真・恋姫†無双~転生記~   作:ふかやん

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 どうも、時間の余裕が出来たので投稿させていただきます!


黄巾征伐・潁川平定(後)

春秋戦国時代…宗也達が生きている時代よりも遥かに戦乱の空気が色濃かった時代。中華は七つの国に分かれて相争っていた。

 

 

 即ち…燕、趙、魏、韓、秦、楚。そして現在の山東省北部を中心に勢威を張り、盛時には山東省の大部分、河北省の東南部、河南省の東北部を支配した斉の国である。

 

 

 この国は周の武王を支えた軍師『大公望』こと呂尚が王として治める様に命じられた国であり、とくに有名なのが名宰相として歴史に名を遺した管仲を重んじ、春秋五覇の一人に列せられた桓公こと姜小白その人である。

 

 

 やがて時が流れ、その子孫が政務を顧みなくなり酒色に溺れる様になると、大夫として権勢をふるっていた田和と言う人物によって追放され、代わりに統治する様になった。この為姜一族が統治していた頃の斉を『姜斉』、彼らを追放した後に田和が統治する様になった斉を『田斉』と呼ぶようになった。

 

 

 この斉と言う国は、戦国時代になると『戦国七雄』の一国に数えられ隆盛を誇り、後に中華統一を成す秦によって滅びる事になったのだが…それ以前にも滅亡の危機に晒された事があった。

 

 

 それは戦国時代中期、斉が秦とともに東帝・西帝を名乗るほどに栄えていた頃の事である。

 

 

 この時の斉は威王こと田因斉(でんいんせい)(楚の荘王と同じく『鳴かず飛ばず』の語源となった人物。また魏の恵王と言う人物が自らが持っている宝を自慢し、威王にも問いかけた時には『私は貴方の言う様な宝は持っていない。持っているのは、優れた人材です』と返してみせる逸話を持っていた)の息子で、父親と同じく斉の繁栄を築いて見せた宣王こと田辟彊(でんへききょう)。そしてその息子である湣王こと田地が統治していた。

 

 

 一時期は大陸東部において並ぶ物がない強国として繁栄を遂げていた斉。だがそんな斉を一転して滅亡の危機に追いやったのが、斉の風下に立たされていた燕に仕えた名将楽毅である。

 

 

 楽毅は強国である斉に対し、秦・趙・魏・韓。そして燕による合従軍を結成し、強国ではあったものの連年戦争を繰り返した事で疲弊し始めていた斉の軍勢を『済西(さいせい)の戦い』で完膚なきまでに打ち破り、その勢いを駆って斉国に攻め込んだ。

 

 

 その進撃は凄まじいものがあり、この時の斉は王都である臨淄を含めて七十以上の城を有していたのが、楽毅の活躍によって(きょ)即墨(そくぼく)と言う二城しか残らないほどに追いつめられてしまう。しかもこの時、莒の城に落ち延びていた湣王は楚の国から援助として送られていた淖歯(とうし)によって殺されてしまうと言う、まさに危急存亡、絶体絶命と言うべき状況に追い込まれたのである。

 

 

 救いだったのはこの淖歯と言う男が湣王を殺害して僅か一年後に、斉の武将である王孫賈(おうそんか)と言う人物に率いられた四百人の兵士と民間人によって殺害され、湣王の息子である田法章(でんほうしょう)こと襄王が即位した事で再び抗戦の意思を取り戻せた事かもしれない。

 

 

 しかし楽毅は抵抗が激しくなった莒を後回しにする事を決断し、即墨の城に攻撃を仕掛け、ここでも迎え撃った大夫を戦死させ、多くの将兵を捕虜にする事に成功するなどいまだ斉は滅亡の危機を回避できていなかった…。

 

 

 この様に絶体絶命の状況に追い込まれた斉の危機を救ったのが、この時即墨の城に落ち延びていた田単(でんたん)その人である。彼は楽毅が済西の戦いで斉の軍勢を完膚なきまでに打ち破り、王都であった臨淄(りんし)を制圧した事を知ると、安平と言う土地に避難していた田単は燕の勢い侮りがたしと考え、一族の者に馬車を補強する様に命じた。

 

 

 果たして燕が安平を陥落させると脱出する者達がいたのだが、殆どの者達は馬車の車軸が折れるなどして囚われる者達が大勢でたのだが、田単の一族だけは即墨に落ち延びる事が出来た。

 

 

 その為楽毅の攻撃によって城主であった大夫が亡くなった事に意気消沈としていた城内の者達は、一縷の望みを田単に見て彼を将軍に取り立て、指揮を仰ぐことになったのである。

 

 

 当然田単にしてみれば無茶ぶりもいい所…と実際考えていた事だろう。何せ国を滅亡寸前まで追い込んだ楽毅に対し、多少知恵が回るだけの自分にどこまで挑めるものかと思っていたかもしれない。しかし天は彼に味方した。

 

 

 燕において、楽毅を取り立て重用していた昭王が亡くなり、息子である恵王が即位したのだが…この恵王と言う人物と楽毅は折り合いが悪かった。

 

 

 何故なら彼の父である昭王は湣王の策謀によって一時期滅亡状態にあった燕の国を楽毅を始めとする優れた人材を迎え入れる事によって復興を成し遂げて見せ、艱難辛苦を歩んで見せた苦労人であった昭王と違い、言うなれば苦労知らずの坊ちゃんと言うべき感じの人物で楽毅は好きになれなかった。

 

 

 一方の恵王もまた楽毅の事を口うるさい奴と嫌っており、主従関係はお世辞にも良好とは言えなかった。田単はそこに光明を見出したのである。彼は策謀を以て楽毅と恵王の仲を離間させる事により、楽毅は身の危険を察して趙に亡命してしまう。その後恵王は後任の将軍として騎劫(きごう)を派遣するものの、不当な人事に嫌気がさした燕の兵士達の指揮はがた落ちとなった。

 

 

