神山高校1年A組日野森志歩   作:トール77

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8話 Asgard

 

 

 

 私と司さんがライブハウスに辿り着くと、店長から事情を聞いていると言ったスタッフの人に中に入れてもらい、本番前という事もありスタッフの人やバンドの人が準備を初めていて忙しなくしている中を、私は司さんと一緒にいた。

 勿論ライブハウスに入る前に司さんには、ステージ服からもとの学校の学ランに着替えて貰った後だ。

 

 ステージでは早い出番のグループが早速リハーサルを始めたのか音楽が鳴り響いていて、私と司さんはその喧騒から少し離れた場所をスタッフの人に指示され、そこで店長を待っていた。

 そんな中、司さんは初めての場所に物珍しい目でキョロキョロと見まわしながら口を開く。

 

「おお……! ここがライブハウスか、初めて来るが意外とイメージより人は少ないんだな……後はショーの舞台とはまた違った本番前の趣が感じられて、これはこれで悪くない」

「そうですか、まぁイベントが始まるまでに2時間以上ありますからね。今はスタッフの人が準備してるのと、後は参加するグループが通しでリハーサルしてるだけですよ。お客さんが入るのは後になります」

「成る程、そんな関係者以外立ち入り禁止の最中に入らせて貰えるとは、今回は随分特別扱いなんだな」

「はい、そうですね。店長、一体何が……」

 

 私と司さんがそんな会話をしている所で、ステージの方から店長が歩いてやってくる。

 

「やぁ、急に呼び立てて悪かったね志歩ちゃん。来てくれて助かったよ、ダメ元で声をかけてみて良かった」

「はい店長、一体どうしたんですか?」

「あぁそれがね——って、あれ? その隣の彼が志歩ちゃんが言ってた連れの人かい? その学ラン……この辺りの公立中の子かな?」

「……む? あぁ、はい! そうです! オレの名は天翔ける——ぐっ!?」

 

 店長に話を振られた瞬間、なにやら張り切ったような雰囲気になった司さんの気配を察知して、私は軽く肘で司さんの脇腹を小突いて大袈裟な自己紹介を中断させる。

 

「何をする志歩、痛いではないか……!」

「この場の雰囲気に乗せられたテンションで自己紹介しようとしないでください。普通で良いんです普通で……店長、この人が私の連れの天馬司って人です」

「なっ——!? おい! せめて自己紹介ぐらいは自分の口でさせろ……!」

「暴走しかけておいて何を言ってるんですか司さん。いいですから静かにしてください」

「ぐっ……納得がいかん……!」

 

 そんな言い合いをする私達を、店長は何やら目を細めて生暖かい笑みを浮かべながら見つめていた。

 

「あぁ、成る程……うんうん、志歩ちゃんも成長したねぇ。僕に娘はいないけど、きっと娘が嫁に行く父親の感覚ってこんな感じなのかなぁ……」

 

 あ、不味い。ひょっとしなくてもコレ、何か勘違いされてる? はっ、恥ずかしい……!

 私は慌てて店長の勘違いを正す為に口を開く。

 

「ちっ、違います! 何変な勘違いしてるんですか店長!」

「ううん、誤魔化そうとしなくても大丈夫だよ、僕はこう見えて口が堅いんだ。お父さんには何も言わないから安心して? なにせ、志歩ちゃんに彼氏が出来たなんて話をあの人がもし聞いたら、今いるロスから朝イチの飛行機で日本にトンボ返りしてきかねないからねぇ……」

 

 ダメだ、全っ然聞いてくれる気配がない。

 し、仕方ない、司さんはただの……“友達”だって言わないと。うん、今この流れだったら普通に言ってもおかしくないよね……よし、言おう……!

 

「あのっ……司さんはそんなんじゃなくて、私のただの……と、とも……ともだっ——!」

「すみません、要らぬ勘違いをさせてしまったようですね。オレは志歩の友達の兄です。今日ここには妹の代わりに彼女の付き添いで来させてもらっていて————痛ぅ!?」

 

 気付けば私は、さっきよりも強めの肘を司さんの脇腹に叩きこんでいた。

 

「お、おい志歩、先ほどから何故こんなに、オレは痛い思いをせねばならん……!?」

「……さぁ? そのスターの事一色で染まってる頭で、少しは考えたらどうですか?」

「な……! ま、全くわからんぞ! どういう事だ!?」

「……フン」

 

 (うめ)く司さんを無視して私は顔を背ける。

 全くこの人は……本当に無神経! なんで友達ですって適当に誤魔化して言えばいい所を、しっかり事実そのままに話すの?

 それに……恋人だって間違われたのに対しても、ちょっとは恥ずかしがるみたいな反応してくれてもいいのに……なんでそんなに動じてないの?

 やっぱり私って……本当に司さんにとってはどこまでも“妹”なんだな。

 どうしたら司さんは、私をちゃんと一人の女の子として見てくれるんだろ。

 ——そして、どうして私は、司さんにそうして欲しいって事を伝えられないんだろ?

