南陽郡、魯陽。嘗て南陽黄巾賊の首魁であった張曼成が、迫り来るであろう官軍を迎え撃たんと陣地を構え、要塞を築こうとしていた場所であったが、現在そこは南陽黄巾賊を撃退して見せた袁逢軍と孫堅軍の合同軍…そして南陽黄巾賊を討伐せんと進軍していた官軍による陣地が築かれ、次なる戦いに向けての準備が進められていた。
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「あーあ…次の戦に向けての準備だからしょうがないけど、退屈でしょうがないわねぇ?」
「姉様、少しは気を引き締めてください。すでに黄巾賊の者達は逃散したとはいえ、どこに残党が潜んでいるかもわからないのですから」
その野営地の中を、先の戦いで南陽黄巾賊の大軍を寡兵でありながら真っ向から討ち破り、軍功第一と称された孫策こと雪蓮は、次なる戦に向けての準備に奔走する官軍の者達を横目にしながらも退屈そうに闊歩しており、そんな姿を妹である孫権こと蓮華に窘められていた。
因みに母である孫堅こと炎蓮は、官軍の本陣で次の戦いに向けての軍議に宿将のメンバーと共に参加していた。だが、そんな時彼女に突如として声が駆けられた。
「あれ……?待って」
「えっ?あなたは…?」
「シャンは徐晃、徐公明。…貴方の腰に下げているその旋棍、ちょっと見せて」
雪蓮は自分に声をかけて来た小柄な少女…徐晃に言われたとおりに、腰に交差するように挿している虎双焔棍の片方を彼女に見せる。そして暫くそれを見ていた徐晃は、旋棍の取っ手の近い部分に刻まれた十字の紋章を見て、納得した様に頷きながら呟いた。
「やっぱり…これ、兄上が作ったもの」
「っ!??兄上って……もしかして貴方、そ…徐来の妹なの!?」
徐晃の呟きに、雪蓮がハッとなって彼女に思わず問いかけると、彼女も頷いて答えたのである。
「うん。…真名も知ってるって事は、兄上と一緒に過ごしてたの?」
「ええ……母様の命を救ってくれた恩人でもあるし、妹の命を救ってくれた恩人でもあるの。…自己紹介がまだだったわね、私は孫伯符。後ろにいるのが私の妹、孫権よ」
雪蓮が後ろの方に親指を向けながら言うと、蓮華も拱手をしながら自己紹介を行った。
「初めまして、孫仲謀よ。それにしても、彼から妹がいるとは聞いてはいたけど…」
「そっか。…聞きたいんだけど、兄上は今も一緒にいるの?」
やがて、徐晃が徐来こと壮也の事を聞いてきたのだが…二人は顔を悲し気に歪めながら首を横に振るより他なった。
「…いいえ、彼はもう去ったわ。恐らくは西の方に向かって旅立っていったとは思うのだけど」
「私達にとっても、彼には旅立ってほしくはなかったわ。私達孫呉にとっての恩人でもあったし、何より…姉様にとっても大切な人になっていたから…」
蓮華が寂しそうに呟いた途端、雪蓮は途端に顔を赤らめてしまい…それを見た徐晃も納得した様に頷いていた。
「…兄上、やっぱり女たらし」
「お、女たらし?壮也が?」
「うん。兄上は愛紗姉上一筋なんだけど、兄上の振る舞いとか心配りとかで兄上に好意を持つ人が多いの。……兄上は思いっきり否定してるけど、シャンや母上、愛紗姉上から見てもあれは女たらし」
徐晃が思い返しながらため息をつくと、雪蓮も彼女の考えが理解できたのか苦笑しながら相槌を打つより他なかった。
「な、成程ね…でも、凄いわよね。そんな中で壮也って、その想い人一筋に想いを寄せ続けるなんて」
「うん。そこが兄上の凄い所…ムフー。…兄上が真名を預けてるなら、シャンも預ける。香風、それがシャンの真名。宜しくね?」
「ええ、なら私達も真名を預けないとね。私は雪蓮よ」
「私は蓮華と言うの。こちらこそ宜しく頼むわ」
「うん。分かった『おーい、香風ー!』あっ、一刀」
そうして真名の紹介が終わった直後、香風の後ろから一人の青年が呼びかけながら近づいて来た。純白の、光沢を放つ服の上から青を基調にした胸当てを身に着け、腰に鉄刀を挿しているその青年を見て、雪蓮は思わず目を瞠った。
ーへえ…彼、相当の力量を持っている人物みたいね。壮也とほぼ互角って所かしら…?けど、まだ伸びしろがあるように感じとれるわね。
「ここにいたんだ香風…って、そちらの人は…?」
「うん。兄上の事を知っていて、兄上がお世話になってた人達。孫伯符と孫仲謀だって」
香風から紹介を受けた二人が頭を下げると、一刀も目を瞠りながらも拱手をした。
「(…っ!この二人があの孫策と孫権か…!)は、初めまして。俺は北郷一刀って言います」
「一刀、って言うのね。もしかして…噂で聞いた事のある『天の御遣い』って貴方の事かしら?」
「ええ…そう呼ばれているみたいです。自分はそんな大それた人ではないですけど」
一刀が自身をそう表すると、雪蓮が窘めた。
「謙遜は嫌味にとられかねないわよ?それに人づてに聞いたのだけど、貴方初陣で潁川黄巾軍の将帥である波才を討ち取って見せたと言うじゃない?自信を持ちなさいよ♪…っと、香風がしてくれたみたいだけど改めて。孫伯符よ、宜しくね♪」
「姉様ったら…私は孫仲謀、孫文台の娘の一人よ。宜しくお願いするわ、北郷殿」
「は、はい…!」
そうして互いに挨拶を交わしたのだが、ここで雪蓮が思いもよらぬ発言をしてきた。
「それより、貴方確か曹操軍に所属しているのかしら?良ければこのまま曹操殿にお目通りを願いたいんだけど、駄目かしら?かの許劭殿から『乱世の奸雄』と称された御仁に是非とも会ってみたいのよ!」
「ね、姉様…!」
これには流石の蓮華も冷や汗をかいて窘め、一方の一刀と香風もまた戸惑いを隠せなかった。
「…華琳様、いるかな?」
「どうだろう…まだ官軍の本陣で軍議とかしていると思うんだけど『あら、ここにいたのかしら一刀?』って華琳!会議が終わったのか…?」
だが、唐突に後ろから呼びかけられて思わず振り返ると、そこには会議に出ていたはずの華琳が春蘭、秋蘭を連れて立っていたのである。
「ええ。それで陣地に戻る途中だったのだけど…成程。貴方達、孫文台殿のご息女ね?」
「っ!…ええ、その通りよ。私は孫伯符、そして妹の孫仲謀よ」
「…お初にお目にかかる。貴方が連れているお二方は、曹操殿の股肱の臣たる夏侯姉妹と見受けます。お会いできて光栄です」
