真・恋姫†無双~転生記~   作:ふかやん

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 長らくお待たせしました…最新幕投稿です。


壮也賊軍から少女を救い、黄忠我が子の窮地を救わんと駆ける。

自らの愛馬である黒風に鞭打ち、無人の野を行くが如く野営地の中を突っ切った壮也。

 

 

 自殺行為である事を理解しつつもその危険を冒した甲斐は確かにあり、今まさに連れてこられた紫色の髪の幼女に刀を突きつけようとした、顔に大きな刀傷を走らせている賊の頭目を撥ね飛ばしたのである。

 

 

 そうして、壮也が手にしている鋼鎌武断を構えながら睨みつけると、幼女の両腕を掴んで動きを封じていた賊兵はその一睨みに肝をつぶし、すぐさま彼女から手を放し尻尾を巻いて逃げだしたのだった…。

 

 

「…大丈夫か?」

 

 

 壮也が可能な限り静かに、穏やかに幼女に問いかけると…呆然としていた彼女もハッとしたかと思うと直ぐに首を縦に振った。

 

 

「う、うん…!たすけてくれて、ありがとう!」

 

 

「そうか、良かった…ここは危ない、すぐに離れよう。馬には…乗れなさそうだから、俺の馬に乗ると良い。さあ…!」

 

 

 笑顔で答えた幼女を見て安堵した壮也であったが、のんびりともしていられなかった。ここは敵陣の真っただ中、急がなければ嬲り殺しにされるのは目に見えていたのだから。そうして壮也は一旦愛馬である黒風から降りて少女を乗せようとしたのだが…。

 

 

「うん。…あっ」

 

 

 ところがその幼女は黒風に近づこうとしたものの、その足がいったん止まったかと思うとある方向に視線を向けたままになってしまった。壮也が疑問に思ってそちらの方に顔を向けると…。

 

 

「っ、あれは…」

 

 

 それは壮也が駆け付ける少し前、馬上から目撃した…幼女に刀を向けて近づこうとした賊の頭目を止めようとし、逆にその刀で頸を掻き切られてしまったもう一人の賊の頭目と思われる男が仰向けに倒れていたのである。

 

 

 壮也が幼女の方に顔を向けると、その目には自分に刀を向けていた賊に対して決して怯むまいという強い決意の籠った物とは違い、自分の事を助けてくれようとした相手に対する憐憫の情の様なものが感じ取れた気がした…。

 

 

 それを見た壮也は少し考えたかと思うと、彼女に黒風の傍にいる様に言い含めるとそのまま倒れている賊の頭目に近づいてみたのだが…既に顔色は青白くなり、呼吸も浅く、何より抑えている傷口からも出血が止まらなくなっており、もはや助からないのが目に見えていた。

 

 

「……最後に、何か言い遺す事はあるか?」

 

 

 壮也が彼の下に跪いて問いかけると、賊の頭目…趙祗は震える手で壮也の手を力強く握り締めながら声を発した。

 

 

「…っ!!あ゛、あ゛の゛ごを…母、親のもどに゛…づれ゛でっでぐで…だのむ…!?」

 

 

 自らが助からない事を理解し、自分自身が賊である事も承知の上で…それでもあんな無垢な幼女を巻き込んでしまった事を悔やみ、滂沱の涙を流しながら懇願してきた趙祗を見て、壮也は否と言う積りは毛頭なかった。彼の最後の頼みというべき言葉を聞いた壮也は、趙祗の手を握り返しながら力強く頷いた。

 

 

「約束する。必ずあの子を、母親の下に連れていく」

 

 

 その言葉を聞いた途端、趙祗は泣き笑いのような表情を浮かべて安堵し、黒風の傍に立っている幼女…璃々に顔を向けると、温かい目を向けながら頷いたのである。『もう、心配しなくていい』、そう伝えるかのように…。

 

 