 そうして田単は時として城内の結束を高める為の工作をしたり、燕軍に対して『降伏した捕虜に対して鼻削ぎに処される事を恐れている』、『城の中では城の外にある祖先の墓を荒らされないか恐れている』と言う偽情報を流し、それを騎劫が真に受けて実行させる事で城内の兵士達に燕軍への降伏を恐れ、祖先を辱められたことへの恨みから団結し、士気を上げる事に成功したのである。

 

 

 やがて城内の状況を見た田単は機が熟した事を察知。燕軍に対して降伏の使者を送る事で油断させ、自身は千頭の牛を用意し、角には刀剣、尻尾には松明をそれぞれ括り付けさせた。そして夜中に城壁にあらかじめ開けておいた穴からこれを引き連れ、燕軍の陣地の近くまで来てからたいまつに火をつけ尻を焼かれ怒り狂う牛を敵陣に放ったのである。

 

 

 炎の熱に怒り狂う牛達は手当たり次第に角の刀剣で次々に燕軍を突きさし、続いて田単が率いた五千の兵士達も今までの憤りを晴らすが如くに暴れ回り、同時に城内からは銅鑼や鐘などを鳴動させるかのように打ち鳴らす事により混乱させると言う駄目押しをしたのである。

 

 

 この戦いで燕軍は完膚なきまでに敗北を喫し、騎劫も乱戦の最中に敢え無く討ち取られてしまった。そして田単はその勢いのままに奪われた斉の七十余城、その悉くを奪還して見せ…襄王から国家を救ってくれた人物として厚く遇される事となる。

 

 

 …時は流れ、名将として語り継がれる事となった田単。彼が行って見せた計略が時を超え、後漢の時代に再び放たれる事となる。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「おらとっとと出てきやがれ!」

 

 

「亀のように籠っていたって逃げ場はねえぞ!?」

 

 

 長社県の、討伐軍が構えた本陣。堅固に作られた城砦となっているそれは、現在黄巾賊と黄巾軍の連合によって包囲されていた。この時討伐軍の兵力が八万に対し、黄巾党の軍勢は六万。

 

 

 数の差でいえば多少討伐軍が上回ってはいるのだが、緒戦において先陣を切っていた鮑信軍が撤退をしてきた為に、討伐軍側の士気は下がっていた。一方の黄巾党側は、緒戦において討伐軍の先陣を撃退した事もあって士気が上がっており、『官軍何するものぞ!!』と楽観的な空気が黄巾党内(この場においては主に黄巾賊側において)に流れていたのである…。

 

 

 現在長社を包囲している黄巾党の軍勢からは黄巾賊らによる罵倒が城内の官軍に放たれており、これに官軍は弓矢の一つすら放たれる事が無かった…。

 

 

「はっはっは!見て見ろ波才!連中、亀のように籠って出て来やしねえ!大勢連れて来ていながら情けねえよなぁ!?」

 

 

 黄巾の軍勢が長社の城砦を包囲しているところから少し離れた丘の上に作られた本陣において、厳政はゲラゲラと笑いながら酒を仰いでいた。既に戦勝気分を味わっているようなのだが…一方の波才はいつになく神経を尖らせていた。

 

 

「……厳政。まさかお前、このまま力押しで長社の城砦を攻め落とそうと考えてはいないだろうな?」

 

 

「何言ってやがる?そんなの当たり前じゃねえか!見て見ろ官軍の奴らを!俺達の罵倒を受けてるってのに、弓矢の一つすら放ってこねえ。先の敗戦に怯えて震えてるんだよ!このまま一息に攻め落としてやるぜ!」

 

 

「俺はそうは思わん。今の我らは野戦の装備だけして持ってきていないのだ、まして攻城兵器も満足に揃っていないのだぞ?長梯子だけで攻めた所で官軍の攻撃に被害が増えるばかりだ。今は迂闊に動かず、このまま包囲を続ける事で奴らの兵糧が尽きるのを待つ」

 

 

「けっ!そんな悠長な事してられるかよ!?お前はとことん臆病者だよな本当に!」

 

 

「…戦場において臆病さを持たぬ者は自身の力に溺れて引き際を見誤り、呆気なく死ぬものだ」

 

 

「何だと…?もう一遍言ってみやがれ!!」

 

 

 自身を侮辱された事を感じ取った厳政は当然怒りを現し、酒瓶を投げ捨てると愛用の戟を手にし立ち上がった。これに波才も大桿刀を手にし立ち上がろうとしたのだが、それをそれぞれの副将たちが押し留めた。

 

 

「波才様!仲間割れをしている場合ではありませぬ!?ここで対立して喜ぶのは官軍の者達ですよ!?」

 

 

「お頭!こんな臆病者の言葉なんて軽く聞き流せばいいんですって!むしろ俺達が官軍を撃退して見せりゃあ、あの子娘達も俺達を見直してくれるかもしれませんぜ!?」

 

 

「…ちっ!」

 

 

 副将の言葉に少しは落ち着いたのか、厳政は気分が悪いとばかりに本陣から荒々しく足音を立てながら出て行った…。その後ろ姿を見て、波才は心底落胆したかのようにため息を吐いた。

 

 

「…やはり、あ奴はどこまでも物事が見えておらん。俺には…官軍の者達が何かを待っている様にしか思えん」

 

 

「何かを、ですか…?」

 

 

「ああ。怯え、縮こまって城砦に籠っているように見えるが…俺にはこの状況を引っ繰り返すような何かを、手ぐすね引いて待ち構えている様にしか思えないのだ」

 

 

 そう言いながら今も黄巾賊らによる罵倒が向けられているにも拘らず沈黙を保つ長社の城砦を見て不安を漏らす波才。…その危惧は、間違ってはいなかったのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 その頃長社の城砦、その城壁にはこの討伐軍を率いている二人の将帥…皇甫嵩と朱儁が城壁から包囲している黄巾の軍勢を見下ろしていた。

 

 

