四重人格後藤ひとり ぼっち・ざ・くあどろふぇにあ! 作:怠鳥
お母さんに背負われて、病室……保健室を出た。横目で見えた保健室の文字が、私にはまだ嘘っぽかった。
女の人……保健の先生がついてくる。
「ああ、ひとりちゃんをおんぶするなんて何年ぶりかしら……」
お母さんは嬉しそうにしていた。
スリッパの音が廊下に響く。もう誰もいない。窓の外は夕暮れ。眼の前はオレンジの滲んだ薄黒。
どこを見ても病院には見えなくて、死んだ後藤ひとりの記憶と照らし合わせても、確かに学校の形をしていた。
同じではなかったけれど。
「痛い……」
揺られて痛む。
「揺らしてごめんね、ひとりちゃん……」
「お母さん、ごめん……」
「なんで謝るの?ごめんね、お母さんが力持ちじゃないから……」
今の私は、小学6年生らしくて。11歳くらい。
私はきっと重いんだろう。体重なんて気にしたことない。目が覚めてから鏡を見ていない。自分がどんなことになっているのか分からない。
分かるのは、お母さんが私を背負って歩くのが大変なことくらい。
大きな棚の並んだところに来る。下駄箱。
「ええっと、確か……後藤、後藤……」
「ひとりさんのお母さん、私が靴の方出しますので。ひとりさん?靴は一人で履ける?」
呼びかけられて、思わず背筋が寒くなった。
「あっ……はい」
「ひとりちゃん?降ろすわよ?大丈夫?」
「うん……」
足が床につくと、少しふらついてたたらを踏んだ。その小さな衝撃がお腹に響いて、また痛みが走った。
それに、立つとパンツの気持ち悪さが一層……。
女の人は”後藤”の名札がついた下駄箱から靴を一つ出すと、私の前の床に置いた。
見覚えのない靴。女の子らしいデザイン。恐る恐る足を入れると、合いそうだった。
「ひとりさん、靴べら使って」
女の人に差し出されて、体がこわばる。固まった体を無理やり動かして、震える手で靴べらを受け取った。靴を履く。初めて履くのに、履き慣れていた。
不気味だった。
「お母さん、職員玄関から入ってきちゃったから……靴、取ってくるわね」
「え……」
そう言ってお母さんは来た道を戻ろうとする。
腕を掴んで、
「お母さん……置いていかないで……」
「ごめんなさい……すぐ戻ってくるから……我慢して、ね?お願い」
我慢。
……する。
「うん……」
「先生、すみませんが……」
「いえ、本当に私の気が利かず大変申し訳ありません……」
「すぐ戻りますので、ひとりちゃんをよろしくお願いします……」
行ってしまった。足音が遠くなっていく。
置いていかれた。
大丈夫、そんな気分、慣れてる。
こんな気持ちも慣れてる。
「ひとりさん……」
「ひっ……」
声に体が震える。
下駄箱が背に当たる。木の冷たさで背筋が凍る。逃げ場がない。
どこにも安全な場所がない。
せめて目に映る光景から逃げようと、ずり落ちるように座り込んで、腕で顔を隠す。
「大丈夫……!?ひとりさん……」
「あっ……や、来ないで……!」
「あ……ごめん、なさい……」
顔の前に出した両腕に隙間を作る。
女の人の、不安そうな顔。心配そうな顔。
少し傷ついた顔。寂しそうな顔。
「あ……ごめんなさい……」
ほとんど何も考えずに謝った。そうしなきゃと思った。
女の人は微笑んで、
「ごめんなさい、つい……でも、ひとりさんにとっては、私は知らない人で、ここも知らない場所だったんだものね……」
女の人は私から少し離れて、
「怖がらせちゃって、ごめんなさい」
そのまま、少しの時間を耐えると、
「ひとりちゃん、お待たせ……ひとりちゃん?大丈夫?」
「あ……」
「すみません、私がひとりさんを怖がらせてしまって……」
「そうでしたか……ごめんね、ひとりちゃん。もう大丈夫よ」
「うん……」
下駄箱に背中を押し付けるように体を持ち上げて、立ち上がる。足で踏ん張ったからお腹がまた強く痛んだ。
「ひとりちゃん、ほら、またおんぶするから」
お母さんがしゃがみ込む。覆いかぶさるように、背中に身を預けた。
一番安心する匂い。でも、もう大きな背中じゃなかった。
「よい、しょ……それでは先生。ありがとうございました……」
「お気をつけて……お呼び立てして申し訳ありませんでした……」
「いえ……ほら、ひとりちゃんもご挨拶」
「え……」
さようなら?ありがとうございました?