華琳の問いかけに対し、雪蓮も鷹揚に頷くと蓮華もまた拱手をしながら頭を下げた。そうして…暫しの間、華琳と雪蓮は無言で互いを見つめ合っていた。
ー…成程、虎の娘もまた虎という事ね。妹の孫権の方もまた、虎の名に恥じぬ意志を感じさせるわ…。いつかは、私の前に相対する好敵手たる得るか…楽しみだわ。
ーふぅん…流石は『治世の能臣、乱世の奸雄』と呼ばれるだけはあるみたい。味方としてはこれ以上ないくらい頼りになるけど、敵となったのなら…倒し甲斐のある相手ね。
…互いに相手の事を理解していった二人だったが、やがてどちらともなく不敵な笑みを浮かべたかと思うと、互いに手を差し出し、握手を交わしたのである。
「…我が真名は華琳。孫策殿、私の真名を受け取ってもらえるかしら?いつかは互いに戦場で相対し、干戈を交えるのだとしても、今は轡を並べる戦友として接したいから」
「ええ、もちろんよ。私は雪蓮…宜しく頼むわ、華琳」
そうしてその後、華琳は春蘭と秋蘭に、雪蓮は蓮華にも真名を預ける様に言い、互いに真名を交換して少しの間会話に花を咲かせ、互いに別れを告げたのであった…。
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「…雪蓮、孫伯符ね」
「華琳様、如何しましたか?」
その帰り、華琳がふと呟いた事に秋蘭が気づいて問いかけると、華琳は不敵な笑みを浮かべながら答えた。
「ええ、我が覇道を阻むに足る好敵手に出会えた事が嬉しいと思ったのかよ。彼女は強いわ…春蘭、貴方がもし彼女と戦場で相対したのなら、たやすく討ち取る事が出来るかしら?」
華琳が春蘭にそう問いかけると、春蘭は自信満々に答えた。
「華琳様がお望みならばいつでも!…ですが、この春蘭でも彼女と相対して討ち取ってこれるかと言えば、難しいと言わざるを得ません」
だが、春蘭も雪蓮の実力を感じ取っており、彼女と相対した場合容易に討ち取れる相手ではないと思っていた。それを見て華琳も同意する様に頷いていた。
「ええ、私も同じよ。それは一刀、貴方も同じでしょう?」
「…うん。彼女は強い、味方でいる時はとても心強いけれど…敵となったのなら、きっと華琳の覇道に立ちはだかる難敵になるだろうね」
一刀の言葉に、華琳も満足そうに頷くと…空に向かって手を伸ばしながら宣言していた。
「ええ、その通りでしょうね。けれど…それこそ臨む所よ。我が覇道…それを成し遂げるうえで、立ちはだかるであろう好敵手の存在無く、容易に目標に到達できる道程。それの何が覇道か!!我が認め、討ち倒すに値する英傑たちと相対し、これを討ち倒して乗り越えた先に…我が理想の世があるのだから!」
その目に宿っているのは…いずれ来たるであろう乱世の到来、そして自身が相対するであろう好敵手との戦いを待ち望む歓喜の色であった。
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そしてそれは、孫呉の野営地に戻った雪蓮と蓮華らも同様だった。
「へえ…お前ら、華琳の奴に会って来たのか」
「ええ、そうよ。…母様も真名を交換していたのね?」
「おうっ!中々に面白い奴だったしな!」
野営地で杯を傾けながら酒を楽しんでいる炎蓮が、華琳との邂逅を思い返してからからと笑っていたのだが…やがて真剣な表情になって呟いた。
「…あいつは強え。間違いなく、この先オレ達の前に立ちはだかる最大の難敵になるだろうぜ?」
「っ!?母様にそう言わしめるなんて…姉様、やはり彼女は」
「ええ。今はまだ味方でいるけれど、これから先…天下が乱れるのなら間違いなく私達の前に立ちはだかるでしょうね」
「雪蓮様の懸念は最もかと。私も会合の場で曹操殿を一目見ましたが…正に英傑の器を持つ人物と見受けました」
「それに傍らに控えていた者達も一廉の武人と見受けましたね…。今は味方として行動を共にできるのが僥倖かもしれませんが、この先間違いなく私達の前に立ちはだかるでしょう…」
「…ええ、その通りでしょう。雪蓮、蓮華様。二人は天の御遣いと呼ばれた青年とも出会ったとか…彼の事を詳しく教えてくれると助かるのだが」
「ええ、分かったわ冥凛」
千冬と真耶がそう付け加えるのを見て、雪蓮と蓮華は一層気を引き締め、その直後に冥凛から自分達が出会った天の御遣い…北郷一刀の事について質問を受ける事になった。だが…続く言葉にその場の雰囲気は一変してしまったのである。
「それにしても、まさか壮也の妹が曹操の下に仕えておるとはのぉ…」
「ええ…もしかしたら壮也、家族が仕えている縁で曹操の下に仕官するんじゃないかしら?」
祭と粋怜の呟きを聞いた雪蓮は、途端にハッとなったかと思うと、いつになく落胆した表情に変わりつつなってしまった…。
「そ、それは無いとは思うけれど……姉様、少し落ち着いて。壮也が華琳殿の下に仕官すると決まった訳じゃないんだから」
「わ、分かってるわよ…」
「…あっはっは!見ろよ祭、粋怜、千冬、真耶!雪蓮の奴が何時になく狼狽えてやがるぜ!?」
そんな姉の姿を見て、蓮華は苦笑しながらも励まし…そんな光景に炎蓮が心底愉快そうに呵々大笑する声が響き渡ったのは言うまでもない。
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そうして数日間かけて次の戦いに向けての準備が終わり、官軍は次の目標を未だ華北において勢力を保持している黄巾党に狙いを定めた。その際、討伐軍の将帥を務めている皇甫嵩と朱儁は、討伐軍に加わっている曹操や孫堅、袁逢らを交えての合議の末…討伐軍を二手に分ける事を決断する。
まず皇甫嵩率いる軍は、曹操と鮑信、袁術らを率いて東進。潁川を経由して徐州に向かい、そこで黄巾賊の暴虐によって疲弊した土地と人民を慰撫しつつ、侮りがたい勢力を保っている青洲黄巾軍を牽制する事を目的とした。
そして朱儁率いる軍は孫堅。そして道中において、白波賊を壊滅させる事で身の潔白を明らかにして見せた、漢朝に投降した張燕が頭目として率いる黒山賊を率いて北上。先んじて官軍を率い、幽州と冀州を根城に黄巾賊を名乗って暴れ回る張挙、張純の兄弟を相手に戦っている盧植らの援護に赴く事となったのである。
かくして、官軍は軍の力の大半を失うものの、いまだに侮りがたい勢力を持つ黄巾党を討ち倒す為…戦場の舞台を華北へと移す事と相成った…!
