場違いな笑い声に音源である背後を振り返る。多くの参加者がざわめきの声とともに周囲を窺っている。
まもなくエンディングへ入ろうという映画にはもはや誰も注目していなかった。
その男はすぐに見つかった。声の大きさもさることながら、隣にいる男が必死にそいつを制止しているからだ。その男、森本ヒスイの存在を認識して大笑いを続ける人物の正体がつかめた。
かっと頭に血が上る。勢いよく席を立って通路を足早に進む。途中から駆け足になっていたかもしれない。
偽装された黒髪に色付きの眼鏡があったとしても、その輪郭までは隠せない。俺が何度その顔を見たと思っている。幼心にいかに苦しめるかを考えた空想の顔に、ある日明確な実像が収まった。以降、その顔が苦悶の表情を浮かべる様を何度思い浮かべたことだろう。
「貴様、カミキ……!!」
未だ座席に座って笑い続けるカミキの胸倉をつかんで立ち上がらせる。その拍子に眼鏡が落ちた。その目は視点が合っておらず、スクリーンもヒスイも俺も見てはいない。
俺が発したカミキの名前に反応して、参加者のどよめきが大きくなる。今まで見てきた映画の犯人がこの場にいるのだ。当然だろう。
カミキの肩を押して通路に押し出そうとしているヒスイの姿を認めて、なぜこいつらが並んで座っていたのかに理解が及ぶ。カミキを連れてきたのはヒスイだ。脅されていたのかもしれない。しかしどんな理由があろうともこの映画の完成を邪魔することは許されない。
「ヒスイ。お前、分かってるんだろうな?」
「ああ。どんな誹りも受け入れる。だからアクア、まずはこいつを外に……!」
森本ヒスイがカミキヒカルと繋がっている? あのEDは急遽差し込まれたらしいがカミキの息がかかっているのか? いえいえ、我々は純粋に相応しいと考えただけですから無関係ですよ。だったら森本の独断か?
参加者の中でヒスイへの想像が膨らんでいく。ほとんどが批難の声だ。
「待て待て! 憶測で物を言うな。まずはこちらで聞き取りをするから、皆さんはいったんここで待機していてください。別室にはアクア、ヒスイ、姫川。俺と一緒に来い。そいつに妙な行動を取らせるなよ」
最前列にいた監督が立ち上がり、スクリーンの前で声を張る。すでに映像は停止されていた。
「だがこの映画にどれだけの予算と時間を使ったと思っているんだ」
「こんなセンシティブな映画に投資したのよ? 諸悪の原因によってポシャッったらどうするつもりなの?」
一度火がついた流れを制止するのは難しい。あかねの時と同じだ。
これを鎮静化する術は俺にはない。なぜなら俺も当事者だからだ。カミキの息子がこいつを庇ってもなんの説得力もない。ましてや明確に復讐をテーマにしていることを理解している人たちには俺の言動に筋が通っていないことが見破られる。
万事休すか。
そんな諦めが脳裏を過ったとき、座席の中央で一人が立ち上がった。
誰もが振り返る絶世の美女。今最も勢いのあるミステリアスなタレント。雨宮吾郎が勤めていた病院で看護師を演じていた女優。彼女の名は不知火フリル。
「嘆かわしい。カミキヒカルの本性は今明らかになった。だったら森本ヒスイはなぜ彼を助けるような真似をしたのかなんて自明のことでしょう? 『罪なき者、石を投げよ』だね。圧力に屈したことのない者がこの中にどれほどいるの? もしそんな聖人がいるのなら、どうぞ存分に批難したら?」
カリスマの鋭い一閃で参加者の声がぴたりと止む。
「さ、さっさとそいつを連れて行って。目に入れると腐りそう」
「恩に着る」
「ダメ。貸しだから。ヒスイもね」
男四人の力でカミキはなんとか上映室を後にした。その間、カミキはなおも笑い続けていた。
☆★☆★☆★
「凶器はない。ひとまずは安心していいだろ」
私が無理やり付いてきたことについて、アクアは特に反応を示さなかった。
姫川さんとヒスイにがっちりと身体を抑えられているカミキはくつくつと笑いながら肩を震わせている。何がおかしいのか、見当がつかない。やっぱり不気味だ。こんな狂った男がママを殺したんだと思うと吐き気がする。
「おい、カミキ。お前はどの面下げてここに来た」
「ママが死ぬところを見たかったの? あのときはストーカーに任せて何も見られなかったもんね」
「答えろよ、カミキィ!!」
沈黙を続けるカミキにアクアがキレて掴みかかる。呼吸が辛くなったのか、カミキは笑うのを止めてまっすぐにアクアを見た。その光を宿していない目を見てアクアが思わず手を放す。
カミキは首を軽く振ると、ふうと息をついた。
「いや、僕の子たちがついに演技の世界で共演するんだ。気になるのも仕方がないだろう? 仮にも僕は演技畑出身だからね。いてもたってもいられなくなったんだ」
「補足すると、こいつは未公開のアイの映像をいち早く観たかったらしい」
