「…うにゅ…いちか…」
「…全く、こいつは」
俺の左腕を抱きしめ、肩を枕代わりにすやすやと眠る恋人の姿に思わず頬が緩む。
何も不安なんて感じてなさそうな、緩み切ったあどけない寝顔だ。幸せな夢でも見ているんだろう、そう思える安心しきった表情。きっと、その夢の中でも自分と一緒にいてくれているなら、嬉しいなと思う。
むしろ、そうであってほしい。大切な人はいくら居ても構わない。誰もが生きていく中で、大切な人が増えていくもの。空っぽでしかなかった、俺自身が今それを実感しているのだから、そうなのだろう。そしてそれは、きっと、とても喜ばしいことだ。
―――だけど。
恋人にとっての1番は自分であって欲しい。そう願わざるを得ない、ちっぽけで小さな独占欲。昔の俺には無かった感情だ。姉に聞かれたら何馬鹿なことをと、笑い飛ばされてしまうだろう。
頑固で、いじっぱりで、わがままで。でも、泣き虫で、一人で抱え込みがちで、その癖弱いところを見せたがらない強がりで。
でも、そんなところもひっくるめて、俺の中で1番大切な人だから。
愛おしさが胸に込み上げてきて、自由のきく右手でそっと、優しく起こさないように頬を撫でてやれば、ほにゃりと綻ばせながらえへへと恋人は笑みを浮かべた。
何も不安を感じてなさそうな寝顔にこっちまで笑顔になりそうだ。
―――幸せ、だなぁ…
胸の内が、そんな気持ちで満たされる。悪くない気分だ。
ぽかぽかして、暖かくて、穏やかで、心地良くて。何もかもが満たされる感覚。
ちょっと前の自分なら、こんな気持ちになれるなんて、考えられなかったのに。
『好きだよ』その一言がこんなに、嬉しい物だと思わなかった。
『温もり』が、こんなに心地良い物だと思わなかった。
『恋人がいる』それだけでなんでも出来る気がするなんて思いもしなかった。
怖いくらいに幸せだからこそ、
―――俺は『幸せ』になっちゃいけない。
その現実が、重くのしかかる。
俺は人を『殺した』。
何人も、何人も。自分ではもうどれだけの数になるのか分からなくなるくらいには、途方もない罪なき人を手に掛けた。
助けてくれと、殺さないでと懇願してくる人々を、命令だからと、そうしなければ俺が殺されてしまうのだからと、ただそれだけで。
生きるためには仕方なかった。
そう言い訳をすれば簡単なのかもしれない。でも、それは結局俺自身を納得させるためだけの、俺の行いを正当化するだけの言い訳でしか無くて。
何も背負うものもなければ、大切なものも何もない。ただ、惰性で生きていた頃の俺だったなら、それで十分だった。
だけど、今は違う。
人の温もりを、何より『幸せ』を知ってしまった俺には、その行いがどれだけの大罪なのかはっきりと分かる。分からざるを得ないのだ。
手をかけた人たちにも、俺と同じように『幸せ』だったんだろう。親か、兄弟か、恋人か、友人か。いずれにしても帰りを待っていてくれる人達がいた筈だ。
それぞれの形ではあったとしても、『幸せ』な日常があった筈なのに。
俺はそれを奪ったのだ。
―――もしも、恋人が殺されたなら。
そんなことを思うと、胸が張り裂けそうなくらい苦しくなる。きっと俺はまた生きる意味を失って、今度こそ死を選ぶかもしれない。恋人がいない世界なんて考えられない、考えたくもない。
そんな幸せを俺は奪った。
もしも、そんなことをされたら。ただの想像だけですらこんなに苦しくなる思いを、俺は数え切れない人達に突きつけたのだ。
だから、本来なら、俺は恋人の隣に居ていい存在じゃなかった。
血塗れの、洗っても2度と落ちることのない死の匂いが染みついたこの手で、恋人の手を握る権利なんてどこにもない。
―――だけど、側にいたいと願ってしまった。
何も知らないままでいれたのならどれほど良かったんだろう。残り少ない余生、誰とも親密になることもなく、誰の記憶にも残ることなく、ひっそりと消える筈だったのに。
―――でも、譲れないと思ってしまった。
温もりも、優しさも、何もかも手放したくない。他には何も望まない。でも、隣にいるのは未来永劫俺だけでありたい。誰にも譲りたくない。
ようやく見つけた、この居場所だけは絶対に。
恋人を笑顔にさせるのは、俺だけで良い。
幸せそうに笑ってくれるのは、その笑顔を向けてくれるのは俺だけで良い。
―――手にかけた人たちの怨念が、聞こえないわけじゃない。
むしろ、今でも、常にどんな時でも聞こえてくる。耳を塞いだとしても、頭の中に直接響く。
老若男女様々な人達の呪いの言葉。言語の形を成さないものもあれば、はっきりと理解できるものまで様々だけれど。
そのどれもに共通しているのはたったひとつだけ。
―――お前が『幸せ』になるなんて許さない。
当然の事だろう。今更反論するつもりはない。何せ全てそれは事実なのだから、そこで言い訳をしたところで現実から目を背けているだけにすぎない。
簡単に断ち切れるような過去じゃない。
死ぬまで向き合っていかなければいけないんだろう。
きっと呪いのように纏わりついて、俺を苦しめ続けるのだろう。
だけど、それでも願わざるを得なかった。
2度と目を背けるなんてことはしない。
2度と自分のした事に言い訳なんてしない。
2度と消えて楽になりたいだなんて考えることはしない。
だから、今だけは。
どうか、神様。
俺はまだ、彼女と一緒に居たいのです。