我輩は猫である。名前はまだない。
だが、我輩はその辺の野良猫とは訳が違う。
生まれた時から思考力と自意識が備わっていた。
産みの親は分からない。気がついた時には既に、我輩は我輩としてそこにあった。
最初は気になったが、今はどうでもよい。
特に不便はない。
森の木陰で涼みながら、我輩は自慢の灰の毛並みを毛繕いする。
爪も磨いでおく。食糧を仕留める為の自慢の武器だ。キレイに磨げると、気分も良い。
遠くで大地の揺れる音がした。
この世界では、時折ああいった事がかる。
強大なチカラを持つ何者かと何者かがぶつかり合い、海が割れ大地が崩れる。
魔神というらしいが、詳しくは知らぬ。
我輩は弱い存在だ。
あれに巻き込まれては、数秒もないうちに海の藻屑か瓦礫の下敷きだ。
我輩はさっとその場を離れた。
我輩は根なし草。自由なる風。
こうして世界を転々として旅をする。
道中、色んな鳥を仕留めて食べるのも忘れない。そろそろ、生も飽きてしまった。
火をおこそう。そして焼こう。焼き鳥だ。
そうだ。それなら塩も欲しい。
食の探求をしよう。我輩はグルメを目指す。
◇ ◇
大きな音に眠りを妨げられる。
大地の裂ける音だ。
今日はやけに近い。だが、焦りはしない。
焦りは思考を妨げ、判断を誤らせる。
我輩は自身の身軽さを正確に理解している。
自身が跳べる距離を冷静に見極め、ひょいひょいと山を駆け降りていく。
道中闘いの余波で岩礫がとんできたが、それなりの距離はあったおかけで、我輩のスピードで問題なく躱すことができた。
ちらりと見えたのは大きな亀のような影。もう一方はうねる竜巻のような影だった。
その巨大さは周辺の山々と比べても際立つ程。
巻き込まれないうちに、さっさと離れるのみだ。
我輩が少し落ち着ける場所についた時、そこには先客がいた。鳥だ。
鶴に似た姿をしているが、今までにない。新種だろうか。堂々とした姿をしている。
先ほどの魔神達を観察しているか、微動だにしない。
我輩にも気づいていないようだ。
激しい運動をしたせいで腹が減っている。あの鳥はどんな味がするのだろう。あの風格だ。きっと一際うまいに違いない。考るだけで涎もでよう。
我輩は爪をギラリと伸ばし、様子を見る。
獲物は動かない。油断しているのか。余裕なのか。
どちらとも判断つかないが、チャンスには違いない。
もう少し様子をみるかとも思ったが、巧遅は拙速に如かずだ。考えているうちに飛びたってしまっては仕様もない。
我輩は一息に鶴の立つ岩に向かって飛びかかった。
『むっ!』
我輩の渾身は空振りに終わった。
鶴が我輩にも引けをとらない反応で空に逃げたのだ。不意打ちを躱されたのは、初めてだ。
先程まで鶴のいた岩に降りたち、空中にいる鶴を威嚇する。我輩は腹が減っているぞ!
『なんだ。猫か。驚いたぞ』
驚いているのは我輩のほうだ。
なんと鶴は流暢な言葉で話しをするでないか。ただの鳥ではなく、超常の存在の仲間だったか。
まさか魔神ではあるまいな。
『…ふむ、向こうの崖から飛んできたのか。恐るべき跳躍力だな』
さらにこの鶴、飛んでいるというより、浮いている。羽ばたきもせず、空中に静止している。
だが、我輩なら届くので問題ない。必ず仕留めてみせよう。
『私を獲物としようとはな。無礼極まりないところだが、猫相手に礼を求めるわけにもいかぬな』
鶴は目に見える部分を細めて我輩を見る。
我輩も同じように鶴を睨んだ。
『まぁ良い。今回は見逃してやろう。遊んでやれるほど私の時間も安くはないのでな』
そう言いながら、鶴はどんどんと高度を上げていってしまう。
『ではな。名もなき猫よ』
これ以上高くなると流石の我輩でも厳しいだろう。それはいかん。
逃げるな!待て!我輩のごちそう!
我輩はぐっと足に力を入れて跳んだ。
急速に距離が縮まる。いける!
