イギリス領ジブラルタルの海岸近くに作られた、オーバーウォッチの拠点にて。
「ふぅ、やっと終わりました」
ゴリラは時間加速装置を直していた。
先日人類に対抗するオムニック集団…ヌルセクターとの交戦で酷使されボロボロに欠けてさえいたそれは、今やすっかり元の形を取り戻している。
「あとはバッテリーを取り付けるだけですね」
椅子に腰掛けていたそのゴリラの科学者…ウィンストンは、あらん限り手を伸ばしてデスクの端にあるバッテリーを手に取り、装置に取り付ける。
「トレーサー、終わりましたよー」
「おっ、待ってましたー!」
向こうのソファーで寝転がっていた女性が立ち上がり、こちらに駆け寄ってくる。オレンジ色のゴーグルをかけたショートカットの彼女こそが、この時間加速装置の使用者、レナ・オクストン…コードネーム「トレーサー」であった。
「一応試運転だけしてくださいね。ぶっつけ本番で不具合があってもどうしようもないですから」
「はーい」
装置がトレーサーの胸に装着されると、その中心から青白い光輪が浮かび上がる。
そして彼女の体が同色の光を纏ったかと思ったら、次の瞬間彼女はウィンストンの横にいた。
かと思いきや今度は向こうのソファーの上にいたり、部屋の扉の近くにいたり、テレビの前で座っていたりした。
その後先ほどまでの動きが早巻きで逆再生され、ウィンストンの目の前に戻る。
「リコール!」
「はは…問題はなさそうですね」
「うん、バッチリ!ありがとうウィンストン」
ウィンストンが笑うとトレーサーは装置を脱ぎ、いつの間にか持っていたハンガー(リコールする前に取ったのだろう)にかけ、壁にかけた。
「今回は大分危なかったんですよ。安全装置が吹っ飛ばされてメイン制御装置が臨界寸前。あと2、3回使っていたらあなたはここにいなかったかも知れません」
「あー…あれ安全装置だったんだ」
戦いの最中、トレーサーは横から忍び寄る影に気付けず、かなりの近距離で発射された弾丸が時間加速装置を抉り、内部のパーツが吹っ飛んだのだ。そのパーツこそが安全装置だったわけだ。
リコールしてもパーツは元に戻らず、その後も戦い続けた結果がこれだった。
「いいですか、本当は安全装置があってもあまり使いすぎてはいけないんです。下手をするとこの時間軸から外れて、別の次元に行ってしまいもするんですから。あなたが1番分かっているはずです」
トレーサーの過去。
彼女はテレポート戦闘をするメックの試作機パイロットだった。
しかし試運転中にメックが故障し、彼女ごとそこから消え去ってしまったのだ。
数ヶ月後に彼女は姿を現すのだが、彼女が言うにはその間別の次元に行ってしまっていたと。
「あれはまぁ…怖かったけど…大丈夫!今度は無茶しないから」
「本当ですかねぇ…」
トラウマが蘇りつつも笑って答えるトレーサーに、ウィンストンは溜息をついた。
☆
それは何気ない、いつもの訓練だった。
同日午後、イタリア・ヴェネツィアの一角【
オーバーウォッチの戦闘訓練は、その日に集まった人数が足りない場合、「人格モジュール」が搭載されたロボットがオーバーウォッチのエージェントや協力者、タロンのエージェントなどを再現したものが部隊に編成される。これにより、敵には自分の再現がいる…なんてこともしょっちゅうあるので、自分の戦い方の悪いところや弱点が分かりやすいのだ。
この日のペイロード護衛…俗に言う攻撃側はウィンストン、トレーサー、エコー、モイラ(再現)、マーシー。防衛側はD.va、メイ、トレーサー(再現)、ルシオ、マーシー(再現)であった。
「とっておき!」
D.vaがメックを橋の上に飛翔させ、自爆シークエンスを起動する。
トレーサーが三連ブリンクで、メックに搭乗していないD.vaに近づき
「爆弾の時間だよー!」
「「うわっ!」」
突如として接近した人物の正体に気づき全てを察したD.vaは必死に爆弾を剥がそうとし、たまたま隣にいた敵のトレーサーは慌てて逃げようとするが、時既に遅し。
無防備な彼女らは【パルス・ボム】によって爆散した。
「えぇ…私そんな弱くないと思うんだけど…」
自分の鏡である敵のトレーサーに若干失望の念を抱く。
だが、メックから光が消えた訳ではない。
「マーシー、こちらへ!」
ウィンストンがシールドを展開すると同時に、マーシーを呼ぶ。
エコーは物陰に飛び込み、トレーサーはリコールで時空の狭間に逃げ込む。
そしてマーシーがシールドの中に入る寸前、緑色の爆炎が周囲を襲った。
「「うわぁぁぁぁぁ!」」
逃げられなかったモイラとマーシーの断末魔が水上に響き渡る。
爆炎がまだシールドの外を覆っている中、ウィンストンは思考を展開し始めた。
敵はタンクとダメージが一人ずつ落ちているが、それに比べればヒーラーが二人抜けたというのはあまりにも大きい。この不利な状況を巻き返すには、敵も一人落とさなければいけない。
しかし敵ヒーラーが二人いる中で、メイを落とすというのは非常にキツい。ルシオはそもそもの場所が遠く、近づいてもその逃げ足ですぐに引き離され追いかけることは困難だ。ならば狙うべきは…
そして爆炎が陽光へと変わると。
すかさずウィンストンは攻勢に移った。
メガネを破壊し、顔を真っ赤にして敵のマーシーに飛びかかる。
敵部隊は揃って「マズい」と悟り、タンクの抜けた穴を必死で埋めようとする。
「ドロップ・ザ・ビート!」
ルシオが慌てて敵マーシーの耐久力を増幅させる。
即死を免れた敵マーシーはウィンストンの妨害を振り切ってメイのいる方に飛んで行き、メイは氷の壁を張ってウィンストンの猛攻を防いだ。
しかし、この程度では終わらない。
「とっておき!」
なんとD.vaが爆殺される寸前に彼女とメックを
「嘘…」
メイの呟きが電磁爆発にかき消され、敵は三人とも爆死した。
チーム・キルである。
「レナたち、さすが手強いね!こうでなくちゃ!」
数秒後、バックアップボックスで復活したD.vaが共通無線で彼らを褒め称えた。
「当然です!」「まだまだこれからよ!」
ウィンストン、エコーと順に返事を返す。
しかし。
トレーサーの返事は返ってこなかった。
「レナ?」
その時誰もが異変に気づいた。
リコールしてからもう二十秒は経っているのに、トレーサーの姿が見えない。
仮にリコールが失敗して爆散しても、もうバックアップから復活している筈だ。
それなのに、トレーサーはどこにもいない。
「まさか…」
ウィンストンの脳裏に「最悪の事態」がよぎる。
すぐに再現ロボット以外のバイタルを見た。
D.va、正常。
メイ、復活中。
ルシオ、復活中。
ウィンストン、正常。
エコー、正常。
マーシー、復活中。
トレーサー、不明。
バックアップが破損していて、復活できずそのまま死んでしまった訳ではない。そうならば即座に訓練中止のアラートが出て、蘇生を始めるからだ。
しかしアラートは鳴っていない。となると、考えられるのは…
「連れ去られた…もしくは、別次元への失踪…!」
その日の訓練は中止になった。