黒山賊の降伏によって自身の喉元に突き付けられていた刃が無くなり、憂いが無くなったと察した漢王朝。
その漢朝において妹が現在帝位についている劉宏の妃となった事で大将軍に任じられている何進の号令により、黄巾討伐の勅令が諸国へと齎された…。
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何進からの命を受けた曹操は股肱の臣と言うべき夏侯姉妹と曹仁、曹洪、曹純ら一族の者達。『我が張子房』と呼ばれた腹心である荀彧と…彼女の下に仕える事となった『天の御遣い』こと北郷一刀と共に黄巾党討伐を命じられ、黄巾を戴きながらも救民を掲げる『黄巾軍』と、それとは反対に同じ黄巾を戴きながら、飢えた獣の如くに貧しき民草にも手を出す事を厭わない『黄巾賊』との対立に揺れる潁川に向けて出発。
そして曹操率いる軍は大将軍である何進から先んじて出兵を命じられていた皇甫嵩と朱儁らが陣取っている潁川郡は長社県に到着したのである…。到着した曹操らは直ちに陣の構築を始める事となり、一刀もまた春蘭や秋蘭。そして真名を交換する事となった曹仁こと華侖、曹純こと柳琳、曹洪こと栄華らと共に奔走する事となった…。
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「ふう…漸く終わったみたいだな」
やがて陣の構築もひと段落つき、一刀は一息入れようと曹操軍も加わっている漢軍の本陣を一望できる小高い丘の上に足を運んでいた。そこは周囲を見渡す事もでき、心地よい風も時折吹いてきていたのだが…丘の上が視認できるようになった時、一刀はすでに先客が来ている事に気づいた。
「…?あれは…」
そこにいたのは水色に染め、首元を青に染め上げた鳥の羽の装飾が目に留まっている服装を纏い、ブロンドのミドルヘアーを後ろで束ねた髪形をし顎髭を生やしている、空色の瞳を持つ優し気な風貌の男性だった。その腰には見事な装飾が施されている剣が携えられている事から、恐らく何処かの将軍だろうと一刀は思っていた…。
「おや…?君は?」
「あっ…は、初めまして。俺は北郷一刀って言います!」
やがて一刀の視線に気づいたその男性がこちらに声をかけて来たので、慌てて一刀が(桂花らから教わった)拱手をしながら頭を下げつつ名乗ると、その男性は穏やかな笑みを浮かべながら頷きつつ答えた。
「ははは…その様に畏まらなくとも構いませんよ。今は戦時でもないのです、緊張せずとも結構ですから」
「す、すいません…貴方はここで何を?」
一刀が問いかけると、その男性は眼下に見える本陣を見ながら答えた。
「どうにも戦の始まる前の空気と言うのが息苦しくなってしまいましてね…気分転換をしようと思ってここに来たのですよ。…曹操殿もここに来ているようですね」
「っ!か……曹操殿を知っているのですか?」
その男性の呟きを耳にした一刀が、思わず曹操の真名である『華琳』の名前を出そうとして…すぐさま『見知らぬ誰かの前で真名を出すようなことをしてはならない』と荀彧こと桂花に口酸っぱく言われた事を思い出し、訂正しながら問いかけていた。
「ええ。彼女が洛陽において北部尉に任ぜられていた時の活躍は一時期洛陽でも知らぬものがないほどでしたから。…あの十常侍の一人である蹇碩の叔父を、夜間通行の禁令を犯したと言って躊躇する事なく処罰したのですからね(クスクス)。おっと…どこで誰が聞き耳を立てているか分からないですから、ここだけの話にしてくださいね?」
「あっ…はい、大丈夫です!(見かけ通りと言うか…何だか安心できる空気を纏っている人だなぁ)」
一刀はそう思いながら、目の前で華琳の活躍を思い返したのか愉快そうに含み笑いをしつつ、慌てて周囲を見回しながら口止めをしてきた男性に親近感を感じながら見守っていた。
「ああ、安心してください。彼女の真名も伝え聞いているので」
「そ、そうですか…。良かった、じゃあ俺も一刀で構いませんよ?」
