アサルトルベルム プラス   作:入江友

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第19話 人とヒュージとヒュージの姫と

 

 楓たちのCHARMの間合いからわずかに外れた所に現れたリリィは、興味も関心も持ちあわせていないような醒めた表情で立っている。

 黒いダインスレイフのようなCHARMを持った彼女の右手はだらりと下がり、およそ構えらしい構えも取っていない。

 彼女がいつからそこにいたのか、声が聞こえるまでグルヴェイグの四人は誰もその存在に気づかなかった。

 

(ありえませんわ、そんなこと)

 楓はぎこちなさを隠せない口調で、そのリリィに問いかけてみた。

「――あ、あなたがわたくしたちを呼び出したリリィですの?」

「そうだ。意外だったか?」

「ええ……わたくしたちより年下のリリィが、一人だけで来るとは思っていませんでしたので」

「言っておくが、私はお前たちより年上だ。この姿はブーステッドスキルによるものだ」

「えっ?」

 言われてみれば確かに、そのリリィの物言いは幼い容姿に比べて明らかに落ち着きすぎている。

 

 楓とリリィのやり取りを少し後ろで聞いていたレミエが、隣りに立っている結梨にそっと耳打ちした。

「あいつ、きっとロリババアよ。中身はお婆ちゃんみたいな歳の、煮ても焼いても食えない狸かもしれないわよ」

「聞こえているぞ、失敬な奴だ」

 リリィは楓の後ろに隠れるように立っていたレミエの顔を、ジトっとした目で一睨みした。

 そして子供には構っていられないとばかりに、再び楓に視線を転じた。

「お前たちは呼び出しに応じた聖メルクリウスインターナショナルのリリィに違いないな」

 相手の念押しに楓は用心深く頷いた。

「ええ、そうですわ。あなたはどこかのG.E.H.E.N.A.ラボに所属している強化リリィですの?」

「私はG.E.H.E.N.A.の強化リリィだが、それ以上のことに答える気は無い」

「てっきり都内の基幹ラボの一つにでも呼び出されるものと思っていましたわ」

「私がいる所にお前たちを呼び出しただけのことだ。

お前たちは、甲州への呼び出しが罠だとは考えなかったのか?」

「もちろん考えましたわ。

でも、呼び出しに応じなければ情報は手に入りませんもの。

虎穴に入らずんば虎子を得ず、攻撃されればリリィとして戦うのみですわ」

「無謀だな。この場でお前たちを殺すなり拘束するなり、こちらは自由にできる」

「あなた一人でわたくしたち四人を?」

「そうだ」

 

 楓たちより明らかに幼い外見の強化リリィは、驕る風でもなく、単なる事実を告げるかのような口ぶりだった。

 周囲に他のリリィの気配は感じられない。

 だとすれば、この強化リリィは言葉どおり一人で四人を相手に戦っても、確実に勝てるだけの実力を持っている――グルヴェイグの四人は現状をそう判断した。

 この強化リリィが何者なのか、少しでも情報を引き出せないものか、楓と並んで立っていた葵がわざと軽い口調で話しかけてみる。

 

「私たちはまだお互いに自分たちのことを、ほとんど何も話していないわ。

差し障りの無い範囲で、お互いのことをもう少し話してもいいんじゃない?

私はLGグルヴェイグの石川葵っていうんだけど」

 だが、強化リリィの答えは取り付く島も無いものだった。

「名乗る必要は無い。必要な情報を得られれば目的は達成される」

 強化リリィが冷静沈着そのものの態度を微塵も崩さずに、次の言葉を放そうとした時、どこからか別の少女の声が聞こえた。

 

『誰が現れたかと思えば御典医とはね。随分と大物が出張ってきたじゃないか』

 

