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これは夢なんだと思った。
何か確証があったからとか、特別な何かがあったわけではないけれど。
ただ、目の前に広がる景色がどことなく朧げで、風が吹けばすぐに消えてしまいそうなほどに儚げで。
年相応の背丈をしているけれど、その顔色は歳不相応なまでに落ち着き払っている。落ち着いているというよりかは、『色』がないという方が正しいのかもしれない。
生気が全く感じられない真っ黒な瞳に、何の感情も感じさせない横一文字に固く結ばれた口元。
目の前にいるその少年は、紛れもなくかつての俺自身の姿であり。今以上に幼かった頃、まさに人の殺し方以外の何もかもを知らなかった自分自身だった。
思い返せばつい、数年前の頃の事だ。
『異能者』として役割を果たす必要がなくなったからなのか、それとも当時に比べたら圧倒的に穏やかな日々に絆されてしまったからなのか。
それが遠い昔のように思えてしまうのは、説明できる理由を俺は知らない。
だけど、確かに言える事がある事がするのならば。
これは、夢を見ている。
ただそれだけは間違いない事実なのだろう。
場面が移ろう。
そこは、倒壊した建物と瓦礫がそこらじゅうに散らばる街の中だった。朧げな記憶を漁れば欧州のとある地方都市だったことを思い出した。
きっとIS事変真っ最中の時だろう。
俺は欧州戦線に投入され、当時世界最強格と言われた欧州連合のIS部隊と激戦を繰り広げたものだった。
そこに理由はない。ただ、そこで撃滅せよ、そう命令されたから戦っただけ。
敢えて理由を挙げるとするならば、『死にたくなかったから』そういうものだろうか。
響き渡る爆発音に建物が倒壊していく轟音。
―――そして、それらに巻き込まれ、悲鳴をあげる人々の断末魔。
忌々しい記憶だ。そして、俺が決して忘れてはいけない戒めの記憶でもある。
決して忘れるなと、人殺しなのにも関わらず日常を過ごしているから故に現実を突きつけてくるのだろう。
―――ユルさなイ
―――ノろってヤル
―――ヒとごロシめ
最早言語としてすら成り立っていないものから、はっきりと聞こえるものまで様々なソレ。
深い深淵のような、何もかもを真っ黒く染め上げる程の怨念が込められた声がいつまでも聞こえてくる。
それは耳を塞いでも叫んだとしても変わらない。
直接頭の中に響いてくる呪いのようなものだ。
これから一生。数ヶ月か、一年か、それともそれ以上か。
最後まで向き合い続けなければいけない、俺が犯した決して許されず償うことすら出来ない罪なのだから。
―――分かっている。
―――地獄に行く事すら許されないことなんて、とっくの昔から。
だから、今だけは。
決して長くはない俺の命の灯火が消えるその時までは、自分なりにケジメをつけられるその時までは……
朝方、カーテンの隙間から刺す朝日に当てられ、重い瞼を開け目を覚ました。
―――どうやら、また夢を見たらしい。
それも、とびっきりの悪夢というものを。
それを自覚すると同時に一気に覚醒していく意識。仰向けの状態から上半身を起こすと、額に浮かんだ汗を乱雑に左手で拭う。
最悪な目覚めだ。ひどい寝汗で肌に張り付くジャージの感覚がこの上なく気持ち悪い。
心なしか息も少しばかり苦しい。おそらく今日も、うなされていたんだろう。
夢見が悪いのはいつものこと。しかし、ここ最近、特にISを起動させてしまってからは特に酷くなりつつある。
はっきりと夢の内容を覚えている事はほとんど無く、ただ漠然と悪夢だったということしか分からないけれど。
「…クソが」
思わず口から悪態が零れ落ちる。
別に寝覚めが悪いのも、悪夢を見ることに対して文句があるわけではないけれど。
ただ、そのせいで寝不足気味になるのだけは、正直気が滅入りそうになる。
今日のようにまだ寝る事ができるのなら良い方。最悪な日は魘されて夜中に目が覚めて、そのまま寝れないなんてこともあった。
そのせいでここ最近は体調も余り優れなくなっている。まだ、周りの人に直接指摘されるような事はないけれど、おそらく時間の問題だろう。
もしかしたら、姉にはとっくに見抜かれているのかもしれない。
こめかみをぐりぐりと揉みつつ冷水で顔を洗えば、鏡に映る自身の顔はいくらかはマシになった。
