第十一話:*^▽^* 【おでかけパンティー】 *^▽^*
作戦はこうだ。いや、作戦と言うほどのものではないが。
一人頭3時間ほどの時間を割いて、俺はメンタルケアの時間を取る―――簡単に言うと、皆とお出かけすることにしたのだ。
俺の愛バたちが怒ったのは、俺が他のチームのウマ娘と外に出かけたからだ。ウマ娘は自分のチームメンバーやチーム名、その一員であることに結構こだわる。
余り気にしないウマ娘も居るが、トレーナーとの関係を結ぶために入学時からチーム選び、選抜レースなどが存在するからだろう。
自分がここだと選んだ居場所に思い入れが強い子が殆どなのである。
だから、彼女たちの怒りはこういうモノだ。
自分のチームを放って、他所のチームのウマ娘を気にかけているのが可笑しい。
そういう思考に至ったんだろう。
スペシャルウィークの悩みを知らなかった彼女たちからすれば、他所のウマ娘に手を出す俺、というトレーナーへの不信感が生まれた。そういう事だと思う。
「そりゃちょっと違う気がしますけど……まぁ、先輩が考えた、個人の時間を設けるっていうのは良い考えだと思いますよ」
沖野の遠回しなアドバイスを受けて、俺は久しぶりにスーツ以外の私服に着替えトレセン学園の正門の横で作戦の確認をしていた。
時刻は朝の6時。 4人も居るから、3時間で区切っても12時間もの時間を使ってしまう。
3時間でご機嫌を取る。中々難しいミッションだが、アイツら自身の為にも頑張らなくてはいけない。
7時にはストレートバレットが此処に来るはずだ。沖野には午後から手伝ってもらうことになっている。
レンタカーも借りている。 ちゃんとやらんとな……等と想いを馳せていると、石垣の上から叢を突っ切って、怒号が降って来た。
「おいおいおいおい、分かってねぇな、この鈍感ヤロー! 蹴らなきゃ分からんかぁーーー!?」
「うおっ!」
いや、股を広げて脚を俺に向けて、勢いそのままに降って来た! 白ベースのローレッグ、レースもある!
一瞬だったが、見えた。 だが、それはともかく、アブねぇって! こっちは人間だぞ。
「ゴールドシップ! 危ないだろうがっ」
「へーっ! 良く今のを避けたな! 反応は中々だが、次はこのサンマの干物の尖った部分が、お前の指の皮と爪の間を襲う事になるぜ……寝ている間にな……っ!」
「恐ろしい事を言うな、しかも地味に痛そうなのやめろ」
何処からか取り出した干物を、刀剣のようにゆらりと片手で構える、黙っていればクッソ美人のウマ娘、ゴールドシップが現れた。
沖野の下でGⅠを6勝も勝利し、チーム《スピカ》の名声を一気にぶちあげた名バである。
その実態は破天荒という言葉そのものを体現したもので、俺がトレーナーとして沖野の事を本当にすごい奴だと感服させた存在だと言って良かった。
今はドリームトロフィーリーグで本人曰く、気分が乗った時に走っており、学園内を縦横無尽に駆け回って奇行を起こす問題児でもある。
「ゴルシやめろって、俺の先輩だぞ」
「いーや、止めんじゃねぇぞ……トレーナー。 あたしは今、猛烈に悔しいんだよ。 コイツはだって、パンティー野郎じゃねーかっ!」
「おい、失礼になるって……先輩、すんません」
「ああ、いや、良いんだ」
「無視するなよー。 ったく、でもよ、パンティーの上辺だけしか見てねぇのは本当だぜ。 鋭い奴だと思ったけど、結局まだまだその領域かって感じだよなー」
「なに?」
「そういやパンティー集めてるってマジなのか? だとしたら、マジで良い線行ってるけど、これ以上は規定で……って、あー! ポケットの中に入れてたカイワレがっ! そんなっ……あたしが救ってやるって約束したのによ……おめーはダイコンの仲間だって証明してやるよって、言ったのに……バラバラになっちまった…………あたしは無力だぜ」
パンティーの上辺だけしか見ていないだと? ゴールドシップ、こいつまさか、パンティー因子に気付いているのか?
