またも出張でパソコン環境が不安定な場所に行く事になったのですが、その時に父が今回の出張で持ってくる事になったiPadでの入力などの操作が非常に難しく、出張から帰還できて漸く投稿出来た次第です…。
ではどうぞ…!
後漢時代、大陸において中心に位置している事から伏竜・諸葛亮からは自らが提案した『天下三分の計』において「用武之地」――武力を用いてでも手に入れるべき地――とまで称した荊州。
その土地は南陽郡・南郡・江夏郡の荊北3群、そして零陵郡・桂陽郡・武陵郡・長沙郡の荊南4群に区別されており後にこの土地は魏・呉・蜀がその土地の覇権を掛けてしのぎを削った事でも知られる。
さて頓丘県において張譲が放った刺客達を撃退した壮也はこの荊州において荊北に位置する南陽郡の都市の一つ、『宛』を訪れていた…。
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「あまり、いい街ではないか」
宛について早々、壮也はそう愚痴をこぼしていた。確かに表通りは商店などが立ち並び繁盛している様に見えるが……裏通りに入ってみると浮浪者や孤児などが座り込んで飢えに苦しんでいるのが嫌でも目に入ったのである。
「…これが今の国の現状、と言ってしまえばそれまでなんだけどな」
そう…壮也が嘆息しながら零したように、今の大陸ではこの様な宛の街や五胡などの異民族に賊の襲撃などにおびえる村々などが普通なのであり、寧ろ曹操が治めている頓丘県の様に治安が行き届いている町の方が少ないのだ。
上に立つ者が己を律し、民草を治めていればこそこの様な街の光と影の格差は少なくなるが…国そのものが腐敗している今、誰かがこの国を建て直さなければ…否、新しい国を作らない限りこの格差は無くならないだろう。
「早く、そうした英雄が現れればいいが…?」
そう呟いた壮也は、ふと自分の視界にこの裏通りには不釣り合いと言える、艶のある金髪をし、煌びやかな装飾が施された装束を纏った少女がガラの悪い男達に手を引っ張られて奥に連れて行かれるのが映った。
「…やれやれ、どこの町にもこういう手合いはいるか」
ため息をつきながら壮也は彼らの後を追った…。
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その日は、少女にとっては不運だったと言えるだろう。初めて外に出たというのに、町の喧噪を見渡していた直後、ガラの悪い連中に裏通りに引き摺られる様に連れて行かれたのだから。
「うう…お、お主ら何者なのじゃ?妾を…どうするつもりなのじゃ?」
「あーん?そんなの決まってんじゃねえか、お前みてえな育ちのいいお嬢ちゃんを人質にして…たんまり身代金をせしめんのさ!!」
「おうともよ!だから大人しくしとけよ?まあ、こんな裏通りに見回りに来る様な役人なんていやしねえけどなぁ!!」
そう親分格と言える様な双子の男がそう言った瞬間、周りにいる5~6人の男達も下卑た笑い声をあげる中、少女は心中で自分の腹心として母親から付けられていた女性の真名を思い浮かべながら来るはずのない助けを待っていた…。
ーうう…怖いのじゃ。助けてたもれ
如何して、このような事になってしまったのだろう?その少女はこうなる前の事を思い返していた。
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少女は物心ついた頃から屋敷の中で育った。生家は漢王朝における名門中の名門である汝南袁家の出であり、冀州へと流れた従姉よりも格上と言えたのだが…彼女は屋敷の外へ出る事を許されなかった。
それと言うのも母がお付きの者として自身に紹介した女性…七乃があれやこれや理由をつけて外に出そうとしなかったのである。そして外に出たいと思う少女に対してあらゆる贅沢…主に自分の好物である蜂蜜水などを使って外に出たいという気持ちを逸らし続けたのだ。勉学などについても同様な感じで。
初めこそ少女は夢中になっていたのだが、人間と言うものはそういう贅沢を続けていると次第に『飽きて』来る者だ。例に漏れず少女もまた外に出てみたいという願望を抑えられなくなり、その日少女は屋敷を訪れた行商人が牽いてきた馬車に積まれていた籠の一つに潜り込むと屋敷から外に出た。
