異世界卜部 〜異世界でもコードギアスの世界でも四聖剣は虚名にあらず!〜   作:シャール

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新しい 土地

街道を進み始めてから二日ほどが経った。

 

 テノシーまでは徒歩で十日。エーリカの話が正しければ、まだ道のりの五分の一を越えた程度だ。

 傷が癒えきっていない身での行軍としては、決して気楽な旅ではない。

 

 とはいえ、立ち止まっていても仕方がない。

 朝になれば歩き、日が傾けば野営の支度をする。それを淡々と繰り返していた。

 

 幸い、道そのものはそれなりに踏み固められている。

 荷馬車の轍も残っているところを見るに、テノシーへ向かう人の流れ自体は少なくないのだろう。

 

「・・・・・・ふむ。」

 

 前を歩いていた千葉が、不意に足を止めた。

 

「どうした?」

 

「いや。」

 

 そう言って彼女は、足元の石を靴先で軽く弾いた。

 小石は道の脇へ転がっていく。

 

「少し、妙な感じがしてな。」

 

「目か。」

 

「分かるか。」

 

「見ればな。」

 

 左目を失ってから、千葉の動きには僅かな慎重さが混じるようになっていた。

 歩みそのものは崩れていない。だが、段差を越える時や障害物を避ける時、一拍遅れることがある。

 

 千葉ほどの使い手なら、自分の身体の狂いには誰より敏いだろう。

 

「遠い近いが、まだ掴みきれん。」

 

 千葉はそう言って、少し先に生えている細い若木へ視線を向けた。

 

「見えてはいる。だが、どうにも気持ちが悪い。手を伸ばせば届くと思ったものが届かん時がある。」

 

「慣れるしかない。」

 

「簡単に言う。」

 

「簡単な話だからな。」

 

 千葉がじろりとこちらを見る。

 

「お前はもう少し慰めるということを覚えろ。」

 

「下手な慰めでどうにかなる話でもないだろう。」

 

 彼女は短く鼻を鳴らし、また歩き出した。

 怒ったわけではない。言葉が正しいことくらい、千葉自身が一番よく分かっているのだろう。

 

 昼を回った頃、街道脇の低い林に入って小休止を取ることにした。

 日差しを避けられるだけでも、随分と楽になる。

 

 俺は荷を下ろし、水筒の栓を抜く。

 千葉は近くの切り株に腰を下ろして、周囲を見回していた。

 

「昨日よりは歩けているな。」

 

「当たり前だ。こんなことで音を上げてはいられん。」

 

「ならいい。」

 

「だが。」

 

 千葉が少しだけ言葉を切る。

 

「走る時と、振り向く時がまだ駄目だ。左に何かあると思って顔を向ける。その一瞬で身体の軸がぶれる。」

 

 そこまで自覚しているなら、どうにかなるだろう。

 むしろ厄介なのは、狂いに気づかぬまま動くことだ。

 

「試してみるか。」

 

「何をだ?」

 

 俺は足元に転がっていた細枝を一本拾い、千葉に放った。

 不意打ちではない。山なりに、見えるように投げる。

 

 千葉は反射的に右手を出し、掴み損ねた。

 

 枝はそのまま地面に落ちる。

 

「・・・・・・ちっ。」

 

「もう一本だ。」

 

 俺は二本目を拾い、今度は少し右寄りへ投げる。

 こちらは掴めた。

 

「右は取れるな。」

 

「左から来ると、一瞬遅れる。」

 

 千葉は不満げに眉を寄せたが、それ以上は言わなかった。

 

 俺はまた枝を拾う。

 今度は正面、少し高め。千葉は掴む。

 次に、左。やはりわずかに遅れる。

 右。取れる。

 

 それを何度か繰り返すうち、千葉の表情から苛立ちが見え始めた。

 

「くそ・・・・・・。」

 

「力むな。」

 

「力んでなどいない。」

 

「力んでいるだろう。」

 

「・・・・・・。」

 

 返事はない。

 だが図星だったのだろう。

 

 もう一度、枝を投げる。

 今度は千葉も無理に手だけで取ろうとはせず、身体ごと半歩動かして掴んだ。

 

