四重人格後藤ひとり ぼっち・ざ・くあどろふぇにあ! 作:怠鳥
私は、自分の墓の前にずっと座り込んでいた。
眠らなくても朝は来て、日は暮れて夜が来る。
それの繰り返し。気が遠くなるにも、とっくにここはこの世から遠い場所。もともとぼんやりした何かになっているから、なんてこともなく日々を過ごしている。
私が死んでから何日経ったんだろう。
お墓があるってことは、とっくに私は骨になってここに入っているということで、だから私がここに漂っているはずだから……葬式が終わったらすぐにお墓に入るんだろうか。法事のことはよくわからなかった。
ああ、でも今は春だから、4ヶ月以上は経ってたのか。
私のお墓の周りには、当然他の人達のお墓もある。ここはいわゆる墓地。私のお墓の前に来る人は、店長以来まだ誰も来ていない。
不謹慎だけれど、家族連れでやってくるお墓が羨ましい。
店長は去り際に掃除をしていってくれた。……泣きながらだった。
だから今のところまだ綺麗になっている。
「……ひとりちゃん」
「ぼっち、来たよ……」
あんまりぼんやりし過ぎていて、気付かなかった。
喜多ちゃんと、リョウさん。
やっぱり二人共やつれていた。
喜多ちゃんは変わってしまった。ずっと変わらなかった、あの華のような笑顔が消えてしまっていた。
リョウさんは幽霊みたいに立っている。
「私が……そばにいたのに……転んだ時も、倒れた時も……なにも出来なくて……」
「私が悪いんだ……ぼっちに何かあったらって、散々ビビっておいて、大丈夫だろうって楽観視して、逃げた……」
「……私が……私達が……ひとりちゃんを……」
「ぼっちが死んだのは……私達のせいだ……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
謝るのをやめてほしかった。
お願いだからやめて、と伝えたかった。
あの時死ぬと決めたのは私だった。
こうなるって少し考えれば分かったのに。
それを考えずに、意地張って、カッコつけて、死に急いだ私が一番悪いのに。
どうすればいい?どうすればごめんなさいって言える?
喜多ちゃんは、ずっと泣いて詫び続けていた。
リョウさんは肩を抱いて慰め続けていた。
「私達全員で……背負うことだから……」
血を吐くような声でそう言い続けた。
どうすればこんな呪いを残さずに死ねたんだろう。
どうすればもっと綺麗に死ねたんだろう。
私が普通に生きていないから?
膝を抱えて蹲って、何が正しかったのか堂々巡りに考えていると、
「……郁代、今から仕事があるのにごめん。人前に出る前に傷口抉るような……」
「いえ……いいんです……一人で来るのは、耐えられそうになくて」
「うん。分かった。……いってらっしゃい」
「先輩……それじゃ」
喜多ちゃんは行ってしまった。
リョウさんが一人残った。
「……座るよ」
そう言って、墓に背中を預けて座った。
「タバコも吸うけど、いいよね」
黒いシャツの胸ポケットからタバコとライターを取り出して、火をつけようとして、
「……あぁ、くそ」
何度も何度もライターをいじる。
「……春は風が強い」
タバコを咥えてライターに左手を被せて風を避けさせながら悪態をつく。
ようやく火が着いて、リョウさんは一息吸うとため息と一緒に煙を吐き出した。
左のズボンのポケットを探り、
「あ……ぼーっとしてた。灰皿忘れた」
灰を落として、
「ごめん、汚す」
私がどうこう言う筋合いはないから、別に構わなかった。
しばらく、リョウさんは黙り込んでいて、
「……眠れないんだよね」
そう話し始めた。
「あの日のことを何度も夢に見る。そのうち明晰夢になって、ぼっちを止めようとするんだよ。夢の中だけでも、助けたくて」
