無事に帰宅できて、どっと疲れが押し寄せてくる。
すぐにあかねに連絡することはしなかった。もしあいつに協力者がいた場合、携帯を奪われる可能性を考慮してのことだ。
しかし今は自宅にいる。ここでなら連絡を取ることは可能だろう。俺と神木が話していたことは多くの人が目撃している。その直後にこの家で何かあればあいつは危険域に一直線だから、ある程度安全と言える。
しかし……。
「経営者か。そりゃ表舞台には中々出てこないわ」
このプロダクションの規模は知らないが、アクアが神木に到達するのはかなり難しい。正攻法でいけば社長自らタレントを売り込まざるを得ないくらいこっちが大物にならなきゃいけない。プロダクション所属のタレントからふとした拍子に話が漏れる可能性はあるかもしれないが、あいつの口ぶりからアクアと接触する気は今のところなさそうだ。であれば所属タレントを同じ現場に配置しないだろう。
神木という人物を知るためには公になっている情報を探ることと、直接懐に飛び込む方法がある。前者はあかねの得意分野だ。
しかしその先を考えてみる。あかねはどのような結論を出すだろうか。完全に網に囚われているこの状況を妥協できるか。いや、あかねは頑固で潔癖だ。安全マージンは徹底的にとりたがるだろう。
アイ殺害の証拠を得るまで止まらない可能性もある。あるいは――。
「いや、悪く考えすぎるのは俺のよくないところだ。もっとシンプルに考えろ、俺」
現状神木の存在を認識しているのは俺だけだ。そして神木はなぜか俺をすぐに害する様子はない。もっとも、次も安全とは言えないが。
だったら保険をかけた上で、探りをかけるのが俺たちにとって一番安全なんじゃないか?
「恨むぜ、神木」
俺は名刺に書かれた連絡先を入力した。
☆★☆★☆★
「決断が早いことはいいことだ。人生は思っているより短いからね」
翌日、俺はよく分からないアイドルのライブに来ていた。B小町以外興味ないから仕方がない。
連絡を取ってすぐに対応する神木の行動力も不思議だが、なぜここを話し合いの場所に選んだのか。
「うちのプロダクションに呼んでも君はこないだろう? 僕が予約した個室もだ。だから大勢の衆目がある場所を選んだんだ。ここなら多少の声はかき消されるからね」
「うっかり熱狂したファンに将棋倒しにされる可能性があるんだが」
「それは僕も巻き込まれるから」
はん。俺だけ刺殺して去ることくらい余裕なくせに。一応何かあった時のために濃い色のシャツの下には防刃Tシャツを着ている。暑いが安全には替えられない。
「彼女たちを見てごらん」
ステージにはアイドルたちがいる。最近流行りの大人数グループなのだが、正直プロデューサーのネームバリューや目新しいビジネスモデルで売れているだけでB小町ほどの輝きはない。
「つまらないだろう? 顔に書いているよ」
「またか……。その俺の心を読む絡繰りは教えてくれるのか?」
「? なんだ、気づいていなかったのか。もちろんだ」
ん? 俺自身で気づける問題だったのか? ということは神木特有の技術というわけではなく、聡明なあかねや有馬には気づかれていた可能性がある。いや、お前なんという精神攻撃をしかけてくるんだ。
「我々芸能の世界に身を置くものは嘘が得意だ。いや、嘘の塊と言ってもいい」
「まぁ仕事ですからね。プライベートとは別の
「いや、そういうことじゃないんだ。君は演技の起源を知っているか?」
演技の起源? 古代ギリシアでは既に演劇は存在していた。文学を大衆に分かりやすくしたエンタメじゃないのか?
「ああ、君は演劇にはあまり興味はないか。では音楽は?」
「原始的なコミュニケーション」
「なかなかいい解答だ。さて、この場合コミュニケーションをとる相手は誰だ?」
それは……狩りの合図や危険を察知したときの警鐘。求愛行動もあるか。
「人だろう? 同じ集団の相手への連絡ツールだ」
「それは音楽ではなく言葉の起源だね。音楽とは神への交信チャンネルを開くものだ」
は?
