【伝記】ドラゴンクエストⅤ ~天空の花嫁~ 作:和成ソウイチ
その夜。
久しぶりに柔らかな寝台に身を委ねていたアランは、ふと目を開けた。目だけを動かして辺りをうかがい、ゆっくりと手を伸ばす。立てかけてあったパパスの剣を握り、身体を横たえたままいつでも抜き放てるように準備する。ピエールとサイモンも動き出している。
やがて聞こえてくる梢の音。何者かが敷地内の樹から宿の屋根に乗り移った。
こつ、こつと高い音が聞こえる。自分の存在を誇示するような、自信に溢れた足音だ。
侵入者は慣れた手つきで窓を開け、軽やかに部屋の中に入ってきた。
アランが動く。寝具を跳ね上げ、同時に抜剣し、流れるように侵入者へと突きつける。刀身が空気を切る音が、金属楽器のように涼やかに響く。
パパスの剣は、侵入者の首筋ぎりぎりで止まった。
「何よ。危ないわね」
平然と言い放つ侵入者にアランの体から力が抜ける。驚きのあまり、剣を収めることも忘れてアランは問いかけた。
「……もしかして、デボラかい?」
「へえ、ちゃんと覚えてたのね。小魚にしてはよい心がけよ。偉いわ、アラン」
月の光が差す。暗闇に慣れていた目に彼女の姿が映る。
ポートセルミで見かけた派手で華やかな衣装そのままの姿で、黒髪の美女デボラがアランの前に仁王立ちしていた。怖れ、遠慮、一切ない。十年前の自信に溢れた表情は健在だった。
ルドマンの娘、フローラの姉デボラ。かつてラインハットで会って以来、言葉を交わすのは十年ぶりのことだった。うっすらと浮かべた微笑みと漆黒の瞳に見据えられ、アランの心臓がひとつ大きく鳴る。
咳払いをし、剣を収める。部屋に灯りをつける。仲間モンスターたちは一様に戸惑っていた。
「とりあえず、座って」
「じゃあ遠慮無く」
デボラは何のためらいもなくアランの寝台に横になる。実に寛いだ様子で体を伸ばした。
「あー、やっぱり外はいいわ。このまま寝ていい?」
「事情を話してもらわないことにはとても許可できないんだけど。どうして僕の部屋に? しかもこんな、盗賊まがいなことをしてまでさ」
ちらとアランを見たデボラは、次いで仲間モンスターをじっくりと観察して、大きくうなずいた。
「うん。これだけ子分がいれば文句はないわね」
「子分?」
アランが眉をしかめる。デボラは笑った。
「アラン、あんたもずいぶんと力をつけたみたいだし。さっきの一撃、このあたしですら対応できなかったわよ」
「当然です。市井の者に、我が主が後れを取るはずがありません」
若干の不快感を滲ませて、ピエールが言った。デボラの方は気分を害した様子もなく、むしろ面白そうに魔物の騎士を見た。
「あんた、もしかしてあんときの? へえ、今はアランと一緒にいるんだ。面白いじゃない」
「デボラ」
わずかに語気を強めてアランが問い詰める。このまま話をはぐらかされたらたまらない。
「あたしがここに来たのは、まあ、下調べって感じかな」
「下調べ? 何の」
「フローラのお相手探し」
彼女の答えに、ますます何のことか理解ができなくなる。
「夕方、フローラから聞いたのよ。アランがこっちに来てるって。でもあの子のことだから、自分から確かめようとしなかったのよね。アランだって確信してたくせに、『十年も経ってるから、きっと忘れられてるだろう』って。まったく、気になって仕方がないって顔してたのに、我が妹ながら強情よね。アランがあたしのことを忘れるはずがないじゃない。同じように、フローラのことを忘れるはずもないわ。そうでしょ?」
自信満々に断言され、アランは肩の力を抜いた。苦笑しながらうなずく。
「僕はむしろ、二人の方が僕のことを忘れていると思ってたよ」
「まあ、それはないわね。あたし、約束を破った男はだいたい覚えてるもの」
「……もしかして、あのときの言葉はまだ生きてるのかい」
