異世界卜部 〜異世界でもコードギアスの世界でも四聖剣は虚名にあらず!〜   作:シャール

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至高 の 刻

通りをいくつか折れた先で、ようやく手頃そうな宿を見つけた。

 

 表通りに面した立派な宿ではない。

 少し脇へ入った場所にある、二階建ての古びた宿だ。看板の塗料もだいぶ剥げている。だが軒先に吊られたランプは手入れされており、潰れかけという感じではなかった。

 

「……安そうだな。」

 

 千葉が看板を見上げながら言う。

 

「そうだな。だが野宿よりはマシだろう。」

 

 俺たちは扉を押して中へ入る。

 

 木の軋む音と共に、少しこもった空気が流れてきた。

 酒場を兼ねているような広い造りではなく、入口を入るとすぐに帳場がある。奥には食堂らしき空間も見えたが、今はまだ日が高く、人影はまばらだった。

 

 帳場の奥から、恰幅の良い中年の男が出てくる。

 ここの主人だろう。こちらをひと目見て、旅人だと当たりをつけたらしい。

 

「部屋かい?」

 

「ああ。」

 

 俺は頷く。

 

「二人だ。泊まれるか。」

 

「泊まれるのは泊まれるが……。」

 

 主人はちらりと千葉を見、それから俺を見る。

 何を確認したいのかは分かる。旅人の男女二人。夫婦か、連れか、それとも別か。そういうことだろう。

 

「別々の部屋だと高くつくよ。一部屋なら安くできるが。」

 

 やはりそうか。

 

 俺は少しだけ考え、懐の金を思い出す。

 路銀はある。だが今後のことを考えれば、ここで無駄に削る余裕はない。

 

「一部屋でいい。」

 

 そう言うと、主人はあっさり頷いた。

 

「朝飯付きでこの値段だ。」

 

 提示された額を聞き、俺は千葉を見る。

 千葉も無言のまま、わずかに肩をすくめた。

 

「……仕方ないな。」

 

「いいのか。」

 

 まあいいか。

 

 俺は代金を払い、鍵代わりらしい木札を受け取った。

 

「風呂はあるか。」

 

 千葉が尋ねる。

 

 主人は少しだけ首を傾げ、それから苦笑した。

 

「立派な浴場なんてものはないよ。湯が要るなら桶に汲んで部屋まで持っていってやる。それで身体を拭くくらいだね。」

 

「……そうか。」

 

 千葉の声がわずかに低くなる。

 気持ちは分かる。野営続きの上に、街へ入ってからも汗と埃にまみれているのだ。湯に浸かれぬのは少々堪える。

 

「二桶もあれば足りるかい?」

 

 主人が言う。

 

「十分だ。」

 

 俺が答えると、主人は奥へ声を飛ばした。

 

「食事は朝だけだよ。晩は出せない。必要なら表通りの飯屋にでも行きな。」

 

「分かった。」

 

 朝食のみ。

 まあ安宿ならそんなものだろう。

 

 階段を上がり、部屋へ入る。

 

 中は簡素だった。

 狭い、とまでは言わんが広くもない。窓は一つ。寝台も一つだが、幅は多少ある。床には敷物、壁際には小さな机。旅人が一晩二晩をしのぐには十分な造りだ。

 

 千葉が部屋を見回し、息を吐く。

 

「野宿に比べれば天国だな。」

 

「屋根があるだけでも違う。」

 

「そうだな。」

 

 俺は荷を下ろし、包みにした元の服を机の上へ置いた。

 千葉も同じように荷を置くと、すぐに窓を少し開けた。

 

 乾いた外気が流れ込み、部屋にこもっていた木の匂いが少し薄まる。

 

「寝台はどうする。」

 

 千葉が背を向けたまま聞いてくる。

 

「俺は床でも構わんが。」

 

「そうか。」

 

 千葉は振り返る。

 

「狭くはあるが、2人でも寝られそうだ・・・。まさか戦友にそんな気を起こすお前じゃないだろう?」

 

「全く。俺を菩薩か何かかと思っているのか?」

 

 千葉はハハっと笑うと、せめてもの気遣いだろうか。床に寝床を移動させる。

 