いや、彼女の自信満々の発言からしてパンティー因子はまだ入口に過ぎないとでもいうのか? そのカイワレダイコンの欠片がヒントだとか……そういう可能性も?
俺が困惑していると、沖野が適当な事を言うなとゴールドシップを頭ごと抱え込んで黙らせていた。
現状は俺のチームの人間と、ごく僅かな関係者だけにしかパンティー因子の存在は知らないはずだが……くそ、気になる。
不本意ながら今やパンティー因子は俺にとって大きな武器。
そしてスピカはアオハル杯にも参加しているチームでいわば敵でもある。
ドリームトロフィーリーグからゴールドシップが長距離路線で。
ジュニア級にスペシャルウィークが中距離路線でリーダー登録をしていた。後は沖野のチームの中ではトウカイテイオーが居るが、彼女は脚部不安から見送られたらしい。
「沖野、良いんだ。 ゴールドシップがこういう子だってことは俺も分かってるからな。 それより、彼女に聞きたい事があるんだ」
「良いっすけど、コイツにまともに付き合うと、身が持たないですよ」
「分かってるさ。 で、ゴールドシップ……少しいいか?」
「なんだよー、手短に頼むぜ。 時間も迫ってるし」
正門前に時計があるのに、わざわざ遠くの時計塔の方に向かって、手で望遠鏡を作って覗いているゴールドシップに俺は聴くだけ聞いてみようと思った。
パンティー因子については沖野にすら話して居ないことだ。噂話くらいは耳に入っているだろうが、それを気にするような小さい男じゃないことも俺は知っている。
だから、秘密を知っている可能性があるなら俺はそれを聞きだしたかった。
ゴールドシップが出鱈目な言動をすることは周知の事実。だからこれも、偶然で俺の状況と一致した言動をしただけの可能性もある。
考えろ。
ゴールドシップがパンティー情報を掴んでいたとして、俺の先をいく事実に気付いているなら、どう尋ねれば良いのか。
手っ取り早く彼女に頼みこめるなら、最善の問いは……これだ……!
「ゴールドシップ、頼みがある。 お前のパンティーはその、お前が言う先にあるのか? サンプルとしてパンティーを俺に渡してくれれば、より真実に近づけるかもしれない」
「なんだ? あたしのパンティーを? あはははーーーーーしょーがねぇーなぁっ!」
「良いのか!?」
「嫌に決まってんだろ、馬鹿かお前」
「先輩、そりゃゴルシだって怒りますよ」
「くっ、ダメだったか……」
にべもなく断られたが、このゴールドシップとの会話に、俺は後に多大な感謝をすることになった。
そう。 パンティーには確かに、因子だけではない。 その先があったのだ。
そんな一幕はあったが、今は愛バたちの機嫌を取り直すことが最も大事だ。
俺は沖野にきっちり三時間ごとに区切って連絡をしてくれるようにお願いし、外へとお出かけして帰ってくる。
これを繰り返す事、都合3度。 思った以上に重労働だった。 そのおかげでバレットもシュシュもスナヤも機嫌はしっかり立ち直ってくれた。
特にクラースナヤは今回、しっかりと個人での時間を取ったおかげで隠していた足首の悪化に気付けた。
もともと違和感があるとのことで、冬は全休させる事にしていたが、ダメージは予想よりも深かったのに気付けたのは、ちゃんと向き合って話したからだろう。
そこの部分でも精神的なケアにも成功して、とても嬉しい。
喜ぶだけではダメだ。もっとちゃんと、小さな彼女たちの発するサインを見逃さない様に俺がシッカリとしなければいけない。
そう、気を引き締め直せたのもクラ―スナヤのおかげだ。
練習できないほどではないと医者には言われてホッとしたが、少しメニューは脚の負担の無い物を中心に組み直すことになるだろう。
そして、最後はグラスワンダー。
時刻は17時32分。2分ほど遅れてしまったが―――周囲を見回して、俺は少しばかり安堵する。
まだグラスワンダーは来ていないようだ。 目の前の自販機でミネラルウォーターを買って喉を潤し、今後の予定を頭の中で整理しておこう。
あいつ、随分と怒っていたからな。
