四重人格後藤ひとり ぼっち・ざ・くあどろふぇにあ!   作:怠鳥

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本編-14「WILD CHALLENGER」

 落ち着かないなゆたはベッドテーブルに3DSを置いて足の方へと少し押して退かした。

 ベッドの右縁に腰掛け、教えられた通りの方法で立ち上がり、壁に寄せてあったスリッパを履く。足取りは少し怪しいものの、転ばずに病室のドアへとたどり着く。

 

「よい、しょ……」

 

 引き戸を開けて外へ。廊下は一面窓貼りで、空は藍色。廊下を見回して、とりあえず歩き出す。

 耳を澄ますと、テレビらしき音がする。その方向へと歩いて行く。壁の手すりにつかまりながら、けれどあまり頼りすぎないようにしながら進む。

 

 すると、大きなテレビと椅子の並ぶスペースがあった。

 いるのは大体お年寄りで、チャンネルはNHK。番組もニュースで面白みはない。

 けれど、ここ最近何があったのかまるで知らなかったから、とりあえずニュースを眺めることにした。

 

 なゆたが思ったことは、やっぱり繰り返しになるけれど、ひとりのことだった。浦島太郎気分どころじゃすまない、絶望的な断絶に悩んだことだろうと。

 本人と話が出来ないことがもどかしい。

 

 やっぱり面白くなかったニュースを見るのをやめて、その場を立ち去る。迷子にはならないよう気をつけながら、フロアを歩き回る。部屋の番号は覚えていなかったけれど、多分大丈夫とたかを括りながら。

 

 けれど、病院の探検はあっさりと終わった。

 最後は自販機を眺めながら、今の自分に飲めるものはない、と少しの無力感を感じながらとぼとぼ帰る。

 

 そして、歩いている途中、泣き声が聞こえてきた。

 すすり泣きではなくて、大騒ぎとしての泣き声。

 

「……小さい子が泣いてる」

 

 なゆたが呟いた言葉に、千里も万理も何も付け加えなかった。

 それのせいで、知らない何かを思い出すような気がして、耳を塞いだ。

 これ以上耳に入れないよう、少し早足で病室に戻る。

 

 足取りは最早危なげなくなっていた。

 病室に入るとドアに背中を預けてもたれかかり、声が聞こえなくなったことを確認する。

 

「……なんであんなに落ち着かなくなったんだろう……」

 

 子供のつんざく泣き声が気分のいいものじゃないというのは当然だけれど、それじゃこの胸の痛みや、動悸を説明できない。

 

『……ひとりがうなされてる』

「え?」

 

 なゆたは陽だまりの中にすぐに降りて、闇の中に眠るひとりを探す。

 千里が膝を枕に貸していて、万理はそれをしゃがんで見つめていた。

 落ち着かない気持ちはみんな同じで、3人とも同じ表情だった。

 訳の分からない緊張で気が張り詰めていて、逃げ出したい気分。

 

「起こす?」

「ダメだろ」

「起きるかも……」

「どうするの、じゃあさ」

「早く寝よう……それが一番いいはず」

「うん……」

 

 なゆたがまた目を覚まして、そのままベッドへ。

 遠鳴りの、子供の慟哭を、耳の奥に張り付けられながら布団に包まる。耳を塞ぐように。けれど、体を起こされたままだと眠れない。

 

 リクライニングを倒す方法はなんとなく分かっていた。コントローラーは探せばすぐに見つかったし、ボタンを押すとベッドが平らになっていく。

 それでも落ち着かない。

 

 身震いがして、なゆたは自分が催していることに気づくと慌ててトイレへと歩いた。転べば堪えきれないと思ったから。

 手を洗っても、水の音に耳を慣らしても、悲鳴が消えない。

 

 ひとりがうなされている。

 ずっと。

 いつまでも。

 

 ひとりのえづくようなうめきが止まらない。

 頭の中に響いて、なゆたの神経を掻き毟る。

 ベッドの中で耳を塞いでも、聞こえているのは想像の中。

 また陽だまりの中に降りて、自分の中を見回す。

 曇った表情の千里と万理。顔色も悪い。

 

 なゆたは思った。

 この子のせいだ。

 

「……」

 

 どす黒い感情に気がついて、右腕を左手で握りしめた。

 それも少ししっくり来なくて、逆に左腕を右手で強く掴んだ。

 

 この小さな子の首筋に、右手が伸びないように。

 万理が言う。

 