「ふふふ」
と、妖しげに笑われた。何とも恐ろしい女性に成長したものだとアランは思った。
「それにしてもあんた、またもの凄いタイミングで現れたわね。正直感心するわ」
「どういうことさ」
「さっきも言ったでしょ。フローラのお相手探し。少し前からパパが正式にあの子の結婚相手を募り始めたのよ。で、そいつら集めてパパ自ら結婚について話をするのが、明日ってわけ」
悪戯を思いついた猫のような目で、デボラがアランを見る。
ピエールが一歩前に進み出た。
「デボラと言いましたか。貴女が言うその事情と、貴女が盗賊まがいの侵入を試みたことと、いったい何の関係があるのです」
「あら、まだわかんない? あたしね、弱い男が子分なのは嫌なの」
「答えになっていません」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ! こりゃまいったの。何とも面白いお嬢さんだ」
突然マーリンが笑い出した。デボラそっくりの悪戯っぽい目をしている。
「そっちの爺さんはあたしの言いたいことがわかったみたいね。うん、カタブツばっかりじゃないのも得点高いよ」
「そりゃ光栄じゃわい。アラン殿、つまりですじゃ。デボラ嬢はこう仰っておるのじゃよ。『アランなら子分として認めるから、あんたがフローラと結婚しろ』とのう。結婚すればデボラ嬢とも身内の関係、やりたい放題というわけじゃ。今日の侵入は、その判断をするためといったところじゃろうて」
アランは固まった。その様子がおかしかったのか、デボラとマーリン、二人揃って腹を抱える。
ピエールが胸ぐらを掴みかかろうとする勢いでマーリンに詰め寄った。
「
「失敬な。ちゃんと覚えておるから面白いのではないか」
「爺……!」
「まあまあ。あんたたち、ちょっと落ち着きなよ」
「貴女に言われるとは不本意です」
デボラは少し表情を改めた。
「真面目な話、あたしはアランを気に入ってるんだよ。あんたの力は本物だと思っているし、あたしの子分に相応しい人間だって気持ちもウソじゃない。こう見えて人を見る目はあるつもりだからね」
胸を張る。確かにそうなのだろうと思わせる何かが、彼女にはあった。
「ま、それ以上にね。ウチの困った妹を、あんたなら任せてもいいかなって思ったのさ。十年前、そして今日。あたしをこういう気持ちにさせたのは、後にも先にもあんただけだよ。誇りな」
「君の気持ちは嬉しい」
根が真っ直ぐなアランは言った。
「けど具体的に、僕に何をさせたいんだい?」
「明日、婿に名乗りを上げた人間が集まることになっている。あんたはフローラの婿に立候補し、他の連中と一緒にあたしの家――ルドマン邸に来るんだよ。そしてあんた自身で、フローラの婿に自分が最も相応しいことをパパに認めさせな」
「我が主が行かなければどうするつもりです」
ピエールが慎重に問う。デボラは横目で騎士を見た。
「そのときはあたしからパパに口添えする。パパ、きっと十年前のこと覚えてるよ。あのおっさんの息子なら、パパも興味が湧くわ。絶対に。でも、あんたはそんな情けないことをしないわよね、アラン」
アランは黙った。デボラがじっと見つめてくる。
しばらくして、アランはため息をついた。
「君の話はわかったよ。だがデボラ、今日はもう遅い。騒ぎになる前に家に戻るんだ。いいね」
「パパみたいなこと言うのね。でも、まあいいわ」
にや、とデボラは笑った。
「もしフローラに振られても安心なさい。その時はあたしがもらってあげる」
片目をつむり、軽やかな仕草で窓から出て行った。デボラの後ろ姿を見たメタリンが、「何でふつーに扉から出ないのよ……」とつぶやく。
考え込んだアランの横で、ピエールとチロルが顔を見合わせた。忠実な魔物の騎士は慨嘆した。
「我が主の運命は我々にはどうにもできぬということですか」