 そうして壮也が趙祗の元を離れ、幼女を黒風に乗せてから自分も跨り立ち去ろうとしたのだが…。

 

 

「てめええええええ!!!待ちやがれえええ!!どこにいきやがるううううう!!!」

 

 

 先ほど撥ね飛ばし、命を落としたと思っていた賊の頭目…馬相が刀を手に立ち上がり、血走った眼を向けて来たのである。

 

 

「…よもや黒風の体当たりを受けて生きているとはな。悪党と言う物は、存外しぶといという事か」

 

 

 壮也は呆れた様に呟きながら、馬上から馬相を睨みつけ、得物を向けながら言い放った。

 

 

「よく聞け外道、貴様の様な下種を野放しにする事を俺はしたくない。だが、今の俺はこの子を母親の下へ連れて行くように頼まれた…故に暫しの間、貴様を見逃す。だが、すぐに駆け戻って貴様を討つ。精々逃げる用意をしておくことだな…!」

 

 

 言葉に殺気を乗せながらそう一喝した壮也は黒風を走らせようし、一方の馬相は目の前にいる青年の一喝に飲まれかけていたが、やっとの思いで連れ去った黄忠の娘である璃々を搔っ攫われてはたまらないとばかりに声を挙げた!

 

 

「ふ……ふざけるんじゃねえええええ!??お前らてきしゅ『ぎ、ぎげえええええええ!!!』はあっ!?趙祗!??」

 

 

 ところが、子分達に襲わせようと声を挙げようとした馬相の声を掻き消さんとばかりに、趙祗が立ち上がって大音声で呼ばわったのである!!もはや傷口を抑える事もせず、大量の血が流れ出ているにも拘らず…趙祗はそれでも仁王立ちをしていた…!

 

 

「馬相の゛奴がう゛ら゛ぎっだああああああ!!!お゛ま゛え゛らあああああああ!!!馬相の゛奴らば、も゛う゛敵だあああああ!!討ちががれえええええええええ!!!」

 

 

 それは正に消えかかった蠟燭の灯が最後に一際強く燃え上がるかのように…最後の力を振り絞っての大音声は、野営地全体に響き渡ったのである。その声が響いて少しの間、野営地は静寂に包まれたのだが…やがて。

 

 

ーてめえらよくも趙祗の頭を!!

 

 

ーお頭の仇だ!やっちまええええええ!!

 

 

ーな、何をしやがるんだ!?

 

 

ーこいつら裏切りやがったぞ!?上等だ!返り討ちにしてやらああああ!!

 

 

 野営地のそこら中からそんな声が響き渡る様になり、とうとう同士討ちが勃発したのである。これには流石の壮也も驚きを隠せなかった…!

 

 

「…っ!?貴殿は…」

 

 

 だが、壮也が声を発した趙祗を一瞥すると、最後の力を使い果たしたのかゆっくりと前のめりに倒れようとする瞬間だったのである。しかし…その顔には悔いが一遍も感じられない、満面の笑みを浮かべていた。

 

 

「っ……済まない!!」

 

 

「あっ……ありがとう、おじさん…!」

 

 

 壮也が慙愧に堪えないという風に目を強く瞑りながら短く謝意を示しながら黒風を走らせ始め、璃々もまた自分達を逃がそうと命を懸けてくれた趙祗に感謝の言葉を投げかけるのを耳にしながら…趙祗は音を立てて倒れた。その死に顔は…この上なく満足そうな笑顔だったのである。

 

 

「ち、畜生があああああああああああ!???」

 

 

 残された馬相は憤激の悲鳴を上げながら同士討ちを始めた部下達の加勢に赴かざるを得なかった…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 壮也が幼女…璃々を助けようと単騎駆けを行っていた頃、江州の町から馬を走らせる女性がいた。

 

 

 紫の長髪を風に靡かせ、水色の温和そうな雰囲気を感じさせるその立ち姿は、平素の時ならば衆目を釘付けにしただろう。しかし…今の彼女から感じられるのは悲壮感しかなかった。

