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申し訳ありません。
目を覚ますと、目の前には見覚えのない天井が広がっていた。少なくとも、俺に当てがわれた寮の部屋ではないようだ。
妙に頭がズキズキと痛むし、身体も風邪をひいた時のような気だるさに包まれている。気を抜けば意識を手放してしまいそうなくらいの疲労感も何故かあって。
(……どうなってんだ?)
なんだか意識がはっきりしないことも相まって、自分自身が置かれている状況がいまいち理解できない。
箒と剣道をしていた事だけは何となくわかるのだが、それ以降の記憶がさっぱり思い出せなかった。
「…起きたのか」
「…ねぇ、さん?」
首を横に動かせばその声の主は直ぐに見つかる。
どうやら姉さんがそばに居てくれたらしい。そしてそれが何を意味しているのか、上手く働いてくれない頭でも流石に気づく。
(……また、姉さんに迷惑かけたのか)
『あの日』からずっと姉さんに迷惑をかけてばかりだなと、胸の内が罪悪感で一杯になる。俺はいつだってそうだった。
今にも泣き出してしまいそうなくらい不安げな顔色をさせたいわけではないのに。俺の思いとは裏腹に姉さんはいつも泣きそうな顔をさせてしまう。
「…ごめん、ねえさん」
「そんなこと気にするな。お前は手が掛からなすぎるくらいだからな、もっと頼ってくれても構わん」
そっと額に乗せられる姉さんの手のひら。冷え性なのか少しばかり冷たいそれが今は心地良い。辛さが和らいでいる気がするのは、きっと俺が単純なだけなんだろう。
暫く続いた沈黙を破ったのは俺の方。
「…なぁ、姉さん。『また』なんだよな?」
「あぁ、まただ。篠ノ之が血相を変えて私のところに来た時は何事かと思ったよ」
「あぁ、クソが…」
自分の情けなさに思わず悪態が零れ落ちる。
PTSD。
心的外傷後ストレス障害、所謂トラウマというものを俺は抱えている。
その原因は間違いなく、IS事変における俺の行いそのものだろう。むしろ、それ以外の理由が見当たらない。
それこそ、当時は不意に思い出した記憶でさえもフラッシュバックを引き起こすトリガーとなりうるくらいには、精神状態は不安定であったと聞いている。3年が経ちそれなりに成長したお陰なのか、その程度ではフラッシュバックを引き起こすこともなく、比較的平穏に過ごせていたのだが。
入学試験、そして今日と、短期間に立て続けてフラッシュバックを引き起こしてしまった。
分かっていたことではあるけれど、PTSDというものはそう簡単に治ってくれるようなものではないらしい。 医者からも「油断しちゃダメだよ」と釘を刺されていたのにも関わらずこの始末なのだから手に負えない。
「これは私の推測でしかないが、お前は対人戦闘をキッカケに引き起こすんだろう。篠ノ之から聞いた状況と、入試の時の状況で共通しているのはそれしか無い」
「…うん」
「オルコットとの試合は棄権した方が良いんじゃないか?」
―――それだけは。
喉元まで出かかった言葉を必死に押さえこんだ。姉さんが言おうとしていることが分からない程、何も理解できない子供じゃない。
数年かけた治療ですらPTSD全く治る気配がない。そんな状態なのだから、たかが1週間でどうにかなる訳がない、そう考えるのは当然のこと。
そして、2度の状況から察するに、オルコットとの試合においても間違いなく100パーセントフラッシュバックを引き起こすことになるのだろう。
それはすなわち、少なくない観戦しにきた生徒たち全員にその醜態を晒す事になる。何かのきっかけで俺が『異能者』だとバレてしまえば、どんな理由があれど無事では済まされない。
それだけは絶対に避けなければいけない。
「お前がどんな考えでオルコットと試合をすることを決めたのか。そして、勝負事に真っ直ぐに向き合うその姿勢は非常に好ましく思う」
「…姉さん」
「確かに出来ることならお前のやりたいようにしてあげたいとは思っている。しかし、今この現状では到底許可することは出来ん」
「でも、それは」
「私はこれ以上一夏、お前が苦しむ姿を見たくないんだ。分かってくれ…」
きっと教師という立場ではなく、純粋な姉としての言葉なんだろうと思った。頬を伝う涙に気がついたれけど、それは敢えて見ないふりをする。
公私混同を何よりも嫌う姉さんが、いくら放課後とはいえ『教師』としての立場を捨ててまで胸の内を吐露するなんてことは本来ならあり得ない。
―――あぁ、泣かせるつもりはなかったのになぁ。
痛いくらい手を握り締めてくる姉さんのことを眺めながらそう思う。
俺がそうであるように、姉さんもまた心に傷を負っている。
姉さんはあの日から家族としての行事は絶対に欠かすことはしなかった。どんなに仕事が忙しかったとしても、誕生日やクリスマスにお正月等は絶対に家族と過ごすことを優先してくれた。
それが姉さんなりの愛情表現でもあり、家族のつながりを深くして俺を繋ぎ止めるためなんだろう。
『お前は、ふらっとどこかに消えてしまいそうな気がする』
そう、昔姉さんに言われたことを思い出した。
「オルコットには私から話をつけておく。だからお前はもう無理をしなくていい」
「…皆がっかりしないかなぁ」
「そんなもの私が全部どうにかしてやる。だからお前は何も心配しなくていい」
「職権乱用じゃない?」
「弟のためなら多少の無理くらい押し通してやるさ」