「それだ。」

 

「今のがか?」

 

「ああ。」

 

「ただ大袈裟に動いただけだ。」

 

「取れるなら十分だ。」

 

 千葉は枝を見つめる。

 それから、ふっと息を吐いた。

 

「なるほどな。」

 

「見えない分は足で合わせろ。止まって見るな。動いて合わせた方が早い。」

 

「・・・・・・。」

 

「何だ。」

 

 すると千葉が、珍しく小さく笑った。

 

「今のはそこそこ役に立った。」

 

「役に立ったのなら良かった。」

 

 休憩を終え、再び街道へ出る。

 歩きながらも、千葉は時折道端の石や枝を拾い、空中へ放っては受け取るようになった。

 

 最初は危なっかしかったが、数を重ねるごとに少しずつ動きが変わる。

 手だけで追わず、肩と腰を使って位置を合わせるようになっていた。

 

 やはり筋はいい。

 腐っても千葉凪沙だ。

 

 もっとも、それを口に出すつもりはないがな。

 

 

ー ー ー

 

 

 その日の野営は、街道から少し外れた林の縁で行った。

 

 近くに細い沢があり、水も取れる。見通しも悪くない。

 獣道らしきものはあったが、新しい足跡は見当たらなかった。

 

 俺が火を起こしている間、千葉は薪を集めていた。

 だが両腕いっぱいに抱えた枝束を置く時、少し手元が狂ってばさりと散らばる。

 

「・・・・・・くっ。」

 

 すぐにしゃがみ込んで拾い直すが、声に苛立ちが滲んでいた。

 

「貸せ。」

 

「要らん。」

 

「そうか。」

 

 俺はそれ以上言わず、焚き付けを整える。

 手伝おうとして余計に意地を刺激する時もある。今は放っておく方がいい。

 

 やがて火が安定すると、鍋をかける。

 野営地から持たされた干し肉と、道すがら見つけた草を刻んで放り込むだけの簡素な汁物だ。

 

「お前は妙にこういうのが手慣れているな。」

 

 薪を拾い終えた千葉が、火の向こうから言う。

 

「一度や二度じゃないからな。」

 

「軍隊時代とこちらでの生活の賜物か。」

 

「そんな大層なものじゃない。自然と身についただけだ。」

 

「夢がないな。」

 

「現実などそんなものだろう。」

 

 鍋の中を木杓子でかき回す。

 湯気と共に、干し肉の塩気と草の青臭さが立ちのぼった。

 

 千葉は火を見つめていたが、やがてぽつりと呟く。

 

「左の火が、まだ妙に見える。」

 

「妙に?」

 

「距離が定まらん。手を出せば触れそうな気もするし、逆に遠く感じる時もある。」

 

「火に限った話じゃないだろう。」

 

「そうだな。」

 

 千葉は膝を抱え、少し視線を落とした。

 

「分かってはいる。分かってはいるが・・・・・・。」

 

 そこから先は言わなかった。

 言葉にしたところで、この目が元に戻るわけでもない。

 

 鍋が煮えたところで、俺は器に汁を注いで渡した。

 千葉は受け取る時、昨日よりも自然に手を伸ばした。

 

「今のは取れたな。」

 

「馬鹿にしているのか?」

 

 千葉は一口すすって、眉をひそめた。

 

「薄いな。」

 

「文句を言うな。塩は貴重だ。」

 

「そういう問題ではない。」

 

「食えるだけありがたいと思え。」

 

「お前は時々、年寄りくさい。」

 

「時々か?」

 

「・・・・・・そうでもないかもしれんな。」

 

 それには少しだけ笑ってしまった。

 千葉も釣られたように息を漏らす。

 

 夜は更ける。

 見張りは交代制にしたが、俺の番の途中で千葉も目を覚ました。

 

「まだ寝ていろ。」

 

「一度起きたらそうもいかん。」

 

 彼女は焚き火のそばに座る。

 火の色が、その横顔にまだ生々しい火傷痕を浮かび上がらせた。

 

「今日、少しは分かった気がする。」

 

「何がだ。」

 

「目だ。いや、目だけじゃないか。」

 

