異世界卜部 〜異世界でもコードギアスの世界でも四聖剣は虚名にあらず!〜   作:シャール

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異世界活劇編
卜部 と 奇跡


「く……ううっ……。」

 

 一体、何が……。俺は……確か……。

 

 霞のかかった意識の底から、悲惨な光景がゆっくりと浮かび上がる。

 

 ブラックリベリオン。

 あの戦場で、俺は死んだ……はずだった。

 

 だが、重い瞼を押し上げて最初に見えたのは、死後の世界などではなかった。

 

 視界に入ったのは、布張りの天井だ。

 天幕……か。粗末ではあるが、見覚えがある。

 

 頭に手をやる。そこには布が何重にも巻かれていた。どうやら頭部の傷は、誰かが手当てしてくれたらしい。

 

 状況を確かめようと、仰向けのままゆっくり顔を巡らせる。

 そして、その先にいたのは。

 

「千葉……!?」

 

 横たわっていたのは、顔の左半分に包帯を巻かれた千葉だった。

 まだ意識は戻っていないらしい。静かに寝息を立てている。

 

「ようやく起きたようだな。」

 

 声に顔を向ける。

 そこに立っていたのは。

 

「アリシラか……!!」

 

「全く。帝都で何があったというのだ。それにカルメンは消えているしな。」

 

 ……そうか。

 俺は、戻ってきたのか。

 

「それにその女。何者だ?」

 

 俺のギアス。異世界を渡るギアス。

 そうか……それで千葉まで連れてきてしまったのか……。

 

「俺の知り合いだ。……できれば詳しくは聞かんで欲しいが。」

 

「軍人としては聞き捨てならんがな。だが、カルメンはどこへ行った?お前なら何か知っているのだろう。」

 

 残してきてしまったのか……。

 俺の世界に。

 

「分からん。すまない……。」

 

「……そうか。しかし困ったな。流石にここでは、もう面倒を見きれん。傷が癒えたら出て行ってもらうしかない。」

 

 空気の端々からも分かる。

 状況は良くない。

 

「上にバレたんだ。どこかのお偉いさんの指示か何かだろう。」

 

 ヴィトラ。

 あの小僧絡みか。

 

「転移広場での証言は取れている。お前とカルメンが同時に転移したとな。だから、少なくとも私は疑うつもりはない。」

 

 本来なら、罪人として扱われてもおかしくはない。

 それがこの程度で済んでいる。ならば、見えぬところで相当手を回してくれたのだろう。

 

 ……貸しを作ったな。

 

「やあ、卜部くん。」

 

 天幕の入口が開き、カルメンの姉、エーリカが入ってくる。

 

「やはり妹のことは何も知らないのかい?少しでも情報があると良いんだけど……。」

 

 その顔には無理に取り繕った明るさがあった。

 だが、目の下に落ちた薄い影までは消しきれていない。妹の行方知れずが堪えているのは明らかだった。

 

「すまないが……。」

 

「うん、うん。そうだよね。卜部くん自身も、何が起きたのか分からないだろうし。そうだよね。」

 

 本当は知っている。

 だが、それを口にするわけにはいかなかった。

 

「……ここはどこだ……?」

 

 俺たちの声で目を覚ましたのか、千葉が低く呟く。

 

「千葉。無事だったか?」

 

「何だ、卜部か……?それにしてもここは……野戦病院か?うっ……!」

 

 千葉が顔に手をやる。

 包帯の巻かれた箇所が痛むのだろう。眉がわずかに歪んだ。

 

「回復薬を持ってこよう。」

 

 アリシラはそう言い残し、天幕の外へ出て行った。

 

「ブリタニア人……か?」

 

 千葉がエーリカを睨みつける。

 

「え?僕たちはアルタニア帝国人だけど……?」

 

「アルタニア?聞いたことがない。それにその鎧……。」

 

 無理もない。

 ブラックリベリオンで敗れたところで記憶が止まっているであろう千葉にとって、この光景はあまりにも脈絡がなさすぎる。

 

「千葉、後で説明する。だが今は安全だ……。」

 

