「・・・よし。出来たぞ、一夏」
一夏が帰宅して数時間程が経過した頃、風呂を済ませて息子も寝付いた後、千冬は自身の作った手料理を食卓に並べる。
「いただきます!」
勢いよく料理に食いつき、一夏は美味そうな表情で千冬の手料理を頬張る。
「ぷはぁ〜〜〜〜っ、美味ぇ!」
「まだまだお前の腕前には負けるがな。それにしても・・・」
美味そうに食べる一夏を満足気に見る千冬。
やがて彼女の視線は壁に飾られた品々・・・今日、一夏が獲得したものを含む多数のトロフィーへと向けられる。
「またタイトルが増えたな。もうトロフィーの数も、昔の私を超えたんじゃないか?」
「そうかな?でも、本当の目標はまだまだ遠いよ。
4月からは文字通り世界中の強い奴が相手だからね・・・」
真剣かつ高揚感のある態度で答える一夏。
そんな弟の力強い態度に千冬はどこか安心感と寂しさの入り混じった表情で、トロフィーの隣に飾られた写真に目を向ける。
「もう、あの日から3年も経ったんだな・・・」
その写真・・・純白のタキシードに身を包む一夏と、それに寄り添うウェディングドレスを着た自分の写真を眺めて、千冬は過去を振り返る。
・ ・ ・ ・ ・
ブリュンヒルデの落日・・・後にそう呼ばれる事となる、第二回モンドグロッソでの織斑千冬の敗北。
世界最強のIS乗りが大敗を喫したという事実に、世界中に大きな衝撃が走る中、当事者である織斑千冬の状態は、悲惨の一言に尽きた。
「あ、あぁぁぁっ!く、来る・・・アイツが、アイツが!!」
サガットに敗れて約1週間後、この日もまた病室に叫び声が響く。
負傷自体は開催国ドイツの誇る医療チームによる治療ですぐに回復した千冬だったが、身体は治っても心はそうもいかなかった。
心身ともに叩きのめされ、完全に心を折られた挙句、心底から恐怖を味わわされた完全敗北は、千冬の心に大きすぎる傷跡を残し、今もなおトラウマに苦しめられいた。
「い、嫌だ!来ないでっ!!誰か、助けてぇっ!!」
「千冬姉!千冬姉!!しっかりしてくれ!もうアイツはいないんだ!!」
「はっ!?い、一夏?一夏ぁぁ・・・!!」
悪夢に魘され、暴れる千冬に一夏は呼びかけ、平手打ちを交えた喝で目を覚させる。
目を覚ました千冬は普段の威厳や厳格さなど微塵も無く、体をぶるぶると震わせ、失禁で下半身を濡らしながら一夏にしがみ付いて咽び泣く。
「一夏、夢の中でアイツが来るんだ・・・。
雪片も零落白夜も、効かなくて・・・こ、怖い、怖いよぉ・・・!!」
「大丈夫。もう、終わったんだ。負けはしたけど、もうアイツはいないよ。
・・・興味を失くしたってのが、大きいだろうけどね」
最後の言葉だけ小声で呟き、一夏は千冬に見えないように握った拳を震わせる。
「先生、鎮静剤をお願いします・・・」
「は、はい!」
担当医である女医に鎮静剤を投与され、千冬は脱力する。
このまま眠りへと誘われるのも時間の問題だろう。
「強烈な
これまで無敗だった事も、ショックを増加させる一因になったのかもしれません」
「先生、千冬姉は・・・千冬姉は、治るんですか?」
「精神的な問題ですので、ハッキリとは言えませんが・・・それでも完治するにはかなりの時間を要するのは間違い無いでしょう。
日常生活だけなら、投薬である程度何とかなるかもしれませんが」
「そう、ですか・・・」
看護師達の手で衣服が整えられ、ベッドで寝かされる千冬の傍ら、女医からの説明に、一夏は鎮痛な表情を浮かべて俯く。
脳裏に浮かぶのは千冬を叩きのめした隻眼の男・サガット。
憧れの存在だった姉を倒した憎むべき男・・・だが、その圧倒的な姿に、一夏はどこか憧れに近いものも感じてしまっていた。
『強くなれ』
サガットはそう言った。
千冬ではなく、自分に・・・。
「情け、ないな・・・」
スタッフが一度退室し、一夏と千冬の二人きりとなった病室で、不意に発せられる千冬の言葉。
顔を上げて見た千冬の表情は涙に濡れており、弱々しく泣いていた。
「たった一度の敗北で、この様だ。こんなに、弱かったんだな、私は・・・」
何もかもを失った。
これまで築いてきた地位も、威厳も、強さも、たった一度の敗北で。
リベンジを考える気力さえなく、震える事しか出来ない自分を自嘲する。
「いっそ・・・あのまま、殺されてしまえば・・・」
「千冬姉!!」
自分の命を軽視する千冬の発言を一夏の怒声が遮る。
「それ以上くだらない事言ったら、本気で怒るぞ・・・!」