「おお、これはこれは…見渡す限りの大軍勢。流石は豫州、潁川を本拠にしていた黄巾の軍勢と言った所ですね。先の戦いで鮑信殿が率いる軍勢も奮戦したそうですが、それでも押し切れなかったそうですし…量だけでなく、質も整っていると言った所でしょうか。いや、これは流石の私も読みが足りなかったみたいです」

 

 

 朱儁がそんな風にのんびりとした…傍から聞くと危機的状況になっているにも拘らず動揺すらしていないように言葉を漏らしていたのだが、それを聞いた皇甫嵩は苦笑しながら声をかけた。

 

 

「その割には、失策を犯したと言う感じには見えませんよ?朱儁将軍?」

 

 

「おや?流石にわかりますか楼杏殿?」

 

 

「分からない訳ないじゃないですか。風鈴と一緒に漢の将軍として研鑽を積んでいた頃から分かってはいるつもりですよ?今の様子を見たら風鈴だって貴方が困っているとは言わないですよ」

 

 

 そう言って楼杏が笑顔で答えると、朱儁も苦笑つつ頬を指で掻きながら照れ臭そうに答えていた。

 

 

「いやはや、参りましたね…風鈴殿にも分かってしまうとは、私も演技が下手ですね」

 

 

「もう…やはり黄巾賊と黄巾軍、両者の対立は根深いようですね」

 

 

 朱儁の様子に楼杏も苦笑しながらため息をついていたのだが、やがて視線を包囲している黄巾の軍勢から、離れた所にある黄巾の本陣に向ける。そこにはいささか機嫌を悪くしているように見える厳政が本陣から出てきているのが見えたのである。

 

 

「ええ。民草を救わんとする張角達の理想に共感し、その理想を叶えようと尽力する事を惜しまない黄巾軍。これに対し黄巾賊はその様な理想には目もくれず、目先の富や略奪を楽しみとしてそれを喜々と行う者達。両者の間には文字通り、修復不可能と言える亀裂が出来ているようです。幾ら外敵が出来、対抗するために連合を組んだところで、足並みを揃える事はこの短期間では不可能ですね」

 

 

「…それを見越してこの策を立てて見せた。朱儁将軍、貴方には脱帽ですよ」

 

 

 楼杏はそう言って朱儁を褒め称えたのだが、朱儁の方はまた照れ臭そうに頬を掻き始めた。

 

 

「いえいえ。幾ら策を練る事が出来たとしても、それを実現できなければ机上の空論にしかなりえません。楼杏殿らがいてくれればこそ、ですよ」

 

 

「………褒められると嬉しいですね。そ、それより!私達はいつ動きますか?」

 

 

「そうですね…」

 

 

 (何故か)頬を赤らめながら、それを振り払うようにして質問してきた楼杏に対し、朱儁は空を見ながらしばし考えていたが…やがて一回頷くと答えた。

 

 

「…三日後、日付が変わった頃の夜に行動を開始します。楼杏殿、退却をしてきた鮑信殿らにも伝えてください。あと…十分に休息と準備を怠らぬ様に、とも伝えてください」

 

 

「分かりました!」

 

 

 そうして皇甫嵩は拱手をしながら城壁を下りて行き、朱儁はもう一度包囲をしながら罵倒をして来る黄巾の軍勢に対し、憐憫を込めた視線を向けたのだが…やがて踵を返して城壁を下りて行ったのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 それから三日経ち、連日連夜罵倒を重ねたにもかかわらず動きを見せない官軍を見て、厳政は黄巾賊の者達を集めて宣言した。

 

 

「いいかてめえら!官軍の奴らは亀のように閉じこもり、俺達の罵声にもまるで応えようとしねえ。これは俺達と戦う事を恐れている証だ!!明日の夜明け、俺達は攻撃を開始する…!官軍の奴らに思い知らせてやろうぜぇ!!だからお前らぁ!今宵は思う存分喰らい、飲み、英気を養っておけ!!」

 

 

『うおおおおおおおおおっ!!!』

 

 

 その宣言に黄巾賊の者達はおろか、黄巾軍に所属していたはずの者達からも歓声が上がり始めていた。何せここ最近、波才は官軍が何かを企んでいるとして警戒を怠らないように厳命を下していたのだが、傍から見ると怯懦に塗れている様にしか見えない波才の言動に、黄巾軍の者達からも不満が漂い始めていたのである。

 

 

 その為厳政はこうした者達を少しずつ味方に引き入れる様になっており、互いに三万ずつ率いていた力関係は、今や黄巾軍が二万に対し黄巾賊が四万になっていたのである。その本陣も丘の上に黄巾軍の本陣、すぐ城砦に攻め入れるように、城砦のすぐ傍の所に黄巾賊の本陣と二つになっており、もはや合同軍とは名ばかりのものになりつつあった…。

 

 

 そうして黄巾賊の者達は、周囲の村や町から強奪した酒や食糧などを浴びる様に飲み、喰らい、馬鹿騒ぎをした末に殆どが酔いつぶれて眠りに就く事になる。…そんな光景を、波才は苦々しく見る事しかできずにいた。

 

 

「…………っ」

 

 

「波才様…」

 

 

「っ!卞喜か…」

 

 

 忸怩たる思いで眼下の光景を見ていた波才に声をかけたのは、副将として波才を支えている卞喜(べんき)という黄巾の武将だった。頬のこけた、日焼けした肌をしている男性で、流星槌と呼ばれる武具の扱いに長けた人物である。

 

 

「あいつら…もう戦勝気分に染まりやがって。まだ官軍の奴らを倒した訳じゃないってのに…『卞喜』っ!何でしょうか、波才様!」

 

 

「お前に最後の命を下す。もしこの戦い、敗北が決定的になったと思った時には…お前は輜重隊とそれを護る僅かな将兵を率いて青洲へ向かえ」

 

 

「な、何をおっしゃるんです!?」

 

 

 驚愕に顔を染める卞喜であったが、波才の顔はまるで悟りを得たかのように穏やかだった。

 

 