そうして暫く当たり障りのない話に花を咲かせていた一刀達だったが…やがてその男性は静かにこう問いかけて来た。
「一刀君、だったね?君は…もしかすると初陣かね?」
「は、はい。どうして分かったんです?」
「こう見えて私も官軍の将軍ですからね。何より…君を見ていると初めて戦いに出る事への高揚感と、命を奪う事になると言う現実に対しての緊張感を痛いほど感じられた物だから、ついね…」
そう言いながら男性は本陣の外…起こるであろう戦いが待ち構えている地平線に目をやっていた。それを見た一刀もまた、静かに問いかけていた。
「…貴方も、戦いとかが好きではないんでしょうか?…初めて見た時、何だか戦いその物を疎んでいるような感じがしてたんです」
一刀の問いかけに、その男性もまた困ったような顔をしながら答えていた。
「…そうですね。正直に言えば、私も戦いは好きと言う訳ではありません。何より今回の戦いは…元を辿れば朝廷の腐敗から端を発したようなものですからね。そうして立ち上がった黄巾党も、純粋に民草を救いたいと言う想いで立ち上がった黄巾軍と、我欲のままに動こうとする黄巾賊によって分裂してしまった…。将軍としては、分かってしまうんです。この戦いで黄巾党を討伐したとしても…国は良くならないのだという事が。…一刀君、君はどう思っていますか?」
男性の寂しさの籠った独白を聞いていた一刀であったが男性からの問いかけを受け、静かに目を瞑って考えていたが…やがて眼を開いて答えていた。
「俺も…よくはならないと思っています」
「…どうして?」
「俺の事を迎えてくれた人…華琳が言っていたんです。『今、この天下を統べている漢王朝はもはや枯れ逝こうとする大樹にも等しいわ。いずれ遠くない未来、漢王朝は斃れて乱世となるでしょうね』って…貴方の言う様に、今回朝廷が討伐軍を発して黄巾党を征伐したとしても…朝廷その物が良くならない限り、きっと同じことが起こり続けると思っています」
「…すると君は、今の朝廷にはこの天下を安んずる事は無理と、思っているとみていいのでしょうか?」
一刀が華琳から言われた事を思い起こしながらこれからの推移を口にすると、傍にいた男性の目に強い敵意が現れたのを感じ取った。当然だろう…何せ官軍の将軍である以上、今一刀が口にした事は紛れもなく不敬罪として取られてもおかしくはないのだから。
しかし、一刀はそれでも言葉を発する事を辞めなかった。
「そう思っています…この天下が穏やかで平穏な日々を取り戻すには、今の朝廷では到底なしえない。誰かが今の朝廷を壊して、新しい国を作らない限り…戦いは終わらないんだって」
一刀の言葉に、男性は溜息をつきながら悲しそうに呟いた。
「……そうなれば多くの犠牲が出るでしょうね。戦場に立つ将兵のみならず、武器を持たない民草にも…」
男性の悲痛な呟きに、一刀も力強く頷いて答えた。
「そう、なると思います。けど、だからと言って手を拱いて何もしなかったら…もっと多くの犠牲者が出る。多くの人間が傷つき、多くの人間が大切な人と死に別れる悲しみを味わう事になる。なら…俺は進み続けたいと思っています。力を振るう事を恐れていた俺に居場所をくれた華琳の為に戦うって…そう、誓ったから」
一刀の力強い、決意の籠った返答…それが周囲に響き渡った後、しばしの静寂が流れていた。だが…やがて目の前にいる男性が思わず苦笑し始めていた。
「……ははは!まさか、こうまで覚悟の籠った返答をされるとは思っていませんでした。…もし貴方が我欲のままに乱世を望もう、天下を統べようという答えだったのなら、この場で剣を抜いていたかもしれませんが…どうやら、貴方は私の想像以上の人間だったようだ。もしあなたが一国の主だったなら、どんな国を作っていたのか楽しみになるぐらいには」
「い、いいえ!?俺はそんな大それた器じゃないですよ…!?」
心底愉快そうにしている男性の漏らした言葉に、一刀は思わず否定の言葉を放つものの、男性は苦笑しながら待ったをかけた。