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…時は官軍が次の戦いに向けて南陽郡で準備をしている頃に遡る。豫州は汝南郡から徐州に向けて必死に駆け抜ける軍勢があった。いずれも頭に黄巾を巻いてこそいるものの、その瞳には黄巾賊の様な獣性は欠片もなく、寧ろ鍛え抜かれた精兵のような雰囲気を感じさせた。
そしてその先頭で馬を走らせ、大刀を手に檄を飛ばす将軍もまた、山賊の様な風体こそしているものの、その瞳には純粋に民草を救いたいと言う熱意が感じられるものだったのである。
「急げてめえら!!少しでも早く青洲に向けて駆け抜けるんだ!!時間を掛けたら官軍の奴らが来るぞ!!」
…彼の名は
「劉僻の兄貴!!」
「龔都か!どうだ!?官軍の奴らの様子はつかめたか!?」
「今のところこっちに来てはいねえみたいだぜ!とにかくあいつらがまだ動いていない間に何とか青洲に入らねえと!!」
「当たり前よぉ!!」
そしてそんな劉僻の下に馬を寄せて来た長身痩躯の、槍を手にした青年。彼の名は
しかし、現在の彼らはいわゆる敗残軍であり、嘗ては一万以上いたはずの黄巾軍は七千にまで減っていたのである。これには理由があった。
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元々劉僻は潁川黄巾軍を束ねる将帥である波才の部下の一人だった。その後潁川の制圧が進んだのを見て取った波才は、劉僻に汝南郡を経由しつつ、江南の制圧を目指す様に命を下した。
劉僻はこの命令を受けると、部下でもあり気心の知れた親友でもある龔都と共に一万の黄巾軍を率いて汝南郡に進軍。首尾よくこれを制圧した後一旦軍を停止し、自分達黄巾軍の理想に賛同する流民や在野の人材、放浪軍を取り込もうとしたのだが…ここで思わぬ事態が起こる。
豫州黄巾軍を束ねていた将帥であったはずの厳政が、南陽黄巾軍を束ねる将帥でありながら張三姉妹の理想に反発し、黄巾賊と名乗って略奪などを行う様になった張曼成の誘いを喜々として受け入れ、そのまま豫州で略奪行動を起こし始めたのである。
これに波才は怒りを露わにし、劉僻らに直ちに帰還する様に使者を送り、これを受けた劉僻らも合流しようとしたのだが…これに立ちはだかったのが、徐州制圧を目的とした黄巾軍を束ねていた将帥の
彼もまた張曼成の誘いを喜々として受け入れて黄巾賊に鞍替えすると、元から副将として同行していた
この為、劉僻と龔都は何儀率いる徐州黄巾賊を食い止める為に激闘を繰り広げていたが、やがて青洲黄巾軍を束ねる将帥であった管亥が事の次第を聞きつけると、自ら青洲黄巾軍を率いて南下。何儀率いる徐州黄巾賊の後背に襲い掛かった事で、彼らは即座に降伏を宣言。
しかし長きにわたる戦いの結果、損耗が激しくなってしまったのを見た劉僻は、一旦汝南に戻って兵力の回復を行ってから合流する事を決意。敬愛する波才の下に合流できない事に後ろ髪を引かれながらも、それを押し殺して汝南に転進した。
そうして時間はかかりはしたものの、何とか損耗を回復させる事に成功した劉僻は、今度こそ波才の下に合流しようとしたのだが…。
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『た、大変だ劉僻の兄貴!!!』
『おいおいどうしたってんだ龔都!?そんな目も当てられねえほど混乱しやがって…!?』
『は、波才の旦那が、旦那が…!!!』
軍を進発させようと準備を進めていた劉僻の下に、龔都が必死の形相で駆け込んできたのである。そうして自分自身も信じられないとばかりに声を震わせながら…劉僻にとっても凶報となる一報を発したのである。
『波才の旦那が…討死したって!!』
『な、何だと…!??誤報ってんじゃねえよな!?』
『嘘じゃねえ!!潁川黄巾軍の数少ない生き残りって奴がここまで馬を走らせて来て知らせてくれたんだ!!漢朝の将軍だって言う皇甫嵩と朱儁率いる官軍との戦いの最中に…』
『…なんてこった』
恩人でもあった波才の死に、劉僻は天を仰ぎながら一時愕然となってしまったが…彼はすぐに気を引き締めると龔都に命を下した。
『龔都!その官軍の奴らはすぐにここに来るのか!?』
『い、いや…報告だと官軍の奴ら、張曼成率いる黄巾賊の奴らを倒す為に南陽に向かったらしいけど…』
『よし…なら時間はあるな!!すぐに方の指揮官を集めろ!!急げ!!』
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そうして劉僻は自身が率いる黄巾軍を構成する方の主だった指揮官を集め、軍議を重ねた末に…撤退を即断した。現在、自身が率いる軍は約一万ほどで構成されてはいるのだが、自分達が今いる汝南郡は、黄巾党が本拠とする華北からは離れた場所に位置していた。
まして現時点において、中原に割拠していた潁川黄巾軍の将帥であった波才と、豫州黄巾賊の頭目であった厳政の双方が、率いた軍勢もろともに討ち倒され…さらに官軍はそのまま南陽に割拠している張曼成率いる黄巾賊を討伐せんと向かっていった以上、恐らく…否、十中八九南陽黄巾賊は官軍に敗北を喫するのは時間の問題だろう。
そうなれば、華北に地盤を置いている黄巾軍の本軍と分断されている汝南黄巾賊は当然各個撃破の対象になり兼ねない。…頭では分かっていても劉僻自身にして見れば、仇討をする事なく撤退をする事にはもちろん抵抗があった。
元々劉僻と龔都は汝南出身の武芸者であったが、民百姓を苦しめる悪徳役人の所業に怒り狂い、彼らを殺害した後に山賊となっていたが、やがて黄巾軍を率いて潁川に攻め寄せた波才の呼びかけに応じて参陣し、彼の人柄と民草の苦しみを救いたいと言う想いに共感し、部下になったのである。
当然彼の仇を討ちたいと言う想いは揺るぎない物があったのだが、今ここで仇を討つ事に執着して官軍とぶつかったとしても、間違いなく自分達は返り討ちに遭う。そうなれば…波才が何よりも願ってやまなかった『民百姓らが悪政に苦しめられる事のない世』は水泡に帰す事になる…。
彼と、そして彼が心服した張三姉妹が願った理想を果たす為にも、ここで死ぬ訳にはいかない。劉僻は断腸の思いで軍を退く事を決意した。目指したのは同じ黄巾軍に属し、黄巾軍の中でも指折りの精鋭。そして現時点において青洲をほぼ制圧し、地盤を固めている…管亥率いる青洲黄巾軍の下だった。
