透き通る世界で、月の香りがした。   作:エヴォルヴ

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【開かずの扉】

ゲヘナ学園の自治区にある、強固な扉。温泉開発部の破壊活動や、ヒナの銃撃でもびくともしない扉の先からは、声がする。

「合言葉だ…ヒヒッ…」

合言葉。キヴォトスの誰もが知らぬ合言葉は、今や《月香の狩人》のみが知る。冒涜の封印を開き、悪夢を終わらせたいのであれば、《月香の狩人》を探せ。

その者は、青ざめた宇宙のような瞳を持っている。


24.ヤーナムの夜

 古都ヤーナム。この都には素晴らしき医療があった。

 

 聖なる者より賜った、あらゆる病を根絶する貴き血────聖血を用いた血の医療である。誰もがそれを求め、ヤーナムを訪れ、ヤーナムに呑まれていく。

 

 だが、ある日を境にヤーナムで妙な病が流行り始めた。理性を失い、獣と化す病……獣の病である。予兆はあった。灰血病、狂った者、人の服を着た獣の目撃、カインハーストの貴族達……しかし、それでもヤーナムの人々は血の医療に、血に酔うことをやめない。それが悪夢に呑まれる行為であったとしても。

 

「……もはや実家のようではないか」

 

 そんなヤーナムに、一人の少女が訪れた。月見アラヤ────のちの【月香の狩人】である。

 

 ヤーナムの流儀を十二分に受けた彼女は、己の砕けた銃を早々に手放し、狩人の夢にて使者達から贈られたノコギリ鉈と獣狩りの散弾銃を握っていた。

 

 彼女の持っていた銃の名は【Precious Blood】。フリントロック式の母から譲り受けた歴史ある銃だったが、あり得ない速度で破損した。そもそも、ヤーナムの銃と彼女の銃では出る音が違う。盾にもならなかった。

 

「問題は犬だ。やつらめ、速すぎる……」

 

 ぶつぶつと呟きながら、アラヤは迫り来るヤーナムの住人を狩り続けていく。まるで何度も繰り返してきたかのように、手慣れた動きでヤーナムのバーベキュー会場を突破し、走り抜けた彼女は、嘲笑が聞こえる家の横を飛び降りる。

 

 犬が見えた直後にノコギリ鉈を叩きつけ、斬殺したアラヤはそのまま屋内へ────入る前に横にある道に入っていく。もはやAny%走者の速度であった。

 

「なんだい、あんた。存外、やるもんだね」

 

「────やはり見ていたな、貴公」

 

「偶然さ。……あんた、どこの派閥だい? その身のこなし……ただ者じゃないね」

 

「派閥……? 悪いが私は家無しの無頼者でね」

 

「ああ、新人かい。運が悪いね」

 

 肩をすくめたアラヤに対して、呆れたようなくぐもった笑い声を上げるペストマスクを装着した女性。女性は、仮面越しにアラヤの身体的特徴を見ながら口を開く。

 

「あんた、何を目的に狩人になったんだい?」

 

「さて……私の記憶は輸血後以外に無くてね。ただ、青ざめた血を求め、狩りを全うせねばならんそうだ」

 

「……なるほど。あんた、ヨセフカの診療所に運び込まれた例の子だね。服装が様変わりしてるんで気付かなかったよ」

 

「……知っていたのか? 私のことを?」

 

 警戒を強めるアラヤにクツクツと笑った女性────アイリーンは、勘違いするんじゃないよ、と言って続ける。

 

「このババアも元余所者だからね。余所者の情報は入ってくるのさ……」

 

「余所者……」

 

「ヤーナムの住人ってのは二種類居てね。ヤーナムに昔からいるイカれ集団と、そのイカれ集団に爪弾きにされる余所者さ」

 

 確かにアラヤという少女は余所者である。気付いた時には誓約書を書き、輸血を行い、ヤーナムの夜にいる余所者であった。ヤーナムの人間というのは、基本的に余所者を歓迎しない。自分達を異常者と認識する者を、尊き血を拝領することを異質と認識する者を、誰が受け入れようか。

 

「まともな連中はいるが……大方、余所者か、狂いかけか……」

 

「ヤーナムとは……ろくな場所ではないな?」

 

「今更かい。あんたも、まともじゃあ無くなってるよ。この都の血が入ったんだから」

 

 沈黙するアラヤに対し、アイリーンは思い出したように口を開く。

 

