早くに更新をしたいと思っていたのですが、足を骨折した祖父のリハビリなどを手伝ったり仕事の出張などで時間を取る事が出来ず、遅れに遅れてしまいました。重ねてお詫び申し上げます…!!
ではどうぞ…!
「良し、杯は持ったなてめえら!!今夜は無礼講だ!黄祖を返り討ちにした戦勝祝いだ!派手に騒ごうじゃねえか!」
孫堅軍の本営。そこにはたくさんの食事が雑多に並べられており、そして将兵らは何れも杯を片手に立っていた。やがて彼らを前にし、同じく杯を片手に持っている孫堅が高々と杯を掲げながら宣言すると、将兵らもそれに応える様にして歓声を上げながら杯を掲げた。
将兵らはそれぞれに食事を味わい、杯を傾けながら互いに戦勝を喜び合う。長らく自分達を苦しめていた黄祖を、命までは奪えなかったもののかなりの被害を与える事ができ、また黄祖の奸計によって自分達の主君である孫堅が絶体絶命の危機に陥ったものの、無事に生還を果たした事を一同心から喜んでいたのである。
そしてその孫堅救出の立役者と言える徐寧…壮也はと言うと、彼らから若干離れた所で酒を傾け、食事に舌鼓をうちながら孫堅軍将兵らの酒盛りを拝見していた…。
「…孫堅殿を助けた事が、俺の知る歴史にどれほどの影響を与えるかは分からないけど、彼らの喜びようを見れば、俺は正しい事をしたんだと、心から思えるよ」
・・・・・・・・・・・・・・
さて、時間は壮也が炎蓮らを救出し、彼女達を真名を交換した頃に遡る。その後壮也は黄祖軍によって引き起こされた落石によって塞がれた後背の道を孫堅軍の兵士達と共にどかしていた。やがて彼らの努力が実り、落石は完全に除去され、再び軍勢が通れるぐらいに開通。
孫堅軍の将兵と、彼らを率いる炎蓮から感謝されつつ共に行軍に参加していた壮也だったが、ふと前方から軍勢が迫っている事を示す砂埃が舞いあがっているのが見えた。
油断なく大戦斧を構えて備える壮也だったが、それを炎蓮が制止した。
「ああ待て待て、あれは敵じゃねえ。オレの軍の奴らだ」
炎蓮がそう言って下馬した直後、壮也の目に映ったのは炎蓮が手勢として連れていた将兵と同じく、真紅を基調とした軍装を纏った将兵と、彼らの先頭に立って馬を駆けさせる、褐色の肌を持つ扇情的な体つきを真紅の戦装束で纏った、炎蓮と同じ薄紫色の髪を持ち、蒼い瞳を持った女性が、同じく真紅の甲冑を纏っているが、それでも目を引く身体つきをし、眼鏡をかけた女性を引き連れて駆け寄ってくる姿だった。
「母様!!大丈夫だった!?」
炎蓮に雰囲気が似ている女性が炎蓮を『母様』と呼びながら馬を彼女の元へ駆け寄せると下馬し、その身に大した負傷をしていないのを確認した彼女は、やがてその蒼い瞳からぽろぽろと涙を流しながら炎蓮を抱き付いていた。
「よかった…本当に、よかった。母様にもしもの事があったら、私…」
「ったく、そんな事は起きねえから安心しろよ雪蓮。…って言うか真耶!てめえいつまで俺にしがみついて号泣してやがるんだ!!」
「だっで、だっでええええええええ…!!!」
抱き着いてきた雪蓮…娘を優しく抱きしめていた炎蓮だったが、一転して雪蓮に先んじて彼女の隣に馬を寄せて下馬したかと思うと、炎蓮の腰に抱き着いて号泣している女性を叱責していた。
だが当の本人はと言うと、もはや恥も外聞も無いという感じで顔をぐしゃぐしゃに歪めながら大泣きしっぱなしであり、もう二度と離れないとばかりに彼女の腰にしがみついているのである。よほど彼女の身を案じていたのだろうと壮也は傍から見て思っていたが…。
「(けど……せっかくの美人も台無しだな)『まあそう思わないでくれ』千冬さん?」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった彼女の顔を見て内心そう思っていた壮也に千冬が苦笑しながら声をかけた。
