四重人格後藤ひとり ぼっち・ざ・くあどろふぇにあ! 作:怠鳥
学校に近付くにつれ、登校する子供が増えてくる。
万理に話しかける子はいない。
それは、万理が多重人格者だからというだけではなくて、今そこにいるのが万理だと理解しているから。
万理は世間話や流行りの話が好きじゃない。だから友達なんか一人しかいなかった。
遠巻きに眺める子にはガンを飛ばし、ひそひそ声には中指を立てる。暴力もたまに振るう。
けれどもその意味を知る人がいるから、万理は一人にはならない。
教室でランドセルから教科書、ノート、そして文庫本を取り出す。勉強道具は雑に机に突っ込んで、万理は文庫本を慈しむような手付きでめくる。
表紙は紙、更にその上の革のブックカバーで隠れているけれど、それは本を大切に扱うためだけじゃない。小学6年生にはちょっと刺激が強いからだった。
タイトルは『虎よ、虎よ!』。随分と古い、手垢のついたSF小説。
万理がこれを読むのは二度三度じゃない。暫くカバーから外してすらいない。
どことなく自分達に重なり合うところを感じるからでもあったし、遠回しな後藤ひとりへの励ましだった。
手元の文庫本を開く。
既に物語は終盤で、錯視の数々を通り過ぎたばかりのところだった。
万理は、想像の世界を愛していた。なゆたもそうだけれど、あっちはゲームが好き。
どちらかと言うと、想像力がもう目で見える形になっているもの。
万理の方は活字を通して自分の中に生まれる世界を楽しむ方だった。
特にSFが好きで、そこには壮大な、あるいは荒んだ世界。倫理の思考実験。日常や冒険が広がっている。
だから、後藤ひとりもそういう奴のはずだ、と万理は思っていた。
ただ、千里のことを考えるとどうなんだろう、と考えてしまうのも事実だったけれど。
「……今日、万理ちゃんだよね。おはよう」
「おはよ」
遅く登校してきた女の子が万理に話しかける。万理は革の栞を本に挟んで閉じ、視線をその子に向けた。
「いつもの本?」
「うん」
「SFって面白いんだね」
「色々あるから全部面白いとは言ってあげられないけど。女向けはあんまり知らない」
「でも、万理ちゃん読んでるのは……」
「とても男向け」
「かっこいい……」
「別に」
女の子は万理のたった1人の友達だった。
彼女はランドセルを床に下ろして蓋を開けると、
「マリア様がみてる、って知ってる?」
そう言って、凛々しい女と可愛らしい女の二人が表紙の文庫本を取り出した。
「知らないし、そういうの読まないな」
万理が素っ気なく返すと、女の子は消沈した面持ちになる。
「そう、だよね……」
「うん。はい」
万理は無造作に、机の上に置いていた文庫本、”虎よ、虎よ!”を差し出す。
「え……」
「交換」
そのまま、”マリア様がみてる”をそっと取り上げた。
「読んでくれるの?」
「読むよ。紹介してくれたんだから」
「それに……いいの?大事な本」
「別に。いい本だから読んでほしいけどさ……合わなかったら別の本持ってくるから。栞も好きに使って」
「ありがとう、万理ちゃん」
「ああ、あと。表紙はちょっと怖いから」
「? だから、カバーしてるの?」
「まぁね」
「見ていい?」
「いいよ」
万理はニヤリを笑みを浮かべて返した。
女の子はカバーをそっと外し、表表紙を見て、
「ひゃ、ひゃああ……」
怖がりつつも、目が釘付けになっていた。
「カッコいいだろ」
「う、うん……怖いけど、カッコいい……」
万理は嬉しくなり、屈託なく笑う。
女の子もそれを見て笑い合う。
そして、万理は内心でこう思う。
『こいつ、本当に顔が超好み』
『万理ちゃん、顔が良ければ何でも許しそうじゃない?』
『面食い……』
『悪いかよ』
『もっと内面を見なきゃ』
『とは言えだよ、人間は顔が10割って言うらしいよね?』
『お前身も蓋もないこと言うな』
万理は、同性愛者だった。
『卒業式にキスしてやる』
『お、女の子にキス……?それに、なんで卒業式なの……』
『万理ちゃんのことだし、”忘れられなくしてやる”とか考えてるんじゃない?』
『……』
図星だった。
『ダメだよ……私達、いなくなるかもしれないのに』
『うん。ひとりちゃんが帰ってきて、私達がいなくなったらさぁ』
『……だよなぁ、分かってる』
「万理ちゃん?」
外からの呼びかけに答えて、
「ん、ごめん。千里となゆたがよろしくってさ」