そう思った瞬間、鶴は羽を羽ばたかし、ひらりと我輩との距離を空けてしまった。
また躱された。届かない。
なんというとだ。今日は昼抜きか。
『…まさか、この高さまで届きかけるとは』
最高点から落ち行く中で、そんな呟きが聞こえたような気がしたが、我輩は初めて獲物を逃した悔しさでそれどころではなかった。
◇ ◇
ある雨の日のことだ。
我輩としたことが、油断をした。
狼型の魔獣。普段であれば簡単に撒けるような相手だった。
雨でぬかるんだ泥に足をとられるとは。
おかけで腹をざっくりと抉られた。致命傷だ。
我が猫生もこれで終わりか。
短かった。満ち足りていない。
まだ焼き鳥をしていない。あの話す鳥にリベンジも出来ていない。
命からがら海の方まで逃げてきたが、いつまで持つだろうか。
自慢の灰の毛並みがボロボロである。
意識も霞んできた。無念だ。
ここまでか。
我輩は覚悟を決め、つぶらな瞼を閉じ地に伏せた。
うっすらと見えた影のようなものは死の淵で見えた幻覚に違いない。
◇ ◇
暖かな温もりを感じる。
ここが天上の国か。猫の我輩でもこれようとは。瞼を開けると案の定、美しい天女が我輩を膝の上に乗せて自慢の灰毛を撫でていた。
「良かった。目が覚めた」
暖かな温もりはこの天女の両掌から我輩に流れこんでいるようだ。とても気持ちがよい。
生き返るようだ。死んでいるが。
それにしても、死んでいる筈なのに腹は減るのだな。我輩は空腹で腹を鳴らした。
天女はそれを見てクスクスと笑っていた。
恥だ。我輩としたことが。
◇ ◇
どうやら我輩は死んでいなかったようだ。
死に瀕した我輩を助けてくれたのが、我輩が天女だと思っていた女性。ヘウリアというらしい。
従者の男がそう呼んでいたのを聞いた。
ヘウリアは我輩を飼うつもりなのか、我輩にふわふわの寝床と三食昼寝付きの生活を用意してくれた。我輩は根なし草。傷が癒えたらまた野に戻る。惰弱な飼い猫と我輩は違うのだ。
気が付けばかなりの月日が経った。寝床やご飯に釣られた訳でない。ヘウリアが寂しそうだったからだ。我輩の毛並みに夢中のヘウリアだ。急に居なくなってしまえば、悲しんでしまうに違いない。我輩は寛容なのだ。
もうしばらく側に寄り添ってやろう。
断じて、焼き魚が旨すぎる訳ではない!
◇ ◇
ヘウリアは人間ではないようだ。
この一帯を統治している魔神で、塩の魔神というもののようだ。
魔神といえば年がら年中破壊を撒き散らすろくでもない奴らだと思っていたが、彼女は違った。
我輩のような小さな存在を助けるほど優しく。闘いを好まない性格のようだ。
魔神どもは、特に理由もなく暴れていると思っていたが、どうやら七つの神の座というものを賭けて争っているらしい。とはいっても魔神達も様々で、全ての神が神の座を目的に戦っている訳ではないらしい。
領土を守りたいだけの者もいれば、ヘウリアのように戦争に巻き込まれる人間を一人でも救いたいとする魔神もいるようだ。
ヘウリアが何処へいくにも我輩を連れてゆくものだから、いらぬ情勢に詳しくなってしまったではないか。まったく。
◇ ◇
少し前までは笑うこともあったヘウリアだが、最近はずっと固い表情をしている。
魔神戦争の激化に伴い、中立を保っていたヘウリアの領土にも戦火の足が届くようになっているようだ。
ヘウリアは闘いたくないようだった。
いつも辛そうにしている。あんまりそんな顔ばかりしていると、我輩も辛くなってしまうではないか。笑うがよい、ヘウリア。
◇ ◇
ヘウリアは闘わなかった。
側近の人間に何度となく闘うことを望まれていたが、決して首を縦にしなかった。
ヘウリアは優しい魔神だ。
そして臆病でもある。
闘わない代わりに領土をどんどんと割譲して狭めていっているらしい。
人間達もそれに危機感を覚えている。
闘わないことで命は、なんとか守られている。
たが、譲歩ばかりでは、いずれは。という不安だろう。
最近ではヘウリアを姿勢を攻める声も我輩の耳に入っている。
このままでは良くない。
だが、我輩には何もすることも出来ぬ。
我輩が猫であるが故に。
◇ ◇
「どうしてこんな風になっちゃったのかな……」
