魂の子   作:aly

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アイ

 誰もが。そう、カミキでさえも息を呑んだ。

 死を前にして仄暗く光が失われていくヒスイの瞳がその色調に達したとき、瞳孔の奥からあふれんばかりの虹が湧き上がった。同時に瞳に光が蘇る。

 苦悶に固く結ばれていた口は緩やかに弧を描く。そして何よりも優しい微笑みを浮かべた彼は、そのかんばせを覗き込んでいたルビーを見つけて笑ったのだ。

 カミキの背中ごしにその顔を見て、俺は、俺たちはただ一人を連想した。

 

「ママ……?」

「そうだよ。やっぱりとっても綺麗になったね。ルビー」

 

 どういう仕組みなのか。ヒスイの声帯を通して発せられる声は紛れもなく彼女の声だ。俺やルビーを虜にした甘くとろけるような美しいもの。

 

「アクア? うーん、見えないなぁ」

 

 名前を呼ばれてはっとする。俺はカミキから急いで離れてヒスイのそばに顔を寄せた。

 

「ここだよ」

「あははっ。二人揃った。あ、三人か。それとも四人?」

 

 カミキの手に食い込んでいた爪から血をにじませて、ヒスイは指おり数え始める。アクア、ルビー、わたし。そして……ヒスイ。

 最後の人名を耳にした瞬間、それまで脱力していたカミキに再び力が戻った。

 

「ふざけるな、ふざけるな! どうしてそこにこの出来損ないが入るんだ! そこは僕だろう? こんなに君を愛しているんだ。君を穢してしまった贖いだってずっと続けているんだ。なのにどうして……!」

 

 子供や女性の首ならとうに折れていてもおかしくはない。それほどの力を受けてなお、ヒスイは変わらぬ微笑みを浮かべたままで呟いた。

 

「えーっと……誰? あ、カオルくんだっけ? なんか違うなぁ」

「はっ?」

「ごめんなさい。私人の名前を覚えるのが苦手なの」

 

 それはここにいる誰もが知っていることだった。アイは限られた人間の名前しか覚えられない。自分が興味を持てる人間。たとえば自分にはない才能や特技を持った人は観察するために名前を覚えられる。

 かつてヒカルくんと呼ばれた男は、今その舞台から転げ落ちた。

 

「嘘だ……」

 

 その瞬間、カミキの力が急激に弱まった。監督や姫川さんもそれを感じ取ったらしい。二人は勢いよくカミキをヒスイから引き剥がしてカミキを床に押し倒し、その上に圧し掛かった。

 ヒスイの首には青黒い痣が蝶のように浮かんでいた。

 俺の目線に気が付いたのか、そこを撫でてヒスイは困ったように眉をゆがめた。

 

「ヒスイはミュージシャンなのに……。喉が傷ついてないかな? アクア、どう? 大丈夫そう?」

「いや、俺に言われても」

「えー? だってお医者さんだったんでしょう? わからないの?」

 

 驚愕して見上げたところでその瞳とかち合う。深い紫に虹が躍る瞳。とびっきりの嘘つきの目が俺の深くを抉る。

 カミキの行動で忘れていた。ルビーが言っていたじゃないか。アイは全てを知っていたと。どうしてそう思ったのかはすぐに検討がついた。あの撮影の日からルビーの演技が変わったのならば、あの日に知ったに違いない。そしてこんな厄介なことを無遠慮に伝える奴は一人しか知らない。やっぱりあいつは疫病神だ。

 

「僕は産科医だからな。咽喉医じゃないと詳しいことは分からない。でも、少なくとも今の発声を聞いた限りでは問題があるようには見えない。あとで専門の医者に診せよう」

「そっかー。じゃあ安心だね。神様ぱわーってやつかな?」

「いや、僕には分からないけど……神様ぱわー?」

 

 あまりにバカな単語に唖然とする。だがこれこそアイだ。何かおかしなことを言ったかしらとばかりに堂々としているところは記憶のままで、懐かしささえ覚える。外見はヒスイだけど。

 

「っていうか何を自然にこの状況を受け容れてるんだよお前らは!」

「うわ、監督だー!」

 