―――おまえがいなくなったら、もう私は耐えられないからな。
震える声で言う姉さんに黙って頷く。
茶化すなんてことは、間違ってもできるような雰囲気じゃなかった。
あの後姉さんは山田先生に押し付けた分の仕事を終わらせてくると言って保健室を後にした。その時には普段と変わらないきっちりとした雰囲気を纏っているのは流石だと言わざるを得ないだろう。
どこからどう見ても、直前まで涙を流していた人とは思えない豹変ぶりには脱帽ものである。
「さて、どうしよっかなぁ」
ベンチに腰をかけて、東京にしてはよく見える星空を眺めながら1人呟く。
あれから1時間ほど保健室で休んでいたのだが、胸の内がモヤモヤするのもあって素直に寝ていようと思える気分じゃなかった。
姉さんに言い付けられたとおり黙って休むべきなんだろうけど、それなりに回復したことも要因なのかベッドの上で大人しくしている気にはサラサラなれず。ふらふらと学園内を彷徨っていたところ、ちょうど良い場所にベンチを見つけ今に至る。
やはり考えてしまうのは、これからの自分の立場のこと。
今はまだ男性IS操縦者として物珍しさと言うネームバリューがあるけれど、これからもそれでやっていけるとは到底思えない。
そうなった際に引っかかってくるのは、俺自身が抱えているトラウマそのもの。
データ収集の観点から考えても対人戦闘すら行えないというのは、IS操縦者としては圧倒的なまでに致命的な弱点でしかなく。
今は姉さんが何とかしてくれるとは言うが、ずっと庇護下でいることにはやはり抵抗がある。早い段階で自分でもどうにかしなければならないとは思うのだが、結局思うだけで何も良い案は浮かんでこない。
おもむろに時間ばかりが過ぎていくだけ。
取り敢えずと浮かんできたのは、今日間違いなく迷惑をかけ不安にさせたであろう箒に謝ること。
箒側にしてみれば突然苦しみ出して意識を失う惨状を目にしたら、トラウマとまではいかなくとも、精神的にショックを少なからず受けているに違いない。
数少ない昔の『一夏』を知る人物でもあるし、何より好意的に接してくれる1人であるので、何かしらのフォローは必要だろう。
もしかしたら状況が状況なので、姉さんが既にしている可能性もあるのだが。そうなった時はその時に改めて考えれば良い筈だ。
「ちくしょー!もう面倒くせーっ!」
ISを動かしてしまった事。
トラウマのせいで満足にISも動かせない事。
自分の過去がなく空っぽな事。
政府の連絡役の人間がめちゃくちゃ態度悪くて会うたびにイライラされられる事。
姉がピーマンも食べろと口うるさい事。
周りに誰もいないことをいい事に胸の内のモヤモヤも全部吐き出す勢いで叫ぶ。
「…ふう、スッキリした」
一度胸の内を吐き出すのも意外と悪くない。ストレス発散と称してカラオケで熱唱する人たちの人気持ちが今はよく分かる。
頭の中がスッキリするこの感覚は、結構病みつきになってしまいそうだ。これはかなり良いストレス発散方法を見つけられたのではないだろうか。
そう思うと少しばかり心が楽になった気がする。
「……?」
ひとしきりスッキリした後、ふと視線を校舎の方に向けると、未だに電気の点灯した教室がある事に気がついた。
時間を確認すれば11時を回っている。この時間は最終下校時間はとっくに過ぎている。下手をしなくてももう間も無く寮の消灯時間すら迎えようとしている時間帯。
多分最後まで残っていた生徒が電気を消し忘れたのだろう。確信的にほっつき歩いている俺と違い、流石にこの時間まで残っている生徒はいないだろう。
暇していたのは事実なので、時間潰しを兼ねて電気を消しにいくのが良いのかもしれない。
しっかりと保健室で休ませてもらったおかげで、この時間でも全く眠気すら感じないのだから。
人工島の上にIS学園があるおかげで部外者が侵入することは不可能である。そのため、夜間でも施錠されないことが多いのか、この時間でも特に問題なく校舎の中に入る事ができた。
スタスタと階段を登りながら目的地まで向かっていてる途中、案内看板がふと目につく。どうやらここは整備棟らしい。ISのメンテナンスなどを担当する場所であることは何となく理解している。
「しつれーしまーす」
大して迷うことなく目的の教室に到着すると、何の躊躇いもなく中へと入る。そこで声かけをしたのはただの気分なので深い理由はない。
「だ、だれ?」
「…うぉ!?す、すまん。いるとは思わなかったんだ」
てっきり電気の消し忘れだとばかり思っていたため、全く中に人がいるかもしれないと言うことを失念していた。
突然聞こえてきた声に思わず大きな声をあげてしまう。
中にいたのはIS学園の生徒だった。リボンの色からどうやら同学年らしいことは分かる。
肩あたりで切り揃えられた内巻きの空色の髪色に、眼鏡をかけた気の小さそうな女子。
数少ない女子の知り合いである箒とは全てにおいて反対な雰囲気を感じる。
その生徒は俺の顔を見るなりポカンと固まってしまい動かない。
「……」
あまりにも動かないので、そんなに驚かせるようなことをしたのかと少しばかり不安になってしまう。確かに驚いた時に多少大きな声を上げてしまったのは確かだけど、この驚き方はどちらかといえばびっくりした様子ではない。
信じられないものを見るような、狐に化かされたとかそんな類のものだろうか。
―――お、おにぃ、ちゃん?
「………ゑ?」
何だこのやべーやつ。
この女子生徒に対する評価がドン底に落ちた瞬間だった。