ふたりの同時の居合斬りはお互いの切っ先が激突し、そのまま動きが止まっていた。黒いジャケットの現代の剣士と、白いロングコートの辻斬りの亡霊の決闘はここに始まったのだ。
メイは最初の一撃で辻斬りが握る真剣を吹き飛ばすつもりだった。だが都合よくいかない。修練をおさめていた頃からスイは凄腕だとメイは認めている。
そんな彼女が辻斬りの宿る真剣――妖刀を握っているのだ。どれだけ能力が向上しているのかわからないが、容易に思い通りにさせてくれるわけがなかった。
「前よりも鋭く、重い一撃だな」
「どうも。これで終わらないけど」
素早く木刀を叩き込んでいくメイ。それらを捌いていく辻斬り。どれだけ切り結んでも辻斬りの姿勢は崩れない。
「ぜっ!!」
一瞬の隙をついてメイが力強く踏み込んで切り上げる。木刀は真剣で受け止められ、激突したと同時に辻斬りが鋭い蹴りを放つ。
その動きをメイは読んでいた。ショッピングモールで対峙した時も辻斬りは蹴りを繰り出していたのをしっかり覚えている。姿勢を崩して確実に一撃を与える動きだ。
辻斬りの後ろに回り込むように体を動かして蹴りをよけ、メイは後ろから渾身の一撃を叩き込む。片腕で防がれたが衝撃は走り、辻斬りはよろめいている。相手がスイの、実の姉の体をのっとっていたとして、容赦する理由にはならない。メイは連続で攻撃を叩き込んだ。相手を弱らせれば妖刀を手放させられるかもしれない。
「ふん! はあッ!!」
「ぐぬぬっ、甘いッ!!」
木刀の連撃を受けていた辻斬りは居合回転斬りを繰り出していた。すんでのところでメイは飛び下がり、しかし見えない攻撃を感じて防御態勢をとる。
辻斬りが「飛ぶ居合」を繰り出すことはショッピングモールで知っていた。だがこれはもっと違う攻撃だ。居合が飛ぶのではない。奴は場所を斬っている。
空間を裂く居合斬り――辻斬りが憑いたスイならやってもおかしくなかったかもしれない。直感でどうにか防御しつつ素早く移動し続けるメイは、自分も居合抜刀の姿勢をとりつつあった。
「喰らえ辻斬り!!」
「っ!?」
彼我の距離は6メートル。この距離ならメイの「伸びる居合」が届く。狙うのは辻斬りの右手。そこを叩けば妖刀を取り落とすかもしれない。
瞬く間にメイの手には木刀が振りぬかれていて、辻斬りの体は宙を舞った。駆け出して跳びあがり追撃をいれようとしたメイは、しかし辻斬りの蹴りを喰らって墜落する。
「てっ!」
「なかなかやる。楽しいな、この決闘は――これで最後にしたくないくらいにはもっと楽しみたい」
辻斬りは居合斬りの構えをとっていた。空間を裂く攻撃。メイはどこから来るかわからない攻撃に備えて構える。
が、それが間違いだったことに気がついた。辻斬りのいる場所からざくざくざくと空間が避けていくのが広がっていく。跳んで避けることもできないくらい大きな攻撃だ。
「ぐああッ!!」
防御の構えをしていたが、それでも攻撃をすべて防げなかった。ジャケットの内側に噴き出した血がべっとりとついたのを感じながら、メイは貧血を起こしたような感覚を覚えた。
後ろに倒れ込んでいく。ふらっと空を飛ぶような、力の入らない状態で、メイは意識を手放していた。
雨が降っている。全身が痛んで、大声を出して叫び泣いている。覚えのある光景と記憶だった。幼い頃の思い出。毎日殴られ、撃たれ、抵抗もできないメイを奴らはどこまでもあざ笑っていた。
横から怒鳴り声が聞こえて、メイを囲んでいた影が逃げ出していく。うつむいていたメイは顔を上げると、そこには泥まみれで傷だらけのスイがしゃがんで視線をあわせている。
笑顔でハンカチを持ったスイはメイの顔をやさしく拭う。大丈夫だよ。もう怖くないよ。あいつらはもういないから安心して。あたたかに声をかける姉にメイは抱きついていた。
そうだ。いつも姉は私を守ってくれていた。どれだけ傷ついても、倒れそうになったとしても、どうってことないんだからと笑顔を見せて。
銃が撃てなくていじめられていた日々も、斬鉄流に拾われて剣の修練を積んでいた日々も、スイは身を挺して守ってくれていた。
今度は私が守るんだ。いつも守ってくれたスイを、妖刀の影から。私が。こんなところでくたばってられるか!