 それが終わると、千葉は椅子代わりの箱に腰を下ろした。

 疲れてはいるのだろう。だが顔つきは、野営地を出た頃よりだいぶ落ち着いていた。

 

 しばらくして、扉が叩かれる。

 

 主人の手伝いらしい若い娘が、大きな木桶を二つ抱えて入ってきた。

 湯気が立っている。どうやら本当に湯を用意してくれたらしい。

 

「熱いうちにどうぞ。」

 

「ああ。助かる。」

 

 湯桶は部屋の隅に置かれ、布も数枚渡された。

 どうやらこれで身体を拭けということらしい。

 

 娘が出て行くと、千葉が桶を見て小さく唸る。

 

「……まあ、ないよりは遥かに良いか。」

 

「だな。」

 

「先に使え。」

 

「いや、お前が先でいい。」

 

「傷の手当てをしたいだろう。」

 

「お互い様だ。」

 

 少しだけ押し問答になりかけたが、結局、千葉が先に使うことになった。

 

 俺はその間、窓の外を見て時間を潰す。

 通りを歩く人影、遠くから聞こえる商人の声、車輪の音。知らぬ街ではあるが、こうして聞いていると不思議と少し落ち着く。

 

「終わったぞ。」

 

 千葉の声に振り返る。

 

 彼女は髪を軽くまとめ直し、先ほどより幾分さっぱりした顔をしていた。片側の火傷跡は清潔な包帯で隠されている、それでも汗と埃が落ちただけで印象はだいぶ違う。

 

「湯はまだ使える。」

 

「そうか。」

 

「それと。」

 

「何だ。」

 

「……改めて湯浴みの有り難さを思い知った。」

 

 今度は俺が桶の前に座る。

 

 布を湯に浸し、固く絞って首筋から腕、胸元へと滑らせる。

 湯気と共に、土埃と汗の匂いがようやく落ちていく。湯船に浸かる贅沢こそないが、数日の野営の後ならこれだけでも十分だった。

 

 傷跡に触れると、まだ少し引きつる。

 だが歩けぬほどではない。戦えぬほどでもない。

 

 身体を拭き終え、布を畳んで桶の縁に置く。

 千葉は窓際で外を見ていたが、俺が戻るとちらりと視線を向けた。

 

「少しは人間らしくなったな。」

 

「お互い様だろう。」

 

 部屋に少しだけ静けさが落ちる。

 

 腹が鳴ったのは、その時だった。

 

「……。」

 

「……。」

 

 俺と千葉は、しばし無言で顔を見合わせた。

 

「飯だな。」

 

「ああ。晩は外で食うしかない。」

 

「宿の主人が言っていたな。表通りに飯屋があると。」

 

「安くて量があるところが良いな。ここならではのものが食いたいな。」

 

「少しは節約をだな。」

 

 千葉が続き様に何か言いかけるが口を閉じる。

 この顔は言うだけ無駄だと思った時の彼女の顔だ。まあ俺もさらさら引く気はないがな。

 

 千葉は立ち上がり、買ったばかりの袖を軽く引いた。

 

「行くか。」

 

「ああ。」

 

 俺たちは宿の扉を開け、夕暮れのテノシーへ足を踏み出す。

 

 露店の火が灯り始め、道行く人間の足取りもどこか緩んでいる。

 仕事帰りらしい者、荷を下ろした商人、武具を提げたままの冒険者風の連中。昼の市場とはまた違う顔ぶれが通りを埋めていた。

 

「飯屋はすぐ見つかりそうだな。」

 

 千葉が辺りを見回しながら言う。

 

「ああ。困ることはなさそうだ。」

 

 むしろ多すぎて迷うくらいだ。

 焼いた肉の匂い、香草を煮た匂い、甘い酒の匂いまで混じってきて、空腹には少々毒だった。

 

 俺たちはその中から、表に吊るされた灯りと、人の入り具合がほどほどの店を選んだ。

 繁盛しすぎている店は高いか、あるいは落ち着かん。逆に人がいなさすぎるのも不安が残る。その点、ここはちょうどよさそうに見えた。

 

 扉を開けて中へ入る。

 

 途端に、これまで嗅いだことのない匂いが鼻をくすぐった。

 