「俺には分かるのだ、この戦は負ける…既に勝つと思い込み油断をしている我々など、虎視眈々と好機を伺い牙を研ぎ続けている官軍には敵わぬとな。だが、それならば少しでも犠牲を減らすようにすることを考えるのが、将帥たる俺の役目」

 

 

「波才様…!」

 

 

「俺も少なからず将兵を逃がして合流させるつもりだ。青洲の管亥とは戦友でな、お前達の事も迎え入れてくれるはずだ。…お前はまだ若い。いいか、泥を啜ってでも…生き残れ。そして…」

 

 

 そう言うと、波才は卞喜の肩に手を置いた。

 

 

「叶うならば、この千々に乱れた乱世を平らげ…張三姉妹の方々が願った『悪徳役人たちに民草が苦しめられる事のない天下』を作れる英雄を探し、その者に尽くすのだ。いいな?」

 

 

「………っ!!!承知、しました……!」

 

 

 波才の遺言ともいえる命令を、卞喜は涙を流しながら拝命したのである…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 そうして夜も更けた頃…黄巾賊の野営地では僅かばかりの見張りすら立てる事もせず、全員が酔い潰れて泥酔する有様となっていた。そんな中…長社の城砦に変化があった。

 

 

 長社の城砦、その城壁に穴が開き始めたのだ…!しかもそれは内側から少しずつ、音を立てないように慎重に開けられている。やがてその穴が4つほど開けられたかと思うと、中から物音一つ立てないように将兵らが出始める…。

 

 

 そしてその将兵らの中には、千頭ほどの牛も連れてこられていた。その角には刀剣が巻きつけられ、尻尾には松明が括りつけられている…やがて将兵らは整然と整列したのだが、ここに至るまで一切物音一つ立てる事が無かった。

 

 

 やがてその将兵らの先頭に立った人物…即ち朱儁がゆっくりと片手をあげると、将兵らの何人かが牛の尻尾に括りつけられていた松明に火を付け始める。それによって尻を焼かれた牛達はたちどころに怒り狂い始め、同時に将兵が牛の尻に鞭を打ち付けると、牛達は猛然と唸り声を上げながら黄巾賊の本陣に突進していった!!

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 当然黄巾賊の本陣では突如として響き渡った牛の唸り声と地響きに慌てて目を覚まし始めた!!

 

 

「お、おいなんだこの唸り声、は…!?」

 

 

「う、うわああああ!??う、牛の大群がこっちに来るぞ!?しかも炎に焼かれながらだ!?」

 

 

「馬鹿!何としても止め…ぐげっ!?」

 

 

「う、うわあああああ!?熱い、熱いいいいい!???誰か、誰か火を消してくれえええええ!???」

 

 

 これに黄巾賊の者達はある者は押し寄せる炎に包まれた牛の大群に慌てふためき、ある者は何としても止めようと矛を構えたものの、牛の角に括りつけられた刀剣に貫かれながら突き上げられ、ある者は炎に包まれた牛に接触した事で炎に包まれる…と言う、まさに地獄絵図のような有様になった。

 

 

 しかもこの時、黄巾党の軍勢の方角に向かって風が吹きつけており、黄巾賊の野営地や本陣はその悉くが炎に包まれ、丘の上に陣取っていた黄巾軍の野営地や本陣にも飛び火しはじめていた!!そして同時に長社の城砦からは、銅鑼や鐘などで天地を鳴動させるかのように打ち鳴らし、まるで自分達の周囲を包囲されているかのような感覚に見舞われ始めていた…!

 

 

 そして…それを離れた場所で見ていた朱儁が、普段の彼からは想像もつかない大声を出して号令を下した!!

 

 

「今です!全軍、攻撃を開始してください!!城内にも合図を!!」

 

 

 その声に官軍の者達が武器を手にしながら喚声を上げ、各々武器を構えながら火牛の暴走によって混乱の坩堝に叩き落とされた黄巾党の軍勢に襲い掛かった…!!そして朱儁の傍にいた兵士が、火矢を天に向かって射放った直後、長社の城門も開け放たれ内部にいた官軍も喚声を上げながら黄巾党の兵士達を蹂躙せんと襲い掛かったのである。

 

 

「鮑韜!先の戦で溜まった鬱憤、存分に晴らせ!」

 

 

「おう、姉上!!皆行くぞ!!黄巾賊の連中、その悉くを蹴散らすぞ!!目指すは大将頸、ただ一つ!!」

 

 

 そして長社に集っていた諸侯の軍勢の中に、先の戦でわざと敗北をする事で敵をおびき寄せると言う任務を果たしてみせた鮑信率いる軍勢も、溜まりに溜まった鬱憤を晴らそうといの一番に混乱の渦中にある黄巾賊の陣営に攻め込んでいた…!!

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 一方、黄巾賊の陣地が紅蓮の炎に包まれると言う眼を背けたくなるような光景を、胸騒ぎがして寝つけず自身がいる天幕から出て見回りをしていた波才の目に焼き付いていた。その鼓膜には眼下に広がっている炎に包まれた黄巾賊の陣地にいる、黄巾賊の兵士達の悲鳴が途切れる事無く叩きつけられていた…!!

