あれからかなり時間が経ってしまった事、心から謝罪させていただきます。仕事で小笠原への出張などが重なり、作品投稿が遅れてしまった為ここまで時間がかかってしまいました…。
何とか今回執筆が終わり投稿する事になりましたので、拙作をお待ちくださった皆様には、改めてお詫び申し上げます…!
ではどうぞ…!
……三国志において仇敵という関係で結ばれた武将はかなり多い。
有名どころでいえば蜀漢の五虎大将の一人に列せられ、羌などの異民族からは『神威天将軍』と呼ばれ恐れられた『馬超』は三国志演義において父である馬騰と弟である馬休・馬鉄を曹操によって殺された事で彼を仇敵として追い求め、劉備は義弟である関羽を孫権の裏切りによって討たれ、さらにもう一人の義弟である張飛を闇討ちした范彊・張達が孫呉に逃れた事を知ると諸葛亮や趙雲の説得を退けて孫呉を滅ぼそうとするも孫呉の俊英である陸遜の策謀によって敗北を喫した。
また曹魏においても曹操が『我が悪来』と称するほどの豪勇を持ちながらも、最後はその曹操を闇討ちしようとした張繍から落ち延びさせる為に奮戦した末に立ち往生をした典韋や自身の嫡男でもあった曹昂の仇を討とうと軍を興したし、後年には自らの従兄弟である夏侯淵を漢中攻防戦で劉備らによって討たれた事に激怒して軍を興した事も有名である。
そしてそれは孫呉においても変わらない事である。孫堅を討死させた黄祖をその子である孫策や孫権が仇として追い求めたのもそうだが、それ以上に有名なのが甘寧と凌統の遺恨関係である。
この頃甘寧は最初に仕えていた劉表が文弱の徒であり、賊上がりであった自分を疎んでいた事を察してその元を離れていたが、やがて夏口の地を統治していた黄祖に仕える事になった。その頃黄祖は孫堅の息子である孫権と戦って敗北しており、その窮地を救うために奮戦していた時に追撃をしてきた武将を矢を放って射殺した。これが凌統の父である凌操だったのである。
その後、甘寧は同じく黄祖に仕えていた同僚である蘇飛が、黄祖に重く用いられる事が無かった甘寧を孫呉の領地に近い邾という土地の県長に任じた事で、甘寧は孫呉へと渡り孫権に仕える事になったのであるが…当然この事を、父を討たれた凌統は受け入れられる訳がなかった。
ある酒宴の時、凌統は剣を持って舞を始め、これを見た甘寧は双戟を手に舞を始めた。この二人を見た呂蒙は凌統が父の仇である甘寧を殺そうとし、それを甘寧が迎え撃とうとしていると察し、剣と楯を持って2人の間に割り込んだ。酒宴はお開きとなったのだが、呂蒙からこの事を聞き及んだ孫権は甘寧を半洲という地に駐屯させる事で二人を争わせないようにしたほとだった。
そして凌統が甘寧を父の仇として恨み続けてはいたが、やがて合肥・濡須口の戦いの中で甘寧が凌統の危機を救う事で凌統も長年の恨みを捨て、甘寧と深い友誼を結ぶことになったのだが…。この外史においては、いまだ両者の仲は穏やかではなかった。
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長沙の町の外れにある小高い丘。そこで凌統は純白の鉢巻を頭に巻き、得物である弧刀を握りしめながら瞑目していた。いずれ来るであろう父・凌操を討ち取った仇である甘寧と干戈を交え、けじめをつける為に。
その姿を立会人として見届ける事になっている壮也と蓮華は複雑な表情で見つめていた…。
「…蓮華、その話は本当なのか?」
「ええ…私も最初は信じられなかったわ。けど思春が嘘偽りを言う訳がないし、たぶん本当の事だと思う」
「…数奇な運命というべきなのだろうな。…っ、どうやら来たようだ」
壮也がそう呟くのと同時に、弧刀の鞘を持つ手に力のこもった凌統の眼前に、甘寧が姿を現した…。
「来たか、甘寧。…ここに来た以上、覚悟は決めてきたようだな」