 

 

「璃々(りり)…どうか無事でいて、お願い…!!」

 

 

 その瞳から時折涙を零しながら…彼女は自身にとって掛け替えのない、大切な一人娘の真名を口にしながら馬を走らせる。そして、彼女の後方からは砂埃を上げながら数千の将兵が先駆ける女性を追いかけていた。

 

 

「紫苑(しおん)様、お待ちください!!くっ……まさかこんな事になっていようとは!」

 

 

 その軍勢の先頭には、馬相と趙祗らを首魁とする賊軍を迎撃せんと駆け付けた焔耶がおり、軍勢を置き去りにして馬を走らせている女性の真名を叫びながら制止を呼びかけているのだが…彼女はまるで聞く耳を持たず馬を駆けさせ続けていた。

 

 

「焔耶(えんや)、呼びかけたって無駄よ!今の紫苑さんの頭の中にあるのは、璃々ちゃんの事だけ!…たくっ!あの賊連中、よもやこんな手段を取るなんてね!この屈辱、倍返しにしてやるわ!!」

 

 

「玉園(ぎょくえん)さん!貴女は安全な場所に!璃々さんの救助と賊軍の討伐は、自分が全力で取り組みます!」

 

 

 そんな魏延に対し馬上から声をかけたのは、茶髪のボブカットにカチューシャを付けている緑色の瞳の闊達そうな雰囲気を醸し出す少女であり、緑を基調にし、凝った装飾が特徴的な胸元を広く開けた長袍(ちょうほう)をベースにした装束を纏い、腰には黒く染め上げた羽で作られた羽扇を下げている。

 

 

 また同じく馬上から彼女の真名を呼びかけつつ声をかけたのは、良く日焼けした褐色の肌に黒の短髪、左眉横に刀傷が奔った藍色の瞳を持った青年である。動きやすさを重視した緑を基調にした軽鎧を纏い、両手にはそれとは正反対の重厚さを感じさせる籠手を装備していた。

 

 

「悪いけど真(まこと)さん!こればっかりは無理!こうしている間にも璃々ちゃんの命が危ぶまれてるの!巧遅は拙速に如かず…って言う積りはないけど、後ろで待つなんて訳には行かないわ!そう言う訳で和葉ちゃんに平次も!状況次第では混戦になるかもだけど宜しく!」

 

 

 青年…真の忠告に切り返しながらも少女…玉園は譲らず、馬を走らせながら同じく馬を走らせている同輩…真と呼ばれた青年と同じく褐色の肌に水色の瞳をした、片刃の大太刀を肩に担ぎながら馬を走らせている青年と、背中に先端がフックの様に曲がっており、手の部分に月牙が取り付けられた武具…双鉤(そうこう)を背負っている黄色のリボンで止めた黒のポニーテールに碧色の瞳をした、気さくで明るい雰囲気を醸し出す少女らに声をかけると、二人もまた頷きながら戦意を露にした。

 

 

「分かっとるわ!にしてもあの賊連中、ふざけた事してくれるやないか…!紫苑姐さんの娘である璃々ちゃんを連れ去るなんぞ…絶対に許さへん!」

 

 

「全くやな!けど安心してや!ウチらがいれば、絶対に璃々ちゃんを助けられる!!」

 

 

 二人の心強い返答を聞いた玉園は満足そうに頷くと、魏延に対して指示を飛ばす。

 

 

「焔耶!あたし達の中じゃあんたの馬が一番早い!だから先行して紫苑さんに合流!真さんも追従させるからとっとと行きなさい!言っとくけど、紫苑さんと璃々ちゃん助け出さなかったら覚悟を決めときなさいよ!?」

 

 

「っ!承知した!!」

 

 

 玉園の指示を受けた焔耶は手綱を強く打ち、先行していった紫苑に追いつかんと馬を走らせ、それに追従する様に真と呼ばれた青年も馬を走らせた…!