「何度も、何度も、何度も、ブチ切れたり、殴ったり、ふん縛ったり、色々やった、でも、でも」
リョウさんの呼吸が早くなる。異常に。浅く。
「……け、ほっ、げふ、ぉ……!」
短くなったタバコを勢いよく吸い込んで、そして、左腕に押し付けて揉み消した。
「……っ、あ、はぁ……」
リョウさんの左腕を覗き込む。
赤い火傷だらけになっていた。
「ぼっちが、止まってくれないんだよ……」
泣いていた。
「夢の中でくらい……助けさせてよ……」
タバコの吸殻を左手で握りしめながら、震えて。
「私が悪いんだ……本当は、あの時、転んだ時点でただ事じゃなかった」
呼吸の速さはだんだん遅くなって、普通に戻っていく。
「ただ事じゃ済まないかもって、分かってたから……痛み止め禁止したけど……ただ我慢させただけになって……辛い思いさせて」
一息、ひときわ大きい深呼吸。
「でも、ごめん、恨むよ。……なんで言ってくれなかったの」
歯の削れる音がする。
「最後の曲、やる直前になって救急車呼んで……私が付き添ったんだよ。それで、私が……看取って……医者から”腹部の痛みを訴えていませんでしたか”とか……聞かれて、ぼっち……何も言わなかった……あんな、私でも持ち上げられる体で……あんな風に怪我して、無事なわけないのに……」
リョウさんは右手で髪を掻き毟りながら、
「私は……!私達は……!たかが1300人に迷惑かけるのとぼっちの命で迷ったりしない!それが何万人になっても!私達の結束ってなんだったの……!」
私は、一番近くの人を裏切っていた……。
「私達の12年、一体なんだった……?」
リョウさんはタバコをもう一本取り出して、火をつける。
風は止んでいた。
「……最後の曲をやるって決めたのは、私だから……止めなきゃいけなかったのに……なんで……私は……なんで……」
涙を拭く度胸なんて生きているうちからなかったし、幽霊の私には物理的にも不可能だけれど、拭いてあげたかった。それで、私のほうがごめんなさいって、言いたかった。でも決して叶わない。
風がまた吹いてくる。
「……ぼっちが、今ファンからどういう目で見られてるか、教えるけど」
リョウさんが、画面の割れたスマホを右のポケットから取り出して、
「”悲劇の天才ギタリスト”、”天国にコンサートに行った女”、色々あるけど……私達には、これが一番堪えた……」
“悲劇的・伝説的な死を遂げた『guitarhero』、後藤ひとりの生涯に迫る”
“『guitarhero』後藤ひとりを悼んで”
“guitarheroよ永遠に 後藤ひとりの活動全史”
「……”ギターヒーロー”」
「ぼっちは、結局”ギターヒーロー”だったんだよ……結束バンドのギタリストなんかじゃない、たった一人で最強で……私達は足枷でしかなかった……」
そんなはずない。
「あそこまでエゴ剥き出しの演奏、初めてだった……ついていくのも精一杯で……でも、腸が煮えくり返るほど悔しいけど……最高だった」
吐き捨てるような褒め言葉が棘のように痛い。
「バンドでも、もう”ギターヒーロー”なんだって思ってたんだよ……でも違う、”ギターヒーロー”は”結束バンドの後藤ひとり”より遥か彼方にいた……」
私は、遠くにいるなんて思ったことないのに。
「結束バンドのファンが、ギターヒーローのファンが、違う……ギタリストだけじゃない、音楽やってる奴ら皆が……」
「”ギターヒーロー”最期の演奏を聴きたがってる」
リョウさんは、声を上げて泣き始めた。
こんなの、初めて見た。永遠に見たくなかった。
「音源になる予定なんかなかった、でも誰かがブートレグをネットに上げたんだ……もう誰も止められなかった」
左手を地面に叩きつけて、叫んだ。