そして街中で籠から飛び出して外に降り立ったのだが…少女にとっては見る物すべてが新鮮だった。
ー土が付いている、収穫したばかりと思われるのを売っている野菜売り。
ー両手では収まりきらないくらいの大きさの肉の塊などを売る肉屋。
ー草履と呼ばれる履物や竹籠などを売っている人々の響き渡る景気の良い掛け声。
…どれもこれも、屋敷の中の世界しか知らないで育ってきた少女にとって素晴らしいと言えるものばかりだった。だが、だからこそ彼女は宝飾で彩られた煌びやかな装束を纏っている自分自身が狙われている事に気づいたのは…夢中で町の喧噪を見ていた自分の手を強い力で引っ張られ、なす術も無く引き摺られて行った時であった…。
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「おいお前ら、何か縄を持って来い。逃げ出さないようにするんだ。それと猿轡で口も塞いどけ」
やがて頭の一人が子分達にてきぱきと命じ、子分達もそれに応えるかのように震えている少女に近づき、手を伸ばそうとして。
「そこまでにしてもらおうか?」
ー唐突に響いてきた第三者の声にその手は彼女に近づく寸前で止まった。
その声に頭を初めとした不逞の連中が声の方に顔を向けると、顔を覆面で隠し薄汚れた外套を羽織った青年が、手に幅広の刃をしている甲刀と言う種類の刀を持って立ちはだかっていたのである。
「ああん?何だぁてめえ?」
「通りすがりの、流れ者さ。悪いが…そこにいる頑是ない幼子に乱暴狼藉を働こうとするのを、見過ごせないんでね」
「けっ、正義の味方って奴か?構わねえ、やっちまえっ!!」
『うおおおおおおおおっ!』
頭の声に子分達も薪やら鉈やらを持って飛び掛かったのだが、その青年は刀を峰の方を向けるように持ち替えたかと思うと…。
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少女には目の前で起こった事が信じられなかった。何せ5~6人ほどいた子分達が一斉に襲いかかったのに対し、顔を覆面で覆い隠し、薄汚れた外套を羽織っているその青年はまるで水が流れるような動作で子分達の攻撃をかわしつつ、手にしている刀を峰の部分で悉く叩きのめし、時に蹴り技を組み合わせた攻撃を以て倒してみせたのである。しかもその青年は叩きのめした後に関わらず息一つ切れていない!
「それで、まだやるか?」
そうしてその青年が穏やかな、しかし強い気を込めて自分を脇に抱えて駆けだせる態勢にいた頭目の男に問いかけると…頭は体をびくつかせたかと思うと自分を地面に投げ捨てていた。
「うにゃあ!?」
「に、逃げるぞ弟よ!?」
「へっ!?ま、待ってくれよ兄ぃ!?」
投げ捨てられた状態から脱兎の如く、と言う感じで鮮やかに逃走と言う選択肢を選んだ頭に、もう一人の頭である男が驚きながらも慌てて後を追おうとしていたのだが…これに対し青年は。
「………」
叩きのめした子分の一人が持っていた薪を、つま先でひっかけたかと思うと軽く上に蹴り上げ…。
「ふんっ!」
それを思いっきり逃げ出そうとしている二人組に蹴り飛ばした。蹴り飛ばされた薪は回転しながら飛んでいき…。
「へぶっ!?」
「んげっ!?」
まず弟の後頭部にぶつかった直後、その勢いのままに先に進んでいた兄の頭にも綺麗にぶつかり彼らを沈黙せしめたのである…。そして、倒れている自分に対し青年は近づいてきて…。
「大丈夫か?」
そう、安心させるかのような声を出して手を差し出していた。
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―どうやら、怪我はしていない様だな。
壮也は内心安堵しながらも彼女の服が土埃で汚れていたので叩いてあげていたが、やがて少女が恐る恐ると言う感じで問いかけてきた。
「そ、そなたは…妾を助けてくれたのじゃな?」
「…そうだ。安心していいぞ、もうお前を怖がらせる様な奴らはいないからさ」
壮也がそう答えると、途端に少女は急に元気を取り戻したかのように溌剌とした声で言葉を発した。