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 紫苑……黄忠のこれまでの生涯は、二度にわたって『最愛の人との別離』という悲劇があった。

 

 

 一度目は自分にとっての最初の伴侶…娘である璃々にとっての実の父親との死別である。温厚で心優しく、時々無茶をする事もあった自分の事を厳しく諫める事のあった彼の事を、紫苑は心から愛していた。

 

 

ー彼が、病にかかるまでは。

 

 

 突然喀血をして倒れ、そのまま起き上がれなくなった夫に紫苑は激しく取り乱した。ちょうど居を構えていた荊州は長沙郡に五斗米道で修行を積み、若くして名医として名を馳せていた華佗(かだ)が訪れており、彼に懇願して診察をしてもらったのだが…その答えは残酷だった。

 

 

『肺の中に病の根源がある。治したいが…この病は生まれつきのもので既に患者である貴方の夫の奥深くに根付いてしまっている。…すでに手遅れと言っても過言ではないほどに』

 

 

 自身の無力さに無念であると握り拳を震わせながら宣告した華佗の前で、紫苑は涙を流しながら崩れ落ちるしかなかった。そして程なくして…。

 

 

ー…済まない紫苑、もっと君と共に生きていたかった。璃々の成長を見守りたかった。……二人を残して逝く俺の事を、どうか許してくれ。俺が死んだら俺の遺品である短剣を益州は江州を統治している賈龍将軍に届けて欲しい。そうすれば賈龍将軍は、二人を温かく迎えてくれる筈だ…。

 

 

 無念の涙を零しながら…彼女の頬を撫でつつそう呟いた夫は、そのまま帰らぬ人となってしまう。紫苑は彼の亡骸に縋りつき、嗚咽の声が何時までも響き渡った…。

 

 

 その後葬儀が終わると、紫苑は当時仕えていた荊州刺史の劉表に許しを貰って下野し、娘である璃々と共に住み慣れた荊州を離れて益州に旅立った。そうして江州を訪れると賈龍の下に赴き、事の次第を説明しながら亡き夫が遺した形見と言える短剣を差し出すと、賈龍は二人を快く迎え江州に家を用意してくれたのである。

 

 

 ……この頃、紫苑にとって賈龍という人物は『近づきがたい相手』という印象があった。常に不機嫌そうに顔を顰めている彼の事を紫苑はどうにも心を許す事が出来ず、娘である璃々にも近づかないように言い含めるほどだった。

 

 

 その後暫くの間、江州で安穏とした日々を過ごしていたのだが…ある時紫苑は、賈龍の部下の一人であった馬相とその子分達に寝込みを襲われてしまう。

 

 

 当然紫苑はこれでも数々の戦いを潜り抜けて来ており、馬相如き簡単に返り討ちにも出来たのだが…馬相の部下が娘である璃々を捕まえて連れて現れ、止めとばかりに馬相が『娘に危害を加えられたくなかったら、大人しく抱かれろ』と脅迫されてしまった事で…彼女は一切の抵抗を諦めてしまった。

 

 

 最愛の夫との間に生まれた娘を失いたくない…!そう思いただ一人の愛娘を護る為に紫苑は馬相に押し倒され、成す術もなく強姦されかけはしたのだが…天は彼女を見捨てなかった。

 

 

 自分と距離をとる事の多かった紫苑の事を誰よりも案じていた賈龍が、気分転換に酒を酌み交わそうと部屋を訪れたのだ。当然目の前で行われようとしていた所業に賈龍は激しく激高。護身用に持ち歩いていた大刀で璃々が逃げられないように抑えていた馬相の子分らを斬り捨てると、事態が急変したのを見て逃げ出そうとした馬相に追いつくや否や、彼の顔面に深々と刀傷を刻みつけたのである。

 

 