 

 

「こ、これは…っ!そうか朱儁め!そう言う事だったか!これは正に戦国時代の田単が行った策の再現…!!緒戦であえて敗北を装う事で我らをおびき寄せ、亀の様に息を潜めている事で我々に戦勝気分を抱かせて油断を深め、そうして我らの方に風が吹くのを待ち続けていたのだ…全てはこの策を果たすために!!朝廷において数少ない名将である三将の一人に、数えられるだけはあるか…!!!」

 

 

 自分達の行動、そのすべてが敵将である朱儁の掌で踊っていたに過ぎない事を波才は改めて彼の深謀遠慮に驚嘆を示していたが…やがて副将である卞喜が駆け付けて来た。

 

 

「波才様!!官軍の火計によって我らの陣地にも飛び火してきています!!不幸中の幸いと言うべきか、俺達黄巾軍の方は警戒を厳にしていたお陰ですぐに消火などに当たっていて、被害は抑えられてはいますが…黄巾賊の方は…」

 

 

「…無理だろうな。既に奴らの陣地は炎に包まれている、それに官軍の者達も攻撃を開始し始めた。逃げる事はまず難しいだろう。厳政も…恐らく焼け死んでいるか、敵の手にかかって討死しているだろうよ」

 

 

「では、我らは…」

 

 

 波才の冷静な分析に卞喜が言いにくそうにしているのを見て、波才も力強く頷いて命令を下す。

 

 

「卞喜!前もって命じていた通りお前は輜重隊と、それを護る五千程の兵と共に離脱しろ。恐らく朱儁や皇甫嵩らの狙いを読むならば、間違いなくこの好機を逃す事なく、我らの後方を別の場所に伏せている別動隊で襲撃するはず。輜重隊まで襲われ、糧秣を奪われる様な事だけは避けるのだ!!」

 

 

「…波才様、御武運を!!」

 

 

 波才の命に、卞喜は泣き崩れようとするのを必死に我慢しながら拱手をし、踵を返して部下に命令を下す為に駆けだした…!

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 一方、波才の分析通り…厳政に最後の時が訪れていた。炎に包まれる黄巾賊の陣地の中で、彼は何とか生き永らえていた。しかし周囲は炎に包まれて逃げ場は少なくなっており、時折未だ炎に包まれながらも死んでいない牛の突進によって部下達が次々と命を落とし、さらに追い打ちとばかりに官軍も城砦から出陣して襲い掛かっている…もはや敗北は時間の問題だった。

 

 

 既に副官である黄巾賊の男も牛の突進に弾き飛ばされそのまま炎に包まれると言う最期を遂げていた…。

 

 

「ち、畜生…!?こんなところで死んでたまるか!?何とかここを脱出して、宛城県にいる張曼成の旦那の下に落ち延びれれば…!!」

 

 

 炎から落ち延びようと生き残っていた馬に跨り、戟を手に逃げ出そうとする厳政…しかし、その彼の前を以前自分が戦った若者が立ちはだかった!

 

 

「おっ!?お前厳政だな!よっし!俺って運がいいぜ!!」

 

 

「て、てめえは鮑韜とか言う小僧…!?」

 

 

「大将がどさくさに紛れて逃げようとしてんじゃねえよ!まだお前の部下である賊徒達が戦ってるってのによ!」

 

 

 そう…鮑韜の言う様に、周囲を炎に包まれ官軍による攻撃が始まっても、黄巾賊の者達は何とか踏みとどまって戦っている者達もいたのである。自分達の大将である厳政と共に逃げようと考えて…。

 

 

「う、うるせえっ!?こんな状況で他の連中なんぞ気にしてられるか!?そこを退きやがれ!!」

 

 

「自分さえ助かるなら兵の命なんてどうでもいいか…気に入らねえよ、そういうの!」

 

 

 互いにそう吐き捨て一騎討ちを始める厳政と鮑韜。しかし今度は中々長引いていた。五十合も亘り合っているのになかなか決着が付かないのだ…!!

 

 

「て、てめえ…あの時わざと劣勢を演じてたってのか!?」

 

 

「その通りって奴だ!今更気づいても後の祭りってな!!隙ありぃ!!」

 

 

 この状況を見て厳政は、先の戦いでの鮑韜の不利が演義である事に気づきはしたものの時すでに遅し…不敵な笑みを浮かべた瞬間、裂帛の気合を込めて放たれた矛の刺突は、厳政の心臓を狙いたがわずぶち抜いていた。

 

 

「ぐ、ぐぼっ…!?」

 

 

「敵将厳政、鮑信が弟鮑韜が討ち取ったぁ!!」

 

 

 心臓を貫かれた厳政は口から血反吐をまき散らしながら落馬し、鮑韜は厳政の心臓を貫いて見せた矛を高々と掲げながら勝鬨を上げて見せる。それは離れた場所で馬上から弓を放ち続ける鮑信の耳にも届いていた。

 

 

「良晴、やったか…!やれやれ、あいつの一騎討ちの邪魔をされないように骨を折った甲斐があったな。だが…皆!わが弟、鮑韜が黄巾賊の頭目が一人、厳政を討ち取った!だが気を抜くな!まだ黄巾軍の者達もおり、戦いはまだ終わっていない!気を引き締めてかかれ!!」

 

 

『応っ!!』

 

 

 鮑信の激励を受け、彼女が率いる軍の将兵もまた力強く頷くと、今なお抵抗を繰り広げている波才率いる黄巾軍が陣どる丘目掛けて行軍を開始した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 朱儁の策謀によって炎に包まれた黄巾賊の陣地。その炎は夜の闇に包まれた空すらも赤々と染めていた。そしてその光景は長社の城砦から離れた場所に伏せていた曹操軍の目にもはっきり映っていた。

 

 

「あれは…!」

 

 

 それはいつ起こるとも知れない戦いに緊張して目が冴えてしまい、気分転換にと素振りをする為に天幕から出て来た一刀の目にも映っていた。

 

 

「一刀、貴方も起きていたのね?」

 

 

「華琳!この空って…」

 

 

「ええ、間違いない。恐らく朱儁殿の策謀による結果でしょうね。…既に皆には招集をかけた。一刀。貴方も準備は出来てるかしら?」

 

 

 華琳の問いかけに、一刀もまた力強く頷く。それを見た華琳は満足そうに頷くと踵を返して野営地の入り口に向かっていき、一刀もそれに続いた。入り口前まで来た一刀の目に飛び込んできたもの…そこには既に馬上の人となっている曹操軍の兵士たち。そして彼らを率いる夏侯惇や夏侯淵、曹仁と曹純も準備万端でいた…!

