神山高校1年A組日野森志歩   作:トール77

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9話 魂の演奏を

 

 

 志歩がフレイアの手によって連れ去られて、しばらくした後のライブハウス内。

 そこでは司が、開演30分前となり客がちらほらと入り始めているスタジオ内をキョロキョロしながら、まるで迷子になった幼い妹を探している兄のように心配しきった表情になっていた。

 

「むむむ……志歩は、志歩はまだ戻らないのか……?」

 

 当然心配しているのは志歩の事。

 店長からの頼みを引き受けたからとはいえ、ガラの悪い者達に人攫いかのように連れ去られてしまった志歩を、そして今だに戻らない現状を司は心配しない訳にはいかなかった。

 

「ま、まさか、本当に誘拐か……!? っく、オレがついていながらこんな事になるとは、雫の奴に申し訳が立たん……!」

 

 そんな風に志歩を溺愛している姉に対して詫びている様子の司を見て、店長はクスリと笑みを浮かべながら残りの客の誘導を他のスタッフに任せつつ、司に歩み寄って言う。

 

「心配かい? 大丈夫だよ彼氏君。今のあの子達は、志歩ちゃんに悪さを働こうと考える子達じゃない」

 

 そう言う店長に、少し驚いたように反応しながら司は言葉を返す。

 

「あ、あぁ……店長ですか、すみません。言ったと思いますがオレは——」

「いや、みなまで言わなくてもいい。“今はまだ”志歩ちゃんの友達のお兄さんなんだよね? でも、僕的にはもう君の事は彼氏君って呼ぶのが語呂の収まりが良いんだ。だから年長者の茶目っ気って事で許してくれないかな?」

「いや、オレは別に良いですが、志歩がそれを知ったら嫌がるのでは……?」

「ううん、大丈夫だよ。どちらにせよ怒られるのは僕さ、彼氏君が気にする事じゃない」

「……? そうですか。まぁ良く分かりませんが、そういう事ならオレの事は好きに呼んでください」

「うん、ありがとう。宜しくお願いするよ彼氏君? ……まぁ、近いうちでないにしても、将来は本当の意味でそう呼ぶ事になるかもしれないけどね?」

「……む? 後の方が小声で良く聞こえなかったのですが、何か言いましたか店長?」

「——いや? なんでもないよ? なんでも」

 

 そう言ってにこやかに人当たりの良い笑みで微笑む店長に対し、司は少し首を傾げた後でそんな事よりもと問いを投げかける。

 

「……そんな事より店長、あの人達を良くご存じのようですけど、どうしてそこまで志歩は安全だと言い切れるんですか?」

「ああ、だってあの子達はああ見えて元は宮女(ミヤジョ)生だからね。あの子達にとって志歩ちゃんは一応後輩さ、昔ならいざ知らず今は手荒な真似はしないだろう。まぁでも、高等部で全員揃って退学させられたらしいから、卒業生って言うには微妙な所だけどね?」

 

 元宮女生と聞いて司は、先ほどまで見ていた彼女らのイメージとギャップがあり過ぎて少し目を丸くする。

 

「——そうなんですか。ですが、退学させられたとは一体何をしてしまったんですか?」

「素行不良だよ。あの子達は昔この辺り——神山通りを主に根城にして『我流鬼烏麗(ワルキューレ)』っていう名前の女暴走族(レディース)を組織してたのさ。当時は二十数人もメンバーを抱える中々厄介な集団だった。中でも総長のフレイアと副総長のスノトラ、後は彼氏君がまだ見てない親衛隊長のシェヴンを合わせた三人組が特に手が付けられなくてね。一時期は警察も手を焼く程だったよ」

「なっ……!? そ、それは志歩は大丈夫なのか!?」

 

 司は今度こそ目を大きく見開いて思わず口調を崩してしまう。まさかそこまで危険な人物達に、志歩が連れ去らわれたとは思ってもみなかったからだった。

 しかしそんな司の心配を、それは無用とばかりに首を横に振って店長は言う。

 

「安心しなよ彼氏君、昔の話さ。そんな当時このシブヤを荒らしまわってた奴らは、7年前に突然嘘みたいに消えた——解散したのさ、綺麗さっぱりとね」

「……解散したんですか? どうしてそんな突然に」

 

 そんな司の問いに肩を竦めながら店長は言葉を返す。

 

「さぁ? でも当時は色々な噂が立ったね。組織が内部分裂を起こしたとか、総長が負傷して寝たきりになったとか——また、このシブヤの中で裏社会の人間でさえ恐れて手が出せない程の“場所”に調子に乗って手を出して、返り討ちにされたという説もある」

 

 そんな意味深な店長の言葉に、司は眉を潜めつつ問う。

 

「このシブヤに……そんな場所があるんですか?」

「それがあるんだよ彼氏君。その街の名前は——『ビビットストリート』。このシブヤで一番、歌と音楽を愛する奴らが集う場所さ。そこには『ケン』『タイガ』そして『ナギ』。そんな名前のヤバイ大人三人組が居てね、その街をまるで守護神のように守って音楽を汚す奴らの侵入を一切許さないんだ」

「『ビビットストリート』……そんな場所が。成る程、音楽を愛する者達の街を守る三人の勇士達——正義の者達という感じでとても素晴らしい話ですね、オレのショーの脚本の参考になりそうだ」

「——おや、どうやら思わぬ所で僕の話は彼氏君の心の琴線に触れてしまったらしい。でも、さっきの街の話に嘘はないけど、悪いけど本当に小競り合いがあったかどうかはまでは不明だよ? あくまでさっき言った全ての噂は所詮噂さ、憶測の域を出ない」

「む……? じゃあ結局、どうして解散したんですか?」

「そうだね、僕も結局そこに関しては殆ど何も知らないよ? ——ただ、僕が知ってる事実は一つだけある」

「そ、それはなんですか?」

 

 そう尋ねる司に対し、店長は舞台の方を見上げながらフッと笑みを浮かべて言う。

 

「何も未来に目的もなく、ただ抱えた不満を世間にぶつけるようにして暴れる事しか知らなかったあの子達は、ある日出会ってしまったのさ——とんでもない()()()()にね?」

「音楽バカ……?」

 

 そう司が聞き返した瞬間だった。

 

「———キャァッ!?」

 

 観客席の入口の方で、何かが盛大にガシャンと倒れる音と女性の悲鳴が司の耳に届いた。

 司が慌ててその方向に目を向けると、そこには水色のニット帽を被った瘦せこけた女性が地面に倒れ、その傍らでカラカラと車輪が回る車椅子がひっくり返っていた。

 ——病人か。そう思うと同時に司は店長に一言『話の途中すみません』と言い残してから駆けだし、女性に手を貸していた。

 

「……あの! 大丈夫ですか!?」

「いたたた……! まったく、こんな段差も越えられないなんて私———ん? あっ……もしかして私に、手を貸してくれるの? ありがとう」

 

 水色のニット帽の女性は手を差し伸べる司に対してニコリと笑みを浮かべつつ、自らの手も司に伸ばす。

 女性の手を司は掴み、その腕が骨と皮だけと言っても過言ではない程に細く、その弱々しさに思わず表情を暗くする。

 司の目の前に居る女性は大人だが、その姿は今現在も病室で一人闘病中の自らの妹と重なって見えてしまったのだ。

 女性は司の手を掴んで片手で必死に立ち上がろうとする。しかし、その体はプルプル震えるだけで中々持ち上がらなかった。

 

「よいしょっと、うーん……! ちょっ……と厳しいかなぁ……! ごめんねボク? 良かったら私のもう片方の手も持って、そしてゆっくり引き上げて貰って良いかな?」

「——あっ、はい大丈夫です! こっちの手を持ってください」

「ありがとう、迷惑かけてごめんね……?」

「いえ、これぐらい何でもありません」

 

 そう言って女性はやっとよろよろと司に支えてもらいながら立ち上がり、そして車椅子を起こしてようやく座り直すことが出来た。女性は安堵と共に口を開く。

 

「ふぅ……助かった、本当にありがとうね。見たところこの辺りの中学生の子かな? まだそんな年なのに、私みたいな人を助けてくれるなんて良い子だね」

「そんな、大した事は無いですよ。オレには病気で入院している妹が居るので、貴女みたいな人を放っておけなかっただけです」

「あぁ……そっか、そうなんだね。じゃあ君みたいな優しいお兄ちゃんが居て、妹ちゃんはきっと幸せ者だ」

 

 女性の言葉に、司は少し表情を曇らせる。そんな司を見て女性は心配そうに言葉をかけた。

 