 異国の匂いだった。

 だがただ異質なだけではない。香辛料の刺激、肉の脂の重み、煮込まれた野菜の甘さ、それらが混ざり合って、知らぬ匂いでありながら不思議と食欲を強く引き立てる。

 

「……これは。」

 

 千葉がわずかに目を細める。

 

「ああ。」

 

 俺も思わず鼻を利かせていた。

 

 焼き台の方から流れてくる煙の匂い。

 鍋の中で何かを煮込む香り。

 バターのような濃い香りと、胡椒に似た鋭さを持つ匂いもある。

 

 店内は木造で、壁には乾燥させた草束や獣の角が飾られている。

 卓は多いが、酒場のように騒がしすぎるわけではない。話し声と食器の音、それに厨房の火の爆ぜる音が、ほどよく混じっていた。

 

 案内されるまま、俺たちは奥の卓へ腰を下ろす。

 

「良い匂いだな。」

 

 千葉が率直に言う。

 

「腹が減っているだけかもしれん。」

 

「まあ空腹は最高のスパイスとも言うしな。」

 

 だが、空腹を差し引いても悪くない。

 知らぬ土地で知らぬ料理を前にしているというのに、警戒より先に食欲が立つ。それだけでも上等だった。

 

 しばらくして店員が木札のようなものを二枚持ってくる。

 どうやらこれがメニューらしい。

 

 俺は受け取り、目を落とした。

 

「……。」

 

「……。」

 

 隣で千葉も黙る。

 

「読めん。」

 

「ああ。」

 

 何となく眺めていれば分かるかとも思ったが、当然そんな都合のいい話はない。

 

「困ったな。」

 

 千葉が小さく言う。

 

「流石に文字まではどうにもならないか。」

 

「仕方ないだろう。」

 

 俺がそう返したところで、店員の女がこちらの様子に気づいたらしい。

 

「文字、読めないお客さん?」

 

「ああ。そうだ。こことは違う土地から来たものでな。」

 

 すると彼女は「ああ、やっぱり」とでも言いたげに頷き、すぐに別の板を持ってきた。

 

 今度のそれには、料理の絵が描かれていた。

 

「こっちなら分かるでしょ?」

 

「助かる。」

 

 千葉が素直に答える。

 

 なるほど。旅人や流れ者の多い街だけあって、こういう備えもあるらしい。

 なかなか気が利いている。

 

「サービスは悪くないな。」

 

 千葉が感心したように言う。

 

「ああ。こういうのは有り難い。」

 

 絵付きのメニューを見れば、流石に大体は分かる。

 

 汁物、焼き物、煮込み、平たいパンのようなもの、米に似た粒を使った料理。

 見慣れぬ品も多いが、どれもそれなりに旨そうだ。

 

「私はこれにする。」

 

 千葉がすぐに指差したのは、浅い皿に盛られた料理だった。

 白いソースのようなものの上に焼き色がつき、その下に米か麦に似たものが敷かれている。見た目はどこかドリアに近い。

 

「それでいいのか。」

 

「ああ。温かそうだしな。」

 

「確かに。」

 

 傷も癒えきっていない身だ。こう言ったものが口恋しいのだろう。

 

 俺はすぐには決めず、少しだけ吟味する。

 

 せっかく街へ辿り着いたのだ。

 どうせ食うなら、腹に溜まり、少しでも力の湧くものがいい。野営中は簡素な食事ばかりだったからな。

 

「お前は決まらんのか。」

 

 千葉が言う。

 

「まあ少し待て。」

 

 絵を眺めながら、俺はその中の一つに目を止めた。

 

 分厚い肉だ。

 焼き目がついており、付け合わせらしき根菜も描かれている。見たところ、ステーキのような料理に見える。

 

「これだな。」

 

 店員が身を乗り出す。

 

「それ?サンドブルのグリルだよ。」

 

「サンドブル?」

 

「牛みたいな魔物。角が大きくて、砂地の方に出るやつ。」

 

 なるほど、牛ではなく魔物か。

 

「どこの肉だ。」

 

「ブリスケット。硬いけど、何時間も火を入れて柔らかくしてる。脂も乗ってて旨いよ。」

 

「値は張るな。」

 