雄たけびを上げると眼前にはゲーム開発部の部室が広がっていた。彼女たちと友達になって、時々部室に遊びにいって、一緒にゲームを遊んだり雑談を交わしたりした光景が、記憶が流れていく。
友人であることを許してくれた彼女たちと過ごした楽しい日々。それまでメイに優しくしてくれる友人はいなかった。
瞬きすると今度はシャーレのゲームコーナーに立っていた。ゲームコーナーの隅にあるソファーで談笑していて、アリスが立ち上がってメイに向き直る。
「メイが無事に帰ってきたら、エリドゥの続きの話を語ってあげます!」
「続きの話?」
「空が赤く染まった頃の話です。あの時に初めてゲヘナの風紀委員長と共闘したし、ユズは変なロボットを操縦していました! 他にももっと話したいことがたくさんあります!」
「そんなすごいことがあったんだね。わかった。辻斬りに勝って無事に帰るから、みんなの話を聞かせてね。約束だよ」
そうだ。アリスたちとも約束をしたのだ。
決闘に勝ってもっとたくさんお話をする。平和な日常を過ごす、そうした約束を。
だから、やはり、倒れるわけにはいかない。成し遂げたいこと、やりたいことのために、くたばっていられない!
「ッッだああああッ!! 効かねえんだそんなの!!」
後ろ向きに倒れそうになった体でダンと右足を踏んでこらえる。同時にメイは上体を起こして居合を構え、6メートルよりも離れた辻斬りに向けて居合斬りを放った。
「ぐっ! これを受けてまだ立てるとは」
「ここでくたばっていられないんだ! 姉さんも救うし、大切な友達が待ってる!」
そうか。小さくスイの声で辻斬りが言って、距離を詰めて迫るメイの攻撃に真剣をあわせる。一度、二度、三度。切り結んでいくなかで雨脚は強くなっていく。
妖刀の亡霊と現代の剣士の目にも止まらない切り結びは、ふたりの周りにだけ雨が落ちないドームを形作っていた。
凄まじいわね。呟いたのは空崎ヒナだった。シャーレの前でメイと辻斬りの決闘を観察している彼女の両目は次第にきつく細くなっていた。隣には先生や緊張したゲーム開発部、険しい顔で睨むトリニティの剣先ツルギもいる。
いつでも動けるように機関銃を帯びているが、彼女の視線はキヴォトスで目にかかることのない剣の戦いに吸い込まれている。
「ねえ先生」
「うん」
「メイも辻斬りも、ショッピングモールで見た時よりもとても動きがいい。あれなら、近づくことさえできれば誰が相手だって倒してみせるのかも」
「そうかもしれないね。ヒナは、メイのことを警戒しているの?」
「いいえ。彼女は好戦的な人間ではないだろうし、心から争いを望んでいるわけでもなさそうだから。だから彼女が辻斬りを倒してくれるならそれがベストよ。辻斬りに生き残られたら、彼女の姉を傷つけてでも奴を倒さないといけなくなる」
「あの刀さえどうにかできればいいんだ。あの刀さえ、亡霊が宿っている、妖刀さえ手放させるか破壊できれば――」
先生は懐からスマートフォンを取り出す。見ればそれはエンジニア部からの電話の呼び出しだった。電話に出ながら、先生はヒナとツルギと、ゲーム開発部の4人が発した驚いた声に目を丸くした。
メイは正面からぶった斬られていた。ふたりの切り結びのせいで降り注がなかった雨が一斉に落ちていく。
正面からの袈裟斬り。ジャケットに使われている特殊素材がある程度は防御の役目を果たしてはいたが、それでも鋭い一撃をなかったことにはできなかった。
ジャケットから血があふれて噴き出す。鋭く重い一撃を受けてメイはたたらを踏み、しかし自分が斬られたことに納得がいかなかった。この袈裟斬りは木刀で防いでいたはずだった。
「とった――」
「とってねえ!!」
メイは左足を強く踏んで姿勢をたてなおし、居合を構えようとしてできないことに気がついた。
彼女の木刀が短くなっている。きれいな切断面を見せて、半分から先が最初からなかったかのように消え失せている。からん、と雨音のなかに軽くものが落ちて転がる音がした。
「まだ、終わってない!」
