潁川にて勃発した黄巾党と官軍の激突。その結果は官軍を率いる二人の将帥の片割れたる朱儁の練り上げた火計により、黄巾軍と黄巾賊の連合を討ち破った事で官軍の勝利に終わる事となった。
この戦いにおいて黄巾党の軍勢は、豫州黄巾賊の三万と潁川黄巾軍から鞍替えした者達一万の合計四万が、朱儁が計画し、仕掛けた火計によって殆どの兵士が炎に焼かれ、煙に巻かれた直後に官軍による攻撃も相まって殆どの者が生きて帰る事が無かった。
率いていた将帥である厳政も討死し、豫州黄巾賊は文字通り全滅した事になる。それでも千の兵士が武器を捨て投降をしていたが…。
一方の潁川黄巾軍は二万の内、五千は黄巾軍の将帥である波才の副将であった卞喜の指揮に従い、輜重隊と共に離脱。残り一万五千を率いた波才は八万の官軍を相手取り、七千以上の死傷者を官軍に齎すと言う活躍を成した。
しかしその波才も後方から攻め寄せた曹操の別動隊の襲来を受けて敗北を察すると、本陣にいた五百の兵士と共に死を覚悟すると迎撃をする事を決断。この時未だ全線で戦っていた者達に降伏をするもよし、抗戦をするもよしと号令を下してから出陣。
そして、防衛線を突破した曹操軍と激突した末に、天の御遣いこと北郷一刀と一騎討ちを演じた末に討死を遂げる事になる。この時彼と共に迎撃に当たった五百の手勢も、文字通り一兵残らず討死をする事となった。また、官軍を迎撃していた黄巾軍も、傷病兵と彼らの警護に当たっていた二千程が投降する事となる…。
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「さて皆さん、此度の潁川における黄巾党の討伐…皆さんの活躍によって彼らを討ち破り、潁川平定を成し遂げる事が出来ました。あなた方の助力にこの朱儁、心から感謝の意を示します」
長社の官軍本陣にて、朱儁は居並ぶ官軍の諸将に対し、演説台から感謝の意を示していた。それを聞いた諸将らも喜色を露にしている者達も多かった…。
「ですが、まだ黄巾党が壊滅したわけではありません。荊州・南陽黄巾賊や青洲黄巾軍。そして遠く幽州においても黄巾賊に加担する賊徒も跋扈しており、戦いは激しさを増す事でしょう。皆さん方にはあらためて助力の程、宜しくお願いいたします」
そう言って深々とお辞儀をする朱儁。それに諸将らも頷いてこれからの戦いに備える事となる…。その後本陣の天幕において論功行賞が行われる事となった。その陣幕の、朱儁と皇甫嵩が座っている椅子の前にある机には、先の戦いで討ち取られた黄巾賊の首領である厳政と、黄巾軍の将帥である波才の首級が台に置かれてあった。
その死に顔は、厳政の方は驚愕と絶望に染まった醜い顔だったのに対し、波才の方は苦しむ事もなく穏やかに旅立った様な、安らかな死に顔だった…。
「まず名前を上げるのは、鮑信軍の将鮑韜!」
「(良晴、呼ばれたぞ。行ってこい)」
「は、はい!!」
皇甫嵩の指名に対し、照陽が彼の腹を横から小突いて知らせ、良晴も緊張しながらも返事をして進み出ると、跪いて拱手をした。
「貴方は豫州黄巾賊を率いた将帥である厳政を討ち取り、首級を挙げたそうですね。その活躍、実に見事です。金一封と新しい鎧を授与します!」
「か、感謝します!!」
官軍の副将が盆に載せてある金の入った袋と授け、二人の兵士が運んできた見事な細工が施されている甲冑を乗せた盆を目の前に置かれた鮑韜は、改めて拱手をして感謝の意を示した。そして…皇甫嵩は次の勲功を挙げた者の名を挙げた。
「続いては…曹操軍の将、北郷一刀!」
「(行きなさい一刀。胸を張って、堂々とね?)」
「(…分かった、華琳)はい…!」
そうして一刀もまた、華琳が促してきた声に応える様に頷くと前に進み、皇甫嵩と朱儁の前に拱手をしながら跪いた。
「北郷一刀、この戦いにおいて貴方も黄巾軍の将帥である波才を討ち取って見せた。その功績を表し、金一封を授与します。それと…二人には朱儁将軍からも別に貴方に授与したいものがあるそうですよ」
「えっ…!?」
驚きに顔を染める一刀が朱儁の方に顔を向けると、朱儁が微笑みながら頷いて立ち上がると、一刀と鮑韜に近づいてきた。
「鮑韜殿、一刀殿。この度の戦いにおける貴方と鮑韜殿の活躍をたたえ、私からの贈り物を受け取って下さい」
