四重人格後藤ひとり ぼっち・ざ・くあどろふぇにあ!   作:怠鳥

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本編-12「1/2」

 それから立ち座りを繰り返し、それからもう一度一人でトイレまで歩いて往復。途中でお母さんはコンビニから戻ってきていて、なゆたを嬉しそうに見ていた。

 

「良かったわー、これならオムツ外せそうですよね?」

「ええ、普通の下着で問題ないと思いますー」

 

 なゆたは勿論、千里も万理もよかった、と思っていた。思いは様々ではあったけれど。

 

「それじゃ、今打ってる点滴が終わったら針も外しますねー。お着替えはその後にしましょうかー」

 

 点滴の残りは1/3ほどだった。今すぐとはいかないのが少し待ち遠しい。

 

「夜からは普通のお食事用意しますからねー。でもー」

「でも……?」

 

 病院の食事。それでなゆたより先に万理が思い当たった。

 

『……マズいって良く言うけど』

『そうなの?』

『私が聞いたことはお前も聞いてるんだぞ』

『個性だよ個性』

「えっと……どんなご飯ですか?」

 

 頭の中の声に怖気づき、聞いた。

 看護師は少し困った笑みで、

 

「後藤さんしばらくご飯召し上がってなかったのでー、うーん……はい、ごまかしません。あんまり美味しくはありませんねー。というか、非常ーに薄味ですー」

「えっと、それは……」

「後藤さん、数日全くご飯を食べてないので、普通のご飯をいきなり食べると危ないんですー」

 

 なゆたに代わって万理が出て、

 

「あー……鳥取城の渇え殺し……って、いきなりモノ食べてバッタバッタと人が死んだ話があったような……」

「よく知ってますねー。胃が痙攣して死んじゃったって言われてるお話だったと思いますー。でも実は胃が受け付けなかったんじゃなくて体そのものの問題なんですー」

「万理ちゃん……結構ショッキングなことも知ってるのねぇ……」

「うん、まぁ。色々本読んでると……」

 

 万理は失敗した、と思って少し俯いて答えた。

 

「はい、それで昔のお侍さんが死んじゃったのは栄養が足りないままの状態に慣れていたところに沢山栄養が入ってきて体がおかしくなったからなんですねー」

 

 看護師は続けて、

 

「でも後藤さんは点滴でちゃんと栄養を摂っていたのでそこは問題ないんですよー。ただお腹を慣らしていかなくちゃならないのは本当ですー。胃腸の機能が働いてなかったので、慣らさないと下痢とかで逆に体調を崩しちゃうと思いますー」

「なるほど……」

『勉強になるなぁ……』

 

 今は万理が出ているけれど、またなゆたに代わってやったほうがいいかと思い、

 

『なゆた、出ていいぞ』

『うん』

 

 看護師は、

 

「あ、またさっきの後藤さんに代わったんですねー」

「わ、分かりますか……」

「やっぱりですねー。ちょっとですけど分かってきましたー」

 

 看護師は嬉しそうに笑った。

 

「で、チョコレートなんですが……」

「あ……」

「今日はちょっと我慢して様子を見ましょうねー。お砂糖が多いものはどうしてもちょっと胃に負担がかかりますのでー。多分明日からはデザートかおやつに食べられると思いますー」

「よかった……」

「スナック菓子だったら完全NGでしたねー」

 

 ゲームをしながらパクパクとチョコレートをつまめないのはなゆたにとって残念だった。けれど、すぐに食べられるようになると思えばどうということもなかった。

 

「今大体3時位なのでおやつを食べたい時間だと思いますけど……我慢してくださいねー」

「はい……!」

 

 この人の言うことは信用できるし、信頼できる。

 憧れの人だから。なゆたは熱い眼差しで看護師の目を見た。

 落ち着いた表情で笑いかけてくれた。

 

「……さて、点滴が終わるくらいになったらまた来ますのでー。お母様はまだいらっしゃいますよねー?」

「はい。しばらくは……」

「わかりましたー。では何かありましたら、そこのナースコール押していただければ看護師参りますのでよろしくお願いしますー」

 

