有馬かなに転生したので、俺の意識が消えるまで彼女を守護ろうと思う 作:雑穀ライス
今回は原作からのセリフの流用が多いです。ご了承ください。
…有馬かな達が帰った後、吉祥寺頼子はその日のうちに鮫島アビ子のスタジオに足を運んだ。
時刻は19時前であったが、11月の半ばということもあり辺りはすでに暗くなっていて空には月が浮かんでいる。
「アビ子先生、おじゃまするわよー」
頼子がスタジオに入ると、アビ子はゴミ屋敷化しかけた暗い部屋で黙々と漫画の原稿を描いていた。頼子は足の踏み場もないほどに散らかったゴミや道具を踏まないように苦労しながら歩いて、アビ子に近づいていく。
「すみません、原稿中なのであまり相手出来ませんがどうぞ」
「…東京ブレイドの締め切りって今日よね?なんでアシスタントも呼ばずに一人で原稿描いてるの?」
「今、アシスタントいないんで」
「えっ……」
鮫島アビ子の、そのあまりにも酷い発言を聞いて彼女は絶句する。
「何度言っても絵柄合わせてくれないし、背景で感情表現全然出来てないし、修正繰り返すより自分で描いたほうが早いからクビにしました」
悪びれることなく、これが正しいことだと言わんばかりのアビ子の態度を見て、頼子は眉間に皺を寄せた。
「今一人で描いてるの?いつから?」
「先月…いや163話のときからなので2か月前からですね」
「…ちゃんと寝てるの?」
「一応毎日2時間は寝てるのでまぁなんとか。今日は寝れそうにないですけど」
まるで他人事のように言い放つアビ子を見て、頼子の脳裏に有馬かなが言った「アビ子先生はボロボロです。助けられるのは吉祥寺先生しかいないんです」という言葉が思い浮かぶ。
よくもまあ、一目見ただけでこの状況をピシャリと言い当てられるものだ。頼子の有馬かなへの評価がまた少し上がった。
安請け合いしてしまったかも、と彼女は一瞬後悔しかけたが、もとより見捨てるという選択肢はないので覚悟を決める。この向こう見ずな後輩を助けられるのは自分しかいないのだと実感した彼女は、このまま帰るわけにはいかないと強く思った。
「…あなた、そのうち死ぬわよ。もっとリアルに言うなら鬱病リタイアコース。二度と元のペースで描けなくなるわよ?」
「いやもう死にたいですねー、来週カラーもあるし。単行本作業の描き下ろしも描かなきゃいけないですし」
「舞台の脚本は?」
「あーそれもありましたね。なんか編集が脚本を書くための取材とか言ってチケット送ってきたんですけど、この原稿終わったら観に行かないと…」
「手伝うわ。適当に背景埋めるからね」
割と冗談抜きで棺桶に片足を突っ込み始めているアビ子を見兼ねた頼子は大きなため息をつき、上着を脱いで作業机に座った。
「そういえば、先生はここに何しに来たんですか?」
「…鞘姫役の有馬さんが私に『アビ子先生が死にかけてるので助けてあげてください』って頭下げてきたから助けに来てあげたのよ。少しは感謝しなさい」
「……?どうしてその人が私の心配をしてくれるんですか?」
「あなたが舞台の脚本やるって言い出したから他人事じゃなくなったんでしょうが。まあそんな建前はなしにしても、8割ぐらい善意で頼んできたように見えたけどね」
「……ふーん」
アビ子にとって、有馬かなは原作設定を無視した鞘姫役の役者ということで注目度は低かった。『今日あま』に至ってはまともに見ていないので評価の対象外だった。
何だあの演技は?原作は読んだのか?アニメは観たのか?少しでも「東京ブレイド」の内容を知っていれば台詞の内容に違和感を覚えるはずだ。文句も言わずに台本に書かれた通りの演技をするのはもはや同罪である。…そんな風に彼女は考えていた。
結局アビ子は、有馬かなが何を考えて鞘姫の演技をしていたのかに気付くことは出来なかったのだ。
――時刻は深夜0時。部屋には原稿の上をペンが滑るカリカリという音だけが響いていた。
「あーもう何この書き込み量……週刊で、なおかつ一人でやる密度じゃないでしょ。早くアシスタント雇いなさい」
「……編集にも言ってるんですが、使えそうな人持ってこないんで。どうせ大御所にいい人材全部送っているんですよ。あの担当マジ使えないんで」
「選り好みし過ぎなんじゃないの?アシスタントは育てるものでしょ」
「…そんな余裕はないです」
疲労と苛立ちと睡眠不足が重なり、アビ子の表情が険しいものになっていく。しかし頼子はアビ子への追求を緩めない。
「作品に拘り強いのも分かるけど、こんな生活は駄目よ。多少妥協しても人間らしい生活しなさい」
「…私の作品は妥協したら終わりなんです。一瞬で読者から見放されます」
「そんなことないでしょ。やり方が悪いだけ」
