【伝記】ドラゴンクエストⅤ ~天空の花嫁~ 作:和成ソウイチ
ビアンカが大きく息を吸い込む。まるで自分を鼓舞するかのように、力強く一歩を踏み出す。
呪文を唱える。
腕を、振る。
「いっけぇぇっ、ギラッ!」
巻き上がる炎。
ふたつの呪文が正面からぶつかり合った。
空気がきしむような音が響く。
ビアンカの額から汗が噴き出す。それでも彼女は歯を食いしばり、親分ゴーストの呪文を真正面から押し返そうとしていた。
「かーっ!」
敵もその意図に気づいたのだろう。馬鹿にするなと言わんばかりに咆吼を上げる。
マヌーサの霧が、逆巻く炎に煽られて消えていく。ビアンカの表情が徐々に苦しげなものになっていく。
そして――
「きゃああああああっ!?」
爆発音が響き、黒煙が上がった。
衝撃でベランダが揺れ、小柄なビアンカは床に叩き付けられた。だが親分ゴーストも無事ではない。爆風に視界を奪われたのか、骨だけの目元を押さえて苦悶の声を上げている。
「く、そっ。くそぉぉっ。小娘! よくも!」
鋭い爪を伸ばしてビアンカににじりよる。その体全体から醜く濁った煙が滲み出ている。それは夜の闇の中でもなお暗く、視界を奪うほどだ。
ふと、親分ゴーストの歩みが止まる。
何かに気づいて、左右を見る。
「……えへへっ」
膝を突きながら、ビアンカが不敵に笑った。
どこからか空気を切るような音が――近付いてくる。
「ざんねんでした。わたしは、ひとりじゃないんだから」
その言葉の意味を理解できず、立ち尽くす親分ゴースト。
空気を切る音はどんどん近付いてきて。
どこから――そう、上から。
顔を上げた親分ゴーストのすぐ目の前に、アランが突き出した剣の切っ先があった。
「これで」
驚愕する敵にアランは叫ぶ。
「おわりだぁっ!」
「う……うおおおおおおおっ!?」
全体重と落下の勢い、そして渾身の力を込めた一撃が親分ゴーストを襲った。硬い骨を砕く感触にもかまわず、アランは自らの剣に力と思いの全てを込める。
やがてその切っ先は骨よりもなお硬いものにぶちあたった。甲高い音を立て、同時に落下が止まる。剣先が床まで到達していた。
上から、下まで――親分ゴーストの身体を貫いたのだ。
親分ゴーストから濁った煙が吹き飛ぶ。
衝撃によろめきながら、アランは剣を引き抜き急いで離れる。ビアンカとふたり寄り添うように、固唾を呑んで親分ゴーストの様子をうかがう。
しばらく敵は止まったままだった。
「ぎ……」
アランの顔に緊張が走る。ぎこちないながらも、親分ゴーストがこちらを振り向いたのだ。
今にも崩れ落ちそうな様子で、心なしか体の下半分も透けているように見える。だが、親分ゴーストはまだそこにいた。
ビアンカが武器を構え直した。「なんどでも……!」とつぶやく彼女の瞳には強い意志が宿っている。
対するアランは親分ゴーストの様子を見て取ると、武器を構えることなく数歩、近付いた。敵の目前で、改めて剣を構える。
そのときだ。
「……ま、まいった……」
か細く情けない声で親分ゴーストはつぶやいた。満足に動けないのだろう。不自然な体勢のまま懇願してくる。
「これ以上やられたら、本当に消えちまう……。もうこの城にはちょっかい出さねえ、子分たちもみんな出て行かせる……だ、だから許してくれ。この通りだ」
「アラン! ダメよ、そんなやつのいいなりになったら!」
ビアンカが憤慨した声を上げる。
アランはじっと親分ゴーストを見る。アランを見返すモンスターは、さきほどよりも小さく見えた。
しばらく見つめ続け、親分ゴーストがかたときも目を離さなかったことを見て取ったアランは、ゆっくりと剣を下ろした。
「いいよ。逃がしてあげる」
「あ、アラン!?」
「でも、もしまたみんなに迷惑をかけたら、そのときはゆるさないからね。ぜったい」
驚きの声を上げるビアンカを背に、アランは諭すように親分ゴーストへ告げた。するとモンスターは脱力したように長い息を吐いた。
それから――どういうわけか親しみを込めて――アランに言った。
「へへっ……ありがとよ。あんた、いい大人になるぜ」
その言葉とともに、親分ゴーストの姿が薄れていった。完全に消えてなくなるまで、アランはその様子を見届けた。
同時に城全体から禍々しい気配も消えていく。
――いつの間にか、夜明けが近付いていた。