【伝記】ドラゴンクエストⅤ ~天空の花嫁~ 作:和成ソウイチ
嘶きがした方へアランたちは走る。
すぐ近くに鬱蒼とした森があった。馬の声は木立の奥から聞こえてくる。
腰まである雑草をかき分け、ヘンリーが舌打ちした。
「何て所を走ってるんだよ、パトリシアって奴は」
「見えた!」
アランが速度を上げる。草むらを抜けると、そこに小川があった。
川辺に眩い純白の体をした大きな馬が立ち、しきりに首を振っていた。頭を大きく上げている。興奮しているようだ。
その足元に、青い影が何匹かすがりついている。スライムの群れだ。足を噛まれ、その痛みに馬が暴れているのだとわかった。
「あいつがパトリシア、だよな。確かにでけえ」
「暢気なことを言ってる場合じゃないよ。助けるんだ」
「あ、おい。ちょっと待てって」
制止も聞かずアランはパトリシアに駆け寄る。見知らぬ人間に驚いたのか、全身を使って暴れ始めた。横腹に手を当て必死になだめようとするが、馬の扱いなど知らないアランでは上手くいかない。油断すれば、後ろ脚で蹴り飛ばされそうな勢いだった。
アランは怯まなかった。
「パトリシア! 静まるんだ」
瞳を見据えながら大声で叫ぶ。すると一瞬、馬の動きが止まった。
この隙に、アランは脚に食らいついているスライムたちを残らず引き剥がした。ころころと地面を転がった彼らはすぐさま一箇所に集まり、威嚇するように歯を剥いた。それを見たパトリシアが再び鼻息を荒くする。
「やめろ。もう君を傷つけるものはない。あとは僕に任せて、君は下がるんだ」
回復呪文を施しながら、人間に対するように言い聞かせる。パトリシアは不服そうに鼻を鳴らした。前脚でしきりに地面を掻いている。
「ヘンリー、彼を頼む。興奮しているみたいだ。とにかくスライムたちから引き離さないと」
「手綱もない暴れ馬だってのに、お前容赦ねえよな。わかった。任せろ」
知識があるヘンリーがパトリシアの首筋を叩きながら後ろへ下がらせる。傷の痛みが引いて若干落ち着いたのか、こちらを伺いながらもパトリシアは大人しくヘンリーの誘導に従った。
アランはスライムたちに向き直る。すると彼らはいっそう歯を剥き出しにして、身を寄せ合った。アランにはそれが、怯えの裏返しのように見えた。
「さ、行くんだよ。僕は君たちに危害は加えない」
できるだけ穏やかに言う。スライムたちの目を見つめ、その場でじっと待つ。襲いかかってこないと悟り、スライムたちは普段の表情を取り戻していく。
そして一匹、また一匹と森の奥へと去っていった。
だが一匹だけ、いつまでもアランから目を離そうとしないスライムがいた。まるで仲間を逃がす時間を稼ぐかのようだ。
そのスライムは高く声を上げると、いきなりアランに向かって体当たりを仕掛けてきた。
アランは、反射的に構えを取りそうになる身体を意志の力で抑えつけた。
スライムの攻撃を肩に受ける。
思った以上に軽い衝撃に、アランは内心で驚く。
初めてスライムの攻撃を受けたときは、あんなに痛かったのに――。
十年という月日は彼の身体を鍛え上げ、それ自体を強靱な鎧へと変化させていたのである。
スライムがアランから離れる。
なおも戦闘意欲を失っていないスライムに、アランはまなじりを決した。
「僕の名はアラン。君が全力でぶつかってくるというのなら、僕もそれに応えるよ」
応じるようにスライムが鳴く。この瞬間、アランはおぼろげに感じた。
このスライムには、心底からの殺気がない――。
足元目がけて飛び込んでくるスライムに、アランは精神を集中した。呪文の力が右手に集まったことを感じ、一気に解放する。
「――、バギ!」
地面を抉る風の呪文。風刃は過たずスライムを直撃し、その体を真っ二つに切り裂いた。呪文の余波が樹々を駆け抜け、梢を揺らす。
これまで何度も見てきたように、スライムの体は燐光を放ちながら霧散していった。
大きく息を吐き、アランは瞑目する。
――が、その直後。
空気中に散った光が再び集束し、倒したはずのスライムの形を取る。初めての経験にアランは息を呑んだ。やがて完全に姿形を取り戻したスライムは、じっとアランの目を見つめてきた。
もはやその瞳に邪気はおろか殺気も感じられない。
まさかこれが、モンスター爺さんの言っていた……魔物の改心?
「もし、君が僕と一緒に来るのなら」
言葉は自然に溢れ出てくる。
「君の仲間とも戦わなきゃいけなくなるかもしれない。それでも、来るかい?」
「ピキ」
返事をするような、短い鳴き声。アランは微笑み、スライムはその場でぴょんぴょんと跳ねた。だがすぐにまたアランを見つめてくる。
「そっか。君の新しい名前を決めないとね」
「ピキュ」
意思疎通ができる。アランはそのことに小さな感動を覚えながら、空を見上げた。脳裏をある単語がよぎる。
「スラリン、はどうかな」
「ピ」
再びその場で飛び跳ねるスライム。スラリンと名付けられた彼は、今度こそまっすぐにアランに駆け寄ってきた。そして器用に彼の体を登ると、その肩の上に収まる。ひんやりとした体が心地良かった。
スラリンを前にしたときの直感。
自然と口にできた誘いの言葉。
天啓のように即座に浮かんだスラリンの名前。
まるでずっと前から訓練してきたかのように、それらのことを無意識の内に、かつ自然に成し遂げられたことに、アランは新鮮な驚きを覚えた。
「これが、僕の力」
ふと思い出す。幼い頃、あのサンタローズの洞窟で出会ったスライムのこと。いつか彼のような友達を持ちたいと思っていたこと。
アランはスラリンを撫でながら、優しく言った。
「よろしくね、スラリン」
「ピキー」
人の言葉が喋れないらしいスライムは、そう言って元気良く飛び跳ねた。