「先生に何が分かるんですか」「少なくともこれは間違ってる」
「…作品のクオリティを人質にしてまっとうなコミュニケーションから逃げてるだけじゃないの?自分が上手くやれないのを人のせいにしてる様にしか見えない、そういうのって回り回って自分の首を絞めるのよ」
「…そんな事、月刊でのほほんとやってる人に言われたくないです」
尊敬する師匠から図星を手痛く突かれて、アビ子は思わずペンを握る手に力が入る。
「そういうのは5000万部売ってから言って貰えます!?こっちはそういうレベルで戦ってるんです!重い期待の中毎週必死にやってるんですよ!?」
正論で殴られるストレスに耐えかねて、ついにアビ子がキレた。
ちなみに日本の漫画で5千万部以上売ったのは58作品しか存在しない。「推しの子」の発行部数は1800万部で、「SPY×FAMILY」ですら3500万部程度だ。しかも東京ブレイドの最新刊は14巻までしか出てないので、1巻当たりの発行部数は「僕のヒーローアカデミア」よりも上で「呪術廻戦」と互角レベルだと言えばその凄さが分かるだろう。
「……言うようになったわね。それ言われて言い返せる漫画家は今この業界にほとんどいない。本当に無敵の返しよ」
目を掛けていた後輩にあっさりと追い抜かれて複雑な思いを抱えていた頼子はアビ子の言葉に一瞬絶句するが、すぐに気を取り直して会話を続行する。そっちがその気なら丁度いい機会だ。レスバ上等、今まで腹の中に溜めてきた思いを今ここで全部ぶつけてやる。
劣等感と反骨心に火をつけられた頼子は、アビ子に売られた喧嘩を言い値で買うことにした。
「確かに私はアンタほど売れてない。でも悪いけど私のほうが面白い漫画描いてっから!!!!
アンタのセンスに頼り切った目新しい感じの漫画は確かに読者には新鮮でしょうねぇ!でもそれだけ!本質的にはエンタメでは無ぁい!!」
「はあーーーーーーっ?
出た出た読者に媚びた展開をエンタメと勘違いした自称プロフェッショナル!紋切り型のありふれた展開を王道だと思い込んだ古いやり口!!!」
「最近の『東ブレ』がまさにそれでしょうが!読者に媚び始めた12巻以降正直微妙だから!!!
『刀鬼』と『つるぎ』のカップリングはなんだ!読者人気に気圧されて中途半端にねじ込んでるだろ!!半端な漫画描いてるんじゃないッ!!!!」
「ひっ…ひどい……!私なりに読者の期待に応えようと頑張って…」
「図星ですかぁ!?売れっ子様が読者の意見でブレちゃいましたかぁ!!
更にもう一つ言わせてもらうけど、アンタ鞘姫の扱い最近雑過ぎるでしょ!?そのせいで舞台の脚本家さんも『このぐらいの改変ならいいか』って勘違いしたんじゃないの!!?あのとき脚本家さんは何も言い返さなかったけど、内心こう思ってたでしょうねぇ!?
『
「な…な……っ!!」
自分自身が「東京ブレイド」のキャラを粗雑に扱っていたという、全く考えもしなかった視点からの反撃を受けてアビ子は酸欠の金魚のようにぱくぱくと口を開く。
その頼子の鋭い指摘を聞いて、自分がGOAに言い放った心無い言葉に対する羞恥心のようなものが少しだけアビ子の心に沸き起こった。
「先生こそ…牙抜けちゃったんじゃないですか…!?見ましたよ『今日あま』のドラマ!まぁ酷かった!あんなの許しちゃってプライド無いんですか!?」
苦し紛れに話題を変えて頼子を責めるアビ子だったが、頼子はその言葉を涼しい顔で受け流す。
「フッ…あのドラマの良さがわからないとはアンタもまだまだお子様ね。そりゃまあ7割ぐらいのシーンは落第点だし、私の知らないオリジナルキャラが登場するシーンとかは全部2倍速スキップで飛ばしたくなる内容ではあったけど、それでも光るものはいくつかあったわ」
頼子はドラマ版「今日あま」を貶しながら褒めるという器用なことをしながらドラマの内容を擁護した。詭弁を弄して煙に巻くわけではなく、本心から自分が好きだと思えた内容を素直に語る。
「
好きな子に酷いことを言われて、内心傷つきながらも無理やり笑顔を作って彼女の世話を焼く。自分の命が残り僅かで、本当は自分が助けて欲しいと思っているぐらいの弱い子なのに、好きな女の子の前でカッコつけたくて瘦せ我慢をしながら繕い切れていない下手糞な笑顔を向ける。
下手な演技が、そのまま味になっている良い演技だったわよ」
これは大人の読者が「ドラゴンボール」のMr.サタンや「ダイの大冒険」のポップに共感して感動するのと同じ理屈だ。
強さに憧れる子供では「弱くても地球が守れる」「自分の弱さを克服して一歩踏み出すことこそが本当の勇気」という要素はあまり心に響かない。その心の機微を理解して共感するには「すれた」大人にならないと分からないものだ。