でも、どっちを言えばいいか分からない。この人……先生が何をしてくれたのかも分からない。
分からなかったから、
「さ、さようなら……」
「はい、ひとりさん。さようなら」
先生、らしい人は小さく手を振った。
私はお母さんにしがみついていたから手を動かせなかった。
お母さんが歩き出して、玄関をくぐる。
オレンジ色の空。周りの木もオレンジ色で、風は冷たかった。
秋、みたいだった。
「お母さん」
「なぁに?」
「今、何月なの?」
「今日から11月で、明日は土曜日だから学校はお休みよ」
「そうなんだ……」
休み。でも土日が終わったら、
「私、月曜からどうすればいいの?」
「どうしましょう……」
お母さんは困った声でつぶやいたきり、答えてくれなかった。
タクシーに乗る。お母さんの背中から一旦降りる。お母さんが先に乗って奥に。
「さ、乗って。ひとりちゃん」
乗った。タクシーに乗ったことあったっけ。
生まれて初めてのような気がする。死んだ後藤ひとりは乗ったことがあるけれど。
考えているうちに、運転手の人とお母さんが話を済ませていた。
ドアが閉まって、車が動き出す。風景が流れていく。
前を見ると、ミラーに運転手の人の顔が映っていて怖かった。でも、知らない人で当たり前。タクシーだから。二度と会うこともない。普通のこと。
「……お嬢さん、今日はどうかしたんですか?いつもニコニコしてらっしゃるでしょ?」
え?と声も出なかった。体が強張って。思わず俯く。
私を知ってる?いつもニコニコ?
「ええ、ちょっと今日は具合が悪いみたいで……それで私が迎えに」
「そうだったんですか。いつもあんまり元気いっぱいだったもんだから気になっちゃいましてね」
意味の分からない会話。
怖い。ミラー越しの視線。
車の中から逃げ出したい。怖い。怖い。怖い。
右手でお母さんの手を探して、握った。
「横になる?」
私はすぐ頷いて、お母さんの膝を枕にして横になった。
ミラーからは逃げることが出来た。
離した右手は、冷たい汗で濡れていて気持ち悪かった。
深呼吸は痛いから、浅く、肩で息をする。回数は多く、でも、だんだん頭が回らなくなって体中が痺れていく。
「あ……あ……」
うめく。
「大丈夫?もうすぐお家だから……」
「こりゃあ……急いだ方がいいですかね?それとも大事を取って病院に」
「病院は嫌!」
大きな声が出て、息がもっと苦しくなった。
「あぁ……あ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「いや……すみません、余計なお世話でしたね。なるだけ急ぎますんで」
「うちの子がすみません、本当にありがとうございます……」
エンジンの音が少しうるさくなる。
道路の凹みを踏んだ車が少し跳ねて、腰が軋む。
呻くのをこらえた。もう話しかけられないように。
体が前に押し出される。それをお母さんの両手が押さえてくれた。
ドアが開く。
「ありがとうございます……」
「いえ、お嬢さん……お大事にね」
「……ほら、起きて?」
お母さんの手に支えられながら、体を起こす。
一瞬、またミラーが見えた。
にこやかな笑顔。心配そうな目。
「……すみませんでした」
「いいですよー、今後ともご贔屓に」
「さ、降りて」
よろよろと車を降りて、地面に立つ。
着いたのは私の家だった。
さっきまでカウンセリングの先生と話していたのに、家は少しくすんで見えた。
”さっき”というのは私にとってのことで、本当は数年経っていた。それなら当然のことだった。
「はい、これがお釣りで……毎度ありがとうございます」
「はい。……今日は本当にありがとうございました」
「いえいえ、お嬢さん、お大事にねー」
ドアが閉まって、タクシーは去っていった。
「……ほら、ひとりちゃん。入りましょ」
「……うん」
病院に行くときに出たドア。
家と同じで、少しくすんでいて、砂埃が引っ掻いたのか白い筋がそこかしこに見える。
お母さんがドアを開けると、2つの靴、そしてそれより小さい靴が並んでいた。
玄関は、記憶とだいぶ違っていた。
もちろん建物は同じだったけれど、傘立ての中の傘が別物になっていて。
