まぁ……こうして私と話しててもあそこの“自称彼女”さんは何も口挟んでこない辺り、ひとまずは落ち着かせることは出来たんだろうけどね」

 

 そう言ってまふゆの方をチラリと見る志歩の視線に、少しだけ苛立ちが籠ってしまっているのをボクは感じ取ってしまう。

 あぁ……最悪、さっきのやり取りでもう、志歩の中でまふゆは『外敵』扱いになっちゃったのかな? だって、まふゆに“自称彼女”って呼び名つけてるもん……あぁ、最初は仲良くなって欲しくて、ここに呼んだのにな。全部今日のボクの行動は裏目じゃん……。

 いや、それでももう、やってしまった事はしょうがない。今は杏の事が最優先だし、後でゆっくりまふゆへの誤解を解いてもらえばいいんだから、切り換えろボク……とにかく、今志歩に伝えておかなきゃいけない言葉は——

 

「うん……その……なんて言うか……ゴメン志歩。そして……ありがとう。ボク、このままだったら無自覚でずっと、大切にしたい人達を傷つける所だった」

 

 そう言って俯くボクに志歩は軽く溜息を吐きながら、それでも優しい声をかけてくれた。

 

「そうだね、瑞希のその他人を尊重してあげられる優しさは、瑞希の凄く良い所だと思うけど——でも、それを今後はもっと自分自身にも向けてあげてね? 自分を卑下しすぎると良くない事があるって今回でもう分かったでしょ? もう二度と『ボクなんか』——なんて言葉は禁止だから。わかった?」

「うん……わかったよ」

 

 頷くボクに、志歩は励ますように続ける。

 

「分かったなら良し……しっかりしてね? 多分今の杏に大事なのは、私よりも瑞希の言葉だから——って、それぐらいはもう……流石に察してるよね?」

「……うん、念押ししてくれてありがとう、自覚してるよ。ボク……全然まだまだ抜けてる所多いし、さっきも何か杏を怒らせちゃったみたいだけど……それでも、取り返せるように頑張るから」

「信じてるからね?」

「うん……ありがとう」

 

 そこまで言って、志歩は話題を切り替えるようにライブハウスの方を見た。

 

「じゃあひとまず杏は、もうどうせステージ裏に行っちゃったなら会いに行けないし、今のところはステージの成功を祈って応援しに行こう?」

「うん……大丈夫かな、杏」

「心配だけど……今は見守るしかないね。杏は切り換えは上手いタイプの人間だと思うし……案外、舞台の上に立ったら吹っ切れてくれるかも」

 

 志歩の冷静な判断に、ボクは悔しかったけど頷くしかなかった。

 

「——だね。ボクの所為で本当に申し訳ないって思うけど……それしかない、よね? でもとにかく、ライブ終わったら絶対に謝らなきゃ……せめてボクがさっき杏に、一体何をしちゃったのかさえ分かったら……」

「まぁ……私も、瑞希がさっきの短い間で何をして、それでどうして杏がそうなったのかは流石に分からないから教えてくれる? でも、ここで話すと長くなりそうだから、ひとまず朝比奈さんも呼んで一緒にステージに入って、杏と何話したのか教えてよ——って……え?」

 

 そこまで言いかけた瞬間だった、志歩はボクとまふゆの顔を同時に見て固まる。

 まるで——そこに何か信じられないモノがある事に、たった今気づいたかのように。

 

「えと……志歩? 急にボクとまふゆを見て固まったけど……どうしたの?」

 

 尋ねるボクに、志歩は深くため息を吐いた。

 

「瑞希……私、本当に今さら気づいたんだけど、杏がここにきて瑞希と話して、さらに殻に閉じこもっちゃった理由……わかったかもしれない」

「えっ!? まだ何ボクが杏と何話したか言ってないのに?」

「うん、だってソレ……その状態(・・・・)で杏と話してたんでしょ? 私は気づいたのは今だったけど、杏は私よりもずっと他人のこと見てるし……そりゃもう、一瞬で気づいて……そんなの(・・・・)見ちゃったら機嫌悪くなっちゃうって……」

「え……? ごめん、志歩が何言ってるのかさっぱりで……主語をちゃんと明確にしてもらってもいい? いったいボクの何が杏を傷つけちゃったの?」

 

 本気で分からなくてボクがそう尋ねると、志歩はまるで、可哀想な人を見る目でボクをジッとただ見つめた。

 

「そう……本気で分からないんだ? 瑞希ってすごく人の気持ちに敏いのに……どうして今みたいに鈍くなる時があるのか、その法則もたった今分かった気がする。瑞希って……本当に今まで、殆ど他人から誰にも愛されないで生きて来たんだね? 自分の存在はまず、相手から嫌われてることが前提で生きて来たから……自分の言動が相手に与える影響って、考えた事なかったんだね?」

「——え? ちょっと、何? ボク……そんなに言われるぐらいに分かりやすいミス犯しちゃってたの? なに……!?」

 

 志歩はとても残念そうな顔でボクの“頭”を指さし、その次にまふゆの“頭”を指さした。これで流石に悟ってくれと、そう言わんばかりに。

 

 

ソレ(・・)……いつ二人で交換したの?」

 

「………………あ」

 

 

 ボクはそう言われた瞬間、ゾッと肝が冷えるような気分に陥った。

 そして震える指で、今の自分の髪を結っているまふゆのシュシュに触れる。

 

 そうか——杏は、ボクとまふゆがリボンとシュシュを交換してる事に気付いて、それに凄くショックを受けちゃったんだ。

 ずっとずっとボクがファッションの中で一つだけ徹底して付けてきたリボンを外して、代わりにソレをまふゆが付けてるのを見て、凄く悲しい思いをしちゃったんだ。

 自分が居ない間に、ボクとまふゆの間でどれだけの深い本音の話し合いがあったか、そんな空想で自分を傷つけちゃったんだ。

 しまった……本当に、どうしてこんな事にも気づかなかったんだろう……ボク、本当に最悪で最低だ……刺されても本気で文句言えないよ……。

 

「瑞希……私はアンタが朝比奈さんに、さっきどう言ってフォローしたのかはよく知らない。でもそれは、今こうして落ち着いてる所を見るに、朝比奈さんにとっては百点満点の解答だったんだろうね」

「……志歩……ボクは……」

「……うん、分かってる。私は瑞希みたいな立場に立ったことないし、こんな場面でどっちの側の心情にも立って、完璧に対応できるなんて事はないって、それぐらいは。でもさ……ごめん、実際に杏の味方である私の心情として……この場で、本当はさっき杏が叫びたかったはずの事を代弁したいからさ……これだけ言わせて?」

 

 そう前置きして、志歩はボクをジッと責めるように見据えて——言う。

 

 

「瑞希……その行動は朝比奈さんにとっては百点満点の答えだけど、杏にとってマイナス千点ぐらいの減点だよ。多分今あの子は……最低最悪の心情でステージに登る事になるだろうね」

 

「——っ、そんな……!」

 

 

 『覆水盆に返らず』とはよく言った事で、ボクはこれから約30分後に相棒ちゃんと一緒にステージに登った杏に起こってしまった“悲劇”を、自分の所為だと深く刻みこみながら、深く後悔するのだった。

 

 

 杏がこれから挑むことになる、相棒ちゃんとの最悪なファーストライブはもう——目前だった。

 

 

 

 

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