そう言って朱儁が手を挙げると、陣幕の布が上げられ…そこに数人の兵士が何かを運んできた。そうして一刀と鮑韜の前で広げられたのは…鮑韜の前には藍色の、一刀の前には蒼色の精巧な縁取りが施された、何も書かれていない軍旗だったのである。
「軍旗とは言うなれば戦場に立った将帥を象徴する大切なもの…今回の戦いで活躍をした貴方達は、これから先将帥として配下を率いる事とてあるでしょう。なのに軍旗がないのでは格好がつかないでしょう?…受け取ってもらえますか、二人とも?」
「あ…ありがとうございます!朱儁将軍から賜った軍旗、それに恥じない将帥に俺はなって見せます!」
朱儁の心づくしに、鮑韜は歓喜を露にしながら頭を下げ…。
「朱儁将軍…感謝します!貴方が授けてくれたこの軍旗に恥じないように、これからも戦い抜いて見せます…!」
一刀もまた、彼が授けてくれた軍旗に恥じない生き方をする事を改めて誓ったのである…。
「ええ、その答えが何よりも嬉しいです…お二方も、よろしかったでしょうか?」
二人の答えに朱儁は嬉しそうに微笑むと、後ろにいる照陽と華琳に問いかけていた。
「弟にはもったいないぐらいの褒美と思っています。朱儁将軍、貴方に心からの感謝を」
「私も同様です。一刀は未だ未熟なれど、いずれは私の下にありながらも天下にその名を馳せる将帥になる様、これからも彼を鍛え、磨き続ける所存です」
それに二人もまた、朱儁の計らいに感謝を示したのである…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
そうして論功行賞が終わり、本陣の陣幕から出て野営地に戻ろうとした一刀達…。しかし、野営地に戻ろうとした一刀の目に映ったのは…。
「いやだぁ!!助けてくれぇ!!」
「死にたくねえよぉ!??」
降伏をするも、豫州を暴れ回り略奪と破壊を行った事で情状酌量の余地無しとして処刑される事になった黄巾賊の捕虜たちが泣き叫びながら命乞いをするも、全く無視をしながら官軍の兵士達によって次々と処刑用の斧で首を刎ねられていく一方で…。
『…………』
同じく虜囚となり、まだ沙汰こそ下っていないものの…命乞いの一つすら吐く事もせず、沈黙を保ち続ける黄巾軍の捕虜達の姿があったのである。それを見て、一刀は胸が苦しくなる思いを抱きはしたものの、今の自分には国に反逆をした黄巾の者達を救う事は出来ない事も理解しており、黙って見護る事しかできなかった…。そしてそんな一刀に気づいた華琳もまた、一刀に厳しさと優しさの入り混じった視線を向けていた。
そしてそんな黄巾軍の捕虜達の前に皇甫嵩と朱儁らが姿を現した…。
「…さて、次は黄巾軍に対する処罰ですね」
「朱儁殿…私としては処断するべきではないかと思っています。調べた所によれば、黄巾軍の者達は略奪などに手を貸すどころか、黄巾賊らによる略奪などから村や町を護っていたとされていますが…やはり朝廷に反逆した者達を許すようなことになれば…」
皇甫嵩が悩ましそうに呟くのを尻目に、朱儁は恐らく黄巾軍の捕虜たちのまとめ役であろう年長の人物の前に歩み寄ると、静かに問いかけた。
「貴方が黄巾軍の捕虜たちのまとめ役ですね?…何か要望があるのなら、仰ってください」
「……お許しくださるならば、どうか波才様の後に殉じる事を叶えてくださいますでしょうか?」
「っ!?」
その纏め役の答えに、朱儁のみならず後ろにいた皇甫嵩すら驚愕に目を見開いた。
「所詮我らは漢に反逆をした者達…張角様らの下に集うと決めたその時から、反逆者として処断される事も覚悟の上でした。負傷兵らを護る為に投降をいたしましたが…それでもお許しいただけるならば、どうか我らも波才様達の後を追わせてほしいのです…!!」
そう言い切った纏め役の男は、額を地面に叩きつけて懇願をし始めたのである…。その瞳からは滂沱の涙が止め処なく流れ続け、その言葉に一切の嘘偽りがない事は明白だった…。そして彼が頭を下げたのと同時に、他の黄巾軍の捕虜達もまた頭を地面に擦り付けていた。
これを見て朱儁は暫し考えこんでいたのだが…一瞬だけ視線を皇甫嵩の方に向け、まるで面倒事を押し付けてしまう事を申し訳ないと言う風に苦笑いをすると、再び真面目な顔をしながら纏め役の男の方に向いて言葉を発したのである。