「多分、ひとりのトラウマかなんかなんだろうな……」

「トラウマ……」

「昔、ひとりも入院してたって……そのときの」

「……」

「仕方ないから、慣れるしかないだろ……」

「一番つらいのは、ひとりちゃんだったんだよね……」

 

 なゆたは、自分の抱いた何かが、”害意”や”悪意”だということに気付いて吐き気がした。けれども、ひとりの苦しみの存在に気付くと、剥がれるように嫌悪感が消えていった。

 それに代わって、脳天から体中へ落ちてくるような、纏わりつくような、絶望に似た感情。

 罪悪感。

 

「あ、ぁ……ごめん、ね……ごめんね……ひとりちゃん……」

 

 涙が止まらない。這いつくばって、這い寄って、ひとりの額を撫でながら詫び続ける。

 千里は呆けた顔で、万理は歯を食いしばろうとして出来なかったような半開きの口をして、泣いていた。

 病室に戻ってくる。体勢は横寝だった。

 まなじりのあたりに湿り気を感じる。

 枕が涙で濡れていた。

 体も重い。押しつぶされているようで苦しい。

 

「あ……う……」

 

 うめく。

 かけ布団が重いんだと思って、脱ぎ捨てようとする。

 体が思ったように動かなくて、2分くらいかかった。

 布団は床に落ちてしまって、拾う元気もない。

 肌寒いのに頭だけが熱くて締め付けられるように痛い。

 

「あぅー、あ……うぅー……」

 

 頭を抱える。左手が重くて、目を開けてみる。

 まるで自分の手じゃないように、それが自分の手にそれが被さっているように、本当の自分の手はもっと小さかったかのように、見えてしまった。

 指を動かしても、動きが鈍い。割り箸みたいに細い指で、手袋を動かしているみたいに、現実感がない。そんなはずないのに。

 右手も同じで、体の下敷きにしていたわけでもないのに奇妙に痺れていて、やっぱり自分の本当の手じゃないように見えた。指で引っ掻いても、皮を摘んでも、爪を押しても全てが鈍く感じる。

 

「ゲーム……」

 

 身体からの逃げ道に、それを求めた。けれどゲーム機はベッドテーブルの片隅で。

 手を伸ばすだけじゃ届かない。

 重い体を無理やり起こすと、めまいがした。

 

「あ……ぁ……く……は……」

 

 起こした身体がふらふら揺れる。上が分からない。真っ直ぐが分からない。そのまま、左側に倒れ込んだ。

 ベッドテーブルの端に耳の上あたりが叩きつけられた。

 

「あぁ……!?」

 

 ぺしゃん、という落ちる音。

 鈍すぎる痛みが頭の横から身体に染んでいく。ベッドテーブルが更に足側へと転がっていく。それを支えにしようとした手が空を切った。

 

「あ……あぁ……ああああぁあ……」

 

 声を上げて泣いてしまった。

 

『やめろ……泣くな……代われ……』

 

 万理の声がして、なゆたは陽だまりへ。

 蹲った無様な姿で。

 闇の中から万理が浮かび上がる。足取りは幽霊のように頼りない。なゆたを雑な力加減で陽だまりから退かすと、今度は万理が病室に現れる。

 

「……いっ……ひとりが、起きなくて、よかった」

 

 大きなため息をついて、のっそりとベッドを降りる。看護師に教えられた方法じゃなく、はしごを降りるみたいに。

 腹ばいになって、足をベッドからはみ出させて、床についたら上半身をずり落ちさせて。

 しゃがむような姿勢でベッドのフレームに掴まりながら、背を丸めてまた溜息。

 

「……つらい」

 

 一言こぼしながら、布団を丸めてベッドの上に放り上げ、しゃがみ歩きで落ちたゲーム機の元へ。

 一緒に雑誌、それと文庫まで落ちていたことに気付いて、

 

「あ……」

 

 また涙があふれた。

 すぐに拭って、雑誌と文庫をベッドテーブルに、ゲーム機はベッドの上に置く。

 ベッドを降りたところにしゃがんだまま戻って、ゲーム機を枕元側へ押しやる。

 最後に、ベッドによじ登って、寝姿勢に戻った。

 

 寒いと感じたから、身体が重く感じないよう、腹までだけ布団をかけた。

 万理は、この上なく疲れていた。気分の悪い疲れだった。息は切れて、ほんの少し汗も滲んだ気がして気持ちが悪かった。

 