「そう、か……。だが私は敗れたのだな。」

 

 千葉が悔しげに歯を食いしばる。

 その短い一言だけで、彼女が何を呑み込んだのかは十分だった。

 

「卜部くん。どうやら彼女はキミと同郷の人間のようだね。」

 

「ああ。そうなんだ。だが……。」

 

 どう説明したものか。

 言葉にしようとすると、どこから切り出しても荒唐無稽になる。

 

「稀に起こる転移事故。その可能性もあるかもしれない。まさかカルメンとキミはそれに巻き込まれて……。」

 

「転移……事故?」

 

 千葉が首を傾げ、鸚鵡返しのように同じ言葉を繰り返す。

 

「キミの知り合いがここにいる以上、一般的なそれとは違うのかもしれない。だけど調べてみる価値はある。カルメンが……妹がいなくなってしまったからね。」

 

 エーリカは一度だけ咳払いをした。

 感情を整えるための間に見えた。

 

「とにかく。キミらはケガをしている。治るまではここで面倒を見るよ。……って、アリシラがもう言ってるかな。」

 

 頬を掻きながら、エーリカは少し困ったように笑う。

 

「しかし俺たちはどこへ行ったらいい?」

 

 不安がないといえば嘘になる。

 彼女たちと寝食を共にした時間は、まだそう長くはない。いくら一度自分の世界に戻っていたとはいえ、こちらではせいぜい数日ほどの縁に過ぎないのだ。

 

「徒歩で十日ほどのところに、テノシーという街がある。とりあえずはそこに向かうといいよ。ギルドもあるしね。」

 

 確かに、それが最も現実的だろう。

 そもそも俺は、この世界で旅をしようと思っていたのだ。根無草の浪人。今の俺には、その言葉がよく似合う。

 

「それがいいだろうな。」

 

 要するに、転移してきた時と似たような状況に戻るだけだ。

 ただ妙な縁ができ、いくつかの因縁を背負った。それだけの話だ。

 

「とにかく、しっかり養生すること!その傷なら、一週間ほどは滞在するだろうし、その間にゆっくり話を聞くとするよ。ではね。」

 

 彼女は軽く手を振り、天幕を出ていった。

 

 そうして、不意に千葉と二人きりになる。

 

「なあ、卜部。この状況は……。」

 

 千葉の声はかすかに揺れていた。

 それを千葉ほどの女が隠しきれない。それだけで、今の異様さは十分だった。

 

「前に俺が言った戯言を覚えているか?」

 

「異世界での鍛錬……か?」

 

「まあ、それだよ。」

 

「それってお前……。」

 

 千葉は深く息を吐いた。

 

「卜部。お前が嘘を言っていないと分かってはいたが……。事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだな。」

 

「まあ、幻想小説みたいな世界ではある。」

 

 そこへ、再びアリシラが天幕に入ってくる。

 

「持ってきたぞ。回復薬だ。少しは鎮痛効果もある。」

 

 彼女は千葉へ、緑色の液体が入った小瓶を差し出した。

 

「飲むのか?これを……?」

 

 千葉の顔に露骨な困惑が浮かぶ。

 だが俺が頷くと、千葉もまた小さく頷き返し、栓を抜いて一気に煽った。

 

「っ……!?」

 

 途端にその顔が歪む。

 どうやら相当不味いらしい。

 

「しばらく休んでいるといい。だが……。」

 

 アリシラが珍しく、気まずそうに言い淀む。

 

「どうした?」

 

「欠損した部位は治らない。悪いがな。」

 

 欠損……だと。

 

 俺は千葉を見る。

 顔の左半分に巻かれた包帯。まさか……。

 

「私の身体は、私が一番分かっている。」

 

 千葉は静かに包帯へ手をかけると、ゆっくりそれをほどいていく。

 

「っ……!」

 

 左目は白く濁り、もはや光を映してはいなかった。

 その周囲には、そこを中心に焼け爛れた火傷跡が広がっている。

 

「薄々感じてはいた。だが、卜部。お前の顔を見るに、どうやら酷いようだな。」

 