「そうか!うむ、そなたには感謝してもしきれぬ!!妾は美羽みうと言うのじゃ!妾にとっての命の恩人であるそなたには…礼として妾の真名を預けようぞ!」
「…驚いたな。命の恩人とは言え、初見の人間にそう簡単に真名を預けていいものか?」
「妾からすればこれでも足りんと思っておるくらいじゃ!有難く受け取るがよい!」
少女の言葉に、壮也は目を丸くしていたが…やがて苦笑しながらそれを受けた。
「分かったよ美羽。俺は徐寧…真名は壮也だ」
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あれから壮也は彼女を連れて表通りに戻った。そして別れようとしたのだが…。
「またあの様な連中が襲ってこないとも限らぬ。壮也、妾の傍にいてたもれ!」
…と、自分の手を取って離さなかったので、苦笑しながらそれを受けて一緒に街を回る事になったのである。壮也にしても…。
「わあ…どれもこれも、妾にとって初めて見る物ばかりなのじゃ!壮也、早く行くのじゃー!」
そう言って手を引っ張ってくる美羽が、まるで幼い頃の妹の香風を思い返させて悪い気がしなかった。そうして気が付くと町外れにある街を見渡せる高台におり、夕焼けが辺りを赤く染めていたのである。
「ふう…随分駆け回ってしまったのじゃ。こんなに動き回ったのは初めてなのじゃ…!」
「ん?美羽、お前は町に出た事が無いのか?」
ふと壮也は、彼女の言葉に疑問を持ち問い掛けていた。いくら何でも美羽程の年頃なら町に遊びに行く…なんて事は当然する者だ。確かにその恰好を見れば彼女が名家の生まれである事は一目瞭然ではあったが、それでもお忍びで町に出向くなんてことだって出来る筈…なのにそれをしてこなかったとでもいうのだろうか?
「……うむ。妾は物心ついた頃から、世界と言うものは屋敷の中しか知らぬ。外に出たいと願っても、妾のお付きとして仕えてくれている七乃がそれを認めてはくれなかったのじゃ。『外には危険な事がいっぱいあるんです。お嬢様はこの屋敷の中でずっといれば何も気にする事は無いんですからね?』と言ってな…」
これを聞いて壮也は顔をしかめた。それはいくら何でも過保護にも程がある…と。成長をするという事は、ただ屋敷の中で勉学をするだけではない。時に屋敷の外に出て学ぶと言う事も必要なのだから。
「じゃが、七乃の言う事も正しいのかもしれん…。あんな怖い事が起こったのじゃからな。やはりこれからは外に出ない方がいいのじゃろうか…?」
悲しげにそう呟いた美羽に対し、壮也は静かな声で話し始めた。
「美羽、お前は
「…わ、分からぬ。妾は座学も不真面目であったし、七乃も勉学などしなくてもよいと…」
「その昔、中華には五帝と言う偉大な人達がいた。そしてその内の一人に『
堯は臣下や民草に問いかけても誰も満足できる答えを返してくれなかったので、堯は臣下に粗末な装束を用意させた堯はそれを纏うと、自分自身の目と耳で真実を知る為に城から抜け出て行き町へと乗り出した。
やがて大通りで子供達が堯の治世を讃える歌を嬉しそうに歌っているが、堯はこれを大人たちに謳わされているのではと疑い一旦その場を離れた。やがて日が暮れた頃、一人の老百姓が腹を叩き、地を踏み鳴らしながら楽しげに歌っている。
ー日出而作【日の出と共に働きに出て】
日入而息【日の入と共に休みに帰る】
鑿井而飲【水を飲みたければ井戸を掘って飲み】
耕田而食【飯を食いたければ田畑を耕して食う】
帝力何有於我哉【帝の力がどうして私に関わりがあるというのだろうか?】
「……聞いてみるとこの老人の歌は、帝である自分を貶しているように聞こえるかもしれない。けど堯はこれを聞いて思ったんだ。『自分の政治は、国民に自分を意識させることなく、国民が豊かな生活を営むことを実現できている』とね…それからも堯はそうした政治を続けたのは言うまでもない事さ」
壮也は話し終わると、美羽の方に顔を向けながら静かに諭し始めた。