「あ、ごめんね……お邪魔だったかな……」
「お邪魔はあいつらだよ。急に黙ってごめん」
「ううん、いいの。それじゃ」
「ん、じゃあ」
女の子は教室を出ていく。別のクラスの子だった。
『あの子との付き合いも長いよね』
『まぁな』
低学年の時、その子はいじめられていた。
本の虫で鈍臭く、控えめで意思も弱い。おまけに万理の言う通り確かに可愛らしいから、男女問わず彼女をいじめた。男は気を引こうと、女はやっかみとして。
当時同じクラスだった万理はそれが気に食わず、男女問わず顔面に文庫本の背表紙を叩きつけて回った。
駅前でキリスト教系カルトに押し付けられた教典だった。それを顔の右でも左でもなく、鼻面を狙い澄まして叩き込んだ。
万理にしてみれば、女の子をいじめていた男も女も全員嫌いな顔だった。
その教典は、なゆたが手に入れてしまった、というか押し付けられたもの。
そして、それはよくないと親子で図書館に行って本物の聖書を読んだ。
後藤家はクリスチャンではなかったけれど、全員で一応勉強することになった。
その上で、万理が何度もカルトの方の教典を読んでようやく理解して、護身に持っておくかと結論していた。
ともかく、万理の乱暴は当然クラスで問題になった。けれど、お母さんもお父さんも、
「何かわけがあるはずです」
と弁護し、女の子も
「後藤さんは助けてくれたんです」
そう言ったことにより”後藤ひとり”は転校を免れる運びとなり、その女の子は万理の友達になった。
代わりに千里となゆたの友達は随分減ったが。
『でも、私とポケモンしてくれる人いなくなった……』
『友達選べ』
『私はまだ友達いるけどね』
『選ばなすぎ』
『よくない?みんな友達。そろそろ朝の会だし、私達静かにするね』
万理は気怠げに教壇を見る。
事なかれ主義の女教師。万理が”やらかした”次の年に当時の担任と入れ替わった。
万理は当然、そして”後藤ひとり”自体がよく思われていない。普通の小学校教師ならば多重人格の児童を受け持ちたいとは思わない。それくらい三人共理解していた。
万理には退屈で、千里にはもどかしく、なゆたには寂しい一日が始まった。
一時間目が終わり、トイレに。
「最近、なんかパンツ気持ち悪い」
『だよねー……なんか汚いし』
『でもそれ、おりものってやつだから……もしかしたら、生理来るのかも』
『血ぃ出るやつだろ』
『うん……あと、痛いこともあるんだって』
「……痛いのは、まずいって」
万理は思わず独り言として口に出してしまった。
強い痛みは、
「……ひとりが起きる」
無理やりひとりを起こしてしまうから。
『うん、今のひとりちゃん起こしたらどうなっちゃうんだろ……あと雑誌に書いてあったんだけど、ちゃんと月一くらいになるまでしばらくかかるみたいだから……』
『私も覚えてる。大体1年くらいは安定しないって……』
『なゆちゃんよく覚えてるねー……」
『こういうの攻略本っぽいし、あと、ああなんでもない』
『……でもまぁ”後藤ひとり”の場合洒落にならない』
『よくわかんないタイミングで私達がはじかれちゃうってことだしねー……』
『お前がすっ転ぶのも割と訳わからんタイミングだぞ』
『あははー、なんか転んじゃうんだよねー……』
『千里ちゃんが道路で転んじゃうと、絶対ひとりちゃん起こしちゃうでしょ……それに追加で生理』
『何にせよ、もうひとりがぐずらないことを祈るしかない』
ひとり、正確には”後藤ひとりの主人格と思われる人格”は、これまでも度々目覚めてきた。
その度、痛みがある程度治まるまで泣き狂い、他の三人は出て来れなくなっていた。
ことが終わるたび、ひとりに制御を奪われる前の人格が周りにいた人に詫びを入れる。大抵の場合は千里だった。
これで友達がまだまだ沢山いるのは、千里が本当に明るく、愛想も良いからだった。
『保健室登校……にしてもらうか?』
『いやいや、万理ちゃんちょっと早合点かな。一回ひとりちゃんに長い時間出てきてもらえるチャンスかもよ』
『でも、迷惑かける時間も長くなるし……』
なゆたは少し不安そうに、
『それに、いきなり私達が消えちゃったら、お父さんもお母さんも、ふたりも……寂しがらせちゃう』
『それは……ね』
『仕方ないだろ』
溜息を吐いて、ささやく。
「私達はひとりだから」
トイレを出て、教室に戻った。