 言葉が詰まる。

 どれほどの戦場を見てきても、そういう沈黙だけは慣れなかった。

 

「箔がついたじゃないか。顔の傷跡は武士の誉と言うしな!」

 

「言わん!」

 

 言わんのか……。

 

「はあ……。戦士としては良いのかもしれんが、女としての私は……。」

 

 その先を言わせる前に、俺は口を開いた。

 

「見た目の話じゃないだろう。」

 

「え?」

 

「千葉の良いところは全部知っている。今さら顔が変わった程度で、何が変わる。」

 

「卜部……。」

 

 そうだ。

 見た目が変わろうと、それで千葉が千葉でなくなるわけではない。

 

「お熱いところ申し訳ないが、私は失礼するよ。」

 

 アリシラは苦笑を残し、さっさと天幕を出て行ってしまった。

 

「おい!誤解するな!私たちは!!」

 

 千葉が慌てて声を上げるが、もう遅い。

 

「なあ卜部。こんな顔でも藤堂中佐は……。」

 

「無論だ。」

 

「まだ最後まで言っていないんだが。」

 

「言わんとしていることは分かる。」

 

「そうか……。そうか。」

 

 なぜ二度言ったのだろう。

 その理由を考えるほど、俺は機微に聡くはない。

 

「もう私は寝る。疲れた。」

 

「ああ。ゆっくり休むといい。」

 

「お前もな。」

 

 意図せず、またこの世界へ来てしまった。

 だが、命運はまだ尽きていないということだ。まだ俺には、やり残した何かがあるのだろう。

 

 それが何かは、まだ分からんがな。

 

 俺は重くなってゆく瞼に身を任せた。

 

ー ー ー

 

 療養というものは、案外あっという間に過ぎていく。

 起きて、食べて、寝てを繰り返しているうちに、一週間はすぐに経っていた。

 

 傷も大分癒えた。打撲の鈍い痛みも、銃創の疼きも、今ではほとんど感じない。

 医術とはまた違う薬学。どこか東洋の漢方を思わせるそれには、素直に感心させられた。

 

 だが治りかけの傷は痒い。

 あれだけは、どうにもならんな。

 

「やはり分からずじまいか……。」

 

「本当にすまない。」

 

 俺はエーリカに頭を下げる。

 

「いや、いいんだ。僕は僕の方で探ってみるから。それにあのコなら、案外うまくやってるんじゃないかな。……なんて。都合のいい姉だな、僕は。」

 

 彼女もまた部下を率いる身だ。

 いつまでも妹のことばかり見ているわけにはいかないのだろう。

 

 実のところ、俺はギアスを使って何度も日本へ戻ろうとした。

 だが結果は全て不発。発動条件がまるで分からないのだ。

 

「そうだ、卜部くん。これを。」

 

 差し出されたのは、俺の軍刀だった。

 

「かなり汚れていたけど、手入れをしておいたよ。せめてもの餞別だ。」

 

「お前たちには迷惑をかけたな。」

 

 エーリカは柔らかくほほ笑んだ。

 

「さあ、行くといい。いつでも戻ってきてもいいからね。その時は冒険譚を聞かせてくれ!」

 

「ああ!!」

 

 荷を背負い、俺は千葉と共に野営地を後にする。

 

ー ー ー

 

 

野営地を離れてしばらく歩いたところで、俺たちは街道脇の大きな石のそばに腰を下ろした。

 

 昼の陽射しは強く、土の照り返しもきつい。

 千葉も流石に傷が癒えきってはいない。無言のまま歩き続けるには、少々骨が折れる距離だった。

 

「少し休むか。」

 

「ああ。正直助かる。」

 

 千葉はそう言って、近くの岩に背を預けた。

 左目を失ってから、まだ距離感が掴みきれていないのだろう。腰を下ろす動きも、以前よりわずかに慎重になっていた。

 

 俺は水筒を差し出す。

 千葉は受け取ると一口飲み、深く息を吐いた。

 

「それで、卜部。」

 

「うん?」

 

「後で説明すると言っていたな。この世界のことだ。」

 