…撤退を決断した後の劉僻の動きは速かった。彼はまず一旦汝南黄巾軍を解散すると、各々に小規模の集団となってそれぞれに華北へと落ち延びる様に命令したのである。そうして自分が率いる本隊を多くの兵で構成する事で、囮として官軍の目を引きながら青洲に向けて進発する計画を練ったのだ…。
そして文字通り昼夜問わず、徐州を経由しながら青洲に向けて落ち延びようと行軍を続ける劉僻の下に、情報収集を兼ねて別行動をしていた龔都が馬を駆け寄せて来たため、一旦行軍を中断して兵に休息をさせると、彼から近況報告を受ける事となった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「…そうか。張曼成の野郎もくたばったか」
「ああ、間違いねえみたいだ。情報によると、どうも南陽袁家の袁逢が城主を務める『宛』を落とそうとしたらしいが、その娘である袁術の指揮で城を落とせず、援軍の到着を受けて一旦軍を魯陽に下げた後に、追撃してきた袁逢と孫権の合同軍を迎え撃とうとして…呆気なく壊滅させられたみたいだぜ?総大将の張曼成はもとより、副将の趙弘に韓仲、孫夏も全員討死と来たもんだ…」
龔都が事の次第を説明していると、劉僻は鼻を鳴らして吐き捨てた。
「ふんっ!所詮黄巾賊の連中はどいつもこいつも、略奪とかを熱心にするしか能のねえ連中ばかりだ。そんな奴らがどれだけいようが、調練に明け暮れた精鋭に勝てる道理もありゃしねえよ」
「…それと兄貴、潁川の顛末なんだけどよ。波才の旦那を討ち取った奴が分かったぜ」
「っ!!…そうか。誰が旦那を討ち取ったんだ?」
劉僻が問いかけると、龔都もまた頷いて報告をし始めた。
「曹操軍に加わったっていう、北郷一刀って小僧だ。そいつが波才の旦那を討ち取ったみてえだぜ…それも初陣間もなくだ。何でも『天の御遣い』とかって呼ばれてる野郎の噂が流れてるだろ?それがそいつだって話だ」
「天の御遣い…それって、管路って胡散くせえ占い師の占いに出てくる奴だろ?…波才の旦那は中々の武芸達者だったお人だ。それを初陣したばかりの小僧が討ち取ったとはなぁ…」
劉僻が驚く傍らで、龔都はさらに報告を続ける。
「けどよ…どうやら波才の旦那は官軍の大将を務めてる朱儁って野郎に丁重に弔われたって話だ。捕虜になった黄巾軍の捕虜も殺されずに、荒らされた潁川や豫州の復興作業に従事させられてるみたいだぜ?黄巾賊の奴らは軒並み斬首されて晒されたみたいだけどな…」
「っ…そうか。それは喜ばしい報告だな…その一刀って小僧には思う所はあるが、波才の旦那の亡骸を辱められたんじゃねえなら、少しは気も晴れるってもんだ。…それと龔都、徐州黄巾賊の連中はどうなってる?」
劉僻の問いかけに、龔都は報告を始めた。
「ああ、その事だ。…どうやら奴らも事の顛末を聞いて上へ下への大騒ぎだ。何儀の野郎も慌てふためいて撤退を決めたらしい。けど
「あの三人か…確か黄巾党に加わった当初から度々問題を起こしてた奴らだな。兗州方面の黄巾軍を任せられた後に、黄巾賊に転向したって聞いたが…何儀の奴と合流してたのか」
「そうみたいだぜ?話によると連中、兗州で好き勝手に暴れ回ってたらしいけど…兗州は泰山の賊徒を束ねてる
この龔都の話を聞いて、劉僻は思わず納得してしまった。
「泰山賊の孫観の姉御か!!なるほどなぁ…あの御仁なら納得だ。泰山の賊徒といやあ賊と呼ばれてはいるが、兗州じゃ知らぬ者がいない侠客の集まりだ。何より弱い連中を嬲るような所業をする奴らを赦しはしねえだろうよ」
「ああ。とりあえず今ある情報はこのくらいだぜ兄貴。今のところ官軍の姿はまだ見えてねえ…何とかこの調子で徐州に入って青洲に向かえればいいんだが…」
「よし分かった…ご苦労だったな龔都。よしお前ら!!休憩は終わりだ、行軍を再開する!!このまま徐州に入ってしまえば、後は青洲に向かうだけだ!!もう少しの辛抱だ、頑張ってくれ!!」
『おうっ!!』
自分の檄を受け、部下達もこれに応える様に気勢を上げたのを見た劉僻は満足そうに頷くと、再び行軍を再開し…青洲に向かう事となる。
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その頃、青洲の郡の一つである北海国。その都市の一つに
しかし、その本陣において床几に腰かけている浅黒い肌に短く切り揃えた顎髭を生やしている壮年の男性…管亥の表情は怒気一色に染まっており、その瞳は自身の眼前に頭を擦り付けながら謙っている男…嘗ては潁川黄巾軍を率いた波才の部下の一人であり、徐州方面の制圧を任されていながら、南陽黄巾賊の頭目である張曼成の誘いを喜々として受け入れ、黄巾賊に鞍替えをして略奪を行っていた何儀を射殺さんばかりに睨みつけていたのである。
その為何儀はその凄まじい視線を受け、全身をがくがくと震わせており面を上げる事すら出来ずにいた。この時何儀の左右には、同じく徐州黄巾賊として行動を共にしていた副将の何曼。そして張曼成から使者として送られて以来副将として行動を共にする事になった黄卲もまた、何儀と同じ様に頭を擦り付けながら全身を震わせていた…。
「か、かかか…管亥の兄貴。こ、今回は俺達を迎え入れてくれて、ほ、本当に助かった…『口を開くな、耳が腐る』ひ、ひいぃ!??」
「…俺はお前らを許したつもりは毛頭ない。波才の部下として行動を共にし、徐州の制圧と慰撫を任せて送り出されていながら…お前は張曼成の下種の誘いを喜々として受け入れ、黄巾賊に鞍替えして罪なき民草を散々に苦しめて来たんだからな」
「え、えっとぉ…それはぁ…つい魔が差して『下らん言い訳をするか?よほどこの場で死にたいようだな?』ひいいいっ!??」
何儀が必死に弁明しようとするのだが、口を開こうとすればその前に凄まじい殺意の籠った返答が飛んでくるため、全身から冷や汗をかきながら沈黙をするより他なかった…。
「…もう良い、面を上げろ」
やがて唐突に感慨がそう言った為、許されたのだと顔を喜色に染めて顔を上げた三人だったのだが…事はそう単純ではなかった。
「…やはり、お前らの投降を認めたのは間違いだったようだな。張三姉妹らの願いを、下種な思惑を以て踏みにじった貴様らには…死を以て報いを与えるより他在るまい」
管亥はそう言い放つと床几から立ち上がり、傍らにいた部下が持っていた自身の得物である、片方に月牙が取り付けられた戟を手に取った。そして…それを横薙ぎに放つ様に構えたかと思った次の瞬間…!!