 その突然の声を誰が発したのか、強化リリィは判断がつかなかった。

「誰だ?私を知っているのか?」

 強化リリィは初めてその瞳に動揺の感情を露わにした。

 自分の前に立つ四人の顔を剣呑な目つきで見回したが、全員がきょとんとした表情をしているばかりだった。

「御典医ですって?葵さん、さっきの声は誰が言いましたの?」

「分からないわ。聞いたことのない声だった。

それに、頭の中に直接聞こえてきたような感じがしたわ」

 その声の主が川添美鈴だと気づいたのは、楓と葵の少し後ろに立っていた結梨だけだった。

(美鈴の声……でも、どこにも姿は見えない)

 

 この声によって、強化リリィの態度は一変した。

 正体の分からぬ不審者を見るような目で四人を睨みつけながら、その頭脳では目まぐるしく思考を巡らせる。

(あの声は物理的な音声ではなかった。

おそらく大気中のマギを媒介して、脳の神経回路に流れ込んできた信号のようなものだ。

その源となっているものは――)

 声に御典医と呼ばれた強化リリィは、楓と葵の後ろに立っている結梨と、その結梨が持っているダインスレイフに目を止めた。

(あのダインスレイフ、妙なマギを帯びている。

単純なプラスやマイナスのマギではないし、中間色のマギでもない。

人の愛憎のような感情が深く染みついている。まるで魔剣だ)

 

 御典医は自らの黒いダインスレイフの切っ先を結梨に向けて、それまでとは打って変わって余裕の無い口ぶりで問い詰める。

「その得体の知れないダインスレイフは何だ?どうやってそんなCHARMを作った?」

「これは……」

 口ごもった結梨に代わって、結梨の斜め前に立っている葵が御典医に答える。

「由比ヶ浜ネスト跡の海底から引き揚げられたものだと聞いているわ」

「ネストの討滅に使っただけで、それほどまでに異常なマギを帯びることは考えられない。

他に何か重大な原因があるはずだ」

「そう言われても、私たちもそれ以上のことは聞かされていないし……」

 

 今は結梨の装備となっているダインスレイフが辿ってきた数奇な運命――その全てを知る者がいるとすれば、それは以前の契約者である白井夢結以外には考えられなかった。

 だが、夢結の名をここで出すことは、彼女の身に危険が及ぶ可能性を考えれば到底できるものではなかった。

 答えを曖昧にはぐらかした葵に対して、御典医はあどけない顔立ちに似つかわしくなく柳眉を逆立てた。

 

(あのリリィはLGグルヴェイグの石川葵と名乗っていた。

隊服の襟章は軍のものだ。軍の反G.E.H.E.N.A.主義者が裏で手を回しているのか。

先程聞こえた声といい、あのダインスレイフといい、存外に食わせ者のレギオンのようだ。

国内の全ガーデンのあらゆるレギオンの情報は、細大漏らさず頭に入っている。

グルヴェイグというレギオンに関する機密情報は、あのダインスレイフを持っているリリィこそが、戦死扱いになっている人造リリィだということだ)

 

 御典医は結梨に向けていたCHARMの切っ先を下げ、不本意そうに表情を少し和らげた。

「お前たちに対する認識を改める必要がありそうだ。

ただの探検ごっこで旧司令部を訪れた訳ではなさそうだな」

「あの封筒はあなたが自分で置いたものですの?」

「私はそんな些事には関わらない。

あれはG.E.H.E.N.A.が監視の必要あり、と判断した場所に設置しているセンサーのようなものだ。

触れれば直ちにアラートが発せられ、然るべきシーケンスが動き出す」

 それはつまり、安藤総逸の部屋に足を踏み入れた者に対して、ヒュージを呼び寄せる仕掛けが講じられていたということに他ならない。

 

「勝手にそんなものを設置するなんて……」

「旧司令部は既に放棄されている上に、周辺一帯は陥落地域。

人の支配が及ばない場所で、軍がその所有権を主張するのは噴飯ものだ」

「詭弁ですわね。人を殺すための罠を設置しておいて、それが罪にならないとでもおっしゃいますの?」

「気に入らないのなら、国内に幾つあるかも分からない監視対象箇所を、お前たちが自分の手で虱潰しにすればいい。そんな暇があればの話だが」

 

