静岡の軍旧司令部での探索から数日が経った日の放課後。
LGグルヴェイグの四人のリリィは新たな指令を受け取るべく、控室とは名ばかりの、校舎の片隅の空き教室に集合していた――正確には、たむろしていたと形容する方が適切だったが。
「うー、まだ体中があっちこっち筋肉痛で痛いわ。結梨はどうなの?」
結梨の隣りの席に座っているレミエ・アレッサンドリーニは、机に上半身を突っ伏しながら尋ねた。
「わたしはあんまり痛くない」
結梨は読んでいた本から目を離して、レミエの方を見て答えた。
「そうなの?それならあたしの鍛え方が足りないのかしら。
それにしたって、ヒュージの包囲を突破した時、近くにガンシップが飛んでなかったからって、鎌倉府との境まで走りっぱなしだったのよ。
無茶ぶりにも程があるってものだわ。
ざっと50キロ近くの距離を全力疾走だったのよ、それもCHARMを持ったままで」
「でも、ちゃんとみんなでガーデンまで帰ってこれたから、よかった」
「まあ、それは確かにそうね。
――ところで結梨が読んでるそれ、何の本なの?」
「『みやもとむさし』っていう人の本」
「ムサシ?ああ、昔の日本のサムライね。図書室で借りたの?」
「ううん、ティシアが貸してくれた。これ以外にもいろいろ」
「ティシア様が?どうしてそんな本を」
「剣で戦う者の心がまえをしかと学んでおくのだ、って言ってた」
「ふーん、ブシドーってやつかしら。
それで、結梨はそのムサシが一番すごいサムライだと思ってるの?」
「一番は『かみいずみいせのかみのぶつな』っていう人だと思う」
「ノブツナ?ムサシなら聞いたことあるけど、そのサムライは知らないわ」
結梨は座っていた椅子から静かに立ち上がり、小さく咳ばらいをすると、右手の人差し指で真上を指さした。
「わがけんは、てんちとひとつ」
それだけ言って、結梨は何事も無かったかのように椅子に座り直した。
「そんなことを言ったんだって」
レミエは一瞬あっけにとられた様子だったが、結梨が至って真面目に言っていることに気づいて、その言葉を自分なりに解釈しようとしてみた。
「うーん……あたしにはよく分からないけど、何かすごく東洋的な考え方の決め台詞みたいね。
ブッディズムとかゼンとか、そういう感じの――」
レミエが言葉を続けようとした時、教室の引き戸ががらりと開き、一人の女性が姿を現した。
教室の中で待っていた四人は、てっきりティシア・パウムガルトナーが任務を命じに来たものだと思ったが、現れた人物はティシアではなかった。
黄緑色の長髪を優雅になびかせて教室に入って来たその女性は、ティシアと同じ第5飛空艇団ラグエルに所属する2年生のリーアリデル・エッシェンバッハだった。
リーアリデルは至極当然のように教壇に上がると、すぐ前の席に座っている四人を満足げに見回した。
「全員揃っていますね、結構。
ではこれよりLGグルヴェイグの次の任務について、私から申し付けます。
その前に質問のある人はいますか?」
「あの……ティシア様は来られないんですか?」
葵が挙手しながらリーアリデルに聞くと、いかにもという仕草でリーアリデルは頷いた。
「聖帝陛下は理事長室にて所用のため、ここにおいでになることはできません。
本日は陛下の腹心にして副帝であるこの私が、代理としてあなたたちに任務を伝えます」
ティシアの代理人であることに余程誇りを感じているのか、リーアリデルは上機嫌かつ自信に満ち溢れた口ぶりで事情を説明した。
「そうですか、分かりました。
ではもう一つお尋ねしますが、静岡で私たちが発見して持ち帰った封筒について、何か分かったことはあるんでしょうか?」
「封筒そのものはガーデンの工廠科と解析科で分析しましたが、ごく一般に市販されているもので、あなたたち以外の指紋も検出されませんでした。
つまり、誰があの場所に封筒を置いたのかの物的証拠は見つかっていません」
「でも、陥落地域の真っ只中に封筒を置いていくなんて、普通の人間にできることじゃありません」
「その通りです。しかもあなたたちが封筒を回収した後、間を置かずにヒュージの群れが出現したそうですね。
どのような仕組みかは分かりませんが、封筒を動かしたことがトリガーとなってヒュージを発生させた可能性は非常に高いと言えるでしょう」
「やはり人為的に仕掛けられたトラップだったんですね。
誰が何の目的でそんなことを……」