「ウジ虫みたいに群がるのを!私達は指をくわえて見てることしか出来なかった!あいつらは一体何なんだよ!?人の……人の死に際を、死んでいくのを、消費して!食い荒らすんだ!そのくせしてみんな忘れてく……!食い終わったら次の餌を探すだけで……そうだよ……それが普通の消費者の行動……」
激情をむき出しにして、泣きながら怒り、そして絶望して、諦めに。
「もう、私は音楽が出来ない……あの日の演奏と、ぼっちの死が食い荒らされて、それに……もう何もかもが憎くて、ダメなんだ……」
……また、他人の人生を壊した。
声を伝えたかった、再生数さえ取れれば気にしないとか。
投稿者訴えて収益そっくり貰っちゃいましょうよ、とか。それでタワマン住みましょう、とか。色々あるのに。
声を届けられない。届かない。
もう二度と。
「ごめん、ぼっち。まだ歌詞残ってたね。次のアルバムの分……」
ツアーの合間で書き進めていた、数曲分。フルアルバムを満たすにはまだまだの。
「勝手に家探ししてごめん。でも……もう、あれに曲をつけてあげることは出来ない……」
ああ、そうかと。そう、だよねと。
もはやそれだけだった。
リョウさんは涙を右の袖で拭くと立ち上がり、タバコにまた火をつけた。咥えず、指に挟んだまま。
「吸ってみなよ」
そう言って、線香立てに差し込んだ。
墓に背を向けて、俯きながら去っていく。幽霊みたいに。
「聞いても分からないのは分かってるけど」
また、振り返って墓を見る。
目は腫れて、視線に力はなく。
「あの時、何を考えてたの?……死ぬって、分かってて弾いたの?」
風がまた強く吹いて、木の枝をしならせる。
うなずくみたいに。
偶然だけれど、私の答えでもあった。
「そう……」
リョウさんはため息をついて、私の心を示した木に答えた。
「じゃあね……かわいくて面白かった私のパートナー……あなたの書く詞が、大好きだった……」
消えていきそうな背中を追いかけたかったけれど、墓地の外には出られなかった。
これからどうするんですか、って聞きたかった。
聞いて何になるわけでも、何をしてあげられるわけでもなかったけれど。
何か出来たら、少しは償えるはずなのに。
死んだら何も償えない。
死んで何も残らないのは本人だけ。
燃やし尽くした命から、人を狂わせる呪いが排気ガスみたいに湧いてくる。
早く地獄に連れて行かれたかった。
でも、こここそが地獄だっていうのなら、そういうことなんだろうとも思えた。
§
後藤千里という女の子。ドジで頭も良くないけれど、人当たりが良くて友達がたくさんいる女の子。
後藤万理という女の子。いつもツンとして成績も良くないけれど、本が大好きで、たった1人の友達と話をする時は顔を綻ばせるマイペースな女の子。
後藤なゆたという女の子。泣き虫だけれど、人の痛みに敏感で、泣いている人の手を握って痛みを分かち合う優しい女の子。
3人の女の子になる夢を見る。
万理はなゆたのことが嫌いではないけれど苦手で、頭に響く泣き声を聞きたくない。だから、千里がいつもなゆたを明るく慰めている。不器用な万理は、夜中に家を抜け出して自転車で街に出かける。夜風にでもあたれば少し気分が良くなるだろうと思って。
3人とも少しおませな女の子で、誰が彼氏を作るのかってケンカする。みんなが彼氏を持つのは良くないことだから、一人だけが作る。それがまず決まった。みんなまだ好きな男の子もいないのに。
次に、自分から告白するのは禁止、と決めた。それは抜け駆けになるから。
でも、決めてから3人で気づいた。
「私達、そんなモテると思うかな?」
「知るか」
「……モテないと思うけど」
「だよねー?」
「そもそも告白待ちとか……なんか、ダサい気がする」
「でも、そうじゃないと不平等かも……」
「平等に独り身、ってことでもういっか!」
「いいよ、よく考えたら面倒ないし、ケンカするほどじゃない」
