透き通る世界で、月の香りがした。   作:エヴォルヴ

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特別な匂いたつ血の酒

連盟員の長、ヴァルトールから連盟員を代表して贈られた特別な血の酒。血の酒、とは呼ばれているが、その中身は希少な葡萄をふんだんに使って熟成されたジュースだ。

ワインボトルには連盟員達からの書き寄せと、連盟員のカレル文字が刻まれている。

『親愛なる同士、月見アラヤへ親愛と感謝を込めて』

ボトルに添えられたたくさんの手紙は、何度も書き直したような跡が残っている。これはきっと、夜明けに飲むのがいいだろう。

夜が明けた後、彼らと共に昼間から飲み明かそう。親愛なる同士と共に。


15.訣別

 満月。私にとっては見飽きるほどに美しい光を放つ衛星。その光がまだ降り注がない夕方、私は私を囲む集団に笑みを浮かべる。ああ……素晴らしいまでの憎悪だ。トリニティとゲヘナの人間がそこまで憎いとは……なんとも……ああ、なんとも甘美なことだよ。

 

 だが、だがね。このような敵意、まだ生ぬるい。己のものではない憎悪など……生ぬるいものだよ。

 

「一応聞こうか。あなた達は私の工房に入り込んだ者かね?」

 

「アラヤ、ちょっと不味いよ、これ」

 

「……ああ、そうだな。イオリ……狩りの夜はもう始まっていたようだ」

 

 買い出しを終えた私達を囲むガスマスクの集団は、アリウスの人間だろう。……いや、それにしては人間味がない。生物兵器の類いか? 憎悪は素晴らしいが。

 

「奴らはエデン条約の際に障害となりかねんよ」

 

「……なるほどね」

 

 イオリが装備したのはいつもの銃────ではなく、ミレニアムの技術が作り上げたスタンバトン。トニトルスから着眼点を得たそれは、青い光を放っていた。

 

「試供品で各学園に配られてるこれ、試させてもらう」

 

「ふむ……なら、私も久しく使っていないこれを使おうか……」

 

「……アラヤ、殺さないでよ?」

 

「うん? 奴らはもとより生きていない。手加減無用だ。殺すつもりでやれ、イオリ」

 

 取り出したのは妖しい紋様が刻まれた細身の刃────カインハーストの騎士が使ったという千景。昔、最高倍率のスタマイで敷き詰めた後、ほったらかしにしていたが……

 

「さぁ、血を啜れ……千景」

 

 ガシュッ、と刃が私の手を切り裂き、血が溢れる。千景はその血を啜り、固め、強固な刃を形成した。

 

「アラヤ、それ何!?」

 

「面白いだろう?」

 

 私の神秘が宿った刃が、ガスマスク集団の一人を切り裂く。……信仰に死んだ獣よ、その悪夢から解放されるがいい。死してなお、信仰に生きる必要など、どこにもないのだから。────────────待て、信仰だと? 

 

「……ユスティナ?」

 

「アラヤ?」

 

「イオリ、先の言葉を撤回しよう。確実に殺せ。奴らは────」

 

「────────!!」

 

「過去の亡霊だ」

 

 かつてのトリニティは、ゲヘナと今以上に仲が悪かった。内紛なども多く起こり、弾圧も凄まじいものだったという。ならば、それを行ったとされる存在はどれだけの神秘と呪いを溜め込んでいるのだろう? 

 

 例え複製品であったとしても、その呪いは本物だ。

 

「死人が蘇ってるってこと!?」

 

「模造品の類いだ」

 

 しかし、他にも何やら混ざっているな。なんだ? 知っている……この動きを……私は、知っている。それを理解した直後、遺志が、啓蒙が、目の前にいるこの集団達に混ぜられたそれを見せる。その瞬間────私の視界は真っ赤に染まった。

 

『────────』

 

「……………………ふざけるなよ」

 

(何ッ……!? アラヤの気配が膨れ上がって……!!?)

 

「貴様ァッッッ!!!!」

 

「冒涜するかッ!! その亡骸をッ!!!!」

 

 あり得ないなんてことは、あり得ない。確信を得た。得てしまった。ヤーナムとは、キヴォトスであると。キヴォトスという学園都市が生まれるよりも昔、この土地にあったのがヤーナムという巨大な都市だったのだと。

 

 それだけならいい。何となく察していた。使者達がいることや、私の力が使える時点で察していたのだから。だが、これだけは我慢ならない……ユスティナ聖徒会……シスターフッド……!! トリニティの上層部共……!! やつらは……多くの聖職者の亡骸を聖遺物として保管し、何者かに盗まれていたッ!! 

 

 気配はあった。懐かしい血と呪いの香りがしたから。ああ、エミーリア……貴公は眠りについたというのに、やつらはそれを許さなかったのだね……獣の病に抗い続けた一人の人間を、貴公という人間に穏やかな目覚めを……安らぎを許さなかったのだね……

 

「ああエミーリア……そんなのは酷く、辛いじゃあ、ないか……」

 

 こんなことになるのなら……許可など取らず、シスターフッドの倉庫を全て燃やしてしまえば良かったのに。あそこにはまだ、多くのものが眠っているはずなのだから。

 

(エミーリア……?)