 こうして九死に一生を得た紫苑は、彼女の無事を確かめようと近づいた賈龍に抱きつくと堰を切ったかのように泣き続け…これに賈龍もまた、彼女を安心させようと彼女の背を労るようにさすり続けたのであった。

 

 

 それから紫苑は賈龍に対して心を許す様になり、賈龍もまた彼女の夫であり自分の嘗ての部下であった彼の妻である紫苑とその娘である璃々の事を不器用ながらも暖かく見守ったり、生活で困った事があるならと相談に乗る様になった。

 

 

 璃々もまた賈龍の事を父親の様に慕う様になっており、賈龍自身から『俺は嘗ての俺の部下だったあいつからお前達を託されたのだ。その思いを裏切る訳には行かぬ』と断られはするも、紫苑自身は賈龍の事を一人の男として愛情を抱く様になっていた。

 

 

 『叶うならば、賈龍の夫として共にありたい…あの人もきっと許してくれるはず』…紫苑は常々そう思いながらも賈龍の意思を尊重し、穏やかで平穏な日々を送る事が出来ていた。

 

 

ーあの日、巡察に出た賈龍が殺害されたと聞かされるまでは……。

 

 

 その悲報を聞かされた時、紫苑は最初信じようとしなかった。自分達の事を気にかけてくれたあの人が殺されたなど…!!そう憤りを示すほどに。

 

 

 しかし現実は残酷だった。江州に賈龍の遺体が棺に入れられて運ばれてきたのを見た紫苑は、衆目があるにも構う事なく棺に取りすがって号泣するしかなかった。また棺を開けて確かめれば…その亡骸は丁寧に清められてはいるが、首と手足が斬り落とされたのか縫合されていたのだ。

 

 

 いったい何があったというのだ…!?紫苑はこの時葬儀に駆け付けていた、賈龍にとっての主君でもあり益州刺史の地位を父である劉焉から引き継いでいた劉璋に説明を求めたのである。劉璋は最初答えるのを渋っていたのだが、紫苑の追及に根負けしたのか『気をしっかり持てるか?』と念を押したうえで語り始めた。

 

 

ー賈龍殺しの下手人は馬相とその一味。しかもこの時、馬相はあろう事か賈龍の亡骸から首級と手足を切り落とすと、それを木の杭に突き刺して見世物の様にしたと。

 

 

 ………それを聞いた途端、紫苑はあまりの出来事に衝撃を受け意識を手放してしまう。少し経って意識を取り戻したのだが、目覚めた彼女はそのまま顔を手で覆い、悲鳴と共に嗚咽を零し続けていた…。

 

 

 それからというもの、紫苑は殆ど自宅に籠ったまま一切の客人の来訪を断ると日がな一日泣き暮らす様になってしまう。目には隈が出来、食事もとる事もしなくなり頬もこけてしまうほどに…。

 

 

 そんな彼女を励まそうとしたのが娘の璃々だった。彼女は母親の部屋に行くと、勇気を振り絞って声をかけたのだ…。

 

 

「おかあさん、なかないで。おかあさんがいつまでもかなしんでいたら、おとうさんや賈龍のおじさんも…きっと、かなしむよ…!」

 

 

 …実の母親に対して拙くも必死に彼女を慰めようとする璃々。彼女もまた泣き出しそうになるのを必死に我慢しているのを見て、紫苑は漸く自分が娘の事すらおざなりにしていた事に気づき、愛娘を押し抱くと再び号泣し始める。

 

 

―そうだ…自分は何をしていた?璃々だって本当なら父親の様に慕っていた賈龍の死に悲しみを抱いていない訳が無いのに、その母親である自分は部屋に籠ったまま泣き暮らしていていいのか?……そんな訳が無い!娘が悲しみを抱きながらも前に進もうとしているのに、親である自分が嘆き悲しみ、立ち止まったままでいい訳が無いじゃないか!!