「…では、処断を下します。貴方達黄巾軍の捕虜の処罰についてですが…殉死は認めません。その代わり、黄巾の跋扈によって荒廃した豫州並びに潁川の復興を命じます」
『っ!??』
「え、ええっ!?朱儁殿!?」
「(あっ…)」
その朱儁の決断には、黄巾軍の者達は驚愕に顔を染めており、朱儁もまた同様だった。一方の一刀は驚く一方で、彼らの命が一時的に助かった事に安堵しそうになって、慌てて気を引き締めて事の次第をしっかり聞こうとした…。
「貴方達はまだ知らないかもしれませんが、今豫州では黄巾賊の跋扈と暴虐によって荒らされていない村や町が無いと言えるほどに荒廃しているのです。これらを復興するにしても私達官軍には黄巾党討伐と言う仕事がある以上、復興作業に向ける人員はいません。かと言って荒廃した土地をそのままにしては、官軍にしても補給物資の確保が滞ってしまいますからね…ですが、ちょうどいい時に黄巾軍の捕虜を確保できました。彼らに復興を任せれば、私達は黄巾党討伐に全力を向ける事が出来るではないですか?」
そう語る朱儁であるものの…皇甫嵩にしてみれば、朱儁がかなり危ない綱渡りをしていると察せざるを得なかった。何せ幾ら民草に対しての略奪などもせず、それどころか黄巾賊の略奪などから村や町を護っていたとはいえ、一度国に牙を剥いた者達を処断するどころか荒廃した土地の復興を命じたのだから…。
だが、そんな事を考え不安そうに顔を歪める皇甫嵩に対し、朱儁もまた苦笑いをしながら語り掛けて来た。
「楼杏殿、言いたい事は分かります。ですが私達はこの討伐軍を率いる将帥です、捕虜たちの生殺与奪は私達に委ねられているんですから。そもそも大将軍からの命は『世を騒がす黄巾の者達を討伐せよ』とありますが、『投降した者達をも一人残らず皆殺しにせよ』とは、命じてきてはいないでしょう?」
「そ、それは………もう、分かりましたよ!」
こう言われると流石の楼杏も返す言葉が浮かばず、やがて溜息を一つ付いて朱儁の決断を受け容れざるを得なかった。それを見て朱儁は、巻き込んでしまった楼杏に頭を下げつつ、染み入る様な笑みを浮かべながら纏め役の男に視線を向けて言葉を発したのである。
「……慕う主の後に殉じたいと言う想いは立派です。ですが、ここで貴方達が一人残らず殉じたとすれば、貴方達が慕っていた波才と言う男の事を誰が語り継ぐのです?語り継ぐと言う行いは、生きている者だけが為し得ることなのですから…」
その言葉を聞いた纏め役の男は、目の前にいる朱儁と言う男が遠回しに自分達に『殉死をする事は許さない、自分達が敬愛した波才の事を風化させないためにも、どれだけ泥を啜ったとしても生き延びなさい』と言っているのを感じとり、気づいた時には言葉を押し殺しながら頭を地面に擦り付けており、それは他の黄巾軍の者達も同様だったのである…。
それを見た一刀は彼らが助かった事に安堵の溜息をもらしていた。当然厳しく見張りなどを付けられ、荒らされた村や町の人々から睨まれながらの復興作業は困難を極めるだろうが…生きているのなら、きっと成し遂げる事が出来るだろう。そして一刀の心には、ある考えが浮かんでいた…。
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「…張角達を助けられないか、ねぇ?」
曹操軍の陣地に戻った一刀が、華琳達に自身の意見を漏らしたものの、当然華琳からの返答は芳しくないものだった。
「うん…まあ、自分でもこんな事を言って通る訳は無いとは思っているよ」
「…それが分かってるならどうしてそんな危険な賭けみたいな提案を華琳様に発言したのか、しっかりした理由を聞かせてほしい物ね?」
また、華琳に軍師として仕えている桂花にしても一刀の提案はあまりにも危険な賭けとしか思えない為、憤りを露にしつつも冷静になろうと努めながら詰問をし始めた。これに一刀もまた頷くと自分の提案…黄巾党の首領ともいえる張角達を自分達に引き入れる事の説明を始めたのである…。
「…華琳はこの先、天下を治める為に戦う事になる。けどその為には優れた人材や確固たる地盤もそうだけど、それに加えて強力な兵力も必要になると俺は思っているんだ。その点でいえば…」