葵の言葉は途中で途切れたが、「誰が」の部分についてはG.E.H.E.N.A.あるいは親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの関係者であろうことは容易に想像がついた。
「リーアリデル様、わたくしたちから何かできることはありませんの?」
「楓・J・ヌーベルさん、メルクリウスも証拠が無いからと言って何もしていないわけではありません。
既に手は打ってありますし、その結果も得ています」
「それをお聞かせ下さいますの?」
「ええ。メルクリウスのガーデンは、国内の主だった親G.E.H.E.N.A.主義ガーデンとG.E.H.E.N.A.ラボに平文で送信を行いました。
その内容は『静岡にある軍の旧司令部にて一通の封筒を回収した』というものです」
「それだけですの?」
「それだけです。それ以上の情報は必要ありません。
封筒に何らかの関わりを持つ者であれば、無視するかアクションを起こすかの判断を迫られるでしょう」
「結果を得ているということは……」
「今朝、差出人不明の封書がメルクリウスの理事会宛てに届きました。
中には一枚の便箋が入っており、封筒の回収者に対して、日時と場所を指定する内容が印字されていました」
「つまり、わたくしたち四人がそこに行くことが次の任務というわけですのね」
「そうです。ですが、その前にあなたたちに訪れてもらう所があります」
リーアリデルは一度言葉を切り、次の言葉を待つ四人の顔をゆっくりと見回した。
「市ヶ谷の軍本部です。石川精衛司令官から、先日の兵士捜索についてのお礼と、別件で渡したいものがあるそうです」
翌日の午後、公休扱いで市ヶ谷の軍本部を訪れた楓たち四人は、ゲートの詰め所で武器であるCHARMをケースごと預け、CHARMから取り外したマギクリスタルコアだけを持って建物の中へ入った。
作戦行動時の隊服ではなく、メルクリウスの白い一般制服を着て通路を歩く四人に、すれ違う兵士や士官の誰もが敬礼する。
それに対して楓と葵は無言で目礼しながら彼らの横を通り過ぎ、二人の後ろを歩く結梨とレミエも同じように軽く会釈して歩を進めていく。
「ねえ、あたしたちも敬礼しなくていいの?」
レミエは前を歩く葵の背中に向かって尋ねた。
「私たちは軍人や軍属じゃないから、敬礼は必要ないわ」
「大人が高校生に敬礼なんて、変な感じ」
将兵がリリィに敬礼するのは、自分たちが持ちえないリリィの戦闘能力に対して敬意を表しているのであって、それ以外の意味は無い。
「軍隊では助けられない人々を、リリィは助けることができる。
だから軍人はリリィに対して躊躇なく敬意を表する。それだけのことよ」
軍のヒュージ対策最高司令官を父親に持つ葵の言葉は、その内に複雑な感情を秘めていた。
(あまりここには来たくなかったんだけどな……)
公用とはいえ、父親の職場をその子供が訪れる。
それが葵には何となく気恥ずかしいというか、落ち着かない気分になるのは仕方のないことだった。
しかし、そんな私情をいつまでも気にかけていては、リリィとして適切な判断を誤りかねない。
(私はメルクリウスのリリィとしてここに来てる。石川精衛は軍の司令官で、私の父ということは今は忘れる)
四人が司令官室へ続く幅の広い通路を進むにつれ、次第にすれ違う将兵の数は少なくなっていき、やがて四人の靴音だけがコツコツと通路に響くようになった。
ふと気がつくと、四人の視界に前方から歩いてくる女性の姿が映っていた。
その女性は軍の制服ではない濃紺のスーツに身を包み、背中まで伸ばした長い黒髪をなびかせて近づいてくる。
前を歩く楓と葵が女性とすれ違い、その少し後を歩く結梨と女性の視線が交差した時、結梨は足を止めた。
「どうなさいましたの、結梨さん」
楓は結梨が立ち止まったことに気づき、後ろを振り返って尋ねた。
結梨の唇が小さく動いて短い言葉を紡ぎ出す。
「――さあや」
「えっ?」
咄嗟に楓は結梨が発した言葉の意味を解し兼ねた。
女性もまた歩みを止めて、自分より頭一つほど背の低い結梨を正面から見下ろしている。
「久しぶりね、結梨。息災のようで嬉しいわ」
「どうしてここにいるの?」
結梨が『さあや』と呼んだ女性を、楓・葵・レミエの三人は凝視した。
完璧に均整の取れた身体と美しい顔立ち、氷のように冷たい瞳、右手中指の指輪……自分たちの目の前に立つ人物が誰であるか、三人は恐るべき結論に達した。
かつて東京の戦場に現れ、百合ヶ丘女学院の白井夢結を己が『番』として篭絡しようとした、ヒュージの姫の頂に立つ強化リリィ――
