「私に勝つ……それ、本気で言ってるの?」
葵の精一杯の虚勢を真に受けたルサルカは、きょとんとした表情になり、不思議なものを見る目で四人のリリィを眺めた。
そのルサルカを前にして、葵は頭の中で懸命に考えを巡らせていた。
(やはり、調査隊とサングリーズルはルサルカを仕留めきれていなかった。
マギを相当消耗していたとはいえ、ノインヴェルト戦術自体は成功したと聞いている。
それでも倒せなかったのなら、ルサルカのヒュージ等級は超級ギガントかアルトラ級ということになる……)
二個レギオンに加えて、『最果ての花々』までもがマギスフィアのパス回しに加わったノインヴェルト戦術をもってしても、ルサルカは死ななかった。
今、ノインヴェルト戦術用の特殊弾は楓が持っている。
だが、四人分のマギスフィアで倒せるヒュージは、グレーターラージ級が限界だ。
ルサルカに致命傷を与えられる可能性が皆無である以上、ノインヴェルト戦術は真っ先に選択肢から外れた。
こちらの存在をルサルカに察知された時点で、撤退の選択肢は既に消滅している。
逃走しても逃げきれない、ましてヒュージ相手に降伏など意味をなさない。
どうあってもルサルカと戦って、血路を開く以外に生き延びる選択肢は無い。
「本気で言ってたら、どうだっていうのよ」
葵はルサルカから視線を外さずに、結梨と並んでいつでもルサルカに斬りかかれる態勢を取った。
だが、葵も結梨も軽率に攻撃を仕掛けることはせず、今は間合いを保つことに集中していた。
二人とも得物のトリグラフは分離させず、両端に刀身のあるパルチザンモードで構えている。
一方、葵と結梨の数メートル後ろにいる楓は、注意深く後方を警戒しながら、ヒュージサーチャーの無線通信回線を開いた。
「要塞司令部へ。これよりLGグルヴェイグは最下層付近にて、人型ヒュージ『ルサルカ』との戦闘に入りますわ。
各階層の要員は、耐爆ブロックへ大至急退避して下さいませ」
他レギオンの増援を要請することは考えなかった。
地下要塞の狭い通路では、大人数でルサルカを包囲攻撃することはできない。
一度に攻撃を仕掛けられるのは、通路幅を考慮すると二人が限界だろう。
従って、ルサルカとは必然的にデュエル戦闘の形で戦わざるを得ない。
このため、求められるのは集団での総戦力ではなく、個人の戦闘能力の高さとなる。
地下要塞の将兵が退避するまでの時間稼ぎと、もう一つ、レギオンの任務である情報収集のため、楓はルサルカに平静を装って話しかけることにした。
この状況が、未知の情報を得る絶好の機会であることは間違いない。
ルサルカというヒュージこそが未知の情報の塊であり、彼女から何らかの情報を引き出せれば、それ自体が最上級の成果となることは確実だった。
もっとも、それはルサルカとの戦いで生き残り、ガーデンへ帰還できれば、の話ではあったが。
「ルサルカ、あなたと戦う前に幾つかお聞きしておきたいことがありますの。
答えていただけますでしょうか?」
「どうして?この前に戦ったリリィは話なんてせずに、すぐに斬りかかってきたのに」
「リリィやレギオンにも、色々とやり方がありますのよ。
ヒュージを倒すことはリリィが果たすべき絶対的な使命。
ですが、同時に私たちは未知の情報を収集するレギオンのリリィでもありますの。
ちなみに、あなたと戦ったのは何という名前のリリィでしたのかしら?」
「ミサカとかキイトとかウイとか言ってたけど、いっぱいリリィがいたからよく分からない」
意外にも、ルサルカは楓の質問に素直に答えた。
それはルサルカの圧倒的な戦闘能力に比べて、その精神は格段に幼いという情報を裏付けるものだった。
楓はさらに質問を続けることにした。
「あなたはどうしてノインヴェルト戦術のことを知っていたんですの?」
「生まれた時から知ってたよ。それがどうしてかなんて分からない。
知ってるから知ってるの」
(だとすると、考えられる可能性は二つありますわね。
一つは、カリブディスが受けたノインヴェルト戦術の記憶をルサルカが引き継いだ可能性。
もう一つは、カリブディスが捕食したリリィの記憶から、ノインヴェルト戦術の情報を取り込んだ可能性……)
楓は自分の想像に吐き気をもよおしたが、ルサルカの姿が人間の――おそらくはリリィの――遺伝子から形作られていることは疑いの余地が無かった。
カリブディスが捕食した幾千幾万の人間からルサルカが生まれた――それは身体だけではなく、精神までもヒュージと人間の双方を併せ持つ存在として。
(人間の生物的な遺伝子情報だけでなく、記憶や知識まで取り込んでルサルカが生まれたというんですの?)