 下らない押し問答を続けるつもりは無いと言わんばかりに、御典医は呼び出しの本題に入ることにした。

「お前たちはヒュージの襲撃から逃れて生還したと同時に、G.E.H.E.N.A.の監視網に引っかかったことになる。

あの場所で何をしていたか、答えてもらおう」

 御典医は四人が回答を拒否するようであれば、ここで一戦も辞さないつもりだった。

 だが、その危惧は幸いにも外れ、楓は至極あっさりと目的を答えた。

「安藤総逸に関する未知の情報を探していましたの」

「漠然としすぎている。もっと具体的に」

「一つは安藤総逸の名誉回復につながる情報。

もう一つは安藤総逸がヒュージと通じていた証拠、ですわ」

「やはりそうだったか。その件についての情報収集は禁止する。

これはG.E.H.E.N.A.からの警告だと思え」

「なぜですの。安藤総逸が戦死した経緯については不明な点が幾つもありますわ。

ましてや、彼がヒュージと内通していた事実があるとすれば、軍とガーデンともに対ヒュージ戦略を根本から見直す必要が出てきますわ。

何のために、どのような方法で彼はヒュージの側に立とうとしたんですの?」

 

 初めて相対するG.E.H.E.N.A.の関係者を前にして、楓は臆することなく自分の考えを明確に述べた。

 それに対して御典医は表情を変えることもなく、あくまで冷静そのものの態度を崩すことはない。

 

「今後お前たちが妙な動きをしないように、私の考えを伝えておく。

安藤総逸の過去を掘り返すことを禁じるのは、人類にとって何ら益が無いからだ」

 

 もし安藤総逸が何らかの理由でヒュージと内通していたとして、その事実を公表できるはずもない。

 ヒュージの側に立つ人間が存在する、しかも現役の軍人が――大衆がそれを知れば、社会は疑心暗鬼でパニックに陥る。

 

 安藤総逸にどのような事情があったにせよ、それは「ヒュージは人類の天敵であり、人類はヒュージとの終わりなき戦いに勝たなければならない」という絶対的な前提を根底から揺るがしてしまう。

 

 「人類対ヒュージ」の構図が崩れるのは、あらゆる組織にとって都合が悪い。

 その組織が軍、G.E.H.E.N.A.、ガーデンのいずれであっても。

 従って、安藤総逸の疑惑に関する情報は、ヒュージとの戦いが終わるまで決して明るみに出ることはないだろう――そのように御典医は自らの考えを述べた。

 

 そして「あくまでも仮説にすぎないが」と前置きした上で、御典医は彼女なりの見解を示してみせた。

「安藤総逸は何らかの証拠を得た上で、人類に勝算は無いと確信したのかもしれない。

しかし現役の軍人として、そんなことは口が裂けても言えない。

それならせめて自分と少数の身内だけでも生き延びられるように、人類という種族からの出奔を彼は計画したのだろう。

ヒュージと共存、いやヒュージに従属する形であっても、人類の絶滅だけは回避する方法を彼は選択しようとしたのか――私が想像できるのはこのくらいだ」

「まるでノアの箱舟ですわね。

でもその目論見は、安藤総逸が動き始める前に情報将校か憲兵に気づかれ、彼は最前線で戦死するように仕向けられた……さしずめそんな筋書きですの?」

「それはあくまでも推測の域を出ない。

軍の中に確たる記録が残っていないのなら、真相の解明は不可能だ」

 

 御典医の返答は素っ気ないものだったが、安藤総逸の内通疑惑については彼女にも思う所があったのかもしれない。御典医は言葉を続けた。

 