それは反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの特務レギオンに所属するリリィなら、誰もが知っておくべき情報として共有されていた。
「……あなた、白井咲朱ですの?」
「そうだと言ったら、どうするつもり?」
「どうもいたしませんわ……と言うより、この場でどうこうすることなど、わたくしたちに出来るはずもありませんもの」
白井咲朱は最も警戒しなければならないリリィの一人である――それ自体は間違いなく事実だった。
だからと言って、この場で楓たちが咲朱と戦う理由はどこにもない。
そして咲朱が楓たちに危害を加えるつもりがないことは、彼女の悠然として落ち着き払った態度からも明らかだった。
「よく状況を理解できているわ。賢明な判断ね。楓・J・ヌーベル」
「わたくしのことをご存じですの?」
「もちろん四人とも知っているわ。
あなたたちは皆、神童と言っていいレベルのリリィだもの。
でも今はあなたたちより優先してるリリィがいるから、私の『番』には誘わない。
――残念だわ」
「なぜあなたのようなリリィがこの場所に?」
「あなたたちと同じ。軍に用があるからよ」
用とは何か、尋ねたところでまともな答えが返ってくるとは思えなかったが、わずかな可能性に賭けて楓は聞いてみることにした。
「……どのような用件ですの?」
「それを調べるのも、あなたたちの任務のうちではなくて?
メルクリウスの駆け出しの特務レギオン、LGグルヴェイグのリリィさんたち」
「……っ」
そう言われてしまうと、楓には何も返す言葉は無かった。
咲朱は大人の余裕を見せ、結梨に「また会いましょう」と簡単に別れの言葉を告げて去っていった。
咲朱の後ろ姿が通路の角を曲がって消えるまで、四人はその場に立ち尽くして見送ることしかできなかった。
咲朱が去り、その場に取り残された形になった四人は、互いに顔を見合わせて、当然のごとく心に浮かんだ疑問を口にした。
「白井咲朱って、ものすごく強いヒュージの姫なんでしょ。
会社勤めみたいな格好してたけど、どうやってセキュリティに引っかからずにここまで入り込んだのかしら」
「普通にセキュリティシステムの認証をクリアするか、何かしらのレアスキルかブーステッドスキルを使ってか……そのくらいしか思いつかないわ」
「それにしても『御前』が軍と繋がっていたなんて初耳ですわ。
何がしかの取引や交渉をしてるのでしょうか?」
「私にも分からないわ。後でお父さんに聞いてみないと」
自分の父親と白井咲朱が何らかの関係を持っている、などとは葵は考えられなかったが、今ここで悩んでいても時間を空費するだけなのは確かだった。
「予定どおり司令官室へ向かいましょう。聞くことが一つ増えただけのことよ」
四人は気を取り直して再び通路を歩き始め、ほどなくして石川精衛の勤務する司令官室の前にたどり着いた。
楓が部屋の前で警護に当たっている衛兵に声をかける。
「横須賀の聖メルクリウスインターナショナルから参りました、LGグルヴェイグの楓・J・ヌーベルと申します」
扉の両脇に控えていた二名の衛兵は、楓たち四人に折り目正しく敬礼をして答える。
「御来訪の予定は承っております。どうぞ中へお入り下さい」
重厚な木製の扉を開いて四人が司令官室の中に入ると、広い室内の正面奥に執務用の机が置かれており、そこに座っている壮年の男性が石川精衛その人だった。
戦略家としての才を評価されて最高司令官の地位を得た彼は、眉目秀麗の顔立ちと理知的な双眸がその能力を証明しているかのようだった。
精衛は四人の姿を見ると、椅子から立ち上がってゆっくりと近づいてきた。
「LGグルヴェイグの諸君、よく来てくれた。そちらの円卓で話をさせてもらおう」
部屋の中央に据えられた楕円形の円卓に向かい合う形で、精衛と四人のリリィは着席した。
何となく落ち着かない様子の葵を精衛は横目で見つつ、互いの自己紹介などは省略して本題の話を切り出した。
「この度は偵察中に行方不明となった兵士の捜索に協力してもらい、大変感謝している。
君たちが発見したライフルの空薬莢と認識票は、既にメルクリウスから受け取り済みだ。
彼らについてはMIA――作戦行動中行方不明として所定の手続きを進めることになる」
「一つ尋ねてもいい?」
葵はわざと敬語を使わず、素っ気ない口調で父親の精衛に問いかけた。
「構わんよ」
「どうしてあんな無謀な偵察を許可したの?