「真耶はああ見えて心配性でな。大殿…炎蓮様の猪突猛進ぶりを幾度もお諫めしているほどなのだ。今回も出陣前に大将旗が風で折れて倒れた事もあって尚更だったのであろうよ」
「そうだったんですか…」
壮也が千冬とそんな会話をしていると、雪蓮と真耶が引き連れて来たと思われる軍勢から雪蓮らと同じく真紅の戦装束を纏っている、金の光沢を放つ長弓を背負い、薄紫色のポニーテールをした褐色の肌を持つ女性と、刃が波打っている穂先をした矛を手にした水色のロングヘアーをした、白い肌を持つ女性が馬に乗って千冬の方に駆け寄ってきた。
「千冬!無事じゃったか!!」
「本当に良かった…!まあ、貴女なら大殿だけでも生還させる為に戦うとは思っていたけど、まさか一緒に生還していたなんて驚きだわ…!」
「心配をかけたな粋怜、祭。……雪蓮様らが駆け付けたという事は、黄祖の手勢から情報を得たのか?」
「うむ。砦に残っていた黄祖の手勢を捕虜として捕えたのだが、その内の一人が大殿を死地に誘い込んで亡き者にしようとしていた計画を吐いてな。ちょうどその時に雪蓮様と真耶もおって、それを知った真耶の慌てようと気たら凄まじいの一言じゃったわ」
「ええそうね…。『こんな所で油を売っている暇はありません!!直ちに大殿救出に赴くべきです!!黄祖軍の捕虜!?そんなの脚を切り落とした後に楼閣に押し込めて、油をかけて焼き殺しておけば無問題です!とっとと行きましょう!!!』なんて捲し立てていたもの…。雷火様と雪蓮様がやり過ぎだって必死に止めていたけど、あれは止めていなかったら本当にやらかしていたでしょうね」
「…あいつらしいな」
真耶とは古くからの付き合いであった為彼女の人となりを知っていた千冬であったが、まさかそこまで動揺していたとは…そう思って苦笑した千冬であったが、やがて粋怜と祭は自分の隣に馬を寄せている青年…壮也に目をやった。
「ところで千冬よ、そこにおる若者は何者じゃ?中々の面構えをし、かなりの武勇を持っておるようじゃが…」
「ああ、紹介が遅れたな。こいつは徐寧という流浪の武人でな、私と大殿が九死に一生を得る事が出来たのも、この男の奮戦あってこそだったのだ。この者がいなければ…さすがに危うかっただろう」
千冬がそう紹介すると、壮也も拱手をしながら頭を下げていた。
「ご紹介にあずかりました、河東郡の徐寧と申します。お二方は…千冬殿の御同輩でありましょうか?」
「うむ!儂は黄蓋、字を公覆と言う者よ!そうかそうか…お主が堅殿を救ってくれたのか!!いや、実に忝い!!堅殿の臣下として礼を言わせて貰おうぞ!!」
「私は程普、字を徳謀よ。それに千冬や将兵らを救ってくれた事も…本当に感謝しているわ。ありがとう…!」
二人がそう言いながら頭を下げたのを、壮也は手を上げて制止する。
「お二方、頭を上げてください。俺は自分が為したいと思った事を為しただけです。それに『江東の虎』と名高き孫堅殿とは、武を磨く者として是非ともお会いしたかったんです。けれど亡くなられてはそれも叶わないでしょう?」
「……はっはっは!何とも慎み深い男じゃな!他者の命を救った事を誇る事もせず、恩着せがましくもせぬとは!今時珍しい位の男じゃ!!」
「ふふっ、そうね。これは大殿が気に入る訳だわ」
壮也の言動に二人は笑顔を浮かべながら感心すると、二人は互いに拱手をしながら頭を下げた。
「改めて…堅殿を救ってくれた事、心から謝す。その礼と言ってはなんじゃが、お主に儂の真名を預けよう。儂は
「私は
「……真名を授けてくださったからには、俺も真名を返したく。我が真名は壮也、以後よしなに。祭殿、粋怜殿」
そうして孫呉の宿老とも言える二将に拱手をし返した壮也だったが、そんな彼にまたも近づいてくる姿があった。