 

 

「皆、準備は出来てるわね?」

 

 

「無論です華琳様!!華琳様の命あらばこの春蘭、黄巾の者達がどれほどいようと蹴散らしてみせます!!」

 

 

「すでに招集は完了しています。あとは華琳様の号令を待つのみ」

 

 

 曹操こと華琳の質問に対し、夏侯惇こと春蘭は得物である七星餓狼を天に掲げながら堂々と宣言し、夏侯淵こと秋蘭は拱手をしながら彼女の号令を待っていた。それを見て華琳もまた兵士が連れて来た黒毛の駿馬…『絶影(ぜつえい)』に跨ると、春蘭達の方に向きながら宣言をしたのである。

 

 

「これより、我らも出陣をする!!皆も空を見て分かったと思うが、討伐軍の将帥である朱儁将軍の策謀によって、恐らく黄巾党の軍勢は混乱状態にあるのは明白!この機を逃さず、我らも黄巾党を討ち破る!!そして心せよ!この戦こそ、我が覇道の始まりであるという事に!!出陣!!」

 

 

『はっ!!』

 

 

 華琳の堂々とした号令に、曹操軍の将兵は皆拱手をしてこれに応える。そして間もなく、野営地に輜重隊の指揮を負かされた荀彧こと桂花と曹洪こと栄華と彼女達に預けた千の兵を残し、残り四千の曹操軍は出陣をしたのである。一刀もまた華琳から授けられた白毛に蹄の部分だけが黄色と言う毛並みをしている駿馬…『爪黄飛電(そうこうひでん)』に跨ると、彼女達に後れを取らないとばかりに馬を走らせた。

 

 

 そうして馬を走らせていると、彼女達の視線の先に輜重隊を連れながら黄巾軍の陣地から離れていく黄巾党の軍勢の姿が見えた。それを見て春蘭が意気込んで華琳に問いかけた。

 

 

「華琳様!どうやら離脱をしようとしているようですが如何しますか!?お望みとあらばこの春蘭が追撃をしますが!?」

 

 

 しかし華琳は輜重隊を連れながら陣地から離れていこうとする軍勢を一瞥すると、笑みを讃えながらこう答えた。

 

 

「無用よ春蘭、私達の目的は黄巾党の陣地を後背から攻めかかり、敵将を討つ事にある。確かに輜重隊を追撃して糧秣を獲得する事も魅力的ではあるけれど、逃げる相手よりも踏み止まり立ち向かってくる兵を討ち倒してこそ、誉となるんじゃないかしら?」

 

 

「おおっ…!!確かに!!この春蘭、感服しました華琳様!!」

 

 

「それに見なさい、あの輜重隊を護りながら撤退している将…糧秣を半分放棄して行ってる。恐らく全ての糧秣を運んでいては追いつかれると考えて捨てて行ったのでしょうね。…賊でありながら良い一手を打っているわね」

 

 

「…確かに。賊にしては惜しい判断能力と見ました」

 

 

「ただ、捨ておくのももったいないわね…華崙、柳琳!手勢の一部を率いて彼らが討ち捨てて行った糧秣を確保しておきなさい。残り三千はこのまま黄巾軍の陣地を後方から切り崩す!!続きなさい!!」

 

 

「了解っす!!」

 

 

「華琳姉様、御武運を…!!」

 

 

 そう命令を下し、黄巾軍が討ち捨てて行った糧秣の確保に華崙と柳琳が率いる千の兵士らが向かい、残りの三千の兵と華琳が股肱の臣と信頼を向ける春蘭と秋蘭、そして一刀らを連れて黄巾軍の陣地に向かっていった…!

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 一方、波才から輜重隊を護りながら離脱を命じられた卞喜は川を渡り、兗州の国境付近まで来て一旦兵を休ませた…。

 

 

「…どうやら、追撃はなさそうだな」

 

 

「卞喜様、俺達何とか助かったみたいですね…」

 

 

「ああ。だが、追撃を仕掛けられると考えて糧秣を半分捨てて行った俺の決断は徒労に終わってしまったな…」

 

 

 …実は卞喜はつい先ほど輜重隊を護りながら戦場からの離脱を行っていたのだが、陣地から離れて程なくした時に青を基調にした甲冑に身を包んだ軍勢が目に入った。

 

 

 輜重隊を護る為の軍勢を引き連れてこそいたものの、もし追撃を仕掛けられたとしたら…そう考えた卞喜は、自身に役目を命じた波才に心中で詫びながら運搬していた糧秣の一部を放棄する様に命じたのである。運搬量を減らす事で行軍速度も上がり、また捨てて行った糧秣を確保しようと敵軍の動きを鈍らせる事も出来る…そう睨んでいたのだが、どうやら敵軍は離脱する自分達よりも踏みとどまって戦っている者達に目を向けていたようだった。

 

 

 それはつまり、糧秣を放棄した事が全くの無駄になってしまった事に卞喜は落胆を隠しえなかったのである。そんな卞喜に、副将の一人が声をかけた。

 

 

「そんな事を言わないでください卞喜様!あそこで糧秣を捨てないで撤退をしていたら、敵の追撃に遭って糧秣を奪われるか燃やされるかのどちらかだったはずです!卞喜様の決断は間違っていないと思います!!」

 

 

「…そうか、礼を言う。だが皆、気を抜くな!まだ俺達は兗州の国境に来たばかりなんだ。このまま兗州を通過しながら青洲に入るまで油断をするなよ!」

 

 

『おうっ!』

 

 

「(波才様、俺は生きます…!生きて生きて、生き抜いて…必ず乱世を安んじる様な英雄に仕えて見せます!!)」

 

 

 卞喜は皆に号令をしながら、彼との誓いを思い出しつつ再び輜重隊を連れて逃避行を続ける事になる…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 そして卞喜が内心で別れを告げた波才は、文字通り死力を尽くして官軍の迎撃に当たっていた。

 

 

「怯むな!地の利は我らにある!!我らが奮戦を続ける事で離脱した者達が少しでも遠くに行く事が出来る!!覚悟を決めよ!!」

 

 

『おおおおおっ!!』

 

 