「殺っ!!」
気合一声、そのまま猛然と横に薙ぎ払った!!その刃は助かったと思って顔を上げるものの、振るわれた刃を見てその顔を恐怖に染め上げた何儀の………左側の首筋ぎりぎりにその月牙が触れるか触れないかの位置で止まっていたのである。
これに気づいた何儀が恐る恐る顔を左側に動かして視線を向けると、そこには自身の左側にいた黄卲の頸が物の見事に斬り落とされ、顔面を絶望の表情に染まった彼の頸が無造作に転がっていたのである。やがて、管亥は手にしている戟を荒々しく振るう事で血糊を落とすと、再び敵意を込めて睨みつけながら宣告した。
「助かったと思ったのなら勘違いをするな。これから貴様らには牛馬の如く、文字通り血反吐を吐き続けながら働き続けてもらう。そして心に刻んでおくがいい…もし再び、嘗ての黄巾賊で犯してきた振る舞いをしたのであれば、その命ない物と思え」
「は、はいいいいいっ!!!承知しましたああああ!???」
管亥の死亡予告を受けた何儀は、もはや抵抗しようと言う意思すら消え失せており、同じく死への恐怖に囚われた何曼と共に転げ落ちる様に本陣から逃げ出していった…それから間髪入れず、管亥のいる本陣の天幕が上げ放たれた。
「意外だな。お前の事だから、三人纏めて首を刎ねる物と思っていたぞ?」
「…
そう言いながら入って来たのは…白銀の髪を靡かせ、薄紫色の瞳をもつ凛然とした美貌をしている女性だった。その背後には、山賊を思わせる風貌と装束を纏っているものの、その瞳には誇り高さを感じさせるものを持った三人の男性を引き連れていた。
彼女の名は孫観…兗州は泰山郡に聳えている泰山を根城にしている『泰山賊』を束ねる頭目である。しかし賊と名乗ってこそいるが、彼女達の本質はどちらかと言えば兗州郡に住まう民草との関係を重んじ、彼らの生活を護る侠客として名を馳せていた。
また大剣を扱うその技量は兗州のみならず周辺でも知れ渡っており、黒山賊の頭目として名を馳せていた張牛角と共に、世の民草からは『東の孫観、西の張牛角』とまで語られる程の女傑である。そして…黄巾党に助力していると言う訳ではないものの、兗州と青洲…土地的には近くにある事から青洲黄巾軍を束ねる管亥とも個人的に友誼を結んでいたのである。
そして彼女が連れて来た三人の男性…
そうして孫観こと飛蓮の姿を見た管亥は、溜息を一つ付きながら自身の考えを語ったのである。
「お前の言う事も最もなのだがな…只でさえ今は黄巾党の戦力が削られてしまている。ここであいつらを処刑し、黄巾賊の連中を根絶やしにすれば、官軍の利となるだけだ。ならば、馬車馬の如くに東奔西走させ官軍との戦いで最前線に置いて、血戦を命じた方が官軍共に痛手を与えられるだろう」
管亥の考えに、飛蓮の後ろにいた三人組の一人…細身で背中に木刀を背負った青年が口笛を吹きながら軽口をたたき始めた。
「ヒュー…さすがは管亥の旦那だぜ。あいつらが心底哀れに思ってくるよな…」
その呟きに対し、槍を手にした青年が窘めるように口を開いた。
「尹礼、奴らに情けなんて無用の長物だ。あいつらは俺達のシマを荒らしたような連中と同じなんだからな」
「昌稀の言うとおりだな。貧民救済を掲げた黄巾党に加わっていながら、黄巾賊と名乗って虐殺、強姦、略奪を行ってきた屑共だぞ?生かしてもらっただけでも、奴らにとっては感謝するべきことだろうしな」
そして尹礼と昌稀の会話に続いて、背中に狼牙棒を背負った男性が憤然とした口調で漏らしたのである…。
「尹礼、昌稀、呉敦。その辺にしてやれ」
だが、やがてそんな三人に対し孫観が苦笑しながら窘めると、三人もそれぞれに苦笑しながら会話を中断し、本陣から出て行った。そして孫観はそのまま管亥との会話を再開したのだった。
「…管亥。お前が望むならば、我ら泰山賊もお前達に加勢しても構わん。我々としても、漢の連中の腐敗には思う所がある…それを正し、民草が悪政に苦しまぬ世を作ると言う理想を目指すお前達に共感もしているのだ。だから…」
しかし…飛蓮の提案に対し、管亥は掌を向けて制止した。
「飛蓮、お前達の厚意はありがたいと思っている。だが…お前には分かっているはずだ。この騒乱は、もはや長くはないという事が。華北に赴いた黄巾賊と、それに合力した張兄弟の抵抗も恐らくは遠からず鎮圧される。そうなれば…残る目標は距鹿におられる三姉妹の方々になるだろう。故に俺は…彼女達を官軍の魔の手から匿える居場所を作る為に動くつもりでいる」
「居場所…それが青洲という事か」
管亥の考えに対し、飛蓮が彼の思惑を悟って問いかけると、彼も頷いて答えた。
「そうだ。…俺は嘗て青洲刺史に仕えていた。だが、民草の苦しみを顧みようとしないやり方に失望して賊に落ち、やがて民草の苦しみを救おうとする張三姉妹らに心服して協力する事になった…だからこそ、俺達が彼女達の身を護る為の、最後の砦を作らねばならぬのだ」