表情こそ薄っすらと笑みを浮かべているが、グラスは耳と尻尾が素直に過ぎる。
ウマ娘は感情が尻尾と耳に出てしまう事は有名だが、年を食ったウマ娘たちはこれをしっかり自制出来ることが殆どだ。メジロ家の婆さんなどが良い例だろう。
俺も教官時代に何度かメジロ家のウマ娘と関わった事があるから数回、顔を合わせた事があるが……メジロ家の婆さんと駆け引きしろって言われたら、即刻に俺は頭を下げて謝る。
海千山千という言葉が相応しい相手に立ち向かうのは無謀というやつだ。
実際にメジロ家専属のトレーナーとして雇われ、学園から去った同僚も何人か見送っているし……アイツら元気かな。一人、同期も居るんだよね。今度、暇な時に連絡でも取ってみようか。
とにかく、その辺、やはりグラスワンダーは子供であったことに俺は助けられた。
すぐにアイツが怒っている事に気付けたから、こうしてメンタルケアを迅速に行うことができる。
スペシャルウィークから話をされて、グラスワンダーは臍を曲げた。
これは話の流れからして俺の勘違いではないだろう。
グラスの中で俺とスペシャルウィークは買い物デートをしたことになっている。この誤解を解く為に、俺はスペシャルウィークにした事と同様の事を、グラスにも行ってやるつもりだ。
そうすれば、男女の付き合いでの行動ではなく、俺が仕事としてスペシャルウィークと関わっていた事にグラスワンダーは納得する事だろう。
それに、負い目もある。
結局、グラスの身体の基礎作りは思いのほか期間が伸びていて、終わっていない。少なくとも今のペースでは年内には無理だ。
だから、実際はアオハル杯にだって出したくない感情の方が俺は強い。
俺は出走の取り消しをしようと思っていたのだが、グラスワンダーはアオハル杯には必ず出ると意思を曲げなかった。
ジュニア期の出走予定は全て俺が突っぱねたからである。
GⅠの阪神ジュベナイルフィリーズの出走を始め、重賞挑戦をすべて諦めさせた。
グラスからこのレースはどうですか?と尋ねられる度、ジュニア期で行われるレースの全てを却下したのである。
デビュー前からみっちりと身体を作り上げていけば、この冬までには身体が作り終わると思っていた。
だが、それは俺の誤算だった。
それだけグラスの本格化したポテンシャルは、本当に凄まじい物であるという証明なのだが……グラスワンダーも約束をひっくり返されたようで理屈で説明されても気分は良くないだろう。
「……45分か」
ドタバタと動き回って待ち合わせ場所へと向かった俺の息が整った時。 時計を確認すると結構な時間が経っていた。
グラスはまだ来ない。
何かあったのかも知れない。 授業が長引いたか、それとも階段などで転んで怪我をしたとか。
スマホを取り出して、沖野へとメッセージを送っておく。今すぐ、俺自身が確認したいが、グラスとすれ違った時に話がこじれることは避けたかった。
だから、俺はじっと待つことにした。
沖野には、先輩風を吹かして、手間を増やしたことに申し訳なさを感じる。スペシャルウィークの事では礼を言われたが、既に俺の方が迷惑を掛けてしまって居るな。
良かれと思ってやった事が裏目に出ると、どうにも後悔が先立つ。
今度、何か奢ってやろう。時間を作って酒を呑みにいくのも、良いかもしれない。
……まだかな。
どのくらい、この場所に居ただろうか。
俺は時計をもう一度確認すると、18時10分を過ぎたところだった。
ちょうど、スマホが震えてメッセージが返ってくる。 沖野はグラスワンダーは食堂に居ると教えてくれた。スペシャルウィークと一緒に居るらしい。
怪我をした様子はない、と。
俺は安堵の息を吐き出し、食堂へ迎えに行くか迷ったが―――俺はこの場所でグラスワンダーを待ち続けることにした。
こういうウマ娘とのトラブルが起きた時、元の鞘に戻るにあたって、トレーナーにとって大事なのはそのウマ娘と一緒に『納得』できるかどうかだ。
お互いに歩み寄って初めて、ウマ娘とトレーナーは信頼関係を確たるものにできる。
もし出来なければ?