「…無論だ。私自身、お前との怨恨をこれ以上引き摺る訳にもいかないと思っているのだ。私達の怨恨を、この孫呉の禍根とせぬためにも」
凌統が口火を切ったのに対し、甘寧…思春の告白が響き渡るが、それを聞いていた凌統の目には強い怒りがこもっていた…。
「…禍根とせぬ為にも、か?よくもその様な事を言えたものだな?お前を追い詰めた我が父を矢で射殺しておいて…!!」
「………」
凌統の怒号が思春にぶつけられるが、思春は黙したまま何も語らない。だが彼女を傍近くに仕えさせている蓮華は、思春の心中を嫌でも感じ取っていた。
ー思春は…凌統が知らない何かを、この場で伝えたいと思ってこの決闘を受けたのだと。そして凌統の怒りをぶつけられる度に、本当の事をすぐに口に出来ない事をもどかしいと思っているのだという事も。
だが、それを口にする事はしない。それを口にするのは、当事者である思春の口からでしかないのだから。やがて一通り怒りをぶつけて多少は落ち着いたのか、凌統はまるで駆け出さんとするかのように屈み、手にしている弧刀を腰に添える様に構える。
これに思春もまた腰に差している得物である『鈴音』を引き抜き、まるで柳を髣髴とさせる様な自然体に構えた…。
「…これ以上の問答は無用だ。私たちは武人、ならば!」
「ああ。互いの武をぶつけ合い、語るとしよう…!!」
そう言い放った二人は、暫し睨み合っていたが…やがて風に吹かれて飛んできたのか一枚の木の葉が二人の前を横切った…その瞬間、二人は矢が放たれた様に一気に討ちかかった。
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戦いが始まってから一刻ほど経っただろうか?しかし二人の戦いぶりは収まるどころかより激しさを増していた。片や鈴音と呼ばれる曲刀を振るい、『蝶の様に舞い、蜂の様に刺す』という言葉通りの一撃離脱を重視した戦いを行う思春。だが、思春の戦い方は彼女と対峙している椿…凌統に対して苦戦を強いらされていた。
壮也は、凌統の戦い方が生前に過ごしていた日本という土地で生み出された独自の剣術…『居合術』である事を察していた。相手が自身の間合いに入ってきた瞬間、鞘に収めている弧刀を抜き放つと同時に斬りつける…凌統はその剣術を以て思春と互角以上に切り結んでいた。
いや…むしろ思春より僅かに上回っていたのだ。それというのも、思春が時に自身の気配を悟らせない様に移動しながら近づいたとしても、あろう事か凌統は思春が近づいてきたのを感じ取れるのか、即座に彼女のいる方に向きながら抜刀術を繰り出すのである。
それはさながら凌統自身が中心となって円を描くかのような居合の技…はっきり言って壮也からすれば凌統の戦い方は、思春にしてみればかなり相性が悪い相手だった。まるで円月を描くかのような軌跡をなぞる居合の技を放つ凌統に対して、思春は近づけられないのだから…。
「くっ…!?」
旗色が悪いと察した思春がいったん距離を取ろうと後方に跳んだのだが…。
「逃がさんっ!」
それを見逃す凌統ではなかった。彼女は即座に駆け出し、彼女に付かず離れずという距離に来ると即座に居合を放つ。その攻撃を即座に防いだ思春であったが、間髪入れず凌統が放った居合の連続攻撃に致命傷ではないが少しずつ手傷を負い始めた。
「思春っ!」
その光景に蓮華は驚きを隠せなかった。思春の強さは自分が戦った事もあり熟知していたのだが…それに対し、凌統は彼女を苦戦させるまで追い詰めて見せるほどの強さを持っていた事を初めて知ったのである。一方の壮也はこの後の戦況を推移し始めた。
「…まずいな。このままだと思春が圧倒されるかもしれない」
「壮也!?それはどうして…」
「簡単な事だ。思春は文字通り高速で動いて相手を翻弄し、隙を見て必殺の一撃を叩き込み即座に離脱する。それが思春の戦い方の特徴だ。けど対する凌統は…反撃に重きを置いたものになっている。幾ら隙を見て切り込もうにも即座に反撃に移られては、攻撃が届かないのも道理と言えるな」