 波才の号令に黄巾軍の兵士達も咆哮を以てこれに応え、今も攻め上がって来ようとする官軍を迎撃し続けていた。その奮戦ぶりは凄まじいの一言に尽きるほどであり…皇甫嵩と朱儁、鮑信が率いている倍の規模の官軍を見事に押し留めていたのである。

 

 

「うおお…!?姉上、あいつらすげえ覚悟が決まってやがる!?圧倒的不利な状況だってのに、誰一人逃げ出そうとすらしねえ!?」

 

 

「死兵当たるべからずとはいうが…ここまで覚悟が決まっていようとは」

 

 

 その戦いぶりは鮑姉弟も感嘆の言葉を漏らし…。

 

 

「これはこれは…黄巾賊よりも遥かに手ごわい相手ですね。既に状況は自分達の不利であるにも拘らず、一兵たりとも怯懦に塗れる事なく挑み来ようとは。…これからの戦いにおいて、参考にせねばなりませんね」

 

 

 朱儁は黄巾軍と黄巾賊は別物であると理解し、今後の参考にせねばと竹簡を取り出して記録を取り始め…。

 

 

「負傷兵の多くなった部隊は、疲弊の少ない部隊と交代をしなさい!疲労の少ない部隊で波状攻撃を仕掛け続け、相手の疲弊を待つのよ!!(けれど黄巾軍がここまでの難敵だなんて…)」

 

 

 皇甫嵩こと楼杏は負傷兵の多い部隊を後退させながら波状攻撃を仕掛けて黄巾軍を疲弊させようと指揮を執るものの、彼らの強さに改めて脅威を抱いていた…。

 

 

 しかし、そんな黄巾軍の奮闘にも最後の時は唐突に訪れた…。

 

 

「は、波才様!!我らの後方から新たな敵軍が出現!『曹』の旗印で数は三千ほどですが精強無比であり、押し留めようとはしていますが突破されるのが時間の問題です!!」

 

 

「っ!!!…そう、か。恐らく回り込んできた別動隊が来たか…どうやら、最後の時が来たようだ」

 

 

 部下からの悲鳴じみた報告を聞いた波才は、自分達の抵抗がここまでである事を察せざるを得なかった。周りを見渡せば必死に戦っていた黄巾軍の兵士達の顔に愕然としたものが浮かんでいるのが見て取れている…間違いなく、背後に敵が現れたと言う情報が彼らの抗戦の意思を途切れさせてしまったのだろうことは間違いなかった…。

 

 

「…もはや、これまでよ。全軍に命じる!このまま戦うもよし、降伏するもよし。全てはお前たちの意思に任せる」

 

 

「波才様は…!?」

 

 

「…軍を率いる将帥として、生き恥を晒すつもりはない。最後に死に花を咲かせるつもりよ」

 

 

 だが、死にゆく事を決めた波才に対し…本陣にいた五百程の兵士達が従軍を申し出て来た。

 

 

「波才様、共に逝く事をお許しあれ!!」

 

 

「波才様だけを死なせて生き永らえようとは思いません!!」

 

 

「どうかお供を…!!」

 

 

「…死出の旅路だと言うのに、供を願うとはな。いいだろう…最後に官軍の者達に我らの覚悟の程、篤と見せつけるとしようぞ!!」

 

 

 波才の言葉に、本陣にいた兵士達は皆力強く頷くと、後方から来た曹操軍に向かっていった…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 そして程なくして、防衛線を突破して本陣に向かおうとした曹操軍と丘の上から駆け下りてきた波才率いる軍が鉢合わせた。

 

 

「成程、あれが曹操率いる軍か…!かかれ!死出の道連れには相応しい相手ぞ!!」

 

 

「…っ!どうやら死兵になっているようね。春蘭、秋蘭!!気を引き締めてかかりなさい!!気を抜けばこちらが討たれる事になる!!」

 

 

「御意!!」

 

 

「承知!私に続け!!死を覚悟した黄巾の兵たち、相手にとって不足なし!!」

 

 

 波才と彼が率いる軍を一瞥した華琳は、彼らが何れも死を覚悟している事を察し、生半可な覚悟ではこちらが討たれる事を直感。春蘭と秋蘭に気を引き締める様に命じ、二人も頷くとそのまま両者の軍は激突をする。

 

 

 干戈を交える音と絶叫と悲鳴…それらが響き渡る戦場。その中で、一刀もまた腰に差している鉄刀を使って戦っていたが…何と言う天の悪戯か、一刀の前に黄巾軍の将帥である波才が現れた。

 

 

「っ!?(あの鎧姿、間違いなく将軍クラスの人…!)」

 

 

「っ!?(何だ、あの純白の装束は…?…よもや、近頃噂に挙がっている『天の御遣い』と呼ばれる人物か?このような若者が…?)」

 

 

 互いに逡巡をしてはいたものの、戦場に立っている事を思い出しそれぞれに得物を構えた。

 

 

「…小僧、名を名乗れ。戦場に立った以上、名乗らぬまま死ぬとあっては無念であろう?」

 

 

 その凄まじい眼光、そしてその身に纏う覚悟を見た一刀は身震いしながらも臆する事無く名乗った。

 

 

「北郷、一刀…!」

 

 

「…聞き慣れぬ名よ。だが、良き名ではある。…潁川黄巾軍が将帥波才!!そなたの前に立つ者の名を覚えながら、この場で死ぬがよい!!」

 

 

 そう言い放ち、波才は大桿刀を振り回しながら斬り懸かる。これに一刀も鉄刀を使って迎え撃ち始める…!そのまま両者は互いに一歩も譲らず戦い続け、いつしか周囲には曹操軍と黄巾軍の兵士が円陣を組み、固唾を呑んで見守り始めていた。

 

 

 その光景は『絶』と言う銘の大鎌を振り回しながら血風を吹き散らしている華琳や別の場所で戦っていた春蘭と秋蘭、そして香風の目にも映っていた…。

 

 

「…っ!(一刀、貴方はこの私の下に降り立ち私に仕える事を誓った男。ならばこそ、負ける事は許さないわよ…!)」

 