「貴方が母様を救ってくれた男かしら?へえ…中々の偉丈夫じゃない」
「雪蓮様!大殿の命の恩人に対して無礼ですよぉ!?あっ、これは失礼しました!私は大殿…孫堅様にお仕えする家臣の一人、姓は韓、名は当、字は義公と申します!こちらは孫堅様のご息女の一人で長女の孫策殿です!」
「孫策、字は伯符よ。それにしても母様から聞いたけど、あなた相当な武芸の腕を持っているそうね?それに…」
そう言うと孫策は壮也が跨っている愛馬の黒風に目をやった。
「貴方のその愛馬も相当な名馬ね。夜闇に包まれた谷を飛び越えて向かい側に着地して見せるなんて…実に面白いわ!ねえ徐寧、貴方これから私達の陣地に来るんでしょう?暫く孫呉に逗留する気はない?私、あなたと手合せしたいと思っているの!」
「しぇ、雪蓮様!?いくら何でも無礼にも程がありますよぉ!??」
孫策の物言いに韓当が慌てふためくのを尻目に、壮也は苦笑しながらも拱手をしながら頷いていた。
「それは願ってもないな。江東の虎と称される孫堅殿の長女……その腕前もかなりの物だろうし、少しの間だけど厄介になろうか」
「よし決まりっ!それと母様達が真名を預けたのなら、私もあなたに真名を預けないとね。私は
「わ、私からもお礼を言わせてください!貴方がいなかったら、大殿は今頃…このご恩、我ら孫呉の者は決して忘れはしません!私の真名は真耶って言います!!徐寧さん、誠にありがとうございました!!」
「お二方からの真名、確かに頂戴いたしました。その返礼として俺も真名をお預けいたします。我が真名は壮也…以後よしなに」
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そうして現在、胡坐をかいて杯を傾け、料理に舌鼓を打つ壮也の眼前では孫呉の将兵らが盃を交わしつつ歓喜の声を上げながら互いに戦勝の喜びを分かち合っている。
やがて宴もたけなわとなってきたのか、兵士達がちらほらと野営地のテントに入って眠りにつき始めていき、それはそれを率いる将帥の者達も同様だった。そして……気が付けば野営地は哨戒の任を受け持っている兵卒らが見回っている足音と将兵らの寝息だけが響いている有様となったのである。
それを見て壮也もそろそろひと眠りするか…と考えて立ち上がろうとすると、彼の背後から声を掛けられた。
「あら、もうお開きにするつもり?」
「雪蓮か…その様子だと、まだまだこれからって所か?」
「当たり前じゃない。もう少し付き合ってもらうわよ?」
そう言って声をかけてきた相手…雪蓮は満面の笑みを浮かべながら手にしている徳利を掲げた。
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それから暫しの間…二人は杯を酌み交わし、料理を口に運びながらそれぞれの故郷の話などに花を咲かせていた。
「へえ…貴方華北の出身なの?それも河東郡って事は、并州にも近いって事だから五胡の連中もちょっかいをかけて来るって事だから…成程ね、あれほどの名馬を乗りこなして、千冬も一目置く程の武勇を持つ訳だわ」
「そう言う雪蓮は揚州の出身だったな。長江を初めとした複数の河川を移動する為に船の扱いに長ける様になった江南の民…孫呉の軍は孫堅殿を初めとした武将だけでなく、勇猛果敢な江南の民があってこそあれほどの強さを持っていたんだな。敬意を表したい」
そんな他愛のない話をしていたが…ふと会話が途切れた。壮也が雪蓮の方を見ると、俯いたまま何も切り出さない。そんな雪蓮を見て、壮也は何も口を挟まないでいると…やがて雪蓮が少しずつ切り出し始めた。
「ごめんなさいね、こんな他愛のない話をする為に来たわけじゃないのに。……壮也、改めてあなたにお礼を言いに来たの。ありがとう…母様を助けてくれて」