 絵付きメニューにも、数字らしきものは添えられている。

 読めはせぬが、店員の指の動きと表情で大体察しはつく。安くはない。

 

「でも食べる価値はあるよ。」

 

 店員は自信ありげに言った。

 

「今日ちょうど良いのが入ってるからね。」

 

 その言い方に嘘はなさそうだった。

 肉の焼ける匂いも、さっきから鼻をくすぐっている。傷を癒し、身体を戻すには、こういうものの方が良いだろう。

 

「それを頼む。」

 

「付け合わせはどうする?芋か豆か、パンもつけられるけど。」

 

「パンを。」

 

「分かった。」

 

 店員が板を抱え、手早く注文を書き留めていく。

 

「じゃあ、そっちは白焼き穀のオーブン焼き。こっちはサンドブルのブリスケットグリル、パン付き。飲み物は?」

 

「水でいい。」

 

 俺が答えると、千葉も頷いた。

 

「私もそれで構わん。」

 

「はーい。」

 

 店員は軽い足取りで厨房へ戻っていった。

 

 卓の上に、しばし静けさが落ちる。

 店のざわめきはある。料理の匂いも変わらず漂っている。だが注文を済ませたことで、ようやく一息つけた気がした。

 

「牛のような魔物、か。」

 

 千葉が呟く。

 

 まあ、俺たちが住む世界とは別の世界だ。

 肉の正体が牛でないくらいは、今さら驚くほどでもない。

 

 それでも、少しだけ楽しみではあった。

 旨い肉は、それだけで人を少し前向きにさせるからな。

 

 

ー ー ー

 

 

 しばらく待つと、先に千葉の料理が運ばれてきた。

 

 白焼き穀のオーブン焼き。

 確かによく言ったもので、浅い皿の上には白い穀の層が広がり、その上にかけられたチーズにはこんがりと焼き目がついている。湯気と共に立ちのぼる香りも悪くない。乳の濃さに、焼けた香ばしさが混じって食欲をそそる。

 

「先に食べていいぞ。」

 

「ああ。」

 

 千葉はそう言うと、卓の端に置かれていた木のスプーンを手に取った。

 表面の焼き目を崩すようにして一口分をすくい、慎重に口へ運ぶ。

 

「……どうだ。」

 

「美味い。」

 

 間髪入れずに返ってきた。

 その短さで十分だった。

 

 千葉はもう一口食べる。

 先ほどよりも幾分、匙の動きが自然になっていた。どうやら口に合ったらしい。

 

「一口食うか?」

 

「いいのか。」

 

「別に減るものでもない。」

 

「一口分は減るだろう。」

 

「細かいことを言うな。それにそんな目で見つめられると食べる方も困る。」

 

 そう言われれば断る理由もない。

 俺は匙を借り、皿の端から少しだけすくって口に運んだ。

 

「……なるほど。」

 

 確かに、どこかドリアじみた料理ではある。

 だがまるで同じではない。面白い味だった。

 

 米に似た白焼き穀は柔らかく炊かれており、食感としては硬めの粥に近い。粘りは少ないが、噛めば穀物らしい甘みがじわりと出る。そこへ上に乗ったチーズの焦げ目が香ばしさを添えていて、ただ軽いだけでは終わらない。

 

 中には角切りにされた鶏肉のようなものが入っていた。

 癖のない肉だ。加えて、細かく刻まれた根菜も散っている。歯触りの違いが単調さを防ぎ、見た目よりずっと食べ応えがある。

 

 なるほど。

 腹を温める料理としては悪くない。というより、かなり良い部類だろう。

 

「どうだ。」

 

 千葉が聞いてくる。

 

「旨いな。」

 

「だろう!」

 

 何故お前が少し誇らしげなんだ。

 

 千葉は、また匙を入れる。

 どうやら本当に気に入ったらしい。

 

 しかし、こういう料理が出てくるあたり、この世界の食文化もやはり侮れないな。

 前食ったものはカルメンの采配で上澄みの美味いものが出されたと思っていたが、その他は肉を焼くだけだの煮るだけだの、といったようにもっと大雑把なものを想像していた。だが存外手が込んでいる。

 

