四重人格後藤ひとり ぼっち・ざ・くあどろふぇにあ! 作:怠鳥
次の日は木曜日で、当然登校することになった。
学校に一番行きたかったのは千里だったから、その日は千里の日になった。
ちょっと早めに家を出て、学校の教室に着くと、クラスメイトはまばらだった。
友達はみんな千里を取り囲んで、退院を祝う言葉をくれた。けれど、
「千里ちゃん、なんで入院してたの?」
「ええっと……よくわからないんだけど、起きれなくなっちゃったらしくて……」
事実だし、曲解されても問題はなかった。
”起きれなくなった”が”布団から出られなくなった”だとしても、それはそれで”後藤ひとりという体”は患っている。それがぶり返すことはあり得る。
「ずる休みなの?」
「ううん違うよ。分からないけど、起きたら病院にいたんだよねー……」
「えっ……起きたら病院って怖くなかったの?」
「そこはー、万理ちゃんとなゆちゃんが一緒だし、ねー」
「そういうのいいなー千里ちゃん。1人でも1人じゃないんだもんねー」
「まぁねー」
千里はひとりのことを話さなかった。
ひとりが目覚めたのは保健室だったから、誰にも認知されていない。本来の名前が”後藤ひとり”なのは知られていても。
友達が教室に入ってくると、
「あ、千里だー!退院したのかお前!」
「千里じゃん!退院おめでとー!おかえりー!」
「なに?すっ転んで意識不明だったのかお前?」
「転んで違う世界に行ってたって本当か!?」
「勇者後藤じゃん!」
『そんな尾ひれ一瞬で付くか?』
『流行ってるんじゃないの……?』
そうした与太を朝から持ってくる友達にも一々説明していたけれど、視界の端に知っている人影が映った。
「……?」
「で、入院ってどんな感じ?……千里聞いてるー?」
「あ、ごめんごめーん。んーとねー、すんごい変だけど優しい看護師さんが漫画貸してくれたんだよねー!」
万理の友達だった。
§
クラスメイトの相手をしていたら抜け出す暇もなくて、朝の会になってしまった。その時に担任からその場で立つように言われて、改めて退院の報告。拍手を受けながら座る。その間、千里の裏で万理がずっと考え込んでいた。
『万理ちゃん万理ちゃん、すぐあの子に会いに行ってあげてね?』
『分かってる』
万理は1時間目までの僅かな時間で席を立って、彼女のいる教室へ向かった。そして、
「
名前を呼んだ。
「……三柴さん、呼ばれてるけど」
「あ、あっ……うん……!万理ちゃん……?」
彼女、
「……よかった……万理ちゃん、ちゃんと、いる……」
「そりゃ……いるよ」
和は万理の手を握って俯き、
「……万理ちゃん、いつかいなくなっちゃうの?」
万理は、それに答えを返せなかった。
いなくなる覚悟は出来ている、なんて言葉は和を傷つけるから。
「私、もしかして、万理ちゃんがいなくなっちゃったんじゃないかって……本当は何があったか、わからないけど、でも……」
和が顔を上げる。
長い髪のくせっ毛の女の子の顔には、深い隈が浮かんでいた。涙がとめどなくしたたらせながら、
「万理ちゃんがもういなかったらって思ったら……眠れなくて……少し寝れたと思ったら、夢にいつも万理ちゃんがいて……」
「もういい」
「小学校を卒業して、一緒の中学に行って……」
溢れてくる言葉と感情はもう止められないと諦めて、万理は頷いた。
「それで、毎朝同じ通学路を歩いて、校門の前で、私、万理ちゃんの制服のネクタイを直してあげるの」
「……うん」
「でも、手が届くところでいつも目が覚めて……」
「うん……」
万理は和を抱きしめていた。
周りの囃し立てる声なんて聞こえなかった。
「でも、昨日は違う夢で、私達、キャンプファイヤの側で踊ってた……でも、踊り方なんて分からなくて、なんの曲かも分からなくて、なのに、踊ってた……それで、万理ちゃんが、また、いな、いなく、なって……ぇ……」
「いなくならないから」
「そしたら……知らない人がいたの」
「知らない人?」
「万理ちゃんによく、似てて、でも、絶対違う、違う人」
「それは、どう似てる……?」
「万理ちゃんじゃないこと以外、全部同じ……」
「私じゃないこと、以外?」
「髪も、顔も、肌も、体も、声も全部同じなのに、絶対に万理ちゃんじゃなかった……」