そこまで説明をした一刀に対し、秋蘭は彼の言いたい事に気づいたのか感心した様に言葉を発した。
「ふむ…成程な。確かに黄巾軍の者達は一刀の目から見れば、華琳様の歩む覇道の道程において、非常に心強い味方になるという事か」
「確かに…私達もあの時黄巾軍の者達と戦ったが、奴らの強さは本物だった!何せ私や秋蘭が率いた軍勢でも中々に苦戦を強いられたものだからな!!」
そして春蘭もまた、あの戦いの場に立ち、黄巾軍の者達とも干戈を交えた事もあって黄巾軍の強さを誰よりも感じ取っていたのである…。
「うん、二人の言うとおりだ。けれど、ただ黄巾軍を勧誘したとしても俺達はいわば官軍側の人間…多分俺達にいい顔をしないし、勧誘をしても拒まれると思ってる。けれど…」
そこまで一刀が説明をした時…桂花は軍師としての武器である脳裏に浮かんだ考えに、思わず仰天する事になる。
「っ!?あんた…だからこそ、黄巾党の首魁と言える張角達を引き入れる事で、彼らを慕う黄巾軍を取り込もうってこと!?」
「ああ。…黄巾軍は、張角達が掲げた『漢朝を討ち倒し、罪なき民草が貧困に苦しめられない國を作る』って言う理想に共感して、彼らに対して助力を惜しまなかった。そして華琳は『腐敗した漢朝を倒し、新しい国を作って天下を安んじる』って言う理想を掲げている。……張角達に接触して説得をすれば、味方に出来る可能性は高いんじゃないかと思うんだけど、どうかな?」
そこまで説明をして華琳を見た一刀…そして当の華琳はと言うと、顎に手を当てながら考え込んでいたが、やがて一回頷くと自身の考えを挙げた。
「…考えとしては悪くないけれど、先ずは『どうやって張角達に接触するか』が抜けてるわね。今張角達は冀州の
「それは…うん、そうだね」
華琳の指摘に、一刀はその通りだと頷くより他なかった。一刀自身、今考えた提案は未完成である事を理解していたのだから。
「とりあえずこの話はここまでにしておきましょう…それより一刀。貴方、朱儁将軍から授与された軍旗をどの様にするかを決めたのかしら?」
「あっ、そうだった…少し考えてくるよ!」
そう言うと一刀は自分に宛がわれている天幕に向かおうと、今いた陣幕から出て行った。…それから程なくして、華琳は愉快そうに笑いだしたのである。
「………うふふ」
「ど、どうなされましたか華琳様!?」
「大丈夫よ春蘭、一刀の提案も中々悪くないと思ったのよ。それに…」
「それに…何でしょうか?」
秋蘭が疑問に思い問いかけると、華琳は満足そうに頷きながら述べ始めた…。
「あの提案…一刀が自分で考えて私に提案した事が嬉しかったのよ。ただ情にほだされて…と言うだけでなく、私にどの様な『利』があるかも考えた上で立案をして見せた…日に日に成長している事が、私にとっては嬉しかったという事。…弟子の成長を喜ぶ師の心境とは、こう言う物なのかしらね?」
「…軍師の私からすれば、穴だらけであるのは否めませんがね」
華琳が一刀の事を褒めている事に、桂花は不服そうにしながら付け足していたが…それでも華琳は微笑みを絶やす事がなかった。
「ええ、桂花の言うとおりね。けれど…どの様な英雄であろうとも、経験を積む前は誰もが失敗を犯す者よ?寧ろこの経験を糧にして、成長をしてくれると言うのなら…私としてはとても嬉しいと思っているのだけど?」
そう言い切ると、華琳は春蘭や秋蘭、桂花達を見回しながら宣言した。
「皆もよく心得なさい?己が才を誇るのは構わない。けれどそこで学ぶ事、研鑽を積む事をやめた時…人は簡単に零落するもの。ならばこそ、常に研鑽を積み続ける事を怠るな!私は才ある者を愛するが、才にかまけて堕落する事を嫌うが故に!」
『はっ!』
華琳の言葉に、春蘭や秋蘭、桂花らは一斉に拱手をしてこれを受託する事となる…。因みにその後、一刀は朱儁から授与された軍旗のデザインについて、自身の名前である北郷の『北』の字を取る事となり、後に華琳の指示を受けて『北家軍』と言う軍の名前を授かる事となるのだが、それはまだ先の話である…。
・・・・・・・・・・・・・・・
それから程なくして、皇甫嵩と朱儁らの呼び出しを受けた華琳は、桂花と夏候姉妹。そして一刀らを連れて向かった。
「皇甫嵩将軍、朱儁将軍。騎都尉曹操、ただ今参りました」