 千葉は焚き火の向こうを見つめたまま続ける。

 

「見えなくなった分を、身体の動きで埋めるしかない。多分そういうことなのだろう。」

 

「ああ。」

 

「気に食わんがな。」

 

 そこで彼女はこちらを見る。

 

「明日も付き合え。枝でも石でも何でもいい。」

 

「分かった。」

 

「それだけか。」

 

「他に何が要る。」

 

「・・・・・・いや、いい。」

 

 しばらくしてから、千葉は小さく言った。

 

「礼は言わんぞ。」

 

「好きにしてくれて構わない。」

 

 だが、そんなやり取りができるだけ、まだましなのだろう。

 

 翌日からも、道中で千葉はいろいろ試すようになった。

 

 歩く位置を変える。

 振り向く速さを変える。

 物を受ける時に半歩動く。

 抜刀の時に肩を開く。

 枝を払う時、まず音を聞く。

 

 どれも小さなことだ。

 だが、その小さな積み重ねがなければ、命が危うい。

 

 何日か共に歩くうち、千葉の動きから最初のぎこちなさは少しずつ薄れていった。

 元通りとはいかない。だが、失ったものを抱えたまま前へ進む形は、確かに出来つつあった。

 

 俺たちは今日も街道を行く。

 

 朝に歩き、昼に休み、夕に火を起こす。

 その繰り返しの先に、ようやく街らしきものの気配が漂い始めていた。

 

「卜部。」

 

「何だ。」

 

 前を見たまま、千葉が言う。

 

「人の匂いがする。」

 

 確かに。

 風に乗って、土と草だけではない臭いが混じっていた。煙、家畜、煮炊き、そして人の暮らしの気配だ。

 

「近いな。」

 

「ああ。」

 

 テノシー。

 ようやく、次の足場が見えてきたようだった。

 

 

ー ー ー

 

 

 街道を曲がり、小高い丘を下った先で、ようやくテノシーの全景が見えた。

 

 高い城壁があるわけではない。

 だが、街の周囲には粗いながらも柵が巡らされ、出入り口には見張りらしき男たちが立っている。荷馬車や馬に乗った旅人も見えるあたり、思っていたよりは人の出入りが多いらしい。

 

 空には薄く煙が上がっていた。

 煮炊きの煙、鍛冶場の煙、暮らしの煙だ。

 

「ようやく、か。」

 

 千葉が呟く。

 

「ああ。」

 

 この数日の野営続きに比べれば、屋根の下で眠れるというだけでも有り難い。

 もっとも、それで全てが解決するほど世の中は甘くはない

 

 街へ近づくにつれ、すれ違う人間の数も増えていく。

 そしてその視線が、自然とこちらへ向くようになった。

 

 無理もない。

 

 千葉は黒の騎士団のパイロットスーツの上から、古びた外套を羽織っている。

 俺も似たような格好だ。天幕で傷を癒やしている間は気にならなかったが、こうして人の目の中へ出ると、いかにも場違いだった。

 

 布の裁ち方も違う。留め具も違う。形そのものが、この世界の服装から浮いている。

 

「見られているな。」

 

 千葉が低く言う。

 

「見れば分かる。」

 

「お前はこういう時まで淡白だな。」

 

「気にしたところでなあ。」

 

「それはそうだが。」

 

 もっとも、街の中でこれ以上目立ち続けるのは得策ではない。

 兵に声を掛けられるほどではないにせよ、余計な詮索は避けたいところだ。

 

 門を潜ると、街の空気は外とはまるで違っていた。

 土と獣の匂いだけではない。香辛料の匂い、焼いた肉の匂い、酒の匂い、革と汗と人いきれ。様々な臭いが入り混じり、街路に満ちている。

 

 石畳とまではいかぬが、地面は踏み固められており、両脇には木と石で組まれた建物が並んでいる。二階建てのものもちらほらあった。露店も多い。果物らしきものを積んだ台、布を吊るした店、干し肉を並べた肉屋、鉄器を売る鍛冶屋。思っていた以上に活気がある。

 

「なるほど。田舎町というわけではないらしい。」

 

「そうみたいだな。」

 

