人は、案外脆いものだ。
自分の信じるものが消えると、不安定になる。
自分の信じるものを否定されると、明らかに動揺し、混乱するように。
「えーっと……」
目の前にいる相手を見つめる。
髪はそこそ整っているが、少し遊びが見られる。腕時計は市販品、服は私服で無地。私も大概センスがないのでどうこうは言えない。
顔立ちは整っている方であり、所謂イケメンだ。
その上、話し方も穏やかで、聞き取りやすい声。
この自分で呼び出しておきながらも、困ったような顔をしている男性こそが、かの生徒会長を七冠まで押し上げた、皇帝の杖。
生徒会長の現担当トレーナーだ。
つまり有名人。
有名人が私みたいな無名に、どんな用件だろうか。
ちなみに、この生徒会長のトレーナーは、見た目からは想像できないほどの実力がある。
トレーナーになってからまだ数年で、担当したウマ娘は生徒会長のみ。
所謂、天才。
他人の、他のトレーナーが試行錯誤して見つけるような戦術だとか、トレーニングを。
たった少し。ほんの数分考えるだけで、思いつける。
この人の1秒は、凡人の1日に。この人にとっての1秒と、凡人にとっての1秒は価値が違う。
それほどに、才能がある。
『才能は、いつも非常識だ』という言葉を体現しているかのような。
目の前にいる、このトレーナーは。そういう、存在だ。
こんな緩めな雰囲気だが、全然一流のトレーナーである。
「何を話せば良いんだろうね……?」
何を言っているんだろうか。
呼び出された側としては、よくわからない、としか。
そもそも、私にとって。誰かと二人きりで対談、とはかなり辛いこと。
会話が成立しない。
言葉のキャッチボールができない。さしずめ、言葉のドッジボール。私が避け続けるだけの。
私に何か言っても、答えが返ってこない。
それでも、話してくれるような人はあまりいない。
トウカイテイオーや、生徒会長は別。
あっちは勝手に話してくれる。それが、どれだけありがたいか。
でも、こう言った状況は苦手だ。
私が話せないことを知らぬ相手ならしょうがないこと。
でも、それは解決にはならないことだ。
そもそも、なぜ呼び出された?
突然校内放送で、トレーナー室に来い、と言われた。
何かをやらかしたわけでもなければ、生徒会長のトレーナーと面識があったわけでもないと思う。
心当たりがない、の一言。
生徒会長の気まぐれなら、自分で呼ぶなり、トウカイテイオーに頼むなり、方法はあるだろう。
全校放送で呼ぶ必要はないはずだ。
別に、私には友達もいなければやることもないので、構わない、わけだったけど。
「あー……えっと、初めまして。シンボリルドルフのトレーナーです、これからよろしく……?」
『こちらこそ。ディッフェトーゾです。本日はどのようなご用件ですか?』
第一はまず、互いの名前を知るところから。
日本では、昔から互いに名乗り合うことこそが当然だった。
まあ、私には本当の名前がわからないが。
でも、不便はない。
別に、これが偽名だと思わない。
でも、本名でもない。
何せ自分でつけた名前だ。
自分への、皮肉をこめたお似合いな名前。気に入っている、ということでもないが……
間違ってはいないんじゃないかな、と思う。
大きくヒビが入った心と、継ぎ接ぎの魂。
ガラクタと言っても差し支えのないような。そんな私に、お似合いの名前だと。
そう思っているから。
少なくとも、名前に対して悪い感情は持っていない。
「あ、うん、ごめんね。僕もルドルフに君スカウトしようとしたら逃げられちゃったー、って世間話をしたらね、僕も今日ここに呼び出されて。待ってたら君がきて、今って感じだね。」
『はぁ。』
どうやら互いに生徒会長に呼び出された、ということらしく。
というか、逃げた?