入ってすぐ左手の壁には何もなかったのに、今は壁飾りがあって。下駄箱の、物を置けるスペースにも見覚えのないものが乗っている。
知っている建物だけれど、知らない家になっていた。
靴を脱いで上がる。女の子らしい飾り付きの靴。それと同じサイズの、男の子っぽい靴とパステルカラーの靴がまた目に入った。玄関に入ったときに見えた2つの靴。
私がじっとそれを見ていると、
「ああ……靴?それは……」
お母さんが話し出して、言葉に詰まる。
「……全部、ひとりちゃんも履いていいのよ」
「……うん」
どうして?と言わなかったけれど、絶対に私のものじゃなかった。
私に、パステルカラーの靴なんて似合わない。
男の子っぽい靴は私には素っ気なく見える。
女の子らしい飾り付きの靴は好きじゃない。
でも、きっとそれは正しかった。
だから正しくない私が履いていいとは思えなかった。
履けば正しくなれる気もしたけれど、それは嘘をついているようで、耐えられそうになくて。
頭を振って、私は招かれるままにリビングに入った。
§
「お母さん、わざわざ遊びに来てくれたのにふたりちゃんをお願いしてごめんね」
「いいのよ、ばぁばですもの……あら、えっと……」
おばあちゃんがいた。
私の知ってるおばあちゃんより、白髪としわが多い。
なにやら私を見て考え込んで、何か気付いたように、
「もしかして、ひとりちゃんなのかい……?」
「うん……」
「あらあらあらあら……本当に久しぶりだねぇ……ばぁばがわかる?」
「うん……」
「そうかい……本当によかったねぇ……美智代」
「ええ……」
おばあちゃんはほっとした顔をしていて、お母さんは少し暗い顔をしている。
「ふたりちゃんの様子はどう?」
「そろそろ起きるんじゃないかい……ああ、ほら」
おばあちゃんの側には、小さな子供。私の知ってる私の姿よりも、もっと小さい女の子。もう顔立ちはお母さんによく似ている。
ふたり。後藤ふたり。私の妹。そのはず。
目が開く。眠たげな瞳。小さな腕で目を三度こすり、パチリと目が開く。
「ふたりちゃん、ただいま」
「起きたかい?お母さん帰ってきたよ……」
「おかえい」
「はい、ただいま……ほら、ひとりちゃん」
お母さんに背中を押されて、ふたりの目の前に。
どうしよう、何を言えばいいのか分からない。
だって私はこの子のことを何も知らない。気がついたら産まれていた妹のことなんて。
私が言う言葉に困って泡を食っていると、
「おえーちゃん、だれ?」
その言葉で、頭が真っ白になった。
「ふたりちゃん、ひとりお姉ちゃんよ。あなたの……4人目のお姉ちゃん」
「せんりちゃ、まりおねーちゃ、なゆちゃ、いない?」
「今はちょっといないみたいなの、そうよね?」
「ふたりちゃんは賢いねぇ……みんなが誰なのか分かるんだものねぇ……」
「ひとりちゃん?千里ちゃんも万理ちゃんも、なゆたちゃんも、今は出て来ないのよね……?」
「え……」
「せんりちゃ、どこ?まりおねえちゃ、どこ?なゆちゃ、どこ?」
無邪気で、寂しそうな声。
私は、この子から3人の姉を奪っている。
だって、千里も万理もなゆたもいない。ここにいるのは、幼稚園児のままの後藤ひとりで。
「ごめんなさい……」
「ひとりちゃん……」
「お姉ちゃんを取っちゃって……ごめんね……」
「ふぇ」
「私がお姉ちゃんで……ごめん……」
「どうしたんだい美智代……ひとりちゃんは……」
「ごめんなさい、後で話すから……ひとりちゃん、ごめんね、しばらく休みたいわよね。自分のお部屋で寝る?それともここにお布団出す?」
自分の部屋?そう思ったけれど、私は11歳だった。
一人部屋があってもおかしくはないんだろう。
でも、
「ここで寝る……」
「そうね、そうしましょうか……じゃあお布団とお着替え持ってくるからちょっと待って」
「うん……」
お母さんはリビングを出ていった。
おばあちゃん、ふたり、そして私が残る。
私を知らない妹と、おばあちゃん。何を話せばいいのか分からない。
おばあちゃんも口を開こうとする度に何か考え込んでは俯いている。
でも、ふたりは。
「せんりちゃんは?まりおねーちゃは?なゆちゃは?」
ソファーから降りて、私の足元に寄ってきた。