ヒュージに遭遇したら生還できないことは分かっていたはずよ」
「私は許可していない」
「えっ?」
「彼らは私を介さない別ルートで偵察の許可を取り付けていた。
『軍機に触れる物品が旧司令部に残っていないか確認する』という名目で、権限のある複数の上級将校に協力を依頼して稟議を通させたようだ」
「勝手なことを。対ヒュージ戦略の司令官を介さずに、陥落地域に兵を送り込むなんて」
「ヒュージとの戦闘を目的としない少人数での偵察。
その程度の作戦行動なら、ある程度の融通は利いてしまう。
巨大な軍組織の隅から隅まで私が目を見張らせることは、現実的には難しい」
「何としても安藤総逸って人の名誉を回復したいから、目的達成のためには手段を選ばなかったってことね。
本当に、そんなに人望がある人だったの?」
「その点に関しては間違いなく保証する。
私が知る限り、彼は指揮官として誰よりも範たる人物だった」
「……その立派な人がヒュージと通じてたって情報はどうなの?」
「それは静岡の戦線が崩壊した当時の状況を調査していた時に、何者かが報告書の一節に記述した情報だ。
情報の出所は不明、記述者も不明、情報を裏付ける証拠も何一つ存在しない。
誰が何の意図でそれを調査報告書に記したのか、現在に至るまで何も分かっていない」
「何よそれ。ほとんど怪文書の類じゃない」
「そうだ。不可解としか言いようのない内容だったため、その記述については誰もが言及を避け、今では事実上封印されたも同然の状態になっている」
「何が何だか訳が分からないし、万が一それが事実ならとんでもない大問題だから、見ざる聞かざる言わざるを決め込むことになったのね……」
これ以上追及しても手掛かりは何も出てこなさそうだと判断したのか、葵は精衛との会話を打ち切って何やら考え込み始めた。
黙り込んだ葵に代わって精衛に話しかけたのは楓だった。
「石川司令官、わたくしからもお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「話してみなさい、楓・J・ヌーベル君」
「わたくしたちはここに来る途中で、『御前』と呼ばれているリリィと出会いましたわ。
彼女は軍服ではなく民間人のような服装で、堂々とこの建物内を闊歩しておりました。
この事実を石川司令官はご存じでいらっしゃいますの?」
「彼女のことは情報としては知っている。
だが、これまで私自身は『御前』と直接会ったことはない。
私が話せる範囲でよければ、彼女と軍の関係を説明することはできるが、どうするかね」
「ぜひお願いいたしますわ」
一呼吸の間を置いて、精衛は円卓を挟んで座っている四人に事情を淡々と話し始めた。
原則として『御前』と軍は相互に武力的不干渉の関係を維持する――数ヶ月前に『御前』の側近である戸田琴陽が軍の情報将校に接触し、上層部が慎重に検討を重ねた結果、そのような取り決めが内密に結ばれた。
ただし、戦場において一方が他方の行動を妨害した場合は、その限りではないものとする。
また、軍は内務省と秘密裏に協議して、実在しない第三者の戸籍を『御前』のために用意した。
これは『御前』の本名である白井咲朱が戸籍上死亡しているため、『御前』が一般社会で行動を可能にするための超法規的措置だった。
「これは一種の取引と言える。『御前』に公的な身分証明を保証しておけば、彼女の行動をある程度はこちらで把握できる。
『御前』にとっても、故人である白井咲朱のままでは、本人確認を必要とする行動に制限がかかってしまい、何かと都合が悪い。
そのあたりの事情は君と似ていると言える……一柳君」
「は、はいっ」
いきなり精衛から話を振られて、結梨は頓狂な声で返事して背筋を伸ばした。
「結梨のこと知ってるのね、お父さん」
葵の問いかけに精衛は小さく頷いて肯定した。
「一柳君の場合は本人ではなく、百合ヶ丘女学院の理事長が軍にコンタクトを取って来た」
現状で一柳結梨の生存を表沙汰にすることは様々なリスクがある、と百合ヶ丘と軍は判断した。
結果として結梨にはロスヴァイセ隊長の従姉妹という戸籍が用意され、同じ反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンであるメルクリウスへ学籍を移すことになった。
「今日は君に渡しておくものがある。少し待っててくれ」
精衛は椅子から立ち上がって、壁際の大きな収納棚に向かって歩いて行った。
棚のロックを解除して両開きの扉を開くと、中にはCHARMケースが一つ立てかけてあった。
そのCHARMケースを精衛は片手で持ち上げ、結梨の前まで運んできた。
「この中に入っているCHARMを君に渡すようにと、百合ヶ丘の理事長から頼まれている。
君の手で確認してほしい」
精衛からCHARMケースを受け取った結梨は、円卓の上にそれを横たえて静かに開いた。
「これ、ダインスレイフ……誰かが使ってたの?」
ケースから結梨が取り出したダインスレイフは、至る所に大小の傷がついており、相当の戦闘回数を経た機体であることは瞭然だった。
「百合ヶ丘からの依頼で、軍の潜水艇を使って由比ヶ浜沖の海底から回収した。
百合ヶ丘は当初、CHARMの契約者である白井夢結君に返却する予定だった。
だが、精神面への影響を考慮した結果、白井君への返却は取りやめになったそうだ。
その代わりに一柳君にCHARMを渡すようにと、理事長から連絡を受けた」
「どうしてこれをわたしに?」
「百合ヶ丘の理事長が何を考えているか、私には分からない。
それが最善の選択だと彼女は考えたのだろう。そう信じるしかない」
「それ、使うつもり?」
横からダインスレイフを覗き込んだレミエが結梨に聞くと、結梨は少しも躊躇うことなく答える。
「夢結が使ってたCHARMなら、使ってみたい」
「ここで君がCHARMを携行すると武装状態になってしまうので、そのCHARMは後日メルクリウスへ送り届ける形になるが、構わないかね?」
「うん、それでいい」
結梨がダインスレイフをケースの中に収めたのを見届けてから、精衛は四人に一枚ずつA4サイズの紙を渡していった。
「今日はもう一つ君たちに渡しておくものがある。この文書がそれだ」
四人はそれぞれ紙に印刷された内容に目を通したが、みな一様に怪訝な表情を浮かべて書面を見つめている。
四人の中で最初に反応を言葉にしたのは葵だった。
「これは通達文書……特別戦技顧問?