 そう言うと、看護師は病室を出ようとする。

 

「あ、あの」

 

 なゆたが思わず引き止める。

 

「? どうされましたー?」

「あ、ありがとうございました……!」

「はいー。ではまた後でー」

 

 看護師は一礼、ドアを開けて病室を出た。

 

 病室にお母さんと二人きりになる。

 

「よっし……」

 

 千里はベッドの左の縁から立ち上がる。

 

「おーっとっと……」

 

 なゆたが習ったとおりに立ってみたけれど、勢いをつけすぎた。

 お母さんが丸椅子から立って傍に駆け寄ろうとする。

 

「あぁ、危ないわよ千里ちゃん……」

「だ、大丈夫大丈夫ー」

 

 千里は足踏みをしつつ持ち直し、

 

「セーフ!」

 

 一応点滴スタンドを左手で掴みつつ、右手でピースしながら笑った。

 

「よかったわ……千里ちゃんったらいつもうっかりさんだもの……」

「うー……それはね……違わないなー……」

「一人で歩ける?」

「うん。でもベッドの反対側に座るだけだしー」

「あら?なんで?」

「寝てるよりも座ったほうがいいかなーって。お母さんがそっち側だし」

「動いた方がいいのはそうかもしれないけど……私がそっち側に椅子を持っていけばいいじゃない?」

「あ」

『なんでお前そんなにアホなんだ』

「今万理ちゃんにアホって言われたぁー」

「万理ちゃんは容赦ないわねぇ……」

「うー、でもせっかく立ったからそっち側行くー」

「分かったわ。転ばないようにね」

 千里はスタスタと歩こうとして、足が上がらずに、

「あわ」

「あぁ危ない……ゆっくり歩かなきゃだめでしょう?」

「ごめんごめんー……」

 つんのめって前に倒れ込むところだったのをお母さんに受け止められて、そしてそのまま真っすぐ立つ姿勢に戻された。

 

「んー、なゆちゃんに代わってもらお」

『えっ?……うん』

 

 お母さんに寄りかかった姿勢のまま、なゆたは千里と入れ替わり、姿勢を正す。

 点滴スタンドを寄る辺にしながら、膝もまだ少し震えていたけれど。

 

「私が習ったから、私が歩くね……」

 

「なゆたちゃんが練習してたのね。じゃあ、大丈夫そうね」

『信用のなさー……』

 

 なゆたは少しふらついているとは言え、さほど危なげはない足取りでベッドの右側へ歩き、座り直した。

 すぐにまた千里が現れ、

 

「えーっと……お母さん。ごめん!」

「え……?千里ちゃん、なんで謝るの……?」

「その、結局ひとりちゃん上手く起こせなかったからぁ……なんか、ねー」

 

 お母さんは寂しそうな顔で、

 

「謝ることなんてないの。誰も悪くないの……ただ、うまくいかないことだってあるわよね……」

 

 そう言って椅子を千里の方へ寄せながら、抱きしめた。

 千里もお母さんを右腕で抱きしめて、背中を撫でた。

 ひとしきり触れ合うと離れて、千里がまた口を開く。

 

「そうだそうだ、ひとりちゃんの姿が見えるようになったんだよ」

「そうなの……?確か、万理ちゃんに聞いたら全然分からないって言ってたわねぇ」

「うんうん。私達みんな頭の中にイメージがあるんだけど、ひとりちゃんだけなくって。それがやっとできたってこと」

 

 千里は大ニュースといった調子でひとりのことを話したけれど、実際に彼女が感じたひとりの姿を思い出し、途端に顔を曇らせた。

 

「それで……今ひとりちゃんは、どんな子なの?」

 

 千里はうーんと唸り、

 

「うん、どう思うか分からないけどー……小さい女の子。そうだねー、幼稚園?うん、それくらいかな」

 

 千里は自分が”普通の”表情をしていることを祈った。僅かに顔を強張らせて、気取られはしないように。

 