「今日あま」のメルトの演技は、拙いながらもその「弱さに共感させる演技」の片鱗を見せていた。だから、頼子は彼のことを認めたのだ。
「まあ人生経験乏しいアンタには理解出来ない感覚なんでしょうけどねぇ!」
「そういうアラサー受けする要素を力説されても私には全然理解出来ないんですけど!!!」
「ぐはぁっ!!!!」
調子に乗ってアビ子を煽りまくってた頼子だったが、アビ子の放った反撃の一撃で一刀両断にされて白目を向いて血を吐きながら机に突っ伏した。
――今日の敗者、吉祥寺頼子。
…その後も、ぎゃあぎゃあと姦しく言い争いながら、時には涙を流して語り合いながら彼女たちは原稿の作成作業に追われていた。
夜が明け、日が昇り、そしてまた日が暮れる。そしてPM9:41、ついに「東京ブレイド」の原稿が完成した。
「…先生が手伝ってくれたおかげで、今週は割と余裕がありましたね……」
「はあ…ごめんなさい。私、寝不足で、マルチタスクで、頭分かんなくなってて、先生にひどいこと沢山……」
疲労と寝不足と自己嫌悪に原稿作成中の興奮状態が終わった後の賢者タイムが重なって、情緒不安定になったアビ子はボロボロと涙を流しながら頼子に謝罪する。
「良いわよ私も大概だし、ただ、ヨソでアレ言ったら速攻で縁切られるから気をつけなさい」
「…どうしたら人とうまく出来ますか?」
「歩み寄りなさい。メディアミックスは他人との共同制作、自分だけでは出来ない事の集合体なんだから。
…これも有馬さんが言ってたことなんだけどね、2.5次元舞台って原作愛が旺盛なスタッフが集まる傾向があるから私の『今日あま』のときよりもよっぽど環境がいいって言ってたわよ。
あそこにはあなたの漫画を軽んじる人は誰もいない。みんなあなたの漫画が好きな人ばかりが揃ってるのだから、あなたが心を開けばみんなあなたを受け入れてくれると思うわ」
疲労困憊状態でネガティブになっているアビ子を、頼子は優しく諭した。アビ子はその言葉を噛み締めた後、言いにくそうに口を開く。
「すみません。私、もうひとつ先生に謝らないといけないことがあります」
「…何かしら。言ってみなさい」
「……私、ドラマの『今日あま』を一話切りしていました。実は全然見ていません」
「……うん、それはまあ、仕方ないかな」
エア視聴者なのにドラマ版「今日あま」をボロカスに叩いていたとアビ子に白状された頼子はこの生意気な後輩をシメるべきか少しだけ悩んだが、情状酌量の余地ありということで執行猶予をつけることにした。
時は金なりというが、発行部数5000万部の売れっ子漫画家の時間はどれだけの値段がつくか想像がつかないのでタイパの悪いコンテンツを強引に勧めるわけにもいかない。
「…でも、これから2話以降も観てみようと思います」
「……そっか。良い子ね、あなたは」
それでもアビ子がドラマに興味を持ってくれたことが少し嬉しくて、頼子は彼女の頭を撫でた。
――舞台「東京ブレイド」稽古10日目。
アビ子先生が「東京ブレイド」の原稿を仕上げた日の2日後、新しい脚本が完成した。
雷田Pの説得によりGOAさんが脚本を降ろされる事態は阻止されて、「推しの子」の原作通りにGOAさんとアビ子先生が共同で脚本を作成する流れになった。
脚本の内容も原作と大体同じだ。説明台詞がゴリゴリ削られて、やたら「動き」だけでどうにかしないといけないシーンが多い「役者の演技に全投げ」のとんでもないキラーパス脚本になっていた。
しかし劇団ララライの連中は趣味と実益を兼ねて役者になったような連中ばかりだ。新しく上がってきた演技全振りの脚本をまるでエルデンリングの高難易度追加コンテンツをダウンロードした廃ゲーマーのような顔で読み込んでいる。メルトだけが、ゴーストオブツシマと間違えてSEKIROを買ってしまったライトゲーマーみたいな顔で必死に台本を読み込んでいた。
私としては、演技の難易度が上がるのは想定内だったので特に問題はない。問題は、別のところにあった。
「マジか、これ」
鞘姫の台本の内容は大きく修正されていたが、その内容は脳筋姫から原作準拠の鞘姫の性格になっているだけに留まらなかった。
……クライマックスシーンの殺陣で刀鬼を庇ってブレイドに斬られて散るシーンがなくなり、代わりに刀鬼がブレイドに斬られて死ぬシーンに変わっていた。
あのアビ子先生が原作改変を認めただとぉおおおおおおおお!!!!!?
やりたかったことリスト36
アビ子先生、実は「今日あま」を一話切りしていた。
アニメで追加されたシーンでアビ子先生がドラマ版「今日あま」の最終回を見て目をキラキラさせるシーンあったけど、反応が初見のそれにしか見えねぇんだ。