ヒュージに肉体を喰われた上に、記憶までも消化吸収されて新たなヒュージの一部となる――その強烈なおぞましさに、楓は思わず身震いした。
「ねえ、こんなどうでもいい話を続けるより、早く戦おうよ。
私はリリィをたくさん殺したくて仕方ないんだから」
ルサルカの心は、やはり人の心ではなかった。
それは猛獣の心に近いものであり、さらに言うならば快楽殺人犯の心なのかもしれなかった。
(……もう考えるのはやめにしましょう。
相手はヒュージの肉体を持ち、心は人を殺すことしか考えていない凶悪な殺人鬼のそれ。
戦わずにこの場を切り抜けることは、できそうにありませんわ)
楓は覚悟を決めてオートクレールを握り直し、前方の結梨と後方のレミエの様子を窺った。
人の姿をしたヒュージを相手に、二人が戦意を持てるのかどうか、それが気にかかったからだった。
しかし、楓の心配は杞憂だった。
結梨もレミエも全身に緊張感をみなぎらせて、一分の隙も無くCHARMを構えていた。
人間を殺す、殺したい、殺さないといけない――ルサルカから放たれる純粋な殺意は、ヒュージの本能そのものだった。
話し合いによる相互理解は不可能。
戦わなければ、ただ殺されるだけ――その情けも涙も無い冷徹な現実を、結梨とレミエは理屈でなく直感で理解していた。
その様子を確認した楓は、一安心した後、オートクレールの刃先をルサルカに向けた。
そして、わずかに唇の端に笑みを浮かべて言い放った。
「人型ヒュージ、ルサルカ。
あなたを生け捕りにして、他にも色々と話を聞かせていただきますわ」
自信満々を装った楓の言葉は、その実、先程の葵と同じく精一杯の虚勢だった。
だが、ルサルカはそんな楓の心の内など全く気づく気配も見せなかった。
「やっと戦えるのね。うれしい。先に攻撃していいよ」
ルサルカは武器を持っていなかった。
事前の情報では、自らの身体を傷つけてアルケミートレースのようにCHARMに似た武器を形成したとあったが、そのような素振りを見せる気配は無い。
「レミエさん、カリスマを手加減なしで。私もレジスタを全力で使いますわ」
「わかってるわ。力の出し惜しみなんてしてたら、私たち全員メルクリウスに帰れなくなっちゃうもの」
後衛の楓とレミエがレアスキルの発動を開始する。
カリスマとレジスタによって急激に高まる正のマギを知覚した葵は、10メートル先のルサルカに啖呵を切った。
「素手で相手とは、見くびられたものね。
その舐めた態度を後悔させてあげるわ」
言い終えると間髪を入れず、葵は通路の床を蹴ってルサルカに斬りかかった。
同時に、まるで示し合わせていたかのように、隣りにいた結梨も葵と並んでトリグラフを一閃する。
――が、その葵と結梨の攻撃を、ルサルカは造作もなく回避した。
「あなたたちは、どのくらい楽しませてくれるかな」
二人のトリグラフの太刀筋は、完璧な軌道を描いてルサルカの急所に迫ったが、次の瞬間にルサルカの身体は、最小限の動作で苦も無く斬撃を逃れていた。
その回避行動はリリィの目をもってしても捉えることは困難であり、葵のファンタズムでもルサルカを斬り倒す未来を視ることはできない。
それでも葵と結梨は間隙無く斬撃を繰り出し、狭い通路を縦横無尽に移動して、あらゆる方向からの攻撃を仕掛けていく。
二人が繰り出した斬撃の数は、数十秒のうちに百を優に超えていたが、その悉くが空を切り、ルサルカの身体にかすり傷一つつけられなかった。