「あの……君、大丈夫? ……ひょっとして私、悪い事言っちゃったかな?」

「……! あ、あぁ、すみません! 妹の事を考えていてつい……。確かにオレは、一人で長い間入院して寂しい思いをしている妹を、笑顔にしてやろうと毎日必死です。ですが……妹を本当に勇気づけられているかどうか、どうしても不安で」

「…………そうだったんだ。妹ちゃんの為に毎日頑張ってるんだ? そっか……君は、本当に優しい子なんだね」

 

 女性は司の抱えている心情を聞くと、そんな言葉を言った後で、明るい笑みを浮かべながら励ますように言う。

 

「大丈夫! だって大人の私でも入院してずっと寝る以外にやる事無くなっちゃったら、気が滅入(めい)ってしょうがなかったもん。子供だったらもっとしんどいよ。そんな時にさ、声をかけて賑やかにしてくれる存在って、それだけで君が想像してるより、ずっとずっと救われる気持ちになれるんだよ? だから、妹ちゃんもお兄ちゃんにそこまで想って貰えて、心から嬉しいに決まってるよ。最近まで入院してた経験者がいうんだから間違いなし! おねーさんの事信じて? ね?」

 

 そんな女性の優しい心からの慈しみの言葉に、司は心が優しく温まるように勇気づけられ、そして彼らしい明るい笑顔に戻りながら、自信満々に言い放つ。

 

「……そう、ですか……はい! ありがとうございます! お陰様で……オレには悩んでる暇など無い事を改めて自覚しました! やはりオレは未来には世界に羽ばたく大スター天馬司! 妹を元気にする事ぐらい、やれて当然だ!」

 

 そんな大声を張り上げる司に一瞬女性はキョトンとした後、クスクスと笑いながら言う。

 

「……ふ、ふふっ……ふふふっ……! うん、そうだね(つかさ)くん? そりゃあ未来の大スター様なら、妹ちゃんを笑顔にすることぐらい朝飯前だね? ふふっ……お姉さん、なんだか司くんの事気に入っちゃったなぁ。ねぇ——私、有明(ありあけ)波音(なみね)っていうの。今日は友達がライブ()るから来てって言うから見に来たんだ、君も?」

「あ、はい、そうです。オレも有明さんと同じく友人がライブに出るので待ってるんです」

「そっか、なら良かったらなんだけどお姉さんと一緒に観ない? 最初は大丈夫かなって思って一人で来たけど思った以上に大変だったし、またさっきみたいに何かあったらどうしようか不安で」

「そうですか! なら未来のスターたるオレに任せてください! 誠意を込めて車椅子を押させてもらいます!」

 

 司は目を輝かせながら波音の車椅子の後ろの持ち手側に回って、それを掴む。

 波音は司のその行動に目を丸くする。

 

「——えっ? いや大丈夫だって司くん、そこまでお世話になっちゃったら悪いよ」

「心配無用です! こう見えてオレはスターとして輝く日の為に備え日々鍛錬をしてますので! これぐらい簡単です!」

「おお……自信満々だねぇ……あははっ! じゃあそこまで言うならカッコイイ未来の大スター君に、おねーさん優しくエスコートされちゃおっかなぁ~? 君が居たところに私を連れて行ってよ」

「了解です! ……あ、すみません、その前にオレは人と話してる途中で抜けて来てしまったので、一旦戻っても大丈夫ですか?」

「うん、勿論いいよ。私が君に勝手についていくだけだし、全然気にしないでお友達としゃべってくれても大丈夫だから」

「いえ、流石にそんな事はしませんから安心してください」

 

 そんな事を話しながら司は、優しく波音の車椅子を押して店長のところまで戻り、突然走って行ってしまった事に対する謝罪の言葉を口にした。

 

「店長、すみません話の腰を折ってしまいまして。この人も一緒にこの場所でステージを観させてもらって良いですか?」

 

 しかし司がそう言っても店長からすぐに返答はなく、不思議に思った司がもう一度声をかけようとした瞬間、車椅子の波音が口を開いた。

 

「……なぁんだ、司くんが話してた相手って叔父(おじ)さんだったんだ……叔父さん、言われた通り私、あの子達の今日のステージ観に来たよ。それがあの子達をこの世界に引き込んだ私の、最後のケジメってやつだと思うから」

 

 そんな波音の言葉に司は目を剥いて反応し、店長はようやくため息をつきつつ口を開く。

 

「——なにっ? 有明さん、叔父さんというのはまさか……!」

「……ふぅ。来るつもりならせめて僕に連絡してほしいね『イズ』。そしたら最初から車で迎えに行ったのに。もう今日は来ないと思って、録画したデータを後で君に見せるつもりだったよ」

 

 波音はそんな店長の言葉に骨ばった指で車椅子の持ち手をキュッと握りしめ、その表情に暗い影を落としながら言葉を返す。

 

「……やめてよ叔父さん、もう私その名前捨てたんだ。今の私はただの『有明波音』だよ。叔父さんとあの子達が知ってる、馬鹿みたいな夢を必死で追いかけてたベーシスト『イズ』は……もう死んだんだよ」

 

 その波音の言葉に司はさっきまでしていた店長との会話を思い出し、そして何かに気付いたかのように言う。

 

「まさか店長、この人がさっき言っていた——?」

 

司の問いかけに店長は頷き、そして今の波音を寂寥感(せきりょうかん)の宿った瞳で見つめながら言う。

 

「ああ……そうだよ彼氏君。この子が志歩ちゃんがヘルプに入った『Asgard(アースガルズ)』の、本来のベーシスト『イズ』で——あの子達が出会った(かつ)ての“音楽バカ”さ」

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

「『私のベースで仲間と一緒に最高で世界一のバンドを作り上げる』——それがアイツが、ゴミみてぇな毎日を過ごしてたアタシ等相手に、馬鹿みたいに何度も語ってた夢だった」

 

 そう言って昔を懐かしむように語るのは、スタジオで演奏の最終調整を終え、ライブハウスまでの道のりを、志歩を後ろに乗せた大型ハーレーで首都の公道を行くフレイアだった。

 そんなフレイアの腰にしがみつきながら、志歩は疑問を口にする。

 

「——でも、さっき話は聞きましたけど、その頃のフレイアさん達は色々と危ない人達だったんですよね? そんな人にどうしてその『イズ』って人はそんな事を言ったんですか?」

 

 その問いにフレイアは、大きなため息をつきながら答える。

 

「……『アタシの歌声に惚れた』んだとよ。だから一緒に組んでバンドやろうって、アタシの声なら“世界最強のベーシスト”である自分と組めば世界を()れるぞ——って言って、毎日毎日アタシ等のトコまで来てウゼェ事この上無かったぜ」

 

 そんなフレイアの過去語りに追従するように、二人の真後ろを着いてきている車のバンから窓を開け、そこから軽く顔を覗かせながらスノトラとシェヴンの二人が言う。

 

「アハハハハッ! あの頃のイズは本当に滅茶苦茶でしたっすよね? ある意味(カシラ)より滅茶苦茶で馬鹿だったっすよ」

「そうでしたわよねぇ、フレ様にあまりに馴れ馴れしいので殴らせて頂きましたら『いいパワーね、これからは人殴るよりドラム叩こうよ。そっちの方がずっと気持ちいいから!』って、鼻血をダラダラ流しながらニコニコ笑顔で言って……本当に、滅茶苦茶で勝手な方でしたわ」

「そうっすよねぇ~自分(ジブン)にも『バタフライナイフ捌き上手くやる指の器用さがあるなら、その器用さキーボードに生かそう!』って強引で……いやぁ、音楽バカここに極まれりだったっすよ」

「……イズって人は、本当に色々スゴイ人だったんですね」

 

 志歩は二人の口から語られるイズの人物像に圧倒されつつそう言葉を返す。

 しかし志歩はそのイズという人物の、その圧倒的な行動力と自分に対する圧倒的な自信が伺えるようなその言動に、既視感のようなモノを感じていた。

 

(なんだろう、気の所為かもしれないけど、そのイズって人——どこか司さんに似てる)

 

 そんな志歩の思考をよそにフレイアは、シェヴンとスノトラの、イズを昔の滅茶苦茶さを愚痴るような言葉を聞いて、フッと、どこか温かみのある微笑みを返した後で言う。

 

「そうだ、イズはどうしようもない音楽バカだ。でも——そのバカに、アタシ等は救われた」

「……そうっすね」

「……間違いないですわ」

 

 そう言って、まるで過去を慈しむような表情で呟く三人。そんな『イズ』という存在を大切に想っているように見える彼女らを見て、志歩は思わず気になった事を尋ねてしまう。

 

「だったら……どうして皆さんは今日そんな恩がある人を抜きに、私みたいな臨時のベーシストを雇って今日のライブに出ようと思ったんですか?」

「おいおい、野暮な事を聞くんじゃねぇよ。予兆なしの電撃活動休止となりゃ、聞かなくてもその理由なんて察しがつくだろ——」

 