万理は、やはりその意味を測りかねていた。けれど、答えがすぐに来た。
「たぶん……私の、夢が思う、後藤ひとりさん……」
「ひとり……?」
「万理ちゃんが、消えて、ひとりさんとひとつになってたの……」
「……ひとりがいて、和はどうした?」
「こわくて……突き飛ばして……逃げちゃって、目が覚めたの」
万理は、少し困った、と思った。それは一時間目までの時間制限のこともあるし、なにより自分が、多重人格の一つとしての「万理」が消えたあと、「ひとり」が和と仲良くしていけないのか、ということ。
万理は自分が消えることは仕方ないと思っている。けれど、死を受け入れていることとは違う。
元々1人の「ひとり」だったということを、実感していく、ということだと考えている。だから万理は、自分が「ひとり」に還っても和と仲良くしていきたいと思っていた。
「消えることは、別に死ぬわけじゃない。わたしも『後藤ひとり』になるってことだ。だから、和とはそうなっても仲良くしたい……けど」
和は頭を振って、そのまま強く抱きついて万理の胸にすがった。
「……嫌、なのか?」
「私……万理ちゃんが好き……大好き……愛してるの……」
「あ、う……」
これには、千里もなゆたも、
『言わせちゃったよ、かいしょーなし』
『万理ちゃん……ダサい女……』
茶化し2割、蔑み8割の頭の中の声は甘んじて受けた。
『あーでも、これでキョーテイ通りなのかー。万理ちゃん一番乗りで』
『そうとも言うかも……』
言外に、”受け入れろ”というプレッシャーが体を走る。悲痛なほどの愛の告白を受けて、金縛りのように体がこわばっていく。
「他のひとは嫌……」
「ん……」
万理は、一度和を突き飛ばした。
「あ……」
『最ッ低じゃん』
『地獄に堕ちろ……』
そして万理は和の後頭部に左手をかけ、右手で背中を抱いて、
「ん……」
「─────!?」
勢いよく、けれど歯が当たらないよう急ブレーキして首を傷めそうになりながら。
キスをした。
『やりやがった!万理ちゃん凄い!やりやがった!』
『え、えっと……死、じゃなくて愛の安らぎは等しく訪れよう……ノンケにあらずとも レズにあらずとも 大いなる意思の導きにて……?』
そして、周りは大騒ぎになった。
一時間目はもう始まっていた。
§
それから2人は、2人の担任に職員室に引きずられていった。
職員室で、2人とも怒られた。特に万理は「またあなたは」みたいなことを言われた。というのも、話なんて聞いていなかった。先生2人を出し抜いて、後ろ手で指を繋げないかと、そればかり考えていた。そして左手の小指がなにかに触れたとき、迷わず絡ませた。
同じことを考えている喜び、そんなのはおくびにも出さず、ただ殊勝なカオだけしてはいはいと頷いていた。
暖簾に腕押しのお説教は結局一時間目が終わるまで続いて、チャイムで2人は解放された。
手を繋いで、職員室から廊下をゆっくり歩いた。少しでも長く触れ合えるように。
教室に戻ると、万理に突き刺さるのは途切れ途切れの、けれど沢山の視線。
居心地は悪かったけれど、そんなのは久しぶりというだけで慣れていないこともなかった。
ただ、和のことが心配だった。万理と同じような視線に慣れてはいないはずだからと。
万理の裏側では、
『いやー、やっちゃったねー。これはすごいよー』
『……先生は、学校でそういうことしちゃだめって、あと……女の子同士もだめって言ってたよね……』
『古いしお堅い、事なかれの担任だからな』
『万理ちゃんもう強気も強気だよねぇ……えひひ』
『なんだそのキモい笑い方』
授業は万理が受けていたけれど、万理がそろそろいいか、と思って、陽だまりに千里を放り込んだ。
『今日は千里の日だからもういいだろ』
「あ─────」
思わず声が出て、千里は口を両手で押さえる。
周りのクラスメイトが振り返る。
「あ、その、なんでもないでーす……あははー」
千里に戻ったことをクラスメイトが察して、誰かがクスクス笑いを始めた。
それをきっかけに周りに伝染して、教室中がざわめきのような笑い声で満ちる。担任が叱りつけても少しの間止まなかった。
千里は抗議の一つもせず、苦笑いを浮かべながら頭をポリポリ掻いていた。