 私がそんな現状を再認識させられてショックで俯いていると、店長は何かを理解したように頷いてニヤリと笑う。

 

「うーん……成る程、若いねぇ『青春』だねぇ。そうやって悩む事自体に価値を生み出せるのは若者の特権だよ。なにせ大いに悩み苦しんだ分だけ、それを経て得た答えはその分自分の中で“意味”が生まれるし、何よりも代えがたいその後の人生の指標になる……だから、しっかりその悩みには向き合うんだよ志歩ちゃん。君の、その隣の大事な人の為にもね?」

「——っ! い、要らないお節介はいいですからっ! とにかく用件を教えてください! 何で急に私に連絡してきたんですか店長!?」

 

 店長の口ぶりから、なんだか私が司さんに片思いしてるみたいな感じに勘違いされてると感じたけど、もう訂正する気も失せて私は強引にそう切り出す。

 ——決して、別にそんなに間違ってる事じゃないから訂正しないんじゃない、そこは大事。

 そんな私に店長は頷いて、用件を言おうとした時だった。

 

 

「ああ、そうだね。じゃあ志歩ちゃんに少し頼みというか、提案があるんだけ——」

 

 

 

「あ゛あ゛っ……!? 遅っせぇから何事かと思って見に来てみれば……オイ店長(クソジジイ)、まさかそこの中坊(ガキ)がアタシ等のベースの代役とか言わねぇよなぁ……!?」

 

 

 

 店長の言おうとしたことを遮るように地面が震えるような大声で吠えながら、裏の控室の方から(あか)い眼光を光らせて犬歯を剥き出しにした怒りの形相で現れたのは、燃えるような深紅のストレートヘアを揺らす長身の女性だった。歳のくらいは大学生にも社会人にも見える。

 ——いや、待って。確かあの人どこかで見覚えがあるような……どこだっけ?

 私がそんなことを考えている間、高圧的な態度を取るその人に、店長は余裕の笑みを返しながら言う。

 

「おや、今回は本当に仕方ないから最悪ベース弾ける子なら誰でも良いから呼べって言ったのは君じゃないか『フレイア』? 僕の人選に文句があるのかい?」

「文句って……テメェ! 文句だらけに決まってるだろうがよ! 確かに今日ベースやる筈の奴が本番直前に飛んだのは監督管理出来てなかったアタシ等の落ち度だよ畜生ッ! だけど誰でも良いって言ったけど、誰が中坊(ガキ)寄越せって言ったんだよ! 舐めてんのか!? ああん!?」

 

 店長が呼ぶその人の名前を聞いて私は思い出した。

 この人、5年前にメジャーデビューした実力派ガールズバンド『Asgard(アースガルズ)』のギター兼ボーカルの『フレイア』さんだ。

 性格は見ての通り苛烈そのもの。だけど、その性格に裏打ちされた圧倒的実力とフロアを盛り上げるMC力で、今でもこの人を忘れられないファンも多い。

 そしてこの人が居る『Asgard』は、ここのライブハウスから人気になってデビューしたガールズバンドの内の一組で、店長に以前ここのライブ記録を見せてもらっていた時に、とにかく荒々しく苛烈で聴いた人の魂を殴りつけるかのような凄い歌と演奏をしていたから印象に残っていた。

 

 ——だけどおかしい。

 私の記憶が確かなら『Asgard』は3年前に突然活動を休止して、それからずっと表舞台から姿を消しているはず。それなのに、どうしてこの場に?

 復帰するっていう話も聞いたことがないからなおさら謎だ。

 ……もしかして店長、シークレットのサプライズ枠で今日の舞台に上げるつもり? そして……もう話の流れから分かる。もしかして店長が言おうとした頼み事って——

 そんな私の思考の答え合わせをするように、店長は言う。

 

「とは言うけど、ウチには今日ベース弾ける女の子は休みで居ないんだ。そして僕が知る中で連絡がついたのがこの子だけ……どうするんだい? この子でダメなら今日の舞台は諦めるしかないよ? ウチとしても君達は公式には出る事を公表してないからね。ダメならダメでそれでいいんだ。でも——どうしても今回のライブをやりたい理由が、君達にはあるんだろう? 僕はその決心に可能な限り協力したつもりだ。さて……やるかやらないか彼女の方に選択肢はあっても、君達の方に選択肢はあるのかな?」

「チッ……変わってねぇなぁ“鬼畜メガネ”がよぉ……!」

 

 フレイアさんは犬歯を剥き出しにしながらギリリと奥歯を噛み締めて店長を睨み、鋭い目つきを私に一瞬向けた後、私の方を指さしながら言う。

 

「——っ、だけどよ! その制服は“あの”お上品なお嬢様校の宮女(ミヤジョ)の生徒じゃねぇかよ! ピアノとベースの区別もついてなくて発表会気分のお遊びで来てそうなお嬢様に、アタシ等の演奏汚されてたまるかってんだよ! アタシ言ったよな店長! 今回のライブはアタシ等にとって特別な意味があるんだよ! それ知っててそこの中坊(ガキ)呼んだのか!? この幼女趣味(ロリコン)野郎が! ガキ可愛がるなら公園で勝手にやってろッ!」

 

 その言葉を聞いて、私は思わず頭がカッとなるのを感じた。

 私のベースが……お遊び? ピアノの発表会気分?