「演劇も同じさ。俳優の俳という字は『神のわざ』を意味する。つまり神を肉体に宿す行為だ。神がかるという言葉があるだろう? 神の仕草を真似る神降の儀式が由来なんだ」
こいつ……思っていたのとは違う意味でもヤバいやつだな。何か変な思想に囚われているのか? 陶酔している自分自身を肯定する自己愛性人格障害者か。神への傾倒の傾向からビジョン型シリアルキラーになりうる可能性がある。犯行は2回では収まっていない可能性があるな。
「踊りもそうだ。あれば神降の儀式の一環だからね。神を楽しませて関心を寄せるものだ。さて、ここまで話せば共通項は分かるだろう?」
「芸能の世界は神降に通ずるものがある。あんたが芸能界にいるのもそれが理由だ」
「そうとも。もっとも、この世界の大多数がまがい物の無能どもだ。彼らには興味はない。僕にとって興味があるのは極めて一部の本物さ」
アイのように、ということか。
こいつをただの狂人と捉えるのは時期尚早だし危険だ。神木は理由があって芸能界にいる。その切欠はわからない。少なくともアイに出会う以前からいたのは確かだ。
そしてアイに目をつけたのは間違いなくその才能のため。しかし殺害した理由は? 自己愛性人格障害は人間関係が長続きしづらい。あるいは他の人格障害を併発していた結果、アイへの失望やアイの喪失のおそれ、アイの才能への嫉妬など様々な要因が考えられる。
「世の中にいる本物は全て見つけたい。僕の子たちは間違いなく本物だ。それに黒川あかね君もそうだね。もちろん、君もだ」
「それはどうも」
「しかし君と他の人間とでは決定的に違う点がある。分かるかな?」
ああ、こいつのことが少しずつ分かってきた。俺を試してる。俺を認めているからこそ、確認しているんだ。
だったらこいつの問いにはヒントがあったはずだ。
「嘘が苦手」
「正解だ。それが答えだよ。俳優もダンサーも歌手も、すべては神降のために自己を消す。一種のトランス状態だね。そこに至るために彼らは成りきる必要がある。それはある意味嘘だろう?」
「まぁ、そうともとれる」
「本物であればあるほど嘘が上手くなる。演じることに長けて、慣れてしまう。ところが君は音が証明している通りそれが下手だ。だがその実力は本物だ。君の瞳が物語っているからね」
瞳? こいつ、資質を見抜けるのか。だから本物かどうかというよく分からない線引きをができる。
「ところで森本君。君はこの瞳をなんだと思う?」
神木は細めていた目を少し開いた。相変らず星の形をした闇がある。なんて矛盾した存在だろう。
「慣用的な表現として言うなら、強い意思の表れでしょうか」
「ありきたりだ。これは嘘じゃなくて理解していないだけだね。まぁいいさ。これはね、神がつけたタグだ」
タグ? ICタグとかで使われるタグだとすると、札という意味になる。
「識別票。特別に才能を与えられた人間を認識するためのもの。追跡機能もあるかもしれないね」
「控えめに言って頭がおかしいとしか言いようがないですね」
「ははは。正直に辛辣なことを言うなあ」
こいつは本当に表面を取り繕うのが上手い。事情を知っている俺でさえ、気を抜けばただの若作りしたおっさんに見えてしまう。
自己愛性人格障害の人間は自分が認められることを第一とする。だから表面的な擬態が上手いんだろう。
「しかし君は神の遣いを見たことはないかな? ほら、異様な行動をとる烏とか」
烏といえば宮崎のことを思い出す。器用に目印の紐を木の幹から外して祠まで持ち去ったやつだ。そしてそこには俺の白骨死体があった。
「心当たりはあるようだ。他にその場に誰かはいたかい?」
そこにいたのはルビーちゃんとあかねだ。どちらも星の目を宿す、神木の言葉を借りるなら本物の芸能の人だ。俺たちは導かれた? いや、いつも東京にいるときにそんな妙な経験はしない。あそこが烏の多い土地だったという可能性もある。
「考え事をしているということはイエスということだ。あの少女こそが神の遣いさ。言われてみれば納得するだろう?」
「は?」
極力視界にはステージだけを入れるようにしていたのが、とっさに神木に向いてしまう。その神木もまた何かに驚いているようで、普段は薄目なのがはっきりと目を見開いている。
「あれ、もしかして君は出会っていないのか? ふぅん。ますます興味深いな」
何がどういうことか分からないが、いらんフラグがまた立ってしまった気がする。
「まぁいいさ。そろそろライブも終わる。続きはまた今度としよう。今日の疑問を噛み砕いたらまた連絡してくるといい」
神木はひらひらと手を振りながら群衆をかき分けて去っていく。
っていうか暑い。あいつもこんなときまでスーツを着て暑くなかったのか? 夏だぞ。あいつの人格障害のことを考えれば注目を集めるための衣装ということなのだろうか。いや、馬鹿すぎるだろう。
収穫はそれなりにあった。あいつの人間性。そして他に殺人を犯している可能性だ。帰ったらあいつに関わりのある芸能人で行方不明者を探さなきゃいけないな。だが簡単に足取りを掴ませてくれるかどうか。事故死や自殺者をあたったほうが早いかもしれない。
それにしても次回があるのか……。あぁ、憂鬱だ。
神木とヒスイの問答はこれでいったん終わりです。
どうも話のライブ感がなくなっている、いわゆる中だるみ状態になってしまいました。
神木とのやりとりは重要ではあるものの動きがないので一気に投稿してもよかったかもしれない。
ぐわー。ストックが1話なくなったー。