「謙遜しなくともいいですよ。…いい目をしています。迷いを抱きながらも、歩みを止める事なく進み続けようとする人の顔だ。もしこの先、私の甥と出会う事があったのなら、きっと刎頸の交わりを結ぶような親友になっていたかもしれませんね。…さて、そろそろ戻らないと
そう言って男性はそのまま本陣に向かって歩いて行ったのである…。
「あ、あの!……行っちゃった。誰だったんだろう、あの人『一刀ー!どこにいるのだー!?』っ!春蘭だ…!俺も戻らないと…!」
そして一刀もまた、春蘭の呼び声に気づいて本陣の方に駆け戻っていった…。
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「(全く、どこに行ってたのよアンタ!もう軍議が始まるってのにさぼってんじゃないわよ…!?)」
「(ご、ごめん桂花!?…上座にいる女性ってもしかして、この討伐軍の大将?)」
本陣にある諸将が軍議を行う為に作られた陣幕…そこに駆け付け、華琳の後ろに畏まりながら頭を下げた一刀が華琳に同席していた桂花に小声で叱責されつつも謝罪を述べていると、一刀の向けた視線の先…上座の方に薄紫色の髪に緑の入った青色の瞳に、紫色の縁取りの眼鏡をかけた、腰に直刀を思わせる刀剣を携えている女性が立っていた。
それを見て桂花も頷いて答える。
「(ええ。この討伐軍を率いている将帥の片割れ…
「(成程…)」
桂花の説明に一刀が理解したと言う感じで頷いていると、彼らの前にいる華琳が拱手をしながら挨拶をした。
「皇甫嵩将軍、騎都尉曹操。何進大将軍よりの命を受け、これより御身らの指揮下に入ります」
「よく来てくれたわ曹操殿。貴方の活躍、期待しているわ」
「はっ!…ところで、朱儁将軍は何処に?」
皇甫嵩の言葉を受け、華琳が畏まって頭を下げたのだが…ふと、もう一人の将軍の事を問いかけた。
「え、えっと…陣を構築していた時にはいたのだけど『やあ、お待たせして申し訳ありません楼杏殿』って、
やがて一刀が入ってきた入り口とは別の入り口の天幕が上げられ、誰かが入って来たのだが…その姿を見た一刀は思わず仰天しそうになるのをこらえていた。
「っ!??(あ、あの人って…さっきの!?)」
だが、驚きを何とか隠そうと四苦八苦している一刀の視線に気づいたのか…先ほどまで一刀と話していた男性こと、この潁川討伐軍を率いている大将のもう一人と言える朱儁将軍が一刀の方に視線を向けると、穏やかな笑みを浮かべながらまるで内緒にしてほしいとばかりに人差し指を唇の前で立てたのである。
それを見た華琳は、その視線の先に一刀が畏まっているのを理解したのか、思いもよらぬ出会いをした一刀に苦笑せざるを得なかったのである。
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挨拶が終わり、本陣の陣幕から出た華琳は付いて来た一刀に揶揄い気味に声をかけた。
「一刀、貴方ってとんでもない人と会話をしていた様ね」
「う、うん…華琳、あの男性が?」
「ええそうよ。今の朝廷内において数少ない有能な将帥の一人…朱儁将軍。血を見るのを厭う所があるけれど、入念な準備を怠らず、時として自身が率いる軍の倍はいるであろう敵軍を鮮やかに打ち破って見せた事もある傑物なの。それと…香風とその兄徐来の父、徐岳殿の妻である朱寧殿の兄でもあるの」
「っ!?って事は…徐来や香風にとっては叔父って事か!」
「その通り。…彼と随分有意義な会話をしていた様ね?」
華琳の問いかけに、一刀も頷いた。
「…いろいろと、有意義な会話をしたよ。あの人もあの人なりに、これからの国の行く末を考えているみたいだった」
「そう…けれど、あの人は漢の禄を食む身。頭では今の朝廷では国を救えないと分かっていても、あと一歩を踏み出せないんだって、私が洛陽で北部尉の任に就いていた時に言葉を交わし合った事があったわ。…一刀、明日から軍議に共に顔を出す様に。いいわね?」