華琳が拱手をしながら頭を下げるのと同時に、一刀らも拱手をして頭を下げた。
「待っていたわ曹操殿。これからの動きについて話し合いをしようと思って呼んだの…では朱儁殿、宜しくお願いします」
曹操らの挨拶を受けた楼杏が会議の目的を伝えると、共にいた朱儁に状況の説明を求めた。
「分かりました楼杏殿。…黄巾軍の捕虜から聞いた情報や、周辺に偵察隊を派遣して集めた情報を精査して分かったのですが、やはり黄巾党における一大勢力であった豫州黄巾賊と、潁川黄巾軍の壊滅が周囲に衝撃を与えたようです」
「…やはり、動揺が広がっていると?」
状況を説明した朱儁の言葉に照陽が脳裏に浮かんだ考えを述べると、朱儁も同意するかのようにうなずいた。
「その通りです。まず行動を起こしたのが汝南黄巾軍を束ねていた劉僻と言う人物なのですが…この長社での戦いの結果を聞き及ぶや否や、副将である龔都と共に軍を解散。七千の兵を連れて青洲に向かったようです。これは潁川黄巾賊を束ねていた何儀も同様であり、三千程の手勢を率いて青洲に向かったとか…」
「(……多分だけど、分断されて各個撃破される危険を回避したとみていいのかな、桂花?)」
「(そうね…って、あんたもそこまで読めるようになったのね?まあ、これくらいは当然って所かしら?)」
朱儁の説明に一刀が黄巾党側の考えていた事を理解し、桂花に問いかけると、彼女は一刀の読みに感心しながら頷いたのである。
「そしてこの報は荊州、南陽黄巾賊を束ねている張曼成も衝撃を受けているらしく、本拠地としていた宛城県から北にある
『御意!!』
朱儁の決定に諸将も拱手をしてこれに応える。そうしてそれぞれに指示が下る中、次に指示が下されたのが華琳と照陽だった。
「鮑信殿の軍には…誠に残念ですが、復興作業に従事する黄巾軍の監督役を任せたいのですが宜しいでしょうか?先の戦いにおいて活躍をした貴方達にこの様な雑務を押し付けるのは心苦しいのですが…」
「いえ、構いません。荒れ果てた土地の復興…それもまた官軍として参加した我らの務めに他ならないと思いますので。…鮑韜、構わんな?」
「ああ、良いぜ姉上!一刀、しっかり活躍して来いよ!!」
鮑信はこの命令を快く受け入れ、また弟である良晴もまたそれに従い、同年代の戦友と見ている一刀にも激励をして別れる事となった。そして…。
「では曹操殿、貴公の軍には我々と同行して頂き、南陽黄巾賊の討伐に協力して頂きたいと思います。連戦となりますが、大丈夫でしょうか?休息を望むのならば遅れて参陣する事も許可しますが…?」
「心配り、恐縮にございます。ですが心配は無用、配下の者達には十分に休息を取らせていたので…皆、出陣の用意を!」
『はっ!』
華琳の指示を受けて春蘭と秋蘭、桂花達は拱手をしながらこれに応え…一刀も拱手をしながら次の戦いの準備を進める事となった。
それから間もなく、官軍は豫州の復興を行う黄巾軍の捕虜の監視を務める事になった鮑信軍を残し、出陣と相成った…。
・・・・・・・・・・・・・・・・
そして次の目的地である荊州は南陽郡に向けて兵を進める事になった官軍であったが…その際、華琳は出発前に疑問に思った事を朱儁に質問していた。
「…一つ聞きたいのですが、南陽黄巾賊に対して討伐をする際に彼らと戦う軍団と言うのは、我々の他にいるのでしょうか?いえ、先の戦いにおいて軽微ではあっても消耗をしている私達官軍も連戦をする以上、連戦をする事の不利があると思ったので」
「流石は曹操殿、私達の状況などをよく見てくださっている。…実は南陽郡の統治を任せられていた袁逢殿から近況報告を兼ねた書状を受け取っていましてね。袁逢殿の息女である袁術殿が参加している袁逢軍…そして、長沙から北上してくる孫堅殿率いる軍勢が合流し、先んじて南陽黄巾賊との戦いに及ぶとのこと。…かの『江東の虎』の驍勇、篤と拝見するとしましょうか?」
「(孫堅…江東の虎と呼び称される程に武に秀でた人物とは聞いているけど、実際に会うのはこれが初めてね。ふふふ…我が覇道を阻むに足る相手か、見定めるとしましょうか?)」