「………っ!」
「何より…得物の長さが違う。思春の得物である鈴音の刀身に比べ、凌統の使っている弧刀はそれよりも刀身が長い。思春の方が攻撃速度が速いだろうけど、凌統はその速度に付いて行けている。となれば…得物の長さで劣っている以上、思春の苦戦は免れない」
「そんな…」
壮也の的確な指摘に蓮華は返す言葉もなく黙り込んでしまう。だが、そんな時二人の戦闘に変化が見られた。凌統の攻撃を後ろに飛び退いて回避した思春が、手にしていた鈴音を鞘に収めたのである。
「何のつもりだ甘寧?自らの得物を鞘に収めるなど…大人しく首を差し出す覚悟が出来たのか?」
「いや。今のままではお前に勝つ事が出来ないと思ったのでな…得物を替えさせてもらう」
そう言うと思春は…腰に下げていた得物を取り出す。それは、壮也から借り受けていた『壊軍分銅』と銘打たれた鎖分銅だった。
「っ!?あれは、壮也から借り受けていた鎖分銅!?」
「そうか…!あれなら凌統の得物である弧刀よりも範囲が広い。それに…!」
壮也が確信めいた言葉を漏らした瞬間、思春は手にしている鎖分銅を思いっきり振り回し始める。鎖の先に取り付けられた分銅が遠心力が加わって凄まじい風切り音を周囲に響かせ…そして勢いのついた分銅を、思春は凌統めがけて投げつけた!
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「っ!??」
思春が分銅を投げつける直前、凌統は猛烈な悪寒を覚えた。凄まじい風切り音を響かせて回転している分銅…あれが放たれたとしたら?そう思った瞬間、彼女は即座に動いていた。
投げつけられた分銅…いつもなら凌統は居合の構えで迎え撃つつもりだったのだが、この時の彼女はそうではなかった。あろう事かなりふり構わずという感じで横に飛び退いて躱したのである。その途端、彼女が立っていた場所に分銅が叩きつけられた途端、大きな音が響き渡るのと同時に地面が大きく抉れていた…!!
「つぅ…!出鱈目なっ!?」
「そうだな、私もそう思っている。だがこの鎖分銅、驚くほどに私の手に馴染むのだ。使った事も無いにも拘らず…なっ!」
その威力の程を見て動揺を隠せない凌統に、思春は不敵な笑みを浮かべ、再び鎖分銅を回転させながら向かっていく。
これに対し凌統は即座に林の中に移動した。鎖分銅という得物の特性上、木立の中に踏み込んだが最後、木の幹などに鎖が絡まってしまう可能性がある。後は隙を見計らって林から飛び出して攻撃を加え、再び林の中に避難する…時間こそかかるだろうがこれが最善の方法だと思ったのだ。
だが……凌統はこの直後目を瞠る事になる。林の中に陣取った凌統に対し、思春は確かに踏み込もうとしなかった。ここまではよかったのだが…。
「ふっ!!」
次の瞬間、思春は回転させていた分銅を猛然と林の中にある樹木めがけて投げつける。放たれた分銅は…林の中に乱立する木の幹を、抉っていたのだ。
「っ!?」
しかもそれだけに留まらなかった。思春は即座に分銅を引き戻したかと思うと再び回転させ、またも分銅を林の中にある樹木めがけて投げつける…これを繰り返し始めたのだ。その威力は先ほど見たような木の幹を抉って見せたものもあれば、若干細い感じの幹をへし折るほどの一撃を齎してもいた。
このままでは陣取っている林という地形の利便性が失われる!そう直感した凌統は即座に攻撃に転じる。思春が分銅を引き寄せたのとほぼ同時に林から飛び出し、思春にとびかかりながら居合を放ったのである。
「取った!これで決めさせてもらうぞ、甘寧!!」
凌統は我知らず叫んでいた。それは、凌統が自身の父である凌操との鍛錬の中にあっても放つ事の出来なかったほど、見事な太刀筋の一刀だった。これが決まれば確実に思春の命を奪う事が出来るであろうその一撃は…。
ーキィンッ!