 そこでフレイアは小さくため息を吐き、そして過去を悔やむように言葉を紡ぐ。

 

「——急性骨髄性白血病。分かりやすく言やぁ“血液のガン”……それが、努力してメジャーデビューして活動も軌道に乗り始めて、そして海外の話も出て……やっと夢に向かって一歩踏み出そうって時に、イズの身体を突然襲った病気の名前だよ」

「——っ! “白血病”……じゃあ、まさかイズさんはもう……?」

 

 志歩はその、深く医療の知識のない自分でも聞いた事がある重い病名に、思わず息を呑んで最悪の想像をしてしまう。

 そんな志歩の想像を振り払うように、フレイアは笑って言う。

 

「ははっ……直接会った事もねぇ奴に、そこまで心を痛めてくれんのか? やさしー奴だなお前……ありがとな。でも安心して良いぜ、イズは3年間の根気強い投薬治療のお陰でなんとか回復して、今は車椅子でだが退院して問題なく日常生活を送れるまでになった」

「そう、ですか……よかった」

 

 しかし、そんな安堵の表情を見せる志歩にフレイアは暗い顔で、だけど——と言葉を続ける。

 

「だけど代わりに、イズは失っちまったんだよ。自分があれ程バカみたいに繰り返して言ってた夢を、いつしかアタシ等も同じく追いかけるようになってた夢を——“想い”を、見失っちまったんだよ」

「“想い”……?」

 

 志歩はそんな突飛な単語に思わずそんな疑問符を呟く、するとフレイアの失言を諫めるように、後ろからスノトラとシェヴンの慌てた声がする。

 

「頭! そんな事言っても自分達にしか分かんねぇっすよ……!」

「き、気を付けてくださいまし、フレ様!」

「……んっ!? あぁ……ワリィ志歩。つい口が滑っ——じゃねぇ、変な事言っちまった。忘れてくれ……イズは夢を見失ったんだよ」

「は、はぁ……わかりました」

 

 そんな、どこか慌てた様子の三人に志歩は若干戸惑いながらも、しかし、『Asgard』が辿った悲運な定めに同情するように、その表情を暗くする。

 

「でも……そうなんですね。フレイアさん達にそんな事が……メジャーデビューの時点でイズさんの夢が簡単じゃない事ぐらい、私はよく知ってます。そして、そのためにイズさんがどれほどの努力をしてきたのかを……そして、さっきの皆さんとの通し練習で、皆さんもイズさんと同じ夢を追いかけるのに、並外れた努力をしたってことも……良く分かります。それがそんな結末になるなんて……きっと悔しいなんて言葉じゃ言い表せないと思います」

 

 志歩はフレイアから借りたイズのボロボロの楽譜と、つい先ほど味わった三人の生の演奏を聴いて、強くその無念を共感した。

 そして、同時に“でも”と思う。

 

「——でも、イズさんの病気は治ったんですよね? でしたら、イズさんの体力の回復を待ってから復帰したら良かったじゃないですか。イズさんを待ちたかったから皆さんは今まで活動を休止してたんですよね? でしたら、何で今になってイズさんを待たずに活動を再開しようと……?」

 

 そんな志歩の疑問に、フレイアは表情に暗い影を落としながら答える。

 

「だから……言っただろ? イズは夢を見失っちまったって。退院日が決まって、これからまたイズと練習してまたライブが出来るって喜んでたアタシ等に、イズは言ったんだよ——『もうこれからは、私抜きで()ってほしい』ってな」

「えっ……? ど、どうして……?」

 

 驚く志歩に説明する形で言葉を続けたのは、スノトラとシェヴンだった。

 

「……体質もあったと思うんすけど、イズは抗がん剤の副作用が特にキツかったんすよ。それこそ、病院食ですら全部吐き戻したり、痛くてロクに歩けなくなって殆ど寝たきりみたいになってガリガリに痩せて筋肉も衰えて……イズの身体はもう立つ事はおろか、ベースすら握れない程にボロボロになっちまったんす」

「それだけならまだ、リハビリでどうにでもなると前を向けたんでしょうけどね……医者から言われてしまったらしいですわ『症状が回復しただけで今後再発の恐れも充分にあり得る』って……自分の身体は爆弾を抱えてしまったって……イズは泣いてましたわ」

「そんな……!」

 

 志歩はそのイズという女性の壮絶な闘病生活に思わず絶句し、脳裏に咲希の姿を思い浮かべずにはいられなかった。

 他人事には、とても思えなかった。

 そんなショックを受けている志歩に、フレイアはポツリポツリと呟くように言う。

 

「……アタシ等の重荷になりたくねぇんだとよ。ロクにベースも握れねえ、握れるようになったとして、いつまで舞台に立てるのかもわかんねぇ。だから、もう自分はアタシ等と一緒に居る資格が無いから、自分には運が無かったから、代えのベーシストを雇って活動を再開してくれって——自分の代わりに、アタシ等が夢を叶えてくれって、言われたんだよ」

「———っ!」

 

 志歩はそれを聞いて、今の自分の状況を思い浮かべてしまう。

 自分の存在が迷惑になるから、仲間から身を引いて孤独を選ぶ。

 イズという女性と自分に、一体何の違いがあるのだろうと思わずにはいられなかった。

 だからこそ、志歩は俯きながらフレイア達に確認するように言う。

 

「そうですか……それが、フレイアさん達が今日のライブに懸けている理由なんですね。イズさんが居なくても自分達はやれるって……それを証明するために出演を決めたんですね。つまり——今日のライブこそがフレイアさん達の、イズさんに別れを告げる為のライブ」

 

 そう口に出してしまうと、志歩はもうフレイア達が他人には思えなくなり、その姿を一歌達とダブらせてしまう。フレイアの燃えるような紅蓮の髪の長さが丁度一歌ぐらいだという事も、その想像に拍車をかける要因の一つだった。

 しかし、志歩がそんな憂いを帯びた表情を見せた時だった。

 

「まぁ、()()()()()()()()()()()()()

「——えっ?」

 

 フレイアが不敵な笑みと共に言った言葉に、志歩は思わずポカンとした表情になる。

 そんな志歩に、フレイアはそのニヤリとした笑みのままで言葉を紡ぎ、それに追従する形でスノトラもシェヴンも言葉を紡ぐ。

 

「悪いが、アタシ等は全員揃って他人のいう事を素直に聞くような良い子ちゃんじゃなくて——とびっきりの『はねっ返り(Peaky)娘』だからよ……イズの奴の思い通りになってやるかって話だよなぁ!」

「ハハッ! まったくもってそうっすよねぇ! イズは自分らを何だと思ってんだっていうハナシっすよ!」

「ええ……その通りですわ。私、推しには粘着するタイプのオタクなんですの!」

 

 その目に闘志の焔を灯しながら、意気軒昂に言葉を吐く三人を見て、志歩は信じられない思いで目を丸くする。

 面倒を抱え込む事を分かっているにも関わらず、イズという存在を諦めようとしないその考えが、志歩にはまるで理解できなかったから。

 志歩がそう困惑すると同時に、遠くの方にライブハウスがある通りが見え、フレイアは不敵な笑みを浮かべて言う。

 

「さーて、無駄話してる間に見えて来たな。もう現場はライブの真っ最中だ、静かに準備するぜ。迷惑かけんなよ?」

 

そう二人に指示した後、フレイアは志歩に向かって声をかける。

 

「志歩、お前のベーシストとしての“覚悟”ってやつは充分見せてもらった。だったら、次はお前のステージの上での“実力”を見せてもらう番だよな? だから——」

 

 そしてバイクを止め志歩を降ろし、フレイアはその目に燃え盛る意思の焔を宿しながら、圧倒的な強者のみが浮かべる事ができる、絶対的な“自信”を露わにした笑みで言う。

 

「——ステージの上で暴れるアタシ等に、死に物狂いで喰らいついて来いよ志歩? 言っとくが、本番でのアタシ等は練習のアタシ等と比べモンになんねぇぞ? だから、今のお前の“全力”の力を、アタシに見せてくれ」

「——っ! ……上等、です……!」

 

 初舞台で志歩の目の前に立ちはだかる、圧倒的な実力を持ったプロの壁。

 ——それが、日野森志歩という少女が司に背を押されて“ベーシスト”としての一歩を踏み出して挑む、一番最初にして、最強で最大の壁だった。

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 司が居るライブハウスの中は、舞台の上のバンド達が歌い奏でる熱意の(こも)った歌声と演奏が鳴り響き、観客達はそれらに熱狂の歓声と声援で答える。

 そんなライブハウスという空間全てを包み込んでいる“熱”というものを感じ、司は思わず感嘆のようなものを漏らしていた。

 