 確かに……プロでやってたあなたにとって、中学生の演奏なんてそんなイメージなのかもしれない。でも、私はそれでも真剣にやってた。いつだって本気だった。それを知らないあなたに、私の演奏を一度も聞いた事もないあなたに、そこまで言われる筋合いなんてない。

 それに何より、いくらその性格でやってるからっていって、さっきから私がいつもお世話になってる人に、なんて口の利き方してるのこの人……!

 そんな怒りの念で、私は奥歯を噛み締めながら口を開く。

 

「あの——!」

「——失礼しますフレイアさん。オレが部外者である事は承知してますが、そこまで言うのならば彼女の身内の立場で、オレから言わせて頂きたい事があります」

 

 すると、感情任せに言葉を吐き出そうとした私を制止するように手を差し出し、そう言いながら前に進み出たのは司さんだった。

 

「司さん……!?」

「んだよテメェ! ガキの彼氏かぁ!? 今このクソジジイと話してんだよ! 部外者はすっこんでろッ!!」

 

 鬼のような剣幕で睨み吠えるフレイアさんに、司さんは一歩も引かずにその目を見据えながら言う。

 

「オレは彼女と一度、楽器店に行ったことがあります。その時に彼女は楽器の手入れ用品を新しいのを一つ選ぶのにも、とても長い時間吟味していました。だから、そんなに選んで何か変わるのかと問うたら怒られました『楽器を大事にしないヤツがいい演奏できるわけがない』——だから、これは大事な事なのだと。彼女は、尊敬しているベーシストが過去に言っていた言葉を、教えを、ベースを握ったその日からずっと律儀に守り続けてるんです」

「——ッ!? おい、その言葉は……」

 

 司さんの言葉に目を剥いて言葉を失うフレイアさん。そんなフレイアさんにさらに一歩詰め寄り、司さんはハッキリと告げる。

 

「あなたにとって彼女は信用が出来ない存在かもしれません。ですが、彼女の見てくれだけでその実力まで過小評価するその姿勢は納得がいきません。その言葉は、あなたの事情を汲んで尽力してくれた店長の心遣いも無碍にする言葉です。オレはこの人が彼女を選んだその目は間違っていないと思います。何故なら——!」

 

 そこで言葉を区切り、そして大きく息を吸い込んだ後で先ほどまでのフレイアさんに負けない声量で司さんは声を張り上げる。

 

「彼女は……! オレの知る限り誰よりも、一つの事に対して信念を注く事が出来る人間だからです!! 一度決めた事は曲げない、心に一本通った筋を持つ人間だからです!! だから彼女を、志歩を——()()()()()!! よく知りもしないのに悪く言うのは許さんッ!!!」

「——ッ……て、テメェ……!」

 

 その声に、その心の全てをぶつけるかのような言葉に、そしてその堂々とした立ち振る舞いから発せられる司さんの強烈な覇気に、フレイアさんはそれ以上は何も言い返せずに黙りこくった。

 

「……つかさ、さん……」

 

 そして私も、そう呟くだけでもう何も言えなくなっていた。

 いや、もう何も言う必要もなかった。私が言いたい事は、伝えたい事は全部司さんが言ってくれた。

 ——司さんは、私を認めてくれていた。

 それだけで私は思わず嬉しくなって口元が緩むのを抑えられなくなってしまった。

 そして胸いっぱいに熱いものが広がり、気を抜くと涙を流してしまいそうになる。

 そんな喜びに浸っている私を尻目に、店長は司さんを見て口の端をニヤリと吊り上げながら称えるように言う。

 

「やるねぇ……こりゃあ“あの”一匹狼だった志歩ちゃんも牙を抜かれる訳だよ。さては君、女だけじゃなくて男にも惚れられるタイプだろ? だってもうその年で滲み出てるんだから——天性のカリスマ性ってやつがね」

「……む? そ、そうですか? そう言われると悪い気はしませんね。ハーッハッハッハ! やはりオレは未来の大スター! カリスマ性などあって当然なのだな!」

「あぁ……うん。それでいてまだ若さゆえに驕りと傲慢さも見える……今だ未完成の器か、それだけに君の将来が楽しみだね。どんな形であれ、将来は世界を揺るがす程の人間になれる可能性のある逸材だよ君は」

 

 そう言った後で店長は、拳を握りながら司さんに言いくるめられてしまった自分に対する憤りでワナワナと震えているように見えるフレイアさんに言う。

 

「さて、若者に良い所を全て言われてしまった後で、もう一線を退いた老兵が言葉を重ねるのは少々無粋だけど言わせてもらうよフレイア。志歩ちゃんは()()()()()()()()()()ベーシストだ。もう長い付き合いだ、この言葉の意味がわからない君じゃないだろう?」

「——チッ……!」

 

 フレイアさんはそう舌打ちをして店長の言葉に俯き、顔を背けて暫く黙った後で顔を上げ、私の方を見据えて言う。

 