 米のような作物が、この世界ではそれなりに普及しているのだろう。

 チーズを使うあたり、乳を取る家畜もいる。根菜や肉を細かく混ぜて焼くとなれば、ただ腹を満たすだけではなく、味の組み立ても考えられている。

 

 食というのは、その土地の余裕を映す。

 そういう意味では、テノシーは思っていたよりずっと豊かな街なのかもしれんな。

 

 もっとも、俺が今考えるべきは街の豊かさより、これから運ばれてくる自分の肉の方だが。

 

 卓の向こうで千葉がまた一口食べる。

 

「温かいものを落ち着いて食えるのは良いな。」

 

「ああ。」

 

「野営中の汁も悪くはなかったが。」

 

「世辞として受け取っておこうか。」

 

 俺は空になった手を卓に戻し、厨房の方へ目を向けた。

 肉の焼ける匂いはまだ絶えず漂っている。

 

 それから少し遅れて、ようやく俺の料理が運ばれてきた。

 

 見た瞬間に分かる。

 これは旨い。間違いなく旨い。

 

 いや、旨いなどという言葉では少々足りん。

 これはもう、見た目だけで空腹に対する犯罪だ。いや殺人級と言っても差し支えないだろう。

 

 熱々に温められた鉄板の上で、肉塊がじゅうじゅうと音を立てている。

 皿ではない。鉄板だ。そこがまず良い。肉汁と脂を最後まで逃がす気がない。

 

 立ちのぼる匂いは濃厚そのものだった。

 ただ重いだけではない。焼かれた表面の香ばしさ、脂の甘い匂い、肉そのものの力強い香り。それらが混じり合って、腹に直接訴えかけてくる。

 

「……何だ、その顔は。」

 

 千葉が呆れたように言う。

 

「いや。」

 

「いや、ではないだろう。目つきが違うぞ。」

 

「そうか?」

 

「ああ。少なくともお前のそんな顔はそうそう見れるものではない。」

 

 俺はナイフとフォークを手に取る。

 鉄板の上の肉塊へ、ひとまず刃を入れた。

 

 なるほど。

 すんなりと通る。

 

 見た目は厚い。だが、その厚みに反して抵抗がない。表面はしっかり焼かれているはずなのに、刃先が肉の繊維を断つ感触は驚くほど柔らかい。

 

 店員は数時間かけて火を入れたと言っていた。

 だが、これはそれどころではないかもしれん。切った断面に残る赤みと、火の入り方を見るに、十数時間はじっくり熱を通しているのではないか。

 

 時間をかけて脂と繊維を解いた肉だ。

 そう考えると、この柔らかさにも得心がいく。

 

 俺は切り分けた一切れを口へ運ぶ。

 

「……。」

 

 想像通りの味だった。

 だが、その想像が最高だったがゆえに、口に入れた瞬間の満足感は凄まじい。

 

 まず外側。

 しっかりとシーズニングされている。だが、香辛料が前に出すぎてはいない。肉の旨みを閉じ込めるためだけの仕事ではなく、その味をより際立たせるための塩梅だ。塩気も香りも、全てが肉の甘みの引き立て役に回っている。

 

 そして中身。

 肉の繊維は、噛まずともほろりと崩れていく。歯を立てれば簡単にほどけ、口の中で解けるように消えていく。

 

 脂もまた見事だった。

 

 重くない。

 むしろ上品で、喉越しが良い。舌の上に残るのはしつこさではなく、甘みだ。

 

 甘い。

 肉が、ここまで素直に甘みとして感じられるとは思わなかった。

 

「どうだ。」

 

 千葉が聞いてくる。

 

「旨い。」

 

「それは見れば分かる。」

 

 もう一切れ食う。

 

 やはり旨い。

 こういう料理は、最初の一口だけが印象に残るものも多い。だがこれは違う。二口目でも三口目でも、きちんと旨い。

 

 そこでふと考える。

 

 この肉は、パンと合わせたらどうなる。

 

 俺は付け合わせの丸いパンを手に取り、半分にちぎる。

 それから中ほどへ一文字にナイフを入れ、大きめに切った肉塊を挟み込んだ。

 

「何をしている。」

 

「試している。」

 

「何を。」

 

「可能性だよ。」

 