肩から噴き出た血を顔に浴びながらメイは腰に差していた鞘を抜く。それを左で逆手に握り、半分になった木刀を右に握る。彼女の眼は血を失って揺れてこそいたが、戦う意思は失っていなかった。
「ならば終わらせるのみ」
「ぜりゃあッ!!」
瞬時に駆け出すメイ。大小いくつもの傷を負いながらもそれを感じさせない動きでメイは疑似2刀の攻撃を繰り出す。まるで嵐のように回転を交えて動き回るメイの激しい攻撃は、しかし辻斬りの防御を崩せないでいた。
「先までの重さがない。やはり鞘ではな」
「これで足りないならもっとだ!!」
交差斬りから小さく跳躍してふたつの武器を叩きつけ。そこでメイは着地できなかった。辻斬りが左手でメイの首根っこを掴んで振り回し、容赦なく地面に叩きつける。
「ぐあっ――」
「終いだ!!」
これまでずっと守ってくれた姉の手でとどめを刺されようとしている。真剣を胴に刺そうとする辻斬りに、メイは怒声を上げつつ抵抗を試みた。左手の鞘はどこかに飛んでいってしまったが、右手にはまだ半分になった木刀がある。
直線で迫る真剣を木刀で防ぐ。ごり、と嫌な音がして、それでも真剣は止まらない。死は止まらず、胸へと迫る。血塗れの体に真剣が迫る。ノックされれば同時に死が訪れる。
ごっ。
真剣が体に刺さった音だと思った。肋骨が邪魔をして死の刃の侵入を阻んだに違いない。そう思ってメイは叫んだ。まだ死んでいない。くたばっていないならまだ分があるはずだ。
だが違った。辻斬りが地面に倒れ、すぐに横転して片膝たちになる。辻斬りがにらんでいるのはメイではなく雨が強い空だった。
そこにはヘリコプターが飛んでいた。見えにくいがミレニアムの校章が描かれている。ドアからはウタハが顔を出して何かを叫んでいた。
「――んだ!」
「ウタハさん?」
「それを使うんだ! スイッチを押して箱を開けるんだ!!」
彼女の言いたいことはすぐにわかった。いつの間にか地面に金属製の直方体が転がっている。メイも横転しつつウタハが落としたのであろう箱を手にして赤いスイッチを押す。
「これは!?」
煙が音をたてて噴き出して直方体がひとりでに展開し、中身をあらわにする。
箱の中に入っていたのは武器だった。エンジニア部が作った武器だ。
どこをどう見ても刀を模した武器だった。まともとは思えない大きさの、黒と紫の鮮やかなグラデーションで彩られた鞘を備える刀。英数字で単語のようなものも彫られている。青の差し色がアリスの持つレールガンを想起させた。
手に取ってみれば、しかし大きな鞘は把持に支障をきたしていない。抜刀も居合斬りも木刀を振っていた時のように行えそうだ。
柄を握って刀身を露出させる。どうしても確認したいことがあった。真剣か否か。メイは安堵した。これは真剣ではない。木刀だ。同時に違和感を覚えていた。柄からわずかに振動が伝わる。かすかに電子音のような高い音も聞こえる。震えて武器なんて見たことも聞いたこともない。
〈それは君だけの
刀がウタハの声で喋りだした。雨音にも負けない声量だった。もっと言えば話しかけているのは鞘で、小さなスピーカーが内蔵されているらしい。
立ち上がった辻斬りが斬りかかってくるのを防御する。それでもスピーカーから聞こえるウタハの声はきちんと聞こえていた。ヘリは遠ざかっているが音質は良好のままだった。
〈その木刀は君が以前使っていた、道場の『大樹』から作ったものだ。使い心地が同じになるように調整している。だがそれだけではない。それは『高周波ブレード』の一種なんだ。
結論から言えば高周波の効果で刀身の強度は高まり、刀身に触れたものは脆くなる。だからより戦いやすくなったはずだ〉
ウタハが語るとおり、確かに辻斬りの攻撃を防御した時の圧は減っていたように思える。いまさら手加減するとも思えない。では、高周波が機能していることの証左であるはずだ。
〈もうひとつの機能がある。大きな鞘は電磁射出機構を備えている。つまり、君の居合抜刀をレールガンの要領で大きくサポートする。言うなれば『電磁抜刀』だね。赤いボタンを押しながら居合斬りをすればオーケーだ。チャージが完了すればこれまでとは比べ物にならない威力の居合斬りを繰り出せるだろう。