 

「一刀!!貴様はこの私を負かしてみせたのだ!!負けるなよー!!」

 

 

「…北郷、信じているぞ?」

 

 

「一刀、頑張れ…!」

 

 

 そして…彼らの戦いにとうとう決着の時が来た。波才の大桿刀の横薙ぎを受けた一刀が後方に吹き飛ばされ、それを見た波才が好機とみて飛び掛かろうとしたが…次の瞬間、驚愕するより他なかった。

 

 

 何故なら、弾き飛ばされた一刀はそのまましっかりと両足で着地し、鉄刀を上段に構えたかと思った直後…。

 

 

「きええええええええい!!!」

 

 

 その身から凄まじい咆哮を轟かせた一刀に、波才は思わず硬直してしまう。しかしその一瞬の隙を一刀は見逃す事なく、瞬時に近づき上段に構えている鉄刀を握る手に力を入れる。そして…!

 

 

「ちぇすとおおおおおおおおお!!!!」

 

 

 再び掛け声を上げながら振り下ろした一刀の鉄刀は、波才の頭蓋を兜ごと叩き割っていた…。しかし、波才はそれでも立ち続けていた。頭蓋をかち割られ、もはや命の灯が消えるのを待つだけになってもなお…彼は大桿刀を杖代わりにし、倒れる事だけはしなかったのである。

 

 

「……見、事。北郷、一刀よ…貴様の一撃、しかと、見届けた」

 

 

「俺も…貴方の様な人と初めて戦った。覚悟を決め、抱いた願いの為に戦って勝とうとする人と。そして、そんな人を殺した事を…。俺はこの事を二度と忘れる事もしないし、これからも貴方のような人の願いを背負って…戦い続けるよ」

 

 

「…そう、か。(張角様、張宝様、張梁様…申し訳もありません。貴方達が目指した理想の世…それを見る事なく先立つこの身をお許しあれ。なれど…ともすればこれほどの若者が仕える事を誓った曹操こそ、貴女方の理想とする世を作れる、英雄かもしれませぬ。どうか…貴女方の身の安寧を、冥府より祈っております)」

 

 

 一刀の覚悟を決めた言葉に、満足した様に微笑みながら…波才は文字通り、得物を握りしめ立ったまま息絶えたのである。それを見て、一刀は暫くの間瞑目をしていた。相対した相手の死を悼むかのように…。

 

 

「………『一刀』華琳」

 

 

「見事だったわ一刀。貴方は一人で、誰の手も借りる事なく敵将を討って見せた。そして、貴方の覚悟も改めて聞かせてもらった。これからも、私を支えなさい?」

 

 

「…もちろんだ、華琳」

 

 

 そう言って頷きながら、強い瞳を見せる一刀に満足げに微笑みつつ…周囲にいる自身の将兵に。そして今も前線で戦っているであろう官軍の者達にも聞こえる様に高らかに勝鬨を上げた!!

 

 

「黄巾軍の将帥波才!!曹孟徳の臣下が一人にして天の御遣い、北郷一刀が討ち取った!!!」

 

 

『うおおおおおおおおおおっ!!』

 

 

 華琳の勝鬨に続き、曹操軍の将兵による勝利を喜ぶかの様な喚声は文字通り周囲に響き渡る。ここに……潁川における黄巾党の戦いは幕を閉じる事となる。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 戦いが終わり、戦後の論功行賞などを行った官軍は次の相手である南陽黄巾賊の討伐に赴こうとする。その時、先んじて彼らと戦っていたのは江東の虎とその娘達。そして少しずつ成長し始めた名家の少女だった…。続きは次回の講釈で。




 オリジナル人物


『鮑信』(容姿、性格は『織田信奈の野望』に登場する相良義陽を参考にしました!)


 兗州泰山郡東平陽県出身の人物。一人称は『私』、武器は剣と弓。真名は『照陽』


 華琳がまだ私塾に通っていた時に出会った同年代の学友であり、華琳の底知れない才気と大志を見て距離を置こうとする人達を尻目に、彼女に媚びる事もなく怯える事もなく同じ学友として接し続けた人物でもある。


 自分の事を知恵が回るだけ、寛大で節義を弁えているだけの人間と自己評価をしているが、華琳からは『一国一城を預けるに足る人物』として『もし自分が国を築いたのなら、力を貸してほしい』とまで誘いをかけたほど。


 私塾を卒業した後は故郷に戻っていたが、黄巾の乱勃発の際には何進の招集を受け、騎都尉として参戦する事になり、その際学友である華琳と再会を果たす事になる。


 三国志演義の方では無能な人物と書かれているが、正史三国志においては反董卓連合に参加した時、他の諸侯が袁紹になびく中で、曹操を英雄視して親交を結び、袁紹が冀州を取って強勢になると、袁紹が第二の董卓になる可能性を上げて警戒するように曹操に伝え、黄河の南を平定し、力を蓄え時を待つべきであると進言するなど曹操の事を支える場面の多い人物である。


『鮑韜』(容姿、性格は『織田信奈の野望』に登場する相良良晴を参考にしました!)


 鮑信の弟。一人称は『俺』、使用武器は矛。真名は『良晴』。


 楽天的で怖いもの知らず。また戦場に立つ者として生き死にに過剰になる事は無いが、部下を捨て駒にして逃げようとする相手に対しては義憤を向ける事もあり、鮑信軍においては彼を慕う兵士達が多い。


 姉である照陽にとっては頭を悩ませることの多い一方で、その明るさを温かく見守っている。


 天の御遣いと呼ばれる事の多い一刀に対しても気さくに接したりすることが多く、後に一刀とは戦友の様な関係を築く事になる。


 正史、演義のいずれにおいても反董卓連合に参加するもののその最中に討死する事になる人物であるが、演義においては華雄に討ち取られ、正史では曹操軍に参加して董卓軍の追撃に参加するも董卓軍の武将である徐栄と曹操が戦った際に討死したとされている。
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