「い、一夏・・・?」
驚いて一夏の顔を見上げる千冬。
そこにあったのはこれまでの垢抜けない少年ではなく、何かの決意に満ちた『男』になりつつあったものだった。
「俺・・・強くなるよ、千冬姉」
呆然とする千冬を一夏は優しく抱きしめる。
「もっともっと・・・千冬姉やアイツより強くなって・・・俺が、守るよ。千冬姉を・・・千冬姉の心を・・・!」
諭すように、落ち着かせるように優しく語りかける一夏。
そんな弟の言葉に、千冬の自分の目から先程のものとは違う温かい涙が流れるのを感じる。
「一夏・・・!」
優しくも力強い弟に千冬は目から流れる涙を拭うのも忘れ、より深く一夏を求めるように、そっと一夏の顔に手を置き、そして・・・
「んっ・・・!?」
一夏の唇に自分の唇を重ねた。
「・・・・・・ありがとう、一夏」
感謝の言葉を伝えると同時に千冬は糸が切れたように脱力し、眠りに着いた。
「・・・ち、千冬姉!?」
姉の思わぬ行動に驚き、一瞬唖然とする一夏だが、突然気を失ったように脱力する千冬の姿に、慌ててナースコールで女医達を呼び出す。
「だ、大丈夫。眠っただけです。
あの、顔が赤いですけど、どうかしましたか?」
「い、いえ・・・何でもないです」
医師の疑問を何とか誤魔化した一夏。
そんな中で、医師達に診察される千冬の姿を見つめながら、一夏の中である思いが強まっていく。
(・・・千冬姉、俺は必ず強くなる。
強くなって、俺が千冬姉の借りを返す。そして、俺が最強になってみせる!!
千冬姉の代わりとしてだけじゃない、それが俺自身の野望でもあるから!!)
やがて、一夏は決意を胸に病室を後にする。
(それにしても、さっきの千冬姉・・・綺麗だったなぁ。
唇も、凄ぇ柔らかかったし・・・)
心の奥底で、自分が姉に心惹かれている事を感じながら。
・ ・ ・ ・ ・
それから、一夏の日常は変わった。
ドイツに滞在中、日々ひたすら己の肉体を鍛え、時には野試合を繰り返し様々なトレーニングを行い、あらゆる格闘技と戦い、時には試合に敗れてズタボロになりながらも、何度も立ち上がってはがむしゃらに己を鍛え続けた。
そして、そんな中でも千冬の見舞いは毎日欠かす事は無く、千冬との関係も密かにではあるがより深まっていった。
千冬は一夏が見舞いに来る度、その都度抱擁や口付けを求めてきた。
時には病院スタッフがいる事もお構いなしに、千冬は一夏を求め続けた。
それでも医師が止めなかったのは、『
スタッフ達は皆、一夏に千冬への精神安定剤としての役割をこれ幸いにと押し付けた。
一夏もまた千冬からの求めに応えてきた。
今にして思えば、傷の舐め合いにも近い行為だった。
元々姉弟二人だけで生きてきた事、そして強くなるという決意こそあったが、その方法がただひたすらトレーニングと戦うだけしか思い付かない手探り状態な不安感から、千冬からの求愛に拠り所を見出していたのだ。
それでもキス以上の事はしなかったのは、二人の中で最後の一線だけは越えまいとするけじめだったのかもしれない。
やがて2年程の月日が過ぎた頃、二人にある転機が訪れる。
この時、既に治療はひと段落つき、千冬は退院して二人は日本へ帰国して千冬は通院しながらではあるが、日常生活に戻る程度には持ち直しつつあった。
そんな時、一夏はとあるストリートファイトの大会にて、決勝戦まで駒を進めるが、ある人物に敗れた。
これまで、敗北した事は何度かあったが、その時だけは訳が違った。
敗れていつにも増して生傷を刻み、ズタボロとなった一夏の姿に、千冬は嘆き「もうこれ以上無理しなくても良い」と訴えたが、一夏の答えは全く違った。
「止まるわけにはいかないんだ。
やっと・・・やっと道を見つけたんだよ・・・!!」
傷だらけの顔で笑いながらそう答えた一夏に、一夏から溢れる闘志に、千冬は思わず息を詰まらせそうになった。
一夏から醸し出される雰囲気に、既視感を感じたのだ。
あれは忘れもしない、あの時・・・サガットと相対したあの時に感じた威圧感に近いものだった。
その日からだ。一夏が毎日ズタボロになって帰ってくるようになったのは・・・。
理由を聞こうにも、聞かなかった。
怖かったのだ・・・一夏が身を置く世界が、戦いが、そしてそんな
だが、そんな千冬の不安を募らせる日々は、唐突に終わりを迎える。
ある男の来訪によって・・・。
「失礼。織斑一夏の家は、ココで合ってるか?」