私の顔を見て、尋ね続けている。
ほんの少し歩いたせいだと思う。熱っぽい。この頬の熱さも、視界が悪いのも。
「ごめんね……ごめん……私が帰ってきて……」
「ふたりちゃんや、お姉ちゃんを困らせちゃ駄目だよ……」
おばあちゃんがふたりを抱え上げる。するとふたりは、
「おねえちゃ、どこ……!?」
泣き始めてしまった。
ふたりは正しい。とても賢い。
私はこの子の姉なんかじゃない。私がこの子を知らないということ以上に、この子は私のことなんか知らないし、きっと本当は知る必要だってなかった。そうに違いない。
千里ちゃんも、万理お姉ちゃんも、なゆちゃんも、きっといいお姉ちゃんだったんだと分かる。
それに、死んだ後藤ひとりは、後藤ふたりを壊してしまった。
後藤ひとりは後藤ふたりのいい姉にはなれない。
だって後藤ひとりはまともじゃない。私はまともじゃない。
ああ、私は多重人格だ。
そうなんだ。
本当にそうなんだ。
それで、私の中の3人はとてもまともで、普通だったんだと思った。
人格が千切れることなんてまともなことじゃないけれど、それでまともになるんだから、後藤ひとりは、私はつくづくまともじゃない。
熱っぽくなると、ショックで忘れていた痛みにまた気付いた。もっと酷くなっていた。
おばあちゃんは私の顔を覗き込む。
「ひとりちゃん、大丈夫かい……」
「うん……」
右手で左腕を強く握りしめる。痛みで痛みを紛らすために。
「お布団持ってきたわよー……ひとりちゃん、どうしたの?」
「ああ、美智代。ふたりちゃんがねぇ、ぐすっちゃってねぇ……」
「そう……それより、今、お布団敷くからね……待っててね」
お母さんが小上がりの畳の間に布団を置いて広げた。
「はい、今お着替えと……それに、換えの下着も持ってくるから。横になってた方が楽よね?」
「うん……」
そう言って、私は布団の中に入る。まだ冷たくて、体を丸くして耐える。痛みが鋭くなった。
「そうだ……カイロも持ってくるからごめんね、ちょっと待ってて……」
お母さんが今度は棚の方へ行って、また戻ってくる。カイロを2つ開けて私に手渡して、
「お腹と腰を暖めると少し楽になると思うから……痛み止めも……どう?やっぱり痛み止め飲みたい?」
かじかんだ手でカイロを揉みながら、少し考えた。
もし、痛みが止まれば。
私はどうなるんだろう。
何故かそんなことを考えてしまった。けれど、
「うん、欲しい……」
「分かったわ。じゃあ、ちょっとお薬も持ってくるから……」
お母さんがまた棚へ。そして、
「あら……えっと、これは駄目で……こっちも駄目だわ」
「どうしたんだい、美智代」
「ああ、お母さん。ひとりちゃんの歳だと飲めないのよ……」
「それは……困ったねぇ。でも、ひとりちゃんはどこが痛いんだい?頭痛?」
「その、あの子生理が来たのよ。それで辛いみたいで……」
「そうかい……我慢してもらうしかないかねぇ……」
お母さんが私のところに戻ってきて、
「ごめんねひとりちゃん。お家にあるお薬、ひとりちゃんは飲んじゃだめなの……」
ちょっとしたショックだった。
「……我慢、する」
「ごめんね……ああ、でもひとりちゃんでも飲めるお薬、今から買ってくる?」
お母さんがまたいなくなるほうが嫌だった。だから、
「いい、我慢するから……」
「分かったわ。じゃあ、お着替え用意するからね……」
「うん……」
お母さんがリビングを出ていった。
カイロが熱くなってきたから、私は仰向けになって、片方を腰に敷いてもう片方はお腹に乗せた。
少しすると、痛みは鈍くなった。刺されるというより握りつぶされているような。多少はましな程度。
「ひとりちゃん、大丈夫かい……本当に辛いんだねぇ……」
おばあちゃんが私の枕元に膝をついて、私の額を撫でている。
冷たい手が心地良かったけれど、背筋にそれが伝わったのか、一瞬鋭く痛んだ。
「……ぅっ」
「ああ……ごめんねぇ……」
おばあちゃんは申し訳無さそうな顔をして、私から離れた。
「いたいの?」
今度はふたりが寄ってきて、私の額を撫でた。
おばあちゃんの真似をして。小さな手が触れてくる。
痛がっちゃいけないと思って、されるがままにしていた。