……よく見れば、確かに選抜レースの後に話しかけてきた人物と同じ顔であることに、ようやく気づいた。
まあでも、それがなんだ、と。
スカウト、受けた方が良かった。
でも。
あの時は気分というか、テンションがおかしかった。
一種のゾーン状態、とでも言おうか。
いつもよりも自分のことがよく見えた。
周りの状況を正確に把握できた。
考え事をしていても、勝てるぐらいには。
天才と凡人の差。
秀才と天才の差。
先の選抜レースで、それを私は痛いほど理解した。天才が存在するのなら、その天才によって変わる者がいる。
天才に、秀才は勝てないし、天才に、凡人の考えはわからない。
それに、
天才が前に走った後は、誰も次を見ようとしない。
誰もが天才の影を見ない。
けれど、人間の本質というのは、影だ。
他人への負の感情。友情、愛、そういったもの。それの裏にある影が、人間を表している。
あらゆることには、等身大の裏表があるのだから。
私にも、他人を考える感情があるように。
そして、それと同時に。
『あなたには、私が見えるか?』
それを基点とした考え方こそが、自尊心。
他人を尊重するというのは、大きな自尊心の先にある。
自分が高みにいると自覚しているから、他人に自分の光を当てる。
でも、光を当てられるものは、自分が誰かを照らせるような、励ませるようは、目指されるような存在だけ。
そして。
他人を照らす、天才というのは、光を発する、太陽。
そして秀才は、天才という星の光を浴びて光る、月。
凡人は、その二つの輝きに見惚れる人間。
太陽があるから月が輝ける。
人がいるから、太陽の輝きは知られる。
月が近くにいるから、人は目標を持てる。
私は、そんな天才を、秀才を、凡人を尊敬している。
天才は、誰よりも優れているから。
秀才は、自分を信じることができるから。
凡人は、他人を受け入れられるから。
私にはできないことができる。
それは、私にとって尊敬の対象になることだ。
だって、私にはできないことを埋める方法がなかったから。
そしてレースは、それと同じだ。
日本ダービーが終われば、その次に行われるレースを見る人がいなくなるように。
天才、トウカイテイオーの次のレース。
そこで走るウマ娘にとっては、トウカイテイオーは天才であり、天災に映ったことだろう。
だからそこで勝ったとしても、あまりトレーナーには気づかれない。
昔は、一年に4度の選抜レースがあった。
でも、少子化が進むにつれて、一年に一度まで減ってしまっていた。
けれど、少子化が進むのに比例するように、日本のレースのレベルはどんどん上がっていった。
ウマ娘のレースは、ブラッドスポーツと呼ばれる。
家柄が重視される。
その家の中でも、上澄みの名家と呼ばれる家が、勢力を増したことに起因するだろう。
メジロは、G1ウマ娘を多数輩出するようになった。
近年では、そのペースはほぼ毎年。
毎年毎年、どこかのレースでメジロの名を、背中を見ることになる。そう言われるように。
シンボリは、質が上がっていった。
海外への道を切り開いたシリウスシンボリ。
最高傑作の生徒会長、シンボリルドルフ。
シンボリは、まだまだ有望なウマ娘がいる、とも噂されてもいる。
その中で、寒門に生まれた私。
しかも、選抜レースではトウカイテイオーの後という最悪の条件だったというのに。
このトレーナーはレースを見ていたのだろうか?
だとすれば、このトレーナーは、おかしい。
貶しているわけではない。
ただ、レースを見るという判断がトウカイテイオーが自分を選ぶという自信か。
それとも、全てのウマ娘娘のレースを見たいというウマ娘好きのれっきとした狂人、ウマ娘が好きで好きでたまらないのか。
どちらにせよ、凄まじいトレーナーであると思う。
ウマ娘が好きである、というトレーナーに一番大切だと言われる心。
絶対的な自信と、それを持ち合わせている。
ウマ娘をそこまで愛することは私にはできない。
ウマ娘は、どうやっても最後には私の敵となってしまうからだ。
敵を好きになれるなんて人は聖人だ。
私は、決して聖人じゃない。
優しくもない、ただ、人間の本能を写したような存在に近い。
嫉妬と、羨望と、排他。
そんな私が、ウマ娘を愛しているなどと、口が裂けても言えない。
無言のまま互いに何かを考えて、見つめ合うこと数分。
廊下から足音がしてきた。
「やあ、失礼するよ。遅れてすまない、少し仕事が立て込んでいてね。」
……白々しい、と思った。
自分で呼び出しておいて、仕事が終わってないというヘマをするようなウマ娘ではない。
それは誰もが知っている。
それに、もし本当にミスで遅れたとしても、こんなに自信満々に入ってはこない。
私には無理だ。
いや、私がただ自分を信じきれていないという可能性も大いにあるが。
「あぁ、ルドルフ……少しでも、進展があるかと思ったかい?」
恨めしげに生徒会長に目をやる皇帝の杖。
苦笑しつつも、頷きながら生徒会長は返した。
「うーむ……済まなかったね。ディッフェトーゾ、彼女が『そう』だよ。テイオーに君も釣られてしまうかと思ってしまったが、流石だね。」
「いや、前に絶賛していたから。トウカイテイオーとは次元が違う、という言葉の意味がようやくわかって安心だね。」
……私は、生徒会長に異様な高評価をされていたようで。
天才であるトウカイテイオーに、