「ヒュージとの戦いとは、つまるところ進化の競争だと私は考えている。

人語を解するルサルカのようなヒュージの出現から分かるように、ヒュージは常に進化を続けている。

レアスキルやブーステッドスキル、そして異能の進化がヒュージの能力の進化に後れを取れば、人類はヒュージとの戦いに敗れ、絶滅するだろう。

また、ルサルカのような知性を持つヒュージが更に進化し、人間との交渉が可能な知能レベルにまで達する可能性はある。

そう考えると、ルサルカより前にも知性を持つヒュージが存在し、安藤総逸と接触する機会があったのかもしれない」

 

「わたくしたちは大島の地下要塞でルサルカと遭遇したことがありますの。

その時のルサルカは言葉こそ通じたものの殺意の塊で、戦って生き延びる以外、わたくしたちに選択肢はありませんでしたわ」

「ルサルカはカリブディスから生まれてまだ日が浅い。

いずれヒュージとしての攻撃衝動を抑制し、合理的な判断ができるまでに成長する。

その場合、ヒュージの姫との区別はより曖昧になっていくだろう」

 

 御典医の言葉は、ヒュージの姫がヒュージと人間の境界に位置する存在であることを示唆していた。

 岸本・ルチア・来夢と佐々木藍は、胎児の段階で体内にヒュージ細胞を埋め込まれた。

 そして一度は死んだものの、G.E.H.E.N.A.によってヒュージの姫として生き返った白井咲朱の存在がある。

 

「ヒュージの姫はG.E.H.E.N.A.の特殊な強化実験から生まれた強化リリィですわよね。

白井咲朱のようなヒュージの姫を強化実験で作り出し、ヒュージの姫の力が全てのヒュージを凌駕する――それが進化の競争における勝利だと、G.E.H.E.N.A.は考えていますの?」

「白井咲朱に限って言えば、彼女は人類もヒュージも眼中に無く、ヒュージの姫だけが次の時代に生き残ればいいと考えているようだ」

「彼女を生き返らせてヒュージの姫にしたのはG.E.H.E.N.A.でしょうに。

ちょっと無責任すぎませんこと?」

 

 楓の指摘は御典医にとって耳の痛い話だった。

 白井咲朱を蘇生させ、特殊な強化によってヒュージの姫にしたのは、他でもない御典医自身だったからだ。

 その白井咲朱はG.E.H.E.N.A.の管理から脱し、今は「姫の頂」として己が望みを成し遂げるべく策動している。

 

「お前に言われるまでもない。

白井咲朱を再びG.E.H.E.N.A.の管理下に戻すために、私はここにいるのだから」

 御典医の言葉を信じるなら、彼女は白井咲朱を拘束できる力を持っていることになる。

 つまり、この場においてグルヴェイグの四人の生殺与奪の権は、前に立っている一人の強化リリィが握っているも同然だった。

 

「……少し話し込みすぎてしまったようだ。

お前たちの扱いについてだが、今後もG.E.H.E.N.A.の機密に触れる行動を取るつもりなら、私の手で始末することも選択肢の一つだが……」

 御典医は右手に握っていた黒いダインスレイフを軽く一振りし、小気味の良い風切り音を鳴らしてみせた。

 その所作を見た楓たちの全身に緊張が走った。

 しかし、御典医は四人の姿をあらためて一瞥すると、面白くもなさそうに黒いダインスレイフを持った右手をだらりと下げた。

 

(この場で四人全員を始末すること自体は難しくないが……あの声とダインスレイフが気になる。

それに人造リリィは現状ワンオフの貴重なサンプルだ。

謎の声と異様なダインスレイフ、人造リリィ、軍の襟章……未知の不確定要素が多い。

殺してしまうのは早計、泳がせて動きを見るか)

 