「ああ、そうだ。地下墓には近付くんじゃないよ。ガスコイン……古狩人が正気を失ってる。まともな人間とて襲われるだろうさ」

 

「……ふむ。その娘に父を連れてこいと言われたが……難しいかね?」

 

「娘……ああ、あの白いリボンの娘かい。……酷なことだが、もうあれは人じゃないよ。狂った狩人の……成れの果てさ」

 

「……」

 

 突き付けられる絶望的な事実に、アラヤは黙り込む。心優しい少女との約束は、ガスコインと出会う前に破ることになった。

 

 これが、悲劇の始まり。狩人アラヤという少女に課せられた、最初の試練であり、悲劇の始まり。悲劇の連鎖の引き金。彼女はもう、踏み入れてしまった。このヤーナムに生きるということが、獣狩りとは何なのかを肌で感じ、絶望へと沈んでいくことが決まった瞬間である。

 

 彼女は初めから、何となく知っていた。ここで聞かないふりをすれば、忘れてしまえば己の周りで悲劇など起こらないことになることを。だが、しかし。

 

「ならば、私が眠らせる」

 

「……何だって?」

 

「終わらせる。悲劇の連鎖を。ガスコイン神父を、私が弔う」

 

 彼女は、アラヤは、飛び込んだ。後の自身がどれだけ嘆こうと構わないと言わんばかりに、ガスコインを殺すと宣言したのだ。

 

「言ってることは分かってるのかい?」

 

「ああ。分かっている。仮に、何度繰り返したとしても、私はこの選択をする」

 

 それが、狩人として────人間として狂った者へ対しての手向けとなるのであれば。

 

 アイリーンが見た瞳、アラヤの青ざめた宇宙のような瞳には、狂気があった。狂気の中で、狂わぬ人間としての輝きがあった。人間としての輝き、いつしか忘れてしまった意志の力。血に因って与えられる力ではなく、人間のみが持つ、勇気と意志の力が。

 

(ああ、参ったね……老いたババアに、この輝きは眩しすぎる)

 

 それはまさに呪いのような輝きである。血に濡れた狩人達が、いつしか捨て去った美しい輝きに、アイリーンは目を細めた。

 

「なら、気を付けるこったね。ガスコインが狂ってるなら、ヘンリック────あいつの相方も狂ってるはずさ」

 

「……ああ」

 

「怖いかい?」

 

「まぁ、な。死にはまだ慣れん。夢から覚める、あの感覚もな」

 

「いいことじゃないか。恐怖を捨てた狩人など、獣と変わらないのさ……あんた、恐怖は忘れちゃいけないよ」

 

 ゆえに、アイリーンはアラヤに助言を与えた。狩人の先輩として、己がそうしてもらったように。

 

 恐怖を捨てず、狩人として在れ。恐怖を捨てれば、それは本能のままに血肉を貪る獣と変わらないのだから。

 

「ああ、そうだ。それと、これを持っていきな」

 

「……この、鐘は?」

 

「餞別さ。新しい狩人の手伝いをするのは、先輩としての役目だからね」

 

 苦しい戦いには、呼びな。

 

 そう言ってアイリーンは去っていく。アラヤは彼女を見送ることなく、当初の目的へと戻っていった。

 

 下水道を越える際に三回死んだ。

 

 鉄球転がる大きな橋を渡る際に二回死んだ。

 

 灯りを点火し、休息を取る前に奇襲されて死んだ。

 

 死ぬことにまだ慣れぬアラヤは、それでもなおガスコインがいるという墓地に足を向ける。そして、ようやく辿り着いた墓地にいたのは────────

 

 

「……!!!!」

 

「ああ……家族達……弱い俺を、赦してくれ……」

 

 

 獣と思しきものを切り刻む二人の狩人の成れの果てであった。

 言葉は不要、とばかりにノコギリ鉈を構えたアラヤの殺気に気付いたのか、狩人の成れの果て────ガスコイン神父とヘンリックが彼女を見る。

 

「……どこもかしこも獣ばかりだ……」

 

「赦してくれ……赦してくれ……」

 

「……もう、終わりにしよう。貴公らの、その嘆きも、慟哭も、私が、終わらせる」

 

「……貴様も、どうせそうなるのだろう?」

 

「ア゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!」

 

 本当の獣狩りの夜が、始まる。

 

 

 

 ────────────────────────────────────

 

 

 

「……合言葉だ……ヒヒッ……」

 

 黒服と暁が獣狩りの夜の物語を読んでいるであろう夜、開かずの扉と呼ばれた聖遺物の前に、月見アラヤはいた。

 

