勧善の騎士――騎士と従者が危うい異世界で勧善懲悪の道を貫く――   作:人型改造

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第一章:理想を追う者たち(三)

 

 

   ◆

 

 

「反乱者の言葉を真に受けるのか? 奴の言ったことはすべて苦し紛れの嘘だ。私は常に正しい領地経営をしてきた」ブライム伯爵は弁明を試みていた。「マチルダ卿がここに来たのは、私が領民を不当に扱っているという情報をつかんだからだったな? しかし、それも怪しいものだ。その情報の出どころは?」

 

 マチルダは懐から一枚の羊皮紙を取り出して、言った。「王宮に納品された物が呪われていないかどうか検査していた際、ブライム伯爵領から届いたワインの樽に不審な点を見つけました。小さく折りたたまれた羊皮紙がワイン樽に打ちつけられていたのです。これがその羊皮紙です。これには告発文が書かれています」

 

「告発?」伯爵はその言葉が癪に障ったようだった。「何と書かれているんだ?」

 

「『ブライム伯爵領の民は法外な重税で苦しめられている』と。私は王宮でこの告発文を見つけた後、直属の上官と王室官房の貴族局に報告しました。しかし、上官と貴族局は告発文を事実無根の怪文書とみなし、まったく動こうとしませんでした。そこで、私は非番の日に伯爵領を訪ねることとしたのです。自分自身で告発文の真偽を見極めるために」

 

 伯爵は鼻で笑った。「不確かな情報源だ。信用するに値しないな」

 

 物陰に隠れているサトルは、隣のグレッグを横目で見て尋ねた。「今の話に出た王室官房ってのは何だ?」

 

「何か王家とか貴族とか関係のお役所らしい。よく知らねぇけど」グレッグは適当に答えた。

 

 サトルは視線をマチルダとブライム伯爵の方へ戻した。

 

 マチルダは伯爵に食い下がっている。「作物の収穫、徴収、備蓄、出荷に関する記録を開示してください。それらの記録を参照しながら、作物の徴収量が適切であったかどうか調べます」

 

「断る」伯爵はきっぱりと拒んだ。「マチルダ卿にそんなことを求める権限は無いだろう。どうして王立騎士団の一員がそんな調査をする? 明らかに管轄外だ」

 

「確かにおっしゃる通りです。本来なら私の仕事ではありません」マチルダは告発文を懐にしまい、遠くの空を見上げながら言った。「では、内務省に私が知る限りのことを報告します。続きは彼らが調べてくれるでしょう」

 

「何だと? 本気か? 正気か? よりにもよって内務省に?」ブライム伯爵は声に怒りを滲ませていた。伯爵の私兵たちはどよめいている。

 

 そのやり取りを陰から見たサトルはグレッグに再び質問した。

 

「どうして伯爵はあんなに怒ってるんだ? 内務省が嫌いなのか?」

 

 グレッグは口の端を歪めて皮肉な笑みを浮かべながら答えた。

 

「内務省を仕切ってる内務大臣は平民なんだよ。内務大臣は貴族と仲が悪いんだ」

 

 ブライム伯爵は冷ややかな目でマチルダを見すえながら言った。「マチルダ・マギア・フレスデル卿。私はフレスデル男爵家のことをよく知っている。由緒ある家系だ。そんな家に生まれたあなたが、貴族であるあなたが、平民の政治屋と手を結ぶのか? それは他のすべての貴族に対する裏切りだ」

 

 マチルダは少し困ったような、あるいは何か諦めたような顔を伯爵に向けて言った。「私も内務大臣や内務省のことは快く思っていません。しかし、上官も貴族局も動いてくれなかった以上、他にあてが無いのです」

 

 伯爵は深く溜め息をつき、「まるで訳が分からない」とこぼした後、マチルダに問いかけた。「あなたはつい先ほど反乱者を鎮圧した一方で、今度はこの私を陥れようとしている。結局、あなたはどちらの味方なのだ?」