寝起きの体に冷たい水が心地よく染み渡る。
「……」
あの日々に比べれば、今の日常は平穏そのものだ。神経をすり減らすこともなく、穏やかな気持ちでいる事ができるなんて贅沢だから。
こんなもの、辛いうちにすら入らない。
少しばかりの怠さなど、何ともないのだから。
大丈夫。まだ、頑張れる。
最悪これが続くようであれば、医務室で事情を説明して睡眠薬でも貰えばいい。
まだ、対処の仕方なんていくらでもある。
そう自分に言い聞かせた。
時間は放課後。場所は剣道場。
「…どうしてIS学園に男用の道着があるんだろうな」
「…私に聞かれてもそんなの知らん」
「だよなぁ…」
1週間後の試合に備えてアリーナでISの特訓でもできればという考えは一瞬で蹴散らされた。どうやら今から申請したところで通るのは早くて2週間先になるらしい。
―――間に合わねぇじゃん。
少なくとも4月いっぱいは、時期的な理由により上級生たちの申請が優先されるらしい。1学年の生徒は入学したてのためアリーナを使う余裕がないため、その分上級生に枠を回すのが理由だと、姉さんに言われた。
そんな理由で途方に暮れていたところに声をかけてくれたのが箒だった。
「気休めにしかならないかもしれんが、剣道をするのはどうだろう。体を動かすだけでも大分違うと思うのだが」とは箒の言。確かにどこまで役に立つのかは分からないけれど、何もしないよりかは全然良い。
それに、幼い頃の『俺』は姉に連れられて、箒と一緒に剣道をしていたという。いつものごとく、記憶にはないのだが。
今の俺がどれだけ剣道ができるかは未知数な部分ではあるけれど、素直に俺を案じてくれる箒の気遣いが今はありがたい。
「謙遜していた割には、かなり良い太刀筋をしている」
「そりゃどうも」
剣道は素人にも程があるため、箒の指導を受けながら素振りをする事30分程。
良い具合に体もほぐれ、温まってきたなと感じ始めた頃、隣で見ていた箒がそんな事を言う。
正直何処がどう良いのかなんて事はさっぱり分からない。
とは言え、少なくとも良くも悪くも思った事ははっきりと言う性格なのは昨日今日で何となく理解しているから、実際『剣道』としては悪くないのだと思う。
「箒にそう言ってもらえるのはありがたいよ。てっきり下手くそって言われるとばかり思ってたから」
「…お前は私をなんだと思っているんだ」
「自他共に厳しいイメージ?」
箒はどちらかと言えば、顰めっ面を浮かべている事が多い。
勿論それが不機嫌だからとかそう言うわけではなく、元々そういう顔つきなだけなんだろう。しかし、そんな事を知り得ない人たちからすれば、どうしても堅物な印象を抱かれやすい。本人は単に生真面目な性格なだけなだけに、損しがちだろう。
ある意味姉さんに重なる部分が多いとも言える。
「私だって傷つかないわけじゃないんだからな」
「ごめん」
「…全く素直にそこで謝られると何も言えなくなるんだが」
呆れた様子でこちらをジト目で見られる。
昨日今日と関わってなんとなく箒の性格を知ったが、思ったよりかは素直に感情が顔に出るらしい。
「まぁ、あくまで現時点はというだけに過ぎんがな。細かいところまで見だせばキリがない。剣道としては全く通用しないな」
「うへぇ、容赦ない…」
しかし、そう付け加えて箒は言葉を続ける。
「あくまで『剣道』として見た場合に限るんだ。一夏の太刀筋はなんて言うんだろうか、真剣向けのモノという方がしっくりくる」
「言っている意味がよくわからない」
「まさしく実戦向けなんだ。戦国時代のような、まさしく人を斬るために使われているような」
「人を、斬る…」
「…そう落ち込まないでくれ。昔の一夏もどちらかといえば剣術の方が得意だっただろう?」
顔を引き攣らせた事をそう思ったらしい箒が慰めの言葉をかけてくれるが、俺が感じている事はそこではない。
『人を殺すための技術』が未だに染み付いていると言う驚き故に言葉を失ったに過ぎないのだ。
あれから3年。ISを動かせる事に気がつくまで、一切の勝負事を避け、戦いの記憶から離れようとしてきた。
ISに関わる以上これからも向き合っていかなければいけないとはわかっているのだが。それでもやはり中々に体に染みついた感覚というのは抜けてくれないようだ。
それが少々悲しく思うだけに過ぎない。