「……中坊(ガキ)はどうする? いくら切羽詰まっててもやる気ねぇ奴と()る趣味はアタシはねぇぞ」

「……わ、私……ですか?」

「そーだよ、お前に聞いてるんだよ中坊(ガキ)。どうするんだよ? 彼氏にあそこまで言わせておいて、自分はこの流れに流されるままか? それじゃ(すた)るだろ——女が。お前はアタシ等と組みたいのか組みたくないのか……どっちなのかハッキリ意思を示せよ」

 

 そんなフレイアさんの言葉に、私はどうしたいのか自分に自問自答する。

 ——まさか、もう夢を諦めようと悩んでる時に、活動休止中と言ってもプロのガールズバンドと一緒の舞台に上がれる機会に恵まれるなんて、なんて因果なんだろう。

 でも、私は——

 

 

『……あーあ、こんな空気になるなら誘うんじゃなかった。元々こっちはベースが弾けるなら誰でも良かったし、不満があるなら出て行ってよ』

 

 

 ——本当に、今度こそ上手くやれる?

 相手は大人、さらに性格は不良そのもの。その上私は舐められてる。

 しかも本番までそこまで時間に余裕はない。この人達の出番は恐らくトリ、それでも今からそれまでに曲の演奏を覚えるなら、多分ギリギリの勝負。

 その状況で、本当に私は上手くやれるの?

 そんな自信……今の私にはもう——

 

「志歩、大丈夫だ。お前ならやれる」

 

 そんな弱気になりかけた私の肩にポンっと手を置き、静かに、だけど力強く肯定するように司さんは私にそう言った。そんな言葉に私は震えてしまう声で応じる。

 

「司さん……私……」

「どうした、不安か? らしくないな……だが、例えお前が今の自分に自信がなかったとしても、オレはお前の事を信じているぞ志歩! 何故ならお前はどんな辛い事があってもベースの事は忘れなかった奴だ! だからもしお前が自分を信じられないというなら、自分が今までやってきた努力の日々を信じろ! その積み重ねた日々は絶対に嘘はつかん!」

「——っ」

 

 本当に、どこまでも司さんは司さんだった。

 あなたはもう……私にどれだけのモノをくれたら気が済むんですか?

 そこまで自信満々に肯定されてしまえば、もう自分がどうして弱気だったのかすら分からなくなっちゃったじゃないですか。

 わかりました。あなたがそう言うのなら、そんな私の強さを信じてくれるのなら……私はその期待に応えたい。

 ——だって、私達は“友達”ですもんね?

 私だって、期待してくれる友達の応援に応えたくなる単純な所もあるんですよ、司さん?

 と、そんな言葉を胸の内だけでそっと司さんに告げ、私はフレイアさんの深紅の瞳を真っすぐに見据えて言う。

 

「フレイアさん……私、ベースやりたいです。貴女(あなた)と同じステージに、代理のベーシストとして私を立たせてください。あと——」

 

 そこで言葉を区切り、司さんらしく自信満々なニヤリとした不敵な笑顔を浮かべた後で、言ってやる。

 

「——言っておきますけど私、遊びでベースやってるつもりないですから」

 

 フレイアさんはそんな私に少し目を見開き、そしてフッと笑った。

 

「ハッ……このアタシを前にいい威勢吐くじゃねぇか。ただの箱入りお嬢様って訳じゃなさそうだな。どうやら……焦って前が見えなくなってたのはアタシの方らしい。——悪かったな。良いぜ、来いよ志歩(しほ)。お前のベーシストとしての意地ってやつ、アタシに()せてくれよ」

「はい……! よろしくお願いします!」

「よっしゃ、じゃあ早速——」

 

 フレイアさんがそう言いかけた時、フレイアさんが出て来たスタッフ控室の奥から黒髪の姫カットボブヘアーの女の人が駆けてきて、息を切らせながらフレイアさんを見つけて安堵した様子で言う。

 

「——(カシラ)ぁ! はぁ……はぁ……ちょっ、探したっすよぉ~! 代理探しに行ったはずの店長が戻ってこないから(ナシ)つけてくるって言ったっきり、全ッ然戻ってこないんすからぁ……!」

「おー、悪りぃ心配かけたな『スノトラ』。だけど無事こうして、代理のベースは見つかったぜ」

「——っ、あっ、はい。日野森志歩です、よろしくお願いします」

 

 そう言ってニカッと笑いながら私の肩を強めにバンバンと叩くフレイアさん。

 その衝撃にビックリしながらもなんとか挨拶をしつつ、私は目の前の人が『Asgard(アースガルズ)』のキーボード担当『スノトラ』さんだと思いだしていた。

 スノトラさんは私の姿を見た後、フレイアさんに対してドン引きするような目線を向ける。

 

「ちょっ、(カシラ)……まさか、いくら宮女が嫌いだからって生徒を、しかもそれも中学生を拉致(らち)って無理矢理ベース弾かせる気じゃないっすよね……?」

「——んな訳ねぇだろがボケ! 確かにちっけぇけど腕は店長(ジジイ)の墨付きで、威勢も中々……代理として求める質としてはこれ以上ねぇぐらいだ」

「……はい、精一杯頑張らせてもらいます」

 

 そう言って頭を下げると、目に見えてスノトラさんは安堵した風にため息をつく。

 