何なのこれ?まるで官僚の天下りポストみたいな肩書きじゃない」
「それは君たちの政略的護身のためのものだと考えてほしい」
「護身?何のために?政略的って?」
「G.E.H.E.N.A.の関係者から君たちの身を守るためだ。
君たちは未知の情報収集を任務とする特務レギオンである、とメルクリウスからは聞いている。
そうであれば、G.E.H.E.N.A.の関係者と接触することもあるだろう――いや、既に接触しているのかもしれないが。
虎穴に入らずんば虎子を得ずというが、CHARMだけでは自分の身を守れない事態に遭遇するかもしれない。
この役職はそうした事態に対処するためのものだ」
「そうした事態って、具体的にどんな?」
「端的に言って、君たちがG.E.H.E.N.A.の関係者に不当に拘束される事態だ。
人質として、強化実験の被験者として、メルリウスのガーデンに対する脅迫のカードとして、君たちには非常な価値がある」
「うわー、陰険。確かにG.E.H.E.N.A.がそういう汚い手を使ってくるのは重々承知してるけど……」
「もし君たちが囚われの身になった場合、ラグエルのようなメルリウスの特務レギオンが救出に動くと考えられる。
だが、それは強襲的な手段による作戦行動になり、双方に死傷者が出る可能性も高い。
その事態を未然に防ぐために、君たちに特別戦技顧問の役職を付与するということだ」
「どうやって未然に防ぐのよ?」
「軍の関係者がG.E.H.E.N.A.に拘束されれば、事態打開のために軍が正式に動けるということだ」
「まさか特殊部隊を使うんじゃないでしょうね」
「出動するのは特殊部隊ではなく憲兵隊になるだろう。
武力を行使せずに事態を解決するためには、それが最善の手段だと考えられる」
「まあ、それならいいか……いいのかな?」
精衛の言うことは一応の筋は通っているように葵には思われたが、一つ気になることがあった。
「でも、それって私たちが軍人や軍属の扱いになるんじゃないの?」
「それはない。特別戦技顧問はあくまで組織外のアドバイザーとしての役職だ」
「よくそんなセコいというか回りくどい手を考えたものね。
この先ずっと、こんな腹の探り合いとかルールの抜け道探しみたいなことを続けていかなくちゃいけないなら、どんどん性格が悪くなっていきそう」
「特務の仕事というものは、多かれ少なかれそのような騙し合いの側面がある。
その騙し合いの中で真に有益な情報を得て、それを持ち帰ることが君たちに求められていると思いなさい」
それまで葵の隣りで黙って二人のやり取りを聞いていた楓は、やんわりと葵に承諾を促そうとした。
「どうやらこの話は固辞せずお受けしておく方がよろしいようですわね、葵さん」
「まあ、メルリウスのガーデンも同意済みでしょうから、ここで変に意地を張っても仕方なさそうね」
補助輪付きの自転車に乗っているような気がしないでもなかったが、葵は父親の配慮を無下に断るような親不孝者ではなかった。
「――分かったわ。でも万が一、軍がメルクリウスと敵対するようなことになったら、すぐに顧問職なんて返上させてもらうからね」
それで構わない、と精衛は頷いてから円卓の上に小さな箱を四つ置いた。
「この襟章も渡しておこう。任務に出る際に着けておくといい」
襟章の入った箱を手に取って、レミエは何とも難しい表情をして、隣りの結梨を肘でつついた。
「これ本当にあたしたちができる任務なのかしら?
特務のリリィって言っても、まだ高等部の学生なのよ」