チャイムと共に現れたのは金髪の男だった。
その肩にぐったりとした一夏を抱えながら。
「い、一夏!?き、貴様!!一夏に何をした!?」
我を忘れて金髪の男に掴み掛かる千冬だったが、男は千冬の怪力にも全く動じず、胸倉を掴む手を引き剥がす。
「落ち着け。とりあえず、一夏を寝かせてやれ。
応急処置がすんだら、順を追って話してやる」
「っ・・・わ、分かった」
男の眼光に気圧され、千冬は一先ずは男の指示に従い、男を一夏の寝室へと案内した。
男は手荷物から包帯などの衣料品を取り出すと、慣れた手付きで一夏を手当てする。
「・・・これでよし。心配しなくても、それほど大した怪我じゃない。
暫くすれば目を覚ますだろうぜ」
「う、うむ。・・・あの、アナタは一体?」
「ああ、そういや名乗ってなかったな。
俺はケン・マスターズという者だ。
格闘家で、今は一応
「一夏の、師匠?
それにケン・マスターズって、まさか!?」
その名を聞いて千冬は驚愕する。
ケン・マスターズ・・・世界有数の財閥『マスターズ財団』の重役にして、全米格闘王の称号を持つ高名な格闘家だ。
そんな人物が何故日本に?そして何故一夏の師匠に?
様々な疑問に混乱しそうになる千冬だったが、ケンはその疑問に答えるように順を追って説明していく。
先日行われたストリートファイトの大会に気まぐれで参加した事、その大会の決勝戦で一夏と対戦した事、勝負に敗れた一夏がその場で自分に弟子入り志願してきた事、一度はそれを断ろうとしたが熱意に押されてアメリカに帰国するまでという条件で弟子入りを許可した事を。
そして、一夏がこれまでに・・・否、現在もなお己を磨き続ける過酷な修行がどの様なものかを。
「そんな、事が・・・」
「最初は軽くレクチャーしてやるだけのつもりだったんだがな。
一夏の才能は凄いものがあった。俺の教えた技術をあっという間に覚えていきやがる。
そんな才能の塊に技を教えてやるのが楽しくなっちまった。
今日だってそうさ。組手やってる時に予想以上に上達してたもんだから、つい力が入り過ぎた。
姉貴のアンタには悪い事をしたな」
修行の内容を説明しながら、申し訳なさそうに頭を下げるケン。
それに対して千冬は困惑と悲しさの入り混じった複雑な表情を浮かべる。
(知らなかった。一夏が、それ程までに強くなって、それ程までに厳しいトレーニングをしていたなんて。
私は一夏の、一体何を見てきたと言うんだ・・・?)
現状を知って改めて思い知る。
一夏が強くなる事に、格闘技に懸ける想いを。
その為にどれだけ努力し、どれだけ戦い続けたのかを。
自分は目を逸らしていた。
サガットから受けた敗北の恐怖を呼び起こされるのか怖くて目を閉じて見ないようにし続けていた。
「・・・アンタの事情は一夏から聞いた。
口にゃ出さないが、一夏が格闘技やる事を苦々しく思ってるんだろ?」
「っ!?気付かれて、いたのか?」
「一夏が怪我して帰る度に泣きそうな面してたんだろ?そりゃバレるに決まってるってもんだ」
「うぅ・・・」
図星を突かれて俯く千冬。
そんな彼女にケンは懐から一枚の紙を取り出し、千冬の前に差し出した。
「これは?」
「来週に一夏が出場する格闘大会、その最前列のチケットだ。見に行ってやりな」
差し出されたチケットを見て千冬は思わず絶句する。
それはこれまで一夏が出場してきたマイナーな大会ではない。文字通り日本全国規模の大きな大会だったのだ。
中高生限定という縛りこそあれど、そのハードルはこれまでとは比較にならないほど高い。
「で、でも・・・」
「一夏が自分の戦いを見届けて欲しいと思ってるのは、間違いなくアンタだよ。
戦いを捨てて平和に生きるのも良いが、弟の強さを信じて見届けてやっても良いんじゃないか?」
困惑する千冬に、ケンはそれを真剣な表情で諭しながら立ち上がり、背後を振り返る。
「一夏、聞いてるだろ?さっさと出てきな」
「う・・・やっぱり、気付いてたか」
「当たり前だ。
俺はもう帰るからな、後はお前ら姉弟でしっかり話し合いな」
不意に声をかけられ、気まずそうに出てくる一夏。そんな一夏に笑いかけながらケンはその場を後にした。
「千冬姉・・・俺さ、心配かけてばっかりのダメな弟だけど、それでも俺は・・・」
そこまで言って一夏の言葉は途切れる。
他ならぬ千冬からの抱擁によって・・・。
「ダメなのは、私の方だ・・・。
怖がってばかりで、お前の努力を見ようともせずに・・・!