「いや、別に礼を言われる様な事をしたつもりは『母様は…』…」
「あなたも加勢した時に見たと思うんだけど、母様は戦場…それも血風吹き荒れ、退路も無いような死地にあってこそ生きているんだって言う様な筋金入りの戦狂いでね。けどそんな戦場に飛び込んでいく度に生きて帰ってきて、私達は口酸っぱくして諌めていく一方で…『今回も生きて帰ってくるだろう』って言う安直な思いを抱いていたの。けれど…今回だけは、何が何でも母様を止めるべきだったのかもしれない。例えそれで母様に恨まれたとしても、家族には……生きていてほしかったから」
そう呟く雪蓮の言葉からは、母を…炎蓮を無理やりにでも止めていなければ、そして壮也がその場にいなかったとしたら、きっと二度と会う事が出来なかったのだと分かってしまっているのが感じられた。そう思った壮也は自分が思った事を言葉にしていた。
「いい事だと、俺は思うな」
「えっ…?」
「力こそが何よりも求められるのが乱世と言う物。けれど…家族や仲間、愛する人を護りたいと言う想いもまた必要だと俺は思う。干将莫邪の様な名剣も、鞘が無ければ己自身を傷つける凶器に成り果ててしまうのだから」
「……そうね、私もそう思うわ。ありがとう、私に付き合ってくれて」
そういって雪蓮は立ち上がったのだが…自分が休むであろうはずの天幕ではなく、壮也の隣に腰かけてきた。
「雪蓮?」
「ねえ壮也…私を見て、どんな風に思っているのか教えて?」
雪蓮の問いかけに、壮也は思わず顔を赤らめる。壮也から見て雪蓮は十分魅力的な女性だ。月明かりに照らされる褐色の肌と薄紫色の髪は儚い感じを漂わせ、その蒼い瞳を潤ませながら上目遣いでこちらを見るその表情は、思わず生唾を飲み込むほどに美しい。
そして女性としてはこの上ないほどに魅力的なスタイルをしている雪蓮はその体を自分に預けてきている…はっきり言うと、並みの男であればたちどころに押し倒してしまっていることだろうが、壮也は首をもたげ始めようとしている煩悩を抑えながら苦笑しつつ答えた。
「……生憎、気の利いた褒め言葉が浮かばなくてすまないんだが、美しいと思っている。本当はもっといろいろと言ってほしいんだろうが、これで許してくれるか?」
ところが壮也が言葉を考えて褒めたのに対し、雪蓮はさらに自分の胸元に縋り付くように頭を預けてくる。
「あら…こんな美人がしなだれかかっているのに、貴方は何とも思わないの壮也?据え膳食わねば何とやらっていうじゃない」
「そ、それはそうだが…。雪蓮、自分の身は大切にするべきじゃないのか?」
「……私はね、貴方みたいな男を夫として迎えられたらとても幸せだと思っているわ。母様の命を救ってくれた恩人でもあるし、貴方自身の性格もとても好印象だと思っているの。恩着せがましくもなく義を重んじ、謙虚で誠実であろうとするその在り方がね。それに…母様も零していたのよ?『あれほどの男はそうは現れねえ。何とかあの男を孫呉に迎え入れて、その胤を貰い受けたいもんだ!』って」
「そ、孫堅殿がかっ!?」
「そうよ?けれど…母様の指示がなくても、私は貴方を夫として迎えたいと思っているの。だってあなたとこうして言葉を交わしていく中で、貴方の事を好いてしまったのだから…貴方は、どう思っているの?」
「……っ!」
そう言いながら自分の体に手を当てゆっくりと地面に押し倒してきた雪蓮に壮也も動揺を隠せないでいた。頬を赤く染めながらも瞳を潤ませながら自分にしな垂れかかってくる彼女は、男であるのなら僅かばかりの我慢すら出来ず肌を重ねてしまう事は間違いない事だろう。
現に壮也自身、彼女に心惹かれてもいた。正直このまま押し倒されたままで為すがまま…というのは、男としては恥ずかしすぎるというべきものだ。そう思い、力を入れて雪蓮を逆に押し倒そうとして。