そう言うと管亥は、飛蓮の方に目を向けると静かに、しかし力強く肩に手を置きながら頼み込んだ。
「だからこそ…飛蓮、お前は俺達に助力をするな。お前たち泰山の者達は表向きは朝廷に反旗を翻しておらず、あくまで兗州の治安を護っている立ち位置にいる。ならばこそ、この先お前達は官軍に助力をする様に振舞って信用を勝ち取れ。恐らくこの先、官軍の奴らは徐州黄巾賊から別たれた者達と戦う事になる。そうなればしめたもの…お前達が官軍に加勢すれば、間違いなくお前達は官軍の信頼を勝ち得る事が出来るだろうよ」
管亥の言葉に、孫観はその瞳に憂いの色を浮かべながら静かに言い放った。
「…そうか。分かった…管亥、お前の事を私は一人の男として認めていた。…死ぬなよ」
「そう簡単に死にはせんさ。まだまだやる事があるからな…『管亥様』っ、
管亥がそう言って、天幕を上げながら入って来た小柄な体格をした青年…青洲黄巾軍の副将として管亥に仕えている高昇に問いかけをした。
「はい!汝南黄巾軍の劉僻様ならびに龔都様が、率いた軍勢と共に来訪いたしました!」
「そうか…!すでに幾度か汝南黄巾軍の小勢が合流してきていたが、あいつらも無事だったか!急いで食事の用意を行え!ここまで強行軍で進んできたのだ、疲労困憊であるのは間違いないからな。卞喜にも協力を呼び掛けよ!」
そう言いながらてきぱきと指示を飛ばす管亥を見て、飛蓮は拱手をしながら頭を下げ…そうして天幕から出て行った。そして彼女が率いる泰山賊はそのまま本拠である兗州へと帰還したのである…。
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そして飛蓮が兗州は泰山郡に帰還してから数日後…豫州の郡の一つである
皇甫嵩こと楼杏が大将としてこれを率い、華琳と照陽、美羽が中核として構成された官軍と…徐州黄巾賊に加わり、その頭目であった何儀と官軍に対する対処で口論を行った末に軍の大半を引き連れて迎撃に赴いた卜己率いる軍勢である。
この戦いにおいて楼杏は、華琳を先鋒として迎え撃つ様に指令を下し、これに華琳も承諾して軍を展開した。そして楼杏は中軍に属し、美羽が所属する袁逢軍を左翼に、照陽が率いる鮑信軍を右翼に配備して黄巾賊を迎え撃つ事となった…。
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「桂花、相手の情報について何かわかったかしら?」
先鋒という大役を賜り、その熱気に包まれている曹操軍の本陣において、華琳は床几に座りながら軍師である桂花に質問を行っていた。
「はっ!知らせによれば敵軍…徐州黄巾賊の兵数は七千五百程、率いているのは卜己と言う賊将である事。また副将には張伯という賊将と、梁仲寧と言う賊将であるとのことです!」
「ふぅん…私達の兵数が五千程なのに対し、相手側の方が七千五百。数で言えば私達の方が若干振り、と言った所かしら?けれど…春蘭、秋蘭!貴方達からすれば今の我々は不利な状況か?」
兵の多寡を零しながらも、その顔に怯懦の色を浮かべるどころか不敵な笑みを浮かべている華琳…彼女はやがて自らが股肱と頼む夏侯姉妹に問いかけると、二人は拱手をしながらこれに応えた。
「いいえ、幾ら数が多くとも…弱者を甚振る事しか能の無い連中など我らにとっては烏合の衆にしかなりえません」
「その通りでございます華琳様!その様な賊将共など何人いようが、この春蘭が纏めてそっ首斬り落とし、鼻歌まじりに悠々と帰って来て見せましょう!!」
秋蘭が冷静に断言し、また春蘭が自信満々に宣言して見せると、華琳は満足そうに頷いて命を下した。
「ならば春蘭、秋蘭!この度の戦、先陣は貴方達二人と…香風!貴方達に任せるわ!」
華琳の呼びかけに、陣幕内に来ていた香風が目をぱちくりしてこれに応えた。
「…ん?私?」
「ええそうよ。先の長社の戦いにおいて、わが軍は一刀の活躍によって波才を討ち取った事で、私達は官軍において一目置かれるようになった。けれど『天の御遣いを従えているだけ』と甘く見たり、私たち自身の実力を疑う諸将も少なくない。故にこそ、天の御遣いである一刀が参陣していなくとも、私達の軍は精強である事を知らしめる必要がある。…期待しているわよ?」
「ん、分かった…!」
華琳の指摘に香風が頷くと、華琳は一刀にも命を下した。
「一刀、貴方は本陣で待機をしている事。そして近頃加わったあの三人も本陣で待機するように伝えておいて」
「ああ、分かった…!」
こうして軍議を終えた華琳達は、来る戦に向けて動き出したのであった…!