「…っ!ああ、分かった」
そうして一刀は華琳と共に、曹操軍の野営地に向かって戻る事となったのである…。
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翌日、一刀は栄華達から受領された青を基調にした胸当てを、自分が来ている制服の上から身に着け、腰に華琳から授けられた碧翠と、華琳の下に客人として招かれていた香風の父、徐岳が拵えてくれた鉄刀を佩刀すると野営地から出た。
そこには先に起きていたのか香風も得物である霞切りを手にして、臨戦態勢を整えていた…。
「あっ、一刀…おはよう」
「おはようシャン。これから本陣に向かうんだろ?」
「うん。春蘭様や秋蘭様も向かっていったよ」
「分かった、行こうか」
そうして一刀が香風と共に官軍の本陣に向かうと、そこには諸国から集ったであろう将帥らが連れて来た将兵で満ち溢れていた。そしてその将兵らの前には演説台が作られており、その上にこの討伐軍を統率する将軍である皇甫嵩と朱儁の2名が号令を下さんとしていた。
「この場に集った諸侯の者達よ!今この天下において黄巾党と呼ばれる者達が朝廷を揺るがそうと軍を興した。だが現在、彼らは黄巾軍と黄巾賊と言う二つの勢力に分裂し、互いに相食む有様となっている。…しかし!これを野放しにしておけば、中原は多くの町や村が戦禍に包まれる事だろう!ならばこそ、私達がこの騒乱に終止符を打たねばならない!!」
皇甫嵩が演説台から堂々と宣言すると、その後に続く様に朱儁が前に出て言葉を発した。
「黄巾党の者達は数十万の信徒を36個に分け、一単位を「方」とし軍事組織化しています。黄巾軍と黄巾賊と言う二つの組織同士で対立しているとはいえ、迂闊に手を出せばこちらが痛手を負う事でしょう。故にこちらは確実に彼らを討つように心がけ、功を焦っての突出は控えて頂きますよ?では、命を下しますので一同それぞれの野営地に戻って頂きます」
皇甫嵩の堂々とした演説に比べ、穏やかながらも染み渡る様な言葉遣いで行った朱儁の演説…それが終わり、参加した軍閥らはそれぞれの野営地に戻っていった。その中で一刀も華琳たちと共に野営地に戻っていたのだが…そんな華琳に声をかけて来た者がいた。
「華琳、久しいな」
「っ!
そこにいたのは黒いロングヘアーに翠色の瞳を持つ理知的な雰囲気を感じさせる女性と、その後ろに前髪に癖のある茶色の短髪をした、肝の据わった雰囲気を感じさせる青年を連れていた。
「うむ。大将軍殿の命が私の下にも送られてな、私もお前と同じ騎都尉に任ぜられた。ふむ…華琳よ、お前の後ろにいるその若者はもしや…?」
「ええ、貴女の考え通り。一刀、彼女は私の学友でもあった鮑信よ」
「は、初めまして!北郷一刀って言います!」
華琳の紹介を受け、一刀も拱手をしながら頭を下げると…鮑信と呼ばれた女性は暫しの間一刀に視線を向けていたが…やがて面白いと言う様に頷きながら言葉を発した。
「ほお…いい目をしている。真っ直ぐな気性と胆力を兼ね備えていると見た。それにその身に纏っているその装束…近頃噂になっている『天の御遣い』と言うのはお前の事か?」
「…たぶん、そうだと思います。けれど、肩書だけの男でいるつもりはありません。俺は、北郷一刀と言う一人の男として、華琳の目指す未来の為に戦おうと思っています」
一刀の答えに鮑信は驚いたような表情をしていたが…やがて満面の笑みを浮かべた。
「はっはっは…!これはまた大した男の様ではないか。華琳、お前中々の奇貨を見つけたのではないか?」
「そうね…けどまだまだ私の目から見れば磨き足りないわ。磨き、鍛えてこそより輝きが増すと思うのだけど?」
「確かに!…
「照陽姉、そりゃないって…一刀っていうのか。俺は
そう言いながら手を差し出した鮑韜に一刀もまた手を差し出し握手を交わしたのである。この後、二人は気心の知れた戦友となるのだが、それはまだ先の話。