そう言いながら朗らかに笑う朱儁であるが、その目には孫堅の力量を見定めようと言う光が強く宿っていた。そしてそれは華琳も同様であり、いずれ天下を競うであろう好敵手との出会いに、我知らず気持ちが高ぶっていたのであった…。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、時は官軍と豫州・潁川の黄巾連合軍が激突していた頃に遡る…。
この頃南陽では、黄巾党の将帥の一人である張曼成率いる南陽黄巾軍が南陽の地を席巻していた。この張曼成と言う人物、元は漢朝の役人の一人であったのだが…生来野心家であり、現在の皇帝である劉宏が幼少であるのをこれ幸いとばかりに、自らが漢朝を牛耳ろうと言う大それた野心を抱いていた。
しかしすでにこの頃の朝廷は十常侍らによって牛耳られており、当然目を付けられていた張曼成はありもしない罪を押し付けられた末に投獄。死罪になる所を貯め込んでいた私財を賄賂として十常侍らに送る事で何とか命だけは助かる事となり放逐されたのである。
この為十常侍らには並々ならぬ恨みを抱いており、張角達黄巾党の下に馳せ参じたのも、彼らの力を使って十常侍らを失脚させようと言う考えを持っていた。
なので当然張角達の『漢朝を討ち倒し、罪なき民草が貧困に苦しめられない國を作る』と言う理想には全くもって共感しておらず、それどころか『下らん夢物語に付き合う積りなどないわ!!』と吐き捨てるほどだった。しかし表向きは共感している様に装い、信頼を得る事に注力した結果、張角の妹である張宝からの命を受けて黄巾軍を率いて南陽郡に出陣。
そうして当時の南陽太守であった
そして張曼成は南陽における自らの拠点として、南陽袁家が治めていた『宛城』に狙いを定めて攻め寄せたのだが…ここで思わぬ計算違いが起こる。
この頃の宛では、執金吾として朝廷に勤務していた袁逢が事態を聞き及んで宛に帰還しており、黄巾賊の進軍と言う報を受けて直ちに防衛を行おうとしたのだが…それに意見をした者がいた。娘である袁術である。
『母様!黄巾賊の者達は七万と言う大軍、一方の妾達の軍は集められても二万が精々なのじゃ!幾ら城壁を頼りに守りに徹したとしても、いずれは数の力の前に突破されるのは時間の問題だと思うのじゃ!』
『それは、そうかもしれないけれど…けれど美羽、では貴女はこの状況をどうすればいいと思っているのかしら?』
『…稚拙ではあるが、妾の考えを聞いてはもらえぬか?』
そう言って袁術が提案した献策…それを聞いた袁逢は流石に驚きを隠せなかった。
『宛城を放棄する、ですって…!?』
『うむ、まず民草を含めた者達を宛城から南側にある県などに避難させるのじゃ。この時宛には米の一粒も残さぬ様に運びだしての。そうして黄巾賊には兵糧も何もない空の城となった宛城を制圧させるのじゃ。そうしたら間髪入れずに攻撃を開始するのじゃ。当然黄巾賊の者達は防衛をしようとするじゃろうが…城にあるはずの妾達の糧秣がない事に気づけば自分達が城ではなく、檻に入ってしまった事に気づくはずなのじゃ!』
『…そうして殲滅する、という事ね?』
『いや、完全に包囲をするのではなく逃げ道を作っておくつもりなのじゃ。恐らく黄巾賊を率いる頭目は状況の不利を察すればすぐに撤退を決めるかもしれんのじゃ。なのに完全に包囲をしてしまえば強固に抵抗をして来る事は間違いない…だからあえて逃げ道を作っておく事で敵に撤退を優先させるように仕向ける積りじゃ!』
『殲滅ではなく、撤退を促すという事?』
『うむ!その後で再び妾達が城に入って防御を固め、黄巾賊を迎撃するのじゃ。緒戦で妾達が勝利を飾る事が出来ればその後で防衛をするにしても指揮を高くして臨めると思うし、黄巾賊にしてみれば緒戦で敗れる事で士気が下がった状態で攻城をする事になり、戦況を有利に働けると思うのじゃ!!』
この袁術の考えを聞いた袁逢は、娘の成長ぶりに舌を巻くより他なかった。嘗ては可愛らしくもあったが我儘放題で頭痛の種とも言えた娘の袁術…しかし、徐来との出会いを経た事で文武の研鑽に励むようになった彼女がこの様な作戦を考える様になっている事を、袁逢は改めて嬉しく思ったのは言うまでもない。
…熟考した末に袁逢は袁術の考案した策を採用。宛城にいる民草達を説得し、南側に位置する