「お前たちの出方次第では、私はお前たちを生きて返さないつもりだった」

「……」

「だが、私はその選択肢をひとまず保留し、お前たちを私の調査対象に加えることにする」

「はあ……そうなの?」

 葵は思ってもみなかった御典医の発言に、つい気の抜けた返事をしてしまった。

 その後ろで眉をひそめたレミエが結梨に耳打ちする。

「あいつヤバいこと言ってるわよ。あたしたちを強化実験の実験台にする気かも」

「それはいや」

「後ろの二人、勝手な想像をするな。

当面の間、G.E.H.E.N.A.がお前たちを拘束することはない。

だが、今後お前たちの作戦行動については、常にG.E.H.E.N.A.が監視していると思え」

「私たちを監視してどうするのよ」

 あからさまに不機嫌な表情を作ってみせた葵が、挑戦的に御典医を睨みつける。

 しかし、葵の質問を意に介さないかのように、御典医は全く別のことを口にした。

 

「あいにくだが邪魔が入ったようだ」

「えっ?」

「無粋だぞ、そこの小娘」

 御典医の発言は自分たちの誰かをとがめてのものかと四人は思ったが、そうではなかった。

 御典医の視線は四人の斜め後方、鬱蒼と樹木が茂る深い森の中を見据えていた。

「そこに潜んでいるのは分かっている。気配を殺しても私には通用しない。

姿を現せ。出てこなければ、こちらから攻撃する」

 

 黒いダインスレイフを握った御典医の右手がわずかに動いた時、樹々の間から一人のリリィがゆっくりと歩み出てきた。

 そのリリィは油断なくCHARMをシューティングモードで構えたまま、照準は御典医の胸元に定められている。

 CHARMの砲口が自分に向けられているにもかかわらず、御典医の態度は冷静そのものだった。

 

「盗み聞きとは行儀が悪いな。その隊服は百合ヶ丘女学院のロスヴァイセだな」

 結梨はそのリリィの姿に見覚えがあった。

 目元を隠しているマスクを上に上げて、結梨は素顔をさらした。

「伊紀、甲州に来てたの?」

「結梨ちゃんですか。メルクリウスのリリィが甲州にいるなんて」

「ここに呼び出されて、さっきまで話をしてた」

「事情は分かりませんが、本当にそうだとしたら前代未聞の事態です。

私はそのリリィを見過ごすわけにはいきません。

拘束できなければ、刺し違えてでもここで倒します」

 伊紀の指はCHARMの引き金にかかっていて、いつでも撃てる態勢を取っている。

 それに対して御典医は何の構えも取らず、黒いダインスレイフを握った右手はだらりと下がり、全くの無防備に見えた。

 

「だめ」

 ダインスレイフを構えるでもなく、結梨は御典医をかばうように前に出た。

 その結果、伊紀のCHARMは御典医の前に立つ結梨に向けられた形になった。

「結梨ちゃん、そのリリィが誰なのか知ってるんですか?彼女は――」

「ごてんい」

「どうしてそれを?メルクリウスのガーデンからの情報ですか?」

「美鈴がそう言ってた」

「そんなことが――」

 ありえるのかと伊紀の頭は混乱した。

 

 同様に、二人のやり取りを聞いていた御典医もまた、内心で首をかしげていた。

(美鈴とは誰だ?あの時に聞こえた声の主か?

G.E.H.E.N.A.以外で私の通り名を知っているのは、反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンのごく限られた特務関係者だけのはず。

だが、美鈴という名の人物は私の記憶には存在しない。

何だ、このもどかしさは……)

 

「結梨ちゃん、そこをどいてください。

そのリリィ……御典医はG.E.H.E.N.A.過激派の最高幹部です。

戦闘能力で彼女を上回るリリィはG.E.H.E.N.A.にはいません。

ものすごく悪いリリィなんです」

「それでも、リリィどうしが戦うのは、だめ」

「ここで御典医を見逃せば、たくさんの被験者が強化実験の犠牲になります。

私はどうしても彼女を許すわけにはいきません。だから――」

 

