ヒスイくんがルビーちゃんの個人情報を無許可で喋ってしまったことはいけないことだけれど、彼は1年の間秘密を守ってきた。私に正体を暴かれてからは半年。事態が大きく動いたから教えてくれたというけど……これは私が軽率に神木へ直接手を下そうと考えたのがそもそもの原因だ。深く反省しよう。
ヒスイくんもきっと自責の念でしばらく苛まされるだろう。二人そろってなんて馬鹿なんだろう。
こういうときは発想を逆転させるんだ。
「雨宮さんとさりなちゃんは同じ病院にいて、ほぼ同じ場所で死亡した。そして2人は関東という近い場所に生まれ変わりをしている。これは偶然だと思う?」
「さて……。『偶然だと分かるまでそれには注目をするべきだ』と考えるべきなのかな」
「ミス・マープル! 読んだんだ?」
「お前に探偵のセリフをどや顔で引用されるのは面白くないからな」
えー、私どや顔なんてしてないと思うんだけどなぁ。
それはともかく、私もヒスイくんと同じく二人の生まれ変わりというオカルトを軽率に偶然で片づけるのは軽挙だと思う。
「もしかして他にも近くに生まれ変わりがいたりして?」
「ないとは言い切れないが……いたとしたらそいつはかなり目立つ行動を取っているだろうな。俺たちもそうだが、やっぱり先天的な知識や経験の差は大きい。それに前世での未練は大きなモチベーションになるから行動力もある」
たしかに。ルビーちゃんはアイに憧れていたけど若くして亡くなった。その未練が彼女を大きく突き動かしていて、今もかなり無茶な突っ走り方をしている。もっとも、この焦りはアイドルというタイムリミットがある職業だからということも影響しているだろう。
ヒスイくんの場合はアクアくんからの伝聞になるけど、祖母の期待によって将来を諦めたという経験がある。ヒスイくん自身も生まれ変わってから同じようなことを経験したけど今度は反発して好きな人生を歩んでいる。
「未練かぁ。もし私が今死んで生まれ変わったら、愛のモンスターになっちゃうかも」
「ははは。笑えん」
「あ、ごめんなさい」
そういえばヒスイくんは私にもしものことがあったらと後をついてきていたんだった。軽率な発言だ。
「二人の共通点って他に何かあるかな?」
「うーん。アイのファンだった。親に愛されていなかった。親と一緒に暮らしていなかった。ああ、現在親元を離れて暮らしているってのも一応共通してるか」
「親に愛されていなかった?」
それは初耳だ。たしか雨宮さんは母親を出産時に亡くした。父親も不明で、祖父との折り合いが悪かったとは聞いている。
「さりなちゃんの病気は退形成性星細胞腫といってな。脳腫瘍だ。悪性度は4段階あるうちの3。上から2番目に悪い。5年生存率は約4割だ。最初は母親も面会に来ていたが、きっと耐えられなくなったんだろう。次第に頻度は落ちていき、さりなちゃんの最期にも立ち会わなかった」
「そんな……」
「次第に歩くことも困難になって、彼女と親しいのは担当医と看護師、そして頻繁に彼女の部屋に出入りしていた俺くらいになった。思えば自分自身を重ねてみていたのかもしれない。最初に彼女がアイに興味を持って、それでロビーまで行くのが難しい彼女の部屋にブラウン管を置いてあげたんだったかな」
ブラウン管。このシリアスな展開で急に昭和ワードを持ち出すのはズルい。あ、ダメだ。
思わず顔を逸らして……さっきヒスイくんに投げ返されたクッションを手元に戻す。よし、これで顔を隠せば問題ない。いや、ジト目で見られてる。
「あ、あはは。ブラウン管ってどんな感じなのかなぁ、って」
「あかねは本物を見たことないのか。家には昔爺ちゃんのがあったからなぁ。当然のことだけど今より解像度は低くて粗い。カラーではあったが彩度も低ければ色数も少ない。ちょうど俺の記憶がそんな感じなんだよな。昔の映像作品に近い感じだ。録画機器だって相応に古いんだから当たり前なのかもしれないが」
「そうなの?」
「ああ。色情報はかなり少ない。完全に記憶が移動できたわけじゃないんだろうな。ノイズもあれば欠落もある。死んだとき以外の記憶でも結構曖昧な部分はある。学生時代のこととか、実のところ祖父母のこともあまり覚えてない」
あれ。ということはアクアくんが知っていた雨宮さんの話は裏付けが取れないな。ヒスイくんによれば前世でアクアくんに直接会ったことはないらしいけど、その記憶そのものが欠落しているのだろうか。あるいは、誰かからの伝聞?