担任の女教師は苛立ちを隠さず、けれど眉間を押さえる程度で堪えて授業を続けた。
休み時間は、和の様子を見に行った。千里として。万理としてだと気分の良くない視線を受けると思ったからだった。けれども、千里の姿を認めた和は一度視線をやると、ぷい、と無視した。驚くほど冷たい顔で。
観念した千里は、
『ごめん、万理ちゃん代わってくれない?』
『……それは、まぁ仕方がない』
結局万理が出ていって、和の席に近づいていった。
和のクラスメイトも万理が歩いてくると道を開けるように離れていく。今、そこに誰がいるのかを察したからだった。
和の肩に左手を置き、
「和?」
「……なんで最初から万理ちゃんじゃなかったの?」
「え、いや」
「千里さんに隠れてなくていいのに」
言い訳を考えたけれど、結局万理は、
「……ごめん、そういう日和見はやめるから」
後ろから和を抱きしめた。
左手に冷たい指先がそっと触れる。
「……お昼休み、ね」
「ん?」
和は声をもっとひそめて、
「……もう一回、キスして、ね」
「……うん」
ささやきのやり取りを終えると、万理は和から体を離して、
「じゃあ、昼休みに」
「うん」
自分の教室に戻っていき、席につくとまた千里が表に出てくる。
千里は窓を見ながらほくそ笑んで、
『あーあ、万理ちゃん一番乗りだねー』
『……そうだな』
『甲斐性も抜け駆けもなしで、私達も文句ないよ……』
『はぁ……こんなはずじゃなかったのになぁ』
頭の中で万理が、心底困った、けれど心底嬉しそうにため息をつく。
『あの子すっごく重そう……』
『わかってる』
なゆたに茶化されても構わなかった。万理は自嘲気味に、
『私も大概死ぬほど重い』
『キザったらしい……』
全く否定できないし、しようとも思わなかった万理は、昼休みを楽しみにしていた。
今日の体の権利を持つ千里としては、少しもどかしいところもあったけれど、今日は邪魔しないようにと思った。
どこまでいっても、3人は本来1人の『ひとり』。だから万理は申し訳ないと思いつつ、ほか2人は致し方ないと思って、この体の優先権を万理が持つべきかも、と思い始めていた。
ただ、和の機嫌や心の広さ次第で今まで通りでいられるかも、とも。
頭の中の言葉にしなくとも、3人は同じことを考えた。
§
給食が終わって昼休み。食事中はともかく、その後まで付き纏われないように千里は早々に引っ込んで、万理が表に出た。千里は”みんなと友達”で、なゆたは”ゲームするなら友達”、けれど万理は”友達がすごく少ない”。言ってしまえばほぼほぼ腫れ物だったから、教室をすんなり抜け出せた。
そのまま和のところへ向かう。透明の壁があるように、和の周りは誰も居なかった。それを意にも介さず、むしろこれ幸いと考えて万理は和の傍に立った。すると、和は万理の手をむんずと捕まえて立ち上がり、手を引いて、というより引きずるようにして教室を飛び出した。
廊下を走って、和が手を引くままに走る。戸惑いながら。けれど、和の顔がちらりと見えて、笑えてきた。万理は、こんなに輝く和の表情を見たことがなかったから。
そうしてたどり着いたのはどん詰まり。屋上に続く階段。足がひん曲がったり、板がひどく傷んで使えなくなった机や椅子の置き場所。
2人でゆっくりと階段を登って、屋上へのドアがある踊り場に。万理はなんとなく、ドアノブをひねろうとしてみる。当然回らない。鍵が掛かっていた。
「ここでしよう、ね」
和が口を開いたと思ったら、万理の手を掴んだまましゃがんだ。万理は転ぶように和に覆いかぶさる。
「……和?」
「して……」
仰向けの和に、のしかかる形のまま、万理は口づけた。
すると、唇で感じる柔らかさとは全く違うものが、口の中に入り込んできた。
「……!?ん……!?」
驚くあまりに腕の力が抜けて、鼻面をぶつけ合ってしまった。
「痛った……」
「んー……!」
二人して仰向けになり、顔を押さえてのたうち回る。
万理が恨めしそうな目で隣の和に、
「おま……なんで……し……舌……」
「だ、だって……したかったの……」
「でも、で、でもな……ま……まだ……早い……っていうか」
「今やってもいつかやっても同じだもん」