「これは……素晴らしいな……!」

 

 司はライブというものを生で実際に見た事が無かった。

 しかし、すぐに理解した。

 舞台に立つ者は観客の心に届く演奏を披露し、そして観客もその熱意を感じて応じ、この空間に居る者全てが一体となって一つの空気感を作り上げているのだと。

 それは、普段自分が多く触れているショーの舞台とはまた違った空気感。舞台の演者だけでなく、観客も一緒になって一つの目的に突き進むような感覚。それは司にとって、ショーとは違ったある種の高揚感を感じさせるようなものだった。

 そんな、目を輝かせライブを純粋に楽しんでいるような隣の司の表情を車椅子から見上げ、波音(なみね)は微笑ましい者を見るような表情で言う。

 

「ふふっ……司くん、ライブは初めて?」

「あっ、すみません。すっかり有明(ありあけ)さんの事忘れて楽しんでしまって……」

「いやいや、いーよいーよ。私も……こうやって生でこの空気を感じるのは久しぶりだし、私が大好きなものを、君も気に入ってくれてるのを見てたら嬉しくなっちゃって」

「そうですか……なら良かったです」

 

 そう言って、同行者に不快な思いをさせていない事に安堵のため息をつく司に対し、波音は悪戯っぽく微笑んで言う。

 

「あと、未来のスーパースターの司くんに一つお願いがあるんだけど、私の事は“有明さん”って呼んで他人行儀にするんじゃなくて……“波音”って呼んで? ほら、同年代の友達相手してるみたいに接してくれると嬉しいなぁ」

「なっ……? いえそんな、それは流石に失礼です」

「失礼なんて、私がそうして欲しいって頼んでるんだよ? だって私、入院生活が長くて、人付き合いなんてお見舞いに来てくれた元のメンバーの子達以外で殆どなくて、退院して初めて仲良くなれた子が君だからさ。久しぶりに普通の友達と一緒にライブを楽しみにきた感覚を味わいたいんだ……だから、ね? お願い未来の大スター君?」

 

 両手を合わせながらそう懇願されると、司は弱かった。

 それもあるが、この波音という人物が持つ、他人との距離を詰める技術が強引さと遠慮の狭間を突くように絶妙に上手かったのもある。

 そして、司も人見知りをするような人間でないのも後押しした。

 司は少し悩んだような表情をした後で、ニコリとした笑顔になって波音に言う。

 

「む……未来のスターとして、そこまで()われてしまえば断れんな。よし、わかった! ならば今日のライブを共に楽しむぞ波音!」

「わーい、ありがとね司くん! ノリが良い子おねーさん大好きだよ!」

 

 ニコニコした元気な笑顔で喜ぶ波音に、司は病室に居る咲希の笑顔を思い出し、悪くない気分で笑みを返す。そうしながら、車椅子の波音の事を心配するように言葉をかける。

 

「それにしても、波音は本当に店長から離れてオレと居て良かったのか? 店長は親族で親しい仲なのだろう? 何かあった時に一緒に居た方が安心できるのは店長の方だと思うのだが……」

「え~、いやいいよ。だって叔父さんはライブ始まったら色々忙しくなるだろうから邪魔になりたくなかったし……それに、また『イズ』って言われるのもしんどいしね。折角……これからはこの世界を観客席側で生きていこうって、やっと諦めがつけれたのにさ」

 

 そう言って沈んだ表情になる波音。そんな波音に司は様子を伺うように言葉をかける。

 

「その、オレの友達——志歩が代理のベースとして入ったバンドに、波音は元々入っていたんだろう? その……抜ける事になった理由は深くは聞かんが、未練は本当に無くなったのか? 演奏を見に来る事を決意したという事は、心残りがあるからではないのか?」

 

 そんな司の、波音の心を傷づけたくないものの、どうしても事情が気になったからしてしまったような問いに、波音はクスリと微笑んだ後に呟く。

 

「ふふっ……そーだねぇ、司くんにだったら特別に語っちゃおうかなぁ? あのね……私、3年前までは『世界最強のベーシスト』だったんだ」

「『世界最強のベーシスト』……? それを決めるコンテストがあるのか?」

「あはははっ! 違うよ、あくまでも“自称”。私は、自分が『世界最強のベーシスト』だって、信じて疑わなかったんだ——ほら、君が言う『未来の世界的大スター』と同じ感じだよ」

「む……オレのそれは“自称”ではないぞ波音! もう既に決まっている“未来”だ! オレは未来に必ず世界的大スターになるんだ!」

 

 そんな司の怒ったような言葉に、波音はケラケラと笑い始める。

 

「あははははっ! も~それそれ! 本当にそっくり! 今司くんが怒ってる“それ”が、私にとっての『世界最強のベーシスト』だったんだ。私のベースが導くバンドの音楽は、世界だって変えられる——そんな荒唐無稽な夢を、本気で信じてたんだ。もう今は……諦めちゃったけどね?」

「———っ!?」

 

 そうどこか寂しさを感じさせる声色でそう語る波音に司は目を見開き、今の波音と自分が同一でありながら絶対に相容れない存在だと認識してしまったのか、ワナワナと震えながら言葉を紡ぐ。

 

「お……同じと言うなら、どうしてそう簡単に諦められる? 捨てられる筈のない夢だった筈だ……心の底から信じ、貫きたい夢だった筈だ……! なのに、どうして!?」

「簡単じゃないよ」

 

 淡々と、感情なんかゴッソリと抜け落ちたような冷たく短い波音の返答に、司は思わず呆然とした表情で何も言えなくなってしまう。そんな司を見て、波音はフッと薄く微笑みながら謝罪を述べる。

 

「……ふふっ、ごめんね? ちょっとお姉さんムキになっちゃった。司くんがそう言いたくなる気持ちは分かるよ。だって、今の私を過去の私が見たらきっと……同じ事を言うはずだから」

「——っ、な、なら……」

「でもゴメンね、私その辺りの自問自答はもう終わってるんだ。夢を貫く覚悟はあったし、その目標の為にこれ以上ないぐらいに努力したし、そして最高の仲間達もいた。ただ……私には“運”が無かったんだよ」

「“運”……? 本当にそれだけが諦める理由なのか? 違うだろう……!?」

 

 そう司が問うと、波音は深く車椅子に腰を掛けて座り直して天井を見上げ、ここではない遠いどこかを見るようにした後で、そっと司の目を見てまるで先人から忠告を授けるかのように言う。

 

「——司くん。“世界”って本当に広いんだよ? 君はまだ若いから、それを知ったような気になってるだけ。一回でも生で本場を味わったら……もう二度と軽々しい覚悟じゃ“世界”を叫べない」

「知ったような気に、なっているだけ……」

「うん、確かに司くんの言う通りだよ。運は最終的に私にトドメを刺しただけで、それだけが理由で私は諦めたんじゃない。才能も、技術も、足りないものは多すぎて数えきれない程だった。それがこんな事になって……もう無理だなって、ぺちゃんこに潰れちゃったんだ」

「——っ、その、身体の状態でも、一からでも何度でも這い上がればいいだろう!? オレは出来る! 例えどんな病魔に蝕まれようと、その命が尽きる最後の時までオレはスターの夢を諦めはしない! 波音もそうじゃないのか!?」

 

 そう声高に己の理想を叫ぶ司に、フフッと淡い笑みを浮かべて波音は言う。

 

「——白血病、それが私の病気の名前。例え今は元気に治ったように見えても、また数年後に再発する可能性があるかもしれない。どんなに努力して復帰しても、またイチからやり直さないといけないかもしれない。そんな爆弾を抱えた身体でも、君は同じ事を言える?」

「……っ!」

 

 その波音の抱えた重い事情を知り、司は一瞬言葉を詰まらせる。

 しかし、詰まらせても司はその主張を曲げる事は一切しなかった。

 曲げずに、己が胸に刻んだ覚悟を——“想い”を(りん)と声高に叫ぶ。

 

「……できる! やってやる! 何度でも何度でも這い上がって見せる! スターとは見る者に希望を届ける者! ならばそう()らんとするオレが、絶望を前にしてどうして折れる事が出来る!? オレはスターに成ると決めた時から、気骨(きこつ)以外の全てを折られる覚悟はとうに終えているッ! オレは未来の大スター天馬司! スターとは与え続ける者! スターとは弱みを見せてはいけない者! スターとはいつだって人前で輝き続ける者! スターはいつだって失敗しない者! スターとは人の期待に(こた)え続ける者! それ以外の生き方を許容するなど……オレにはあり得んッ!!」

 