 肉をパンの中へ押し込み、指で軽く揉みほぐす。

 すると柔らかく煮崩れた繊維が中でほろほろとほどけ、白いパンの内側へ肉汁がじわりと染み込んでいく。

 

 悪くない。

 いや、見た目の時点でかなり良い。

 

 そのまま頬張る。

 

「……なるほどな。」

 

 これもまた旨い。

 

 肉そのものの力強い旨みはそのままに、パンの持つ香ばしさが輪郭を与えている。

 柔らかな肉と、少し弾力のあるパン。その食感の違いも心地いい。

 

 何より、肉汁を吸った内側の白い生地が良い。

 ただの添え物ではなかったらしい。

 

「どうだ。」

 

 また千葉が聞いてくる。

 

「旨い。」

 

「そればかりだな。」

 

「他に何と言えと。」

 

「少しは感想をだな。」

 

「旨いものは旨いで足りる。」

 

「全く…。」

 

 まあ、否定はせん。

 

 ここで箸休め代わりに、付け合わせの根菜へ手を伸ばした。

 丸く切られたそれは、表面に焦げ目がつくほどしっかり焼かれている。

 

 一口齧る。

 

「……ほう。」

 

 これは少し癖がある。

 

 ビーツか、それともカブに近い何かか。甘みの奥に土っぽい風味があり、人によっては好き嫌いが分かれそうだ。子供なら苦手かもしれん。

 

「それはどうだ。」

 

 千葉が聞く。

 

「少し癖があるな。」

 

「不味いのか。」

 

「いや、そうでもない。」

 

 そう答えつつ、次にまた肉へ戻る。

 

 その瞬間、ようやく分かった。

 

「ああ、なるほど。」

 

「何だ。」

 

「これがあるから、肉がまた新しくなる。」

 

 あの根菜の癖が、一度舌を切り替える。

 その後で肉を食うと、濃厚な旨みがまた鮮烈に立ち上がるのだ。

 

「薬みたいなものか。」

 

 千葉が言う。

 

「かもしれんな。この肉を旨く食うための薬だ。」

 

「良薬は口に苦し、というやつか。」

 

「そんなところだ。」

 

 もっとも、そこまで苦くはないがな。

 

 そんなふうに食い進めていると、ふと視線を感じた。

 

 顔を上げる。

 

 千葉が、こちらの皿を見ていた。

 

「何だ。」

 

「いや。」

 

「何だ、欲しいのか?」

 

「別に。」

 

「別にではないだろう。」

 

 千葉は少しだけ視線を逸らした。

 

「……そんなに旨いのかと思ってな。」

 

「旨いぞ。」

 

「それはさっきから見ていれば分かる。」

 

「食うか?」

 

 そう言って、俺は切り分けた一切れを皿の端へ寄せる。

 

「いいのか。」

 

「一切れならな。さっき俺も食わせてもらったしな。」

 

「では遠慮なく。」

 

 千葉はフォークでその肉を取り、口へ運んだ。

 

 しばらく咀嚼し、それから小さく息を吐く。

 

「……これは。」

 

「どうだ。」

 

「確かに、旨いな!」

 

「そうだろう。」

 

「何故お前が誇らしげなんだ。」

 

 千葉はもう一口欲しそうな顔をしたが、流石にそれ以上は言わなかった。

 そのあたりは律儀なやつだ。

 

 店の中は相変わらず賑やかだった。

 食器の音、話し声、焼き台の爆ぜる音。知らぬ街の、知らぬ料理屋だ。

 

 だが、悪くない。

 

 温かい飯があり、腰を落ち着ける椅子があり、向かいには千葉がいる。

 異世界に放り出されてからのことを思えば、それだけでも十分すぎるほどだった。

 

 そんなこんなで、俺たちの食事はゆっくりと進んでいった。




ちなみにドリアは日本発祥の料理って知ってましたか?
ナポリタンやオムライス、クリームシチューなど多岐にわたるそれは洋食をベースとしつつもオリジナリティに溢れてて美味しいですよね。
卜部もそんな感じでこの世界の食を堪能しつつ自分の色にできるといいですねぇ…。
卜部は料理人の夢はまだ諦めてない!筈です…笑
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