 思いつめた表情でCHARMを構える伊紀とは対照的に、御典医はつまらなさそうに結梨の体を横へ押しやった。

「お前が介入する必要は無い。仲間の所へ戻れ。そこに居られては邪魔だ」

「……わかった」

 いかにも不満げな様子で結梨は渋々と御典医から離れ、レミエの隣りに戻っていった。

 再び御典医は伊紀と二人きりで向かい合う形になった。

 

「私はいたずらに被験者を犠牲にする強化実験はしていないつもりだが。

天宮君や稲葉檀のような連中と一括りにされるのは心外だ」

「あなたのような人の言葉を簡単に信じるわけにはいきません」

「好きにすればいい。それで、お前は私に何を求める?」

「私は百合ヶ丘女学院ロスヴァイセ隊長の北河原伊紀です。

CHARMを置いて投降してください。あなたの生命と名誉は保障します」

「私がそんな要求に従うとでも?」

「従っていただけなければ、実力行使するまでです」

「いいだろう。一度だけ撃たせてやるから、よく狙え。

ただし、外した時は命は無いものと思え」

「その思い上がり、後悔させてあげます」

 

 伊紀のCHARMの照準は、最初から御典医の心臓に定めている。

(御典医はG.E.H.E.N.A.最強の強化リリィ。命中しても即死はしません……)

 伊紀と御典医の距離は数十メートル、撃たない選択肢は伊紀には存在しなかった。

 

 伊紀の細い人差し指がトリガーを引くと同時に、砲口からオレンジ色の発砲炎が上がり、大口径の弾丸が一瞬にして御典医の胸を貫いたかに見えた。

 だが、御典医が一歩も動いていないにもかかわらず、弾丸は御典医の体を貫通することなく後方の樹木を十数本まとめてなぎ倒し、濛々と土煙が巻き上げられた。

 

「どうして……」

 なぜ弾丸が命中しなかったのか、その場にいた御典医以外の五人には全く理解できなかった。

 葵はトリグラフを握っている自分の掌が、じっとりと汗をかいているのを感じていた。

(やっぱりあいつ、とんでもなく凄いリリィだわ。私たちの力でどうにかできる相手じゃない)

 

 蒼白な顔色で立ち尽くす伊紀に、御典医は感情が無いかのように冷たい視線を向けた。

「気が済んだか?私も見くびられたものだ。

止まっている的に当てることもできない腕の持ち主から投降を求められるとは」

 御典医は右手に持っていた黒いダインスレイフを軽く振り、またも風切り音を鳴らしてみせた。

「覚悟はできているな?言い残すことがあれば、そこにいる四人に伝えておけ」

 

(このまま状況を傍観するなんて論外ですわ)

 御典医と伊紀の間合いの外にいた楓たち四人は、互いに視線を見合わせた後、黙って頷き合い、御典医を包囲するように伊紀の左右に半円形の陣形を取った。

「あなたを見殺しにはできませんわ。

メルクリウスのLGグルヴェイグが助太刀いたします」

「申し訳ありません。私のせいで巻き込んでしまって」

「お気になさらず。とは言っても、なかなかに絶望的な状況ではありますわね」

 

 実力の差を考えれば、五対一の数的優位は何の慰めにもならなかった。

 五人で御典医を取り囲んでも、それで御典医の動きを封じることができるとは到底思えない。

 だとすれば、どうにかして外部に増援を求めるための連絡を取らなければならないが、そんな隙を御典医が見せるはずもなかった。

 

(誰か一人をここから離脱させて、通信で増援を呼ぶしかなさそうですけれど……)

 御典医に一斉に斬りかかると同時に、結梨が縮地を使って森の中へ身を隠し、そのまま離脱する――一か八か、思いつく選択肢はそのくらいだった。

 少し離れた所でダインスレイフを構えている結梨に、楓が目配せする。

「結梨さん、お願いできますかしら?」

「でも……」

「できなければ、わたくしたち全員が甲州の土になりますわよ」

 その言葉を聞いた結梨の手が、ダインスレイフを強く握り直した。

「……わかった。やってみる」

 だが、その決断を結梨が行動に移す前に、御典医は戦闘の中止を告げた。

 