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それからほどなく、朱儁からの呼び出しを受けた華琳が一刀らを連れて陣幕を訪れたのだが、そこには学友であり気心の知れた間柄でもあった鮑信も訪れていた。
「偽退誘敵…それを行うと?朱儁将軍」
「ええそうです。物見からの知らせでは黄巾党の方では私達の来襲を聞き及んだ黄巾軍と黄巾賊が対立をやめて合流したそうなのですが、所詮は外敵が出来た為の一時的な処置。全くもって足並みが揃っていないとか…故にそこを突きます。まず鮑信殿が率いる軍で黄巾党の軍に一当てして頂き、頃合いを見て兵を退いてください。無論相手に気取られぬ様に」
「承知しました」
鮑信が拱手をしながら頭を下げると、朱儁は次に華琳の方に顔を向ける。
「曹操殿には長社の陣地から離れた場所に兵を伏せていてください。恐らく退却をしてきた鮑信殿率いる軍を格好の餌食と見た黄巾賊の者達は十中八九追撃を仕掛けてくるので、私達がこれを策を以て混乱に陥れるので、変事が起こったと見たら直ちに黄巾党の軍を後方から襲い掛かって頂きます。宜しいでしょうか?」
「成程…ですが朱儁将軍、一つ疑問があるのですが宜しいでしょうか?追撃を仕掛けてくると貴方は言いましたが、果たして本当に仕掛けてくるのでしょうか?黄巾軍の者達がこちらの策を読む可能性も…」
華琳が思った事を口にすると、朱儁もまた満足そうに頷いて答えた。
「流石は曹操殿です、良く考えてくださっている。貴女の考えも最もでしょうが…恐らくその可能性は低いかと。なにぶん黄巾党の軍勢は長らく敵対していた黄巾軍と黄巾賊と言う二つの軍が、私達朝廷の討伐軍と言う外敵の登場によっていったん矛を収めて合流したようなもの。当然黄巾軍の将帥は制止を呼びかける事もあり得るでしょうが…黄巾賊の将帥はそれに聞く耳を持たず突出し、黄巾軍の者達は彼らの暴走に流される形で追撃に参加せざるを得ないと私は見ています」
「…杞憂でしたか。分かりました、直ちに動かせていただきます」
「いえいえ、曹操殿の慎重さは大変ありがたいというもの。…それでは両名、宜しく頼みますよ」
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さて、時間は朱儁が鮑信こと照陽、曹操こと華琳に対して命令を下していた頃に遡る。この頃の豫州・潁川黄巾党は潁川黄巾軍を束ねている波才と豫州における黄巾軍を束ねていた厳政と言う両者によって制圧が進んでいたのだ。
しかし波才が張三姉妹の理想と言える『漢朝を討ち倒し、罪なき民草が貧困に苦しめられない國を作る』事に共感し、その理想を叶えるために協力を惜しまなかったのに対し、厳政の方は根っからの山賊と言う感じで『綺麗事何かの為に動くなんてまっぴらだ!』と不満をため込んでいた。
そしてそれを前々から張三姉妹の理想を煙たがっていた荊州・南陽黄巾軍の長と言える張曼成の誘いに応じ、黄巾賊と名乗りを変えるとそのまま豫州の町や村を略奪し始めたのである。
当然波才はこの裏切りに激怒しており、汝南黄巾軍を束ねていた劉僻と龔都と協力して討伐しようとしていたのだが、同じ汝南・潁川の黄巾賊を束ねていた何儀がその部下であった黄卲と何曼らと共に厳政に協力するなどして、中々討伐出来なかった。
幸いな事に青洲黄巾軍を束ねていた管亥が何儀を抑えてくれた事で挟撃される心配はなくなったのだが、今度は張曼成らの援護もあり、制圧に時間がかかる事に…そうして時間をかけている間に、とうとう朝廷の討伐軍が差し向けられたことを知ったのである。
事ここに至ると、厳政は自分達だけでは朝廷に敵わないと知っていた為、たちどころに媚び諂うようにして合流を申し出てきた。波才はいとも簡単に自分達に協力を申し出て来た彼らの面従腹背と言うべき性根に吐き気がしたほどだったが、かと言って黄巾軍だけでは朝廷の討伐軍に敵う訳もないと理解し、不承不承である者の合流を認めたのであった…。