ー壮也。
不意に脳裏に浮かんだのは、郷里で幼い頃から共に苦楽を共にし、愛おしいという思いを持ちながらも彼女を罪人にしないが為に自ら咎人になってまで護った……愛紗の笑顔だった。そこからの壮也の行動は迷いがなかった。
雪蓮の肩に手をやって起き上がりはしたものの、それ以上は何もせず雪蓮に背を向けて座ったのである。これには雪蓮の方が困惑していた。押し倒したはしたもののただ為すがまま…と言う訳ではなく、自分の肩に手をやったから逆に押し倒してくれると思っていたのに、上半身を起こした後は自分に背を向けて座ったままになったのだから。
「そ、壮也…?」
「すまない雪蓮。君が俺の事を好いてくれる事は、正直に言うと嬉しく思ってる。男としてその好意に答える事が責務だとも思っているが…君を悲しませる事を分かっている上で聞いてほしい。君の好意に、答える事は出来ない。ここで君の好意に答えたとしたら…俺は、俺自身が最初に愛おしいと思っていた彼女への……愛紗への思いを、裏切ることに他ならないんだ。だから…済まない」
雪蓮に背を向けながら心中を吐露した壮也だったが…雪蓮からの返事は来ない。壮也は溜息をつきながらなんとなく理解していた。『誰かに好きだと、愛しているという想いを伝えることは並大抵の覚悟を持って行うと言う事を』…。そしてそんな告白を、雪蓮を傷つけないようにと言葉を選んで伝えたつもりであっても拒絶してしまった自分に、雪蓮は当然怒っていることも感じ取っていた。
彼女を傷つけてしまった償いをしなければならない。そう思った壮也は一回だけ深いため息をつくと雪蓮から平手打ちを…もしくは握り拳からの一撃を食らうのも覚悟して振り返ったのだが。
そこで壮也の目に飛び込んできたのは………まるで子供が不満そうにする様に頬を膨らませている雪蓮の姿であった。
「……え、えっと。雪蓮?」
「…ブゥーブゥーブゥゥゥゥゥゥ!壮也のバカ!意気地なしー!」
戸惑う壮也に対し、雪蓮は頬を膨らませながら壮也を小ばかにするような野次をひとしきり飛ばすと、そのまま駆け去って行ってしまい、壮也は走り去っていく雪蓮の背中に手を伸ばしたまま固まったまま動けないでいた…。
・・・・・・・・・・・・・・・
「……はあー。なんであんな事言っちゃったのかしら。壮也、傷つけちゃったかしら…」
一方壮也の元から走り去った雪蓮は、野営地から少し離れたところを川が流れており、その川原に立ち止まったかと思うと軽い自己嫌悪に陥っていた。酒の勢いも多少はあったのだが、自分が壮也に対して誘惑をかけた時にかけた言葉には一切の偽りがなかった。自分や妹達の母親であり、孫呉の当主でもある炎蓮を救ってくれた恩人でもあるし、酒を酌み交わしながら歓談をしていく中で彼の人柄…『義を重んじ、他者の窮地を見過ごさず、しかしそれを恩着せがましくもしない謙虚であり、誠実さが感じられる』所もとても魅力的だった。
恐らく孫呉に賓客として歓迎したのであれば、母は間違いなく自分達に『あの男と誼を通じ、機を見てあの男の胤を得ろ』と命じてくるのは明白だったから、先んじて彼と結ばれる事もいいと本気で思っていた。そして酒の勢いも後押しして彼を押し倒し既成事実を作ろう…そう考えていた彼女の目論見は、失敗に終わってしまう。
押し倒した直後、壮也も自分の肩に手を置き、そのまま押し返して来たから彼もその気になってくれたと思ったのに、彼はそのまま自分に背中を向けたまま何も行動を起こそうとせず、自分には他に好きな人がいるからと断ってきたのである…。これに雪蓮はかなり落胆していた。
あれほどまで誘惑し、想いをぶつけたというのにまさか会った事もない彼の想い人への恋慕に後れを取られるなど予想外にもほどがあったのだから。