届かなかった…!凌統が放った、二度は出せないと思えるぐらいの会心の一撃は、思春が分銅を引き戻した直後、まるで自身の目の前で回転させる事で生み出した防御を以て弾かれたのである。そして間髪入れずに思春は再び猛然と頭上で分銅を振り回し、弾かれた事で体勢を崩した凌統に向かって投げつける!
これに対し凌統が出来た事と言えば、とっさに自身の得物である弧刀を鞘に収め、そのままそれを盾にして防ぐ事だけだったが……如何せん無理があった。ぶつかった瞬間鞘に収まった弧刀から何かが軋む様な嫌な音がしたかと思った直後、彼女は後方に弾き飛ばされ地面に転がってしまう。
そして再び起き上がって自身の得物に目をやり…愕然とする。父より受け継いだ『暁』と銘打たれた弧刀は甘寧が放った分銅の一撃から凌統を護り切っていたが、その代償に鞘は砕け散っており、刀身も歪んでしまっていたのである。
その瞬間、凌統の首元に思春が得物の片割れである『鈴音』の刀身を突き付けていた。恐らく吹き飛ばした瞬間に、得物を持ち替えていたのだろう…。
「……私の勝ちだ、凌統」
「…ああ、口惜しいが認めるしかあるまい。私の負けだ、甘寧…!」
その宣言により、この戦いは終結する事になった…。
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戦いが終わり、蓮華が思春に駆け寄り傷の心配をしている一方で、凌統は砕け散ってしまった愛刀の前で膝をつき…やがて右手を握りしめると地面を殴りつけていた。
「くそっ…!」
何度も地面に拳をぶつける凌統の目には、悔し涙がこぼれ続けていた。その姿に、壮也には欠ける言葉が見つからないでいた。今ここで何を言ったところで…彼女には届かない事が分かってしまったから。
だが…やがて思春が凌統に近づくと、再び地面を殴りつけようとした彼女の腕をつかんでいた。その拳は血に塗れており、恐らく止めなければ間違いなく片手は使い物にならなくなっていた事だろう。
「もうやめろ…それ以上は腕を壊す事になる」
「黙れ…!父の無念を晴らしたい、それだけを願って私は修練に明け暮れてきた!それが叶わない今となっては、私は何のために今ここにいるというのだ…!!」
腕を掴んで諌める思春に対し、凌統は悲痛な叫びを彼女にぶつける。敬愛していた、そして超えるべき目標でもあった父を突然失い…悲しみに暮れる暇もなく、仇であるはずの彼女が孫呉に降った事で同輩として接するように言われた時は、激情に飲まれその場で抜刀しようとしたほどに、甘寧の事を恨んでいたのだ。
その後も甘寧を付け狙い、復仇の機会を窺っていたが…その一方でこのままではいけないと思ってもいた。仇敵と付け狙い、主君からの名を守らないでいれば…孫呉の中に不和の種を撒き続ける事にも繋がりかねないのだから。
もはや怒りと悲しみがない交ぜになったかの様に、顔をぐしゃぐしゃにしながら涙を流す凌統…だが、やがて思春が静かに語りかけた。
「…凌統、お前に言わねばならない事がある」
「何だ…!!お前の言葉など聞く耳は『聞けっ!!』っ!?」
どうせ慰めの言葉でもかけるのだろう…そう思い、耳を貸そうとしないでいた凌統だったが、それは甘寧の普段の彼女からは想像もつかないほどの、激情を込めたような叫びを聞いた途端吹き飛んでしまう。
そして戸惑いながらも自身に顔を向けてきた凌統を見て、思春は一息つくと、彼女は今まで凌統に伝えたくて…しかし凌統自身が自分を仇として付け狙ってきたがゆえに、伝えられなかった事を吐き出した。
「…私は、お前の父凌操を、手にかけてはいない」
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「………はっ?」
その言葉を聞いた途端、凌統は一瞬自分の耳がおかしくなったのかと本気で思っていた。そして次の瞬間、彼女は思春に問い詰めていた。
「ふ、ふざけるな!!何を言うかと思えばそのような嘘偽りを『嘘ではない!!!』っ!」
だがその詰問は、またしても思春の一喝によって阻まれる。そして黙ったのを見て、再び思春は言葉をつづけた。