彼女は我輩を抱きかかえながら悲しんでいた。
普段より力が強い。
余りに湿っぽいと毛並みがバサついてしまうではないか。
余程弱気になっていたのか、ポツリポツリと彼女は我輩に心の内を吐露していた。
まさか我輩が理解して聞いているとは思ってはいるまいが。
「…初めはもっとずっと、小さな場所だったんだ。村一つ分くらいの」
「魔神戦争が始まって、人々は戦乱の中で故郷を終われて……。私はそんないく宛のない人達の、新しい故郷を作れたらって、地中の塩に村を作ったの」
「数十人くらいで一から始めて、私も力添えはしたけど、人間達みんなで助けあってね。……楽しかったなぁ」
ヘウリアは昔を懐かしんで、少し笑った。
寂しそうな笑顔だ。
「でも、魔神戦争が激化するにつれて、どんどん世界にそういう人達が増えていったの」
「私達は可能な限り受け入れていった。みんなで助けあって、また平和な生活を。平和な街をって」
「どんどん受け入れて、その分街を大きくして、領土も広がっていった。大きくなれば乱れも生まれた。そして、秩序を保つ為に、組織ができた。ルールができた。序列が出来た」
「そうして、気が付いたら、私が始めた小さな隠れ家は、『国』になってた…」
「そこまで来てしまった私を、もう他の魔神達は見逃してくれない」
「でも、でも……私に闘うチカラなんて、ないの」
「私はチカラの弱い魔神。渦の魔神や塵の帰終なんかが来たら、息だけで吹き飛ぶような、そんな存在」
なんだ。ポタポタと我輩の背中に当たっているのは。気になって身体を捻ろうとするも、ヘウリアが我輩をぐっと抱き寄せているようで動かない。
「…始めから、こんなこと始めなければ良かった。そうすれば、今の不幸はなかった。もっと別の道があったかもしれないのに」
ヘウリアの懺悔はそうして終わった。
彼女はおもむろに立ち上がり、我輩をそっと下ろすと、優しく頭を撫でた。
「変な話し、聞かせてごめんね。ありがと」
弱音を吐ききったのかヘウリアは踵を返して部屋を出ていこうとする。
我輩は反射的に裾に噛みついていた。
咄嗟のことだったが、予感した。このまま行かせてはならない。
毛並みが逆立つような、嫌な予感だ。
「もう、どうしたの?」
ヘウリアは我輩を引き剥がそうとしたが、我輩が余りにもしつこかったからだろう、魔神の力で我輩は眠らされてしまった。
「よい子で待ってるんだよ」
そうして、これが我輩の聞いたヘウリアの、最後の言葉になった。
◇ ◇ ◇
我輩が目を覚ました時、既に地中の塩は崩壊していた。
庇護していた人間達の裏切りにあい、ヘウリアは殺されたようだった。よく会議を重ねていた場所に行ったらすぐ分かった。
地中の塩の人間達は皆例外なく、塩の結晶になっていた。塩となるその直前の姿で。
優しいヘウリアが裏切られた怒りで、とは到底思えない。
ヘウリアは弱くとも魔神。
殺された際に溢れ出した力が、この悲劇を招いたのだろう。
「……にゃあぉ」
我輩は何故この場にいて無事だったのか。
わからないが、ヘウリアは我輩の命を二度救ってくれた。たぶんそういうことなのだろう。
我輩は塩となった国主の足下。
ヘウリアだった塩の山に近づいた。
これはこの時代においては、ありふれた悲劇なのだろう。強き者は生き残り、弱き者は淘汰される。
ああ、だがこれは。余りにも悲しい最後だ。
流れ落ちた塩水は塩の山に落ち、染みこんだ水は山を僅かに崩した。
崩れた場所から現れたのは、ヘウリアが愛用していた灰色のネックレスだった。
我輩はそれを塩の山からするりと抜き取り、咥えたまま歩き出す。
いつものように目的地は決めない。きの向くまま。風の向くまま。
だが、少し見たいものもできた。
彼女が理想としていた、平和な国というやつだ。
何処にあるかも分からんが、世界は広いのだ。きっと何処かにあるだろう。
それを探してみるのも悪くない。
旨い魚も、きっとそこではたらふく食える。
我輩は猫である。
名前はまだ……、ああ、そうだ。
ヘウリアがよく勝手に呼んでいた名前があったな。
許した覚えてはなかったが、まぁ良いか。
名前は、灰(カイ)である。
まぁ、悪くない。
気が向いたら書くか……もしれない