 

「あの夜、貴公と語り合ったことを私は忘れていないよ……」

 

 千景が模造品共……エミーリアの亡骸を媒体として造られた存在達を切り裂いていく。

 

「我が師……警句を与えてくれた貴公を……私は……」

 

 我らはまだ弱く……そして幼い。だからこそ、我々は注意深く、血を恐れなくてはならない。聖血は加護を与えるだけではなく、呪いも与えるのだから。

 

「我ら血によって人となり……」

 

 斬る。亡骸に込められた後悔を。

 

「人を超え……」

 

 殺す。二度と悪夢に魘されることがないように。

 

「また、人を失う。知らぬ者よ、かねて血を恐れたまえ……我らはまだ弱く……そして幼いのだから……」

 

 これはきっと、私怨だ。私の拭いきれない憎悪と、怒り……後悔。……訣別だ。トリニティ総合学園……私はお前達を赦さない。ああ、これは間違った怒りなのだろう。だが、この世界がヤーナムであるというのなら……残っていたはずだ、アルフレートの書き綴った警句が。デュラの嘆きが。死体は全て火葬し、丁重に埋葬しろと書いてあったはずだ。

 

「さようなら、エミーリア……貴公の目覚めが、有意なものでありますように……」

 

『────────ありがとう、月の香りの人……あなたの歩みに、血の加護がありますように……』

 

 獣を狩り、血の遺志を取り込む。今斬り殺した全ての獣と、エミーリアの血の遺志の合計はほぼ同じ……ああ、本当に貴公だったのだね……

 

「……私は……何度看取る側に、回るのだろうな……」

 

 千景を鞘に納め、一人呟く。イオリの耳には届かなかったであろうこの言葉は、私の心にずっと張り付き続けている。多くのものを託され、多くのものを奪ってきた、最後の狩人。その本当の姿は、こんなにも醜悪な怒りを撒き散らす汚ならしい獣以下の存在だというのだからお笑い草だ。

 

 今なら、アルフレートの気持ちが分かるような気がする。……だが、私は……あなたを諭した側……同じ手を使うなど、酷く卑怯なことだ。……ああ、アルフレート……あなたともう一度話がしたいよ。あなたなら、どうする? あなたなら……どう、罪を弾劾するんだ? 教えてくれ……

 

「アラヤ、大丈夫?」

 

「…………さて、な」

 

 ────────自分の愚かさに笑ってしまいたくなってしまうよ。愚かだなぁ、私は……狩人のような業の深い存在でありながら、業の深い所業を見せられただけ、知り合いを研究材料に使われただけで、これだけ怒りに身を任せようとしてしまうのだから。

 

「帰ろう、イオリ」

 

「……うん」

 

「それと、万魔殿にアポを取りたい。頼めるかね?」

 

「いいけど……何するつもり?」

 

 次期風紀委員長として鍛え直したというイオリは、万魔殿とのコネクションも確保している。いつまでもいがみ合っているわけにはいかないだろう。

 

 首をかしげるイオリを見て小さく笑った私は、懐から────そう見せかけて夢からだが────ある書類を取り出す。

 

「転校手続きだ。万魔殿の管轄だろう?」

 

「……??????????????????」

 

 む? イオリが宇宙を背負ったな。どうしたイオリ、宇宙は背負うのではなく空にあるものだぞ? 交信がしたいのであれば片腕を上に、もう片方の腕を水平に伸ばせ。美しい星の娘が語りかけてくれるかもしれんぞ。あるいはアメンドーズが。安心しろ、上位者の中でも比較的まともな存在だ。オドン? あれは私を孕ませようと現れたから殺した。幼年期を終えて、確かに私は上位者としても一応赤子を産める存在となったが、貴様なんぞの子を孕むなどするわけがないだろうが。

 

 星の娘とアメンドーズはいいぞ。意外にも話の分かる連中だからな。こちらがしっかりと意志疎通してやれば、ある程度の融通を利かせてくれる。

 

「……ハッ!?」

 

「ああ、イオリ。宇宙は見えたかね?」

 

「宇宙は見えないよ……って、そうじゃない! アラヤ、ゲヘナに来るの!?」

 

「うん? ああ、そうだな。ゲヘナの方が私としては過ごしやすいと思ってね」

 

 ティーパーティーやシスターフッドの妨害を受ける可能性はあるかもしれないが、敵対するのであれば殺す。狩人を相手にするというのは、そういうことだと知るがいいさ。狩人の何たるかを教えてくれた彼らから────特に、アイリーンとアルフレートからの教訓だ。

 

 

『そうだアラヤ。あんた、覚えておきな』

 

『狩人ってのは……特に、女の狩人ってのは舐められちゃおしまいだよ』

 

『彼女の言う通りですね。無所属の狩人は特に』

 

『舐められたら、血を求めた狂ってるゲテモノ食いの連中の食い物だ』

 

『舐められた場合はどうするか……ですか?』

 

『そりゃああんた、決まってるだろう?』

 

『『ぶっ殺せ。尊厳も、何もかも、再起不能にするまで』』

 

『狩人ってのは、そういうものだろう?』

 

『その権利があなたにはあります』

 

『ま、他にはどこかに所属するのも手だね。あんた程の狩人なら、どこでも歓迎だろうさ』

 

 

 掃除を終えたオドン教会の中で、避難してきた者達が寝静まった頃に彼らと行った茶会で、そう教えられた。狩人とは、そういうものだろう? 