「ある意味IS操縦者としてはそちらの方が都合いいんじゃないか?時には型に囚われない実力も必要になるだろう」
「それもそうか、ありがとう箒」
「どういたしまして」
それから更に数十分、箒の指導を受け―――致命的に教えるのが下手くそだったのはこの際無視するとして―――最終下校時間を知らせるチャイムがもうすぐ鳴るかなという頃
「最後に手合わせでもしないか?」
箒がそう口にした。
「手合わせ…実戦って事だよな?」
「そうだ。結局のところ最後は実戦でどう動けるかが重要になるだろう。勿論生身とISでは異なるのだが、感覚を養うと言う意味では悪くない、そう思うのだが」
「…ふむ」
実戦。
言うまでもなく、箒と剣を交えると言う意味だろう。
寧ろこちらから頼みたいくらいの、ありがたい好意だった。
(まぁ、ISを使っているわけじゃないし…)
懸念事項がないとは言えず、脳裏に浮かぶのはそう思わざるを得なかった時の出来事。入学試験の科目にあった実技の、シミュレーションとは別に設けられた教官との対人戦闘。
その時に一悶着あり試験は中止になったのだが。勿論使い方次第では人を傷付げかねない物ではあるものの、世間一般的には非致死性と認識されている竹刀だ。
絶対とは言い切れないとは言え、通常の範囲であればまず死人が出ることはあり得ない。
だから、多分大丈夫だろう。現に当時のように、嫌な感覚というものは一切湧いてくる様子もない。
ここから少しずつ慣らしていくべきだろう、そう判断した。
「一夏?」
「…あ、いや。なんでもない。こちらからお願いしたいところだったから、一本頼むよ」
「あぁ。では、一本勝負といこう。ルールは何処にでも先に当てた方が勝ちで」
時間も推しているため、試合前の所謂格式ばった挨拶もなく、すぐさま向かい合う形で竹刀を向かい合う。
流石は剣道かというべきなのか、相手する箒の雰囲気が一瞬で切り替わり張り詰めた空気が道場を包む。
「開始の合図は秒針が10回動いたタイミングとする」
「…あぁ」
手元の竹刀に力を込める。道場にはお互いの静かな息遣いと、やけに大きく聞こえる秒針の音だけが響く。
(……6、7、8)
まもなく開始のタイミングになる今でも特に、何かが起こりそうな前兆は体に起きていない。あの時は向かい合っただけで発作が起きていた。
本来起こりうるならば、既になっていなければおかしい。
(…よし、これならいける)
―――ドクン
「……っ!?」
瞬間心臓が拍動する感覚を強く感じた。
「まずい」そう思った時には、全てが遅い。
―――ユルさなイ
息が上手く出来ない。まるで、陸上にいるのに溺れているかのようで。
視界がチカチカと点滅し暗転していく。自分の体なのに自分じゃないかのような感覚が全身を包み込む。
「一夏?一夏!?どうした!大丈夫か!?」
箒の声がやけに遠い。おかしい、すぐ近くにいるはずなのに。
視界が映すのは、破壊され尽くした街並み。黒煙と炎が辺り一帯を埋め尽くす、叫び声すら聞こえない『地図から消え去った街』
剣道場にいたはずなのに、その面影は既に何処にもなくて。
不意に足を何かに掴まれる。それは何者かの手だと見るまでもなく、感覚でそう分かった。
だけどその手は恐ろしいくらいに冷たくて。
到底人のものだとは思えないほどに。
「っぁ…!」
その手の持ち主は既に息絶えていた。だけど動いている。下半身を失っているのにも関わらず、俺の足を握り潰さんと強い力を込めながら。
ぎょろりとした永遠に光の失われた目玉が俺を射抜く。金縛りにあったかのように視線を動かすことができない。
あぁ、この人はあの時俺が殺した…
―――ノろってヤル
深淵から響いてきたかのような、心の底から震えてしまう恐ろしい声。
思わず耳を塞ぎたくなるそれは、俺の頭に響き渡り、こびりついて離れてくれない。
「う、ぁ…!」
気がつけば、俺の全身は赤黒く染まっていた。
鉄の匂いがする。
それは2度と落ちることのない、俺が殺し続けた人たちの返り血を浴び続けた物で。
俺に課せられた呪いそのものを示しているかのようで。
やめて。
俺は、オレは、おれは…!
―――ヒとごロシめ
「あぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
たす、けて…
「一夏!しっかりしろ!」
俺を呼ぶ誰かの声が最後まで聞こえた。