「よくわからないけど、大丈夫なようにこれをくれたんだと思う。
わたしたちの力だけだとできないことをできるように」
「それ、すごくポジティブな考え方ね。あたしもその考え方を見習うわ」
襟章の入った箱と通達文書を鞄に収め、四人が司令官室を去る準備を始めて間もなく、机の上のインターコムが呼び出し音を発した。
それが深刻な異状を知らせるものであることは、険しさを露わにした精衛の表情ではっきりと分かった。
インターコムの受話器を持ち上げて応答した精衛は、ごく簡潔に指示を出して通話を終えた。
「上空3万フィートを飛行中の民間輸送機から落下する物体がある、という連絡が入った。
輸送機はG.E.H.E.N.A.ラボの物資を多数積載しており、その中の一つが何らかのトラブルによって機体の外に出たらしい」
「その落下した物資って?」
葵の問いかけに対する精衛の答えは驚くべきものだった。
「実験体のヒュージだ。名をジャガーノートという」
「ちょ、ちょっと、それ超ヤバいヒュージよ。
大きさは人間と変わらないけど、等級はギガント級か超級ギガント。
軍の手に負える相手じゃないわ」
「分かっている。落下予想地点は、この軍本部を中心とする半径100メートルの範囲と算出。
その予想に基づいて、周辺の民間人には即座に退避命令が発令された」
「お父さんはどうするの?」
「私は地下の司令部に移動して退避の指揮を執る。
それに近隣のガーデンからリリィが到着するまで、軍の無人機とドローンで時間稼ぎをしなければならない」
通常兵器はラージ級以上には全く無力なため、どれほどの時間を稼げるかは悲観的にならざるを得なかった。
「これって、事故を装って私たちに攻撃を仕掛けてきたってこと?」
「確かに都合が良すぎるタイミングですわね」
葵に答えた楓は精衛の方に向き直って、理性と緊張感がぎりぎりのバランスで交差する表情で言う。
「わたくしたちが戦いますわ……と言ってもCHARMはゲートの詰め所に預けてきましたので、何かしらのCHARMが近くにありますかしら?」
「非常用のヨートゥンシュベルトなら階下の武器庫に何機かあるが……」
「それで構いませんわ。すぐに取りに向かいますので、道順を教えていただけますかしら」
「わたしはこれを使う」
結梨は円卓の上のCHARMケースからダインスレイフを取り出して、軽く一振りした。
「楓たちはCHARMを取りに行って。わたしは先に行ってヒュージと戦う」
「くれぐれも無理はしないでくださいまし。
わたくしたちが来るまでジャガーノートを足止めするだけですわよ」
「わかってる」
ダインスレイフを携えた結梨の姿は瞬時に消え、後には三人のリリィと精衛が残された。
「わたくしたちも早くCHARMを持って結梨さんのところへ向かいましょう。
いくら結梨さんでも、初めて扱うCHARMでジャガーノートと一人で戦うのは危険すぎますわ」
楓、葵、レミエの三人は、精衛から手短に武器庫への道順を聞き終えるや否や、司令官室を飛び出して階下へと全力で駆け出して行った。
楓たちが結梨に遅れること1分あまり、武器庫から第1世代CHARMのヨートゥンシュベルトを持ち出して本部の建物から外に飛び出した時、広い駐車スペースの中央で結梨とジャガーノートが熾烈な攻防を繰り広げていた。
今、両者は間合いを大きく取り、次に相手に撃ちかかるタイミングを計って対峙している状態にあった。
ジャガーノートが全くの無傷に見える一方で、結梨の制服は既に大小の裂け目が至る所にあり、それを見た楓たちは一瞬息を吞んだ。