 きゃいきゃいと監督に駆け寄るヒスイ。絵面が地獄だ。だが俺は心眼をもってあれをアイを見ることにする。じゃなきゃいろいろ台無しだ。

 ルビーは大丈夫だろうかと隣を見ると、呆けた顔で目線はヒスイを追っている。ただ、その眦からは涙がつうとこぼれていた。

 

「やめろ。今俺にかまうな。っていうか双子が本当の子供じゃないとかその顔でアイの声を出しているところとか意味不明なんだよ。俺はもう限界なの!」

「ちぇっ。まぁたしかにそうだよね。私も正直よく分かってないし」

 

 えぇ……。

 

「私が死んだときね、ふわーって身体が軽くなったの。不思議なんだ。右目と左目で全然違う景色が見えるの」

 

 アイが語るのは死者の物語だ。

 一度死んだはずの俺にはない記憶だが、それは生まれ変わるというイレギュラーな現象に遭ったからだろうか。とにかくそれは不思議な話だった。

 

 

☆★☆★☆★

 

 

「私の右目には魚が見えるの。大きな魚も小さな魚もいた。すっごく不細工なのもいたなー。だんだん世界が沈んで行って、何もいない場所に辿り着く。私の左目には鳥が見えるの。最初は私の家も見えたよ。気球に乗ってるみたいにだんだん地面から離れて行って、雲の上に行っちゃうんだ。宇宙飛行士になったみたいだったよ」

 

 とても懐かしい気持ちだ。まだ私が赤ん坊だったころ、ママが絵本を読んでくれたときのことを思い出す。身体をゆらゆらと揺らしながら、アイはのんびりとした口調で思い出しながらそれを語る。

 

「どっちも真っ暗になったと思ったら両目にばっと星が広がるんだ。すっごく綺麗なところ。で、びっくりしたの。なんと脚があったのです。死んでるのにね? だから歩いてみたらそこが洞窟みたいなところだって分かった。でも出口がどこにもなくて、これがあの世なのかなーって思った」

 

 私が死んだときのことはよく覚えていない。せんせや看護師さんたちの顔を見ながら眠りについたのは覚えている。身体がふわりと軽くなったところまでは同じだけど、私はそのまま気が付いたらルビーとして生まれていた。

 

「最初はうろうろしてたんだけど、だんだんつまらなくなって座ってた。そしたらね、アクアの声が聞こえたの。よーく聞いてみると他にもいくつかの声が聞こえて、私は急いでそこに向かうんだけど、いつも途中で聴こえなくなっちゃう」

 

 アクアはどうだったんだろう。先輩は? 二人とも気が付いたら今の身体になっていたのだろうか。いや、先輩は少し違うんだった。元々はお腹の中にいて、生まれ変わった。ある日せんせの記憶を思い出したと言っていた。

 

「ルビーの声もヒスイの声も聞こえた。あ、アクアと一緒に映画に出てた女の子の声も聞こえたよ。何度も繰り返した。何度も何度も繰り返して、そしたらすっごく大きな声が聞こえたんだよ! みんなの声が聞こえたから私はすごく頑張って走った。そしたら扉があったんだ。ちょっとだけ隙間が開いてて、そーっと覗いたらルビーの顔が見えた。だから思いっきり扉を開いたら……なんかこうなってたってわけ」

 

 アイは先輩の顔で舌を出してえへっと笑った。

 最後に私の顔が見えたということは、アイの目線は先輩にあったということだ。アイはずっと先輩の中にいたのだろうか。それともどこか遠くにいて、先輩を通してやってきたのだろうか。たしかあの不気味な少女が言っていた言葉がある。巫だ。

 あの時はなんのことか分からなかったから後で調べた。巫とは神を降ろす存在。あの子はほかにも巫がいると言っていた。アイは芸能の神に愛された存在だっていうのは私が言ったことだ。もしかして、アイは神様になってしまったのでは?