 だが感心してばかりもいられない。

 まずは体勢を整える方が先だ。

 

「ひとまず服だな。」

 

「私もそう思っていた。」

 

 千葉が自分の外套の裾をつまむ。

 

「外から隠してはいるが、流石にこれでうろつくのは厳しい。」

 

「宿を取る前に済ませるか。」

 

「金は?」

 

「多少はある。」

 

 エーリカたちが持たせてくれた路銀がある。潤沢とは言えぬが、着るものを揃えるくらいならどうにかなるだろう。

 

 俺たちは街路を進み、人の多い通りへ出る。

 どうやら市場は中央に近いあたりにあるらしい。人の流れに乗って歩いていくと、やがて広場のように開けた場所へ出た。

 

 そこには露店がいくつも並び、布地、靴、道具、食い物まで雑多に売られていた。

 商人たちの呼び声も飛び交っている。

 

「さて。」

 

「さて、ではない。お前、こういう時はどうするつもりだ。」

 

 千葉が呆れたように言う。

 

「まあ、服を買うとするか。」

 

 こういう時言葉が通じる。それだけは有り難かった。異世界だの転移だのと散々振り回されてきたが、言葉が通じるという一点だけで不便さはだいぶ減る。

 

 市場を見て回ると、男物の衣服を吊るした店が目に入った。

 丈の長い上着、厚手の外套、麻のシャツ、革帯。どれも見慣れぬ形ではあるが、この世界ではごく普通の装いなのだろう。

 

 俺はその中から、落ち着いた色のカフタンを手に取った。

 長衣のような形だが、動きを妨げるほどではない。生地もしっかりしている。旅装としても悪くなさそうだ。

 

「それにするのか。」

 

「ああ。」

 

「妙に馴染みそうだな。」

 

「そうか?なんとなく着物に近かったから選んだのだが・・・。」

 

 店主らしき中年の男がこちらを見て、値段を告げてくる。

 法外というほどではない。俺は少しだけ値切り、それで話はまとまった。

 

 千葉はその間、別の店先で女物を見ていた。

 派手な飾り布や色の強い衣服もあったが、彼女が手に取ったのはそういうものではない。

 

「これにする。」

 

 そう言って示したのは、堅実な織りのキルト生地で作られた鎧下だった。

 飾り気は少ない。色も落ち着いている。だが丈夫そうで、旅の間に着るにはちょうどいい。

 

「地味だな。」

 

「何を求めている。」

 

「いや、何となくだ。」

 

「私がひらひらした服でも着ると思ったか?」

 

「まあ、それはないな。」

 

「なら最初から言うな。」

 

 だが、似合いそうではある。

 表に出して言うと面倒そうなので黙っておいたがな。

 

 千葉は服を身体に当て、少しだけ考える素振りを見せた。

 左の顔には生々しい火傷の跡が残る。未だそれを隠すため包帯を巻いているがいつまでもそのままではいられないだろう。

 

「試着くらい出来るだろうか。」

 

「店主に聞いてみる。」

 

 幸い、店の奥に仕切りのような布があり、そこで着替えられるらしい。

 俺たちはそれぞれ新しい衣服を受け取り、順に袖を通すことにした。

 

 先に着替えを済ませたのは俺だった。

 

 パイロットスーツを脱ぎ、買ったばかりのカフタンを身につける。

 腰帯を締めると、確かに違和感はある。だが奇妙なほど動きづらいわけでもない。軍刀を帯びる位置さえ調整すれば、十分実用に足る。

 

 仕切りの外へ出ると、千葉がこちらを見る。

 

「似合うな。」

 

「そうか?ただまあ少し日本人ぽくはないな。」

 

 しばらくして、千葉も着替えを終えて出てくる。

 

 堅実なキルト生地の服は、彼女の気質によく合っていた。派手さはないが、落ち着いて見える。

 外套を羽織っていた時より、ずっと自然だ。旅人か、あるいは身なりを崩しすぎない傭兵あたりには見えるだろう。

 

「どうだ。」

 

「悪くないな。」

 