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「で、では私達は本陣で待機…という事でしょうか?」
「うん。
軍議を終えた後、曹操軍の本陣において一刀は最近になって加わった三人の少女…その一人である全身が傷だらけであるものの、凛然とした美貌をしている銀髪の少女からの質問に答えていた。一刀の答えに対し、凪と呼ばれた少女は少し落胆していたのだが…。
「まあ仕方ないやろ凪?ウチらはまだ華琳様の下に来て日も浅いんや。今回は隊長と一緒になって、春蘭様や秋蘭様達の戦いぶりを拝見しようやないか!」
「そうなの!春蘭様や秋蘭様なら安心して見守れるの!」
「
そんな彼女に対し、紫の短めのツインテールと言う髪形に蒼色の瞳をしている、真桜と呼ばれた少女と、ブロンドの髪を三つ編みにしたサイドポニーテールにまとめ、翡翠色の瞳に眼鏡をかけた、沙和と呼ばれた少女らが励ますと、彼女も気を取り戻したのか頷いてこれを受け入れた。
そして、一刀達はそのまま本陣から出陣していく春蘭と秋蘭、そして香風らを見送ったのだった。
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この少女達の名は…凪と呼ばれた少女が楽進、字を文謙。真桜と呼ばれた少女が李典、字を曼成。そして沙和と呼ばれた少女が于禁、字を文則。
三国志において曹操が興した魏に仕え、楽進と于禁は張遼、張郃。そして香風こと徐晃と並んで魏の五将軍に数えられる程の武名を馳せる事となる名将であり、李典もまたそれに準ずる活躍を成した人物である。
この少女達は、嘗ては兗州のとある村に住んでいたのだが、そこに兗州黄巾軍が黄巾賊と名乗って略奪をし始めると、義勇軍を結成して村を護っていた。
その後兗州黄巾賊は泰山郡にある村の一つを略奪、虐殺を行ったのだが、これが泰山郡を自らの縄張りとし、そこに住む人々の平穏を護る事を重んじる泰山賊の頭目である孫観の逆鱗に触れた事で、泰山賊の逆襲を受けた兗州黄巾賊は殆どの賊兵を討ち倒された事で惨敗。頭目を務めていた卜己と副頭目である梁安寧、張伯らは命からがら徐州黄巾賊の下に落ち延びる事となった。
こうして何とか平穏を取り戻したのだが、三人はこの平穏が長く続く事は無いと薄々察しており、何か行動を起こすべきと考えていた矢先に、官軍が潁川を経由して徐州に向かっている事を知り、三人が代表となって官軍の下に保護を申し出ようと駆け付けたのである。
そしてその時に出会ったのが華琳率いる曹操軍であり、彼女達の願いを聞いた華琳は楼杏に事情を説明した事で、兗州の方にも官軍を向かわせる事を確約。
そうして凪達に光る才能を見た華琳は、彼女達を登用する事を決め、まだ初陣を迎えて間もない一刀と共に行動を共にする事を命じたのであった…。
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さて、戦いの結果であるが…語るまでもない事だろう。分裂した徐州黄巾賊の後釜に就いた卜己は、官軍がここまでくる間に疲弊しているはずであり、十分に休息をとっていたこちらが迎え撃てば勝機が在ると考えていた。
しかし…腐っても漢朝に仕える官軍である。確かにここまで進軍してくる間に疲労こそ溜まってはいるものの、所詮弱い者相手に手を挙げる事しかできない賊軍如きがどうして勝てると思うだろう?
そして率いる将の力量も格段に差があった。まず黄巾賊を率いる大将である卜己は、副頭目であり幼馴染でもあった梁仲寧と張伯の二名と共に、三位一体となって目まぐるしく入れ替わって兵を繰り出す用兵を得意としていた。また卜己は朴刀を、梁仲寧は槍を、そして張伯は矛の扱いにそれぞれ長けていた。
しかし…幾ら用兵の技に長けていようと、所詮は略奪や虐殺などを好んで行う様な下劣な俗物である。華琳の下で厳しい鍛錬に明け暮れて来た曹操軍。そして彼女が股肱と頼む姉妹には到底及ぶべくもなかったのである。
戦いが始まると、先ず張伯が先陣を切って駆けだした。これに対し迎え撃ったのが夏侯姉妹の片割れである夏侯惇こと春蘭である。両者はそのまますれ違いながら、それぞれに得物を繰り出そうとしたのだが…。
「はあああああああああっ!!!!」
「ひっ…ぎあっ!?」
大喝一声。まさにその言葉通りと言うべき咆哮と共に春蘭が振るった
たった一合すら討ち合う事なく、呆気なく副頭目であった張伯が斃れたのを見た徐州黄巾賊は、戦いが始まった頃の威勢のよさが途端に霧散してしまう。だが…。
「ちょ、張伯!?このアマぁ!!」
幼馴染でもあった張伯を討たれた事に激怒した梁仲寧が槍を扱きながら馬を走らせ、そうして馬を止め、悠然と愛刀である七星餓狼を肩に載せて佇んでいる春蘭目掛けて襲い掛かった。しかし…。
「がっ……!???」
槍の穂先が春蘭の身体を貫くかどうかの距離になった時、彼の側頭部を一条の矢が突き立っており、そのまま落馬した梁仲寧もまた、先に逝った張伯の後を追う事となったのである。
「済まんな姉者。水を差すような真似をしてしまった」
「なに、気にするな秋蘭!それよりも流石だな、その距離から一矢で頭蓋を貫いて見せるとは大したものだ!」
それは春蘭がいる所から離れた場所にいた秋蘭が、得物である
「よし…全軍突撃!!世を蝕む賊徒の群れ如き、我らの武勇を以て一蹴せん!!進めぇ!!」
「一人たりとも逃がすな。少しでも逃がせば奴らは再び民草にその牙を向ける…一切の情けは無用、殲滅せよ!」
そして…春蘭が七星餓狼を振り下ろし、秋蘭が冷厳な瞳を狼狽する賊軍にむけながら号令を発すると、曹操軍の将兵らは意気盛んとなって徐州黄巾賊めがけて猛然と突っ込んだのである。
これに徐州黄巾賊は…何もできなかった。目の前で副頭目である張伯と梁仲寧、この二人がいとも呆気なく討ち取られたのを目にしてしまった事で、彼らの戦意は完全に圧し折れてしまったのだから。そして士気を完全に失ってしまった軍の末路は当然…。
「だ、駄目だ……逃げろおおおおおお!???」
「張伯様と梁仲寧様をいとも簡単に殺しちまう奴らに、俺達が勝てるわけがねえ!?」
…
「ば、馬鹿野郎!?とまれ止まれぇ!??」
士気が崩壊し、我先にと逃げ散ろうとする自軍を見た卜己は必死に制止を呼びかけ、時には逃げ出そうとした近くの賊兵を切り殺したりもしたのだが…既に崩れ出している軍勢を止めるまでには至らなかった。そしてそのまま曹操軍は崩壊した黄巾賊に雪崩込み、後は文字通りの掃討戦となって次々と屍を晒す事となった…。