「確かに…今回美羽は恐ろしい思いをしたかもしれない。これから外に出ない方がいいと思ってもしょうがないかもしれない。けどな、為政者と言うのは、ただ城の玉座にふんぞり返っているだけでは務まらない者なんだ。時には身分を隠して町に赴き、自分が行っている政が本当に民が喜んでいるかを、その目で確かめる事だって必要なんだ。城に籠っているだけでは、玉座に座っているだけでは、分からない事だってあるんだから…」
「城に籠っているだけでは…分からない事がある…」
「ああ。臣下が『民は貴方の統治を喜んでいる』と言ったってそれが本当の事を言っているとは限らないだろう?だからこそ、美羽が今行っている事は…領主として一番大切な事なんだ。出来得るなら、これからもそれを行い、民草の事を気に掛ける領主になってくれれば、俺も嬉しい」
そう言葉を掛けると美羽は暫く考え込んでいたが、やがて貌を上げると強い決意を込めているのが窺えた。
「…分かったぞ壮也!妾もこれからは勉学や武術に励むし、蜂蜜水も飲まない様に我慢して、いつか母上の様に立派な領主になってみせるぞ!そうしたら…壮也は妾の臣下として支えてくれるか?」
「…ああ、美羽がそんな領主になれたと聞いたら『お嬢様!』っ!?」
美羽がそう問いかけて来るのに対し、壮也は苦笑いしながら答えようとしたその瞬間、そんな空気を破るような声が響いた…。
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壮也が振り向くと、そこには蒼いショートヘアーに紫色の瞳をした、白と薄紫を基調にした装束を纏い、腰に長剣を挿している頭に白い帽子を被った女性が黄色に染められた鎧を着こんだ兵士達を連れてきている。その姿を見た美羽は嬉しそうに声を上げた。
「おおっ、七乃ではないか!」
「お嬢様ぁ!本当にどこに行ってたんですか!?私本当に心配していたんですよ!?」
「うむ…済まなかった。だが外に出ていろんな物や人を見る事が出来た!これからもこうして外に『駄目です』…え?」
自分が心を許していた臣下の拒絶に美羽が呆けた声を出すのに対し、七乃と呼ばれた女性はすらすらと言葉を並び立てた。
「私いつも言ってたじゃないですか?外は危険な事がいっぱいだって。もう…これからは厳重に屋敷から出られない様にしないと…。お嬢様は外の事なんて知らないで過ごしてくれればそれで『それは聊か酷くはないのか?』っ!?」
七乃と呼ばれた女性の一方的な捲し立てに、とうとう我慢ならなくなった壮也は口を挟んだ。
「…俺は所詮赤の他人だ。ここまで踏み込むのは分を超えたものであると承知している。だが敢えて言わせてもらう…!お前の言っている事は余りにも一方的ではないのか?彼女は良い領主になろうと決意したというのに、その決意を否定する様な事を言うのが正しい事なのか?」
「どこの誰かは知りませんが、余計なお世話と言う奴ですよ。見ればわかるでしょう?お嬢様のこの可愛らしさを…なのに外に出歩くなんて事をさせて、世の中の汚さを目に焼き付けて、お嬢様の可愛らしさが消えていくなんてそんな事をどうして許容できるんです?お嬢様はお屋敷の中でいつまでも可愛らしいお嬢様のままでいてくれればいいんです!それもこれも、全てはお嬢様の為を思っての…」
どう見ても美羽を籠の中の鳥と言う感じで独占しようとしか考えていない七乃に対し、壮也は厳しい言葉を言い放った。
「…お前はお嬢様の為、とは言うが…お前のそれは所有欲にしか聞こえないな。お前はその子の親代わりとなって支えて来ているようだが…親の様に接してきたのなら分かるだろう?子は何時かは親の元を巣立つ者。まして今のその子は、今まさに空へ向かって羽ばたこうとする雛鳥…それを子が愛しいからと言って止めさせようとする親鳥がどこにいる?それを見守るのが親と言うものだろう?」
「…黙って聞いていれば勝手な事を!」
壮也の指摘に苛立ちを募らせていく七乃を余所に、壮也は美羽と同じ目線になるくらいに屈むと彼女に言葉を投げかける。
「お前はどうしたい?このままその人の言う事を聞いて屋敷の中で過ごすのもいいし…自分自身の想いを伝えて、外に出るって決めてもいい。決めるのはお前自身だ…美羽」
壮也がそう問いかけたのと、七乃と呼ばれた女性が激しく動揺したのはほぼ同時だった。
「っ!??あ、貴方お嬢様の真名を勝手に!」