つまり、和は万理より何倍も大きく”好き”を育てきっていたということで。
万理が”好み”という言葉で誤魔化して、あまつさえ淡い思い出になって別れようとしていた、その罰ですらあった。完全に捕まえられてしまって、もう穏便に別れることなんてできるはずもない。けれど、万理はこうして縛られることに心地よさすら感じていた。そして、むしろ─────
「……和のほうからは、しないのか?」
「する」
和は迷いなく、万理にのしかかって体を密着させてキスをした。そして、全く遠慮なく、舌を入れてきた。
万理はされるがまま、けれど慣れてきたら舌でつつき返した。
返答には大きすぎるほどの力で、強く舌で口内をまさぐられる。
そうしているうち、万理の脳裏をよぎったのはお母さんの顔だった。
死にたくなった。
ショットガンがあれば、頭を撃ち抜いてしまいたい。
ピストルでもいい。
自分の本当の奥底の、誰にも言えない、自分の中の他の自分にすら言えない心。
それを裏切ったことは最初から分かっていて、けれど浮かれていて。
万理の心はドロドロの黒い油溜まりになっていた。
唇が離れた瞬間、一息だけ吸って、
「和、……首、絞めて」
万理は、罰を受けたかった。殺されたかった。
しかも酷い話だけれど、興奮していた。
和がそっと、首筋に両手をかける。
和の瞳に万理が映る。
息を整えながらじっと見つめる。
誰かの瞳を通して見える自分を。
首が圧し潰れていく。呼吸が苦しくなる。
体がビリビリと痺れて震える。
指先が重くなって、すぐに感覚が消えていく。視界もフラッシュのようにちらつく。目元を細いものが落ちていく。
ちらつく視界にぼんやり浮かんだのは。
お父さんの顔。
お母さんを愛している人。お母さんが愛している人。
万理を愛していて、守っていて、けれど多分、愛で支配する存在。
最後に、唇に柔らかい触覚が落ちてきて、万理は意識を手放した。
§
「万理ちゃん、万理ちゃん……!」
世界がゆるやかに揺れている。まぶたが開いて、初めて閉じていたことに気づく、奇妙な感覚に浸されている。
体が揺らされていることに気付いて、千里が目を覚ました。
「……あれ?」
「万理ちゃん、じゃない……千里さん……」
「あ、うん、その、万理ちゃんがごめんね?」
千里もなゆたも目は覚めていて、けれど万理のやりたいようにやらせていた。万理に体を預けようと思っていたから。けれど、さっきの首を絞めさせることを止められなかったのは、万理の只ならぬ情念に気圧されたからだった。引くとかそういうことじゃなく、ただ圧倒されて固まってしまっていた。
千里は仰向けで、和はそれに馬乗りの体勢。和は千里の襟を掴んで、
「万理ちゃんは?」
「あのね、ちょっと待って?」
千里は目を閉じてひだまりの中に降りる。
そして闇の中に弾き出された万理の側に寄って様子を伺う。
死んだ顔で泣いていて、ぶつぶつと呟いている。
這いつくばって、丸くなって、貝のようになって。
「万理ちゃん?和ちゃんが呼んでるよ?」
「ご、ごめ、ごめん……今、ちょっと、無理、だから……」
「うーん……」
「私が気付いたらこんなだったの……」
なゆたも姿を現して、千里に話しかける。
「万理ちゃんがこんなになってるの、初めてだよね」
「うん……私も落ち込みやすいから迷惑かけてたけど……こんなひどいのは……」
なゆたも顔色と姿勢が悪くなっていて、気分の悪さを隠していない。千里も体の重さやどうにも出来そうもない気分の落ち込みを感じている。
「万理ちゃん、やっぱり無理?」
「無理……」
「分かった、私、怒られてくるね」
そう言うと、千里は陽だまりの中に戻る。
まぶたを開くと、まだそこに和の顔があった。
「……ごめんね、万理ちゃん、よくわかんないけどすごい落ち込んじゃって、出てくるの無理だって」
「……そう」
和は立ち上がって千里を見下ろすと、
「帰りの会の後で、また会いに行くね」
それだけ冷たく言い放って立ち去った。
階段を降りる高く硬い足音が遠ざかってから、重い体を持ち上げて立ち上がる。服の埃を軽く払って、千里は階段を降り始めた。ふらつきながら、壊れた机や椅子にぶつからないように。
「……つらいなぁ」
保健室に行こうか、少し迷ってはいたけれど、教室に戻った。