「ほしいな、彼氏……」
「なゆちゃん、意外とがっつく系だったっけ?」
「なゆたは男の手も平気で握るから。スケベ」
「な、なんで……」
三人とも仲が良くて。
それに、
「じゃあ会議おしまい!今日はなゆちゃんがギター弾いていいよ」
「明日は千里な」
「うん……ありがと」
三人とも、ギターが大好き。
そうして、後藤なゆただけがその場に残る。
一人部屋の和室には、ギターが4本。立て掛け式のスタンドに収まっている。
テレキャスター。ジャズマスター。ヤマハのエレアコ。
そして、レスポール・カスタム。
なゆたはその中からエレアコを手に取り、押し入れに入る。中の間接照明を灯す。
サプレッサーはもうホールに嵌めてある。シールドとミニアンプを繋いで、ヘッドホンを付けると、切ないメロディを爪弾き始める。
「……落ち着くなぁ」
なゆたは、アコギの空気感が好きだった。クラシックギターと迷うこともあったけれど、コードをかき鳴らすギタリストにも憧れてこれを選んだ。
『なゆちゃんも弾き語りすればいいのに』
「歌うの、ちょっと恥ずかしい……」
『別に下手じゃないだろ』
「そういうのじゃなくて……あと、近所迷惑だし」
『今歌えって言ってない』
「……うぅ」
『怒ってない』
「分かってるよ……静かにして……」
なゆたはこれと言って好きなジャンルはなかった。
ただ、アコースティックギターの音色、空気感が性に合っていて、少し埋もれながら煌めいている曲も好きだった。でも、
『お父さんがカントリー?とか聞かせてくれたじゃん。あれやらないの?』
「ちょっと……違うかも」
『あれはレスポールの音の方が合うから』
「そうじゃなくて……」
『私はカントリー結構好きだなー!ノリノリだし、アメリカンだし!』
『テレキャスターって本来それ用って感じする』
『でしょ?それだけでもないのがテレキャスのいいとこだけど!』
「勝手に盛り上がらないで……もう。ちょっと静かにしてて」
『……分かった』
『ごめんね、なゆちゃん』
ゆったりと、コードを鳴らす。そして、どんどん速くなって、
「らー、ららーらーらーらー、らららーるらーら、らーるら、らら、るら、らら、らるーらるらるらるらー……」
『なゆた結局歌ってるじゃん』
「らら、らーらるらー、らららー……」
『その曲好きだよねー』
ラテンの弾き方で、少し伸びた爪を叩きつけるようにコードを刻む。そして、ベースのようなフィンガーピッキングでメロディを奏でる。
『なゆちゃん、爪割らないでよねー』
『もうピック使えばいいのに』
「……ごめんなさい」
なゆたが演奏を止める。
爪を見ると、先がひび割れていた。それに、層の上と下が剥がれてガタついている。
「本当にごめん……結構危なかった……」
『良かったー。私達まで弾けなくなるところだったし』
『親指にはめるピック使ったらいいんじゃないか?持ち替えなくて済むし』
「うん……今度買いに行こうね。今日はピック借りていい?」
『私のと万理のどっちがいいかな?』
『どっちも使ってみればいいでしょ』
『それもそっか。じゃあ、好きに使って!』
「ありがと……」
そう言って、なゆたは適当にピックを選ぶ。
「大きい音出すと、ふたりが起きちゃうかな……気をつけないと」
ふたりって、誰だろう。
「……?ひとりちゃんが、起きてる?」
『かもね』
『多分起きてる』
「ふたりのこと、知りたいみたい」
『そっかぁ』
『知らなきゃダメだと思う』
「……ふたりはね、私達の妹。10歳のときに生まれた、まだ1歳の女の子。とても賢くて可愛い、自慢の妹」
『早く話したいね』
『……何話していいのやら』
「いつか……ちゃんと起きられるようになったら、ふたりのことをよろしくね」
後藤……ふたり。
私の、妹。