まだ完全にチャージは出来ていないが、納刀と居合斬りをすることでチャージ完了を早めることが出来る。いろんな形の武器を考えてみたが、君に最適なのはやはり刀剣の類だと判断した。それと、武器には『
切り結びながらメイは説明を聞いていた。つまり、とんでもなく強い木刀でレールガンのように居合斬りをすることが出来る。僥倖だ。斬られてもすぐには死なない防具に、夢のような性能の木刀まで頂けるとは。
誰も味方をしてくれなかった幼い頃とは違う。銃社会では無意味だと思っていた剣の修練は、こうして実を結んでいた。初めて友人が出来て、頼れる仲間が出来て、両足で立つことが出来ている。これほど幸せなことがあるだろうか。
「武器を変えれば勝てるとでも?」
「かもしれないでしょ。いい加減、そろそろ終わりにしよう」
辻斬りの攻撃を無理やり払いのけてメイは即時に納刀する。
〈チャージ状況:80%〉
「ぜっ!!」
鞘についている赤いボタンは居合斬りの妨げにならない場所に配置されている。機械音声による案内もついているようだ。
だがまだ、まだ電磁抜刀の出番ではない。普通の居合斬りを繰り出して辻斬りの姿勢を崩し、そこに木刀の連撃を叩き込む。辻斬りの反撃とばかりに繰り出した裏拳をしゃがんで避けてタックルをかまし、追撃の回転攻撃も叩き込んだ。
シャーレの玄関前には人が増えていた。エンジニア部のヒビキとコトリだった。ヒビキが状況を説明し、コトリが「電磁抜刀対応高周波木刀『Fre9uency』」についての詳しい解説を披露している。
ウタハの乗っているヘリコプターの操縦席は無人だが、安定した自動飛行のおかげで先生たちのもとへ近づいてきていた。
「先生! それにみんなも。無事に武器を渡すことが出来たよ」
「うん。ウタハも無事でよかった。メイを助けてくれてありがとう」
先生はほっとしたように胸をなでおろし、双眼鏡でメイと辻斬りの戦いを観察する。
バカでかい鞘を備えた木刀でメイは反撃に転じているようだった。あれを作るために、斬鉄流道場の「大樹」が必要だったのだと、横でコトリが語っている。軽量かつ尋常ではない頑丈さを持ち、メイになじみのある素材となれば大樹をおいて他になかったのだと。
「きっとメイは勝つよ。ゲームのシナリオなら勝ち確みたいなものじゃん。私なら絶対にそうやって書くもん!」
「あれはゲームじゃないよお姉ちゃん。でも、メイちゃん、勢いを取り戻しているみたい」
「水を得た魚、刀を得たサムライですね。アリスはメイの勝利を確信しています。きっとお姉さんも救い出せます!」
「そうだね。メイちゃんならうまくやると思う。が、頑張れ! メイちゃん!」
ゲーム開発部の4人が応援の声をあげる。それにつられてツルギも大きなデスボイスをあげた。ヒナも機関銃を振り、エンジニア部の面々も応援団のように体を動かした。
先生は横目にそれを認めて、すうっと深呼吸をする。それから口を大きく開いて腹から声を出した。
「負けるなメイ! お姉さんを取り戻すんだ!!」
「生きて戻って、姉さんは私が守る。だから、負けない!」
メイは辻斬りの本体――スイが握らされている真剣――に渾身の一撃を叩き込んだ。これで破壊できるはずもないが衝撃は伝わった。大きくよろけて辻斬りがたたらを踏み、そして回転しながらもちなおす。
「なるほど。戦いを楽しむだけではないというわけだな」
「ああ。だからこんなになっても立っているんだよ」
鏡を見なくても分かる。雨で濡れていないところはなく、全身泥と血にまみれている。ジャケットで隠れているものの、辻斬りの攻撃で受けた傷が数えるのも嫌になるくらい刻まれているだろう。
普通の心理状態ならあきらめていたかもしれない。それでも。メイは手放したくないもののために食いしばっていた。まださようならを言うには早すぎる。言えば本当のことになってしまう。
だから。もう立っていられない傷を負ったとしても、倒れるわけにはいかなかった。そうしたくないから。立って前に進めば、きっと楽しいことが待ち受けているから。