 店主に頼み、古い外套と元の服はまとめて包んでもらう。

 捨てるには惜しい。元の世界のものではあるが、布地として使えぬこともないだろう。

 

 市場を出る頃には、先ほどまでの露骨な視線はかなり減っていた。

 無論、顔立ちや雰囲気までこの世界の住人になったわけではない。だが少なくとも、遠目に奇異な旅人扱いされることは減ったようだった。

 

「少しは人心地ついたな。」

 

 千葉がそう言って、買ったばかりの袖口を軽く撫でる。

 

「ああ。次は宿だ。」

 

「それから飯だな。」

 

「卜部・・・。」

 

「数日まともな野営食ばかりだったんだ。当然だろう。」

 

「・・・それもそうだな。」

 

 市場の喧騒を背に、俺たちは宿を探して街路を歩き出す。

 ようやく足場が出来始めた。まだ仮のものに過ぎないが、それでも何もないよりは遥かにましだ。

 

宿を探して通りを歩いていると、少し先が妙に騒がしかった。

 

 市場の喧騒とは違う。

 笑い声とも野次ともつかぬ声が、一ヶ所に固まっている。

 

「何だ。」

 

 千葉が眉をひそめる。

 

「さあな。」

 

 人だかりというほどではないが、通りの端に何人かが足を止めて様子を窺っていた。

 どうやら揉め事らしい。

 

 近づいてみると、そこでは粗暴そうな男が一人、女二人に絡んでいた。

 

 男は革鎧の上から汚れた外套を引っかけ、腰には剣。背には使い込まれた槍まで背負っている。

 旅慣れているというより、荒んでいると言った方が近い。頬も耳も赤いところを見るに、酒が入っているのだろう。

 

「だからよぉ、そんなつれねえこと言うなって話だろうが。」

 

 男がふらついた足取りで、女の一人へ手を伸ばす。

 

「離れてくださる?」

 

 答えたのは、栗色の髪を後ろで束ねた女だった。年は千葉とそう変わるまい。軽装の革鎧に短杖を差している。

 もう一人は少し背が高く、短剣を腰に下げていた。こちらも冒険者風の格好だ。

 

 どちらも怯えている様子はない。

 むしろ、面倒ごとに巻き込まれてうんざりしている顔だった。

 

「おいおい、そんな怖い顔するなよ。せっかく縁があったんだ。酒の一杯でも付き合えってんだ。」

 

「縁なんてないわよ。あんたが勝手に絡んできてるだけでしょう。」

 

「口の利き方に気をつけろよ、小娘。」

 

 男の声が少し低くなる。

 酔っている分、余計にたちが悪い。

 

 俺は少しだけ足を止めた。

 千葉も同じだった。

 

「どこの世界にもいるものだな。」

 

「全くだ。」

 

 もっとも、様子を見る限り、すぐにどうこうというほどでもない。

 女二人の方も、ただ絡まれているだけでは終わらせる気はなさそうだった。

 

「最後にもう一度だけ言うわ。」

 

 栗色の髪の女が、静かに言った。

 

「そこをどいて。今なら見逃してあげる。」

 

「はっ、見逃す?お前が俺をか?」

 

 男が笑う。

 次の瞬間、その女が片手を軽く振った。

 

 風が鳴った。

 

「なっ……!?」

 

 突風だった。

 ただの強風ではない。目に見えぬ塊のようなものが男の胸を真正面から叩き、酔っ払いの身体を二、三歩どころか、そのまま通りの端まで吹き飛ばす。

 

 男は情けない声を上げながら尻もちをつき、背中から木箱に突っ込んだ。

 箱の中身らしい根菜がごろごろと転がる。

 

「うおっ。」

 

「きゃっ。」

 

 周囲から短いどよめきが上がる。

 だが悲鳴になるほどではない。驚きはしても、あり得ないものを見たという反応ではなかった。

 

 やはり、この世界では珍しいことではないのだろう。

 

「だから言ったでしょう。」

 

 女は何事もなかったように手を下ろす。

 

「今ならって。」

 

 もう一人の女も腕を組んだまま、呆れたようにため息をついた。

 

「ったく、昼間から飲んで絡むとか最低。」

 