 

「どちらの味方でもありません」マチルダは毅然とした態度で答えた。「私は地位や立場よりも法と正義をこそ重んじるべきだと考えています!」

 

 伯爵は「どうかしているな」と吐き捨て、私兵たちに目配せした。伯爵の私兵たちはクロスボウをマチルダに向けた。

 

 マチルダは腰に下げた剣の柄にそっと手を添えた。

 

 ブライム伯爵とマチルダが睨み合う。

 

 物陰のサトルはやや慌てた口ぶりでグレッグに訊いた。「お前、神殿の方からこっちまでどうやって来た?」

 

 グレッグが答える。「馬に乗ってきた」

 

「その馬は今どこにいる?」

 

「近くの林に隠れさせた」

 

「よし。いいか。その馬で神殿に行って、今の、この状況を神官のノウエントさんに教えてくれ。それから『来訪者がこの諍いを止めるために教団の力添えを求めている』と伝えるんだ。分かったか?」

 

「えっ。お前、どうする気だよ?」

 

「流血沙汰を防ぐ。伯爵を説得してみる」

 

「おぉ。できそうか?」

 

「いや。自信は無い。駄目かもしれん。だからこそノウエントさんに頼るんだ」

 

「分かった。伝言は任せな」

 

 グレッグは伝言を引き受けて駆けだした。サトルは物陰から出て小走りで正門の方へ行き、伯爵とマチルダの間に割り込んだ。

 

 ブライム伯爵は面食らった。「イヌマ君? 部屋から出てきたのか? どうしたんだ?」

 

 サトルは伯爵の目の前に立ち、意を決して語りかけた。「伯爵閣下。ここでマチルダ・マギア・フレスデル卿と諍いを起こすのは悪手です」

 

「どういう意味だ?」

 

「ここで他家の人物と真正面から争えば、一連の騒動は最早この領地だけで完結する問題ではなくなります。貴族の家同士の対立に発展しかねません。そうなれば、ここで起きたことが伯爵領の外部に知れ渡って国中の注目を集めることになるのではありませんか?」

 

 ブライム伯爵は眉間にシワを寄せた。少し迷っている様子だ。

 

 サトルはわずかな手ごたえを感じつつ話を続ける。「そこまでこの騒ぎが大きくなれば、それこそ内務省の役人が探りに来るかもしれません。そうなるのは閣下にとって不都合でしょう」

 

「よもや貴殿はマチルダ卿を庇うつもりか?」伯爵は腹立たしげに言った。

 

「滅相も無い。閣下のことが心配で、お諫め申し上げているのです」とサトルは答えた。

 

 とんだ茶番である。サトルは伯爵のことを微塵も心配していない。むしろ伯爵を見限ろうとしている。

 

 サトルからの伝言がグレッグの口からノウエント神官に届けば、どの道ブライム伯爵領で騒ぎが起きていることは交信魔法で外部に漏れてしまうだろう。それにもかかわらず、サトルは白々しく伯爵に忠告した。これは単なる時間稼ぎに他ならない。

 

 伯爵はいかにも虫の居所が悪そうな声でサトルに訊いた。「では、どうせよと言うのだ?」

 

「伯爵閣下は領地での税制改正を約束し、マチルダ・マギア・フレスデル卿はこの領地に関して見聞きしたことを口外しないと約束する、という落とし所はいかがでしょうか?」サトルはいい加減な思いつきを口にした。

 

「そのような約束が守られる保証などあるまい」と伯爵が指摘する。

 

 それに対してサトルは「片方が約束を反故にした場合は、もう片方も約束を守る義務が無くなる、とすればよろしいかと。互いに牽制し合う形となるので、結果的に約束が守られると思われます」と返した。

 

「駄目だ。信用できん」伯爵はすげ無く言った。「そもそも、私は自分の領地経営のあり方を変えるつもりなど無い」

 