辻斬りの袈裟斬りを防ぎつつ、メイは怒声と共に前蹴りを繰り出した。同じことを辻斬りも繰り出し、お互いの距離が離れる。
お互いにすぐに斬りかからなかった。辻斬りにも分かっているのだろう。スイの体が限界を迎えつつあることを。人の痛覚を無視して肉体を振り回すことが出来ても、それ自体がダメになれば動かしようがない。
〈チャージ状況:100%
準備は整った。
レールガンの仕組みで繰り出す居合斬り。おそらくスイの体にぶち当たれば深刻な傷を負わせてしまうだろう。だから妖刀だけを狙わなければ。
わずかに目がかすむが、メイは静かに納刀して構えて赤いボタンに指を添える。辻斬りもゆっくりと構えをとっているのを認めて深呼吸。きっと走馬灯を見させるほどの威力を秘めた居合斬りを再び繰り出すのだろう。
だが、6メートルの間合いに辻斬りがいるのであれば。バチ、バチ。いつでも機能を発揮できるように木刀が音を上げている。
風がひときわ強くふいて。メイと辻斬りは同時に刀を振りぬいていた。
すこし間があいてシャーレの広場中に見えない斬撃が広がっていく。見えなくても音を伴い、草が舞っているのは誰もがはっきりと分かった。ヒナとツルギが先生の前に駆けて立って備え、他の面々は不可視の攻撃を受けて倒れてしまう。
「わっ! ありがとうツルギ、ヒナ。大丈夫かいみん――」
先生の言葉は最後まで続かなかった。見えない攻撃の次は台風が突如発生したかのような暴風が巻き起こったからだ。空間を裂いたのも暴風が生まれたのも、メイと辻斬りのいる場所からだ。
どうにかこらえたヒナとツルギは、しかし自分たちが負った傷が思ったよりも浅いことを認めていた。このぶんであれば吹っ飛んでいったゲーム開発部やエンジニア部は深手を負ってはいないはずだ。
「先生、けがは?」
「――していないよ。守ってくれたおかげだね、ふたりともありがとう」
これくらい問題ないわ。ヒナが返しながら視線をメイと辻斬りの方へと向ける。横で挙動不審な声をあげるツルギを半分無視しながら、ふたりのサムライがどうなったかを目を細めて見守っていた。
崩れ落ちたのは辻斬りだった。
辻斬りが支配しているスイの体が膝から崩れ、仰向けの状態でどうと倒れる。
メイは肩で息をして、膝をつきそうになってどうにかこらえる。勝負がついたのだ。多くの血を失ってメイは立つのもやっとだった。
足元に真剣が落ちて刺さっていた。土に深々と刺さったそれは、刀身の半分から先しかない。残りの部分はスイの右手に握られていた。
「負けたのか、私が」
「辻斬り。お前の依り代を破壊した。もう勝負はついた、そうでしょ」
「…悔しいな。けど、心から満足したよ。現代の剣士。山紫メイ。お主には心から礼を述べよう」
スイの体は仰向けになったまま動かない。いや、動かせないのだろう。辻斬りはまだそこに「在る」が、超自然的な力のほとんどは霧散してしまった。メイはそう理解した。
「私はいままで、思考にふたをしていたようだ」
「え?」
「死んでバカになってそのままだったんだ。もっと他にやりようはあったのに、いまじゃ辻斬り呼ばわりだ。君にも、この体にも、迷惑をかけてしまったな」
メイは目を丸くした。まるで人格が変わったかのようにスイの体を借りて辻斬りが喋っている。もしかするとこちらが素の性格に近いのか。メイは静かに納刀して、スイの脇から腕をいれて引きずっていく。
目的地は近くのベンチだった。辻斬りの空間を裂く居合斬りのせいでズタボロだが、まだ使えそうだ。メイは力のはいらないスイの体をそこに座らせて、自分も隣にだらりと座った。
「ありがとう……メイ、昔話をしてもいいか」
「…うん」
「哀れな亡霊の独り言だが。消えてしまう前に、誰かに聞いてほしいんだ」
寂しそうに辻斬りは、もう辻斬りなどではない。過去の亡霊はスイの体で涙を流していた。
「どれだけ昔かは分からないが、私は過去の時代の人間だ。銃や爆弾を扱おうとしても出来ない呪いを受けて生まれ、人々に疎まれ、虐げられて生きていた。だがある道場を営む者に救われ、剣の修練を積むことになった」
無言でメイは頷く。あまりにも境遇が似ている。自分とスイに。