「これで……ゲーム、できるだろ……」

 

 でも文庫本が遠いな、と思いながら、陽だまりの中になゆたを引き込んだ。

 代わりに万理自身はその外に出て、座り込んで動かなくなった。じっと息を整えている。

 なゆたがまた現れる。左手側、枕の横にあるゲーム機を手に取る。

 

「万理ちゃん……ありがとう……」

 

 流れるままだった涙を病院着の袖で拭いながら呟いた。

 ゲーム機も重くて、取り落としそうだったのが辛いと思った。

 寝返りを打って、横寝に。右腕が下。そしてゲームを始めた。

 今度は没頭できて、ささくれ立った神経が癒やされていく。身体の重さも忘れるどころかなくなって、仰向けに寝返りを打つことも苦ではなくなっていたし、布団も嘘のように軽くなっていた。

 

「後藤さーん、起きてらっしゃいますか?」

 

 知らない女性の声。

 

「は、はい……」

 

 返事をするとドアが開いて、初めて見る看護師が入ってきた。

 

「あ、あの……なんですか……」

「はい。今日意識取り戻されたということですので、病院のルール、取り急ぎ消灯時間についてお伝えしに来ました」

 

 最低限の愛想としての微笑みと、淡々とした口調。

 少し機械的な姿。

 

「消灯時間は9時です。以降は病室の外に出るのは控えてください。電話も基本NGです。何かあればナースコールお願いします。まとめというか極論ですが、消灯後は病室の中でじっとして静かにしててください、というわけです」

「は、はい……」

「乱暴すぎましたかね?でも……そこに、間接照明とかあります。使い方はこうです」

 

 ベッドの右側に寄って、なゆたの頭の上、そこに据えてあったベッドライトとそのコントローラを引き出して、実際に点け消しして見せた。

 

「これが読書とか、あとトイレに立つ時の明かりになります」

 

 なゆたに覆いかぶさる格好でコントローラを左側の枕元に静かに置くと、すっと姿勢と帽子を直し、

 

「なるだけシンプルに説明しましたが、大丈夫でしょうか?」

「あ……はい……その、ゲームとかも大丈夫ですか……?」

「大丈夫です。特にここは個室ですので、音量小さければ音も出していいと思います」

「その、それは大丈夫です……控えます……」

「分かりました。ありがとうございます。それと……文庫本と雑誌がありますから、読書もされるんですね?」

「はい……でも、あの……」

「申し送り受けてます。”別の後藤さん”ですね?」

「はい……あ、私の裏で……2人とも聞いてるので、聞きます……」

「助かります。それで読書も当然問題ないんですが……具体例として出しますが、私はギャグ漫画やギャグ小説が好きでして。大声出して笑うくらい好きです」

「はい……?」

「ボーボボとか」

「ボーボボ……」

「鼻毛真拳とか知りませんか?」

「あの……分からないです……」

『この人なんか凄いこと言うねぇ……』

 

 看護師の表情が露骨に曇り、肩を落とした。

 

『あっこの人凹んでる!わかりやすい!』

『すごく分かりやすいな……』

「あ、あの、ごめんなさい……」

「……ぐすっ」

『えぇ───!?泣いてる───!?』

『泣く要素あったか今!?』

「……その、大笑いするような本でしたら、えぐっ、読むのは控えて……」

「ああ、あの、そういう本じゃないので……大丈夫だと思います……」

「じゃあ大丈夫です……消灯後に読むのは笑うの我慢出来る本にしてくださいね……ボーボボ読んで笑い堪えられるとか人間じゃないので……後藤さんは人間ですよね?……たまに人間じゃない人が入院してくるんです……この病院……怖い……」

『情緒不安定すぎてそっちがよっぽど怖ぇ!?』

『病院で人間じゃない人って縁起でもないよねぇ……なんまいだなんまいだ』

「あ、あ、えっと、例えばどういうギャグなんですか……」

『おい聞くなやめろやめとけ』

「すぅ───では亀ラップ歌わせていただきます」

『なんか始めようとしてるー!?』

「あっ……さっき彼氏と別れたので半分再現できないんでした……うぅ……」

『さっき!?』

「ここの小児科の先生で……後藤さんの担当医です……」

『き、気まずい……!』

「彼、”ボーボボはガンに効く”って信じてたんです……私も信じて、それで学生の頃から付き合ってたんです……」

「話長くなります……?」

 