ルサルカの動きは戦技と呼べるような代物では到底なく、子供が反射神経に任せて避けるような稚拙なものだった。
そのような低レベル極まりない動きで、トップクラスのリリィの攻撃を見切ることができているのは、ひとえにルサルカのヒュージとしての能力の高さに起因していた。
どれほど屈強な人間であっても、素手では猛獣に勝てないように、ルサルカの身体能力はリリィのそれを遥かに凌駕していた。
人型でありながらギガント級以上のマギを有するヒュージであるルサルカ、その身体はスピード・筋力・耐久力の全てでリリィを桁違いに上回っていた。
ルサルカは葵と結梨の攻撃を軽々と避けながら、息も乱さずに平然と言い放つ。
「二人とも意外と強いね。
ミサカっていう赤い服のリリィと同じくらい。
それでも、私には全然勝てないけど」
(このままだと私たちのマギが先に無くなる)
結梨は断続的に縮地を使いながらルサルカへの攻撃を続けていたが、状況は手詰まりであり、一方的な消耗戦に陥りつつあることは明らかだった。
ルサルカのマギは無尽蔵に等しく、グルヴェイグのマギが尽きた時にルサルカが攻撃に転じれば、万事休す――
(マギが無くなる前に何とかしないと)
結梨はもう何百回目になるかも分からない斬撃の後に、葵とタイミングを合わせて後ろに跳び下がった。
結梨の意図は葵も理解しているらしく、葵は自分の横にいる結梨にちらりと視線を送った。
「あれをやるわよ、結梨。訓練どおりできるわね」
「うん。できるよ」
結梨は葵の前に出て、トリグラフを横に構えた。
そして姿勢を前傾させると、強く床を蹴って一直線にルサルカに向かって突撃した。
結梨のすぐ後ろを、葵が隠れるように同速度で進み、ルサルカとの距離は数メートルまで肉薄した。
次の瞬間、先行していた結梨の姿は消失した。
結梨は縮地S級を発動、『異界の門』でルサルカの背後にワープアウトした。
そのまま速度を緩めずにルサルカの真後ろから突進、前方からルサルカに迫る葵と同時にトリグラフを振り切った。
二人のタイミング、太刀筋とも完璧であり、前後から完全に挟撃されたルサルカに防御の術は無いはずだった――
「よっ、と」
前後からの同時攻撃に対して、ルサルカは上半身を捻り、トリグラフの刀身を左右の手で――正確にはそれぞれの人差し指と中指で――苦も無く受け止めた。
「な――」
思わず驚愕の声を上げる葵。
ルサルカの人差し指と中指で挟まれたトリグラフの刃は、万力で固定されたかのように微動だにしない。
ルサルカは圧倒的な力で結梨と葵のトリグラフを抑え込み、二人は抜き差しならぬ状態に陥った。
「つかまえた。これで自由に動けなくなったね」
「離しなさいよ、この馬鹿力」
(前後からの斬撃を白刃取りで、それも指で挟んで止めるなんて、どんなリリィでも絶対にできないわ)
「そろそろ決めちゃおうかな。私の勝ち」
誇らしげに勝利を宣言するルサルカの全身が、急速に青白い燐光を帯び始める。
葵は直後の恐るべき未来をファンタズムで予知し、結梨に向かって叫んだ。
「結梨、CHARMを捨てて逃げて!」
「でも――」
トリグラフを手放すことは、ルサルカへの攻撃手段を失うのと同義だった。
一瞬の逡巡が結梨の判断を遅らせ、それはルサルカに決定的な勝機を与える結果となった。
次の瞬間、狭い地下通路の壁と床と天井がまばゆい光に漂白され、全身への激しい衝撃と同時に、結梨の意識はぷつりと途切れた。