「私もそうした妥協を受け入れることはできない。ブライム伯爵領の実態は何らかの形で公にするつもりだ」マチルダも譲歩する気は無いようだった。

 

「でしたら――」サトルは次の思いつきを繰り出そうとした。

 

 伯爵はそれを遮って諭すように言う。

 

「イヌマ君。私は未熟な若者の浅はかな意見を聞かされるのが苦手でね。己の未熟さを棚に上げて、私に一人前の忠告ができると思い上がる……そんな若者の相手をしていると残念な気持ちになる。私は今とても残念だよ」

 

 明け透けな嫌味だ。

 

「閣下はこの場でどのような選択をするのが最善手だとお考えですか?」サトルは伯爵に問いを投げかけた。

 

「マチルダ卿を放っておくわけにはいかない」伯爵は忌々しそうに言う。「ここでマチルダ卿を消してしまえばいい。死人に口無しだ」

 

「仮にそうしたとして、隠し通すことは可能なのですか? フレスデル家が行方を探すはずですよ」

 

「しつこいぞ。イヌマ君。私をどこまでいら立たせるつもりだ。いい加減にしたまえ」伯爵はサトルへの怒りを募らせながら言った。「貴殿に身のほどを弁える最後の機会を与えてやろう。口を閉ざしてそこをどけ」

 

「……それはできかねます」サトルはブライム伯爵の眼前に立ち塞がって動かない。

 

 対する伯爵は「貴殿から先に消してやってもよいのだぞ」とサトルに告げた。

 

 その言葉を聞いたマチルダは左腕に着けた器具のボタンを押そうとした。交信魔法の魔道具だ。彼女はどこかと連絡を取ろうとしている。

 

「詠唱、沈め!」ブライム伯爵は早口で呪文を唱えながら、目の前のサトルを右手で突き飛ばした。

 

 サトルは数歩よろめいて後ずさった。次の瞬間、彼の足元が泥沼に変わった。

 

 サトルは足首まで沼に沈み、身動きが取れなくなった。動きを封じる妨害魔法だ。

 

 魔法をかけられたサトル本人はもちろんのこと、マチルダも状況が飲み込めず、驚いた。

 

 ブライム伯爵は困惑するマチルダを睨みつけながら、サトルを指差して言った。

 

「マチルダ卿! 交信器を外せ! さもなくばこの男を殺す! この男はすでに私の術中にある!」

 

 伯爵はサトルを人質にしてマチルダを脅している。

 

「……術中とは?」マチルダは鋭い目で伯爵を見すえながら問うた。

 

「私がここから遠くへ離れるか、あるいは意識を失った場合、この沼は自動的に底無しとなって魔法の対象者を瞬く間に引きずり込む。もちろん手動でそうすることもできる」伯爵は勝ち誇った。

 

「ずいぶんと手の込んだ術式を組んだものですね」マチルダは深く溜め息をついた。

 

 そして、マチルダは抵抗を諦め、自分の交信器を外して地面に放り捨てた。

 

「そうきましたか。伯爵閣下」ふと、サトルが冷たい声で呟いた。「今度は閣下が非戦闘員を人質に取るのですね」

 

 サトルは自分の心の中で薄暗い軽蔑の念がゆっくりと広がるのを感じていた。ブライム伯爵はサトルの態度の微妙な変化に気づき、眉をひそめた。

 

「農場監督がさらわれたと知った時にご自分がおっしゃったことを憶えていますか?」サトルは表情の抜け落ちた顔をして伯爵に言った。

 

 伯爵は反乱者たちが文民の農場監督を人質にしたという報告を聞いて怒り狂っていた。その伯爵自身が、武器を持たず、未だ魔法を学んでもいないサトルを人質にしている。ダブル・スタンダードではないか、とサトルは思っていた。

 

 サトルの言わんとしていることを理解した伯爵は、そんなことなどどうでもよさそうに肩をすくめた。そして、伯爵はサトルの右肩を指差して、「詠唱、貫け」と唱えた。

 

