【伝記】ドラゴンクエストⅤ ~天空の花嫁~ 作:和成ソウイチ
『ずいぶん雰囲気が変わったわ』
チロルの何気ないつぶやきに、彼女の背に乗ったスラリンが「なになに?」と声を出す。ピエールは静かにチロルを見た。
アランがヘンリーとの昔話に華を咲かせている間、彼女らはラインハット城を見学していた。変化の石を付けている上、デール王からあらかじめ達しが回っていたため、チロルたちが廊下を歩いていても騒ぎにはならなかった。
「それは城内の空気のことですか」
ピエールの問いかけにチロルは首を振った。
『それもあるけれど、私が言っているのはヘンリーのこと』
「そういえば、貴女は十年前にあの方と会っていたのでしたね」
『私が言えた義理じゃないけど、当時のあの人はそりゃあ意地悪だったわ。兄さんを怒らせるなんて、よっぽどだと思うもの。だからあんまり好きになれなかったのだけれど』
「え、ヘンリーってアランを怒らせたの!?」
十年前を知らないスラリンが驚く。チロルは微笑した。
『でも、あなたたちの話を聞いたり、今の姿を見たりしてると、彼は変わったんだと思えるわ』
「そうですね。これまでの苦難の道のためだけではないでしょう。おそらく、愛しい者との婚姻が彼を大きく変えたのだと」
『結婚、か。人間の風習についてはよくわからないけど、結婚にアラン兄さんが心を動かされていたのは確かだわ』
「ね、ね。さっきから気になってたんだけど、ケッコンってなに?」
スラリンが飛び跳ねる。『人間の男と女が一緒になることよ』と、かつてマーリンから聞いた知識をチロルは教えた。スラリンは不思議そうに目を瞬かせる。
「いっしょになるのって、そんなに特別なことなの?」
「ええ。特に人間にとって男女が共に歩むことは、何より重要なことだと聞きます」
『ピンとこなかったら、今日のヘンリーの顔を思い出すといいんじゃないかしら。悪戯小僧だった人が、ああいう表情を浮かべるようになること、それが結婚なんだって』
「ふーん。そっか。ケッコンってすごいんだね」
スラリンがうなずいている。
ピエールがチロルにたずねた。
「貴女はどう思いますか。アランが結婚することについて」
チロルの足が止まる。ピエールも合わせて歩みを止める。
そこは中庭に面した渡り廊下で、柔らかな大地の匂いと陽光に包まれた場所だった。
彼女はキラーパンサーである。このような陽気の下で昼寝をすることがどれほど心地良いかを知っている。その心地よさは彼女にとってひとつの幸福の形だ。
キラーパンサーである自分たちがつがいを作ることと、ヘンリーたち人間が結婚して夫婦になることは、おそらく意味合いが微妙に違うのだろう。それぐらいはチロルにもわかる。
これまで孤独だったチロルは、アランと出逢えたことでいくつもの幸福に包まれた。だからアランが不幸になることを、チロルは許すことができない。アランには幸せになってほしい。彼は幸せになるべきだと強く思う。
だがアランが結婚することが、彼にとっての幸福に繋がるのかチロルにはわからなかった。
ヘンリーは「結婚が幸せへの道だ」と言っていた。アランは結婚を迷っている。アランの迷いに対し、チロルから何かを言う資格はないのかもしれない。
『私にできるのは、ただアラン兄さんの幸せのために動くこと。そうね、兄さんが迷っているのに無理矢理近づこうとする雌を追い払うことくらいかしらね』
「そうですね。私も同感です」
「えー。ふたりとも、それってよくないんじゃないかなあ」
スラリンが遠慮がちに言った。
「決めるのはアランだよ」
「スラリン。貴方からそういう言葉が出てくるとは思いませんでした」
「なんだよう」
「気を悪くしないで下さい。あの方に相応しい人間を守り、そうでない人間を退けるのは、我々にもできることだと言っているだけです」
『スラリンの言うこともわかるけどね。兄さん、とても純粋なところがあるから。悪い雌から守るのも立派な仕事よ』
「だいじょーぶだよう。アランは、悪い人なんかすぐに見抜くもの」
『まあ、確かにそれも言えてる』
チロルは反論できなかった。
「それにさっ。アランは優しいから、きっと誰とでも仲良くなれるよ。というか、アランと仲良くなれる人に悪い人はいないと思うな、ボク。アランが選んだのなら、きっとそれが一番いいことなんだよ」
自信満々のスライムに、キラーパンサーとスライムナイトは顔を見合わせた。
「どう思われますか。幼少期の主を知る貴女から見て」
『どう思うも何も、あなたと考えてることはきっと一緒よ。ピエール』
「そうですか」
隻腕の手で、ピエールはスラリンの頭を軽く撫でた。
「よもや二度もスライムからそのような重要なことを教えられるとは思いもしませんでしたね」
「そう? 嬉しいな」
『メタリンならきっと激怒する台詞なのでしょうけど、素直にそう言えるのはスラリンの良いところよね』
苦笑するチロル。何のことかよく理解できないスラリンは、その小さなとんがり頭を傾けて唸った。
ラインハット城に一泊したアランたちは、ヘンリーやマリアたちに別れを告げ、ルーラでルラフェンへと帰還した。
仲睦まじいヘンリー夫妻、そして平穏を取り戻したラインハットの姿を間近で見て、アランは自らの将来を改めて考え直している――そのようにチロルたちは感じた。
ルラフェンへと辿り着いたアランを、ベネットは大興奮で迎えた。彼は古の呪文が完全に復活したことを確認できて大いに喜んでいた。
「折があればまた来るのじゃぞ。人の身でルーラを使うことによる影響も調査したいし、もしかすればその頃には新しい呪文を伝えることができるかもしれんからの」
研究するか寝るかどちらかしかない呪文研究者から熱烈な誘いを受け、アランは「考えておきます」と苦笑いした。
ルラフェンに残っていたサイモンたちは、すでに馬車の用意を済ませていた。休息もほどほどにアランは出発を指示する。
次の目的は――サラボナ。
この地にあるという天空の盾を手に入れるのである。