「…うう、明日から顔を合わせづらくなるわね。あんな事を言われちゃあどんな顔して彼と接すればいいのよ?『よお雪蓮』っ!?か、母様…」
唐突に声をかけられた為、雪蓮が声がしたほうに顔を向けるとそこには河原で腹心である千冬と共に晩酌を楽しんでいるのか、孫堅こと炎蓮が胡坐をかいて杯を傾けていた。
「ちょうどいい時に来てくれたじゃねえか?今千冬と二人で晩酌としゃれ込んでいたんだが、お前も付き合えよ」
「………分かったわよ」
母である炎蓮の呼びかけに雪蓮も頷いて隣に座り、千冬が酒瓶を杯に傾けて酒を注ぎ、二人は暫く杯を傾けていたのだが、やがて千冬が問いかけた。
「…雪蓮様、振られましたかな?」
「っ!?…何で分かったのよ?」
「傍から見れば容易に窺えますぞ?」
「ほお…壮也に惚れて、その子種を得ようとしたってか。けれどまさか振られるとはな、一体なんて言われて振られたんだ?」
炎蓮にせっつかれた雪蓮は最初こそ黙っていたのだが…やがて溜息をつくと語り始めた。
「……『君の想いはとても嬉しく思うし、それに応えてあげたいとも思っているが、ここで君の想いに応えたとしたら、俺は、俺自身が最初に愛おしいと思っていた彼女への……愛紗への思いを、裏切る事に他ならないんだ』って。はあ、本当に残念だわ。本気、だったんだけどね」
「へえ…」
雪蓮の言葉に炎蓮は感心していた。自分には孫策・孫権・孫尚香という三人の娘がおり、親の目から見てもいずれも自分の血を引いているからか美人で街を歩けば10人中10人が思わず振り返るほどだ。ましてそんな美人が胸元に縋り付いて告白をし、押し倒してきたとなれば…波の男であれば十中八九、そのまま閨を共にしてしまう事だろう。
なのにあの青年は…自分にとっての恩人である壮也はそんな獣欲に溺れる事もなく、自らの煩悩を抑えつつ告白をしてくれた事を嬉しく思いながらも想い人を裏切ることはできないと謹んで断りを入れたというのである。
「……中々の御仁ですね。姫様の誘惑を間近で味わいながら毅然とした態度で撥ね退けるなど」
「ああ…想い人だけを愛しぬこうとするか。いいねぇ、今どきの男にしちゃあ珍しいぐらいに一本気な好漢って奴じゃねえか!ますます気に入ったぜ!はっはっは!!」
「…そんなに娘が振られた事が面白かったのかしら、母様?」
そういってジト目でこちらを睨んでくる雪蓮を見て、炎蓮も両手をあげお手上げという感じで話をやめた。
「あーあー、悪かったって。……それとは別の話になるんだが」
「何よ?」
「壮也の事だが…あいつの名乗った名前だが、恐らく偽名か何かじゃねえのか?」
炎蓮の言葉に三人の間は沈黙が支配していた。やがて…雪蓮が疑問の声を上げる。
「偽名って…本当の名前を隠しているって事?」
「まあそう言う事だ。オレの勘、だがな」
炎蓮がそういうと、千冬も疑問を投げかける。
「…ならば、彼は一体何者なのでしょうか?」
「さあな。本拠地に戻ったら
「ええ、分かったわ。祭や粋怜、真耶にはこの事を知らせておいた方がいいかしら?」
「それは私の方から知らせておきましょう。姫様らはその事を考えず彼と交友を深める事に専念してくだされば宜しいかと」
「そうね…じゃあそう言う事にしましょうか」
こうして、壮也の与り知らぬ所で彼の正体を探ることが決定されたのであった…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
孫呉の本拠地で暫し羽を休める事になった壮也。そこで過ごす中で孫呉の将らと交友を深めていたが、ある騒動に巻き込まれる事になる…続きは次回の講釈で。
ここまでお読みいただき誠にありがとうございました…。では、次回をお楽しみにしてお待ちくださいませ。
またコロナの流行が続いていますので、どうかみなさん3密を避け、健康管理には気を付けてくださいますよう。