 伯爵の指先から鋭く尖った石の破片が現れ、サトルの右肩に向けて放たれた。攻撃魔法だ。

 

 石の破片はサトルの右肩に刺さった。サトルは呻き声を漏らした。

 

「何をするのです!」マチルダがブライム伯爵に抗議した。

 

「減らず口の愚か者を黙らせるにはこれが一番だ」伯爵は至って平静に言ってのけながら、サトルの左胸に指で狙いを定めた。そして、呆れ返ったように言う。「魔法の基礎も知らぬ分際で、私に不遜な態度を取るとは。つくづく見損なったぞ。イヌマ君。せいぜい人質として私の役に立て」

 

 ふと、サトルは自分の左手から少しずつ白い冷気が出てきていることに気づいた。少し遅れてブライム伯爵もその異変に気づいた。サトルの足元に作られた泥沼はいつの間にか急速に冷えて固まっていた。直感的に我が身の危険を察した伯爵は、サトルに対して攻撃魔法を唱えようとした。

 

「詠唱――」

 

 しかし、伯爵が唱え終わるよりも早く、サトルは左の手の平を伯爵の顔に向けた。サトルの左手から冷気が勢いよく吹き出し、伯爵の顔の下半分にかかった。

 

 伯爵の鼻の下から顎の先にかけてが白い霜に覆われ、凍りついた。

 

 伯爵は仰向けにひっくり返った。口の中の大部分が凍ってしまい、呪文を唱えることも悲鳴を上げることもできない。鼻呼吸をするので精一杯だ。伯爵は苦悶に満ちた顔をして、両手を口元でばたつかせながら地面でのたうち回っている。

 

 伯爵の私兵たちはクロスボウをサトルに向けた。サトルは私兵たちに向かって左手を払うような仕草をした。すると、極めて局所的な吹雪が巻き起こった。私兵たちはその吹雪に見舞われて視界を奪われた。

 

 一人の私兵が狼狽して逃げ出した。それを見た他の私兵たちにも動揺が広まり、蜘蛛の子を散らすように次々と逃げていった。

 

 やがて吹雪が収まり、その場に残っていたのは、呆然とするサトルとマチルダ、もがき苦しむブライム伯爵と拘束された反乱者たちだった。

 

 感情による魔力の暴走で魔法が暴発したようだった。先ほど伯爵がサトルに説明していた現象だ。

 

 サトルの左手からは今もわずかながら冷気が出ている。

 

 マチルダはイヌマ・サトルの左手の甲に来訪者の紋章があるのを見て、彼が異世界からの来訪者であることを理解した。そして、今しがた起きたのは魔力の暴走であり、暴走したということは十分な魔法の訓練を未だ受けておらず、おそらくはこちら側の世界に転移してきたばかりなのだろう、というところまで推察した。

 

 自分の魔力が暴走しているということはサトルも薄々自覚していた。彼は暴走を止めようと思ったが、止め方が分からない。

 

「これ……」サトルは凍って固まった地面に両足が埋まったまま立ち尽くし、自分の片手から溢れる白い冷気を見て焦っていた。「これ、どうしたらいいんだ……」

 

「おそらく、貴殿の魔力が暴走している」マチルダはサトルに話しかけた。「申し訳無いが少し手荒な方法で止める」

 

「えっ?」サトルはマチルダの顔を見上げた。

 

 彼女はツカツカとサトルに近づいて正面に立ち、サトルの首に腕を回して絞め技をかけた。フロント・チョークだ。サトルは頸動脈を圧迫されて苦しんだ。このまま失神させることでサトルの魔力を鎮めるつもりだろう。感情で魔力が暴走するのなら、意識が無くなれば暴走は止まる。道理ではある。

 

 本当に手荒な方法だなぁ、とサトルは薄れゆく意識の中で思った。

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