だが、結梨の姿は一見すると満身創痍のように見えるが、その実、服だけを切らせて身体には一つの傷もついていない。
それはジャガーノートが繰り出す攻撃の全てをことごとく紙一重で回避し、隙あらば一撃を斬り込むべく、死活の間合いで戦い続けた結果の姿だった。
しかし、結梨の華奢な両肩は大きく上下に動き、息が上がっているのは隠しようもなかった。
このままジャガーノートとの一騎打ちを続ければ、先に力尽きるのは結梨の方なのは誰の目にも明らかだった。
「結梨さん、頑張りすぎですわ。後退してもっと間合いを開けてくださいまし。
後はわたくしたちでそのヒュージの相手をいたしますわ」
「あのヒュージがものすごく強いから、夢中になっちゃった」
楓は結梨を守るようにジャガーノートの正面に立ち、葵とレミエはジャガーノートの左右に回りこんで半包囲の態勢を取る。
四対一の形になったとはいえ、相手は少なくともギガント級相当の力を持つ特型ヒュージである。
正攻法でジャガーノートを退けることは不可能、近隣ガーデンからのレギオンが来るまでいかに持ちこたえるか、四人は必死に攻防のシミュレーションを頭の中で繰り広げていた。
じりじりとジャガーノートとの間合いを詰め、群狼戦術のごとく結梨以外の三人が同時に斬りかかろうとしたその刹那、涼やかな女性の声が響き渡った。
「その必要は無いわ、お嬢さんたち」
ぴたりと動きを止めた楓たちが、声の聞こえてきた方に視線を向けると、司令官室に向かう途中で遭遇した白井咲朱の姿がそこにあった。
「私に任せなさい。どこのラボか知らないけど、下らない火遊びを仕掛けて」
咲朱は全く無造作にジャガーノートに向かって近づいていく。
その両手には何のCHARMも握られていない。
何をするつもりなの、と葵が言おうとした時、咲綾はジャガーノートの至近に立ち、何事かを呟いたように見えた。
「……」
咲朱の唇の動きが止まったのと同時に、ジャガーノートはくるりと背を向け、大きく上方へと跳躍した。
あっという間にジャガーノートの体は本部建物の屋上へと跳び上がり、再び数十メートルに及ぶ跳躍を繰り返して視界から消えていった。
「これで終わり。あなたたちが戦う必要は無くなったわ。
さっさとガーデンにお帰りなさい」
「一体何をしましたの?」
「元いたラボに戻りなさい、ただし人を殺傷することなく、と命令しただけよ」
「あのジャガーノートはあなたの差し金ではありませんのね」
「ヒュージの姫の頂に立つこの私が、そんな小細工をする必要などどこに?」
高慢と尊大を絵に描いたような咲朱の表情を見て、彼女は良くも悪くも嘘はついていないのだと楓は結論付けざるを得なかった。
「実験体ヒュージの行動を支配できるという能力、まさか目の当たりにするとは思いませんでしたわ」
「私とは比べ物にならないけど、あなたの異能もなかなかのものよ、楓・J・ヌーベル」
思わず返す言葉に詰まった楓を気にも留めず、咲朱はその横を軽やかな足取りで通り過ぎていく。
「今日は少し用があってここに来ていただけ。
これからまた戻らないといけない所があるから、これで失礼するわ」
咲朱の姿はそのまま正門ゲートを通過して見えなくなっていった。
通路で遭遇した時と同じく、再びその場に残された四人は、何となく気が抜けたようになって立ち尽くしていた。
レミエがわざとらしく咳払いをして、無理矢理に状況を取り繕おうとした。
「ま、まあ誰も怪我せずにすんだんだから、いいんじゃない?
