〜side 語り部〜
宿ヌシ殿が不在のここ荊州でも決戦に向けて進軍が開始されていた。
スムーズに事が運んでいるのは江東会戦時と異なり、宿ヌシ殿から太史子義への引き継ぎに対袁紹決戦の方針が想定されておりしっかりと指示されていたからである。
そもそも益州遠征時にMEMちょ軍団は大きく3つに再編されている。
宿ヌシ殿と共に益州へ向かう新兵の練兵を兼ねた益州援軍。
荊州の防衛と物流治安の維持を司る通商護衛隊の荊州支隊。
そして江東会戦からの古参兵で編成されている対袁紹決戦用の即応軍団である。
『MEMちょ様がもしも単騎で戦場へ参られた時に率いる軍団が無けれ片手落ちよ! 皆!疾く進めい!』
狂信者の軍団は『いまだーーー!』とばかりに張り切っていた。
総指揮代行:太史子義
先鋒:張文遠
本営付き軍師&参謀:陳公台&龐士元
先鋒付き参謀:徐元直
荊州即応軍:2万
荊州の留守は諸葛光明の布教により欲望が洗い流されて『心がキレイになった』蔡瑁に任されている。
「荊州の事は私にお任せあれ!漢朝に劉備軍にMEMちょ様に逆らうモノはネズミ1匹たりとて見逃しません。」
別の意味で危険そうな人物だが、この際贅沢は言っていられないと判断されたのであろう・・・なぁに最悪は徐州並みの布教が進むだけである。
太史子義率いる荊州軍は新野へ進出し、そこから豫州を伺う、許都方面に進むのも汝南方面に進むのも可能であり、袁紹軍から見ても嫌らしい位置。
来るのか来ないのかわからないけど防備を薄くする訳には行かず逆進行で潰そうとしても道は険しい。
結果として『大軍を遊ばせて置くより良い』と新野への侵攻という当初の予定に無い方針を取らざるえず、袁紹軍の短期決戦構想は早くも瓦解していた。
この時の袁紹軍は再編終わった袁術軍を取り込んでおり、豫州方面の大将として高覧が率いていた。
袁紹の元で経験を積み重ね40歳と脂の乗った武人であるが、劉備軍基準では3流の指揮官でしか無い。
そんな指揮官なので当然下手を打つ。
『袁術麾下だった将にそれぞれ敵に倍する兵を与えて、汝南・許都より進軍させる。互いに競わせる事で励みになるだろう。』
2流の頭の中では『敵に倍する兵が劉備軍を叩きのめし圧勝!更に挟撃で完勝よ!』っと皮算用が働いていた。
まぁ間違ってはいない・・・2倍の2倍と戦うので、戦力差から袁紹軍は圧勝出来るだろう荊州軍が待っていてくれたなら・・・
許都から進撃する黄蓋公覆の手元には老若合わせて4万の兵がある。
練度は低く孫堅の元で戦っていた時の兵には遥かに及ばない・・・がしかし、自らが大将として万の兵を指揮するなど夢の如き状況とその内は激っていた。
「汝南から進軍している義公の奴に手柄を取られる訳にはいかんのぅ・・・進軍を急がせよ!敵は半数、多少の脱落は無視せよ!」
そう急かせて、黄蓋軍団は許都と新野の境にある森林地帯へ踏み込んで行く、ここ荊州にて先端は開かれようとしていたのである。
〜fin〜