いったいこいつはどの口で物を言っているんだろう。今更父親面? 子供が邪魔でせんせを殺して、殺したアイの映像を観たかった? ふざけている。
「アクアは素晴らしい演技をしたね。狂気の感情が僕をとてもよく表わしている。さすが僕たちの子だ」
「黙れ」
「脚本もよかった。あなたの作品がノミネート止まりだったのはスポンサーの問題だね。あなたの個性を全て活かせればこんなにも感情に訴えかけるシナリオを描ける。アクアはいい出会いをした」
二人を絶賛するカミキの顔は満面の笑みだった。心底二人を評価している。
「でもさぁ。ルビー。君はなんなんだ? 途中まではまだいいよ。でもアイの最期のシーン。あれは最低だ。あそこだけアイじゃない」
図星だった。あの少女に真実を告げられた時、私はママのことが分からなくなった。そのまま演じたカットは監督も疑問に思ったのか何度か撮り直した。その中で一番のカットが採用されたのだが、私も納得はいっていない。
それをこの男に気がづかれた。それが何よりも屈辱だ。
「二人には期待していたんだ。アイのような太陽になれるかもしれないって。アクアはよくやっている。でもルビー、君には失望した」
闇よりも深い漆黒の瞳が私を捉える。凄まじい恐怖が襲いかかって思わず一歩後ずさる。
「ルビーちゃん、今すぐこの部屋から出ろ! 上映室に逃げるんだ!」
突然、先輩が大声をあげた。必死の形相で、今までよりもずっと強い力を込めてカミキを抑えようとしている。そのただならぬ様子にアクアや監督が息を呑むのが伝わった。
「だって……。だって仕方ないじゃん。私はアイのことを全然知らない。それに気づいたんだから」
先輩には申し訳ないけど私は逃げない。だって今しかないから。このメンバーが揃っている今しかこの疑問を解決するヒントは得られないと直感が告げている。
「アイは私たちが本当の子供じゃないことを知ってた。本当の私たちが誰なのかまで知っていたかは分からないけど、そんな私たちをあんなふうに心から愛してるなんて……私には言えない! だって私が奪ったんだもん。本当の子供だった先輩とアイの幸せを奪ったのは私なんだよ!?」
言ってしまった。
あまりにも衝撃的な告白に、先輩も姫川さんも、カミキでさえ驚いて固まった。ただ二人、アクアと五反田監督だけは息を呑んだだけで冷静だった。
なんだ。二人とも知ってたんだ。私だけが除け者だったんだ。いつもそうだね。
「ぐっ……!」
それは一瞬の出来事だった。私の意識がアクアたちに逸れて、驚きで力が弱まった先輩たちの隙をついてカミキが拘束から抜け出した。そしてカミキは私に向かうわけでもなく、先輩を押し倒してその首を両手で絞めつけた。
「そうか。君がアイを穢したんだね。まさかあのアイからこんなに才能に恵まれていない子が生まれる予定だったなんて……悍ましい。君さえいなければアイは死なずに済んだんだ。それなのにどうして君は存在しているんだ? ああ、気持ちが悪い。君はアイの何も受け継いでいない。アクアには感謝するよ。彼は存分にアイを継いでいる。ルビーはそうだね、情緒酌量の余地ありとして僕が面倒をみようか」
先輩の手足がばたばたと大きく揺れる。大慌てでアクアたちがカミキを引き剥がそうとするけど、カミキのどこにそんな力があるのかびくともしない。監督が思いっきりカミキの頭を殴りつける。血を流しながらもカミキは先輩の首を絞め続け、先輩の動きは次第に緩慢になっていく。
「やだ。やだ……!」
先輩に駆け寄って、顔を覗き込む。口からは涎が零れ落ち、虚ろな目が私の顔を捉える。
ダメだ。先輩が死んじゃう。せんせが死んじゃう。お願い、神様。お願い、ママ。先輩を助けて……!
無駄な祈りだ。だって神様は残酷で、私たち異物を子供に入れてママを殺し、先輩を死に追いやっていく。
私はいつだって無力だ。
涙があふれる。諦めちゃだめたって分かっているのに、もう私の心は折れかけている。さりなの心が死を受け容れろと囁く。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
「ルビー。大丈夫だよ」
首を絞められているとは思えないはっきりとした声が先輩から発せられた。
カミキの額から零れ落ちた鮮血の雫がその顔を汚していく。
「大丈夫。私がいるから。私は欲張りだから、皆を助けるよ」
その声は紛れもなくママの声だった。
ヒスイの瞳が強くバイオレットに輝く。
暴かれる真実の数々。
そして最後にヒスイの真実が萌芽する。
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最終話まで書き終えました。残り2話となります。
拙い書き物ですがどうか最後までお付き合いください。