ただ、一つだけ約束してくれ・・・!例え、どんなに傷付いたとしても、私のようにだけは・・・心まで負け犬にならないで・・・!!」
「ああ、約束する!」
涙を浮かべて訴えかける千冬を一夏は強く抱きしめ返す。
「・・・」
「・・・」
沈黙が流れる中、それに反して二人の胸は高鳴りを強めていき、やがて千冬はいつかの様に一夏の顔に自分の顔を近付け、そっと口付けた。
「んっ・・・千冬姉?」
「・・・おまじないだ。絶対優勝出来るように、な」
「千冬姉・・・ありがとう」
お互いに赤面しながら、再びキスを交わす二人。
今度はお互いに求め合うように力強く抱き合いながら、より深く、濃密に・・・。
(ああ、そうか・・・これが、『好き』って気持ちなんだ。
俺は千冬姉の事が・・・姉弟なのに、姉弟だけど、そんなのもう関係無いぐらいに・・・)
(一夏・・・私の、一夏・・・!
もう、姉弟だとか、血の繋がりたとか、そんなのどうでもいい。
私は、一夏が好きだ。どうしようもないぐらい愛しているんだ・・・!)
胸に秘めた想いをそれぞれ自覚し、それを確かめるように二人はより深く口付けていく。
最初は傷の舐め合いにも近いものだった。
姉と弟でありながら、お互いの存在に拠り所を見出し求め合う、そんな歪な関係だった。
それでも、今この時二人の間には確かな愛が芽生えていた。
それからどれだけ時間が経っただろうか?
時間の感覚が無くなるような甘い時間を過ごし、漸く二人の唇は離れた。
「千冬姉・・・俺、絶対優勝するから・・・!
優勝したら、千冬姉に伝えたい事があるから・・・。
だから、見ていてくれるよな?」
「ああ。絶対見に行く。
私も逃げてばかりじゃダメだから・・・。
最後まで見届けるさ・・・!」
お互いに力強い意志を瞳に宿して頷き合う一夏と千冬。
“優勝したら、想いを告白する”という、
一夏の決意とそれを受け止める決意の千冬。
それぞれの決意を胸に二人は一週間後の大会に想いを馳せたのだった。
そして一週間後、見事優勝を果たした一夏は千冬に想いを告白し、二人は名実共に結ばれる事となるのだが、それはまた別の機会に語るとしよう。
・ ・ ・ ・ ・
「まだ3年、お前と結ばれてから数えても1年しか経ってないのに、懐かしく感じるな」
「そうだね。・・・あの日から、いろんな事が沢山あった。
だけど、後悔なんてしてないよ。
千冬と・・・千冬姉と結婚した事も、春が生まれた事も。
俺にとってかけがえの無い思い出だよ」
「そうだな・・・」
食事を終え、テーブル越しに向かい合いながら一夏は千冬の手を・・・薬指に指輪をはめた左手を優しく握る。
千冬が春を身籠ったのを機に、二人は束の手を借りて小規模かつほぼ無観客、かつ形だけではあるが、結婚式を挙げており、事実婚を果たしたのだ。
「ところで、一夏。
大会が終わったばかりで、こんな事を言うのも何だが・・・実は、今日は安全日でな。だから・・・」
「うん。それじゃあ、優勝祝い・・・貰おうかな?」
テーブルから立ち上がって一夏は千冬を抱き寄せ、共に寝室へと向かいベッドに押し倒す。
その日はお互いになかなか眠れない夜になったのは、言うまでも無い。
次回から本編に戻ります。
本作の千冬は療養生活の中で家事を覚えています。
大会の経緯、姉弟の結婚、春の誕生などはいずれまた・・・。