ジャガーノートには逃げられたってことで説明すれば、きっと問題にはならないわよ」
「そうですわね、まず石川司令官に報告いたしましょう。
司令官は『御前』の情報をお持ちなので、ありのままを説明するのが最善だと思いますわ」
楓の意見に異を唱える者はいなかったので、四人は清衛に顛末を報告すべく本部へ向かって歩き始めた。
一件落着というには何とも煮え切らない結果だったが、次の任務を思えば、この日の不完全燃焼ぶりをいつまでも気にしてはいられなかった。
数日後、差出人不明の封書に指定されていた場所――それは甲州の山中湖ネストと河口湖ネストのほぼ中間に位置していた――へとLGグルヴェイグの四人は出立し、昼なお暗い深い森の中を歩いていた。
「この先に少し開けた空間があって、そこが指定地点になっているようですわ。
時間は予定より少し早いので、わたくしたちの方が先に来ているかもしれませんわね」
先日の軍本部訪問時とは違い、今日は黒ゴスロリ調の専用隊服を着用し、目元を隠す仮面のようなマスクも着けている。
これは百合ヶ丘のサングリーズルを始めとする数十名のリリィが甲州に展開しているため、もしそれらのリリィと遭遇した場合、主に結梨の顔を隠すためのものでもあった。
鬱蒼とした木々の間を縫って進みながら、レミエが結梨に尋ねる。
「なんでわざわざ甲州を指定してきたのかしら?」
「わからない」
「この近くにG.E.H.E.N.A.の秘密ラボがあるとか、ネストのヒュージにあたしたちを襲わせて亡き者にしようとか、嫌な想像ばっかり思いつくんだけど」
「これ、役に立つのかな」
結梨は隊服の襟に着けている小さな襟章を指で軽く触った。
それは先日、石川精衛から受け取った特別戦技顧問の襟章だった。
「役に立つ事態は起こってほしくないわね」
レミエは胸の前で軽く十字を切りながら歩を進め、やがて前方が明るくなり木々が途切れている広い空間に四人のリリィは出た。
空間の中央まで来て、四人で注意深く周囲を見回すが、人影は見当たらなかった。
「ここが指定された場所のようですわね。
まだわたくしたちの他に誰もいないようですから、しばらくここで待ちましょう」
「いや、もう来ている」
その声があまりにも自然に聞こえたので、楓たちは何の反応もすることができなかった。
「お前たちが封筒を回収したリリィか。ラグエルの強化リリィではないな」
自分たちの声ではないと、ようやく四人の理性が判断した。
声の聞こえてきた方を見ると、それまで決して誰もいなかったはずの所に、一人の少女が立っていた。
白銀色の長い髪、透き通るような白い肌、上背のない華奢な身体、奇妙なほど幼い顔立ち。
そして少女の手には、カスタマイズされたダインスレイフのような黒いCHARMが握られていた。
公式ではダインスレイフが永遠に海底に沈んだままになりそうなので、サルベージして結梨ちゃんの装備にしました。
できれば6月中にもう一回更新したいとは思っていますが……