「力がなければ生きていくことは難しい。だから師匠には感謝してもしきれない。救って頂いただけでなく、生き抜くための修練を積ませて頂いた。いつも自死を考えていた暗い日常は、わずかに希望の光が差す、前を向いて歩くに足る価値が見えつつあった。
だが…私は死んでしまった。当時のはやり病のせいで。ああ、そうだ、恩返しが出来ぬまま私は死んでしまった。鍛えた剣の腕を世の中でふるうこともなく、だから未練があったのだろうな。亡霊として師匠の隠していた真剣に宿ってしまった。記憶をたどれば、きっとそうなのだろう」
「でもあなたはこの時代で目覚めた」
「朽ち果てて廃墟となった道場に盗人たちが忍び込んだのだ。奴らは私が宿る刀を手にして…その時はじめて生きている人間に憑依した。盗人たちを散らした私は、与えられた機会だと考えた。誰に、何に与えられたかは分からない。しかしこれを逃せば、もう積み上げた剣の腕を振るう機会はない。そう思った」
だから亡霊は辻斬りになったのだ。生前の望みを叶えるために。死んでバカになった、思考にふたをしていた。そう言ったのは亡霊自身だ。だから辻斬りになるなんて方法を選ばなくてもよかったはずだ。だが、現実はそうならなかった。
「まずはこの時代について調べたよ。銃の性能は格段に上がり、どこかしこで常に騒ぎが起こる。それを鎮める者たちがいる。なれば、鎮める者こそが強者であるはずだ」
「だからツルギさんを襲った?」
「長い黒髪の、恐ろしい叫び声をあげる…彼女は期待通りに強かった。だが私の腕はなまっていた。かんを取り戻すために経験を積まねばならなかった」
「辻斬りと呼ばれるようになったいきさつね」
「そうだ。それからはお主の知るとおりだ。強いものと戦い、勝負を楽しみ、剣の腕を確かめる。それだけのためなら、こんな乱暴な手段はとらなくてもよかった。だが――いや、これ以上は言い訳だ」
すうっと息を吸って長く吐く亡霊。メイは亡霊が次の言葉を放つのを待って、そこで気がついた。亡霊の気配が変わった。うまく言葉にできないが、スイの体がメイに寄りかかる。
「消える。私が消えていくのが分かる」
「…成仏できそう?」
「わからない。あの世というものがあるのなら、ようやくそこへたどり着けるのだろう。メイ、大きなお世話かもしれないが、私はすでに死んでいる亡霊だ。だから、気に病むことはない。お主は、誰も、殺していない」
「…ありがとう」
「この体もどうにか無事だ。数日は休ませる必要があるが、深い傷はないはずだ。お主は、バカになった私から姉を守りきったのだ。お主は、誠の剣士よ、侍よ」
見えるように頷いてみせたメイは、スイの顔が満足したように微笑んだのを認めた。
「…ああ、満足して消えられそうだ。感謝してもしきれぬよ――」
それきりスイの口は開かなくなった。今度こそ力なくメイに寄りかかり、寝息を立てるだけだった。
亡霊はいなくなった。あの世というものがあれば、今度こそ他人に迷惑をかけることなく剣の研鑽の成果を披露することだろう。そうであることを祈るようにメイは空を仰ぎ見た。
いつの間にか雨は止んでいて、雲の切れ間から陽光が差し込んでいる。眺めるだけで心が晴れやかになるような、そんな光を帯びていて、だから地面がきらりと光ったような気がしてメイは視線を向けた。
青い花が咲いている小さな木が、まるで最初からそこに在ったかのように小さく揺れていた。目がかすんでよく見えないが、もしかすると亡霊が最後に残した贈り物なのかもしれなかった。
こちらこそありがとう。メイは呟いて目を瞑った。
私の青春は守られた。自身の手だけで守り切ったのではない。多くの人の支えがあって、どうにか成し遂げたことだったのだ。大切な姉はこうして生きているし、自分もまだ生きている。大切な友人との思い出をこれからも作っていくし、友人の輪も広げていこう。
深呼吸をしたメイは全身の痛みがにじんでいくのを自覚した。すこし休まなければ動けそうにない。痛みを覚えながら疲れで瞼が落ちていく。そこでメイは眠りに落ちていた。静かな寝息を立てて、ベンチに身を任せて。
エピローグに続きます。