「これ以上お前たちに構っている時間は無さそうだ。

先程の砲声を聞きつけてサングリーズルのリリィが集まってくる。

私は姿を隠す。お前たちもここで人目につくのは避けたいだろう。

さっさとこの場を離れることだ」

 

 言い終えると同時に、御典医の姿は瞬時に掻き消えた。

 用心深く周りを見回す葵の隊服の袖を、半信半疑のレミエが引っ張った。

「いなくなった……あたしたち、助かったの?」

「そうみたいね。命拾いしたわ」

 その場に残された五人のリリィは張りつめていた緊張の糸が切れて、あやうくCHARMを地面に落としてしまうところだった。

 

「グルヴェイグの皆さん、助けてくださって本当にありがとうございました。

私が御典医との戦力差を見誤ったばかりに、皆さんを危険にさらしてしまいました」

 御典医という大物を偶然に発見した伊紀は、功を焦った自分を恥じ入るように頭を下げた。

「あまり気にしない方がいいわ。

あの御典医ってリリィ、マギのコントロールで弾道を変えたとしか思えないけど、そんなマギの使い方、どうやったらできるのか全然わからないもの」

 自分たちと御典医の力の差は余りにも歴然としすぎていた――その事実を葵は率直に認めた。

 その上で現実に立ち返り、次に取るべき行動を決める必要があった。

 

「私はサングリーズルに同行して、この甲州で戦っています。

さっきの様子では、グルヴェイグの皆さんは秘密裏に御典医と接触していたんですね」

「ええ。呼び出しをくらって、わざわざ甲州まで出張ってきたのよ。

それなりに話はできたけど、情報として役に立つかどうかはまだ分からないわ」

「御典医と接触した反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンのレギオンは、皆さんが初めてかもしれません。

メルクリウスのガーデンに戻ってから報告書を提出されると思いますが、その内容については百合ヶ丘や御台場と情報を共有することになるでしょう。

またお会いする機会があるかもしれません。その時までご無事で」

「お互いにね」

「サングリーズルはここから北西方面に展開しています。

私がそちらへ向かって適当に言い繕いますから、皆さんは別方向から鎌倉府へ抜けてください」

「お気遣い痛み入るわ」

「結梨ちゃんもお元気で」

「うん、また会おうね。伊紀」

 伊紀はもう一度四人に頭を下げてから、隊服の黒い外套を翻して森の中へと姿を消していった。

 

「さて、甲州へ来た目的は達成しましたし、これ以上トラブルが起こらないうちにガーデンに戻るといたしましょう」

「あたしたちって、情報を集めるための特務レギオンなんでしょ。

ヒュージなら仕方ないけど、あんな桁違いに強いリリィと戦うなんて、無茶ぶりにも程があるわ」

 レミエは目の前の危機が去ったことに安堵した一方で、今後また御典医が自分たちに接触を図るかもしれないと、うんざりした顔を楓に向けた。

「確かにあの御典医の力は完全に別格でしたけれど、ルサルカと違って理性的に話ができる相手でしたわ。

それにG.E.H.E.N.A.の過激派は一枚岩ではないような口ぶりでしたし、こちらの出方次第では情報を引き出せる可能性はあると思いますわ」

「そういうことは楓に任せて、あたしは早くガーデンに戻ってインテルとミランの試合結果を知りたい!」

 

 御典医が狂信的な思想の持ち主ではなかったことに感謝しつつ、四人は横須賀への帰途についた。

 後日、グルヴェイグと御典医の接触に関する報告書は、反G.E.H.E.N.A.主義ガーデンの間で極秘情報として共有されることになる。

 その内容が、ヒュージとの戦いの裏側でひそかに進行しつつある「未来の世界の戦慄すべき可能性」を示唆するものだとは、この時は知る由も無かった。

 

 

 

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