「そっすかぁ……よかった。頭ならマジでやりかねないから心配で……あっ、知らないと思うから自己紹介しとくけど、自分(ジブン)キーボード担当の『スノトラ』っす。よろしく志歩ちゃん」

「あ……いえ、過去のライブ映像も見た事あるんで知ってますから大丈夫です」

「——えっ? そうなんすか!? 活動休止してから三年してるからアタシ等若い子には知られてないかと……でも嬉しいもんすねぇ……頭、この子結構バンドの事知ってるっすよ!」

 

 目を輝かせるスノトラさんに、関係ないとばかりに肩を竦めながらフレイアさんは言う。

 

「アタシ等の事知ってようが知ってねぇか関係ねぇよ、必要なのは腕とアタシ等について来れる度胸だ——さーて、時間ねぇぞスノトラ。車で待機してる『シェヴン』に連絡して速攻でいつものスタジオ押さえろ。志歩とアタシ等で演奏の合わせもやんなきゃいけねぇ」

「あっ、それはもうシェヴンがやってくれてて、楽器も運び込んだ後っす。だから自分は頭を呼びに来たんすよ」

「マジか、流石シェヴン! イイ女は仕事が出来るぜ……! それと——店長(ジジイ)!」

 

 その呼びかけに店長はいつの間にこの場を離れていたのか、その手に楽器のケースらしきものを持ちながら、今しがた戻ったばかりの様子でフレイアさんに応じる。

 

「ん? なんだい?」

「志歩に着せる用のスタッフの上ジャケット持ってこい、まさか制服のままステージに上げて宮女の看板ぶら下げる訳にいかねぇだろ……なんか問題になったらどうするんだよ」

「ああ、勿論そのつもりで今持って来たんだよ——でも、まさか君からそう言われるとはね。そういう甘い部分を身内だけじゃなくて、もっと他人の前で表に出せれば君は世渡りが上手になれるのにねぇ……」

「うるせぇ! 余計な世話だよ店長(ジジイ)! ……でも、さっきはイライラしてて色々言っちまってすまねぇ、今日はマジでサンキューな。アタシ等の為に色々してくれて」

「いいよ、君達の事情の事を僕は知ってる。それに——音楽家(ミュージシャン)なら受けた恩は音楽で返すのが礼儀だろ?」

「——ハッ! 確かにそーだな! じゃあ観てろ。今日集まった観客全員、全部アタシの歌で灰になるまで燃やしてやるからよ!」

 

 そう言って獰猛に笑うフレイアさんを見た後、店長は私に黄色いスタッフのジャケットと楽器のケースを手渡してきた。

 

「さぁ志歩ちゃん、本当に来てくれて、そしてこんな無茶なお願いを引き受けてくれてありがとう。これは、僕からの心ばかりの応援だよ」

「店長……スタッフジャケットは分かりますけど、こっちはなんですか?」

 

 ケースを持ちながら問うと、店長は笑って言う。

 

「ああ、それ? そりゃ急いで呼び出したんだから何も持ってきてないでしょ? だから僕の現役の頃に使ってたベースを貸してあげるよ」

「——えっ!? そんな、確か店長のベースってかなり高級品でしたよね、こんなの使えません! なにか他のを……」

「他のやつはあるにはあるけど、キッチリ手入れが隅々まで行き届いているのは、生憎僕の持ってるそれ一本だ。そして、君は今から実力がケタ違いの相手に挑むんだ。せめて武器を良いモノにしておいて実力に下駄を履かせるのに越した事はないだろう?」

「いや、でも——」

 

 それでも食い下がろうとした私に、店長は続ける。

 

「それに、そのベースは昔君のお父さんが僕に貸してくれた一本だ。ずっと返そうとしたんだけどあの人『ベースに限っては俺よりお前の方がうまいんだからソイツもお前に使われるのが本望だろう』とか言って受け取ってくれなくてね……だから、世代を経て元の持ち主の所に戻れるのなら、楽器(ソイツ)も本望だろうからね」

「これが、お父さんの……?」

 

 私はケースを開き、中にあるベースに目を落とす。

 そこには目の覚めるようなエメラルドグリーンのボディに、ピンと張られた銀の4本弦、その下にライブハウスの照明を反射する程に黒く高級感のあるピアノブラックのピックガードが光っていた。

 どう見ても年代もの。だけどそれを全く思わせない程に、店長の日々の手入れが丁寧に行き届いていると感じさせる一本だった。

 思わず手に取ってしまう。それは他人の物とは思えない程に私の手にスッと馴染んだ。まるでこの楽器は最初から、私の手に納まるこの日を待ちわびていたかのような、そんな気すら感じさせられる程だった。

 

「……わかりました。そういう事でしたら今回は有り難く使わせて頂きます」

 

 だから私はそう言って、店長に頭を下げる。

 そんな私の手をフレイアさんは掴んでグイッと引っ張りながら、司さんの方を見て言う。

 

「じゃあ悪いな彼氏! オメーの彼女借りてくぜ! 礼はアタシ等のステージを特等席で観る権利だ! 良い所キープしてやれよ店長(ジジイ)! オメーが惚れた女の良い所、しっかり目に焼き付けてやれや!」

 