そして黄巾賊が付近まで接近してきたと言う報告を聞くと、用意した二万の軍勢を率いて宛城の南に避難する様に移動をしたのである。これを見た張曼成はすっかり気分を良くし『漢の腰抜けどもなど、私にかかればこんな物よ!!』とせせら笑いながら七万の軍勢と共に入城したのだが…それから間髪入れずに返す刃で袁逢軍が来襲してきたのである。
当然迎撃しようとしたのだが…ここで張曼成は、入城した宛城に糧秣は愚か矢などの軍需物資が一つもない事に気づいたのである。
そしてこの宛城に入城した事が袁逢らの仕掛けた罠である事に気付いたのだが、幾ら軍勢が多くても矢などが無くては碌な抵抗も出来ず、軍勢が多いという事は自分達の持ってきた糧秣の消費も早くなるという事である。…状況の不利を悟った張曼成は、せっかく入城した宛城からの撤退を余儀なくされ、『おのれぇ…!!この屈辱、必ず晴らしてくれるわ!!』と捨て台詞を吐きながら、宛城県の北に位置する
その後張曼成は率いていた黄巾賊七万を率いて度々宛城を攻撃し続けたのだが…緒戦で敗北した事で黄巾賊側の士気は低下しつつある一方、これに対し袁逢軍側は緒戦で黄巾賊を撤退に追い込んだ事で士気が上がっており、大軍による攻撃に曝され続けても、これを迎撃し続ける事に成功したのである。
この時袁術も七乃らに護られる形ではあるものの、城壁の上で兵士らを指揮しながら防衛に参加すると言う初陣を遂げており、それを袁逢は頼もしく見守る様になる…。
やがて豫州は潁川郡長社において勃発した官軍と豫州黄巾賊と潁川黄巾軍との戦いが、官軍の勝利で終わった事が、袁逢の下には官軍の使者が。張曼成の下には数少ない黄巾賊の生還者が訪れて知らされると、宛城に拠って防戦を繰り広げていた袁逢軍からは歓声が、攻め寄せていた黄巾賊の者達からは絶望の悲鳴が響き渡る事になった。
既にこの頃、南方から孫堅率いる軍勢が向かいつつあると言う情報も受け取っていた事で、もはやこのまま宛城を攻めていても落とせる見込みはない…傲慢な所はあるが分析能力を持ち合わせている張曼成は、屈辱に耐えながら撤退を開始。
比較的華北に近い魯陽を城砦化して立て籠もろうとし、さらに兵力を増やす為に河東郡を根城にして暴れていた白波賊の頭領である韓暹に使者を送って合流をする様に指示を送るなど、徹底抗戦の構えを見せたのである。だが、張曼成はこの時気づいていなかった。南から…自分達を食い尽くす虎の軍勢が来るという事に。
・・・・・・・・・・・・・・・・
そして張曼成が部下の黄巾賊達を急かしながら砦の建造に努めていた頃、北上をしてきた孫堅こと炎蓮と彼女が率いる軍勢は、宛城にいる袁逢の下に挨拶に出向いていた…。
「よお、てめえが袁逢って奴か?あの黄巾賊の連中を相手に中々粘っていたみたいじゃねえか?」
「お、大殿!!袁逢殿に対して無礼ですよぉ!!」
礼節も何もない様に挨拶をした炎蓮に対し、真耶が慌てて諫めはしたものの…袁逢は苦笑しながらも礼をしながら言葉を発した。
「いいえ、私だけの力ではありません。多勢に無勢であったこの状況を乗り越える事が出来たのは…偏に私の娘のお陰ですから。…公路!挨拶を!」
袁逢は娘である袁術を呼びつけ、これに美羽もまた一歩前に出ると拱手をしながら挨拶をしたのである。
「お、お初にお目にかかります…!袁逢が次女、袁術。字は公路と申します!!」
「……へぇ」
その立ち振る舞いは、江東の虎と称される武人『孫文台』を前にして戦々恐々としてはいるものの…その瞳には臆する事だけはするまいと言う、強い意志が込められていた。
それを見た炎蓮は珍しく不敵な笑みを見せていた。それは炎蓮が椿らを初めとした若者達を将軍見習いとして見出し、育てようと決めた時の様な…そんな彼女の考えを、宿将の一人として彼女を支えて来た真耶は感じ取ってしまっていた。
しかし椿達将軍見習いと違い、袁術は朝廷において執金吾の地位にある袁逢の娘である少女だ。それを将軍見習いとして育てようなど下手をすれば母親である袁逢との間に禍根を残しかねない!?幾ら何でもこれは止めねば…!!そう思った真耶が口を開こうとしたものの…既に遅かった。
「はっはっは!!!オレを前にしてるってのに、ビビるどころか堂々としてるじゃねえか!!…気に入ったぜ、お前。おい袁逢!お前の娘、オレの所に預けてみるつもりはねえか?一廉の人物に育てて見たくなった!!」