「…今から、あの時の事をすべて話す。私が蓮華様に敗れるより以前に、私に敗北を味あわせた…誰よりも強く、そして敬服した男の事を」
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益州巴郡、臨江県。そこが思春の、甘寧の生まれ故郷だった。彼女は当初蜀郡の丞に任じられていたが、役人の腐敗を目にし、このまま役人として仕えていても世を変えられないと考え官を辞し、やがて自分と同じように世の腐敗を憂い、しかし暴れるしか取り柄のなかった不良達を集め、『錦帆賊』と呼ばれる組織を立ち上げる。
その後自分が仕えるに値する主君を求めて長江を下り、荊州を統治していた劉表の元に身を寄せたのだが…彼女はその性格が温厚で荒事を好まない性根であり、文を重んじる一方で武を軽んじるところがあった。何より荊州の平穏を重んじる一方で他国が乱れているにも拘らずそれを鎮めようとしない惰弱なところを、思春は嫌悪するようになっていた。
その為荊州を離れ、さらに長江を下ろうとしていたのだが…その途中にある夏口に劉表の配下であった黄祖が駐屯していた為、仕方なく彼女の元に身を寄せたが、ここも思春にとって心地の良い場所ではなかった。黄祖自身が思春に対し、主従以上の執着を見せていたからだ。
まるで自分の事を蒐集物の様に見てくる黄祖に息苦しさを覚えていたある時、思春は当時荊州南部で反乱を起こしていた区星という人物の鎮圧を命じられ、それを為した事で長沙の太守に赴任された後に地盤を固め始めていた孫堅との戦に駆り出される。日頃の鬱憤を晴らそうと考え、戦場に出た思春は…そこである武人と刃を交える事になる。
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長江に浮かぶ船上において、思春はとある孫呉の将と干戈を交えていた。常に揺れが襲ってくる船上の戦いにも拘らず、思春は目の前に立っている孫呉の将の実力に戦慄していた。
速度で翻弄して斬りかかる…これを幾度もなく続けている思春の斬撃を、彼は動じることなくその全てを迎撃していた。しかも、鞘に収めている細身の刀身をしている刀を抜き払った瞬間に斬りつけると同時に即座に鞘に収めるという、思春にとっては見た事も無い剣術で!!
やがて動き続ける事で疲労が溜まっていた彼女は、とうとう満身創痍となって膝をついた。それを見て、相手は悠然と思春に近づいていく。
「……止めを刺すがいい。最早指一本、動かす事もままならん。生き恥を晒すつもりはない、早くやれ」
だが…自身の前まで近づいた孫呉の将である男は、刀を抜く事もせず語りかけていた。
「…惜しいな。それだけの武を持ち、これだけの水賊を束ね纏めるその将器。それをあっけなく捨てるつもりか?その才、我が殿の元でより輝かせるつもりはないか?」
「っ!?なん、だと…私に生き恥を味わえというのか!!」
思春は止めを刺すどころか平然と降る様に言ってくる目の前の男に気炎を上げるが、男は染入るような微笑を向けながら語りかけた。
「武人たるもの、生きて名を遺してこそ本懐という物だろう。それに今お前が仕えている黄祖という女、お前にとってはあまり居心地の悪い主君ではないのか?我が主君、孫堅殿は粗にして野だが非に在らずと言うべきお方。何より才ある者が思う存分、働けるように計らってくれる人物でもある。自分を縛りつけるような狭量な君主と、自分が思う存分動けるようにしてくれる主君…お前はどちらに仕える事が望みだ?」
まるで自分の今の状況を見透かしているかの様に問いかける男に、思春は返す言葉もなく黙り込む。やがて…目の前に立っている、黒の長髪を後ろで束ね、真紅の甲冑を纏った孫呉の将は…ゆっくりと手のひらを差し出していた。
「もし降るというのなら、俺が殿の元に案内しよう。…俺は凌操。孫呉の宿将を務めている男さ」
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甘寧の、思春の語りはなお続く。あの時、あの船上にて何が起こっていたのか。そしてそれを知った時、凌統の胸中に飛来するのは…続きは次回の講釈で。