 そう言ってニヤリと笑うフレイアさんに、私はようやく盛大な勘違いをされている事に気付いて慌てて口を開き、そしてそれと同時に司さんも同じく気づいたように口を開く。

 

「い、いや、ちょっと待ってくださいフレイアさん、この人は——!」

「む……? ああ、すみません。どうやら勘違いさせてしまったみたいで——」

 

 フレイアさんは話そうとする私達に構わず、私を楽器ごと肩に俵担ぎのように担ぎあげる。

 

「っしゃぁ! 急ぐぜ楽器しっかり持ってろよ志歩! タァァァイム! イィィィズ! マネェェーーー!!」

「ちょっ、話がまだ————ひゃぁっ!? つ、司さぁぁーーーん!!」

「おぉっ!? 人(さら)いかっ!? 志歩ぉぉぉーーー!!??」

 

 私を担いだまま風のようにライブハウスの裏口へ全力疾走するフレイアさんに私は思わず叫び、司さんに向かって手を伸ばしたポーズのまま連れ去られてしまうのだった。

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

「はぁ……はぁ……つ、疲れた……」

 

 あれから私はフレイアさんにヘルメットを強引に被せられ、大型ハーレーに二人乗りさせられて、本当に法定速度を守っているのか怪しくなるほどの加速でカッ飛ばされて連れて来られたスタジオで、演奏する前なのに疲労困憊状態に陥っていた。

 そんなゲッソリした私に、スノトラさんは両手を合わせる。

 

「いやぁ……ホント、(カシラ)がメチャクチャですんませんっす志歩ちゃん」

「あ? 全然だろが。ウチの大事な臨時ベーシスト様だぞ? 丁重に扱ったつーの」

 

 そんなさっきから滅茶苦茶すぎるフレイアさんに、ついに我慢の限界で叫ぶように言う。

 

「全然っ、丁寧じゃないです……! もっと私の事考えてくださいフレイアさんっ!!」

 

 そう私が怒ってフレイアさんを見ると、二人は一瞬顔をキョトンとして互いに見合わせる。

 

「頭……マジっすか? 自分(ジブン)、ほぼ初対面で頭相手にキレた子久しぶりに見たっすよ。今回飛んだアイツとかウチに参加する時口先だけは生意気でしたけど、結局頭には終始ビビッて何も言ってこなかったじゃないっすか……まぁ、だから飛ばれたんでしょうけど」

「スノトラ、過ぎた事はいいじゃねぇか。だが……ハハッ、こりゃマジでいい拾い物したかもしんねぇぞ? その年でなんて肝の据わり様、コイツの気骨はアタシ等と合いそうだ」

「あの……なんですか? なんで普通の事言っただけで、そんな変な反応されないといけないんですか?」

「いや、お前イイ性格してるなって———」

 

 

 ———— ♪♪ !!!!

 

 

 その瞬間、スタジオの扉の方から雷が(とどろ)いたかのような爆音が鳴る。

 スタジオの防音設備を易々(やすやす)とブチ抜く程の音圧と、まるで(ケダモノ)が吠え猛るかのような迫力。気を抜けば魂まで持っていかれるような錯覚すら覚えてしまう。

 それがドラムの音によるものだと気づくのに、私は数秒の時を要する程の衝撃だった。

 

 

「な、なんですかこのドラムは……!」

「あぁ……()()()()()()なぁ『シェヴン』の奴。なぁ……アタシこの扉開けたくねぇんだけど、先入ってくれよ」

「いや、シェヴン恒例の『儀式』じゃないっすか頭。ちな自分もあんまりこの時のシェヴン邪魔したくねぇっす。数分そこらで終わるんでちょっと待機しましょうよ」

「は? 待機はナイ。あんな変態な儀式に付き合ってる余裕はねぇよ。時間惜しいって言っただろうがよ……ただこの扉開けたくねぇんだよアタシは」

「……入って良いなら、私が開けます」

「あっ、ちょっ、志歩ちゃん!?」

「——!? なんですかこの人……!?」

 

 言い争いに付き合う気が無かった私は、スノトラさんの静止も構わず扉を開けて驚愕する。

 それは鼓膜が揺れる程のドラムの爆音と共に、その音を発している人物が目に入ってきたからだった。

 その人物は、ゆるふわに毛先がロールしたピンク髪をふくよかな胸元まで伸ばした、たれ目でおっとりとした肉付きの良い優しそうな女性だった。

 けど、私が驚いたのはその見た目から発せられる荒々しいドラム音とのギャップじゃない。

 その人が目の前の壁にデカデカと等身大サイズのフレイアさんのポスターを張り、『賦砺異亜(フレイア)命』と書かれたハチマキを堂々と巻き付けてイヤホンを付けて曲を聴きつつ『愛してますわフレイア様ァァァーーー!!』と叫んで発狂しながらドラムを叩き鳴らす、とてもとても見てられない光景だった。

 その人は扉が開いたと同時に演奏をピタッと止め、ブンッと勢いよく私の方に顔を向けキラキラした目で私を映す。

 

「——いらっしゃいましたかフレ様! もう私の準備は……って、誰ぇッ……!?」

「あっ……えっと……フレイアさんじゃなくて、ごめんなさい」

 