 そんな、光の意思のみにしか輝いていない、自らの中に一片たりとも(弱さ)を許さないような覚悟を司は口にする。

 自らに完璧なスター像を求め続け、それ以外の生き方を許容しようとしない司の姿を——輝かしい目標()だけを見据えて目が眩み、それ以外が全く見えなくなってしまっている司を見て、波音は初めて少し圧倒されたように黙った後、ポツリと呟くように言う。

 

「……そっかぁ、もしあの子達が仲間じゃなかったら、私もこんな風になっちゃってたのかもなぁ……」

「な、何を言って……?」

「ねぇ……司くん、君には“仲間”って呼べる存在は居る?」

「……友達とは違うのか?」

「うん……似てるけどちょっと違う、同じ目標に向かって共に励まし合って進む存在の事だよ?」

「波音が何を言いたいか……全くわからん」

「……じゃあ何時かきっと君にも分かるよ? “仲間”ってさ、どうしても挫けそうになった時にいつだって、沢山勇気や希望を与えてくれる存在なんだ。その存在はきっと、今の君に絶対的に足りていないものを気づかせてくれる。私も、あの子達に何度助けられてきたか分からないから」

「……オレに……足りていないもの?」

 

 そうポツリと呟く司に、波音は演奏を終えて退場していくバンドを目を細めて見つめながら言う。

 

「……私はね、もしずっと一人だったらさっき司くんが言ったように、我武者羅に突き進む道も選ぶ事が出来たかもしれない……でもね、私はもう一人じゃないから。その子達とでしか叶えられないんだって、そう心に決めちゃった仲間が居る。そんな仲間を……私なんかよりずっとずっと才能あるあの子達を、これ以上私の夢に巻き込んで迷惑かけられないから……だからね、私は運が無かったから夢を諦めたんだ——そう、思う事にしてる」

 

 そう寂しげに呟いた波音を見て、司は暫く押し黙った後で言葉を紡ぐ。

 

「……波音、オレが自分と似ていると言っていたが、どうやらそれは違うようだ」

「……そうだね、こうして話し合ってる内にわかっちゃった。今の君と私とじゃ、似てるけどちょっと違ったね。勝手に同じだって決めつけて……ごめん」

 

 しかし、そこで司は波音の目を真っすぐに見つめながら言う。

 

「だが、一つ分かった事がある。波音はオレというより、これから舞台に立つオレの友の方にその心根が似ているという事がな」

「司くんの、友達……」

「ああ、だから聞いてやってくれ志歩(しほ)の演奏を。志歩ならきっと、今の波音の心に何かを与えてやれるはずだ」

 

 そんな司の言葉に、波音は寂寥感を感じさせるような笑みを浮かべながら言う。

 

「“何か”を……ふふっ、そうだね。その子が私の代わりに、あの子達の間を埋めてくれる存在になってくれる所を見たら……今度こそ、私も諦めがつくだろうしね」

「波音、オレが言いたいのはそう言う事では——」

「彼氏君が言いたいのは、多分そういう事じゃないよイズ——いや、波音」

 

 司がそう言いかけた時だった。

 二人のもとにステージ控えの方から店長が現れ、波音の言葉を司の代わりに否定した。

 波音は少し表情を険しくし、司は驚きで目を少し丸くする。

 

「……叔父さん、こんな所で油売ってる暇あるの?」

「店長……大丈夫なんですか?」

「ああ、もう問題ない。最後のトリのバンドまで出演準備を終えて、後は他のスタッフに仕事を任せてきたからね。だから僕は、あの子達の“覚悟”をこの観客席から見届けようと思って来たのさ」

「店長、という事は志歩は……!」

「ああ、安心して良いよ彼氏君、志歩ちゃんは無事に間に合った。後はこの次の出番を待つだけさ」

 

 そう言う店長に、波音は話を戻すように尋ねる。

 

「叔父さん、さっきの言葉って一体どういう意味……?」

「どういう意味もなにも、僕達ミュージシャンにとって“音楽”は、言葉以上に自分の意思を伝えられる特別なモノさ。だったら僕の口から言葉で語るのは無粋。その真意はこれから始まるライブで——君自身の耳で確かめるといいんじゃないかい波音?」

 

 そんな店長の言葉を合図にしたように、ステージの方では歓声と共にパンフレット上に刻まれている最後のバンドのライブは終了した。

 

 それと同時に観客は一斉にざわつき始める。

 

「なぁ……今のが最後のバンドだよな? お前、帰るか?」

「馬鹿野郎……誰が帰るか。“アイツら”が帰ってくるかもしれないのに、帰る奴なんてこの場に居る訳ないだろ」

「勿論そうだよな! 俺も店側から退場の案内があるまで諦めないぜ……今日“アイツら”が帰ってくるんだ……! そう信じてるぜ……!」

「ねぇねぇ! 今日本当に“あの人達”が帰ってくるって本当!?」

「おちつきなよあんた……まぁ、わたしも似たようなものなんだけどね。というか、今日ここに集まった人は正直全員——“それ”目当てでしょ?」

 

 しかし、ライブは終了したというのに観客達はそんな言葉を口々に話し合い、一向に帰る様子を見せない。

 その理由はただ一つ、例え店側から何も明言はされていなくとも観客達はある一つの予感と共にこのライブハウスに集っていたからだ。

 

 ——“あの” 『Asgard(アースガルズ)』が帰ってくる。

 

 このライブハウスから生まれた、それこそガールズバンド界の“伝説(レジェンド)”と呼んでも異を唱える者など居ないような、自分達の心にそれだけの存在感を刻み込んで、今も色褪せず心の中から消えることが無いほどに苛烈な奴らが、今日この場で帰ってくる。

 そんな、どこから聞きつけたのか分からない噂話を頼りに集った観客達だらけだった。

 お陰でライブハウスは以前よりも満員御礼。観客の熱気は今が最高潮と言っても過言では無かった。

 

 そんな最中(さなか)、ついにその期待に応えるかのように照明がライトアップされる。そして、光る壇上に一人ずつ、今宵最後の演奏を務めるバンドメンバー達が現れる。

 やがて、現れる者達を称えるように観客は大きな歓声を上げる。

 

 ——桃色のゆるふわな毛先を揺らし、人当たりの良さそうな笑みで観客に小さく手を振りながらドラムの席に座る女性。

 

「『Asgard』のドラム担当のシェヴンだ…! “雷神(らいじん)”シェヴンだぁ!! マジだ! 噂はマジだった!!」

「おぉぉ……! やったぁ! また聴けるぞ、あの稲妻のようなドラムが! あの可愛らしい見た目に騙されんな? 知らねぇ奴はヘソ隠すみてぇに腹抱えてろ! 腹に力入れてねぇと魂まで演奏に持っていかれちまうぞ!」

「おおおおーー!! シェヴンちゃーーん! 結婚してくれぇぇーーー!!!」

 

 ——黒の姫カットボブヘアーを揺らし、少し切れ目な黒い瞳で観客に視線を送ってフッとクールに笑ってキーボードの前に立つ女。

 

「『Asgard』のキーボード担当スノトラ! “地龍(ちりゅう)”スノトラがステージに戻ってきた! おいおい……まさか、本当に、今日が復活の日なのか……!?」

「人間技じゃないぐらい速く正確なキーボードの指捌き、圧倒的な音数が為す地の底から響くような音の衝撃で、俺達の鼓膜に一方的に絡みついて離さず吠え猛る、まるで竜の咆哮のようなあのキーボード演奏がまた聴けるのかよぉぉー-!!」

「キャァァーー! スノトラ様ァーー!! 私の事見てぇぇーー!!」

 

 ——そしてその観客の歓声は、次に入ってきた者のカリスマ性を証明するかのように、深紅のロングヘア―を風にたなびかせながら登場するのを見た瞬間、最高潮に達する。

 

「おおおおおおおおおおおー――!!! やったぁ……噂を信じて来て良かったぁ……! 『Asgard』のボーカル兼ギターのフレイアが帰ってきた! あの“炎帝(えんてい)”フレイアが帰ってきたぞぉぉぉーーー!!!」

「その歌声は君臨すること火焔の如し、制圧すること猛火の如し、支配すること烈火の如し、鏖殺(おうさつ)すること劫火(ごうか)の如し……! もう終わりだ! お前ら遺書は書いたか!? あの女が歌った時が最期、俺達は骨も残らず燃え尽きる定めだぞ! 命が惜しくねぇ奴だけ此処に残ってろぉ!」

「歌唱力だけで言うなら、『ビビットストリート』からあの“伝説(レジェンド)”——(なぎ)が消えた今、復帰すればその女帝の座に最も近いって噂で持ち切りの女が、今ここに帰ってきたぞぉ!! お前ら今日は宴だぁぁぁーー!!」

「フレイア様ぁぁーーー!!! あたしと結婚してぇぇぇーーー!!」

「愛してるぜフレイアァァーー!!」

 