 アイの話が終わると、アクアが疑問を一つ口にした。

 

「俺たちが普通の子供じゃないってこと、どうして知ってたんだ?」

 

 そうだ。まだ誰もその理由を知らない。

 

「えーっと。病院にいたときに女の子が教えてくれたの。あの看護師さんに似てたから妹さんかな?」

「は? あの人の?」

「うん。あなたのお腹の中の赤ちゃんはもう死んじゃってるけど、代わりにとっても素敵な命が神様に祝福されて生まれてくるよって。あ、ヒスイは他の死んじゃいそうなお腹の子と一つになって生まれるから安心しなさいって。生まれる前から人助けとかヤバくない?」

 

 ヤバいのはアイだと思うのは私だけだろうか。周囲を見れば全員ぽかんとしている。監督なんてもう話を聞くのをやめてカミキを押さえることに集中してる気がする。

 アクアは……なんとかついてきてるのかな。無表情で分かりづらいけど、動揺してるっぽい?

 

「それで……よかったのか? 俺みたいな大人の記憶を持った子供なんて気持ち悪くなかったのか?」

 

 それは私にとっても最大の疑問だった。カミキを激昂させた要因でもある演技の元。本当に心から愛しているとママはどうして言えたのか。今思うと私たち兄妹は小さな頃からおかしなことばかりしていた。勝手にテレビを見たり、ライブでバズったり、アクアなんて幼稚園で分厚い本を読んでいた。

 

「なんで? 秘密を守って面倒をみてくれた先生とその先生を導いてくれたファンの子なんだからサイコーじゃん! しかも私が死ぬまでの時間は限られてるんだから、小さなときから思い出を作れるなんてこれ以上ないって思うな」

「は? 死ぬときが分かってた?」

「うん。だいたい二十歳くらいに死ぬよって聞いてたから、だから頑張ってドームを目指したんだけど、ちょっとだけ遅かったね。社長には二人から謝ってね。お願い!」

 

 すごく大事な話を朝食の献立を伝えるかのように話す。元々考えなしなところはあったけど、どうも死んでいるせいなのか死生観がとんでもないことになっている気がする。

 でもアイはこんなに大きな秘密を誰にも明かさないまま四年を過ごしたのだ。死に怯える姿も見せず、社長たちとの夢を目指して、私たちとの思い出まで作っていた。そりゃ私なんかが演じられるわけないじゃん。

 

「あ、そろそろヒスイが起きそう」

 

 ラインの通知を伝えるくらいの気軽さだった。

 

「そろそろ私行かなくちゃ。なんとなくこれで私としての人生は終わりって気がする。お別れだね」

「え?」

 

 アクアと声が揃う。いきなりやってきて唐突に去るなんて……こんな奇跡はどんなに時間があったって足りない。ママと過ごせる時間がこれで終わりだなんて考えられない。

 もう死んでしまった人だというのに、お別れをすませたはずなのに我儘な気持ちがあふれ出す。

 

「もっと他に何かないのか? また会えないのか?」

 

 アクアが私の気持ちを代弁してくれる。

 

「えー? じゃあ……私ルビーの子供になって生まれるね! 早く会いたいから、ぱぱっとヒスイをゲットするんだぞ♡」

「え゛っ」

「では私はもう逝きまーす。アクア、ルビー、ヒスイ。愛してる!!」

 

 

☆★☆★☆★

 

 

 身体が痛い。背中や脚、特に首が痛い。

 遠くから声が聞こえる。アクアとルビーちゃんの声だ。

 

「先輩! 先輩!」

「落ち着け、ルビー」

「ねえお兄ちゃん、先輩死んでないよね? 早く確認して! お医者さんでしょ!」

 

 首筋に指が当てられる。それからアクアが俺の顔をいくつか触る。

 あー。起きたくない。何が起こったのかは完全には理解できていないけど、だんだん意識がはっきりしてきて俺の口がとんでもないことを喋っていたのだ。

 だからこのまま俺を置いて去ってくれ。時間をください。

 

「うん。狸寝入りだな。早く起きろバカヤロー」

 

 すぱん! と容赦のない平手打ちが俺の後頭部を襲う。首の痛みもあって思わずぐえっと蛙のような声を出して目を開いてしまった。目の前にはアクアとルビーちゃん。遠目に監督と姫川さんが神木を組み敷いている。

 

「寝たふりをするとは何かやましいことがあるみたいだな?」

「なにそれなにそれ。これ以上秘密はなしだよ?」

 

 前門の虎後門の狼。俺はわずかにあった記憶を伝え、ルビーちゃんは名前もかくやと真っ赤になった。




次回最終話です。短いので併せて投稿します。
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