有馬かなに転生したので、俺の意識が消えるまで彼女を守護ろうと思う   作:雑穀ライス

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中二病

 この世界の「有馬かな」は「夜遊ビ。」を名乗ってアイに「アイドル」を楽曲提供したことで、アイの心を救った。そして、「15年目の愛」がリリースされてB小町はその人気を不動のものにした。

 

 「15年目の愛」は大好評だった。それはいい。しかし、ドラマ制作に関わっている脚本家たちが「15年目の愛」を意識し過ぎたせいなのか、「15年目の愛」リリース後の数年間は「泣かせる系」のドラマ作品が急激に減ることになる。

 「泣かせる系」のドラマ作品は、有馬かなの主戦場だった。

 有馬かなが行ったことは、結果的に自分の首を絞めることになった。そして、その他にも小さな不幸がどんどんとドミノ倒しのように襲い掛かるような事態が発生していく。

 

 性悪な神様の興味は、星野アイから有馬かなに移った。そのことを、本人はまだ気づいていなかった。

 

 

 

 ……俺は演技の才能がない。最近そのことを痛切に感じる。

 未だに「有馬かな」のスペックでゴリ押しするしか出来ない自分に嫌気が差してきた。そろそろ「レベルを上げて物理で殴る」が通用しなくなってくるときだ。

 俺の実力は、原作の有馬かなよりも、低い。しかも、俺の抱える悩みはそれだけではない。

 感情の制御が、効かなくなってきたのだ。

 

 感情の制御ミスで大失敗をしたのが、ただいま絶賛売り出し中のジュニアアイドルを主人公としたドラマの撮影でのこと。言っちゃなんだが、このジュニアアイドルがド下手くそでNGを出しまくっていた。

 周りのみんながうんざりしてきたタイミングで、思わず()の口が滑った。

「あなた、本当にやる気あるの?」

 

 ジュニアアイドルがブチ切れた。

 一番感情が不安定になる第二反抗期に差し掛かろうとしているガキが、幼稚園児の小娘に小馬鹿にされた形になった。盛大に荒れた。

 ジュニアアイドルのキレ具合を見る限り、過去にこの言葉を使っていじめられた経験でもあったのかもしれない。完全に地雷を踏み抜いた反応だった。

 幼稚園児相手に暴力を振るわない程度の良識が残っていたのが、逆に面倒でもあった。

 

 どうする?泣くか?

 

 泣けば、ジュニアアイドルのほうを悪者に出来る。しかし、撮影は確実に中断するし、そうなったら今日中に再開できるか結構怪しい。

 ()のせいで撮影が中断されるのは、凄く嫌だった。

 

「あ…有馬さん、只野くんに謝ったほうがいいわよ?彼、北川社長のお気に入りだから…」

 大人が俺に言ってくる。ホモビデオに出演してそうな名前だな…と一瞬考えたが、流石に口に出すのは自重した。

 

「…ごめんなさい」

 考えるのが面倒になった俺は、ジュニアアイドルに謝ることにした。

 悔しさと情けなさで少しだけ涙が出た。…()は悪いことをしていないのに。

 

 後日、向こうの事務所から有馬かなとの共演拒否の通知が届き、同時期に「有馬かなは協調性がない子供」という悪評が流れ始めた。

 只野がホモの老人に襲われますように、と割と本気で神に祈りを捧げた。

 

 

『変わりたいと思うことは、自殺と同じだね。』

 俺が前世のラノベ小説で見た言葉だ。タイトルはもう忘れた。一体、この言葉の意味が理解出来る人はどれほどいることだろうか。言葉の意味を理解するために必要な前提知識が多すぎて、普通の人には理解できようもない。

 

 「テセウスの船」という言葉がある。

 簡単に言うと、ボロボロになった船をすべて新しい部品に入れ替えて修理すれば、それは元の船と言えるのだろうか、という問いかけであり一種の思考実験だ。ではこれを人間に当てはめて考えてみよう。

 

 例題は「中学で陰キャだったやつが、高校デビューして陽キャになった。これは同一人物だと言えるのか」という内容だ。

 

 普通の人は同一人物と答えるだろう。「肉体こそが本体であり、心の新陳代謝により肉体に合わせて成長した結果だ」と考えるのが当然の反応だ。

 対して心こそが本体であり、それはもはや別人であると主張する人は「陰キャの心が消滅し、陽キャの心が肉体を乗っ取った。諸君らの愛してくれた陰キャは死んだ、何故だ!」と答えるだろう。

 オチは当然「中二病(ぼうや)だからさ」である。心の新陳代謝を認められない人間は、社会は子供だと判断する。

 

 つまり前述のポエミーな言葉は、「今ここにある心こそが己の本体であり、自己否定を根底とした変身願望なんて心の自殺と変わらない」という意味だ。

 なるほど、説明されないと全く理解できないところが中二病らしい。最初からそう言え。

 

 

 前置きが長くなったが、俺の肉体は有馬かなのものだ。肉体に合わせた心の新陳代謝が進めば、俺の心は少しずつ有馬かなに置き換わっていく。

 俺は「有馬かなに変わる()()だ」と考えている。心の成長を拒む不健全な中二病を患うつもりはない。そして、有馬かなの心と身体が完成したとき、俺という存在は交換されたテセウスの船の古い部品のように廃棄されるのだろう。

 

 だが、「有馬かなに変わる()()だ」と思うことと、「有馬かなに()()()()()」と思うことにどれほどの差があるというのだろうか。俺の思いなど、諦観による自殺に過ぎないのではないか。

 

 俺の苦悩など知ったことかと、自壊因子(アポトーシス)は「テセウスの船」の改築を進めていく。

 ()は、()になっていく。それを止めることは、出来ない。




やりたかったことリストその8:
「変わりたいと思うことは、自殺と同じだね。」を題材とした中二病小論文テスト。
ちなみに昔作者が2ちゃんねるで見つけた書き込みです。

「この言葉の意味が理解できる人は中二病の才能があるので西尾維新の小説がオススメです」とか言われました。作者は割と速攻で理解出来ました。
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