 そんな狂乱の騒ぎに包まれる観客席を睥睨し、三人は共に互いに視線を交わして小声で会話する。

 

「——ハッ、3年振りに帰って来てみりゃこの騒ぎかよ。やめて欲しいよなぁ? そんなに愛されちゃぁ、今からアタシの歌で焼き払ってやる犠牲者の奴らだってのに、変に情が湧いちまうじゃねぇか」

「……と、言いながら口元緩んでるっすよ頭? 悪い気はしてないんじゃねぇっすか?」

「やーめろやスノトラ、見てんじゃねぇよ」

「……左端最前列の女、三列目中央の男、その(ツラ)覚えましたわ。私のドラムで鼓膜ブッ壊して差し上げます……私のフレ様に手を付けようというなら、それなりの覚悟ってものを見せて頂かなければいけませんわよねぇ?」

「ちょ、やめるっすよシェヴン、自分等の事ずっと待っててくれたファンじゃねぇっすか、あれぐらい可愛いもんって思う事は出来ないんすか?」

「ふふっ……私、同担拒否強火オタですので、申し訳ございませんけども推しは共有出来ないんですわぁ……」

「はぁ……変わってねぇっすねぇ本当に二人共……ま、テンション上がってんのは自分もなんすけどね?」

 

 そんなやり取りを交わす中、そこでフレイアは表情を少し(けわ)しくさせながら呟く。

 

「——だが、まさかここまで観客共の熱がアガってるなんて想定外だ。どっからアタシ等が演奏するって今日の情報が漏れた? この流れマズイぞ、この後が心配だ……」

 

そんなフレイアの懸念を描いた通り、観客の熱は更に無秩序な程に上がっていく。

 

「おいおい……ついに三人揃ったぞ。じゃあ後一人は“アイツ”に決まってるよなぁ……!?」

「勿論だろ、この面子を従えられる奴なんてアイツ以外に居る訳ねぇ! 『Asgard』のベース担当兼リーダー、“氷の女王(アイス・クィーン)”イズ!」

「氷のように冷静沈着、ミス無く正確無比なリズムを刻み続ける演奏! そのベースの音はこの三匹のバケモン達が激しく暴れる戦場に、どんな時も君臨し続ける……!」

「『Asgard(アースガルズ)』の屋台骨にして大黒柱! 目立つ特技なんて他三人に比べたら何もねぇってよくネットで言われてたけど、俺はお前の演奏が好きだぜ! だから帰って来てくれぇーー!!」

「アタシも好き! あんたの演奏には勇気もらってるんだよ! だから帰って来てぇ!」

「「「I・ZU! I・ZU! I・ZU!」」」

 

 客席で湧きおこる『イズ』を求める観客の大コール。波音は、その目の前の光景が信じられず、ただ目を見開いていた。

 

「これは、どうして……? 私なんて、三人に比べたら何にも才能なんてないのに……」

「そんなに不思議なことはないよ、波音。いつの時代も観客(オーディエンス)は飛び抜けた才能ある者よりも、特別に光る才能がなくとも泥臭く努力し続ける者に共感し、応援したくなるものさ。君の場合は才能がない事なんて、夢を諦める理由になり得ない」

 

 店長の言葉に共感するように司は頷き、口を開く。

 

「その通りだ。波音の努力する姿は、此処に居る多くの者に希望を届け続けたという証。この歓声が答えなんじゃないのか? 波音も、立派に誰かに希望を届け続けた“スター”なんじゃないのか?」

「司くん……でも、私……どんなに求められてるって分かっても、関係ないよ。私は、そんな理由でベースを置いたんじゃない……!」

 

 少し震えた声でそう呟く波音。しかし、ここで店長と司は二人して苦い表情で言う。

 

「だけどしまった……これは僕のミスだ。すまない志歩ちゃん、こうなる可能性を考慮するべきだった……このままじゃ不味い」

「この感覚、不味い……オレの専門はショーだが同じ舞台、今起きている事ぐらい分かるぞ。集団心理も合わさって膨れ上がった期待、なら裏切られた時の落胆も、相当——!」

 

 そんな二人の懸念と同時に、硬い表情で最後に舞台に現れたのは志歩だった

 ——同時に、観客席からはどよめきと失望の声が上がる。

 

「え……ウソだろ? なんで、イズじゃねぇんだよ……!?」

「代理のベース……? ジャケット着てるって事はここのライブハウスのスタッフなの? いや、でもまるで子供じゃない……どういう事?」

「クソッ……やっぱり、病気でリーダーが抜けて活動が出来ない状態だったっていう噂は、マジだったのか……!? そんな……!」

「嘘、誰よあの子、中学生の子供? あんな子供がイズさんの代わり!? 何それ……!」

「あんな子供が『Asgard』のベースを演奏すんのかよ……あり得ねぇ……レベルが違い過ぎるだろ……!」

 

 そんな失望の空気感に迎えられながら、志歩は少し俯きながら静かに壇上の定位置に立つ。

 ただでさえ初舞台のプレッシャーを感じている上に、追い打ちのように浴びせられるまるで自分の存在なんか誰一人として望んでいないかのような言葉の数々。

 これには志歩も(こた)えずにはいられなかった。

 

(……今日集まってる人達の雰囲気を見たら、もしかしたら、こうなってもおかしくはないって覚悟はしてた。でも、まさかここまでだなんて……! 息が苦しい、こんなの……クラスで無視されてる時より何十倍もキツイ。まるで世界全部から存在が否定されてるみたいな気がする。これが……身分不相応の舞台に上がる感覚、“場違い”の感覚……!)

 

 その場の空気の重さに耐え切れず、上手く呼吸が出来ずに息を荒げる志歩。

 そんな明らかに苦しそうな少女に対し、熱に浮かされた観客達はそれにも気づけず、失望を次第に苛立ちに変えながら罵声を一方的に浴びせる。

 

「み、認めねぇぞ! オレは認めねぇ!! せめて百歩譲って代理を立てるとしても、()()はお前みたいな子供(ガキ)が立ってていい場所じゃねぇんだよ!!」

「そうよ! あなたみたいな子供が演奏するぐらいなら、ベースはいない方がマシよ!」

「そうだ! 俺達の『Asgard』を汚すな! 帰れ!!」

「さっさと退場しろ! お前みたいな奴が来るのは場違いなんだよ!」

「帰れ帰れーーー!!!」

 

「———っ!」

(司さん……ごめんなさい。私、やっぱりもう……駄目みたいです……)

 

そんな観客からの志歩に対する冷たい言葉の数々に、志歩は堪えきれず涙目で司に心の中で謝りながら下唇を噛み締めた。

 

「おいそこ、何ボーっとしてる!? 早くアナウンスして騒ぎを止めるんだ、早く……!」

「し、志歩ちゃん……私の所為で……! ごめんなさい……!」

 

 この明らかな異常事態に店長は、即座に近くのスタッフに小声で事態の鎮静化の為のアナウンスをするように働きかけ始め、波音は真っ青になりながら震える声を上げる。同時に志歩の為に動き始めたのは壇上も同じだった。

 

「——チッ、思った通りだ。相変わらずアタシ等のファンは血気盛んな奴が多すぎじゃねぇのか……!?」

「……へぇ、自分(ジブン)等に文句言うんじゃなくて、目に見えてビビってる小さい子にキャンキャン吠えるなんて、見下げ果てた根性……こりゃまた“(しつけ)”のし直しっすかねぇ……?」

「うふふふ……鼓膜ブチ破るの、早めの予定になりそうですわね」

 

 フレイアはマイクを手に取り構え、スノトラは不良の現役時代を彷彿とさせるようにスッと鋭い目つきで観客を睨みつけキーボードに指先を添え、そしてシェヴンは怪しげな笑みと共にスティックを高速でグルグル回し、高くドラムの上に掲げて叩きつけようとする。

 

 ——しかし、その誰もの行動が、ヒートアップした観客の一人の暴挙に間に合わなかった。

 

「このっ……! さっさと引っ込めって言ってるんだよ!」

 

 一人の男はそう叫ぶと同時に、あろうことか手に持っているまだ中身のたっぷり入ったコーラの缶を、志歩の顔面に向かって勢いよく投げつけた。

 

「…………!?」

 

 志歩は当たると思って堪らず目を瞑り、フレイア達は気づいて『志歩!』と叫びながらも庇おうとするも、それは明らかに間に合わない距離だった。

 

 ——そして、一人の観客の行き過ぎた行為により一瞬静まった会場内で、バシャリと激しい水音とカランと缶が地面に転がる音が壇上で響く。

 

 志歩は自分がコーラを被った音だと思い恐る恐る目を開けて自身を確認すると、何故か自分は一滴も濡れていない事に気付く。

 そして、不思議だと思い目を前に向けるとそこには——

 