 

 

 そうして……紫苑は再び立ち直る事が出来たのである。それからというもの、紫苑は劉璋から亡き賈龍の部下である将兵を預かる事となり、少しずつではあるが再び将としての責務も果たせるようになった。

 

 

 また江州の統治を預かる事となった桔梗こと厳顔。そして魏延を初めとした、ゆくゆくは未来の益州を背負うであろう若者達との交友を重ねていく事で、紫苑の心の傷は癒えて行ったのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 それから時は流れ……。河北において黄巾賊と黄巾軍との対立が深まり、朝廷から討伐軍が派遣される事になった頃…所用で成都に向かう事となった桔梗に代わって江州の統治を行っていた紫苑の下にある情報が飛び込んできた。

 

 

ー賈龍を手に掛けて潜伏していた馬相が、益州における賊徒達を束ねる頭目の片割れである趙祗の元を訪れ、河北で暴れ回っている黄巾賊に合流せんと持ち掛けていると。

 

 

 それを聞いた紫苑は当然血が沸騰していると思うほどに憤激を露にした。長らく探し求めた怨敵の情報を掴む事が出来たのだ…これで討伐に動く事をせずいつ動くのか!?

 

 

 しかし紫苑は同時に冷静さを取り戻していた。怒りに我を忘れれば足を掬われかねない事を誰よりも理解していたが故に…まず彼女は所用で成都に赴いていた親友の桔梗に事の次第を知らせると、軍備を整える一方で賈龍の部下達を動かし、賊徒達の動きを逐一探らせる事に精力を注ぎ始めたのである。

 

 

 やがて少しずつ大小の賊の一団が少しずつ巴郡の臨江県辺りに集結し始めている事が判明したのだが、その首魁と言える馬相と趙祗の情報は中々手に入らなかった。初めこそ冷静であろうと努めていた紫苑であるものの痺れを切らしてしまい、自身も捜索隊を率いて向かおうとしたのである。

 

 

 これに賈龍の部下は危険すぎる、ご息女の傍におられるべきと諫めたのだが彼女の意思は固く、紫苑は愛娘である璃々を家に残していく事に後ろ髪を引かれながらも、その思いを押し殺して捜索に出発したのだった。

 

 

 だが……4~5日経ち、一度情報の精査を行う為に江州に戻った紫苑の耳に飛び込んできたのは『ご息女である璃々様が連れ攫われた』という、信じたくもない報告だったのである。

 

 

 下手人はすでに捕縛はされていた。紫苑の屋敷で働いていた侍女の一人だったのだが、調べた結果この女は……馬相の情婦だったのである。

 

 

 愛人であった馬相を酷い目に遭わせた賈龍と、その賈龍に心を寄せていた紫苑に恨みを抱いていた彼女は正体を隠して紫苑の屋敷で侍女として働き始め、やがて馬相からの連絡を受け取った彼女は璃々に対し『家の中にいても退屈でしょう?良ければ城の外で気分転換をなされては?』と言葉巧みに彼女を唆すと、そのまま彼女を城外に連れ出したのである。

 

 

 この時城には賈龍の副官であった人物がおり、なるべく家から出ない様にと紫苑から言い聞かされていた筈の璃々が侍女に連れられて外に出ているのを目撃。

 

 

『これは何かおかしい』。そう察した副官は数十名の手勢を連れて急行した結果、馬相の部下である賊徒共に連れ攫われそうになっている璃々を発見。即座に部下達と共に吶喊しながら璃々を救い出そうとしたのだが賊徒達も死に物狂いで抵抗……力及ばず連れ去られてしまったというのである。

 

 

 その報告を受けながらも呆然自失となっていた紫苑の下に『賊軍が集結し始めている臨江県に、璃々様と思われる少女を連れた賊が向かった』という報告が届けられた途端……彼女は周囲の制止を振り切って厩舎に向かい、馬に跨ると江州を飛び出したのだった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

ー璃々、ごめんなさい…ごめんなさい……!!こんな事になるなら、貴女の傍を離れるべきじゃなかった!あいつの…馬相の居場所を突き止めなければと焦るあまり、こんな卑劣な企みに貴女を巻き込んでしまった…!