「……かねて血を恐れたまえ」

 

「……ああ、なんだ……あんたかい……ヒヒッ……やっと、終われそうだ。……悪夢は、終わるんだなぁ……ヒヒッ……ヒヒヒッ……」

 

「……ええ。お疲れ様でした、ヤハグルの門番殿。あなたの目覚めが、有意なものでありますように」

 

 アラヤの声を聞き届け、扉が開かれる。扉の先にいたのは、白骨化した亡骸。形はもう無く、もはや人であったことすら分からない。だが、それでも。アラヤは彼を看取った。

 

「……ハナニラ、か」

 

 黒獣パールを狩ったあの場所は、今や美しい白い花が咲き誇る場所になっていた。扉が開かれる際に受け取ったヤハグルの遺志から察するに、デュラが、アルフレートが、連盟員達が、多くの者が哀悼の祈りとして植えた花達である。

 

「……誰に、育てられるわけでもなく、自生している……」

 

 ヤハグルは────ヤーナムは滅んだ。あの門番が最期まで残っていた遺志だったのだ。

 

「あとは……遺物のみ」

 

 マコトから渡されたリスト、その中にあった開かずの扉。その先は誰も知らない。だが、アラヤは知っていた。知覚している。何かが、蠢いている。この地を去ったアメンドーズ達ではない、上位者────否、上位者の成り損ないの気配を。

 

「残っていた儀式素材を取り込み、顕現したか……」

 

 ミコラーシュの亡骸があった場所へと向かうための広場、そこに奴はいる。出ようとして暴れているようだが、強固な封印が成されているのか、出ることは叶わない。

 

「ククッ、ああ、なるほど。私が来るまでの封印ということか」

 

 今開かれた扉も含めて、全てが封印の蓋であったのだ。デュラも、アルフレートも、薄々気付いていたのだろう。アラヤがその時代の人間ではないことを。だから、蓋をした。己では成し得ぬことを、最後の狩人へ託すために。

 

「ああ、任せてくれ、我が師達。私が、終わらせるよ」

 

 狩装束に身を包んだアラヤは、耳に着けていた通信装置を起動。口を開く。

 

「こちらアラヤ。ヴェリタス、聞こえているか」

 

『こちらチヒロ、聞こえてるよ。今もモニタリングしてるけど……その先に、得体の知れない反応がある』

 

「ああ。知っています。……ヴェリタス及び、ゲヘナ学園に告ぐ。通信もモニタリングも全て切れ。狂い死ぬことになるぞ」

 

 これは、ゲヘナ学園とミレニアムサイエンススクール合同の調査であった。考古学を専攻する者もいるミレニアムの人間と、入り組んだゲヘナ学園の地形を知るゲヘナの人間。聖遺物の回収及び解析を目的とした調査だったが、奴がいるのなら────奴が顕現できるほどの儀式素材があるのなら、話は変わる。

 

『アラヤ、それは……』

 

「好奇、猫をも殺す。聞こえるだろう……奴の声が」

 

 耳を澄ませば聞こえてくる、冒涜の叫び。背筋が凍り、震え、吐き気すら覚える冒涜の叫びが、通信を聞いていた者達の耳に届いていた。

 

 この怖気に耐えることができたのは、アラヤとの関わりが比較的強い者と、一部の者のみ。だが、実物を見たのなら、耐えることは難しいだろう。

 

「異論はあるかね、諸君」

 

 沈黙。それが回答であった。

 

「……獣狩りの夜だ。あの夜はまだ、終わっていない。故に────私が、終わらせる」

 

 ふわり、と頬を撫でる風。屋内にいたはずの者達────キヴォトスに住む者達全てが、不思議な香りに首をかしげる。

 

「私は月見アラヤ」

 

 それは、月の香り。

 

「多くを託され」

 

 それは、最古にして、最新の香り。

 

「多くを奪い」

 

 ヤーナムに終焉を、穏やかな目覚めを、優しい眠りを与える者が現れたことを知らせる香り。

 

「多くを喪い────多くを得た、最新の狩人」

 

 冒涜を冒す者は恐怖せよ。悪夢に苦しむ者は祈れ。

 

 奴が、奴が戻ってきた。全てを終わらせる月の狩人が、帰還した。

 

 最後の獣狩りの夜が、始まる。罪の清算、贖罪ではなく、追悼のための狩りの始まりを、鐘の音が告げた。

 

 

 

 

 

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