 

「イオリは嫌かね?」

 

「嫌じゃないよ! むしろ嬉しい。トリニティってちょっとギスギスしてて、遊びに行くと少し気持ち悪いからさ……」

 

「ククッ、そうか」

 

「あ、でもまともな人がいるのも知ってるよ!?」

 

 慌てて弁明するイオリに頷きながら、私は心を落ち着かせる。ああ、イオリとの会話はやはりいいな。打てば響く……というわけではないが、心が穏やかになるというものだ。懐かしいな……あの教会や、夢、時計塔で行った茶会が……

 

 

 ────────────────────────────────

 

 

 アラヤの家に戻ってきた私達は、汗を流してからリビングでノンアルコールカクテルを味わっていた。久しぶりに飲むけど、やっぱりアラヤの作るモヒートは美味しい。試しに作ったブラッディメアリーも結構イケた。……それは、それとして。

 

「アラヤ、聞いてもいい?」

 

「うん? 何かね」

 

「その……それは、何?」

 

 アラヤの手に握られているワインボトル……古い文字が刻印されたそれに、私の目は釘付けになっている。だって、凄い危険そうというか……私の脳が危険信号を出してるし。

 

「これかね? これは匂いたつ血の酒だよ」

 

「????????????????????????????????????」

 

「む、またか」

 

 匂いたつ血の酒? 匂い、たつ、血の、酒? ……匂いたつって、立ち込めるという意味と女性の美しさなどで周囲が輝くように感じられるという視覚的意味とを持っている表現っていう表現だよね? 

 

 血の酒……比喩? 比喩だよね? 比喩なんだよね? 血がお酒なわけじゃないよね? 

 

「大丈夫かね、イオリ。鎮静剤は必要かね?」

 

「いらない! というか何、そのボトルの中身!?」

 

「ああ、戻ってきた。……存外いいものだぞ、これは」

 

 とく、とく、とグラスに注がれたそれは、血のように赤く、それでいて艶かしい。

 

「知り合いからの贈り物でね……私用に用意してくれたんだ」

 

 グラスに注がれたそれを受け取り、少しだけ匂いを嗅ぐと、芳醇な……今まで嗅いだことのないくらい甘くて濃厚な香りが脳天まで吹き抜けていった。

 

「本来なら熟成した血を楽しむのだが……血のように赤いブドウを使ったものだ」

 

 昔、ブラックマーケットでアラヤと一緒にこっそり手に入れた貴腐ワインにも似た────それでいて全く違うそれ。ちなみにそのワインはアラヤの倉庫で寝かせている。成人したら一緒に飲むつもりだ。

 

「さぁ、乾杯だ。……そうだな、イオリ、貴公との再会に」

 

「うん。じゃあ、アラヤの退院に」

 

「「乾杯」」

 

 カラン、とグラスを鳴らした後、少しだけ口に含む。酒精は感じない。ブドウの甘み、渋み、酸味、そのバランスが素晴らしい。甘さが最初に来たと思えば、奥から酸味と渋みが一瞬通りすぎる。

 

 その味もさることながら、香りも私が飲んだり食べたりしたブドウの中で、一番香っていた。綺麗な大理石のテーブルに真っ赤な宝石が敷き詰められているような、厚みのある香りは、私の心を踊らせる。

 

「美味しい……!」

 

「ああ、そうだね」

 

「贈ってくれた人ってどんな人だったの?」

 

「うん? ……そうだな……これの他にも贈ってくれた人はいたが……」

 

 あ、他にもいたんだ。

 

「これを贈ってくれた人は……そうだな……隠す必要もあるまい。……ヴァルトール。私の師だった人だ」

 

 ヴァルトール……そんな人がいるん────いや、いたんだ。アラヤの言い方からして、その人はもう亡くなっている。そんな形見のような貴重なものを私にも飲ませてくれるなんて。

 

「ヴァルトールは……そう……父親のような人であったよ」

 

「へぇ……」

 

「彼の所属していたところには、私も世話になった。皆、とてもいい人だったよ」

 

 そう言って笑うアラヤの表情はとても懐かしそうで……それでいて────────どこか、寂しそうだった。

 

 

 

 

 




なお、全員アラヤちゃんと飲み明かすことはありませんでした。だって……ね?

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