私はいつか必ず負ける、そんな確信は今でもある。
選抜レースとは思えない人の数。
伝説を収めようと、テレビのカメラらしきものも来ていた。
けれど、それに動じぬ精神力。
完全なパフォーマンスを見せた、強靭なメンタル。
私には、到底できない。
ウマ娘は、総じてフラッシュに敏感。シャッター音も禁止、カメラも極力動かしてはいけない。
その中でも、前掻きもしなかった。耳も、尻尾すらも平常通りに。
ただし、皇帝と同じように、中に余りにも苛烈で、鮮烈なレースへの衝動と、想いを隠さずに出していた。
迫力から違う。
それが、天才。皇帝の後継。
生徒会長にとって、私はそれすらも生ぬるい存在だと、言うらしい。
「それで、今日呼ばせてもらった理由だが……どうやら私のトレーナーは君をスカウトしたいようなんだが、尻込みしていたようでね……発破をかけに、というところだよ。」
「いや、だって突然手を握って、が第一印象なのに堂々とはできないよ……?」
生徒会長も正しいし、トレーナーの方も正しい。
私はどうするのが正解なのだろうか。
私としては、受ける気ではいる。ウマ娘が勝つ上で、トレーナーの腕はかなり大切だ。
優秀なトレーナーから名指しでスカウトされているのなら、断る理由はない。
当たり前のこと、だと思う。
私はただ、勝ちたいのだから。自分のためだけに。
そんな自分本位、自己中心的な私を肯定してくれるトレーナーが、良いなとは思うけど。
「場は作ったのだから、ここで決めるべきだと私は思うよ、トレーナーくん。」
「それと、だが。……君は、もう少し自分を認めた方が良い。ディッフェ、君はおそらく、いずれ私を超える存在になれる、そんな才能があるウマ娘なんだ。」
「それじゃあ、失礼するよ。」
そう言い残して、生徒会長は去っていった。
自分を認める。それが、できたらどんなに楽なことか。
自分を認められなかったから、私は壊れた。周りと違った。何も出来なかった。見ているだけだった。
そんな、弱い私を、認めるなんて出来ない。
認めてしまったら、私が失ってしまったものは2度と戻ってこないだろうから。
声も。思い出も。何もかもを、永遠に失くす。
それだけは、絶対に嫌だから、私は自分を認めない。
自分を、過去の自分を肯定して、今の弱い自分を否定する。それが、私にできる事。
そうする事でしか、私は自分を許せない。
自分がなんなのか、ずっと。あの時から、迷い続けてきた私を許せない。
私をいずれ超える。
確信に近い響きのあった言葉に感じた。私は天才ではない。
だけど、生徒会長はそう言った。
私という存在を、ダイレクトに揺らすような言葉を受けて。
私は、訳が分からなかった。
自分を包んでいた鎧の間を綺麗に通すような言葉に、混乱していた。迷っていた。不安定だった。
「それじゃあ、改めて。……君をスカウトさせてくれ、ディッフェトーゾ。」
だから、あんなことをした。
自分の信念に反するようなことを認められなかったから。
私は、あの時からずっと、私を疑って、過去を信じて、自分を嫌って、認めずに、過去の想い出を宝物にして、奥底に閉じ込めて。
それを一度に否定されたから。私は、曲がっていた。
「僕の夢を、君に預けたい。」
瞬間。
体が勝手に動いていた。
「……?!」
机を叩いた。
身体中の毛が逆立っているような感じがした。
耳も絞っていた。脳の半分が茹で上がったように感じた。もう半分は、理性で、俯瞰して止めようとした。
間違ったことが嫌いだった。
『他人に夢を託す』
『想いを人に預ける』
それは、私にとって間違っていることだった。
いつもなら、怒りはしなかった。その時もおそらく、表情は動いていなかった。
けれど、体は動いていた。
思いきり、怒りだとか、殺気だとか。
そういうものをぶつけて、圧を叩きつけた。
表情は変えずに、睨み付けた。
流石の皇帝の杖を務めていたトレーナーも、予想だにしていなかった行動にたじろいだ。
怒りのまま、激情のままに。
脳の理性を振り切って、紙に言葉を書き殴った。
『気軽に、自分の夢や思いを託すな』
『それは、自己満足で、自分勝手で、自分の気持ちの押し付けに他ならない』
そしてそのまま、扉から部屋を出た。
扉の外には、生徒会長がいた。足音がしなかったから、いるのはわかっていた。
「……済まなかった。私の配慮が足りていなかった。……悪いのは私だ。」
生徒会長の方を一瞥し、自分のクラスに戻る。
あれ程怒ったのは、初めてだっただろう。
それほど、私の心は、不安定になっていた。
自分が今まで信じてきたことを、否定されただけで。あそこまで、戸惑ってしまうほど。
今回は、成長していなかった、私が悪い。
でも、それを認められない自分がいた。
それに嫌気が差して。
ますます、自分のことを嫌いになった。
―――でも、それでいいのだ。
壊れている私は、自分の過去を信じて、今を嫌うことでしか自分を許容できないから。
私は、私を好きになることは、ないのだろう。
この作品で、天才と秀才と凡人について多いのは、オリ主が自分に迷っているからです。
お盆は毎日投稿できないかもしれませんが、ご容赦ください。
誰との絡みが見たい?(いずれ書く)※選択肢にないウマ娘は、ストーリーが思いつかないか、作者が書けないです。すいません。
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