 

 

 紫苑は馬を駆けさせながら落涙し、自責の念に圧し潰されそうになっていた。自分や愛娘の事を気にかけてくれた恩人の賈龍…その命を奪うのみならず死者の尊厳すら踏みにじる所業を行った怨敵・馬相。何としても奴をこの手で討ち取らなければと急く余り、愛娘である璃々を巻き込んでしまった事に、彼女は冷静さを完全に喪っていた。

 

 

ー私はどうなろうと…それこそ命を落としたとしても悔いはない。だが娘だけは…!!あの子にもしもの事があったら…!!

 

 

 今の紫苑は一刻も早く娘の…璃々の元に駆け付け、彼女を救わなければという焦りに憑りつかれてしまっていた。だが、馬に鞭打って駆けさせる彼女の前を別の騎馬が阻むように立ちはだかった。それは賊軍が集結しているであろう臨江県近くに作られた賊軍の野営地を見下ろせる丘のあたりである…!

 

 

「紫苑様!落ち着いてください!!」

 

 

「焔耶ちゃん…。っ!そこを退いて!!こうしている間にもあの子が……璃々が!!」

 

 

 紫苑は普段の余裕溢れる振る舞いとは真逆な、冷静さをかなぐり捨てたかの様に背中に背負っている鉄弓の『颶鵬(ぐほう)』を構え、矢を番えるとその鏃を自身の前方で馬を横向きにして止め、馬上で得物である『鈍砕骨(どんさいこつ)』という名の棍棒を構えて立ちはだかっている少女…焔耶に向けたのである。

 

 

 しかし、焔耶は恐れる事無く彼女を真っ直ぐに射貫く様に眼を逸らさず、紫苑の前で武器を大上段に構えながら彼女を諫め始めた。

 

 

「紫苑様!璃々ちゃんの身を案ずる貴女の気持ちは……私だって分かります!我が子の身を母親として案ずる……それは当然だと思っています!でも…かと言って紫苑様が単騎で賊軍の真っただ中に飛び込んでどうするのですか!!曲張比肩の弓術を持とうと、大軍に飛び掛かられれば幾ら紫苑様といえど命はありません!まして今の紫苑様は冷静さを欠いている!!それでもし紫苑様の身に何かあったら……母親を失ってしまう事になる璃々ちゃんはどうなるというんですか!!

」

 

 

「……っ!!」

 

 

 焔耶の必死の説得…それは確実に紫苑の心に届いていた。彼女の言葉を投げかけられた紫苑はたちどころにその瞳から大粒の涙を流し始め、矢を放たんと弓を握りしめている手も少しずつ力を無くしつつあった…。やがてその後から黒毛の悍馬に跨った真と呼ばれた青年も追いつき、彼女の横に馬を止めたのである。

 

 

「焔耶さん。紫苑殿は……」

 

 

「安心しろ真!紫苑様は止められた、後は玉園達と東州兵の到着を待てば……?」

 

 

 だが焔耶の言葉は途中で途切れた。自分達がこれから戦うであろう賊軍の方に視線を向けたのだが、その時彼女の目に飛び込んできたのは………。

 

 

ー黒毛の駿馬に跨った純白の戦装束を纏い、大斧を握りしめている青年がこちらに向かって馬を走らせており、その後ろから数十騎程の賊徒に追撃を受けている光景だった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 一方、壮也は愛馬である黒風に跨り、自分の身体を盾にしながら少女を庇いつつ江州方面に向かって逃走していた。しかし……彼の後方から野営地から飛び出してきたと思われる数十騎の賊徒達が殺気と怒気を漲らせながら追撃を仕掛けてきている。

 

 