 私は圧倒されながらも、そう言うしかなかった。

 『Asgard』のドラム担当『シェヴン』さん——映像じゃ喋ってる所見た事なくて見た目と演奏のギャップある人だと思ってたけど、まさかこんな人だったなんて。

 すると、驚いている私の後ろから頭にポンと手を乗せながらフレイアさんが入ってくる。

 

「よーしよくやった志歩、アガった状態のコイツの前にアタシが立つとロクな目に遭わねぇからなぁ……頭冷えたかシェヴン? 代理のベース見つかったから軽く紹介するぞ」

「……はい、日野森志歩です。店長に頼まれて代理のベースで来ました」

 

 するとシェヴンさんは、さっきまでのノリは何処へやらと言った様子のふわりとした優しい笑みになって言う。

 

「あら、可愛らしい子ですわね。私はフレイア様FC(ファンクラブ)の会員ナンバーワン兼、自称フレイア様TO(トップオタ)匂宮(におうのみや)——」

 

 シェヴンさんがそう言いかけた所でフレイアさんに頭を叩かれる。

 

「なに変な自己紹介で本名を名乗ろうとしてんだボケ、フツーにドラム担当の『シェヴン』って言っときゃ良いだろうがよ」

「はぁんっ……! ごめんなさぁい……! よろしくですわ志歩ちゃぁん……」

「よ、よろしくお願いします……」

 

 信じられない、叩かれてとっても嬉しそうだ。正直私が見てて引いていると、シェヴンさんはニッコリと笑って『それにしても』と続ける。

 

「それにしても、まさか本番直前にベース放り出して私のフレ様に迷惑かけるなんて許せないですわあの子ぉ……ねぇフレ様ぁ? 後で探し出して私刑(ヤキ)入れて東京湾に沈めていいです~? それとも、昔みたいにバイクに括りつけて市中引き回しします~?」

「やめろや、アタシ等大昔にそういうの足洗ったろが。『イズ』に顔向けできねぇぞ」

「そうっすよ、冗談でもやめるっすシェヴン」

「わかってますわよぉ~冗談冗談」

 

 そんな物騒なやり取りをする三人を見て、私は印象で人を決めつけるのは良くないとは思うけれど、この三人やっぱり昔は“そういう人達”だったんだと納得してしまう。

 ——それにしてもこの様子、ライブ直前に逃げ出したのは『Asgard』の最後のメンバーで最重要の存在、ベース担当兼リーダーの『イズ』じゃなかったの?

 じゃあこの人達は、本来のベース担当の人を抜きにして臨時の人を用意して今回のステージに出ようとしてたって事? 一体……どうしてそんな事を?

 そんな私の疑問をよそに、会話は続く。

 

「シェヴン、テメーのは冗談に聞こえねぇんだよ。まぁいい、とにかく志歩に可能な限り速攻でやれる曲を2曲覚えてもらって合わせするぞ。短時間でコイツのちっけぇ身体に無茶を強いるのは承知だ、アタシもフォローすっけどテメーらもフォローしてやれ。ほら志歩、これがやる曲の楽譜だ」

「——了解っす!」

「——了解ですわ~」

 

 そんな言葉と同時にフレイアさんから差し出された楽譜を私は受け取ってそれを見る。

 ——いや、待って、これは……。

 

「じゃあ志歩、悪いが出来る限り早めに覚えてくれ。曲が聞きたかったら音源はシェヴンの奴が——」

「——すみませんフレイアさん。この2曲、本当は今日やるつもりの曲じゃないですよね? 私の為に予定を変えるんですか?」

「——!? おま、どうしてそれが!?」

 

 私が気づけばそう言っていた言葉に対し、驚愕で目を剥くフレイアさん。

 やっぱりそうか……私に気を遣ってくれてるんだろうな。私が楽譜を覚えやすい選曲にしてくれたんだ。

 本当に、言動によらずこの人は優しいのかもしれない。——でも、私はここに本気でベースをやりに来たんだ。やるんだったら手抜きされた中途半端なんかじゃなく、全力全開での最高の演奏にしたい。

 それが、私の背を押してくれた司さんに対する私からの全力の恩返しだ。

 その思いで私は口を開く。

 

「やっぱりそうですか。この曲2曲とも有名な既存曲ですよね? あなた達はオリジナル曲も沢山あったはずです。しかもこの楽譜、本番前なのに読み込んだ形跡が一切ありません。急遽変更したのがすぐに分かります」

「いや、確かにそうだよ。だけどよ、それでも短時間で覚えるのは簡単じゃ——」

()()()()()()()()()()

「————は?」

 

 目を剥くフレイアさんの目の前で、私はベースを取り出して楽譜を見ずに2曲ともフレーズを鳴らす。

 ベースのお陰で普段よりいい音を奏でられた気がする。恐らく完璧だろう。

 それを証明するかのように、口を大きく開けたフレイアさんは驚いた様子で言う。

 

「……いや、お前……本当に中学生か?」

「……ええ、中学2年生ですよ。ただ人より個人練習する機会が多くて、大体の有名曲なら全部頭の中に入ってるだけですけどね。ですから、覚える時間がまだあるなら元々やる予定だったあなた達のオリジナル曲をやらせて下さい。曲は前に映像で聴いたのが耳に残ってますし、シェヴンさんが音源を持ってるんですよね?」