「ま、待つのじゃ七乃!妾は壮也に真名を伝えて『いいえ、お嬢様が簡単に赤の他人に真名を授ける訳がありません!』七乃!?」
「気に入らない人と思いましたが…合点が行きました!貴方がお嬢様を唆して連れだしたんですね!?親衛隊!その狼藉者を捕えてください!!」
七乃の指示を受けて、彼女が連れて来たと思われる甲冑に身を纏った親衛隊が腰に差している剣を抜き払うと、壮也に向かって歩みを進めていく。
「や、止めるのじゃ七乃!壮也は妾の…っ!壮也、逃げてくりゃれ!」
美羽の呼びかけに対し、壮也は彼女に向かって顔を向けると、安心させるかのようにほほ笑んだ。そして腰の袋から自分が愛用している大斧の鋼鎌武断を取り出すと…片手でそれを横薙ぎに振り抜いた。その途端…。
ーパキキキィン…。
「「「「「………はっ?」」」」」
「えええええええっ!??」
「おお…っ!」
親衛隊は呆けた様な声を出し、七乃は仰天した様な声を出し、美羽は驚嘆した様な声を上げる。それもそうだ…何せ壮也が振るった大斧はそもそも両手で扱う事を目的とした長柄武器だ。それを片手で振り回すだけでも至難の業だというのに、その片手で振り抜いた攻撃だけで…汝南袁家に仕える親衛隊に支給される刀剣で、良質の鋼で作られている【袁術親衛隊正式採用鋼剣】の刀身を、まるで木の枝を手でへし折るかのように、悉くへし折ってみせたのである。
そして呆けている親衛隊の眼前で斧を最上段に構えた壮也は、それを地面に叩き付ける。その瞬間、地震を起こしたのではないか…と言えるほどの震動と共に大地が大きく穿たれ、大きな坑が出来上がり…その穴から離れた場所に親衛隊の者達が倒れ伏していた…!
「なっ、なっ、なっ…!??」
目の前で起こった出来事と広がる光景に、七乃は頭が追い付かず混乱する一方で、美羽は壮也の武勇のほどを見て興奮しきっていた。
「そ、壮也凄いのじゃ!!だが…兵士達は大丈夫なのか…?」
「大丈夫だよ美羽、吹っ飛ばしはしたけど殺してはいない。さて…俺も言い過ぎたとは思っているが、だからと言って狼藉者と決めつけられた挙句捕えられる、なんて我慢ならないんでな…大人しく退いてもらえるか?」
そう言って壮也は大斧の刃を七乃に向けて構える。
「………っ!」
これに対し七乃は何もできなかった。目の前にいる男は自分が仕えている主君の息女であり、ゆくゆくは自分が仕えるべき主君となる愛らしさと可愛さを持った少女…その少女を唆していらぬ考えを持たせた男を許しては置けないと思っているが、その一方でこの男が生半な武人でないという事を、袁術と自分のため以外に使う気は全く無いが頭脳明晰な彼女には容易に察していたのである。
自分達にとって不利であるこの状況、どうやって打破すべきか…彼女が知恵を巡らせていた時、彼女の後方から馬蹄の音が響いてきた。それと共に目の前で自分に大斧を向けていた狼藉者の男は警戒心を露わにして武器を構え直している…。
それを見て七乃が振り返ると、黄色の戦袍を羽織った灰色の甲冑に身を包んだ黒髪を短く切り揃え、上唇に髭が生えている、手には穂先が「山の字」のような形状(三つの尖り)になっている長柄の武具を持った中年の武人が馬に騎乗して現れ、その後ろからは彼が率いていたと思われる兵士達がいた。
「き、紀霊将軍!貴方如何して…!?」
「そなたが姫様を探しに親衛隊の者共を率いて飛び出したのを見て、配下を連れて参じたのだ。だが…これは如何なる事が起こったのか?」
そう言って紀霊と呼ばれた男性が目の前の光景ー大斧を構えているであろう青年とその前に出来た大穴。そしてその大穴から離れた場所に倒れ、呻き声を上げている親衛隊の姿ーを見て戸惑っているのを目ざとく見つけた七乃は、その男性に捲し立てた。
「き、来てくれてありがとうございます!この惨状もあの大斧を構えた男によるもの!しかもあの男はお嬢様を唆して連れだした狼藉者なんです!紀霊将軍、どうかお力添えを!」
「何…?」
七乃の捲し立てに紀霊は大斧を構えている青年…壮也に対して訝しげな視線を向ける。一方の壮也も現れた武将に警戒を強めていた。
ー…拙いな。この武将、あの七乃って人が連れてきた親衛隊よりもずっと強い!