 やはり来たか。

 無理もない。知らぬ土地どころの話ではないのだ。空の色こそ同じでも、ここは俺たちの知る世界ではない。

 

「ああ。とはいえ、俺も全部を知っているわけではない。」

 

「構わん。お前が知っている範囲でいい。むしろ全部知っていると言われた方が気味が悪い。」

 

「それもそうだな。」

 

 俺は街道の先を見やりながら、頭の中を整理した。

 どこから話すべきか。順序を違えると、かえって千葉を混乱させる。

 

「まず一番大事なことから言う。この世界は、俺たちのいた世界とは別物だ。」

 

「そこはもう疑っていない。」

 

「だろうな。俺も最初は夢か何かだと思った。」

 

 だが、空腹も傷の痛みも、そんな甘い考えをすぐに打ち砕いた。

 

「ここではブリタニアも日本も存在しない。少なくとも、俺が見聞きした範囲ではな。」

 

「では国はどうなっている?」

 

「もう分かってはいると思うが、俺達が今までいたのは、アルタニア帝国という国の領内だ。」

 

 千葉がわずかに眉を寄せる。

 聞き慣れぬ名に警戒するのは当然だ。

 

「帝国、か。となると、やはり君主制か?」

 

「そういうことになるな。貴族もいる。階級もある。平民も兵もいて、騎士と呼ばれる連中もいる。」

 

 科学技術の発達した帝国主義国家ではない。

 どちらかと言えば、中世だの近世だの、そういう類の匂いが濃い世界だ。

 

「だが、ただ古いだけではない。」

 

「というと?」

 

「魔法がある。」

 

 千葉が黙る。

 数秒ほど間を置いてから、真顔のまま問い返してきた。

 

「……冗談ではなくか?」

 

「ああ。」

 

「魔法、か。」

 

 千葉は言葉を転がすように繰り返した。

 口にした本人ですら、まだ現実感を持てていないようだった。

 

「火を出したり、水を操ったり、傷を癒したり。何でもかんでもというわけじゃないが、少なくともこの世界では珍しいものではないらしい。」

 

「傷を癒す、というのはあの薬もか?」

 

「あれは薬学と魔法の境目みたいなものらしい。俺にも詳しい理屈は分からん。ただ、効くことだけは確かだ。」

 

「なるほどな……。」

 

 千葉は口元に手を当て、少し考え込む。

 

「では、兵器はどうだ?銃やナイトメアのようなものは?」

 

「銃は見ていない。少なくとも一般的ではなさそうだ。」

 

「ナイトメアは?」

 

「無論ない。」

 

「だろうな。」

 

 その返事だけは妙に早かった。

 そもそも歩兵と騎兵、それに剣と槍が主力の世界に、あんな人型兵器がある方がどうかしている。

 

「戦いは基本、剣、槍、弓、あとは魔法だ。化け物みたいな獣も出る。」

 

「化け物?」

 

「ああ。俺も何度か見た。狼や熊をそのまま凶悪にしたようなやつもいれば、もっと訳の分からん代物もいる。」

 

「魔物、というやつか。」

 

「そう呼んでいたな。」

 

 千葉が空を仰ぐ。

 嘘をついている相手を見る顔ではない。事実として受け止めようとする時の顔だ。

 

「つくづく、とんでもないところに来たものだ。」

 

「まったくだ。」

 

 俺は苦笑する。

 初めてこの世界に来た時の自分も、似たような顔をしていたのかもしれん。

 

「それで、この前言っていたテノシーという街は?」

 

「街道の先にある町だ。規模はそこそこらしい。商人も流れ者も集まる。ギルドがあると言っていた。」

 

「ギルド……組合のようなものか?」

 

「ああ。冒険者や傭兵、運び屋、護衛なんかが仕事を受ける場らしい。」

 

「便利だな。」

 

「身分のはっきりしない俺たちには特にな。」

 

 流れ者が生きるには、仕事と寝床が要る。

 理想を言えば拠点も欲しいが、今はそこまで贅沢は言えん。

 

「卜部。お前はこの世界で何をしていた?」

 

「最初は生き延びるだけで手一杯だった。」

 