これには流石の袁逢も目をぱちくりさせて固まってしまい、袁逢の家臣達も当然開いた口がふさがらなかった。
「お、大殿ぉ!??幾ら何でもそれは無茶ぶりにもほどがありますよぉ!??」
「んだよ真耶!いいだろ別に?」
「良くないですぅ!!袁術殿は袁逢殿の息女なんですよ!?それを無理やり教え子にしたいなんて、そんな無茶ぶり誰が聞くって言うんですかぁ!??」
当然真耶は主君である炎蓮の無茶ぶりを諫め始めたのだが…当の袁術はと言うと、当初こそ驚いた様に固まっていたのだが、母である袁逢に対して頭を下げたのである。
「母上…妾から母上に頼みがあるのじゃ。これより行われる魯陽に立て籠もる黄巾賊の討伐。妾は孫堅殿の軍勢に従軍して臨みたいのじゃ!」
「えっ!?…美羽、それは本気なの?」
「うむ…!かの江東の虎の下には、彼女が見込んで鍛えている将軍見習い達もおるそうなのじゃ。…妾は未だ未熟者でしかない。いつか、壮也に胸を張って会う事が出来る様に…だからこそ、江東の虎の下で共に戦場に臨む事も、きっと妾の糧になると思っておるのじゃ!」
娘の強い決意を秘めた言葉に、袁逢は暫し黙っていたものの…やがて意を決したかのように頷き、炎蓮に拱手をしながら頼み込んでいた。
「孫堅殿、暫くの間…娘の事を宜しく頼めるかしら?私達からも軍を出すつもりよ」
「はっ、任せときな!一度オレの元で育てると決めたんだ、親であるお前が誇らしくなるくらいにしてやるぜ!」
こんな会話の末に…袁術は今回の黄巾賊討伐において、副官として七乃こと張勲、袁逢の腹心と言える紀霊と
その後顔合わせで雪蓮や蓮華らとも邂逅を果たした袁術は、年の離れた二人をいつの間にか姉の様に慕うようになり、一方の二人も自分達の妹である孫尚香とは違う感じの雰囲気を持つ美羽の事を温かく見守る様な関係を持つようになった。
本来、このような関係はまず築かれる事は無かった。徐来こと壮也がいなければ、江東の虎である孫堅は黄祖との戦いで命を落とし、孫策は一時期袁術の下で従属し続ける事になるのだから…。しかし、壮也と言う存在が彼女達の関係をも変えた事を…宗也は未だ知らない。
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そうして行軍している中で、美羽は蓮華の傍に馬を寄せながら会話に花を咲かせ始め…やがて自分にとって兄の様に慕うようになった徐来の事に話が移っていった。
「何と!?壮也兄上は妾の下を去った後、孫堅殿の命も救っておったのじゃな!?」
「ええそうよ美羽、私も母様から聞いて知ったの。…彼は私達孫呉にとって掛け替えのない恩人になっているの。そして…雪蓮姉様にとっては、特別な人にもなってるわ…」
壮也の活躍を聞いた美羽が目を輝かせているのを尻目に、そう言った蓮華の脳裏には、自分達に別れの言葉をかけて旅立った壮也の後ろ姿。そして、彼との別れを経験した姉…雪蓮が明るく振舞いながらも、時折彼の事を思い返しているかのように空を見上げているのを思い返していた。
「雪蓮姉様が?…そうか。壮也兄上は強くて優しい人じゃから、惹かれるのも無理はないのじゃなぁ?」
「ええ、そうなの…けど彼はまた旅立ってしまったわ。叶うならまたどこかで出会える事を願っているけど…」
「うむ!妾もそう思っておるのじゃ!」
そんな会話をしている二人であったが…やがて彼女達の下に先頭で指揮を執っていた雪蓮も駆け付けて来た。
「あら蓮華、それに美羽?私を除け者にして楽しく会話?混ぜなさいよ!」
「ね、姉様!」
「雪蓮姉様!壮也兄上の事を好いておったのか?」
美羽がそう問いかけると、雪蓮は照れ臭そうにしながら呟いていた。
「ま、まあね…。ほ、ほらほら!もうすぐ戦場なんだから気を引き締めなさいよ!!」
そう言い残すと、雪蓮は取って返すかのように馬を走らせて行った。…その顔を、多少赤らめながら。
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こうして始まる南陽黄巾賊と、次代の南陽袁家の当主率いる軍勢と炎蓮率いる孫呉の軍勢…南陽の地において、若き虎達が駆け、金色の鷹が飛翔しようとしていた。続きは次回の講釈で…!