 千里の友達は多い。その分、絶交と和解も何度となく経験してきた。だからそのうち”ふさわしい”表情や態度ができるようになった。

 人格が発生してからのものだけれど、天性の勇気が人一倍の対人経験を生み出した。

 失敗を繰り返して反省を覚えた。

 反省に慣れたころ、失敗しない方法が分かってきた。

 そして千里の中で結論が出始めた。大体は”自分の印象”がどうかを考えればいい。だから順番が逆だけれど、人は見た目が何割、という言葉の意味はそれから分かってきた。

 それが千里という人格。

 

 千里は頭が良くなかった。言葉でうまく考えることが苦手だった。

 けれど、印象には敏感だった。

 ひとりが幼児のままだということは、”なんかいいことじゃないかもしれない”。そう感じて一瞬表情が重くなってしまった。

 それをすぐ反省したから、普通の表情を取り繕っている。

 

 話したことでお母さんを暗くさせてしまったら、それは仕方がない。千里はお母さんに嘘をつきたくなかった。けれど、自分が暗いせいでお母さんまで暗くさせるのはよくないと思っていた。

 お母さんの目を見て、表情を窺った。

 

「そう、なのねぇ……そうよねぇ」

 

 複雑な、”なんだか不思議”という表情。

 

「本当に……ずっと……あの頃のままなのね」

 

 千里はお母さんから印象を掴み取ろうとする。

 次はどういう言葉がいいだろうかと考える。

 でも結局、まだお母さんの言葉を待つことにした。

 お母さんはまだ、千里の言葉を飲み込んでいる最中だから。

 

「ねぇ、千里ちゃん」

「あ、なに?お母さん」

 

 急にお母さんに問いかけられて少し慌てた。続きを促すと、

 

「ひとりちゃんがまた戻ってきたら……学校は行ってもらったほうがいいと思う?」

「うーん……お母さんが悩むそのわけは?」

「ひとりちゃんはね、昔うつ病で何も出来なくなっちゃっても幼稚園に行こうとしてたの……本当はもう行きたくなかったはずなのに。”いかなきゃ”って……。だから、このまま戻ってきたら……無理に小学校にも行こうとして、つらい思いをするかもしれないから……」

「うーん……」

 

 慎重に言葉を選ぶべきかもと思った。でも千里にはそういう針の穴を通すような話術までは身についていなかった。そこで考え込むふりをして、

 

『どう思うかな?』

『保健室登校』

『同じ……』

『……無理に私のお友達に合わせてもらっても、ひとりちゃんもみんなも困っちゃうかなぁ』

『そらそうだろ』

 

 千里からすると、万理となゆたの答えは、少し違うと思った。

 

『でも、そういうことじゃないと思うんだよね』

『ふぅん……』

『?』

 

 だから、

 

「お家でみんなと一緒にいるのが一番なんじゃないかなって。だから私は”家にいよう”って言って欲しいなぁ」

 

 千里が考えたのは、ひとりが幼女のままだということだった。だから、単純にまだ家にいていいと思ったのだ。それから気付いたことが、

 

「あと……よくわかんないうちに11歳になっちゃったんだし、何があったかとか教えてあげたりとか……とにかく、ひとりちゃんにもっと構ってあげて」

 

 お母さんは少し不安そうな顔をして、

 

「でも……ひとりちゃん、お母さんにも”構って”って素振りをあんまりしないから……」

「それならお母さんがひとりちゃんに構ってもらえばいいんじゃない?べったりひっついてぎゅってして……それでいい気がするんだよねー」

 

 お母さんにとって、それは名案に聞こえたみたいだった。

 きっとそうだと千里が確信したのは、お母さんの顔が輝いて見えたからで、

 

「そうねぇ……ああ、本当にそうだわ」

 

 そう言って千里をまた抱きしめた。

 

「うん。こうしてあげて」

「ええ、分かったわ」

 

 お母さんの首筋と服から香る、いつもの匂い。それでふと不安がよぎって、

 