「——っ!? つ、司さん!?」

 

 自分を庇うようにして壇上に立ち、自分の代わりに顔面からコーラ缶を受け、黒い水滴で顔全体と髪をポタポタと濡らす司の姿があった。

 司は背中越しで顔だけ志歩に振り返り、濡れた顔のままで志歩の方に笑みを向けて言う。

 

「…………無事か、志歩?」

「だ、大丈夫ですけど、司さんが……!」

「ふっ……この程度何も心配は要らん。なに、水も滴る良い男という言葉もある、ならこれで一層オレのスターとしての輝きは増すというものだろう?」

「いや、でも……私を庇って……!」

 

 するとそこで、コーラ缶を投げた男は司に向かって声を上げる。

 

「——な、何やってるんだよ! また子供か!? 部外者で子供が壇上に上がってるんじゃねぇ!」

「そうよ、関係ない子は帰って頂戴!」

「そうだよ! 帰れ! 神聖な今日のステージを何も知らねぇ子供が土足で汚すな!」

「そうだそうだ! 帰れ帰れーー!!」

 

 そんな言葉を吐く観客達に、司は壇上に立ったままゆっくりと視線を観客達の方に戻す。

 そしてまるで内心からこみ上げる怒りが(こも)ったような力強い眼光を己の瞳に宿しながら、普段は大声を張り上げる彼とは思えない程に静かに、しかし誰もが無視できないかのような圧倒的な覇気が乗った、威圧の言葉を吐く。

 

 

(だま)

 

 

 その司のたった一言で、あれだけ騒いでいた観客席の者達は司の威圧に気圧(けお)されるかのように全員ビクッと身震いし、一瞬で静まりかえる。

 

 中学生の少年の言葉に、大の大人が全員従った。否——天馬司という()()が従わせた。

 それは彼が掲げる“世界の大スター”という唯一無二の目標。『皆に笑顔を与える事(その本当の目的)』を忘却した身で、ただ“スター”という目標にのみ向かって、()()()()()()我武者羅に歩む彼だからこそ放つ事が出来る、()()()()()()()()()()()()()事すら(いと)わないその圧倒的な気迫。

 やがて世界の上に“君臨”してみせるという、司のその志が彼に身に付けさせた、誰も無視する事の出来ない程の“存在感”が為す技。

 

 その光景はまるで、壇上に突如降臨した帝王に恐れ(おのの)き平服する、哀れな下々(しもじも)民草(たみくさ)彷彿(ほうふつ)とさせる程だった。

 その影響は観客席にのみ留まらず、慌ただしく事態の収拾に取り組んでいたスタッフ全員や店長や波音——そして壇上のフレイア達でさえも、肌がビリビリと粟立(あわだ)つ程の恐怖感を司から一瞬感じ、動きを思わずピタリと止めてしまう。

 

 ——そして、観客席のみならず今のライブハウス全体を静寂に包ませ、その注目を一身に浴びる一人の未来の大スターは、そこでフゥと小さくため息をつき怒りを飲み込むかのように表情を少し緩ませ、威圧する瞳を閉じながら言う。

 

「……オレは確かに音楽の事は何も知らない。ライブハウスに来たのですら今日この日が初めてだ。だから、部外者でこの場に立つ資格は無いという(そし)りは甘んじて受けよう——だが、そんなオレでも分かる事はあるッ!」

 

 司はそこでキッと目を見開き、舞台の上から己の意思を高らかに叫ぶように声を張る。

 

「それは! 此処に居る者達は、全員“音楽”というものを愛しているという事だ! 舞台の上に立つ者はその一回一回の演奏に魂を()け、それを観る者達は全力で声援を送り盛り上げて共に最高のひと時を作り上げるッ! この場は……そんな音楽を愛する者達が集う場ではないのか!? 目を覚ませ! そして自分達が行っている行為をもう一度冷静になって振り返れッ! ——それが“音楽”を愛する者達がする行為か!?」

 

 その司の魂の叫びが通じたのか、観客達はそれぞれバツの悪い表情になってその場で俯く。

 司は重ねるようにして声を張り上げ、言葉を叫び続ける。

 

「お前達が心動かされるモノは何だ!? 壇上に立つ者の容姿か!? 人種か!? 性別か!? 歳か!? ——そんなもの、全て違うだろう!? お前達は今日これから演奏する者達が奏でる“音楽”そのものに惹かれて集まったのだろう!? ならッ! 演奏を聞く前に見てくれだけを見て、思っていた者と違うからと罵声を浴びせるのは違うッ! この者達が奏でる音楽を聴いてからの判断にしろッ! 音楽家(ミュージシャン)という者達は、音楽に自らの魂の意思を乗せられる者達なのだろう!? なら、その音楽(言葉)を何故聴いてやらんのだ!? それでよくこの者達のファンが名乗れたものだな! 『Asgard』という存在を一番汚しているのは誰か、もう一度よく考えてみろッ!!」

 

 ビリビリと大気を震わせるかのような大声で、マイクも無しに会場全体に響くように観客に向けて高らかに言葉を叫ぶ司。

 そんな司を見て、壇上のフレイア達はフッと笑みを浮かべて小さく呟く。

 

「ハッ……なんだよ、素人の癖に分かってんじゃねぇか。大演説カマすのは良いけど、アタシがこの後に言う事もちゃんと残しとけよ——色男」

「へぇ、言ってくれるじゃねぇっすか。今の現代っ子は世間様に過剰に守られて、すっかり骨抜きになっちまったって聞いたっすけど……志歩ちゃんといい彼氏君といい、こんなに根性ある奴が居るんなら……案外今の子供も捨てたモンじゃないっすねぇ」

「ふふっ……素敵な殿方(とのがた)ですわね。気を抜いたらうっかり“推し”が増えてしまいそうですわ」

 

 そんなフレイア達の呟きに続くように、演説をする司に庇われるような位置に居る志歩は、その司の背中をただ見つめて思う。

 

(さっきの一瞬だけ、司さんの事が怖いって思ってしまったけど……でも、よかった。やっぱり司さんは司さんだった。いつだって何かに一生懸命で、自分の心に譲れないたった一つの主張があって、守りたいモノの為に必死で……だからこそ時々、滅茶苦茶に見える事だって迷いなく実行する勇気がある。あぁ……すごいな、私にはこんな事できない。一歌達と離れるって決めたのに、まだ諦めきれずにずっと引きずってる私なんかとは大違い……ああ、そっか、それが貴方って人なんですね司さん)

 

 そして志歩は、自然と心臓の鼓動が早く脈を打つのを感じながら、静かに実感を伴うような感覚と共に自覚する。

 

(——ああ、好きだな。そっか……やっぱり私は、司さんの事が好きになってたんだ。この滅茶苦茶で、いつだって私のペースを乱してくるような、そんな無神経だけど本当は誰よりも優しいこの人の事が……私は好きなんだ)

 

 そんな想いを自覚する志歩の眼前で、司は言葉を重ねる。

 

「そして言わせてもらう! お前達がこの場に立つのにあまりに幼く、分不相応だと侮ったこの者は、オレが知る限り最も音楽に情熱を捧げている者だ! ベースというモノに最も深く拘りがある者だ! そんなオレの友を、その実力を見定めずに非難するその姿勢は全くもって理解できん! だからこそ聴け、そして——」

 

 そこで司は言葉を区切り大きく息を吸い込んでから、志歩の実力を見ろという言葉を、彼らしい大仰な煽りを含んだ言葉に言い換え、ライブハウス中に響く大声で叫ぶ。

 

 

「——刮目(かつもく)せよ!! 魂の演奏に!!」

 

 

 そんな司の大仰な言葉を聞き、思わず志歩は照れて即座に口を開き——しかしその表情に、隠そうとしても漏れ出す喜びの笑みを浮かべながら言う。

 

「そっ、そういうのはいいので……」

 

 志歩はそう呟きながら、その口元が緩みきった表情のままベースを構える。

 そして志歩は、コクリと頷いて司に言う。

 

「……でも、ありがとうございます司さん。ここから先は私に任せてください、魂の……とまでは言いませんが、今の私の全力全開の演奏を——他の誰でもない貴方に捧げます」

「志歩——フッ、そうか! お前を侮った者達に()せてやれ! その力を!」

「——はいっ! 司さん!」

 

 そんなやり取りを最後に交わし、司は壇上から素早く飛び降りる。

 直後に志歩は、まるで司の信頼の言葉に応えるかのように、今まで抑圧していた感情を全て放出するかのように——自らの踊るような恋心を起爆剤にして、その場でベースの弦を即興でかき鳴らす。

 

嗚呼(ああ)……心が跳ねるように軽い! 今なら何だって出来そうな気がする!)