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「…分かっているだろうが
「ちっ!分かってるっての
朝廷の討伐軍が本陣を構えている長社県から離れた所に作られた黄巾党の陣営において、上唇と顎に髭を生やし、厳格そうな雰囲気を感じさせる甲冑を纏った男性…潁川黄巾軍を束ねる将帥の波才が、如何にも山賊と言う軽鎧を纏い、ガラの悪い風貌をしている男性…豫州黄巾賊を束ねていた将帥の厳政を叱責していた。
一方の厳政はうっとおしいと言う感じで受け答えをしていたが、内心では不満を抱いていた。そもそも弱者から奪う事に悦楽を見出している彼にしてみれば、自分達が従った相手である張角達三人の小娘たちの言う『漢朝を討ち倒し、罪なき民草が貧困に苦しめられない國を作る』と言うのがどうにも肌に合わなかったのだ。
一方の波才の方は元々朝廷に仕えていた役人であったものの、朝廷の腐敗に失望して職を辞し故郷で隠棲していたが、彼女達の言う『漢朝を討ち倒し、罪なき民草が貧困に苦しめられない國を作る』と言う理想に心打たれ、その理想を叶えるために尽力する事も辞さないなど本気で惚れ込んでおり、その為彼女達の理想を裏切った自分に激しい怒りを抱いているらしく、今も敵意を込めた視線で睨みつけているのだから…。
だが、そんな険悪な雰囲気を切り裂くかのように、陣幕の中に黄巾を巻いた兵士が飛び込んできた。
「波才様!報告です!」
「如何にした!」
「長社県に陣取っている朝廷の討伐軍から軍勢が出て来たとのこと!数は五千ほど、『鮑』の旗印です!」
兵士の報告を聞いた波才は兵士を下がらせると、顎に手を当てながら思考し始める。
「鮑の字…となると、前漢において司隷校尉を務めた
ふと波才が目をやると、戟を手に陣幕を出ようとする厳政の姿があり呼び止めようとした。
「決まってんだろぉ?向かってきてんなら迎え撃つだけだ!」
「迂闊に動くな!官軍は全軍が動こうともせず、鮑信の軍だけが攻め寄せているのだぞ!?どう見ても何か裏があるに決まっている!」
「たった五千ほどで攻めて来てるのに策も何もあったもんじゃねえだろうが!こっちは六万もいるんだ、俺が二万ほどで押しつぶしちまえばそれで終いよぉ!!臆病風に吹かれたんなら本陣で縮こまってるんだな!!」
そう吐き捨てると厳政はそのまま陣幕を出て行ってしまったのである…。
「馬鹿者が…!!…やむを得ん、我らもいつでも動ける様に準備をせよ!!」
「宜しいのですか波才様…?そもそも黄巾賊の奴らは天和様達の理想を踏みにじった連中なんですよ?そんな奴らなんて捨て石にして防御を固めたりする事も視野に入れた方が…」
波才の命令に黄巾を巻いた副将が意見を申したのだが、波才はそれを一蹴する。
「それが出来るならどれだけいいか…。だが、一度は同じ理想の下に集った者達を…袂を別ったからと言って見捨ててはそれこそ黄巾党と言う組織は完全に空中分裂しかねん!!…うまく奴らが窮地に陥った時に救援を成し遂げる事が出来れば、あるいは彼らも自分達の非を認めて我らに同調してくれるかもしれん」
「そ、それは…」
「理想論だろうな…だが、朝廷と戦う為には一人でも多くの黄巾党の将兵を救う事が肝要なのだ。…用意が出来次第、でるぞ!!」
「はっ…承知しました!」
それから程なく、波才率いる潁川黄巾軍も輜重隊を護る一万ほどの将兵を残すと、三万を率いて前線に向かっていったのである…。
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一方前線では既に鮑信率いる五千の官軍と厳政率いる豫州黄巾賊二万が衝突していた。厳政はその軍の先鋒、それもいの一番に馬を駆けさせ、戟を振り回しながら官軍目掛けて斬り込んでいた。
賊に身を落としてはいても相当の修羅場を潜って来たらしく、厳政は中々の実力者であり、手にしている戟を右へ左へと振るう度に血風が吹き荒れていた…!!