 森に落ち、訳の分からぬまま、腹を空かせ、水を探し、剣を振るった。

 今思い返しても、あまり愉快な始まりではなかった。

 

「それから縁があって、さっきの連中と知り合った。アリシラやエーリカ、カルメンとな。」

 

「アルタニア帝国軍、だったか。」

 

「ああ。」

 

「信用できるのか?」

 

 千葉らしい問いだった。

 相手の肩書きより、腹の底を見ようとする物言いだ。

 

「一枚岩ではないだろう。だが少なくとも、あいつら個人には助けられた。」

 

「お前がそう言うなら、そうなのだろうな。」

 

 千葉はそれ以上は言わなかった。

 戦場で背を預ける相手を見る時の判断と似ている。完全に信じはせず、だが切り捨てもせず。その中間だ。

 

「ただ、この世界にも面倒はある。」

 

「面倒のない世界などないだろう。」

 

「違いない。」

 

 俺は小さく肩をすくめた。

 

「戦乱は?」

 

「あるだろうな。少なくとも軍は動いているし、国境もある。」

 

「つくづく、人間というやつはどこでも変わらん。」

 

「そういうことだ。」

 

 千葉はそこで口を閉ざした。

 しばらくの間、風に吹かれる草の音だけが間を繋ぐ。

 

 やがて、彼女がぽつりと呟いた。

 

「では、帰る手段はあるのか。」

 

 その問いだけは軽くなかった。

 俺もすぐには答えられず、少し間を置く。

 

「分からん。」

 

「……そうか。」

 

「ただ、全く望みがないとも言い切れん。」

 

 千葉が俺を見る。

 

「俺は一度、向こうへ戻っている。」

 

「やはりそうか。」

 

「ああ。そしてまたこっちへ来た。つまり行き来そのものは不可能じゃない。」

 

「だが自由ではない、と。」

 

「そうだ。発動の条件が分からん。俺自身、まだ掴めていない。」

 

 これが一番厄介だった。

 剣なら振れば届く。だがギアスは、今のところ気分で拗ねる馬のようなものだ。

 

「頼もしいような、頼もしくないような力だな。」

 

「そうだな。」

 

 千葉がわずかに口元を緩めた。

 傷を負ってから初めて見る、いくらか柔らかい表情だった。

 

「ならば今は、帰ることばかり考えても仕方あるまい。」

 

「……ああ。」

 

「まずは生きることか。」

 

「それが先だ。」

 

 千葉は手元の小石を拾い、指先で弄ぶ。

 片目になっても、その仕草にはまだ彼女らしい気丈さが残っていた。

 

「しかし、異世界か。私もお前の与太話についに付き合わされることになるとは思わなかった。」

 

「与太話とは酷いな。」

 

「実際そう聞こえていたぞ。」

 

「だろうな。」

 

 俺がそう言うと、千葉は少しだけ笑った。

 ほんの僅かではあったが、それでも先ほどまでより幾分ましな顔色に見えた。

 

「では卜部。」

 

「何だ?」

 

「この世界で生きる上で、私が一番気をつけるべきことは何だ?」

 

 俺は少し考え、それから答えた。

 

「常識が通じると思わんことだ。」

 

「……ほう。」

 

「人も、国も、力も、何もかも勝手が違う。自分の知っている理屈で決めつけると痛い目を見る。」

 

「耳が痛いな。」

 

 今度の千葉は、先ほどよりはっきり笑った。

 

 その顔を見て、俺は少しだけ胸を撫で下ろす。

 傷も、喪失も、消えはしない。だが、歩き出せぬほどではないらしい。

 

「さて、そろそろ行くか。」

 

「ああ。テノシーとやらで、まずはこの世界の流儀を学ぶとしよう。」

 

 千葉は立ち上がる。

 まだ動きには慎重さが残る。だが、その足は止まってはいなかった。

 

 俺も荷を背負い直し、再び街道へ目を向ける。

 

 帰る術はまだ見えない。

 カルメンの行方も知れぬまま。ギアスの発動条件も霧の中だ。

 

 それでも進むしかない。

 

 今はただ、この異郷の道を。

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