「お、お前……!魔法なんぞ使いやがって……!」

 

 吹き飛ばされた男が、よろよろと起き上がる。

 だが先ほどまでの勢いはすっかり失せていた。

 

「ちくしょー・・・!」

 

「私は身を守っただけ。馬鹿なの?」

 

 随分気が強いな。

 

 俺がそう思っていると、隣で千葉が小さく息を呑むのが聞こえた。

 

「……今のは。」

 

「ああ。」

 

「風、か?」

 

「多分な。」

 

 火や水ではない。

 目には見えぬが、確かに風圧のようなもので吹き飛ばしていた。

 

 千葉はしばらくその場から目を離さなかった。

 さっきまでの小競り合いそのものよりも、その一撃の方がよほど引っかかったらしい。

 

「見たか。」

 

「見た。」

 

「納得したか。」

 

「したくはないが、した。」

 

 その返事に少しだけ笑いそうになる。

 

「……本当に、そういう世界なんだな。」

 

 千葉がぽつりと呟く。

 

「今さらか。」

 

「頭では分かっていた。お前からも話は聞いた。」

 

 彼女は通りの先で、まだ尻もちをついたまま悪態をついている男を見ながら続ける。

 

「だが、こういうものを見ると、流石にな。」

 

「分かりやすいからな。」

 

 吹き飛ばされた男は、周囲の視線に耐えかねたのか、何やら捨て台詞めいたものを吐いてから通りの向こうへ去っていった。

 女二人の方は、散らばった箱を足で避けながら、何事もなかったように歩き出す。

 

 通りもまた、すぐに元のざわめきへ戻っていく。

 

「誰も大して騒がんのだな。」

 

 千葉が言う。

 

「それだけ珍しくないんだろう。」

 

 千葉は腕を組み、少しだけ考え込んだ。

 

「剣だけ、銃だけ、そういう話ではないわけか。」

 

「だから言っただろう。勝手が違うと。」

 

 すると千葉は、ようやく視線を前へ戻した。

 

「だが、見ておいて良かった。」

 

「何が。」

 

「心構えだ。戦うにせよ、街で揉めるにせよ、この世界ではこういう理不尽が混ざるのだと分かった。」

 

「理不尽か。」

 

「理屈の外という意味だ。」

 

「なるほどな。」

 

 確かにその通りだった。

 剣の間合いを読み、足運びを見て、相手の癖を探る。そういう積み上げの外から、魔法という札が切られる。

 

 慣れねば面倒なことになるだろう。

 

「卜部。」

 

「何だ。」

 

「宿を取ったら、なるべく早くこの世界の流儀を見ておきたい。」

 

「例えば。」

 

「冒険者がどう戦うか。魔法使いがどう動くか。そういうものだ。」

 

「殊勝なことを言う。」

 

「生きるためだ。」

 

「それなら文句はない。」

 

 千葉は一度だけ、さっき風の魔法を放った女が消えていった方角を見た。

 その目は驚きよりも、もう少し冷静な色をしていた。

 

 怯えているわけではない。

 ただ、自分の知らぬ盤上に立たされたことを、ようやく実感したのだろう。

 

 俺は通りの先へ視線を向ける。

 

「今度こそ宿だ。そうだ。ついでに飯もだ。」

 

「結局そこへ戻るのか。」

 

「それはそうだ。」

 

 俺たちは再び通りを歩き出す。

 

 テノシーに着いてから、まだ大した時間は経っていない。

 だが、それだけでも十分だった。

 

 この街には人がいる。

 暮らしがある。揉め事がある。そして冒険が待ち受けている。

 

 つまりここは、作り物の世界ではない。

 ちゃんと人が生きている世界だ。

 

 千葉もまた、それを肌で感じたのだろう。

 

 歩調は変わらぬまま。

 だが、隣を行く彼女の目だけが、先ほどより少し鋭くなっていた。




みなさまお久しぶりです!
最後の更新から約3年!実は前回の話が久しぶりだったんですけど、後書きを書くのを忘れてしまい・・・。
展開が思い浮かばず、筆を取らない日々が続きました・・・。
これからも頑張って更新していくのでどうかお付き合いください! 
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