「はははははっ!!どうしたどうした漢の腰抜け共が!!こんな程度で俺らを討伐しようたぁ…見通しが甘えってもんだぜ!!」
そう言い放ち、笑いながら戟を振るう厳政。しかし、そんな彼に挑みかかる者がいた。栗色の毛並みをした馬にまたがり、矛を手にしている青年だ。
「賊の癖にやるようだな!俺が相手になってやる!」
「何だ小僧?お前みたいなやつに俺が討てるとでも?」
「小僧じゃねえよ!俺は鮑韜!兗州にその人ありと謳われる鮑信の弟だ!民草に仇名す黄巾賊の将帥よ、大人しくその頸授けやがれ!!」
威勢よく言い放ち、矛を手に馬を走らせてくる鮑韜に対し、厳政も激情を以てこれに応えた。
「嘗めやがって…!!てめえみたいな小僧に首を授けるほど、この厳政様は甘くねえぞ!!」
そう言い放つと厳政は馬を走らせながら鮑韜の方に向かっていき、互いの武器を打ち合い始めた。そのまま二十合ほど干戈を交えていたのだが…やがて場数の違いからか鮑韜の方に疲れが見え始めた。
「はっ!やっぱり格の違いってのがあったみてえだな!!死にやがれ!!」
「危ねえ!?」
そうして討ち取ろうと厳政が戟で鮑韜の喉を突き破ろうと刺突を放ったのだが、鮑韜は馬の背に仰向けになりながらその刺突を避けたのである。
「ほお、うまく躱したじゃねえか!だがまぐれってのは二度も続かねえんだよなぁ!!」
そう言い放ちながら攻撃をし続ける厳政…ところがそこからが時間がかかった。何と不安定な馬上でありながら厳政の放つ戟の攻撃を、鮑韜は巧みに躱し続けて見せたのである。
「てめえ…!ちょこまかと!!いい加減に観念しやがれ!?」
「生憎、お前みたいな賊に討たれちゃ死ぬに死ねねえんだよ!!『鮑韜!!』っ!姉上!」
その時、鮑韜に呼びかけたのは姉の鮑信だった。馬上において剣を腰に差し、弓を手にしている彼女は同じく馬上の人となっていた。
「退くぞ!流石に悪名高い黄巾賊、我々も奮戦をしてきたがそろそろ潮時だ。お前もそろそろ切り上げろ!」
「分かった!!」
そう言って鮑韜も乗騎を巧みに操って厳政から距離を取り、鮑信が率いてきた軍勢も撤退をし始める。そうして鮑信も踵を返して撤退をしようとすると、厳政が呼び止めた。
「おうおう…こりゃまた別嬪な姉貴がいたんだな小僧?辱めてその知的な顔を歪ませられたら堪らねえぜ!!」
「私はお前みたいな下種は好みではないがな?私の身体が欲しいなら、追ってくればどうだ?だが、この身体ただではくれてやるつもりはないぞ?」
そう言い放ちながら悠々と立ち去っていく鮑信…それを見て厳政は喜々としてやる気を出していた。
「はっはっは!!気の強さも俺好みだ!!待ってろよぉ…お前ら、奴らを『待て厳政!!』…てめえかよ波才。何の用だ!!」
ところがそんな厳政のやる気に水を差す相手が現れる。後続で駆け付けた波才だ…。
「勝敗はすでについている、今我らのすべきことは妄りに追撃をせず、態勢を立て直して官軍を迎撃する事だ。軽挙妄動は控えろ!!」
「ふ…ふざけんじゃねえ!!見ろあいつらの逃げっぷりを!尾羽打ち枯らすとはこの事じゃねえか!!そもそも五千ほどで攻めてきやがったのは向こうだぞ!大方功に逸った連中の先走りって奴じゃねえか!このまま追撃して本陣まで乗り込んでやるぜ!」
「馬鹿を言うな!そもそもそんな功に逸る連中を簡単に送り出す馬鹿者が官軍を率いていると思うか!?これは奴らが仕掛けている罠だ!今は…」