 

 ———— ♪ !

 

 その瞬間、まるで志歩の指先から弾けるように散ったベースの音の火花は、まるで観客席に大きな花火のように広がって、観客達を驚愕でどよめかせる。

 

「なっ……なんだよ今の速弾き……!?」

「今の数秒の演奏にどれだけの技術が詰まってたんだよ……分からねぇ、ただ分かるのはオレなんかじゃ到底真似できねぇ演奏だって事……!」

「嘘……今の演奏、本当にあの子がやったの? 信じられない……!」

「本当にあの子、中学生なのか……!? 大人顔負けの技術してるじゃねぇか……!」

「私……さっきの子が言ってた通り、今日ここに来た目的を見失ってた……! 私は『Asgard』の演奏が——“音楽”が好き! ごめんねベースの子ちゃん! イズの代わりに舞台に立ってくれてありがとう!! 私、あなたの事応援するよー!!」

「さっきは本当に悪かった! 俺も応援する! 今のお前の魂の演奏痺れたぜーー!! もっと聴かせてくれぇーー!!」

 

 そんな反応を聞いて、志歩は壇上で確かな手ごたえと共に内心で喜ぶ。

 

(よし、このタイミングで単独演奏(ソロ)は正直賭けで、もし失敗したら全部が逆効果だったけど——上手くいった。これで私がこの舞台の上で演奏しても良いような空気が生まれた……! ありがとうございます、あなたのお陰です司さん……!)

 

 そして、そんな志歩のベースの演奏は観客達の心を完全に捕え、先ほどまでの罵詈雑言はどこへやら、志歩を称える声が多くなっていく。

 そんな会場の空気の変化を見て店長は、戻ってくる司を見据えながらニヤリと笑って言う。

 

「……いやぁ、参ったよ。やってくれたねぇ彼氏君。最初の志歩ちゃんがアウェイな空気が、今じゃ完全に正反対だ。君が一度リセットをかけて、そして志歩ちゃんのベースの腕が手繰り寄せたこの空気……君の演説力には目を見張るものがあるね、その年で大したものだ」

「いえ、オレは……ただ志歩の為に行動しただけなので」

 

 そんな謙遜する司に、波音はそっと車椅子で近づいて濡れたタオルを差し出す。

 

「……あの子達の舞台の為にありがとう司くん。スタッフの人に言って持ってたタオル濡らしてもらったから、これで顔拭いて?」

「あぁ、そうだな。ありがとう波音、助かる」

 

そう言ってタオルを受け取る司に、波音は少し寂寥感を滲ませたような笑みで言葉を吐く。

 

「でも……君は私とは違って、観客を圧倒して注目を()きつける凄い才能があるんだね? さっき君には仲間が必要だって言ったけど、あれは忘れて? 君ならきっと、仲間が居なかったら何も出来なかった弱い私なんかより、一人で夢に向かって突き進むことが出来る才能があるよ」

 

 その言葉に対し司は、何とも言えない表情で返す。

 

「——いや、褒めて貰って悪いが……なんというか、上手く言葉に出来んが“さっきの”は少し違う気がするんだ。——何故だ? 注目を浴びるならアレで間違っていない筈……分からんな、全くわからん。だから……この今抱えた疑問を解決する為にも、オレはいつか波音の言う“仲間”というものを作った方が良いのかもしれん」

「……そっか、うん、だったらいつかそんな人が見つかると良いね?」

「そうだな……そして、今度はお前の仲間がきっと、今のお前に大切な事を音楽(言葉)で伝えてくれる番だと思うぞ?」

「——えっ?」

 

 そう言って波音がキョトンとした時、舞台の上ではフレイア達が志歩の単独演奏(ぶちかまし)に湧く観客達を見て、小さく言葉を交わす。

 

「あはははは、どうするっすか頭ぁ? 折角の3年ぶりの舞台なのに、自分ら完全にあの二人に主役の座を食われちまってるっすよ?」

「司さん……か。あの彼氏“司”って言う名前なのか、覚えとくぜ。あんな事するほど彼女の事愛してんのに、名前も聞かずに目の前で彼女拉致(らち)るなんて失礼な真似しちまったなぁ、後で色々詫び入れねぇと。だが——ハハッ! イチャつくのは良いがアタシ等より目立ってんじゃねぇよバカップル共が」

「はぁ……自信満々で強引系年上彼氏と、敬語ツンデレ系年下彼女のCP(カプ)……推せますわ! 司×志歩はアリ! 私、喜んで壁にならせて頂きます!」

「ばーか言ってんじゃねぇよシェヴン。よし……そろそろ頃合いだな」

 

 そう呟き、フレイアは静かにマイクを取り、ざわつく観客達に対し言葉を発する。

 

「——オイお前ら、久しぶりだな」

「「「「「——!?」」」」」

 

 フレイアは静かにそう一言を発したのみだった。

 しかし、その瞬間に観客達が、まるで音が伝わる波のようにバッと顔をフレイアに向ける。

 その声には、ステージに現れた若き新星の実力に浮かされる観客達を、一瞬で正気に戻すだけの気迫があった。存在感があった。

 フレイアはその存在感を全く緩めないままに、続けて言う。

 

「本当はお前らに言いたい事はさっきまで山ほどあったが……どっかの色男がアタシの台詞全部()っちまった。だから、もうアタシからさっきのお前らに対して言う事は何もねぇ——それはお前ら自身が良く分かってんだろ? ……こんな悪ガキ共を三年も待ってくれてるんだ。そんなお前らの良心ってやつを、アタシは信じてるぜ?」

 

 そのフレイアの言葉に、観客達は一斉に神妙な顔つきになり押し黙る。

 観客の誰もがフレイアの言葉に耳を傾けた。

 その事実だけで、フレイアという存在が持つカリスマ性の強さを示しているような光景だった。

 

「だけど……お前らをそこまでイラつかせちまったのは、アタシ等の所為でもあると思ってる。殆ど何にも言わずに三年前、こんなにアタシ等の事を応援してくれてるお前らを置きざりにして、舞台(ここ)から勝手に去っちまった。今この場を借りて謝らせてくれ——本当にすまねぇ」

 

 しかし、そんな天上天下唯我独尊を地で行くような性格に見える彼女は、そこで神妙な顔つきで舞台の上で丁寧に頭を下げ、それにスノトラもシェヴンも続いた。

 

「……嘘」

 

 フレイアの思いもしなかった行動に、つい呟いてしまったのは志歩だったが、それは観客席も同じのようでその場は驚愕が支配する。

 そして、暫くした後に顔を上げて彼女は続ける。

 

「消えてた理由は見ての通りだ。イズは今、舞台(ここ)に立てない身体になっちまった。それを言わなかったのは、イズが弱い部分をファンの皆に見せたくねぇって言い張ったからだ……でも、結局今もまだイズはここに立ててねぇ……それは、身体だけの問題じゃねぇ、心が完全にポッキリと()っちまった所為なんだ。もう引退するから、アタシ等だけで活動を再開してくれってな……だから、今日アタシ等は舞台(ここ)に戻ってきたんだ」

 

 その言葉に、観客達はざわつき『そんな……』『イズちゃん……』という悲しみの声で包まれる。

 その光景を見て、波音は目を伏せ車椅子の持ち手をギュッと握りしめ『これでよかった』と小さく諦めの言葉を呟いて頷く。

 しかし、その直後にフレイアは大きく声を張り上げて言う。

 

「だからアタシ等は決めたんだ! 今日このステージで! 空っぽで何も目的もなく暴れてただけのあの頃のアタシ等にアイツがくれた“夢”を——今度はアタシ等が歌と演奏で返す番だってなぁ!!」

「——えっ?」

 

 その言葉に、思わず波音は顔を上げてフレイアを見上げる。

 しかし、その隣に居る司はそれを当然だという顔で頷いて口を開く。

 

「ふっ……やはりそうだと思ったぞ、さっきステージの間近であの者の目を見て確信した。あの目は……大切な者を諦めに来た目ではないとな!」

「つ、司くん……でも、そんな……なんで……私……!」

「波音、聞いてやれ。お前が大事だと語った“仲間”の音楽(言葉)を!」

「——っ!」

 

 そして、息を呑む波音に壇上のフレイアは、司と波音の居る方に視線を送りニヤリと最高に不敵な笑みを浮かべながら、高らかに叫ぶ。

 

 

「聴け! これが“世界最強のベーシスト”イズに捧ぐアタシ等の“魂の演奏”だッ——!」

 

 

 そのフレイアの叫びに呼応するように、観客は熱狂の叫びを上げる。

 

 それは日野森志歩にとって、ベーシストとしての戦いの始まりの合図だった。 

 

 

 

 

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