その時は、契約の解除を行った方がお互いの為だろう。 伊達に数十年、中央のトレーナーとして働いていない。
俺だって苦い経験も、何度もしてきたから。
下手にこじらせれば、お互いに後悔するだけになる。
だけど、グラスワンダーとは別れたくない。
あの子がGⅠを必ず獲ることが出来るという確信があるからこそ。他の誰にも渡したくない。
俺がグラスワンダーを育ててやりたいのだ。
これはきっと、我が儘な感情だが……どうしてもそう思ってしまう。
レンタカーの前で、俺はグラスワンダーを待ち続けた。
夜の帳が落ちて、街灯に光がともる。
周囲から車両の通行や、職員たちの帰路などの喧噪もなくなって、時計の針が20時を廻った。
グラスと一緒に行く予定だった店も、閉店している時間だ。レンタカーも明日に返す事になるだろう。
もう、待ち続ける意味もない頃合いだったが、それでも俺はグラスを待った。
ウマ娘の寮の門限、21時になるまでは、と。
「ほら、グラスちゃん! やっぱり居た!」
スペシャルウィークの快活な声が聞こえてきたのは、門限の1時間前だった。
顔を上げれば、グラスワンダーの手を引っ張っていて。 きっとスペシャルウィークが強引にグラスワンダーを連れだしたのだろう。
それを断れず、っていう感じで仕方なく……という風に俺には見えた。
顔を上げた俺の視線と、グラスワンダーの視線がぶつかると、彼女はバツが悪そうに俺の視線から顔を背けてしまった。
「……遅かったな、グラス。 もう店も開いてないぞ」
答えが返ってきたのは、グラスではなくスペシャルウィークの方からだった。
「ごめんなさい、グラスちゃんのトレーナーさん。 グラスちゃん、やっぱり行かないっていう連絡を間違えて、トレーナーさんのスマホじゃなくてトレーナールームの連絡先に送ってたみたいなんです」
俺は苦笑して、なるほど、と納得した。 俺のスマホの方には了承したメッセージしか残っていないから、そこのすれ違いだった訳だ。
座り込んでいた縁石から立ち上がって、俺はグラスワンダーとスペシャルウィークの傍まで行くと、そっぽを向いている彼女の方から、口を開いた。
「なんで、居るんですか。 時間だって、もう3時間以上も経っているのに……」
「グラスから貰ったメッセージでは一緒に行くって約束していたからな。 だから、待っていただけさ」
「……それに関しては、申し訳ありません。 スぺちゃんにも、ご迷惑をお掛けしてしまいました」
「そうだな。 スペシャルウィーク、俺からも謝る。 俺達の事で、すまなかった」
「いえいえ! 私もお世話になりましたし、お互い様ですよっ! それに、私が学校をサボって買い物に行った理由も、全部グラスちゃんに話して、分かってくれましたから、安心してください!」
「す、スぺちゃん……秘密にして下さいとお願いしたのに……」
スッパリと歯切れよく言い切るスペシャルウィーク。 一方、狼狽しているグラスを見て、どうやら、すでに誤解は解けていたようであった。
大方、連絡先を間違えたという所から、グラスと俺の関係が拗れた件がスペシャルウィークに漏れたのだろう。
トレーナーである沖野からも、グラスが俺と出かける事は聞いていただろうし。
俺が尋ねてみれば予想通り。 スペシャルウィークが私服で悩んでいた件も、トレーニングジムでグラスが拗ねた件も、全てお互いに話し合ってしまっていた。