だが、波才の説得も厳政には馬に念仏であった…。
「けっ!てめえのご高説にはうんざりだぜ!!そんなに言うならてめえだけ本陣で大人しくしとけ!!てめえらぁ!追撃をするぞ!!官軍共を血祭りにあげろぉ!!」
『うおおおおおおおっ!!』
厳政の一喝に黄巾賊の者達も武器を高々と掲げながら咆哮し、止めようとする黄巾軍の制止をも振り切って追撃をし始めて行った…。そして厳政もまた波才を見下す視線を向けながら馬を走らせたのである。
それを見た波才は…憤激の余り被っていた兜を地面に叩きつけていた。
「馬鹿者が……!!!どこをどう見れば奴らが無様に逃げていると見えるのだ!?一見すれば無謀な攻撃をして失敗し、しっぽを巻いて逃げ去っているように見える。だが…よく見れば被害を最小限に抑えながら、相手側に追撃をさせようと誘いをかける様に兵を動かしているではないか!?鮑信…智謀に長けているのはあながち間違いではなかったか…!!」
「波才様…」
波才の悔しそうな姿に、副将の男は何も言えずじまいだった。だが…落ち着いたのか深呼吸をし始めると、波才は静かに言葉を発した。
「…………やむを得ん。追撃をする」
「で、ですが…!!」
「事ここに至っては、もはやいくら言葉で諫めても退こうともせんだろう。ならばせめて、奴らが官軍に手ひどく敗れた直後に、犠牲を最小限に抑えながら撤退をするより他ない!!」
「承知しました…!!」
その言葉を受け、副将も拱手をしながら頷き兵士達に指示を飛ばす。そして…潁川黄巾軍と豫州黄巾賊の連合軍は勢いを保持しながら長社の官軍本陣へと進軍をし始めたのである…!
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長社に籠る官軍を包囲した黄巾連合。しかしそれは朱儁、皇甫嵩らによる巧妙な策謀の結果だった。古の名将田単の策が時を超えて放たれる時、乱世の奸雄と彼女を支える事を誓った天の御遣いの活躍が始まろうとしていた…続きは次回の講釈で。
オリジナル武将
『朱儁・公偉』(容姿、性格は『キングダム』の李牧を参考にしました!)
現在の漢王朝において皇甫嵩、盧植と並んで数少ない有能な将帥と言える人物。
血を見る事を厭む一面はあるものの入念な準備を怠らずに策に嵌め、自分が率いている軍の倍の敵軍を打ち破って見せた事もある。
主人公である宗也こと徐来とその妹である香風こと徐晃の母である朱寧の兄にあたり、宗也と香風にとっては叔父にあたる。幼い頃の宗也達の下によく顔を見せに訪れてもいた。
甥でもある宗也の事も良き人物になると目をかけており、彼が愛紗を護る為に十常侍の頭目である張譲の親族を殺めた事。そして家族に難が及ばないように離縁状を送った事を妹から聞き及んだ際には、さすがの彼も愕然としたものの甥の覚悟を尊重しつつ、残された宗也の両親を護る為に尽力をする事になる。
親孝行で評判となり、義を好み財に執着しなかったと言われており、正史においても黄巾の乱以前に起きた交趾の反乱を鎮圧してみせ、黄巾の乱においても活躍をした。
剛直であると同時に忠義に厚い人物であり漢朝が董卓によって私物化された時には董卓に対して敢然と反抗を示し、董卓死後に起きた李確と郭汜の内輪揉めに翻弄され、献帝を救う事が出来ない事に憤慨して憤死したと言う。