 これが壮也だけならば迎え撃つという選択肢もとれたかもしれないが…今の壮也にはその選択肢が脳裏に浮かぶ事は無かった。賊の魔の手から助けだした少女を一刻も早く安全な場所に連れて行く、それが今壮也自身が為すべき事であると分かっていたのだから。

 

 

「…大丈夫か?怖いかもしれないが、少し辛抱してくれ…!」

 

 

「う、うん!」

 

 

 黒風を駆けさせながらも壮也が一緒に乗せている少女に問いかけると、少女も黒風の鬣を握り締めながら頷き返した。それを見た壮也は頷きながらも後方に目を向けると、いまだに賊共の追撃は収まる気配がなかった。

 

 

ー余程この少女を奪われた事に怒り心頭のようだな。出来れば諦めて欲しい物だが…?

 

 

 だが壮也が再び視線を前に向けると、眼前にある丘の上から一騎こちらに向かってくるのが見えた。

 

 

 緑を基調にした軽鎧を纏っているもののその両手には重厚さを感じさせる巨大な籠手を身に着けている、褐色の肌色をしている青年が、壮也の愛馬である黒風と同じ黒毛の悍馬に跨っている…。だが、次の瞬間その青年は騎乗している黒馬の鞍の上に膝立ちしたかと思うと……。

 

 

「はあああっ!!」

 

 

 こちらに向かって跳躍を仕掛けて来たのである!しかも重厚な籠手を身に着けている右手の方を握り締めており、そのままその拳を叩きつけようとしているのだと即座に理解した壮也は、手にしている鋼鎌武断を頭上に掲げ…その一撃を受け止めた。

 

 

 重々しく、凄まじい激突音が響き渡るも壮也は相手の攻撃をしっかりと受け止めていた。しかし、壮也は冷や汗をかくより他なった。

 

 

ー…っ!!凄まじい一撃だ。拳闘の技を相当に鍛え上げているのがよく分かる……乗っている馬が並大抵の騎馬であったなら、受けたとしても馬の方が使い物にならなかったかもしれない。

 

 

 壮也は内心で感嘆するより他なかった。それだけ目の前にいる相手…壮也の得物である鋼鎌武断の柄を足場代わりにして跳躍し、自身の騎乗してきた黒馬に戻って油断なく拳を向けてくる青年の実力が凄まじい物であると分かったからだ…!

 

 

「……何者でしょうか?自分の拳を受け止めて見せるその力量、ただの賊とは思えません。それに…」

 

 

 青年はそう誰何しながら壮也が騎乗している黒風の上にいる少女に視線を向けた。

 

 

「璃々ちゃんを連れている……貴公は馬相、趙祗らの賊軍の一味ではないのでしょうか?」

 

 

「っ!如何にもそうだ!ならば聞くが、貴殿は益州の州牧に仕えているものだろうか!なら話は早い!この子を頼む!…この人は悪い人ではないんだな?」

 

 

 青年の問いかけに期待以上の答えを察した壮也は即座に行動に移った。青年の傍に馬を寄せると、黒風に乗せていた少女ー璃々という真名であった事を、今把握したーに問いかけると、少女もまた嬉しそうに頷いた。

 

 

「うん!真お兄ちゃんだから大丈夫!」

 

 

「分かった…!この子を頼む!俺は賊達の足止めに移る!!」

 

 

 壮也がそう言いながら璃々を抱き抱えて相手の青年に渡すと、即座に馬首を返して今まさに近づいてきている賊徒達に向かっていった。それを見た青年は一瞬驚きを露にしたが、やがて力強く頷くと馬首を返し丘を登って行ったのである…!

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 少女を信頼できる相手に託した壮也は、彼が逃げる時間を稼ぐため賊達を足止めせんと立ちはだかる。しかし間もなくして、壮也の下に益州で技を磨き続けた兵達の救援が訪れる事になる…続きは次回の講釈で。

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