ここに至り、卜己は自身の身の安全を取った。わが身可愛さに北…即ち青洲に向かって馬を駆けだしたのである。しかしそれを逃がすまいと、香風が愛馬である茉莉に鞭打って追いかけ始めた。
「…逃げるなんて卑怯。武人なら、大人しく観念して」
「ふ、ふざけんな!?こんな所で死んでたまるかぁ!!」
香風の呼びかけにも応じず、必死に馬を走らせる卜己。だが…それは突如として起こった。沛国の北に位置する公丘県の方から喚声と共に、数千の軍勢が現れたのである。
これには流石の香風も目を疑い、よもや黄巾賊の新手かと考え、春蘭達と合流しようと手綱を引こうとしたのだが…目の前にいる卜己の方に目をやると、彼の方がその顔面を蒼白に染め上げていたのである。
「あ、あ、あ………た、た、た、泰山賊…!???」
もはや言葉の呂律も回らないほどに震えが止まらないでいる卜己の姿を見た香風は、卜己の前に立ちはだかる様に現れた、『泰』の旗印を掲げたその軍勢が、卜己達の味方ではないのではと考えた。そしてその軍勢の前方に馬を走らせてきた三人の武将が現れた。
「あーらら。俺達が加勢するまでもなく勝負がついてるみたいですねぇ、お頭?」
「…予想はしてたが、こりゃ想像以上だな」
「んで、どうしますかお頭?」
そしてその中にいる、狼牙棒を手にした男性が呼びかけると…後ろにいる軍勢が左右に割れ、その真ん中を白馬に跨り、大剣を肩に背負った女性が現れた。
「…そこの娘、聞きたい事がある。お前は官軍の将か?」
「ん?シャンの事?うーん…曹操軍に仕えてる武将だよ」
「曹操…成程、そう言う事か。であれば…」
香風の言葉を聞いた女性は納得した様に頷くと、空いている片手を上げた。するとその動きに従い、彼女が率いて来たであろう軍勢が香風と卜己を囲むように円陣を組んだのである。
「卜己、貴様も将たるならば生き恥を晒すような事をするな。せめて華々しく最期を遂げるぐらいして見せるがいい。…娘、名を聞こう」
「…徐晃、字は公明」
「ならば徐晃よ、卜己の逃げ道は塞がせてもらった。心置きなく一騎討ちをするがいい」
これには流石の香風も驚き、そして疑問を投げかけた。
「…貴方達、黄巾賊の味方に来たんじゃないの?」
「論外だな。我ら泰山賊をそこにいる卜己が率いていた黄巾賊の様な獣と一緒にされるのは困る。そもそも奴らは我らが護るべき兗州の民草にも牙を向けた。即ち、我らにとっても敵でしかない。…これでは、理由にはならんか?」
孫観の静かな、しかし確固たる意志を秘めたその返答を聞いて…香風は我知らず感嘆していた。彼女と、彼女が率いている泰山賊と言う者達が、賊と名乗ってはいても義侠をその心に秘めた戦者達であるという事に。
「…ン、分かった。卜己、いざ…勝負」
「ち、畜生…うわあああああああああ!!!!」
そして改めて気を引き締めつつ、得物である霞切りを構えながら茉莉を走らせた香風に対し…もはや逃げ道すら奪われてしまった卜己は、悲鳴を上げながら破れかぶれと言う感じで朴刀を抜き払い、馬を走らせて斬りかかりはしたものの…交差したと思った瞬間、卜己の頸は高々と上空高く切り飛ばされていたのである。
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かくして、徐州黄巾賊は文字通り全滅の憂き目に遭う事となり、同時に曹操軍の強さを改めて官軍に印象付ける事となった。そして…この直後、兗州に勢力を持っていた泰山賊は楼杏率いる官軍の下に赴くと帰順を宣言する。
当然、官軍内において賊である為処刑するべきでは?という意見も出たのだが…楼杏はこれを受諾。泰山賊が泰山郡のみならず兗州においても、権力に拠らないで民草の治安を護っていた事を鑑み、ここで彼らの帰順を許さず彼らを賊として処罰すれば、それはすなわち兗州の民草の恨みを買う事に他ならないと推察したのである。
そして楼杏は泰山賊に対し、兗州の治安回復などを行う様に命を下し、孫観もそれを受け容れる事となった。
…ここに、徐州もまた官軍によって平定され、楼杏は暫くの間黄巾賊によって荒らされた徐州の治安回復などに精力的に勤める事となる。…いずれ来たる青洲黄巾軍との戦いに供える為に。
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徐州黄巾賊との戦いが終わった後、一刀は孫観から青洲黄巾軍を束ねる管亥の事を聞きおよび、改めて張三姉妹らの救援と言う自らの考えが実行できるかを考える様になる。
しかしその一方で、華北では思いもよらぬ出来事により官軍に窮地が訪れようとしていた。…続きは次回の講釈で。
オリジナル武将
『孫観』(容姿、性格は『英雄伝説 閃の軌跡3』の『オーレリア・ルグィン』を参考にしました!)
兗州に勢力を持っている泰山賊を束ねる頭目。字は仲台。
賊と名乗ってこそいるが、その本質は漢朝に拠る事なく兗州の治安を護る自警団と言うべき在り方を一貫しており、兗州に黄巾軍が訪れ、間もなく黄巾賊となって略奪をし始めた際には、これを完膚なきまでに打ち破り兗州から黄巾賊を追い払った。
凛とした美貌を持つ女性である一方で、大胆不敵さをも醸し出している。大剣を扱う武人としての力量もさることながら、統率力にも長けた女傑であり、兗州で割拠していた小さな規模の山賊や武芸者たちを纏め上げて泰山賊として率いる事にも成功していた。
彼女の器の大きさに心服した者達は多く、尹礼や呉敦、昌稀と言った嘗ては賊の頭目を務めていた者達ですら、自らの徒党と共に従属を誓ったほど。
青洲黄巾賊の頭目である管亥とは、武人として認めあっている仲とのことだが…。
蜀漢における周倉や廖化、孫呉における甘寧や周泰、蒋欽らと同じ『賊出身で三国に仕えた武将』の一人で、臧覇と同じく曹魏に仕えた。
演義では尹礼、呉敦、昌稀らと共に泰山の山賊として登場し、後に臧覇の説得を受け、降伏して以降は登場しない一方で、正史三国志では臧覇と共に挙兵し、陶謙に従って黄巾賊を討伐したことで、騎都尉に任命された。その後も臧覇を主として仰ぎ、曹操が呂布を破った後に彼の招請を受けて配下となった。
賊出身でありながら常に先陣を切って戦うことで曹操の信頼を勝ち得ていた。またその最後も孫堅との戦いの最中に矢傷を受けながらも力戦奮闘し、軍功を勝ち得て間もなくその傷がもとで亡くなると言う物だった。