やがて両者は暫し睨み合っていたが、やがて紀霊の方に動きがあった。馬から降りると、手にしていた三尖刀を構えたのである…。
「…張勲の言葉はどうにも信じられない所があるが、確認しておく。姫様を唆し、連れ出したというのは真か?」
「答えは否だ。寧ろ俺はあの子を…美羽を助けたんだ。なのに狼藉者呼ばわりされて、本当に参っているよ…」
壮也は紀霊の問い掛けに正直に答えた。嘘偽りなどを言うつもりもないし、言う必要もない…そう思ったからこその返答だった。
「……『お、お嬢様っ!?』っ、姫様?」
その時後ろから響いた声に紀霊が視線を後ろに向けると、そこには美羽が七乃の制止を振り切って壮也の前へ行き、彼を護る様に手を広げたのである。
「待つのじゃ紀霊!この者は…壮也は、妾の命を救ってくれた恩人であるぞ!そして妾はこの者に真名を授けるまでの恩義を得た!なのにそなたは、壮也に刃を向けるのか?ならば妾は…汝南袁家が当主・袁逢の娘、袁公路が命じる!直ちに武器を下ろせ!」
「っ!?美羽…!」
その幼い見かけとは裏腹に堂々とした名乗りと共に壮也は強く心を打たれた。それは目の前で構えている紀霊はおろか、美羽を止めようとした七乃すら動きを止める有り様だった。やがて…。
「承知した。姫様の命じるままに…」
そう言って紀霊は手にしていた三尖刀を下げ、片膝を突いて戦意を収めた。だがそれに対し七乃はまだ納得できていなかった。
「な、何をしているんです紀霊将軍!幾らお嬢様が真名を授けたからってこんな得体のしれない…!?」
だがそれ以上の言葉は続かなかった。その喉元に三尖刀の穂先が突き付けられ、そして鋭い目つきを向ける紀霊の姿があったのだから。
「その辺にしろ張勲。そなたは姫様の命に背くつもりなのか?何より姫様がここまで意思を示してまであの若者を護ろうとするのなら、むしろその若者を捕えようとするそなたの方が信用ならぬというもの。観念せよ」
そう突き付けられた七乃…張勲は強い殺気に当てられた為であろう。膝から崩れ落ち、顔は青ざめてガタガタ体は震え続けていた。だが、その七乃に対し美羽…袁術は近づくと、彼女の頭を優しく撫で始めた。
「っ!?お、お嬢様…?」
「七乃、今まで妾によく尽くしてくれた。それが真の忠誠ではなく、私心の入った物であったとしても…な。だが、これからは妾は心を入れ替えて、立派な領主になろうと思う。その為に、そなたも力を貸してはくれぬか七乃?」
「…お、お嬢様ああああ!!うわああああああん!!」
美羽の言葉に、七乃は滂沱の涙を流しながら彼女に抱き着いた。それを見て、紀霊は温かい目でこれを見守り、壮也も武器を下ろし安堵の息を漏らしたのであった…。
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壮也が美羽…袁術らとの間で一悶着があった頃、壮也と再び出会う為に旅をする愛紗は汝南群を訪れる。そこで愛紗は思わぬ旅の供を得る事になるのだが……続きは次回のお楽しみ。
今回登場したオリジナル武将
『紀霊』(容姿・性格はアルスラーン戦記の『カーラーン』を参考にしました!)
袁術の親である袁逢に仕えている武将。忠義心に厚い武人であり、袁逢からは大いに頼みにされ袁術の事を頼むと言われるほどなのだが、張勲によって故意に袁術から引き離されていた。袁術の事を『姫様』と呼んで忠節を尽くしている。
演義において重さ50斤(約11キロ)におよぶ三尖刀の使い手として登場し、関羽と30合あまり打ち合うなど武将としての力量はあったらしいが、袁術が凋落するようになると張飛によって10合余り渡り合った後に討ち取られてしまうなど引き立て役として終わってしまった人物でもある。