「あの、私臭くないかな?」

「看護師さんと介護士さんが体は拭いてくれてるそうだけど……髪はちょっと脂っぽくなってきたかも?臭いは別にしないけれど」

「ああーやっぱり……お風呂入りたいなぁ……」

「そうね、女の子だものねぇ。看護師さんに聞いてみたらどう?」

「うん、そうする」

「あ、そうだ……みんなはどうしてる?おばあちゃんも家に来てたよね?」

「うん……まずお父さんだけど……ちょっとショックだったみたい。ひとりちゃんが出てきて嬉しかったのに、すぐに物別れみたいになって……おばあちゃんもね……ふたりちゃんはひとりちゃんが眠っちゃってから、随分ぐずっちゃって……」

「ものわかれ……って、何だっけ?」

「えっとね……喧嘩別れみたいなものよ」

「えぇー、何それ……ちょっと私達いない間にすごいことになってたんだ……」

「ひとりちゃんがね……もう少し表に出ていようって頑張ってたんだけど、そのために自分でお腹を叩いたの」

「え」

「生理だから余計痛かったのにね……」

『ひとりも分かってはいるんだな、”痛み”で自分が出てくるってこと』

 

 万理の溜息のような声が響く。続いてなゆたが悲しげに、

 

『でもそれしかなかったんだよ……きっと』

「うん……多分ひとりちゃんの”今一番痛い”ことがそれだったのかな。私が酷い転び方して痛い思いした時も……ひとりちゃんが出るし」

「みんなもそう思うのね?」

「うん。ひとりちゃんが出てきた後も、一回私達がまた出てきたでしょ?あれ、ちょっと痛みが落ち着いたからだと思うんだよね。それで調子に乗って廊下に出たら寒くってぶり返して……それでひとりちゃんが出たんじゃないかなぁ」

「そうなのね……」

「これは私達みんなのケツロンってやつ」

「わかったわ、ありがとう……でも困ったわね……今度病院に行くでしょ?その時にひとりちゃんも先生に会ってほしかったんだけど……」

「でも、痛い思いしないとひとりちゃん出て来ないからなー……」

 

 お母さんは大きなため息を吐いて、悲しい顔をする。

 そして頭を抱えた。

 

「みんなにも……ひとりちゃんにも……痛い思いなんてさせたくないのにね……」

「……うん」

「会いたいって気持ちが、痛い目に遭ってほしいってことになんて、なってほしくないのに……」

「そうだよね」

 

 親心というより、それは人として普通のことだった。

 千里にも、万理にも、なゆたにも気の利いた言葉は思いつかなかった。

 ただ、もどかしさだけが胸のうちに溜まっていく。

 

「もう、ひとりちゃんに会えないほうがいいのかしら?」

「……」

 

 千里もなゆたも言葉を失った。けれど万理は、

 

「それは言っちゃだめだ、お母さん」

 

 お母さんが顔を上げる。目が潤んでいた。

 

「万理ちゃん……」

「私達は……少なくとも私は、ひとりから体を預かってると思ってる。いつか返すものだって。……ピアスはしてみたかったけど、一応塞がるし……とにかく、ひとりは帰ってこなきゃいけないんだよ。お母さんが一番それを信じてくれなきゃだめなんだ」

「でも……ひとりちゃんが、言うの……忘れてって……さよならって……」

「それでも……いやむしろだよ。もしひとりがまた帰ってきて、お母さんが、お父さんが、ふたりが、おばあちゃんが、みんなが……ちゃんと”おかえり”って言えなくなってたら、本当にひとりは……どうしようもなくなる」

 

 万理は息継ぎをしてからお母さんの手を握る。

 目を見て、

 

「何より……私が、お母さんにそんなこと言わせたくない。そんな悲しい顔、させたくない……だから……あれ、何言えばいいんだっけ……まとまんないな……」

 

 万理の視界が滲んでいく。

 少し冷たい感触が目を拭う。

 お母さんの細い指。

 

「ごめんね、万理ちゃん……お母さん失格だわ……こんなの……」

「ごめん……わがままでごめん……」

 

 万理がひとりの意思よりも優先すること。

 一番好きな顔が、一番好きな表情であること。

 一番好きな人が笑っていること。

 万理の一番好きな人はお母さん。

 お父さんの手前、絶対言えない。

 

 

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