その話し合いのせいで俺は待ち惚けを食らった訳だが―――
「むしろ、私はスぺちゃんの私服は褒めていましたのに」
「えー、グラスちゃんだって一緒に笑ってたよ」
「うぅ、そうやって勘違いをされると、勘違いしたばかりの私では何も言えません……」
仲良くじゃれ合う二人の姿に、俺はむしろ安堵していた。
契約の解除さえ視野に入れていたものだから、スペシャルウィークには感謝するしかない。 これは本音だ。
長年、プロのトレーナーとしてやってきて、俺にもようやくGⅠが獲れる逸材だと確信できるグラスワンダーという才能を、手放したくなかったから。
グラスは仕切りに俺に謝ってきたり、スペシャルウィークとボディタッチを交えながらふざけ合っているのを尻目に、俺は時間を確認して声を掛けた。
「グラス、スペシャルウィーク、少しだけ俺に付き合ってくれないか?」
二人を誘ってやってきたのは、トレセン学園内のグラウンド。 普段からトレーニングに使っているトラックだ。
門限も近いし、流石に外に出るのは難しいが、ここなら時間内に戻れて寮長のフジキセキにどやされることも無いだろう。
「あの、トレーナーさん。 私たちと走りたいって、本気ですか?」
「なんだ、グラス。 俺だって走ることくらいは出来るぞ」
「それは……出来るかも知れませんが……トレーナーと併走なんて……」
「はは、そりゃ勝負にはならないさ。 ただ、そうだな。 俺もお前と走ってみたかったんだ。 嫌か?」
「いえ……嫌では、ありません」
「そうか。 ただ、すまんが、俺のペースに合わせてもらう事になっちまうがな。 スペシャルウィークも、嫌なら付き合わなくても良いんだぞ」
「大丈夫です、私、走るの好きですから!」
「全力でかっ飛ばすなよ。 沖野に怒られるからな」
運動靴に履き替え、準備体操を終えてから、俺はゆっくりとジョギングを開始した。
若いころは凝りの溜まりやすいデスクワークの途中に、出来るだけ鈍らないよう肉体の鍛錬をしていたが、何時からか辞めてしまって。
こうしてトレセン学園のトラックを利用するのは何時ぶりだろうか。
せっかく長時間、グラスワンダーを待ったのだから、俺はグラスと何かをしたかった。
それで思いついたのが、俺に付き合って一緒に併走して貰うことだった。
時間も無かったし、誤解が解けているなら話し合うことも多くない。着替えてる時間が無いから彼女たちは、学生服のままなのが申し訳なかったが。
だから走る。
走り始めれば、すぐ隣にはグラスワンダーとスペシャルウィークが、俺を挟むようにしてペースを合わせて走ってくれている。
少しだけ、グラスへ視線を送れば、彼女は俺の顔をじっと見つめていた。
苦笑して、顔を戻す。
俺は久しぶりに、無心でトラックを走ることにした。
今は、グラスと一緒に走るという時間を楽しみたかった。
息はすぐに乱れてきたし、ペースもフォームもバラバラだろう。ウマ娘が見ればこんな人がトレーナーか、と失望されるかもしれない走り方に違いない。
運動不足も痛感するが……それよりも撫でる秋の風は存外に気分が良かった。
鬱屈するような気分を払ってくれる。
これは走るという運動そのものが、走る事以外を求めて居ないから感じる気持ちよさなのだろう。
そんな単純な事を俺は忘れていた。
トラックを回り始めて、3週目、4週目と無心に走る。 ひたすらに走って、走って。
流石に限界だ、と脚を止めて、俺は芝生に倒れ込むように寝転んだ。