「も……持ってますけど無茶ですわよぉ志歩ちゃん、私達そこまで無理させる気ないですわ。元々逃げ出した子が悪いんですし……」

「そうっすよ。自分ら、もう今日に関しては舞台でやれるだけ儲けものっていうか……」

 

 そんなシェヴンさんとスノトラさんに、私は真っすぐ自分の強い意思を告げるようにハッキリと、自分の頭を下げながら言う。

 

「無茶を言ってる自覚はあります。我が儘を言ってる自覚も。でも、私はここに、本気でベース弾きに来たんです。お願いです……! 絶対に完璧な演奏に仕上げて見せますので、私に()()()()()()()()()()()()

 

 私の言葉に二人は何も言い返せずに黙る。

 そんな中、カラッとした笑い声が響く。

 

「——ハッハッハ! マジでいい根性してるじゃねぇか。気に入った、一時間やる。やるだけやってみろ志歩。これがアタシ等のオリジナル曲の楽譜だ。予備は飛んだ奴に持ち逃げされたからこれしかねぇ……今ここに居ねぇ奴のモンだから大切に使えよ」

「ちょっ……頭! それ『イズ』の楽譜じゃねぇっすか! アタシ等にとっても大切なモンっすよ!? 良いんすか!?」

「良いんだよ。『楽器を大事にしないヤツがいい演奏できるわけがない』——イズが、尊敬してる人間の言葉だって大事にしてた信条だ。何の因果か同じ言葉を吐くお前になら、この楽譜も使われて本望だろうよ」

「……ありがとうございます!」

 

 フレイアさんから手渡されたそれは、とてもボロボロの紙の束だった。1ページ毎に細かい書き込みが山ほど詰まっていて、それだけで本来の持ち主の相当な努力を伺わせる。

 こんなもの、言われなくても大切に扱う。

 フレイアさんから言われた曲の所を開く。コードを見て耳に残ってる曲だと確信し、記憶と楽譜を頼りにベースを鳴らした。

 

 『Asgard(アースガルズ)』のオリジナル曲は全てがハイテンポ気味。

 速い曲調にも関わらず音数も非常に多く、ほぼ速弾きに近い演奏を常に要求される上にコード進行も複雑な、文句なしのベース高難易度曲。

 こんな曲を短時間で弾けるようになるのは無理だと、普通ならそう感じてしまう。でも——

 

 

『だからもしお前が自分を信じられないというなら、自分が今までやってきた努力の日々を信じろ! その積み重ねた日々は絶対に嘘はつかん!』

 

 

 そうですよね、司さん。

 例え自分の事が信じられなくなったとしても、私は、今までどんな目に遭っても夢に向かって頑張って生きて来た、今日までの日々を信じます。

 

 だから——!

 

 

———— ♬ ♬ 

 

 

 そんな覚悟と共に1小節、また1小節と、私は頭と身体にリズムを刻み込む。

 すると気が付けば、まるでベースと自分の身体が一体化したかのように、思い通りに私の指先が動くようになっていた。

 もう今までにないぐらいに意識は集中していて、私の世界には音と楽譜とベースしか存在しない、そんな錯覚すら覚える程に深く音楽の世界に没入していくのを感じる。

 すると、自分でも驚く程にどんどんと楽譜の音楽が自分の身体に染みこんでいく感覚を、私は手の中のベースの弦を弾く形で“音”として、鈍く心を抉りこむようなリズムをスタジオ内に轟かせ続けていた。

 

 そんな私の姿を見て、スノトラさんとシェヴンさんは驚愕で目を見開く。

 

「——はぁ!? 嘘っすよね……!? まだ10分も経ってないのにもう1曲の半分マスターしてるっすよあの子……! 今の小節、イズが激ムズ高難易度だって言ってたとこっすよね? なんであんな簡単に……こんな中学生居て良いんすか!? でも(カシラ)……コレ、マジのマジでやれるかもしれねぇっすよ!」

「音のキレ、特に早い速弾き部分でどうしても未熟な部分はありますけれど……でも、なんですの? この心に訴えかけてくるかのようなベースの音は……! この子、まだ13歳なんですわよね? あ、あり得ませんわ……! なんて音楽感覚(センス)してますの……!?」

 

そんな二人を尻目に、フレイアさんは獰猛(どうもう)な笑みを浮かべて高笑いをあげる。

 

 

「アーッハッハァ! やられたぜ! 何が若いけど腕の立つ良いベーシストだ……“コレ”がそんな程度のモンかよ! あの店長(ジジイ)……とんだ化物(バケモン)の卵飼ってやがった……!!」

 

 

 他の人達が何を言っているのか、私にはわからないし聞こえないしどうでもいい。

 今はただ、目の前の楽譜と頭の中の演奏と向き合うだけ。

 

 ——ありがとうございます司さん。

 あなたが勇気をくれたから、私は現実にまた立ち向かえます。

 

 

 

 だから見ててください。私の……初舞台(ファーストライブ)を!

 

 

 

 

 

 

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