「病院で雨宮さんと親しかった人っている?」
「さりなちゃん以外で? そうだな……ああ、彼女のことを話すくらいには親しかった人が一人。看護師だ」
ヒスイくんが覚えていないだけで、その人が実は雨宮さんとかなり親しい間柄になっていたのだとすれば、身の上話をしていた可能性はある。その人が後にアクアくんに伝えていたら――って伝える理由が見当たらないなぁ。
「あの人ほんと口が悪くてな。俺がアイの布教という名のサボり行為をしていたときも……」
☆★☆★☆★
ざ、ざざ――。
記憶にノイズが走る。ひどい頭痛に床に手をついた。
彼女の顔が思い出せない。俺を笑う口元だけが真っ黒な顔に浮かんでいる。
『先生、またサボりですか?』
『うちの公式見解にしないでくださいね』
会話は浮かんでくる。しかし顔が浮かばない。
気づけば俺は病院にいた。まるで夢の中にいるようだった。彼女の顔は分からない。サボっていた部屋の患者の顔も分からない。
彼女が新しい
廊下に出る。診察室やロビーへの通路は存在するのに、途中の分かれ道の先は闇に覆われていた。
そういえば、高千穂で病院に行ったときに俺はどこを確認しただろう。エントランス。過去のそこには天井近くにテレビがある。カウンターにはカレンダー。あとは何もない。がらんどうの受付だけがそこにはあった。
さりなちゃんのいた病室の前を通った。そこには彼女のネームプレートがある。部屋番号が消えていた。さらに上へ。屋上への扉を開く。いつもタバコを吸っていた柵がある。その向こうには真っ黒な山がある。
あれ、アイがやってきたのはいつだったか。たしか紅葉の後? 前? しかし目の前の木々は黒一色で何も分からない。何もだ。
「はっ、はっ、はっ……!」
「ヒスイくん!?」
「大丈夫だ。水をくれ。それで……今日は悪いがお開きにしよう。また今度話しをしよう」
これが生まれ変わるということなのか? 以前からこうだったかはもう覚えていない。
ああ、とにかくさりなちゃんに会わなければ。彼女ならこの穴を埋めてくれる。そうすれば連鎖的に記憶が復帰する可能性もある。
☆★☆★☆★
「え? 病院のこと?」
「ああ、辛かったら構わないんだけど、ちょっと思い出したいことがあるんだ」
彼女にとって病院は監獄のようなものだ。家族と引き離され、ただ死を待つだけの場所。やがて病状が進行すると居場所は病室だけとなる。
外界との唯一のつながりがアイであり、そのパイプ役が俺だった。
その傷口を切開することには当然罪悪感はある。しかしそれでも形振り構っていられない焦燥感が俺を突き動かす。
「なんでもいいんだ。窓からの景色とか、院内のこととか」
「えー? そうだなぁ……」
腕を組んで考え込むルビーちゃん。そんなに真剣に考えこむこともないんだが、彼女は何度も首をひねって記憶をたどっている。そして、いいアイデアを思い付いたと言わんばかりに明るい笑みを浮かべて人差し指を立てた。
「じゃあじゃあ、せんせが私に結婚してくれるって言った日のことはどう?」
は?
「あの日はねー。私アイのライブを観てたんだよね。サボりにやってきたせんせに、私はB小町のことを説明してあげたの」
「ああ、そういえば……。アイ推しだけど他のメンバーのこともちゃんと褒めてたな」
「そうなんだよ! めいめいもありぴゃんも皆よかった! 私たちと同じだね。歌の先輩とインフルエンサーのMEMちょ。そして今年の顔こと私!」
最終的にはアイのためのユニットになってしまったB小町だったが、最初はそうでもなかったのだ。ただ、アイの才能がそれを許さなかった。さりなちゃんも俺もそんなアイに惹かれてしまったうちの一人なのだが。
「あのとき生まれ変わりの話をしたんだよね。なんか不思議だよね」
「そうだな」
「そういえば、あの日は雪が降ってたなぁ。クリスマスだったらホワイトクリスマスにプロポーズしてたことになったのに」
「雪?」
そうか。あれは冬のことだったのか。俺の記憶では窓の外の景色は真っ暗だから分からなかった。俺は白衣だったし。彼女はいつも帽子を被っていたから気が付かなかった。
「せんせはよく屋上に行ってたよね。私も最初の頃に行ったよ。すっごくいい眺め。天香具山に焼山寺山でしょ。烏岳も見えたよね」
「……よく、覚えてるな」
「まぁ、あそこ長かったし。今思えば空気が澄んでて空がきれいだったよね。いい場所だったよ。この前行ったときも思ったもん」
「たしかに綺麗だった」
しかしその星空の記憶は森本薫翡翠のもので、雨宮吾郎のものではない。前世の記憶で見上げた夜空は、油絵のようだった。アイと二人で話した夜のことは覚えている。あの日見上げた空は、彼女にはどう映っていたのだろう。
おや、ヒスイの様子が……?