そういえば、ウマ娘は基本的に長距離を走るのに向いていなかった、と気付く。
トレーナーとしてはこんな基本的な事を忘れるなんて、と自分に呆れると共に、意外と疲れてそうなグラスワンダーやスペシャルウィークに対して奇妙な優越感も抱いてしまった。
人は遅いしウマ娘は速い。 ペースが緩いので疲労感など殆ど無いだろう。
これは事実なのだが、ウマ娘が走れる距離は長くない。競い合う場では特にそうだ。
このトラックは4周もすれば4800mになる。 ジュニア級では走る事のない距離だ。
まぁ、俺のペースに合わせてもらったから、逆に疲れたというのもあるだろう。 人間とウマ娘では走る速度が違い過ぎる。
ああ、しかし。
「ハァ……ハァッ……あぁ、気持ちよかった……久しぶりに走るのは」
「トレーナーさん、大丈夫ですか?」
「はは、大丈夫だ。 だけど、人間の俺がこれだけ気持ちいいんだから、お前たちウマ娘は走るのが本当に気持ち良いんだろうな。 少しだけ羨ましくなるよ……」
「あははっ、走るのって気持ちいいですよね。 私も分かりますよ!」
「私も……トレーナーさんとスぺちゃんと、一緒に走れて楽しかったです。 二人に迷惑を掛けてしまったのに、私だけ得をしてしまった気分ですね」
そんな声を聴きながら、俺は久しぶりに動かした身体を芝生の上に委ねながら、トレセン学園から見える夜空を堪能していた。
肺一杯に秋の夜に流れる空気を吸い込み、吐き出す。 熱された身体が冷やされていくようで、その余韻を楽しんでいると夜空が急にグラスワンダーの顔で埋まった。
覗き込むような視線とバッチリと目が合って。
おまえジャージじゃないんだから、そんな近くまで来るとスカートの中のパンティーが見えちまうぞ。
「トレーナーさん、オーバーペースになっていませんでしたか?」
「さぁな、久しぶりに走ったからペースなんて分からん。 明日は起きたら筋肉痛にはなっているかもな」
俺の言葉にクスクスと笑い合うグラスとスペシャル。
身体を起こそうかと思った時に、グラスワンダーから手が差し伸べられた。 俺は一瞬だけ躊躇ったが、グラスワンダーの手を取って、身体を起こしてもらった。
グラスワンダーの耳と尻尾がぴょこぴょこ元気を取り戻している。 ヨシ!
「トレーナーさん、ありがとうございます。 それと、楽しかったです」
「ああ、俺もだ。 お互いに良い時間が過ごせて良かった」
「はい。 あの……またこうやって一緒に走りませんか? 素敵な時間、でしたから」
「ああ、そうだな。 また一緒に走ろう、グラス。 俺も運動不足の解消になって、丁度良い」
時間にすれば30分あるかないか。 短い時間だったが、得られたものは濃密だったと思う。
門限が迫ってきたため、俺はグラスとスペシャルウィークを寮まで送り返した後、グッっと伸びをした。
グラスワンダーの機嫌も直った。 12時間以上に及ぶ、ウマ娘へのメンタルケアを大成功と言っても過言でないだろう。 やったぜ。
翌日、俺がシュシュやグラスたちとデートに行ったとして、愛バのジップライナーとブリュスクマンの機嫌が物凄く悪くなっていた。
メッチャ耳を絞って睨んでくる。 あの、困るんだが。 筋肉痛にもなったし。
これ、ライナーとリュスのメンタルケアに外出したら、またバレット達の機嫌が悪くなる何てことは無いよな?
無限に沸くのはパンティーだけで十分だ。