午前二時から三時を指す言葉であり、
妖怪や化物が活発になるという時間帯だとされている。
そんな言葉が浮かんできたのは、
腕時計が針が午前2時を指していることと
今僕が陥っている状況にある。
僕は服を着ていない。しかも外で。
*
数刻前、バイクで峠へ向かい、全身で山を感じていた。心地よい風、草木の揺れる音、そしてエンジンの音。すべてがリラックスさせてくれるクラシックに聞こえるし、気分を紅葉させてくれる軍歌にも聞こえる。
金曜日の夜、明日は起きる必要も無ければ、スーツを着る必要もない。平日に溜まりに溜まったフラストレーションを発散するために、僕は走る。右手をひねればひねるほど、僕の体は風に溶けてゆく。ちらりと上に視線を移せば、都会の喧騒を忘れさせてくれる星空が!しばらく走ったら、家に帰って、ビールを飲む。そしてアマプラで映画を見ながらまどろみの中で死んだように眠るのだ。頭の中で思い描く最強の週末。
そんな僕のウキウキフライデイナイトは道路に飛び出してきた一匹の小動物によって終わりを告げる。
イタチのような小型の動物が道に出てきたと思ったら、着ていた服がパカッと割れたのである。
認識してから、ブレーキを掛ける前に、
文字通り、パカッと
買ったばかりのジャケットも、
下ろし立てのパンツも、
お気に入りのTシャツも、
揃って二つの切れ端となり後ろに流れていくのをサイドミラーで確認した。残ったのはヘルメットとライディングシューズあとグローブか。流石に困惑したが、すぐに冷静になって、緩やかにブレーキを掛けて止まる。
受ける風がなくなったのに、一気に周りの温度が下がった気がする。心臓がバクバクする。得体のしれないものに出会った恐怖というのもあるし、いきなり服を失った恐怖と、これから全裸で家に帰らなくては行けないのかという絶望がのしかかってくる。というかあいつは何だったのだ。あのイタチのような小動物は関係なくて、服がなにかに引っかかってしまったのかもしれない。いや、普通服が何かに引っかかったんだとしたら、あんなスムーズに脱げないよな。もしかして、最近のライダースジャケットには最新安全装備としてそんな機能がついているのかもしれない。いや、それだとしたら、パンツまで適応されてるのおかしいわ。
考えてもわからないことを頭の片隅においやり、どうやってこの状況を打破するのかを考える。
冷静になった僕はとりあえずあぐらをかいて地べたに座る。お尻に小石が刺さって痛い。
とりあえず友達に電話でもかけて助けてもらおうかと思い、ポケットに手を突っ込む。
いや、ポケットがない、というよりポケットがついてる服がないのだ。おそらく真っ二つになったジャケットの胸ポケットに入っているのだろう。
思ったより追い詰められているのかもしれない。
心拍数が上がり、じんわりと額に汗が滲む。
このドキドキは終わりを前にした絶望感からくるものか。
それとも夏の山の中で全裸でいることによる高揚感か。
目をつむる。
耳をすませば、木々の葉っぱがこすれる音、
ああ、蝉も鳴いている。
ふぅ、と一息をつく。
そもそも人はみな大昔は裸だったのだ。今の状況だって、長い人類史で見ればプラスがゼロになっただけなのだ。何も絶望する理由にはならない。
現実逃避にも似た思考を巡らせていると、何かの足音が聞こえてくる。
野生動物か?人か?動物であってくれ……
僕は股間を隠して、顔を音の方向に向ける。
「あの……だいじょうぶですか?ひぃぃ!?」
女性の顔が見えたと同時に驚くような声が聞こえた。
片手にライトを持った少女。
照らされているのは僕の裸体。
よく見ると顔を真っ赤にして固まっている。
小豆色と白の上下のジャージに、
ランニングシューズ。
おそらくここらの高校の生徒だろう。
夜道で、しかもこんな時間に一人で出歩くのは危機意識が足りていない気がする。
危険な動物は出ない地域にせよ。危ない人はいっぱいいるのだ。
というかそろそろ僕の裸を照らすのは辞めてほしい。かれこれ十数秒僕らは見つめ合っている。
「なんで!?何も着ていないんですかぁぁぁぁ」
硬直していた少女が踵を返して走り出す。
僕は急いで立って、追いかける。
まずい、そっちの方向はそう遠くないところにコンビニがあったはずだ。人を呼ばれたら確実に取り押さえられる自身がある。
「待ってください!誤解です!」
僕は少女に叫んだ。
「何が誤解ですか!?裸じゃないですか!!全裸を山で楽しむ変態の類です!」
足を止めずに少女が返す。
「裸ではありますが、変態ではありません!」
「どう見ても変態です!だってそんなに息を荒くしてるなんて、興奮してるに決まってるじゃないですか!?」
「走ってるからだよ!」
だめだ……言葉は通じるのに対話ができない。
このまま彼女がコンビニに逃げ込んで、僕は警察に捕まってしまうのか。
ふと、彼女の説得を諦め、バイクで家に帰ろうかと思った。
いや、無理だわアパート駅前だし、交番とかあるわ。
誰かに見つかったが最後、全裸で町中を疾走する変質者だ。
そうなったらもう伝説のゼンライダーだ。
「お願いしますぅぅ!!話を聞いてくださいぃ!!バイクで走ってる時、木に服が引っかかって全部脱げちゃったんです!!」
自分でもびっくりするほど情けない声が出た。全身全霊を持って相手の善性に訴えかける。
流石に急に服が裂けました話、到底信じてもらえるはずがない。
あんま変わんないか。
「そんなこと普通起きません!!」
そりゃそうだ。
こうなったら正直に話そう。誠意を持って伝えたら、人は通じ合える。
僕は人の可能性を信じるぞ。
「走っていたら急に裂けたんで!その時にイタチみたいな動物がいてぇ、本当なんです!!…」
いやしんど、マジで…
彼女との距離はどんどん離れていく。
彼女の奥には明かりがある小さい建物が見える。
ついにコンビニについたのか……
僕は負けたのか……
「服が裂ける??イタチ??もしかして……」
心当たりあるのかよ。
少女は足を止めて顎に手を当て考える。
全く息切れしていない。運動部なのだろうか。
「おい!」
低い声が聞こえる。
少女の奥に白髪の男が立っているのが見えた。
「お父さん!?」
少女が振り向いて反応する。
これはまた、ややこしくなるような予感。
人間って表情でここまで恐怖を与えることができるんだって思った。
すんごい顔に額に血管が浮かんでいる。
はちきれんばかりだ。
勘弁してくれ。
「うちの娘に何してんだぁ!!!」
迫力に思わず尻餅をつく。
お尻がコンクリートにゾリってなった。
大根おろしみたいになったぁ!!
白髪の男が腕を振り上げて近づいてくる。
僕は殴られると思って、ぎゅっと目を瞑る。
これ以上痛い思いをしてたまるか!!
「ボディーは辞めて顔にしてくれ!」
僕は懇願する。
「ヘルメット被ってるじゃねえか!?」
男はさらにブチギレた。
男はどんどん近づいてくる。
…来るはずの衝撃は来ない。
薄目をあけると男がこちらに指をさしている。
少女が男を止めようと腕を押さえていた。
指先を視界に入れた途端。
僕の視界は歪んでいった。目が回る感覚と似た感覚に襲われ、
僕の意識はここで途切れた。