 それからその看護師は、時系列は無茶苦茶、現実非現実すら曖昧で、破天荒か嘘八百かという回想の一人劇場を繰り広げ、

 

「……それで、彼の研究は終わりました……”死を目前に苦しむ子供たちの心は救えても、命を救うまでの力はない”って結論で……私、認められなくて……」

「まだ続きます……?」

「彼は……楽しい思い出を持って行ってくれれば、せめてそれだけでもって……でも、小さい子供は……もっと、なにか、人生にもっと何かなくちゃ……続かなくちゃいけないって……十分に生きられず亡くなるなんて、割り切らなくちゃいけない仕事なんですけど、それでもやりきれなくて……」

 

 なゆたの中に、この体の、脳の中に2つの思考が走り出す。

 この看護師の生き方は、途方もないほどの強さがないとやっていけないだろうな、と。夕方までいた看護師と違って、どこまでも人に、子供に尽くしてしまうんだろう。

 ─────十分に生きられずに死ぬ。若くして死ぬ。例えば、それは何歳。

 でも、自己満足と思いやりのラインを割っていないのは、きっとそれが「元気に生きること」という多分絶対に正しい価値に従っているからなんだろう。

 ─────何歳で死ねば十分なんだろう。例えばそれは、27歳はきっと、不十分。

 

「あ……あ?」

「……後藤さん?」

『なゆちゃん、何も考えちゃだめ』

『……なんで?』

 

 看護師が目の前にいるのも無視して、頭の中に呼びかける。

 冷たい汗が額に滲む。呼吸するたびに体の芯が冷える。

 

『ひとりがぐずりそう、っていうか、起きかけてる』

 

「後藤さん?後藤さん、大丈夫ですか?」

 

 肩を掴んで揺らされて、なゆたの冷や汗は止まった。

 

「あ……」

『ひとりちゃん、またすぅすぅしてる。もううなされてないよー』

「だ、大丈夫です……」

 

 悪夢から覚めたような安心感と、疲労感から来るほのかな頭痛。

 

「すみません。こちらの話し過ぎで……起きたばかりなのに疲れましたよね」

「それは……少し、疲れました……」

 

 本音だった。

 

「すみません、朝の流れについてです。6時に起床で、7時半に朝食になります。患者さんによっては起床と朝食の間に血を取ったり体温を測ったりする場合もありますが、後藤さんはそういうのはありませんので、朝ということを踏まえて自由に過ごされてください」

「……早起きなんですね……」

「はい。これも極論、建前ではありますが9時消灯、つまり就寝時間ですので。寝過ぎも体によくありません。元々の生活とはおそらくだいぶ違うとは思いますが」

「はい……」

「以上となります。それでは……あと1時間半ほどしましたら消灯、自動で電気が消えます。それまではご自由に過ごされてください」

 

 そう締めて一礼すると、情緒不安定のようでも鉄のようでもある看護師は去っていった。

 

『……あの人には憧れるか?』

「流石にちょっと怖い……」

『でもジョーネツのある人だよねー。ものすごい変なひとだけど』

『千里がツッコミ入れたくなるのって相当だし』

「頭の中うるさかった……」

『でも、どーしてひとりちゃん、急にまたぐずりかけたんだろ?』

「……あのね、あの看護師さんのこと考えてるとき、もう一つ勝手に頭の中で別のことも思い浮かんで……」

 

 一息ついて、

 

「27歳で死んじゃうのは……全然早すぎる……とか……だと思う……」

『ロックスターか?』

「あっ……ギターの」

『悪魔さん!』

 

 自称・27歳で死んだギターヒーロー。

 呼びかけると、この子が起きそうになっちゃったのは、間接的にだけど、私のせいだから……ごめんね、とぼんやり響いてきた。

 

『お前、ひとりに何をしたんだ……』

 

 疑問には、ごめんね、言えなくて、とそれだけでまた気配も消えてしまった。

 なゆたは溜息をつくと、

 

「……疲れたから、もう、寝よう……?」

 

 頭の中の誰も、それに異論は挟まなかった。

 まだ電気がついたままの病室で、なゆたは一番楽な姿勢を取る。ゲームをしていた時の、右を向く横寝。そして目を閉じた。

 

「おやすみ……」

 

 眠気はすぐにやってきて、眠りにも一瞬で落ちていった。

 

 

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