「いたいの、いたいの、とんでけ」
見ず知らずの姉にそうしてくれる。この子は優しいな、と思った。
そんな優しい子から、姉を3人奪った私は酷い姉だとも思った。
私が”本当の後藤ひとり”だけれど、この子の本当の姉はきっとその3人の姉の方だから。返してあげられるなら返してあげたいと、そう思わずにはいられなかった。
でも、私も曲がりなりにも姉で。
よろしくね、と言われた気がしたから。
体を起こして、ふたりの頭を撫でようと右手を伸ばした。
「あぅ」
「あっ……」
一歩逃げられてしまって、手を降ろす。でも、ふたりは恐る恐るもう一度寄ってきて、私の手を取り、
「おねえちゃ、おなまえ」
「あ……うん。ひとり。ひとり、お姉ちゃん」
「ひちょいおねーちゃ」
「うん……」
右手をもう一度、ふたりの頭へ。目を閉じられてしまったけれど、出来るだけ優しくしようと思いながら撫でる。
「……ん」
「いい子……いい子」
ふたりがはにかむ。少しはお姉ちゃんとしてやれることをやったのかな、と思いながら布団に戻る。
「ありがとう……」
そう言うと、ふたりは大きく頷いた。
「ひとりちゃん?起きれる?お着替え持ってきたから着替えましょうね?」
「うん……」
布団から這い出す。カイロは布団の中に置いて。
お母さんについていく。脱衣所へ。
洗面台の鏡には私の姿が映るようになっていた。背が伸びてしまったから。
私は死んだ後藤ひとりが嫌っていたような服を着ていた。
フリルのついた白いシャツに、紺色のスカート。
白いレースの靴下。
なんて似合わないものを着ているんだろう、と思った。けれど、私ではない”後藤ひとり”にはきっと似合っているんだろうとも。
「ひとりちゃん、服脱いで……下着も換えましょうね?その前にちょっときれいにしないと……」
服を脱ぎながら、
「お風呂入らなくていいの……?」
「そうね……お風呂に入ったほうが痛いのもきっと楽になるけれど……まだお湯を張れてないもの。シャワーじゃ体を冷やしてもっと辛くなっちゃうわよ?」
「うん……分かった」
下着も脱ぐ。肩紐の細すぎるタンクトップみたいな肌着とブラジャー。
下……パンツも脱ぐ。恐る恐る、覗き込むように。
赤黒いシミ、いやそれだけじゃなくて、小さな塊がブツブツと着いていて気が遠くなった。
「ひとりちゃん、大丈夫……?あら、あらあらあら……初めてなのにこんなに……」
お母さんは私の肩を支えながら、パンツの中身を覗き込んで言った。
「ウェットティッシュ、ウェットティッシュ……ああ、パンツ脱いだら洗面台の中に置いておいてね?」
「うん……」
お母さんが洗面台の収納を漁りながら言う。私はそれに従って、パンツを脱ぎきって洗面台の中に置いた。血が見えないように、血が汚れていない部分に広がらないように裏返して。
それから、お母さんに色々と拭いてもらって、換えの下着と寝間着を着た。
パンツは新品で、
「そろそろかも、って聞いてたから用意しておいてよかったわ。ひとりちゃん、ナプキンもつけましょうね」
「うん……」
履くとき、ナプキンも挟み込まれた。
拭いてもらったのと着替えで体が冷えていた。
寒さでまたお腹が刺すように痛む。うめきそうになって歯を食いしばる。
「……ごめんね、お薬がなくて。さ、お布団で温まってね」
お母さんは洗面台でパンツを洗い始めた。
一人でリビングに戻る。
リビングではおばあちゃんとふたりがテレビを見ていた。教育番組らしい。
私が頑張って観ていた番組は、もうやっていないみたいだった。
時の流れなんか実感できないのに、証拠というか事実だけが突きつけられる。時間の冷たさに凍えながら、布団にまた潜り込んだ。
私は何もかもについていけない。知っているものは全て時代遅れで、生きてきた時間はわずかで、まともさなんてこれっぽっちもない。
ああ、でも私を知らないし、私が知らなかったふたり。妹とは今から仲良くしたい。
いいお姉ちゃんにならないと。
なのにやっぱり私が思うことは一つだった。
私が目を覚まさなければ、全てがうまく行っていたのに。
お腹と腰を温めた甲斐あってか、痛みが鈍るにつれて、私の意識は薄れていく。
布団の中で丸くなって、眠った。